第013話 雨の日は冒険者の休日
翌日、エリアはいつもの通り二日酔いで寝込んでいた。
ユートはそんなエリアの様子にいつものこと、と気にせず、マリアと二人で朝食を取る。
マリアも慣れたものなのか、エリアが二日酔いで寝込んでいることには何も言わない。
パンとベーコン、目玉焼きの簡単な朝食だが、それでも十分に美味い。
魔鹿狩りに行った時のエリアの話をしながら、朝食を取り終えるとユートは剣を持って庭に出ようとした。
昨日は随分と遅くまで飲んだ上に雨の中エリアを背負って帰ってきたので、朝食間際までぐっすりと寝てしまったのだ。
「あーあ、雨降ってるな」
空を見上げると昨日の夜更けから降り出した雨がまだ降り続いている。
さすがに雨に打たれながら剣を振る気にはなれなかったので、ダイニングの椅子に腰掛けてぼんやりとすることにした。
数時間もしたらようやくエリアが起きてきた。
「……おはよ」
まだ頭が痛いらしく、不機嫌そうにそう言うと、朝食の残りのパンを食べ始めた。
はしたない、とマリアが怒ったが、何処吹く風、とユートには見えた。
「雨だし、今日はお休みね」
ユートはお前はハメハメハ大王か、と突っ込みたくなったが、だからといって雨の中、外を出歩きたくなかったのでそのまま黙って頷く。
「明日にはプラナスさんのところに行って伝書使の旅だし、剣の手入れでもしようかしら」
エリアはそう言うと、砥石と剣を持ち出す。
水をくみに行く必要もなく、雨の水を桶に集めて、その中に砥石を浸す。
魔物狩りに行く時も一応砥石は持ち歩いているが、旅先でいちいち剣を研ぐことはないので、こうした休みの時に研いでおかないといざという時に切れ味が鈍って大変になる、とはアドリアンの言だ。
「エリア、終わったら砥石貸してくれ」
自分の砥石を持っていないユートがそう言うとエリアは黙って頷いた。
小一時間もかけて剣の手入れをして、最後にさび止め油を塗って納剣したエリアは、砥石を再び桶の水に浸す。
ユートはその桶を受け取ると、自分の剣を研ぎ始めた。
「ねえ、そういえば精算してなかったわよね?」
結局、昨日は途中でエリアが酔いつぶれたので精算せずに終わっていた。
「ああ。計算はしたぞ。といっても今回は塩は前のを使ったから干し肉とパンで三万六千ディールだけだから、お互いに二十三万二千ディールずつだな」
「やっぱ狩人の稼ぎは半端ないわ……」
額を告げるとエリアが愕然とした表情となった。
前の魔兎退治とあわせて五十万ディール近くを稼いでいるのだ。
「命がけだけどな。今回のだってアドリアンさんは危なかったし」
「まあそうだけど、一月で五十万ディールよ。伝書使は今回限りにして欲しいわ。宿代かかるしね」
「宿代?」
「あら、言ってなかった? 街道が通っている村には宿が整備されてるの。そうじゃないと塩壺一つ運ぶのに野営する羽目になってものすごい護衛が必要になるでしょ。まあ商会の隊列とかは結局泊まりきれないから野営するんだけどね」
それで夜の見張りはいらないから一人でもやっていけないことはない、ということか、とユートは納得する。
「でも宿代だけで五千ディールくらいよ。レビデムまで五日くらいかかるから、それだけで二万ディールくらい使うことになるわ」
「十万ディールと言っても実入りは半分くらいか」
「そうね。レビデムで待つ間はパストーレ商会の寮か用意してくれた宿に泊めてもらうからタダだし」
「でもそれだと今回俺も付いていったら赤字にならんか?」
二人ならば宿泊費も倍になるのだから、当然の話だ。
一人片道二万ディールなら、往復で八万ディールになる。
食糧やらを買うことを考えたら赤字も覚悟しなければならないというユートの考えは的を外してはいなかった。
「まあ赤字か、よくてとんとんね」
「テントも持っていくか?」
「嫌よ。折角宿があるのに、なんで野営しなきゃいけないのよ? 大もうけしてるんだから多少赤字でてもいいでしょう?」
確かにぐっすり眠るのと、宿で泊まるのでは大きく違うだろうというのはユートにもわかる。
下手に野営をして、その結果魔物と夜通し戦う羽目になるなど願い下げだ。
「わかった。今回はレビデム観光のついで、くらいのつもりで行くか」
「そうしましょう」
エリアは嬉しそうに笑った。
その後は何するわけでもなかった。
「冒険者は雨が降れば身体を休めて、太陽が昇れば命を賭けるのよ」
エリアはそんなことを言っていた。
とんだ晴耕雨読だが、まあ身体が資本、命がけの戦いをするのだから、雨の日くらい休んでもいいだろう、とユートも思い直した。
結局夜まで雨は上がらず、その日は一日、ゆっくりとして過ごすことになった。
翌朝。
前日の雨が嘘のように晴れ上がった空の下、エリアは元気いっぱい、といった様子だった。
昨日も飲もうとしていたのだが、さすがにプラナスのところに行くのに酒臭いまま、というのはまずいだろう、とユートが必死になって止めたのだった。
「朝から随分とご機嫌だな」
執務室のデスクで書類の山に埋もれているプラナスがそう言って笑った。
相変わらず支店支配人には見えない山賊のような凶相だが、笑えば妙に人なつっこい。
そこそこ大きいパストーレ商会の支店支配人として、この凶相でも務まっているのは、そうした人なつっこさあってのことだろうとユートは勝手に納得する。
「ええ。久々に宿に泊まれる仕事だもん」
「ああ、そういえば狩人になったんだったな。後任は探しておくから、今回だけは頼む」
「後任が見つからなかったら次もやったげるわ」
「いやいや、狩人様をそんなことで使うわけには……」
「何言ってんのよ!」
そんな掛け合いをしながら、エリアは運ぶべき書状を受け取っていた。
「さて、明日の朝出発するわよ」
書状を受け取った後、マーガレットというエリアの知り合いのおばさんの店で昼食を取りながらエリアはそう言った。
「今からじゃ駄目なのか?」
まだ昼とはいえ、既に干し肉やらは買い込んである。
装備さえ整えれば問題なく出発できるのだ。
「んとね、宿場になっている村までおおよそ三十キロくらいなのよ。一日歩いたら丁度いいように宿場町があるから、今からだと野宿になる。西方直轄領は開拓地だからね。そういうところはきちんと距離を測って作られてるの」
「なんというか……予想外に計画的だな」
「全部まとめて王家直轄領、だから貴族との交渉とかもいらないし、楽に出来たんじゃないの?」
日本でも新幹線の駅では政治駅と呼ばれるような駅があったように、この世界でも貴族が自分の領地に宿場となる町や村を作るので、そうした宿場町が乱立し、却ってどこも寂れている、というようなことが起きてしまう、とエリアは言った。
そうしたことから、適切な間隔を空けて満足のいくレベルの宿場はこの西方直轄領限定、ということらしい。
「というわけで明日の朝、出発して五日間歩き通しね。あんた、足元しっかりしとかないと靴擦れ起こすわよ!」
「ああ、わかった」
この世界の靴という物は全て革であり、特に戦闘用のブーツは硬い。
だからユートは何度か靴擦れを起こしており、最近では厚手の布を足に巻いて誤魔化していた。
(まあそれも夏になれば大変なことになりそうだけどな……)
色々と想像したくない事実が頭をよぎるが、そんなことは考えなかったことにして心の奥にしまい込む。
「よう、何考えてこんでるんだ?」
ユートが夏にブーツを脱いだ時のことを考えて憂鬱になっていた時、不意に後ろから声をかけられた。
「アドリアンにセリーちゃん!」
「エリーちゃん、伝書使の書状受け取ったの?」
「そうよ! セリーちゃんは?」
「アドリアンの胸甲の留め具が歪んでたみたいだから、それを修理に出してきたの」
「まあしばらく使うこともないしな」
アドリアンはそう言いながら寂しそうに笑った。
「あれ、生きてるだけで儲けものって教えてくれたの、誰だったっけ?」
「ははは、こいつは一本取られたな」
かつて自分が教えた言葉をエリアに言われて笑い返す。
「そういえば火治癒って教えたのか?」
「教えてないわ。ちょうどいい患者がいるし、今から教えてあげる」
「おい、患者ってなんだよ!?」
「細かいことは気にしないの。今からエリーちゃんのおうちに行っても大丈夫かな?」
「大丈夫よ! ユートが火治癒使えるようになったらあたしも助かるしね!」
エリアはそう言うと、善は急げ、とばかりに自分の家に向かって走り出した。
「いい、魔力の流れを意識して、それで痛みを食らい尽くすように操るの」
セリルにはそんな説明をされたユートはアドリアンの包帯の上に手を翳す。
火治癒は骨折などの場合、治癒することは出来ないが痛み止めとしては使うことが出来るらしい。
その痛み止めをやるべく、ユートは言われた通りに魔力を流し込んで、そしてそれが痛みを食らいつくすイメージをする。
「ちょ、なんだ! これ! くすぐってぇ!」
ユートが魔力を流し始めた途端、アドリアンが叫び声を上げた。
そして叫んだせいで肋骨に響いたらしく、痛い痛いとうめいている。
「うーん、痛みが消えてないから失敗ね……」
そのうめき声でセリルはユートの魔力行使は火治癒にはなっていないと冷静に判断した。
ユートは内心でちょっとはアドリアンのことを気遣ってやれよ、と思わないでもなかったが、そのアドリアンを痛がらせたのは自分なので何も言えない。
「もっと魔力の流れを意識して。傷口が見えないからわかりにくいかもしれないけど、傷口の痛みに寄り添うように流すの」
セリルにそう教授されて再びチャレンジしてみるが、やはりアドリアンはくすぐったがるだけだった。
「ちょっと私の腕でやってみて」
数回繰り返したところで、魔力を流す度にくすぐったがって痛がっているアドリアンが可哀想になったのかそう言って腕を差し出す。
勿論その腕には傷も怪我もない。
「魔力の流れだけならだいたいわかるから」
セリルにそう言われてユートは魔力を流す。
最初にセリルに魔力の放出を教えてもらった時のように、魔力が流れ込んでいく感覚がユートの右腕に走る。
「うーん、魔力の流れはおかしくはないんだけど……食らい尽くすイメージかなぁ……」
セリルもユートの失敗の理由がわからないらしい。
(結局、魔力ってのは何をしているのか、俺はよくわかっていないんだろうなぁ)
ユートはそう思いながら、少しばかり落ち込んだ。
ここまで火球が火炎放射になった以外は魔法をほとんど初見で行使出来たからこそ、出来ない時にどうしたらいいのかわからないのだ。
「そんな落ち込まなくても……普通は最初から出来るもんじゃないわ。特に治癒魔法は難しいとされているんだし」
黙りこくったユートをセリルがそう慰めた時、マリアがユートたちを呼びにきた。
どうやら夕食が出来たらしい。
夕食を食べながらもユートは考え続けていた。
マリアの作った夕食も満足に味わわず、流し込むようにして食べる。
「ちょっと、ユート! あんたいくらなんでも暗すぎ!」
エリアがそうやって怒ったが、ユートは上の空で聞き流す。
(これまで魔法を行使する時に考えていたのってなんだ?)
ユートはこれまでの成功例を思い出していく。
(例えば最初の火炎放射を放った時は、魔力を酸素と炭素に見立てたんだよな……)
エリアの家を燃やしかけた時のことを思い出す。
あの時はしっかりとしたイメージをして、魔力を放出したのだ。
(火球は酸素と炭素の塊、みたいなイメージをしていた……炎柵の時も同じ……炎結界や炎檻の時は、魔力を魔力で中和するイメージで操ってた……)
そこで、火治癒が上手く使えない結論らしきものにようやくたどり着いた。
(火治癒はイメージするものが不鮮明だからちゃんと使えないのか……)
「ユート! あんたのお皿空よ! スプーンで食べる真似してるとかボケてるの!?」
エリアの大声で現実に引き戻される。
「ああ、悪い。考え事してたんだ……」
「そんなの見てりゃわかるわよ。突っ込んで欲しいのか、素でやってるのかどうしたらいいのか困ったじゃない」
(突っ込もうか考えるとか、お前は大阪の芸人か!)
この世界では誰にもわからないツッコミを内心で入れつつ、エリアやマリアに詫びて皿もスプーンも片付ける。
「ユートくん、そこまで考えなくても……」
そう言いながら、セリルは持っている木のカップをあおる。
いつの間にか、エリアの漬け込んだ果物酒を振る舞っていたらしい。
「ユート! 難しく考えないで飲みなさい!」
そう言いながらエリアはカップを突き出してきた。
ユートは中身をぐっとあおりながら、再び考えを火治癒に戻す。
(これまで使ってきた魔法と、火治癒の違いはイメージの鮮明さってことだとすると、なんで魔力を流したら痛みが消えるんだ? そもそも痛みってなんだっけ? 神経を流れる電気信号だったっけ?)
あやふやな前世の知識を辿るが、高校の生物の授業では医学など習わないのだからそれ以上はわからなくなる。
(神経の電流を炎が食らい尽くす、ブロックするようなイメージ、でいいのか?)
そう思いつくと、パッとアドリアンの方を見る。
「だから二杯や三杯くらいいいだろっての!」
「その一杯が怪我を長引かせる元よ!」
見るとセリルとアドリアンが言い争っている。
「どうした?」
「どうしたって……あんたまた自分の世界に入り込んでたわね」
エリアは呆れたようにため息をつく。
「アドリアンが酒を飲むか飲まないかでもめてるのよ。飲んだら骨折の治りが遅くなるんじゃないか、ってセリーちゃんが心配して……」
「ああ、そういえば酒や煙草は悪くなるって言うなぁ」
「ほら、ユートくんもこう言ってるんだから酒も煙草もダメよ!」
「いやいや、飲まないでやってられっかよ!」
アルコール依存症のような言葉を吐きつつ、結局はセリルにカップを取り上げられてしまった。
「せめて葉巻の一本だけはいいだろ? こいつは欠かせないんだ!」
セリルを拝み倒すようにしてアドリアンがポケットから、金で象嵌された綺麗な銀のシガレットケースらしきものを取り出す。
「……もう、しょうがないんだから」
「あ、アドリアン、葉巻吸うなら外行ってよ!」
エリアにそう言われてアドリアンはシガレットケースを持って庭に出る。
ユートは思いついた治療を試そうと、アドリアンの後を追った。
「ふう……」
月明かりだけの縁側に座ったアドリアンは、火打ち石と火口を使って器用に葉巻に火を着けると、すう、と息を吸い込んだ。
しばらく口の中で葉巻の味を楽しむと、ふう、と紫煙を吐き出す。
「なんだ、ユートも出てきたのか」
ユートの方を見ながら、もう一口、葉巻を楽しむ。
「なあ、ユート。このシガーケースいくらすると思う?」
アドリアンが見せたシガレットケースは月明かりの下、金銀煌めいていた。
「……五百万ディールだ」
ユートがどう答えていいものかわからないまま黙っていると、アドリアンがそう言って笑った。
「馬鹿げてるよな。こんなもんに五百万ディールも突っ込むなんて。死んだ親父やおふくろがいたらなんて言うだろうな」
吐き出した紫煙を目で追いながらそう言った。
ユートに話しかけているのか、独り言ちているのか。
「でも、俺には必要なんだ」
そう言いながらもう一口、葉巻の味を楽しむ。
「で、なんで追ってきた? 大方予想はついてるが……もう一回試したいんだろ?」
「ええ、そうです。ちょっと思いついたことがあったんで」
「いいさ、やってみな」
アドリアンの許可を得て、ユートが思いついたように神経の電流を火がブロックするイメージをしながら魔力を流し込んだ。
「……おう、セリルの時と同じよう……いや、それ以上に痛みは消えたな」
アドリアンはそう言いながら、葉巻を燻らせる。
「成功だ。おめでとう」
アドリアンはそう言いながら、またぷかり、紫煙を吐いた。