第125話 魔鮫と魔石銃
新鋭の一等フリゲート艦四隻からなる戦隊が出港してからは順風もあって順調な航海となっていた。
「そういえば四番艦は修理したんですか?」
イーデン戦隊の四番艦インヴィンシブルはアラドに上陸戦をやった際、ガレー船の衝角攻撃を受けて大破擱座している。
「ああ、ようやく浮揚に成功したんだ。いくら港の目の前とはいえ、難儀してましてね……」
「そういえばロニーさんが資材やらの発注に王都まで来ていましたね」
「衝角攻撃を受けたところが最悪で肋材が数本折れていたから、資材が色々と入り用だったんだ……」
イエロは思い出したくもない、と言いたげな顔をしていた。
「まあそれはいいとして……お、ユート卿の奥方じゃないのか?」
昇降口を見ると、エリアが上がってきていた。
「どうした?」
「ちょっと聞いときたいことがあったのよ。あたしたちの食事ってどうなってるの?」
「ああ、それなら士官公室に運ばせますぜ」
「ありがとう。自分たちで作ってもよかったんだけど、勝手に火を使っていいのか、と思ってね」
「それはやめてくれ! 海の上で火災が起きたらどうしようもないんだぞ!?」
慌ててイエロがエリアを止める。
「だから聞きに来たじゃない。じゃああたしは下に戻るわ」
「おいおい、どうせだから上にいたらいいじゃないか」
「遠慮しとく」
エリアはそう言って下に降りていった。
「どうしたんだ?」
「いや、まあ色々」
イエロとそんな会話をしながらアナと一緒に潮風を浴びたりファーディナンド艦長と挨拶をしているうちに、イエロの従兵が昼食の準備が出来たことを伝えに来たので、再び士官公室に戻った。
「あら、お帰り。ちょうどアーノルドさんに呼びに行ってもらおうかと思ってたのに」
「イエロさんの従兵が教えてくれたよ」
エリアはさっきの仏頂面はどこへやら、運ばれてきた食事をてきぱきと配膳している。
「船の上なのに随分と豪勢ね」
「貴族様に粗末なものは出せない、ってことかな?」
「ああ、それもあるかもね。それにレビデムでさっき補給したところなら、新鮮なものから使っちゃおう、というのもわかるし」
そう言いながら、席に着くと、エリアはサラダをフォークで器用に食べ始めた。
「うん、やっぱり美味しいわね」
「生野菜とか大丈夫なのか?」
もちろん衛生的な話だ。
狭い船の上で万が一に赤痢でも発生すれば目も当てられないことになるだろう。
実際、日本でも豪華客船の船内で赤痢が発生してしまって大変な事態に陥った、などというニュースが流れていたこともあるし、まして日本よりも食中毒になる危険性は高いとユートは思っている。
「多分それも含めての今日だけの特別メニューってことじゃない?」
「法兵が乗っているのならば、もしかしたら風魔法の風治癒を使っているのかもしれないのです」
アナが横合いからそんなことを言う。
「風治癒?」
「食中毒を防いだり、流行病を抑え込むのに使う魔法なのです。王城で出される食事は料理人が料理する前の食材に近衛軍の法兵がこの風治癒をかけていたはずなのです」
「便利な魔法があるのね」
「私も……使える……」
エリアが感心し、ジークリンデは妙な対抗心を見せていた。
除菌する魔法なのか、それとも解毒する魔法なのかはユートにはわからなかったが、貴族が通うような、超がつくほど高級なレストランなどではそうした配慮をして食中毒を防いでいるらしかった。
「まあそれなら大丈夫か。てかジークリンデ、今度教えてくれ」
「わかりました」
ジークリンデに風治癒を教えてもらう約束をして、ユートは自分もサラダに手を付けた。
「そういえば魔石銃はどうしたの?」
「持ってきてるよ。王都に持ち込むなって命令だから、預かってもらう予定」
「ふーん、この船に置いていくの?」
「多分それでも大丈夫だけど、一応怖いから西海方面艦隊に預かってもらうことになるかなぁ……」
ユートたちを乗せたイーデン戦隊は王都シャルヘンの外港であるエンゲデ港――西海方面艦隊司令部のある軍港でもある――に到着して、そこからは陸路をとる予定だった。
魔石銃の機密性の高さを考えると、西海方面艦隊あたりで預かってもらうのがベストとユートは考えている。
「じゃあそれまではあたしが使ってもいいのよね?」
「いいけど、弾丸がそんなにないぞ?」
「何発あるのよ?」
「二十発くらいかな」
「ちょっと、あんた!? 確かロニーさんたちとの試射会用に百発作ってもらってなかった!?」
「シーランド侯爵やロニーさんと一緒にほとんど撃ち尽くした……」
呆れた、と言わんばかりの顔をエリアがしていた。
確かに一発百万ディールはする弾丸を八十発、八千万ディール分も試射したのだから、呆れられて当然と言えば当然だ。
「……まあいいわ。とりあえず魔石銃貸しなさい」
「ああ」
ユートはそう言うと、自室に戻ってケースから魔石銃を取り出してくる。
「ふーん、ちょっと甲板に出てみるから、ユートも付き合いなさい」
「なんだ、さっきは嫌がってたのに」
「いざって時に撃てなかったら困るでしょう?」
正論なのだが、何か釈然としないものを感じながらユートはお供をすることにする。
「なんだい、そいつは?」
セーラー服を着た水兵たちが作業している上甲板を眺められる艦尾甲板に上がったユートたちを、イエロが目敏く見つけてそう訊ねてくる。
「軍の機密兵器よ」
「は?」
魔石銃に対するエリアのコメントにイエロは毒気を抜かれた顔をしている。
「何する気かしらねぇけど、船を燃やすようなことはやめてくれよ」
「わかってるわよ」
そう言いながらエリアは後ろを行くフォーミタブルの、水面を切り裂く舳先のあたりに向かって魔石銃を構える。
「おい、エリア!?」
「何よ? 弾丸は装填れてないわよ?」
「いや、そんなの向こうからはわからないだろう? あの船にはシーランド侯爵が乗ってるんだぞ?」
シーランド侯爵は魔石銃の威力を知っている。
それを弾丸が装填されているかわからない状態で向けられたら当然ながら敵対行動か、と疑うだろう。
「あ、そっか。じゃあ水面に向けて見るわ」
そう言うとエリアは舷側に移って、海をのぞき込むように水面に向けて構えてみせる。
「おいおい、そいつは武器なんだろう? そんな震えた手で扱えるんですかい?」
魔石銃の重さからか、エリアの手が震えていることにイエロがいち早く気付いて、そんな指摘をする。
「うっさいわね。これでも震えを止めようとしてるのよ」
「重たいのか?」
「十キロくらいだけど、いつも剣を振り回してるから大したことはないわ」
イエロに向かってそう言ってから、エリアがしまった、という顔をする。
「……怖いのか?」
「何よ、ユート。文句ある?」
ユートはいや、ないけど、と言いかけて、何を言っても無駄だ、と諦める。
そんなエリアにイエロが果敢に質問した。
「何が怖いんですかい?」
「……海よ」
「海?」
「そうよ。あたしの死んだ父さんが言ってたわ。海は魔物がたくさんで、とても怖いところって言ってたわ……」
「わはは、魔物はよっぽど沖合にいったら多いですがね、沿岸を航海してる分にゃまず大丈夫ですぜ。大型の魔物は陸から近いところには入り込んでは来ませんぜ」
イーデン提督に続いてイエロもエリアの心配性を笑い飛ばしているが、エリアの顔は晴れない。
「……それだけじゃないわ。海が怖いのよ。あたしが立っているこの船の、船底の下は、何十メートルも何もなくて、何がいるかわからないんでしょう? もしかして投げ出されたら、もしかして船が沈んだら、って思うと怖いの。あんたたち海の男からすればみっともないことかもしれないけど、怖いの」
エリアが絞り出すようにそんなことを言った。
「エリア……」
「陸ならあたしはどんな敵にも負けない自信はあるし、負けるような敵は全部避けて通る自信があるわ。でもここは、ダメなの」
「それで魔石銃にこだわってたのか……」
「そうよ。あれがあれば、あたしは海の上でも戦えるかも、って思って……」
ユートとエリアの会話を黙って聞いていたイエロが重々しく口を開いた。
「いや、エリア卿の言うことはわからんではないぞ。俺たちもよく思うぜ。海ってのは怖いところだ。ちょっと針路を誤れば座礁するかもしれん、ちょっと測量を間違えれば全く違うところに行くかもしれん、暴風で沖合に流されて帰れなくなるかもしれん、そんな怖いものだ、とな」
イエロが中途半端な敬語をやめたようだったが、ユートもエリアもそれを不快には感じなかった。
むしろ敬語で取り繕っていない、イエロの本音であるように思えた。
「……あんたたちでも思うの?」
「当たり前じゃねぇか。海ほど怖いところはねぇよ。海兵も航海も揃って思ってるだろうよ。だいたい陸式さんは行軍するだけで死んだりしねぇだろうけど、こっちはちょっと航海しただけで帆桁から落ちて死人が出てもおかしくねぇし、濃霧や暴風で何も出来なくなって遭難だってありえる」
「そう……」
イエロの言葉を聞いて、エリアは少し落ち着いたようだった。
「だから少しでも万端の準備をして、少しでも死ぬ可能性を減らそうといろいろやってるんだぜ」
「……どんな時でも油断しちゃいけないものね」
少し前の失敗を思い出しながらエリアが笑う。
「そうさ。エリア卿のその魔石銃だって、備えが一つ増えたって喜んでるし、喜んどきゃいいんだよ」
イエロはそういうと照れくさそうに笑った。
一週間ほど過ぎたが、航海は順調に進んでいた。
途中、エリアたちは服がなくなったのか――船上では水は貴重品であり、洗濯になど使うわけにはいかない――セーラー服を着たりしていたが、アーノルドこそ渋い顔をしていたものの、ユートは笑っているだけだった。
エリアはイエロとの会話で何か思うところがあったらしく、あれからは海をそこまで怖がることもなかったので、時折艦尾甲板でのんびりすることもあり、ファーディナンド艦長や、艦の海尉たちの生暖かい視線を受けることもあった。
そして、出発して一週間が過ぎたあたりで濃霧に包まれた。
二百メートルほどの間隔で先行しているはずの旗艦イラストリアスの姿も見えないくらいの濃霧だ。
「こりゃ弱ったな。おい、海兵隊は艦首甲板に集まれ。万が一にもイラストリアスに突っ込んだら洒落にならん」
ファーディナンド艦長がイエロにそう命じた。
レーダーがない以上、見張りは目視になるが、その目視が完全に塞がれているのだから濃霧になれば当然事故は起きやすい。
一応、ランタンを多く出して少しでも濃霧の中で視認性を高めているのだが、それでも危険なことにはかわりがないので、イエロは手空きの海兵隊を集めて艦首甲板で見張らせているのだ。
「風向きまで悪くなってきやがった……」
ファーディナンド艦長は悪態をつくように天を見上げた。
「せめて風が霧を払ってくれれば……」
そのファーディナンド艦長の祈りは通じたらしく、じりじりと霧は薄れていっている。
「おい、次席海尉、風力は?」
「北北西……八ノット!」
風力計を見ながら何か計算していた次席海尉がすぐに答える。
「北北西陸からの風が八ノットか……本来ならば縮帆させたいのだが……」
「水兵どもを上げましょうか?」
先任海尉が一応そう告げる。
既に帆柱の下には水兵が集まっていて、いつでも帆桁に上がる準備は出来ている。
「いや、今縮帆させれば後続のインドミタブルと衝突する危険性がある。次席海尉、艦の針路及び速力に注意しろ。余りにも沖合に出てしまうようなら……」
濃霧の中での縮帆や針路変更は危険だが、沖合に出過ぎて艦位を失うくらいなら衝突の方がまし、という判断だろう。
じりじりと、緊張した時間が過ぎていく。
多少霧が薄れたとはいえ、まだ先行するイラストリアスも、後続するインドミタブルも見えてこない。
まだか、まだか、と時間が過ぎていく中、不意に強い風が吹き始めた。
「次席海尉、風向が変わったぞ!」
「艦長、霧が晴れていきます!」
艦長が次席海尉に風力の計算を命じようとした時、見張りを担当していた第三海尉がそう叫んだ。
「よかった……」
ほっとしたようにファーディナンド艦長が呟く。
そのファーディナンド艦長の傍にいたユートも晴れていく霧にほっとした表情となる。
「艦長! 敵です!」
不意に艦首甲板にいるイエロの胴間声が響いた。
「敵、だと!?」
「魔鮫5、右舷前方です!」
第三海尉が冷静に叫ぶ。
見るとユートの目にすら大きな背びれが波を切ってこちらに殺到してきているのが見えた。
「合戦用意! 先任、一番法隊を上げろ! 海兵、総員上甲板に下がれ!」
歴戦のファーディナンド艦長が怒鳴った。
「艦長、自分も魔法を撃っていいですか?」
「ああ、そういえばエーデルシュタイン伯爵閣下は魔法を使えるのでしたな。お願いします」
ユートはすぐに土弾を準備する。
一番慣れている火球や火爆では水面下にいる魔鮫は倒せないだろう。
まして風斬や水球では全く意味はなさそうだし、唯一通じそうなのが土弾だった。
「土弾!」
ユートの土弾が魔鮫の背びれのすぐ近くに着水する。
いくら土魔法が苦手とはいえこのくらいは出来るのだが、直撃をさせることは叶わない。
「取り舵一杯! 風は左舷後方から来ている! 風を失うな!」
ファーディナンド艦長の命を受けた掌帆長の指揮で水兵たちは帆柱に取り付き、必死に帆の開き方を調整していく。
だが、運悪く濃霧の間にフォーミタブルが一番沖合まで流されていたらしく、殺到する魔鮫から逃げ切ることは出来なかった。
激しい音とともに艦が大きく揺れる。
「水兵ども、振り落とされるなよ!」
掌帆長の声が響き、何人か帆柱に登っていた水兵の悲鳴が降り注ぐ。
体当たりする魔鮫が、時折水面を跳ね、舷側からちらりと見えるが、その一瞬で土弾を合わせるのは至難だ。
艦首甲板に上がってきていた一番法隊もそれは同じらしく、何発もの土弾が空しく遙か遠くの海面に着水して水柱を上げる。
「舷側の外板がきしんでいます!」
第三海尉が悲鳴のような声を上げた。
舷側の外板が破られてしまえば、あとは傾いて転覆するだけだ。
もちろん小さな損傷ならば木栓の類で塞げるだろうが、それも魔鮫がいてはままならない。
「ユート!」
エリアが昇降口から駆け上がってきた。
服装は相変わらずのセーラー服であり、もちろん片手には魔石銃が握られている。
「エリア、魔鮫が跳ねた瞬間に撃ち込むかしかないんだ!」
「任しときなさい。あんたが作ったこの魔石銃で退治するわ!」
エリアはそう言うと、舷側にじりじりと近寄っていく。
「エーデルシュタイン伯爵閣下、エリア卿、魔鮫の当たりはきついから揺れるしお気をつけ下さい」
ファーディナンド艦長がそう忠告してくれるのに黙って頷き返す。
「人間は海に落ちたらメダカよりも弱い生き物です。海に落ちないようにこれを!」
第三海尉が命綱を投げ渡してくれたのを慌てて腰に結びつける。
仮に海に落ちなくても舷側から宙づりになればただの餌にしか見えない光景だろうが、魔鮫に食われる前に引き揚げてくれるのだろうか。
そんな疑問を持ちながら、ユートとエリアは慎重に舷側に近づいた。
「来るわ!」
エリアはそう言うと、すぐに魔石銃の引き金を引いた。
轟音とともに、弾丸が小さな水柱を立てる。
「エリア、さすがに水中には……」
弾丸が炸裂するならばともかく、そうではない魔石銃の弾丸で水中にいる魔鮫にダメージを与えるのは無理だろうとユートは思っていた。
「大丈夫よ」
事も無げにエリアはそう言うと、一発、二発と水中に撃ち込んでいく。
エリアの銃撃が牽制になっているのか、艦に体当たりする魔鮫はいなくなったし、その間に掌帆長が声を嗄らして水兵を叱咤し、艦の針路を早く陸へと戻そうとする。
「効いているのか?」
ユートの不思議そうな声に誰も答えない。
ユートが作らせた魔石銃の弾丸は金と同比重の神銀製で五十グラム近くもある弾丸だ。
ユートはちゃんと計算していなかったし、恐らくエリアも感覚的に掴んでいただけだったろうが、水中であってもある程度まではその威力を保っていた。
「来たわ!」
エリアがそう言うのとほぼ同時に、水面から魔鮫が飛び跳ねた。
エリアはその青白い腹目がけて問答無用、とばかりに魔石銃の弾丸を叩き込む。
赤い飛沫が舞い、力を失った魔鮫が一度艦尾甲板に弾んだ後、そのまま上甲板に滑り落ちていく。
ちょうどそこは海兵隊が待機していた場所であり、頭の上から魔鮫が降ってきたらしく、イエロが慌てふためくのが艦尾甲板からもよく見えた。
「うぉ、なんだこりゃ!? おい、気をつけろ! 止めを刺せ!」
イエロの悲鳴とも命令ともつかない声が聞こえ、恐らく海兵たちが止めを刺したのだろう。
歓声が聞こえ、同時に上官である海兵隊長の慌てっぷりを笑い、からかう海兵たちの声が聞こえた。
その声を聞いて、エリアとユートは肩の力がふっと抜けて、彼らと同じように大笑いをした。
【海尉についての注】
海尉の語は翻訳家の故・高橋泰邦先生がLieutenantの訳語として作られた語です。
高橋先生はこれをFirst Lieutenantには一等海尉、という風に用いられています。
ただ、海尉の等級は絶対的なものではなく、その艦における序列に過ぎないので、
小型艦の一等海尉が大型艦に栄転し三等海尉になる、というようなこともおきます。
ゆえに本作では一等海尉ではなく先任海尉と表現しています。




