第112話 ギルドの財政事情
翌日からギルド本部でユートは書類にまみれる羽目になった。
いくらセリルやアドリアンが適宜処理していたとはいえ、事実上ギルドを留守にしていた一年二ヶ月分の間に貯まった、総裁が処理しなければならない書類は莫大な量となっていた。
「ちょっと、これ多すぎませんか?」
「これでも減らしたのよ。大半は情報として目を通しておけばいいものだし、緊急に決裁が欲しいものは全部王都に送っているから」
セリルにそう言われて、一枚一枚読んでいく。
「へえ、ギルドの加入者数が五千人近くになっているんですね」
「ええ、西方冒険者ギルドの冒険者を吸収したりしたのと、ニールが傭人でもやっていけるってことを示してくれたお陰で傭人専任の冒険者が増えたこともあるわ。まあやってるのは冒険者というより雑用だけどね」
「なんか西方冒険者ギルド事件の時に疑ったの申し訳ないですね」
ユートの言葉にセリルも苦笑いをする。
西方冒険者ギルド事件、あのベゴーニャが引き起こした事件の時、犯人候補として挙げられていたうちの一人がニールだった。
それから一年半ほどが過ぎて、ニールはいつの間にやら傭人専門の冒険者の草分けとして、傭人たちの顔役に収まっているのだから、数奇なものだとユートは強く思う。
「まあしょうがないわよ。その話はなかったことになってるからうっかり言っちゃわないでね」
「そうなんですか?」
「アルバにもそう言ってあるし、他の含めて箝口令出してるわ。それも書類にあるはずよ」
「ああ、これですね」
ユートはそう言いながら、箝口令を敷くことが書かれた書類を引っ張り出してくる。
「出来れば秘書が欲しいところですね」
「言いたいことはわかるけど、信頼出来る人がいるならユート君の秘書にする前にギルドの運営に回ってもらいたいわ」
事実上、マーガレットと二人でギルドの運営を行っていたセリルがそうため息をつく。
「顔役の皆さんに入ってもらうのは?」
「それはダメね。みんな冒険者だもの。ああ、アルバなら問題ないかもしれないけど」
アルバはポロロッカで滅んだセラ村の村長の息子であり、冒険者としての能力で優れているのは気配を消す能力だけ、基本的に戦う技術を持っているわけではない。
ただ、旧セラ村の村人のうち、冒険者となった者を組織して顔役の一人となっているのであり、事務処理能力の高さ、人望、そして本人が決して冒険者稼業を好んでいるわけではない点からギルドの運営側に回ってもらうという提案も受け容れてもらえる可能性が十分にあった。
「まあそれも今度ある会議次第ね」
セリルが話をそう打ち切り、ユートは再び書類を処理する機械と化した。
「ユート様、パストーレ商会に使いを出したところ、パストーレはいつでもこちらに来て頂けるとのことですので、明日に約束をしておきました。また、デイ=ルイス殿も夕刻ならば会談出来るとのことです」
法令のことを相談する予定のデイ=ルイス、屋敷のことと法令のことを相談する予定のパストーレ商会についてアーノルドにアポイントメントを取るように頼んでおいたのだが、さっそく仕事をしてくれたらしい。
「じゃあ夕方にはエレルの庁舎に行けばいいかな?」
「そうですな。馬車の用意をしておきます」
久しぶりに街を見ながら歩こうと思っていたのだが、あっさりアーノルドの阻止される。
貴族とはかくも面倒なものか、と心の中で嘆息しながらこの忠臣の言う通りにすることをしょうがなしに馬車で行くことを了承した。
「ユート卿、昨日ぶりですね」
「今日は時間を取ってもらってありがとうございます」
「私の今の立場を考えたらユート卿との会談をおろそかに出来ませんよ」
デイ=ルイスはそう言って笑う。
ユートの推薦で副総督格に上ったことを言っているのだろう。
「デイ=ルイスさんくらいの俊才なら別に僕の引きがなくても出世出来たでしょう?」
「いえいえ、頭の良さは関係ないのですよ。この世界で上に行こうと思えば何よりも大切なのは才能以上に信用なのです。代々の貴族ならばともかく、私のような正騎士では信用が足りません」
百年前の王国改革で王立大学や王立士官学校が出来た結果、平民だろうが才能があれば高等官――つまり王国の官僚や王国軍の士官になれるようになったが、そうして才能一つで身を立てた平民をすぐに信用するわけにはいかない、ということらしい。
そして家系が大貴族に連なる正騎士ならばともかく、才能だけで正騎士に任じられ、代々高等官となることで正騎士の身分を維持している元平民の家系などは信用に値しないという風潮は残っているのだろう。
「それで、今日は何用ですか?」
「実は、アリス王女――王太女殿下からの宿題なのですが……」
アリス王女の名が出た途端、デイ=ルイスの目が光ったようにユートには感じられた。
アリス王女からの宿題となれば更に自分の名を売り、信用を得るチャンスであり、同時にユートの信用を得るチャンスでもある、ということか。
「先立っての王位継承戦争の結果、伯爵に陞爵しましたが、今の王国に余っている知行地がないので、エレル冒険者ギルドを知行とする、という変則的な形になりました」
「存じ上げております」
「それで、冒険者ギルドを僕の知行とするために必要な――それでいながら周囲に恨まれないような――法令を出して下さるのですが、どのような法令があればギルドは王国内で僕の知行と認められる機関になるのか、と思いまして」
「なるほど……」
デイ=ルイスはそう言うと目を瞑り、腕組みをした。
恐らくこの俊英の頭脳は今フル回転しているのだろう。
ややあって、デイ=ルイスが目を開いた。
「ユート卿はエレル冒険者ギルドをどういう組織にされたいのでしょうか?」
「どういう、というのは……」
「これは質問が抽象的すぎますね。ギルドを通じて、何を成し遂げたいのか、ということです。例えば金をひたすら得る手段として考えていてもよし、あるいは魔物を倒すことで社会に貢献したいでもよし、ユート卿の目的をお伺いしたいのです」
「目的、ですが……」
今度はユートが目を瞑る。
大丈夫、忘れていない、と心のうちで呟いて自分に言い聞かせると、すぐに目を開く。
「僕は元々、エリアとともに傭人卒業したてのレベルの一冒険者でした。そこで契約がああだこうだ、顔つなぎがああだこうだ、御用聞きがああだこうだ、と狩人や護衛なのに、魔物や盗賊を狩ることよりも、様々な雑事に時間をとられていました」
「それはそうだったようですね。私が冒険者というものを深く知るようになったのはユート卿と関わりだしてからですので、直接的には知りませんが……」
「また、冒険者に依頼する側も知り合いがいなければ依頼出来ない――つまり、仕事が欲しい冒険者と、仕事をして欲しい依頼者がいるのに、仲立ちする者がいないがために上手く回っていない、と感じていました。それを上手く回るようにするために作ったのがエレル冒険者ギルドであり、上手く回ることで誰でも通商路の確保が容易になったり魔物の素材を得られるようになり、西方直轄領の経済もまた発展していくと考えています」
ユートの言葉にデイ=ルイスは頷く。
「それがユート卿がギルドを設立し、これからも運営していこうという目的ですね。ではもう一つ聞きます。ユート卿は王太女殿下から、ギルドを知行にするよう命ぜられたと聞きました。ギルドを知行にするならば、どのくらいの収入が必要とお考えですか?」
ユートは返事に詰まった。
知行としてどのくらいの収入が必要かというデイ=ルイスの問いかけは、要するにエーデルシュタイン伯爵家としていくらくらいの収入が必要と考えているのか、ということとイコールだ。
そこまでの試算を考えたことのないユートは答えられなかった。
「それによって王太女殿下に求める法令の内容――つまりどのくらい冒険者ギルドという業務を独占したいかということが変わってくるでしょう。そこをユート卿はお考えになられた方がよいかと思います」
「……わかりました。返事をするのはアリス王女の即位式と考えていますのでまだ時間はありますし、一度みなで考えてみたいと思います」
「ユート卿のお考えが纏まった時には、喜んで力になりましょう」
「ありがとうございます」
法令に関する話し合いが終わった後、今度は西方直轄領の現状についての話になる。
デイ=ルイスによるとポロロッカが収まってもうすぐ三年になろうというのに、復興は未だ道半ばといった状況らしい。
「魔物が意外と強いのですよ。西方軍の主力がゴードン僭王の乱に持って行かれたので警備部隊だけだと冒険者と協力しても現状維持までしか出来なかったのも大きいのですが……」
「といっても、正規軍では魔物相手に戦うのはなかなか難しくありませんか?」
「やはりユート卿もそう思われますか……私は軍の方はからっきしなのですが、リーヴィス先任中隊長に聞いたところ、やはり同じような意見でした」
リーヴィスとは戦列歩兵第一大隊の先任中隊長を務める従騎士セオドア・リーヴィスだ。
ユートとは西方冒険者ギルド事件でともに戦った戦友でもあり、王位継承戦争では護衛を務めたこともあってアリス王女の覚えめでたい軍人でもある男だった。
「そもそも山岳に入ることすら少ない、とウェルズリー伯爵なども言っていましたし……」
「ウェルズリー伯爵がそう仰るなら間違いないんでしょうね。となると、冒険者ギルドの役割が重要になりますが……」
「ゲルハルトやレオナに打診してみます。彼らは山岳や原野を得意としているので、何かいい解決策があるかもしれません」
「すいませんが、よろしくお願いします」
そんなギルドの仕事を増やしそうな会話をしながら、ユートはデイ=ルイスとの話し合いを終えた。
「無理ニャ」
ギルド本部へと帰ってきてデイ=ルイスとの話し合いの内容を告げると、言下にレオナはそう否定した。
「あちきらは幼少期から山に入って鍛えているニャ。事実上の軍隊として山の中で狩りが出来るのも小さい頃からお互いに山を知っているからニャ。付け焼き刃で教えられることじゃないニャ」
「オレもレオナに賛成やわ。オレらも山の中はそれなり以上に詳しいけど、妖虎族どもに比べれば全然やもんな」
「妖虎族は余計だニャ。ちゃんと妖虎族と呼べニャ」
レオナとゲルハルトの言うことを要約するに妖虎族は以心伝心でどうにかしている、ということらしい。
ポロロッカを戦ってみて付け焼き刃で教育したものの正規軍の被害が冒険者のそれに比べて圧倒的に多かったことを思い返してみる限り、ユートも一朝一夕に身に付けられるものではないというレオナの意見に賛成だった。
「冒険者ギルドが受ければいいんじゃニャいのか?」
「確かに稼げるのは助かるわね。妖虎族と餓狼族の人たちを無駄にエレルに置いておくわけにもいかないもの」
「迷惑を掛けてるニャ……」
「気にしないでよ! あんたたちがいなかったら王位継承戦争だってどうなってたかわからないんだし」
エリアがそう言っているが、軍の維持費というものが馬鹿にならないのはユートもよく知っている。
ある程度は私弁とはいえ、補給物資だけでも輸送費まで込みにすれば莫大な額になってしまう。
「餓狼族、妖虎族の軍もどうするか考えないといけないわね」
「オレらは北方に食糧を買う金を送れればそれでええで。北方のオレらがギルドに参加させてもらってるんやから、多くを求めるつもりはあらへんし」
ゲルハルトの言葉にセリルは頷く。
「デイ=ルイス副総督が言っていた、エーデルシュタイン伯爵家の維持のためにいくら必要か、ということも含めて一度考えてみないといけないわね」
いつの間にか、エレル冒険者ギルドの金庫番格に収まっていたセリルがそう呟いた。
その視線はユートの机の上に山積みになった書類を示しており、総裁が確認しておかなければならない書類の中に、ギルドからどのくらいの収入があるのか、といったことが書かれているのだな、とユートは直感した。
「えっと、冒険者の平均報酬額が年間百五十万ディール前後、一人当たりの手数料収入が七万五千ディールで、今の冒険者数が八千人前後だから、おおよそ六億ディールが収益、か」
「そうね。冒険者はこの一年半で一気に増えたけど、殆どはニールの影響で増えた傭人だから冒険者の平均報酬額は下がっている傾向にあるわ」
「傭人だと月に十万ディールがせいぜいだもんね」
エリアが傭人時代を思い出したらしい。
そういえば初めて会った頃に金貨一枚を出してびっくりされたのをユートも思い出した。
「出来ればもうちょっと上を目指して欲しいけど、みんな傭人で満足してるのかしら?」
「そこら辺はニールに聞いた方がいいわね」
そういえば顔役たちとの会談をやることを要請されていたことをユートは思い出す。
「まあ傭人から上に行かせる――言い換えると冒険者の教育をどうしていこうか、というのも考えていかないといけないことね。でも先にエーデルシュタイン伯爵家とエレル冒険者ギルドの収支の話から片付けましょう」
「ですね。この六億ディールのうち、運営費にどのくらい使ってるんですか?」
「今だと年間一億ディールから一億五千万ディールの間くらいね。内訳は馬車の運営費、受付たちの給料に、御用聞きをする者を雇ったからその給料、あとギルド本部が不用心だと困るから護衛の依頼料あたりが大きいわね」
セリルが妊娠していたためにギルドの御用聞きがいなくなっては困ると、ユートも了承して何人かをパストーレ商会から紹介してもらって雇っている。
お陰で楽にはなったが、運営費は嵩む一方だった。
「まあでも僕らがいないと回らないギルドじゃ困るんで必要経費ですよね」
「というかユート、四億ディール以上ももうかっているのに、けちくさいこと言わないでよ」
「あら、でも四億ディールなんか、こないだの王位継承戦争で出した冒険者大隊の物資やらで全部消えちゃって赤字よ。弔慰金が痛かったわね。まあアリス王女から出た依頼料でカバー出来ているけど」
一応、依頼の形式を取っているとはいえ、事実上の動員であったことからユートは冒険者大隊の戦死者には王国軍の基準と同じ額で弔慰金を出していた。
「まあそれもほぼ必要経費ですよね……」
「出したことについては私も反対はしないわ。ただ、今後もギルドから動員することもあるわけだし、そこら辺を考えて、一度アーノルドさんやアドリアンも含めて話し合った方がいいわね。ああ、餓狼族大隊や妖虎族大隊の存在を考えるとレオナやゲルハルト君にもいてもらった方がいいかしら?」
「そうですね」
「今日の夜とかでいいかニャ?」
レオナの言葉に全員が頷いた。




