第012話 魔鹿攻防戦・後編
「行くぞ!」
痛みで声が出しづらいアドリアンにかわって、ユートの声が合図となって四人は飛び出した。
まずエリアが。
続いてユートとセリルが飛び出していく。
「炎結界! 炎柵!」
ユートは目をつぶりながら二つの魔法を唱える。
別に魔法を発動する上で詠唱する必要はないのだが、エリアやセリルに魔法を発動したことを周知するためだ。
「行くわ!」
「火球!」
魔箆鹿がユートの放った“檻”に閉じ込められたのを確認してエリアが魔鹿の群れに突っ込む。
同時にセリルが火球を発動して魔鹿の群れを散らす。
魔鹿の群れはいきなり斬り込んできたエリアたちの前に右往左往している。
「あの魔箆鹿、族長個体なのかな……」
魔法を行使し続けているせいで余り動けないが、精神的には手持ち無沙汰なユートが呟いた。
年老いた族長の魔鹿が、いつの間にか魔箆鹿へと進化する。
ファンタジーの世界ではありがちなことを思いついただけだ。
「多分そうね。変異種とはいえ異なる魔物が群れを作る時は、族長個体がいるものだから」
火球を撃ち続けて額に汗が出てきているセリルがそう返した。
エリアは奮戦しているが、倒した魔鹿の死体の傍から他の魔鹿を引き離すほどにはかき回せていない。
セリルはいくつもの火球を撃ち続けているが、これも決定打とはなっていなかった。
結果、戦いは膠着している。
「膠着してるな。俺も突っ込むぞ」
アドリアンがとうとうそんなことを言い出した。
既に十五分以上戦いは続いているが決定打は出そうにない状況に苛立ったらしい。
「無茶よ。あばら骨が折れてるのよ!?」
「だけどな、今のままじゃエリアが潰れるぞ?」
「それなら魔鹿諦めた方がマシです。今の状態で動いたら折れた肋骨が肺に刺さって死にますよ?」
ユートも懸命に止める。
肋骨骨折は骨折の中では痛みは軽い方であり、ある程度は動けるだろう。
しかし、折れた肋骨が動いて、肺や肝臓を傷つければ致命傷になる可能性がある。
「ユートくんは魔力、まだ大丈夫?」
ユートは二つの魔法を行使している上、時折魔箆鹿が放っている風魔法を炎結界の効果で打ち消している。
その度に魔力をごっそり持って行かれているはずだった。
「えっと、魔力切れってどういう状態になるんでしたっけ?」
「疲労感とか、だるさとか感じない?」
「いえ、まだ大丈夫です」
この作戦ではユートの放つ“檻”が生命線であり、もしユートの魔力が切れればセリルの炎結界を使いながら撤退戦に移らないといけないだろう。
「あっ!」
そういう会話を交わしているうちに、エリアがとうとう魔鹿に一発もらってはじき飛ばされた。
「いけるわ!」
上手く着地して盾を構えたが、少しバランスを崩していたところに魔鹿の突進を受ける。
さすがにこらえきれず、倒れるエリア。
「まずい!」
「エリーちゃん! 起きて!」
アドリアンとセリルの悲鳴のような叫びが響く。
「負けるもんですか!」
エリアはそう言いながら立ち上がった。
だが、不利な体勢から今度は蹄に掛けられて押し倒され、それでも跳ね起きてようやく体勢を整え直す。
だが、既に三頭の魔鹿に囲まれて、体勢を整えたところで苦戦は必至だった。
「もう我慢できん! エリアにだけ危ない橋渡らせてられるか! セリル、援護してくれ!」
アドリアンがそう言いながら槍をひっつかんだ。
「待って下さい!」
ユートがそんなアドリアンを止める。
「闇雲に突っ込んでも足を引っ張るだけです」
「わかってる! だが俺が突っ込んでエリアが引くだけの余裕を作るくらいは出来る」
ユートとエリアは遅くとも明日の午後にはここを発たないといけないし、負傷しているアドリアンとセリルだけで魔鹿までいる群れをもう一度狩りに行くのは不可能。
だから、この時点でエリアが下がる、ということは、今回の依頼は諦める、ということに等しい。
それでもアドリアンはエリアに立て直すだけの時間を与えて引くつもりだった。
「僕も魔法を撃ちます。セリルさんも出来るだけ派手に撃って、同時にアドリアンさんも突っ込んだ方がいい」
「……出来るのか?」
「ユートくん、わかってる? 既に結構な魔力を消費しているはずなのよ」
アドリアンは半信半疑に、そしてセリルは心配げにそう言う。
「でもまだしんどくなったりはしてませんし、もしかしたら群れを追い払えるかも……」
「よし、わかった。ただ短期決戦で行くぞ。時間がないから合間を縫って二頭を回収するのは不可能だし、少し戦っても逃げる気配がなければエリアを連れて下がる」
「無理はしないでね。ユートくんを抱えて下がるのも難しいかもしれないんだから」
自己責任、という言葉がユートの脳裏を掠める。
要するに魔力を使い果たして倒れてしまったらそれで終わり。
もしかしたら魔鹿たちはユートを無視するかもしれないが、他の魔物に襲われるかもしれないし、待っているのは緩慢な死かもしれない。
つー、とユートの脇腹を冷や汗が流れる。
(覚悟、してなかったってことだよな……)
とはいえ、言ってしまったものはしょうがない。
「大丈夫です!」
アドリアンやセリルまで不安にしては意味が無い。
ユートは敢えてそう強く言い切った。
「よし、じゃ、いくぞ!」
アドリアンはそう言うが早いか飛び出した。
「火炎放射!」
「火球!」
ユートは“檻”を外さないように細心の注意を払って、セリルはいつもより多くの魔力を放出して魔法を放つ。
二つの魔法に魔鹿の群れがたじろいだ気配が伝わる。
「うぉらぁぁぁ!」
アドリアンが渾身の一撃を放つ。
あばら骨を折って痛いはずなのに、それを感じさせない一撃だ。
その一撃が一頭の魔鹿を捉える。
致命傷には至らないようだが、それでも手応え十分の一撃であるのが、離れたところにいるユートとセリルにも伝わった。
「負けるもんですか!」
三頭に囲まれて防戦一方だったエリアも魔法とアドリアンの一撃で魔鹿の群れがたじろいだのを見て、攻勢に出る。
一頭の足を薙ぎ、もう一頭の脇腹に突きを入れていく。
「いけるぞ!」
頼みの魔箆鹿を封じられ、そして死に物狂いとなった手負いのアドリアンの気迫に、一頭が逃げ、二頭が逃げ、魔鹿の群れは崩れていく。
エリアは軽く追撃して、魔鹿が逃げていくのを確認する。
「よし、もう大丈夫よ!」
「アドリアン!」
エリアが明るい声を出した時、セリルの声が響いた。
見るとアドリアンが脇腹を押さえてうずくまっている。
「大丈夫、ちょっと痛むだけだ。それより早いうちに撤収と血抜きを頼む」
アドリアンは苦しげな表情で笑顔を作りながらそう言った。
ベースキャンプまで引き揚げてきた時、既に空は真っ暗だった。
「今晩は血の臭いに釣られて魔物がやってくるかもしれんぞ」
胸甲を脱がされ、鎧下の上から包帯をぐるぐると巻かれたアドリアンがそう言った。
「アドリアンは戦うの禁止だからね!」
エリアにそう言われて、何とも言えない笑みを浮かべるアドリアン。
「まあよっぽどのことがない限り、あとの三人で対処できない魔物は来ないでしょ?」
「だろうな」
ベースキャンプは昨日一キロ程下げたので、魔の森からはかなり離れている。
魔物がこの距離を血の臭いをかぎつけてやってくるとは中々思えなかった。
「むしろ普通の獣に襲われたりして……」
「ありえるわね」
ユートの言葉にエリアがそう返しながら笑う。
四人みんな生きていたからこそこうやって笑い合えるのだ。
「夜の番は俺とあと一人でいいか?」
「は? アドリアンは夜通し起きておくつもり!?」
「明日は帰るだけだしな。戦力にならんのだからせめてそのくらいはするさ」
事も無げに言ってのけるアドリアン。
「実際に戦うお前たちの方が疲労しちゃ困る」
そう言いながら笑って見せた。
幸いなことに恐れていた魔物の襲撃もなく、夜明けを迎えることが出来た。
朝から荷車に二頭の魔鹿を積み込み、ユートが引くことになって帰路についた。
「どうにか生きて帰れそうね」
ベースキャンプを離れる時、感慨深げにセリルが言った。
「あたしはお漏らしなんかしなかったわよ!」
そういえばそんなくだらない話をしていたのを思い出す。
全ては生きていたからこその笑い話だ。
幸いなことに帰路は魔物にも獣にも会うことはなく、夕方、無事にエレルまで帰り着いた。
「そこの角曲がったところよ」
セリルが示した先に、この魔鹿を買い取ってくれる料理店があった。
「二頭も注文するって大きい店かと思ったが意外と小さいんだな」
「熟成させてしばらく出すんじゃない? 一度に二頭の方がこっちも有り難いしね」
往復で二日かかることを考えれば、狩人の立場からは何度も狩りに行くのは面倒である。
そしてそれは当然に経費という形で一頭あたりの値段にも響いてくる。
そのあたりと、店の消費量を考えたぎりぎりのところが二頭という答えだったのだろう。
店に届けると、すぐに店主らしい恰幅のいい男が出てきた。
白いコックコートに、やはり白いコック帽を被っているからこそまだましだが、顔はひげ面で服装を変えれば冒険者どころか山賊と言っても通用するような風貌だ。
「ドルバックさん、こっちが今回手伝ってくれたユートとエリアって言う奴らだ」
「ほう、随分といい面構えをしたお嬢ちゃんに、アドリアンの影響を受けとらん真面目そうな坊主か」
地味にアドリアンのことをけなしながらドルバックと紹介されたその店主はにやりと笑う。
「初めまして、ユートです」
「エリアです。狩人やってます」
「大方、駆け出しといったところだろ」
ドルバックはそう言って笑う。
「その通りです」
「このアドリアンは腕がいい。しっかり技術を盗んで、うちの店に肉を卸してくれ」
「いつでも依頼して下さい」
社交辞令かもしれないが、こうやって顔つなぎをしておくことは大事。
「いやいや、こいつら駆け出しなんて腕じゃねぇよ。今回だってこいつらがいなかったらヤバかった」
アドリアンはそう言いながら、包帯で固定している脇腹を指す。
「しくじったのか? お前にしては珍しいな。」
「ああ、相手に魔箆鹿がいるのに気付かなくてな」
アドリアンは真顔でそう言う。
「こいつらがいなかったら死んでたかもな。だからこいつらの腕は保証するよ」
「まあそうだろうな。というか、お前大丈夫なのか?」
「しばらくはまともに仕事出来ないが、後には引かなそうだ」
「そいつはよかった。買値は増やしてやれんが、今日の夜に賄い程度なら食わせてやるぞ?」
その言葉にアドリアンは破顔する。
「ドルバックさんの飯食わせてもらえるのは有り難い。こいつらもいいか?」
「勿論だ。閉店ごろに来てもらえるか?」
「ああ、わかった」
「じゃあわしは解体するからな。これは代金だ」
ドルバックはそう言うと、金貨が入ってるらしい小さな袋をひょいと渡す。
アドリアンは中を開けて確認すると、中から金貨五枚を取りだし、ユートに渡した。
「今回の報酬の半分、五十万ディールだ」
「ユート、預かってて」
エリアにそう言われ、自分の財布の中に納める。
「さて、夜までに俺は薬師のところに行ってくる。自分たちで晒しを巻いただけじゃしっかり整復できているかわからんし、内臓も無事と思うが念のため、な」
「私も付いていくわ」
「じゃあまた夜にここでな」
アドリアンとセリルはそのまま仲良く去って行った。
(それにしても待ち合わせ時間が夜、だけとはアバウトだよなぁ……)
ユートはそんなことを思ったが、機械仕掛けの時計は超がつくほどの高級品らしいこの世界ではしょうがないのだろう。
閉店後に賄いを食べさせてくれる、ということなので、店の客が減る頃合いまで待っていればいいか、と考え直す。
「エリア、俺たちはどうする?」
「家に一度戻りましょう。母さんに戻ってきたことは報告しときたいし」
「よう、遅かったな」
一度エリアの家に戻って休憩した後、ドルバックの店の前に戻ると既にアドリアンたちはやってきていた。
「アドリアン、もうお客さん帰った?」
「ああ、さっき最後の客が帰ったんでな。揃ったら入って来いってさ」
どうやらドルバックは賄いを作っているらしい。
「じゃ、入りましょう。ドルバックさんの料理って美味しいって有名なのよね。楽しみだわ」
エリアはそんなことを言いながら率先して入っていく。
「よう、嬢ちゃん。腕によりを掛けて作った賄いだぜ」
「腕によりを掛けて作った賄いって面白い表現ね」
「材料は余ったものだったり半端物だったりするが、しっかり仕事はしたってことよ!」
ドルバックはエリアと掛け合いながら、席へと案内する。
「もう料理は作っちまったから、俺も一緒に飲ませてもらうぞ。どんな戦いだったか話して行けや」
ドルバックはそう言うと、コック帽を脱いで席へ座る。
「ああ、ついでに酒も出してくれると有り難い」
「言いやがるな」
ドルバックさんはそう言いながら、エールの入った樽を持ってくる。
それを隣のテーブルに置くと、後は自由にやってくれ、と言わんばかりに木製のジョッキを四つ、アドリアンの前に置き、自分の分を注ぐ。
それを見習ってアドリアンも四人分のエールを注いでくれる。
「さて、貴様らの無事に乾杯!」
全員分が行き渡ったのを見て、ドルバックが乾杯の音頭を取る。
「ぷはー! 美味いわ。やっぱ仕事の後の一杯はサイコーよね!」
エリアは相変わらずの絶好調ぶりだが、ユートもそれに異論はない。
「そういえば怪我はどうだったの? アドリアン?」
「ちゃんと整復できているし、後はほっときゃ治るって話だ」
「そう、よかったわね。どのくらいかかるの?」
「日常生活は二週間くらいで出来るだろうが、狩人として動けるようになるのにもう二週間、勘を取り戻して復帰出来るのは六週間後、といったところだろ」
そんな会話をしながら、エリアは二杯、三杯とジョッキを空けていく。
「おいおい、嬢ちゃんはえらい飲みっぷりだな」
ドルバックも些かあきれ顔で見ているが、エリアは意に介した様子もない。
「そういえばセリルさん。防具買った時に防具屋のランデルさんが魔法で怪我を治療するって言ってましたけど、アドリアンさんの怪我は治せないんですか?」
「ああ、そういえば教えるの忘れてたわ。ごめんね――で、質問なんだけど、火魔法の火治癒は止血と痛み止めしかできないのよ」
「止血だけ、ですか?」
「勿論止血するから治りは早くなるけど、それ以上は水魔法の水治癒を使わないと治らないわ。それも外傷だけね」
「病気は治らないんですか?」
「病気を治すなら、土治癒だけど、これは病気の治りを早くしてくれるわ。ただ、もともと弱ってる人や幼児、老人なんかには効きが悪いけど……」
(自分の持っている免疫を活性化する魔法ってことかな?)
セリルの言葉を説明を聞いてそんなことをユートは考えた。
そんなユートをエリアが目敏く見つける。
「ちょっと、ユート! 何難しい顔してるのよ! 飲むわよ!」
「おいおい、嬢ちゃん。新しい樽開けるならさすがに金払ってもらうぞ!」
エリアの予想外の飲みっぷりにドルバックが慌てて言う。
「いいわよ! あんた、今日の稼ぎから出しといて!」
「いいわけあるか! まだ分配も終わってないのに……それになんでお前の酒代をパーティの金で払わなきゃ駄目なんだよ!」
「あら? これは必要経費よ! 必要経費!」
「こんなもん必要経費とは認められん。却下だ、却下!」
「何よ! このくらいなら運べなくてうち捨てた魔石や毛皮より安いわ!」
「関係ないだろ!」
二人のやりとりを見ながらアドリアンもセリルもドルバックも大笑いしていた。
やがて、外から雨音が聞こえだし、それが激しさを増していったが、それでも彼らの宴会は終わることはなかった。