第113話 エーデルシュタイン伯爵家会議
夜になり、ギルドの受付、そしてマーガレットの店も閉まった頃に、ユートたちはギルド本部の二階の広間に集まっていた。
集まっているのはユート、エリア、アナ、ジークリンデというエーデルシュタイン伯爵家の面々、そしてアーノルド、アドリアン、セリルというエーデルシュタイン伯爵家の家臣たち、それに協力者ともいうべきレオナとゲルハルトの九人だった。
「まずね、ギルドの収支のことだけど、ギルドから今現在でおおよそ年間四億ディール前後の利益があります。これがエーデルシュタイン伯爵家の“知行”と考えていいと思うわ」
金庫番であるセリルがそう話を始める。
「ふむ、四億ディールですか」
「どうなんですか?」
「先立ってウェルズリー伯爵に聞いたことなのですが、あくまで目安として貴族領は女子供も含めて一人当たり年間四万から五万ディールほどの税を取り立てる――ああ、もちろん金納だけではなく穀物などの物納も含めてですが――と聞きます」
「つまり、冒険者ギルドの収入は一万人の伯爵領に匹敵する、ということですか?」
「ええ、そうなります。もっともあくまで目安であり、商業が発達している地域ほど一人当たりの税収は高まる傾向にあるそうですが」
アーノルドの言葉を聞いてユートはふむ、と思う。
日本では一万人といえば市にもなれない町レベルだが、ノーザンブリア王国だとどうなのだろうか、と考えてみる。
王都シャルヘン、あるいは物流の拠点である東部の都市シェニントンあたりは例外として、数万人の街といえばそれなりに大きかった気がする。
「伯爵領は領内あわせておおむね十万から二十万の人口を抱えているのです」
ユートがこれまでに見た都市を思い出しているのを察してか、アナがそう補足する。
「じゃあ四億ディールしか収入がない、というのは……」
「税収でいえば小さな子爵領、あるいは男爵領と変わらないと思うのです……」
アナの言葉にユートは眉をしかめる。
別に金持ちになりたいわけではないが、貴族となれば有事の際に戦う貴族領軍を保持しなければならないし、アナやジークリンデも含んだ体面もあるだろうからそれなり以上の支出があるだろう。
「もっとも、貴族領に比べて冒険者ギルドの方が統治にかかる費用が少ないのです。なのでそのまま比較するのは適切ではないと思うのです」
「それはアナスタシア王女殿下がおっしゃる通りです」
「セリル、王女も殿下はいらないのです。アナと呼んで欲しいのです」
一番付き合いが浅いセリルは思わず敬語を使ったが、すぐにアナがそれを止める。
アドリアンやセリルはユートにとってただの家臣ではなく、大事な仲間であることを承知しているからこそ、外でならばともかく家の中でまで敬語は使われたくないらしかった。
「じゃあアナちゃんが言う通りね」
「ありがとうなのです」
「ギルドの収益なら五億ディール、かかった費用が一億ディールといったところになるわ。で、ここからいくら使うか、なんだけど……まず伯爵家の維持にいくらかかるのか、それにゲルハルト君やレオナちゃんの大隊もどうするか考えないといけないわね」
セリルの言葉にアーノルドが反応する。
「伯爵家の維持、というのは屋敷や従者たちの雇用、ということでしょうか」
「そうなりますね」
「それですと、多く見積もって一億ディール、といったところになるかと思います。概ねどこの伯爵家もそうした予算はその程度と聞き及んでおりますし」
アーノルドの言葉にセリルがメモを取る。
「じゃああと三億ディール、これで貴族領軍の編成をしなきゃいけないんだけど……」
「伯爵領ですと、おおむね警備部隊以外に一個大隊から二個大隊を持つことが多いですな」
「あちきらがその役回り、ということかニャ?」
レオナがすぐに反応する。
レオナの妖虎族大隊は彼女の父である獅子心王アルトゥル・レオンハルトが率いてきた兵なども加えて八百人強にふくれあがっているが、今のところ手持ち無沙汰であり、無聊を託っていた。
「そうなんだけどね……」
「金やな」
ゲルハルトがすぐに反応する。
「オレらにレオナんところの妖虎族どもをあわせて考えたら、二千人近くなってまう。これを食わせるだけで、一人年間百万ディールと考えて二十億ディール、ということやろ?」
「現実にはその倍近くかかるんじゃない?」
「せやろな」
エリアの言葉に、ゲルハルトも頷く。
餓狼族や妖虎族がわざわざ西方直轄領まできているのは、遙か北方で待つ家族を食べさせるためであり、仕送りが出来るだけの収入を与えてやらなければならない。
そのことを考えれば年間百万ディールで足りるわけがなかった。
二百万ディール、つまり二個大隊を養うだけで四十億ディールという莫大な
「こないだアリス王女からもろた報奨金やらがあるからしばらくは手弁当でもええけど、ずっとそれはなぁ……」
「まあ、そうよね」
「つまり、エーデルシュタイン伯爵家はこのままだと大赤字、ということですか……」
「そうね、獣人大隊をエーデルシュタイン伯爵家の専属の武力としておく以上、そうなるわ」
セリルは言外にエーデルシュタイン伯爵家の武力ではなく、当初の予定通り単なる冒険者として考えよう、と言いたげだった。
それならば普段はエーデルシュタイン伯爵家が給料を出す必要はないが、有事には貯めていた資金を使って冒険者を徴用するという名目で獣人大隊を編成することが出来る。
そもそもユートに領地があるわけではない以上、他の貴族領と違って二千人からの大隊を普段から養っておくのは無駄以外のなにものでもない。
「それはそうなんですが……」
「ユート、何を歯切れ悪いこと言ってるのよ?」
ユートの優柔不断をエリアが突っつく。
と、今度はジークリンデが控えめに挙手をして話し始める。
「あの……多分なのですが……今回の戦いで餓狼族大隊の脅威がわかったので……丸抱えにしておきたい……と旦那様は思われているのでは……」
ジークリンデの言葉にユートは図星、とばかりに頭を掻いた。
「まあオレらは今回えらい戦果あげたしな」
「あちきらを囲っておきたいのはわからないではないニャ」
ゲルハルトとレオナが笑う。
「まあでも無理なものは無理よ。冒険者ギルドは今後も発展していくでしょうけど、四十億ディールはさすがに一朝一夕にどうこう出来る額じゃないわ」
「ですよね……」
セリルの言葉にしゅんとなるユート。
本来ならば主君のはずなのだが、冒険者パーティを組んで以来の関係だけに、そこには主従の上下関係はない。
「あちきらは多少安くてもいいニャ……」
「レオナちゃん、それはいいんだけど、それをずっと続けられるかしら?」
「無理と思うニャ」
きっぱりレオナが言い切って、アドリアンが大笑いをする。
「まあそりゃそうだろ。安く使われるのが当然、それでもいいなんて思える奴はいねぇしな」
アドリアンの言葉を最後に、獣人たちは冒険者として、いざという時だけ徴用、という形で決まる雰囲気となった。
「ユート、ユートは納得していないのですよね?」
その雰囲気を打ち破るようにアナが声を掛ける。
「……ああ」
「どうしてなのです? エーデルシュタイン伯爵家の武力として、獣人を欲しているのはわかりますが……」
アナの問いにユートは少し逡巡して答えた。
「……別にエーデルシュタイン伯爵家の武力としてレオナたちやゲルハルトたちが欲しいわけじゃないんだ。でも、ウェルズリー伯爵から聞いたところ、レオナやゲルハルトの大隊は、王国の軍のあり方を変えかねない力があると思ってる。正直、貴族の中には悪用しかねないかも知れない人もいるしな」
何か言いたげなゲルハルトを無視して、ユートは更に言葉を続ける。
「それに、何よりも獣人だって全く生活様式や文化の違う西方で、今までみたいに大隊ごとに固まって生活するならともかく、ばらばらに生活するのは厳しいんじゃないかと思う。それを考えると、エーデルシュタイン伯爵家の家臣なりとするのが一番じゃないかと思うんだ」
ユートの言葉に、エリアやアナ、ジークリンデは頷いている。
だが、収まらない人物が一人いた。
「このアホ!」
言い終わったユートに向かって、ゲルハルトが殴りかからんと拳を握りしめる。
「オレらは絶対にユートのところから動かんわ! 他の貴族に雇われるつもりなんか全くあらへんし、オレの言うことやったら餓狼族はみな聞いてくると信じとる! せやから、いらん気をつかわんでええねん!」
「ゲルハルト! やめるニャ!」
あわててレオナが止めに入ったが、それより前にゲルハルトの拳はユートの頬を捉えていた。
「……っ!」
声にならない悲鳴を漏らし、つー、とユートの唇の端から血がしたたった。
後ろからレオナに羽交い締めにされて、ゲルハルトは荒い息を吐きながらそっぽを向く。
「ユート、仮にあちきらがエーデルシュタイン伯爵家の家臣なりにならなくとも、あちきもゲルハルトもギルドとエーデルシュタイン伯爵家のために餓狼族や妖虎族を纏める気ニャ。だからそんな心配はいらないニャ」
「いや、疑ってたわけじゃない。でも……」
「わかってるニャ。ユートは別にあちきらが裏切ると思ってたわけじゃニャいことはわかってるニャ。かかっている責任の重さから、安全な方へ安全な方へ考えているのもわかっているニャ」
レオナがユートにみなまで言わせず、ただ沈黙だけがその場を支配した。
「……ユート」
沈黙を打ち破ったのはゲルハルトだった。
「ほな、オレらをお前が全員雇えや」
それは出来ないって言っている、と言わんばかりの表情でセリルがゲルハルトを見る。
「傭兵みたいな職種を作るって話やったやろ。それなら、オレらは傭兵団としてお前に雇われたるわ。んで、お前が必要な仕事にオレらを使ってエーデルシュタイン伯爵家の稼ぎとしたらええやろ」
殴られた後のゲルハルトのその言葉にユートは目を白黒させた。
「ゲルハルト君、それだけじゃダメね」
ユートが何か言うより早く、セリルがダメ出しをしていた。
「四十億ディールよ。今のギルドの総収入の八倍よ。多少、傭兵団が頑張ったところで稼ぎ出せるわけない額よね?」
「そんなもん……」
「やってみなくてもわかるわ。いくら餓狼族や妖虎族が優秀といっても、今のギルドの四分の一の人数で、八倍の結果を出すなんか無理でしょう? 一人当たり三十二倍も働けるわけ無いじゃない」
セリルの理路整然とした反論にゲルハルトも言葉に詰まる。
「……ほな、あと何をすればええんや?」
「あなたたちが出来ることじゃないわ。ユート君、ギルドで一番売り物になるのは何かわかる?」
不意に矛先がユートの方を向いたのに対して、ユートは頭を整理しながら答えた。
「素材、ですかね?」
「そうね。というよりも魔石。魔石と言えば、魔道具の燃料源よね?」
「そうですね」
それは王都で信号弾を開発していた時に、王立魔導研究所で散々教えてもらったことだった。
「魔石は魔物全てが持っているわけで、魔牛や魔猪や、それぞれ扱いが変わる、毛皮や骨やその他の素材とは違って、どの魔物でも目方が一緒なら同じ価格で売れる素材よね」
「そうですね」
「じゃあ、魔石をエーデルシュタイン伯爵家が独占出来れば? 儲かると思わない?」
そう言いながらセリルはにやりと笑った。
「え、ええ」
「じゃあ、それをお願いすればいいわよね?」
「え?」
「ユート君は、アリス王太女殿下から、冒険者ギルドを成り立たせるための法令を作る権利をもらっているのよね?」
そう言いながら、もう一つ笑顔を深くする。
「魔石の独占が出来て、ユート君が魔石を使う魔道具をもっと開発出来れば、冒険者ギルドは儲かるわ。最近だって信号弾を作っただけで魔石の価格が結構上がっているもの」
セリルの言葉にユートは頷くしかなかった。
「魔道具の開発ってそう簡単じゃないですよね?」
「その時は魔石の供給を絞るだけね。でもあまりやりたくないから、魔石の需要を増やす方がいいわね」
セリルの言葉に、何も言う者はいなかった。
「なんていうか、セリルさん変わりましたよね」
会議が終わった後、ユートはセリルにぽつりと呟いた。
今日の会議は総じて見ればセリルの独壇場であり、他の七人はおろか名目上とはいえ主君であるユートですら脇役だった。
更に言うならば、セリルはかつてパーティを組み始めた頃とは随分と様変わりしていて、妙に強気な発言が多かったように感じた。
「そりゃ、デヴィットがいるもの」
セリルから返ってきたのはそんな答えだった。
「あの子のため、私はエーデルシュタイン伯爵家をしっかりと成り立たせないといけないのよ。あの子が将来、エーデルシュタイン伯爵家の家臣である従騎士の身分を相続した時、エーデルシュタイン伯爵家がみすぼらしい家であって欲しくはないのよ。その為にだったら、私は悪魔に魂を売ってもいい」
一瞬だけ流れる沈黙。
「母は強し、ですね」
ユートはそう返すしかなかった。




