第014話 水平線の向こう側・前編
翌日、朝からユートとエリアは出発した。
魔の森の傍を通り過ぎていく道を進む。
「そういえばあんたと初めて出会ったのってここら辺だっけ?」
「さっきの川で魔狼の毛皮を洗ったから、もう少し先だな」
「なんか妙に懐かしいわね」
「だな」
「まだ一ヶ月しか経っていないとは思えないわ」
エリアはそう言いながら、辺りを見回す。
「魔狼は出ないだろうな!?」
ユートがそう言うと、エリアは弾けるように笑った。
「そんなのごめんよ。でも今のユートとあたしならどうにかなっちゃうかもね」
「あの時だってどうにかなっただろ?」
「あんなの幸運なだけよ。お互い生きててよかったわ」
軽口をたたき合いながら、道を進む。
幸いなことにユートの懸念は当たらず、魔狼に出会うこともなく、無事に通過できた。
「ここから先は魔の森から離れていくからあまり警戒しなくていいわ」
エリアはそう言うとのんびりと歩き始めた。
エリアが言うとおり、そこからの道筋は魔の森を離れていく一方であり、魔物に襲われる心配もすることなく無事に一日目の宿場となる村に着くことが出来た。
「宿代は一人五千ディールよ!」
エリアはそう言って一人部屋を二つ取った。
「本当は二人部屋の方が安かったんだけどね」
「さすがに男女で同室は無しだろ」
「……そんなこと考えてたの!? だいたい同じテントに泊まっても襲ってこない奴なら大丈夫でしょ!」
信頼なのか、ヘタレと思われているのかわからないが、ともかくエリアはユートに隔意はないようだった。
「そういえば夕食は?」
「夕食と朝食付きね。そう考えると安いのかしら」
「ああ、安いな」
干し肉やパンは案外高い。
特にパンは小麦と薪を持ち込んで焼かせてもらうならともかく、全部店に任せると、手間賃やらでパン一つに五百ディールも取られるのだ。
干し肉にいたっては満足出来る量、となると一千ディールにもなる。
二食で三千ディールと考えれば、温かい食事が手間もなく出てくるのは安いと考えていいだろう。
「明日も朝から歩くわよ」
夕食後、そう言うと珍しくエリアは酒も飲まずに部屋に戻っていった。
翌日からも四日間、歩きづめだった。
日本に慣れたユートからすれば、五日間も歩く、というのはとんでもないことなのだが、エリアにとってはそんなことはないらしい。
(時速四キロとして一日八時間歩いて五日だと百六十キロか……)
箱根駅伝よりも遠い距離を歩いている、と考えただけでぞっとするが、歩いてしまえば案外歩けるものだ、とユートは笑った。
「何笑ってるのよ? 気持ち悪いわよ?」
そんなユートの笑いを見てエリアがからかう。
そんなことをしながら五日目の昼過ぎ、ユートの体感では午後三時くらいにレビデムへ二人は到着した。
「ようやく見えてきたわね」
エリアは遠くに城壁が見えてきたのを指さす。
エレルの城壁と同じく石造りだが、エレルより高く、そして外から見ただけで城域も相当広いことがよくわかった。
「あそこがレビデムか?」
「ええ。西方直轄領首府レビデムよ」
「総督がいるんだっけか?」
「総督もいるし、西方統治の為に派遣されてる貴族も多いわ。元々はこっちの気風に合わせた貴族を多く派遣されてたけど、ちょっと前に総督が替わったし、今も総督府の入れ替えが続いてるからどうなってるか……あんた、貴族に目を付けられないよう気をつけなさいよ!」
エリアに言われなくとも面倒ごとはごめんだ、とユートも思っているので否応はない。
とはいえ、何が貴族に目を付けられるのかと言われたらわからないのだから、勝手に目を付けられる可能性はあるのだが。
「まあ警備兵が減ったりしていないからバカじゃないんでしょうけど」
「警備兵?」
「そうよ。ここら辺は盗賊の類も多いし、街の近くでもそれなりの魔物が出ることはよくあるわ。あたしたちみたいな冒険者はともかく、そこら辺の人からしたら警備兵と冒険者が命綱なの」
「要するに警察みたいなもんか」
正確には武装警察或いは警察軍とでも言うべきものなのか。
「警察?」
「ああ、日本の話な」
「そう? また今度聞かせてよ」
ユートとエリアがそう言い合っているうちに、城門に近づいた。
近づいてみて初めて気付いたが、城壁に沿って水堀が引かれており、そこからは強い潮の匂いがした。
空気もいつの間にか潮の香りが混じるようになっている。
ユートは海が近いのか、とあたりを見回すが、丘陵に邪魔されてかあいにく水平線らしいものは見えない。
そんなきょろきょろしているユートを不審者と思ったのか、城門の詰め所から年かさの警備兵が出てきた。
「おう、パストーレ商会の伝書使か。いつも通り、こっちに名前を書いてくれ。そっちのは新入りか?」
「ええ、あたしの相方のユートよ」
「それじゃ、お前さんもこっち名前を書いてくれ」
どうやらエレルに入った時と同様、ここで名前を書かされて滞在許可証をもらうことになるらしい。
「あれ、仮の滞在許可証じゃないのか?」
「パストーレ商会の伝書使だろう。いつも通り正式なものにしておいた」
警備兵はそう言うと羊皮紙の滞在許可証を渡してくれた。
後は荷物を出して関税検査となる。
随分と手入れの行き届いた服装をした男が荷物を検査していく。
「よし、通れ」
特に関税の対象になる物も入っていなかったので、そのまま通された。
「エレルに比べたら随分と楽だな」
「まあエレルは人数が少ないってのもあるでしょうけど、パストーレ商会の名前が効いてるのよ」
エリアはそう言いながら笑う。
「その割には最後の人、ちょっと居丈高だったけどな」
「ああ、あの人は貴族だからね。従騎士様よ」
「従騎士?」
「あそこの城門の警備兵の隊長さんね。まあエレルの城門で隊長やってるヘルマンさんも同じ従騎士なんだけど、ここは都会だから」
エレルのような魔の森に近いところだと実力の方が重視されるし、実力がない者は貴族でも軽んじられるから従騎士というだけで威張るわけにはいかないのだろう。
しかし、レビデムのような総督府のあるところの門衛となると、そうしたへりくだった姿勢はむしろ総督の権威を損なうと考えているらしい。
まあそれだけでなく、人口の少ないエレルだと単にほとんどが顔見知り、ということもあるのだろうが。
「まあいいや。パストーレ商会へ行くんだろ?」
「そうね。泊まるところもパストーレ商会へ行ってから、だし」
エリアはそう言うと、通り慣れた様子で大通りを進んでいく。
一方でユートはあたりをきょろきょろとしながら進んでいく。
街はエレルと同じく筋交いの入った木造建築も多いが、たまにそうした木の梁やや筋交いが見えないようにか漆喰で仕上げられた綺麗な建物や、赤煉瓦の建物も混じっている。
それらは無秩序に混ざり合っているのに、なぜか街として統一感が感じられるのをユートは少し不思議に思った。
「ここよ!」
エリアはそう言うと一階はちょうど車のガレージのような構造になっている、白い漆喰が光る建物の前で止まった。
その一階部分は簡単な倉庫になっており、いくつもの品が置かれている。二階と三階には商会の事務所か何かになっているらしい。
客で大賑わい、というわけでないのは小売店ではないからだろうが、それでも忙しく丁稚が走り回り、少し偉そうな番頭が丁稚たちに声高に指示を出して、全体としては活気に溢れている。
「ごめんください!」
エリアは慣れた調子で半歩ほど店に足を踏み入れると声をかける。
「はいはい、どなたですか?」
丁稚の若い男が出てくる。
年齢は恐らくユートとさほど変わらないだろう。
「エレルからの伝書使です。代表をお願いします」
「わかりました」
その丁稚の男はすぐに上に向かって走り出す。
「おう、エリアか」
丁稚が上に上がってすぐに上から四十くらいの男が降りてきた。
体格はやや中年太りが始まっているようだが、目つきの鋭さは一流の商人のものだ、とユートは感じた。
「総支配人、エレル支店からの書状を持ってきました」
「おう、ありがとう。で、そっちは?」
「あたしの相方になりました、ユートと申します」
「そうかそうか。初めまして。パストーレ商会代表のエリック・パストーレだ」
パストーレはユートの方を向き直ると、笑顔を見せながら軽く会釈する。
「こちらこそ初めまして」
「エリアのことをよろしく頼むよ。何かあればデヴィット先生に申し訳が立たんのでな」
パストーレはそう言うともう一度深くお辞儀をした。
書状のやりとりを終えると、エリアは肩の荷が下りたように軽々と歩き出した。
「明日には返書出来るって言ってたから、まずエリックさんが紹介してくれた宿に行きましょう。荷物置いたらレビデム観光よ!」
エリアはそう言うと颯爽と歩み始める。
その後ろ姿から観光できる、というのにうきうきしているのがユートにもよくわかった。
まだ十六歳、 日本ならばまだ高校に入ったばかり、高校、大学とあと六、七年は楽しめる年齢なのだが、この世界では剣を片手に魔物を狩らないと暮らしていけないのだ。
「エリアってこれまでも何回もレビデムに来てるんだろう? 観光したことはなかったのか?」
「あるわけないでしょ。これまではそんなお金の余裕なかったもん。往復してだいたいの儲けが五万ディールよ。伝書使の仕事は月に一回か二回、あとの諸々の稼ぎとか考えてもお金に余裕なんかないもの」
そう言われてユートはようやくエリアが生活の月を十万ディールを一人で稼いでいたことを思い出す。
十六歳で家計の全部を背負う、というのは日本では考えられなかったことだが、この世界では当たり前のことなのかもしれない。
「今回は色々と稼いだから楽しめるな!」
「ええ、あんたに案内したげるわ。食べ歩きはどこがいい、とかならわかるわよ」
「あれ、観光してないのになんでそんなこと知ってるんだ?」
「いつか狩人になってお金の気にしないで食べ歩くって決めてたからね。行きたい店、何軒もあるのよ?」
荷物を置くとエリアは喜び勇んで宿を飛び出していった。
「そういえば荷物置いといて大丈夫なのか?」
ここに来るまで宿では絶対に荷物から目を離すな、と言われていたユートはそれを見て意外に思った。
「エリックさんの紹介だから大丈夫よ。宿で物がなくなるのはだいたい宿の奴が盗んでるんだから」
エリアはそう言いながら、まず最初に行きたかった、と行っていた店に向かう。
レビデムの名物である魚料理の店で、生魚を塩味のタレで食べさせる、という店だ。
出てきたのは何種類かの刺身っぽい何か。
全て日本の刺身では珍しい角造りなあたり、まだ出来て間もない料理、ということなのだろうか。
「へー、これは珍しいな。味も刺身みたいだ」
一つ食べてユートはそんな感想を漏らす。
味は醤油ではないが、さほど違和感はないし、魚も新鮮らしく、日本と変わらない味だ。
「サシミ? ニホンの料理?」
「ああ、魚の身を切って醤油という……タレみたいなものをつけて食べるんだ」
「へえ、このタレは煎り酒っていうのよ。醤油ってのはどんなのなの?」
そう言われてユートは醤油の味を説明するのに難儀することになった。
あの味は醤油味、としか言えないし、日本ではそれで通じていたものを説明しろ、と言われると案外困るものだ。
「……もっと黒っぽい色をしていて……コクと香りがある感じかな?」
「ふーん、黒っぽい色って魚醤みたいなものかしら?」
「見た目は似てるが、原料は豆だし、あそこまで自己主張は強くないな」
「豆? なんで豆が黒くなるのよ? よくわからないし、今度見つけたら絶対買いなさいよ。あたしも食べてみたいから」
そう言いながらエリアのの最後の一切れを口に運んだ。
「さあ、次はどこ行く? まだ何か食べる?」
「そうだな……もう一品くらい食べてもいいかもしれん」
「じゃああそこね!」
エリアはそう言うとお金を払って店を飛び出していった。
次の店は串焼きの屋台だった。
具材は全て魚で、小さな切り身を焼いて、それにソースを掛けて提供してくれる。
ムニエルが串に刺さっているような料理だった。
「へー、こいつは美味いな」
掛かっているソースもベシャメルソースであり、日本だとフレンチの店で食べるような料理だが、これが屋台で出ているあたりおもしろい。
「一本一千ディールはちょっとびっくりだけどね」
ファーストフードなのに一千ディール、となるとみな買うのに尻込みしてしまうのだろう。
「まあ安くはないわな。でもその分きっちり仕事はしてるつもりだぞ」
屋台のおっさんはそう言う言葉に嘘はないのだろう、とユートは思う。
「その割には客が入ってないみたいですけど……」
「高いからしょうがないだろ……」
「むしろ店の出し方が問題なんじゃないですか? なんで屋台で出してるんです?」
「金がないからに決まってるだろ。俺だっていつかは店を構えたいんだが、いかんせん高くてな」
ユートの言葉におっさんは苦笑いする。
結局、串焼きを二人で六本も平らげた時には、ユートたちが美味い美味いと騒いでいたせいか客が何人か並んでおり、去り際にはおっさんは嬉しそうにサムズアップした。
「食った食った」
「串焼き、当たりだったわね。店構えたら行きたいわ」
二人はそう言い合いながら適当に歩いていると波止場にたどり着いた。
「あ、ここは……ちょっと休憩!」
エリアはそう言いながら岸壁に腰を降ろした。