第128話 王都のとある酒席
「ユート、今日は王立魔導研究所よね?」
三月三十日――つまり戴冠式の二日前、なぜか朝からエリアが張り切っていた。
確かに今日は王立魔導研究所に魔石銃の話をしに行く日だが基本的にはエリアは関係はない。
「なんでエリアがそんな張り切ってるんだ?」
「え、だってワンダが終わったら飲みに行こうって」
ワンダとは、王立魔導研究所の主任研究員にしてユートとともに共同研究をしているワンダ・ウォルターズだ。
いつの間にかエリアとは酒飲み仲間となっていたらしい。
「ウォルターズさんに迷惑掛けるなよ」
「何言ってるのよ。あんたも飲みに行くのよ。折角王都に来たのにどこも飲みに行ってないでしょう? しかめっ面して仕事ばっかりしててどうするのよ? 旅に出たらそこで美味しい料理を食べて、美味しいお酒を飲んで騒ぐのが冒険者流じゃない」
「おいおい……」
ユートは頭を掻いたが、エリアはにこにこ笑っている。
「それにね、あんたちょっと働き過ぎよ。そりゃ色々と大変なのはわかるけど、ちょっと息抜きしないと潰れちゃうわ」
「――ああ、ありがとう」
エリアの言葉を受けてユートもまた笑った。
「というわけで乾杯!」
ユートの王立魔導研究所は一種の表敬訪問であり、特に時間を取られることもなかった。
そしてそのセレモニーが終わってから、すぐに食事となったのだ。
ウォルターズ、そしてスミスとともに名目は魔石銃の完成と、それが一定の評価を得たことに対する慰労会だった。
「やっぱり王都の料理は王都の料理で美味しいわね」
「西方よりも洗練された味付けだね」
エリアとウォルターズは丁寧にグリルされた肉をつつく。
西方と違って魔物ではなく家畜の肉――恐らく牛肉だが、強いスパイスの香りで臭みを消したそれは野趣に溢れていながら洗練されるという器用な料理となっている。
そこら辺の飲み屋というわけではないが、それでも高位貴族が来るようなレストランではなく、ビストロとでも言えばいいような店だった。
「ユート、こういう店なら魔石コンロとかも需要あるかもね……って、仕事は忘れて飲むわよ!」
エリアはしまった、という顔をしていた。
ユートの息抜きと言って誘っておきながら仕事のことを話題に出してしまったのを後悔しているのだろう。
「魔道具作りは趣味みたいなもんだしな」
ユートはそう言いながら、テリーヌを切り分けてフォークで食べる。
「魔石銃が制式採用されたら、料理関係の魔道具をやっぱり作ってみようかな」
ウォルターズ、スミスという魔道具の専門家二人がいることもあり、ああいう魔道具はどうだ、こういう魔道具はどうだ、という話になっていく。
「それにしても魔鮫を撃つとはね。あたしも見ときたかったよ」
ウォルターズは会話の中でエリアから魔鮫を撃った話を聞かされて、自分は陸路を移動していたせいで見れなかったことを悔やんでいた。
もちろんその間も酒のペースは落ちず、一杯、二杯と次々と杯を干していく。
「あれのお陰でロニーさんが随分と乗り気になっていたわ。限られた法兵しか乗せられない海軍にとっては魔石銃は有効な武器と考えてくれたんじゃないかしら」
「そうだといいねぇ。ただ軍務省は余り賛成していないんだろう?」
「そうらしいわね。弾丸が高すぎるって」
「ユートから狙撃って話を聞かされた時にはいいと思ったんだけどねぇ」
ウォルターズの言葉にユートは違和感を覚える。
「そういえばウォルターズさんは騎士道を守るべき、とかは思わないんですか?」
「あたしは平民出の法兵だからね。騎士道って奴は習ったけど、それはあくまで守るべき戦争のルール、みたいな扱いだったしね」
そこら辺は生粋の貴族であるウェルズリー伯爵やその他貴族出身者が大半である王国軍幹部とは違う、ということなのだろう。
軍内でも騎士道を巡る解釈は色々あるようだし、そうした違いがあったからこそ、アーノルドも魔石銃を一般兵が持つようになれば考え方も変わるかもしれないと言っていたのだろう。
「あとは弾丸を安くする方法を考えるだけ、かい?」
「そうですね」
「重くて量を揃えられる、安い金属となるとやっぱり鉛かね?」
「そうですね」
ユートは頷く。
弾丸に対する俗語として鉛弾という言い方があるくらいだし、銃弾にするのに適切な金属は鉛だろうと思っている。
「鉄でも鉛でも火爆には耐えられないよ。爆風なら耐えられるかもしれないけどね」
破壊力が高い上に爆発を伴う火爆では、やはり普通の金属では耐えられないらしい。
やはり弾丸の素材としてはなかなか破壊されることのない神銀が一番だった。
「やはり爆風使うしかないですね」
「そうだね。スミス、魔導回路の入れ替えにはどのくらいかかりそうだい?」
「そうだなぁ……一週間ってとこか?」
外見はまるでドワーフの人間スミスが難しい顔をしてそう呟くように言う。
外見だけでなく鍛冶の腕もドワーフのようにいい男であり、ここ数ヶ月一緒に開発している撃ちにそのぶっきらぼうな口調とは裏腹に、ちゃんと物事を考えている男とユートは評価するようになっていた。
「じゃあ戴冠式終わってから魔石銃持ち込んで研究してみようよ。弾丸のテストをやるならエレルよりも実験場のある王都の方がいいだろう?」
「アナもすぐ帰るんじゃ可哀想だし、そうしましょうよ!」
エリアがウォルターズの提案に乗ってくる。
「ああ、わかった」
そう言った時、不意に店の表の方からざわめきが聞こえてきた。
「どうしたのかしら?」
エリアがそう言った途端、がらりと店の引き戸が開いた。
「おう、ユート、ここにおったんか」
ゲルハルトだった。
「どうしたのよ? ゲルハルト?」
「いや、お前らが飲んでるって聞いたからな」
ゲルハルトはそう言うと空いている席にどかっと座り込む。
後ろにいたレオナもまたどこからか椅子を持ってきて勝手に座る。
「今日ようやく着いたし、一杯飲もうかと思うてな」
「あちきにも酒を持ってくるニャ!」
ゲルハルトとレオナの登場で、一度静まりかえった店内も、少しずつ酔客の声が戻ってくる。
「あの、もしかして伯爵様でございましょうか?」
二人の酒を持ってきた店主らしい男が恐る恐る聞いてくる。
「そうよ。エーデルシュタイン伯爵と言えばわかるかしら?」
「やはり……! あの、もしよろしければ個室にお移りになりませんか?」
ユートはなぜ、と思ったが、よく周囲を見れば店主がそう申し出た理由がすぐわかった。
一見すれば酔客たちは酔っ払って騒いでいるように見えるが、その実ユートたちの出方を窺っているような者が多い。
恐らく特徴的なゲルハルトとレオナが来たことで、貴族たちが飲んでいることに気付き、粗相をして無礼討ちにされたらたまらない、と思っている表情だ。
「……わかった。忍んできていたが、みんなに気付かれてはしょうがない」
ユートはそう言うと席を移った。
「あ、嬢ちゃん、料理を持ってきたら席を外してくれるか?」
ゲルハルトは個室に移ると給仕にそう告げた。
「どうした?」
「ちょっと内密に話したいことがあってな」
「それはあたしたちがいてもいいのかい? あたしとスミスはもう十分飲んだし、面倒ごとに巻き込まれるのはごめんだよ」
「軍関係者なら知っとった方がええことかも知らんで」
ゲルハルトにそう言われてウォルターズは少し思案顔を見せたが、すぐに首を横に振る。
「貴族の面倒くさいしがらみには囚われたくないね。すまないけど、あたしは帰らせてもらうことにするよ」
「わしもな」
「ほなここのお代はオレが持つわ。邪魔して悪かったな」
「さすが侯爵様だね。ありがたくご馳走になっとくよ」
ウォルターズとスミスはそんな風に礼を言うと、席を立った。
「で、わざわざ人払いをしてまで話したいことって何なんだ?」
恐らくこの店でユートたちが貴族と気付かれるような現れ方をしたのも、人払いをしたかったからだろう、とユートは当たりをつけていた。
ゲルハルトは奔放な人物ではあるが、無思慮な人物ではないのをユートはよく知っているし、かぶり物もせずに堂々と店に入ったらこういう結果になるのはわかっていたはずだ。
「ああ、ちょっと気になったことでな。ここに向かって行軍中に商人の一行と一緒になったんや」
「護衛か?」
「依頼としては受けてへんけど、護衛みたいなもんやな――それで、その商人が言うには南方で食糧価格が暴騰してるらしいわ」
ゲルハルトは難しい顔をしてそんなことを言った。
「……飢饉、か?」
「やったらまだええ方やろうなぁ」
「ユート、飢饉じゃなくて値上がりするとするなら何ニャ?」
言われなくともわかっている。
食糧価格が値上がりするということは誰かが買い占めていることくらい、西方冒険者ギルド事件で物資の調達経路から敵を見つけたユートにはわからないわけがない。
そして、食糧を買い占めるような組織というのは一つしかない。
「――軍、ということか」
ユートの言葉に、そこにいた四人が渋い顔をして沈黙する。
「南方軍や両洋艦隊かもしれないわ」
エリアが言う両洋艦隊というのは東方に広がる東海洋を担任海域とする東海洋方面艦隊と、アストゥリアスからエンゲデ、そしてメンザレを経てレビデムまで広がる内海である西海を担任海域とする西海方面艦隊のことを言う。
「それ、どっちにしても同じことじゃニャいか?」
「あ、そっか。王国軍が食糧を大量調達しているということは……」
「タウンシェンド侯爵あたりが謀叛を考えている、という情報を掴んだ、ということニャ」
「要するにどっちにしても戦争――内戦ってことやな」
ユートが、そしてそこにいた全員がため息をついた。
「一応、裏取りもしたけどな。他の商人も食糧の高騰のことは知っていたし、更に西方やと冒険者になりそうな荒くれどもが南へ向かってたわ。さすがに武器関係の商会は口堅いから明かしてくれへんかったけどな」
「そういえばアーノルドさんの実家が馬商人だったな」
「あーそうなんか。ほなそっちの伝手で武器関係の商会に探り入れてもらった方がええかもな。いずれにしても南方で何かことが起きそうなのは間違いないと思うで」
ゲルハルトは重々しく言った。
「戴冠式に合わせてことを起こす気かな?」
「ありえるわね。だってロニーさんが言ってたでしょ? 正騎士以上はほとんどが王都に来ているから、軍がまともに機能しないんじゃないかしら? あと、南方軍の司令官の後任も決まってないのよね?」
南方軍は王位継承戦争で多くがタウンシェンド侯爵に同調したが、アリス王女が摂政王太女となってからはそうした部隊の中級指揮官を入れ替えている。
その関係で南方軍は組織力が非常に低下していた上、司令官も不在となっていた。
その上、軍の要である中級指揮官のうち、正騎士以上が抜けているとなればもはやそれは烏合の衆に近いのではないか、というエリアの推測は決して大きく外れているとは思えなかった。
もしタウンシェンド侯爵が謀叛を起こせば南方軍が速やかにそれを鎮圧出来る態勢は出来ていない上、先代タウンシェンド侯爵に目を掛けられてきた者も多いため、下手をすれば叛乱に同調しかねなかった。
「危険だな……」
「でも情報部のマンスフィールドさんだっけ? あの人が動いているとは思うんだけどなぁ……」
ユートは昨年ウェルズリー伯爵に紹介された、マンスフィールド内国課長を思い出す。
あの痩せぎすの小男はぱっと見ればそこらにいる普通の人だが、ウェルズリー伯爵がわざわざユートに紹介したということは有能な人物なのだろう。
そうなると、ゲルハルトたちが掴んでいるような情報は掴んでいておかしくない。
「マンスフィールドさんが動いているとなるとウェルズリー伯爵の予想の範囲内とは思うけど、それでもなぁ……」
「とりあえず、あちきらの大隊は警急配置につかせているニャ」
「大丈夫なのか?」
ユートが心配しているのは、餓狼族と妖虎族の二個大隊が王都の中で戦時の配置についている、というその事実だ。
戴冠式を前にして緊迫している王都で、それこそ乱闘事件のような不測の事態を招きかねないことをユートは危惧している。
「まあ大丈夫と思うニャ。というより、あちきらの正当な権利ニャ」
「一応外国貴族扱いやからな、オレたちは」
明らかに権利の濫用のようなことをゲルハルトとレオナは笑いながら言ってみせる。
まあ適当に見えて二人とも族長の子だけあって、ちゃんと必要な許可は取っているだろうし、許可を得ているということは警備の最高責任者であるウェルズリー伯爵も了解しているからそれ以上ユートは追及しない。
「あちきらはユートの屋敷に入り浸る――ジークリンデ様のご機嫌伺いに行くニャ。だからユートの屋敷を妖虎族と餓狼族どもの一個中隊が守っていてもおかしくないニャ」
「……ありがとう」
タウンシェンド侯爵にしてみればユートは先代タウンシェンド侯爵の仇のようなものだし、狙われる可能性はないとは言えなかった。
しかし、まだまともな領軍を持たないエーデルシュタイン伯爵家の王都屋敷は門番がいる程度でもし不測の事態――例えば暗殺者が送り込まれるなどすれば対抗出来ない可能性があったのをレオナたちが気をつかってくれたらしい。
「じゃあ屋敷に戻るニャ」
「ユート、一つ言うとくけどな、そういう事態やからあんまり街中を出歩くなや。出歩く時はうちの大隊から選抜した警衛分隊をつけるんや」
ゲルハルトにそう言われて、ユートは背筋がぞっとした。
よく考えれば、タウンシェンド侯爵の手の者がユートの命を狙っているかもしれない状況で、暗殺者どころかそこら辺の街の親父でも一突きにユートを刺し殺せるような、街場の飲み屋で飲むなど危険極まりないことだ。
「ああ、わかった」
顔を引きつらせながら、ユートはゲルハルトの忠告に頷いた。
そして、内心で、ますます貴族貴族した生活をしなければならなくなった、と盛大にため息をついていた。




