第137話 アドリアンの分遣
ユートたちが南方首府シルボーについたのは王国暦六〇五年の六月十五日のことだった。
「やあ、ユート君、よく来てくれました」
ウェルズリー伯爵はすっかり頬がやせこけ、幽鬼のような真っ白な顔をして出迎えてくれた。
いくら戦闘らしい戦闘が起きていないとは言え、戦場における総軍総司令官としての仕事は過酷なのだろう――自分の命令にかかる人命の数が莫大な数になっているのだから。
「ウェルズリー伯爵、お疲れですか?」
「いえ、そこまで疲れていませんよ。ちょっとここ数日で再編計画を練っていただけです」
「再編?」
「ええ、西方軍が着陣して、追っ付け北方軍も着陣します。それと同時に段階的に中央軍を帰還させて休息させます」
一年にわたる包囲戦で倦んでいるという中央軍を下げて休養させるが、下手に動かせばタウンシェンド侯爵の叛乱軍に隙を見せることになる。
だから上手く連携して交代する計画を練っていたのだろう。
「ユート君は若いから気にならないのでしょうけどね、私はもう今年で五十一なのですよ。いい加減、無理の利かない歳になってきているのです」
そう言うと、大げさにため息をついて見せたが、それもまたウェルズリー伯爵流のジョークなのだろう、と笑う。
「ところで、タウンシェンド侯爵は……」
「ユート君、タウンシェンド元侯爵、または逆賊トリスタンです」
ユートが口を開きかけたのをウェルズリー伯爵がそう制する。
正しい言葉というのは大事だ。
特に今回のように名分が重要となる戦いでは、指揮官がちゃんと正しい言葉を使っていなければ部下の士気に関わる問題になりかねない。
「あ、そうでした。で、その逆賊トリスタンは一体何を考えているんですかね?」
「といいますと?」
「補給で言えば王国の方が有利じゃないですか。トリスタンは東アストゥリアスを通じて南方植民地があるとはいえ、補給でいえば王国東部、西方、北方がある王国軍の方が有利なのに、なぜこんな持久戦を……」
「わかりません。正直に言えば、この戦争は奇妙過ぎます。まるで見かけ倒しの戦争とでも言うしかないような。何度か小競り合いは起きましたが、基本的に彼らの守るところに仕掛けなければ積極的に打って出ることはありません。油断している振りをさせたりもしましたが、それでも打って出ることはありませんでした」
ウェルズリー伯爵はそういうと首を横に振った。
トリスタンが決戦に出ないのはまるで理解出来ない、と言わんばかりに。
「外国――ノーザンブリアの仇敵であるローランド王国の絡みも考えましたが、南方植民地が間に挟まっている上に情報部外国課からの報告ではローランド王国には目立った動きはない、とのことです」
「例えばこちらの費用がかさんで撤退するのを見越している、とか?」
ユートは思いついたことを言ってみる。
ユート自身もゲルハルトの突撃大隊やレオナの捜索大隊の維持費に四苦八苦しているし、まして戦闘態勢で一個軍を南方に張り付けておくなど、予算を湯水の如く使っているようなものだ。
「王国は金庫の底が見えても戦い続けますよ。これは国の存亡をかけた戦いなのですから」
ウェルズリー伯爵は厳しい顔つきでそう返事した。
「え?」
「王国の財政は確かにユート君の言うように火の車、ですよ。まあでもハントリー伯爵が上手くやってくれると思っていますし、ここでトリスタンを討たなければ王国そのものが動乱に巻き込まれてしまいます。そんなことにさせるわけにはいきません」
ウェルズリー伯爵がきっぱりと言い切った。
「まあ、いずれにしても、そろそろ一度大きく仕掛けてみる必要はあるでしょう。ユート君、この地図を見てどこから仕掛けるのがいいと思いますか?」
そう言いながら南部の地図を指し示す。
南部はアストゥリアス王国東部とは栄光の川により区切られている南部は、アストゥリアス地峡まで逆三角形のような形をしている。
東部はノーザンブリア山脈が続いており、そのままアストゥリアス地峡まで続いており、お陰でアストゥリアス地峡を行き来できるのは最西部でまだ平野部が少しある西アストゥリアスと、ノーザンブリア山脈を横切る山道を通過する東アストゥリアスの二箇所となっている。
タウンシェンド侯爵領――正確には旧タウンシェンド侯爵領は東アストゥリアスに抜ける山脈の北側――つまり王国の南東の隅となっており、攻めかかれるのはそのまま北に王都まで続く東アストゥリアス街道の側か、それとも大きな街道はなく丘陵地帯と小さな貴族領が続く西側か、ということになる。
「兵站を考えると北側から、でしょうか?」
「しかし、そこは一番戦力の分厚いところですよ。旧タウンシェンド侯爵領の玄関口であり、長年に渡って防備を固めてきていたはずですから」
「では西側から?」
「そうですね。小手調べとしては小さな貴族領をいくつか攻め潰す、というのがいいでしょう。中央軍が入れ替わってから、東アストゥリアス街道の方はブルーノに受け持ってもらい、君に西側をお願いしたいのですが」
「わかりました」
アドリアンやゲルハルトと出征前に話していた通り、やはりウェルズリー伯爵は中央軍を入れ替えた直後の、疲労の少ない西方軍と北方軍で攻勢を掛けるつもりらしかった。
ユートも予想はしていたので、拒否はしない。
「それともう一つ。一応ジャスト……というかクリフォード侯爵家の家臣団の暴発に備えて西アストゥリアスに中央軍の二個大隊を送っているのですが、こちらもお願い出来ませんか?」
「二個大隊、ですか?」
「ええ、出来れば魔法が使える大隊がいいのですが……」
ユートは頷いていた。
「わかりました。ではアドリアンの猟兵大隊と……あとはリーヴィスさんの戦列歩兵大隊を出します」
「すいませんがよろしくお願いします」
防衛ならばともかく、攻勢に出来るときには使いづらい戦列歩兵はともかく、アドリアンの猟兵大隊が抜けるのは痛い。
しかし、魔法が使える大隊となると主戦力のゲルハルトの突撃大隊、丘陵地帯の戦闘では欠かせないレオナの捜索大隊を出すわけにはいかないので苦渋の決断だった。
ウェルズリー伯爵との打ち合わせが終わり、宿営地に戻るとアドリアンに西アストゥリアスへの移動をお願いした。
「おう、わかった」
「すいません……」
「何、そっちの方が全面攻勢に出るんだから危険な任務だろ? 安全な任務に割り振ってくれて感謝するぜ。俺には帰らないといけない理由があるんだからな」
もちろんセリルと、そしてデヴィット君のことだろう、というのはユートにも推測がついた。
「いや、安全とは限りませんよ?」
「クリフォードのおっさんは動かねぇよ。動くならここまでだらだらしてるわけがねぇ」
アドリアンはそう言うと笑った。
「ユート、飲むわよ」
アドリアンと話しているとエリアが言い出した。
軍営においては当然ながら禁酒なのだが、この日に限っては無事シルボーに到着したこともあり、ユートは酒保開きを命じていた。
お陰で大多数の連中が酒樽を持ち出し、そこかしこで肉やらを勝手気ままに焼いて酒盛りをしているのだ。
もともとこうした風潮はエーデルシュタイン伯爵領軍――つまり冒険者連中にしかなかったのだが、いつの間にか西方軍の正規部隊にも広まっており、今や獣人と冒険者と貴族の位階を持つ兵士が肩を組んで酒盛りをするのが当たり前になっていた。
「いい傾向なんだけどなぁ……」
そう、レオナとブラックモア大隊長が仲違いをしていた頃を思い出せばいい傾向とは思うが、長い行軍で髭も伸び風呂にもなかなか入れない男たちが、肩を組んで焚き火で焼いた肉を頬張り酒を酌み交わしている姿は、どう見ても正規軍ではなかった。
「あたしたちも飲みましょうよ。司令部用の天幕出しといたわ」
軍の小隊長以上を全員集めた会議が出来る司令部公用天幕は相応の広さがあり、当然酒盛りも出来る。
だが、公用天幕はそんなことの為に使うものではない、と言いたげにエリアを見て、その満面の笑みを見て、ユートは何も言うのを止めた。
「わかった。じゃあ酒保にストックしてもらっている酒を貰ってこいよ」
「アイアイ」
エリアが茶目っ気たっぷりに海軍式の返事をした。
その夜はアドリアンとの別れ、ということもあっていつものメンバーで飲んでいた。
ブラックモアやリーヴィス、リーガンたちを呼ばなくても大丈夫か、とユートは気をつかったが、彼らは彼らで楽しんでいるらしく丁重にお断りをされた。
「アナやジークリンデは元気にやってるかしら?」
「デヴィットに会いたいぜ」
遠く西方を思っては、エリアもユートもアドリアンも、湿っぽい酒になりつつあった。
「おいおい、ユート。門出の酒に涙はあかんで」
「縁起が悪いニャ。何か面白い話でもするニャ。アドリアンが」
「俺かよ!?」
突然、話を振られたアドリアンが驚いていたが、その様子を見てみなが大笑いし始めた。
「そういえばアドリアン、あんた家名どうするのよ?」
「決めてねぇよ。というか決めないといけないのかよ?」
「まあ決めるのが妥当ですな」
アーノルドが片手に酒を持ちながら重々しく言った。
ウェルズリー伯爵と同い年の五十一歳のはずだが、色白で細身、ともすれば若く見られがちなウェルズリー伯爵と違って、赤銅色に焼け、がっしりとした体格をしていて白髪交じりのアーノルドはもっと年上にすら見える。
そして、それは若いエーデルシュタイン伯爵家の面々の中で一人長老の風格を漂わせていた。
「アドリアンの子孫はエーデルシュタイン伯爵家累代の家臣となるでしょう。そうなれば家名がない、というのは体裁が悪い」
「あ、またデヴィットさんの名前を貰う、というのは……」
アドリアンはいい案を思いついた、とばかりに全員を見回したが、待っていたのは冷ややかな視線だった。
「あんた、デヴィット君が可哀想でしょ。デヴィット・デヴィットって」
「……ほら、デイ=ルイスさんとかもいるだろ?」
「……確かにあの人もルイス・デイ=ルイスだったわね……まあでもデヴィット・デヴィットにしてもややこしいだけだからやめなさい」
「まあいい家名考えておくわ」
アドリアンはそう言いながら杯をあおった。
翌朝、アドリアンの猟兵大隊、そしてリーヴィスの戦列歩兵第一大隊は西アストゥリアスに向かって移動を始めた。
また、二個大隊を欠いた西方軍四個大隊は補給廠を設置し、そして輜重段列を動員して行軍の用意を始めていた。
ユートたちもまた、数日以内に西側丘陵地帯を固める中央軍の部隊と交代しなければならないからだ。
「アドリアン、大丈夫かしら?」
「大丈夫だろ」
「まあ戦闘はないと思うけど、アドリアンが独立して大隊率いてることが不安なのよね……」
エリアにそんなひどい言われようだったが、アドリアンももう三十四歳、少しは落ち着いているのだとユートは信じている。
相手も全く知らないわけではないクリフォード侯爵で、しかもクリフォード侯爵領を通過するだけなのだから問題は起こさないだろう。
「あ、そういえばアーノルドさんが補給廠をここに設置するのか、もう少し東に進んだところに設置するのかって聞いてたわよ」
「どう違うのかよくわからないんだよなぁ……」
ユートはそう言うと、アーノルドを呼んで説明を聞く。
いくらユートが最近軍人としての勉強をしているとはいえ速成教育では本職の軍人教育を受けたアーノルドにはかなわない。
「補給廠とは補給物資の集積を行うとともに、破損した刀剣、鎧などの補修を行う場所です。ここから輜重段列で運ぶわけです」
「つまり補給廠が遠いと輜重段列に負担がかかるってことですか?」
「そうなります。ただ、補給廠は無防備な上にその性質からすぐに移動することは出来ません。また様々な物資を買い集める必要があることから、物流の拠点に置くべきものでもあります」
「それならシルボーに置くのがベストではないですか?」
「そうなのですが、丘陵地帯での輜重段列の負担を考えると、もう少し前線に置くのも一つかと。相手が攻勢に出る可能性は低いわけですし」
ふむ、とユートは考える。
確かに輜重段列のことを考えればもう少し前線寄りでもいいかもしれない、と思うが、万が一となると、と慎重に考える。
「いや、やめておきましょう。万が一にでも油断して逆襲受けたら洒落にならないですし。輜重段列の負担が大きくなるのは、荷馬車などを増やすことで対応できませんか?」
「馬車を扱う輸卒を増やせば対処できますが……少し検討します」
馬車を増やしたことで輜重段列の目処も立ち、六月二十日、ユートたちは補給廠を開設するための作業を続けるヘルマンたちを残して丘陵地帯へと向かった。




