第114話 デイ=ルイスの提案、そして罪悪感
「というわけなんですよ」
ユートは昨夜の会議の結果を踏まえて、デイ=ルイスのもとを再び訪れていた。
既に会議の結果、餓狼族大隊を傭兵団として使っていくこと、そして傭兵団として稼ぎ出すためにも魔石の独占をやりたい、となったことはデイ=ルイスに説明してある。
「なるほど、四十億ディールとはさすがに豪気ですね。私は軍関係の会計はやったことないんですが、二個大隊の維持費だけでそこまでかかるとは……」
「あれ、西方軍の経理はやってないんですか? 王位継承戦争で西方軍がつぎ込んだ費用は数十億ディールじゃ利かないんじゃないかと思うんですが……」
「王位継承戦争の頃は経理関係は私ではなかったので」
デイ=ルイスの言葉にそういえば財務長官を兼職するようになったのは王位継承戦争の後、アリス王女が摂政王太女となってからだった、と思い出す。
「そういえばそうでしたね。でも西方総督府の予算ももちろんそのくらいになるんじゃないですか?」
「ええ、もちろんそうですが、それでも治安維持は西方軍任せですからね。基本的に官僚機構さえ維持出来ればいいので総督府の予算は意外と少なかったりします。このあたりが他の代官と治安維持の警備隊が置かれた王室領と、軍と総督府に分かれている西方直轄領の違いですね」
「ああ、そうなんですか」
そんな雑談をしながらも、恐らくデイ=ルイスはユートたちが出したい提案について考えていたのだろう。
「まあ、魔石の独占は大丈夫と思いますよ。そもそも魔石の主産地は西方直轄領であり、調達する各商会が今も必要時には逐一依頼を出しているのが、ユート卿のギルドに纏まるだけですからそこまで反発するようなものでもないでしょう」
「ただ、その分利益は少なくなりそうですけどね」
「それはユート卿のこれからの魔道具開発に賭けるしか無いんじゃないですか? ただ、日常の用に供される魔道具はほとんどありませんから、ちょっとした開発だけでも需要は跳ね上がりそうですけど」
ユートは頷く。
「実際、こないだ王立魔導研究所で信号弾を開発したんですけど、それだけで魔石価格がだいぶ跳ね上がったらしいんですよ」
「ああ、機密なのでしょうからそれ以上詳細はいりませんが、最近魔石価格が跳ね上がってるのはそういう事情だったんですね」
「まあ四十億ディールをカバーするのは難しいでしょうけど……」
「そうですね。ところで一つ私にアイディアがあるんですが?」
デイ=ルイスがにやりと笑った。
どうやらユートのために彼もまた何か考えていてくれたらしい。
「端的に言えばユート卿は収入が欲しいわけでしょう? 私としても王立大学時代から考えていた一つの政策があるのですが、それは恐らくユート卿の力にもなりそうです」
「どういうものなのですか?」
「その前に、ユート卿は我が国において、各商会に雇われている者をどうお考えですか?」
唐突なデイ=ルイスの言葉にユートはなんと答えていいものか迷う。
現代の日本と比べればもちろん労働者は保護されていないだろう。
例えば鍛冶職人の親方が徒弟をぶん殴って怒る、などというのはよくある光景だし、それを客であるユートも見たことがあるということは、この世界の当たり前――少なくとも犯罪に該当するようなことではない、ということだ。
他にもエリアの父デヴィットを思い出せばわかるように、危険な仕事によって死んだ場合、それを補償したりする義務はなく、パストーレ商会のような一部の良心的な商会がその良心に任せてやっているだけのようだった。
他にも解雇や賃金のあたりもどうなっているのかわからないが、間違いなく現代日本より恵まれていない環境にいることは間違いないだろう。
とはいえ、ユートはそれを批判する気は無い。
日本だってそうした恵まれた環境が整ったのは現代になってからだし、何よりも法律などでしっかり決まっていても、それを破ることが常態化しているという話もよく新聞上やネット上を賑わしていた。
「わかりにくい言い方でしたかね? 例えば仕事の上で怪我をしたりして、あるいは勤めている商会なり職人なりが経営的に危うくなった場合、あっさり解雇されたりします。率直にどう思われますか?」
「……可哀想、と思います」
「ええ、可哀想――まさに人としてはその通りですね。一方で、王国政府や我々官僚から見ればこうなります。王国の治安に対する不安要素である、と」
その言葉に首を傾げるユートを、デイ=ルイスは面白そうに見ながら、テーブルに置かれた茶を一口口に含んで、言葉を続ける。
「解雇された従業員たちは、当然ながら次の職を探します。しかし、商会のほとんどは丁稚の頃から仕込んだ者を重用します。これは商会への忠誠心や従業員に対する信用の観点から当然と言えます」
「つまり、解雇されたらなかなか次の雇われ先がない?」
「ええ、そうです。手に職があったり、若かったり、あるいは大商会のノウハウを持っている者は別でしょうけど、そうでなければ浮浪者に落ちぶれるかもしれません。つまりは、治安に対する不安要素です」
解雇された労働者を治安に対する不安要素とまで言い切ってしまうデイ=ルイスの言葉は非情といえば非情であったが、どちらかといえば体制側の人間であるユートには十分理解出来た。
「そこで、王国の官僚たちの間では昔から従業員を解雇する時には、一定の金銭を支払うことを定めよう、という動きがありました。それによって解雇されて路頭に迷う従業員は少なくなるでしょうから」
要するに退職金の支払いを義務づける、ということだろう。
それならば無理に解雇しようにも金がかかるのだから、よっぽど困っていない限り無理に解雇するよりその従業員をフルに活かして業績を回復させようとするのではないか、というのがデイ=ルイスの考えらしい。
ただ、ユートにはよくわからないことがあった。
「それはいい法令と思いますが、ギルドとどう関係があるんですか?」
「ええ、それで問題になるのが、季節労働者と護衛なのですよ。普段から通商路を持っている商会ならば常雇いの護衛を雇ってもいいのですが、何か特別な用事がある時に護衛を臨時に雇いたいと思っても、終われば一時金が発生するんじゃたまったものじゃないでしょう。法令で上手く対応出来ないか、と検討もされましたが、抜け穴になりかねない、ということでお蔵入り、です」
「つまり、解雇に一時金が発生するようにして、臨時の護衛が必要な時はうちのギルドがその分を肩代わりすればいい、ということですか?」
「そういうことです。冒険者ギルドはあくまで同職連合ですから解雇に関する法令は関係ないでしょうし、更にいえば法務省の連中ならばそこら辺も上手くやれるように出来るでしょう」
なるほど、と思いながらユートは一つ大きな疑問をぶつけてみる。
「でも、東部に護衛なんか必要なんですか? 魔物は出ないんでしょう?」
「出ますよ。山賊という名の魔物が」
そう言うとデイ=ルイスはからからと笑った。
いくら王国の治安がいいとはいえ、山賊やらを討伐するのはなかなか難しい。
これは実力が足りないというよりも、各貴族領と王国直轄領で貴族領軍と法務省の邏卒、場合によっては王国軍で管轄がが変わる上、貴族領軍の中には満足な戦力を持たないものも多い。
その結果、意外なことであるが主要街道以外では山賊が蔓延っている地域も多いのだ。
「また、商会の中には護衛が死傷した時に解雇出来なくなることを恐れて全て冒険者ギルドに任せてしまおう、と考える商会も出るでしょう。そうなると、もっと冒険者ギルドも拡大出来ます」
なるほど、と思う反面、ユートは不安にもなる。
「それって商会やらの恨みを買いませんかね?」
「それは大丈夫でしょう。従業員を保護しようという動きは前々からあるものですし、ユート卿が王太女殿下に提案される法令はあくまで魔石専売に関するものと受け取られるでしょうから」
つまり、ユートが自分の利益になる魔石専売法令とは別にアリス王女が勝手に思いついた、あるいは王国政府の官僚たちがかねてからの懸案だった従業員の保護に関する法令を出してきただけ、と商会からは捉えられる、ということだろう。
真実は闇の中であり、しかもアリス王女しか知らないことなのだから、まず露見することはないし、ユートが恨みを買うこともない、というデイ=ルイスの考えにユートは納得出来た。
「わかりました。それじゃ、それを基本にして、パストーレ商会のプラナスさんあたりにも聞いてみます」
「ああ、あくまで保護法令についてはそういう法令が出るかもしれない、というような形で聞くことをお勧めしますよ。プラナス氏は信用出来る人物とは思いますが、それでも商会側の人間ですし」
プラナス経由で従業員の保護に関する法令がユートの提案に基づくものであることが露見するのは困る、ということだろう。
「もちろんです」
「これを通せれば私の評価も上がりそうですし、よろしくお願いします」
デイ=ルイスとユートはそう言うと、笑い合った。
幸いなことにその後に行ったパストーレ商会でプラナスと話した時も、全く問題はなかった。
従業員の保護に関する法令についても、なるほど、と唸ってはいたが、元々従業員を大事にしているパストーレ商会に関しては全く問題がないようだった。
むしろ、その法令によって従業員を使い潰すような商会が減ることで、従業員を大事にしている結果、高コスト体質となっているパストーレ商会には追い風が吹くのではないか、という予想すらしていたほどだった。
「これは正式にエリック支配人に情報をあげてもよいのですかな?」
「ええ、問題はありません。ただ、あくまで一部の官僚がそうした動きを見せている、というだけで、どうなるかはわかりませんが……」
「それでもうちとしては対策しておくべきことですからな」
プラナスはそういうと、相変わらずの山賊のような髭を震わせて豪快に笑った。
パストーレ商会にしても情報収集に余念はないが、摂政王太女であるアリス王女と近しい上に王国政府の中枢に近いところにいた上、数日前に帰ってきたばかりのユートの情報よりも信憑性が高いものはない、と判断しているようだった。
アリス王女近辺からもたらされた情報ではないことに少しばかり罪悪感があったが、結局来春にでも法令として出る可能性が高いならば、結局は同じこと、と割り切ってみる。
「そう、プラナスさんも問題視しないなら良かったじゃない」
帰ってきて、エリアがそう笑ってくれた。
「まあ、いいんだけどなぁ……」
「どうしたの?」
「なんか、悪巧みじゃないけど、自分の利益ばっかり考えて法令作らせるってどうなのかな、と罪悪感を感じたりはしてる」
ユートにとって、昨日の会議以来、ずっと罪悪感がぬぐえなかった。
魔石を自分の冒険者ギルドの専売にしようとして、更に自分の冒険者ギルドが儲けるために従業員を保護するような法令を作らせようとしている。
それは自分の利益のために国の法を曲げている悪徳政治家と一緒ではないか、と思ってしまっていたのだ。
「まあそれはわからないではないわ。あたしだって、お上が何か法令作る度にいろいろ不満に思ったりもしてたけど、あたしたちが今は作る側になってるんだもんね。しかも、自分たちの利益になるような法令を、ね」
エリアはユートの話を聞いて、その罪悪感に共感してくれる。
やはり彼女もまた庶民、ということなのだろう。
「わたしはそうではないと思うのです」
一方で生粋の王族であるアナは別の意見があった。
「確かにその法令を作ればユートは儲かるのです。それは間違いないのです」
でも、と言葉を続ける。
「その結果、臣民がどうなるかを考えればいいのです。臣民が助かるのか、助からないのかが重要なのであって、その過程がユートが儲けるためであったとしても、みんなの利益になれば何も恥じるところはないのです」
「……そんなもんか?」
「今回ならば、確かにユートは儲かります。でも、同時に多くの従業員たちが路頭に迷うことはなくなるでしょうし、魔石が欲しい商会もいちいち発注しなくてもユートのところに問い合わせるだけで済むようになるのです。そうした“便利さ”を提供する見返りにユートが儲かるだけのことなのです」
「まあそう言ってもらえるとちょっとはマシになるけどなぁ……」
アナの言葉にユートは少し罪悪感が和らいだが、それでもまだ色々と言いたげだった。
「旦那様……余り難しいことを……考えなくてもいいと思います……政策とは千年の時が経った時……評価されるべきものです……」
「千年の時、か……」
ジークリンデのその言葉に、ユートは苦笑いをした。
純エルフにとっては千年というのは少し未来だろうが、ユートたちにとっては悠久の未来である。
とはいえ、歴史が評価する、とジークリンデが言いたいことは伝わっている。
「まあ、そうだよな……でもなんかなぁ……」
「もう、うじうじしてしょうがないわね! 明日にでも狩りに行きましょう! 部屋で悪巧みばかりしてるから気が滅入ってくるのよ!」
エリアはそう言いながら、自分の剣を持ち上げ、にやりと笑った。




