第110話 王都を去る日
トーマス王の国葬の準備は、シュルーズベリ侯爵の指揮の下、急いで行われた。
「ユート君、あなたは故陛下の婿という立場もありますので、国賓の接遇と警護をお願いします」
そう言われて、面倒なことになった、と顔をしかめるユートに、ウェルズリー伯爵は笑いかける。
「先ほど大森林のシャルヘン駐箚大使より特使として従三位神職ゲルハルト・アドルフ及び従三位神職レオナ・レオンハルトを任じた、という知らせが来たのですよ」
「……それって?」
「ええ、彼らの警護を我が国としてもやらなければならないので、ちょうどいいかと思いまして」
ゲルハルトやレオナならば身内のようなものであり、父親を亡くしたアナのことが心配、というユートに可能な限り楽で、それでいながら貴族から批判されない役割を与えようというウェルズリー伯爵の心遣いなのだろう。
外国の特使の接遇と警護ならば、亡くなった国王の婿が行う役割としては文句の付けようがない。
「わかりました。西方混成兵団でやればいいですか?」
「ええ、ただ冒険者大隊はやめてもらえますか? 彼らは立場上はエーデルシュタイン伯爵の私兵――つまり故陛下にとっては陪臣にあたりますので……」
「わかりました。といっても今王都にいるのは歩兵なんですが……」
「十分でしょう? 周囲は私が中央軍を率いて固めますし、アーネスト宮内卿が近衛軍を率いて固めてるんですよ」
つまり、ユートがやるべきなのは煌びやかに着飾って形式的に警護するだけ、ということらしい。
「わかりました…………ウェルズリー伯爵、ありがとうございます」
ユートはウェルズリー伯爵の心遣いに心底感謝した。
「アナ、警護は楽なのを割り当ててもらったし、な」
ユートは軍務省を辞したその足で相変わらず王城内ではティールームで過ごすアナのもとを訪れた。
「ユート、父様は私が生まれた時には既に国王でした。国王として、ずっと戦われていました」
「……そうか」
「でも、このティールームでは、そうした鎧を脱ぎ捨てられていました……このティールームは元々は母様のもので、ここで時々わたしとぼんやりお茶をしていました」
アナは淡々と語る。
「母様が好きだったメリッサ茶を召し上がられる時は、特にぼんやりとされていたように思います。あの時はなぜ、父様はあのようなお顔をされているのかわかりませんでしたが、今になるとよくわかります。あの時は父様は母様を思い出しておられたのだ、と」
「……………」
ユートは何も言葉を返さない。
返す言葉がないというのもそうだが、アナの言葉を聞いてやることが一番と思うからだ。
「ユート、わたしの家族はいなくなりました。姉様も遅かれ早かれ即位されることでしょう。そうすれば家族として振る舞うことは出来なくなります」
ユートはこんなにも寂しそうなアナを見るのは初めてだった。
五歳で母親を亡くし、八歳で兄から追われて西方まで姉と一緒に長旅をして逃げてきて、九歳になる前に北方まで家族と離れて旅をして、たくさん寂しい思いはしてきたはずだった。
しかし、これまでのアナは、常に明るく、そしておしゃまに振る舞ってきていた。
そんなアナが、今、誰よりも寂しそうな顔をしていた。
「アナ……」
「ユート、ごめんなさいなのです」
「いや……」
アナの詫びの言葉はどうでもよかった。
ただ、その寂しそうな顔をしているアナの心を、少しでも融かしてやりたかった。
「アナ、確かに陛下も、ニコラシカ王妃ももういない。でも、アナには俺たちがいるだろう? 俺たちだって、実の親には足りなくても、アナの家族じゃないのか?」
「ユート…………」
アナはそれだけ言うと、黙り込んだ。
無言だった。
ただ、無言で、ユートに抱きつくと、その胸に顔を埋めた。
「ありがとうなのです」
小さな声でそう呟いた。
「そう、アナは大丈夫なの?」
屋敷に帰ると事の次第を聞いたエリアが心配そうに訊ねた。
今の王城は警戒を厳にしている関係でなかなかエリアがアナのもとを訪ねる機会もないし、アナがユートの屋敷に戻ってくる機会もなかった。
「大丈夫かはわからないけど、適当な名目をつけて会いに行くつもりだよ」
「まあユートは婚約者だからそこら辺は、ね。ところであたしは国葬に出ていいの? ただの平民なんだけど」
「いや、エリア、正騎士に叙任されたの忘れてるよな?」
「ああ、そういえばそうだったわね。アドリアンは参列出来るのかしら?」
「アドリアンさんは陪臣だからなぁ……」
ウェルズリー伯爵の言葉を聞く限り、エーデルシュタイン伯爵の家臣であるアドリアンは参列出来なさそうだった。
「いえ、構いませんぞ。私とアドリアン殿は従騎士ですからな。宮中で主君の用をこなす役割もあります。従騎士が参列出来ないとなると、たとえばブラックモア殿なども参列出来なくなります」
アーノルドの助言を聞いてユートは顔をほころばせる。
戦力としてもそうだが、機転の利くアドリアンは警護をする上で得難い存在だと思っているだけに参列が許容されるのはありがたいことだった。
「まあアドリアンはそんなもの出たくないっていうかもしれないけどね」
そうエリアが笑った。
その後のユートは忙しかった。
形式的とはいえ、ゲルハルトとレオナに挨拶して、自分が警護担当になったことを告げなければならなかったし、西方混成歩兵第三大隊を率いているイアン・ブラックモア大隊長と打ち合わせをしなければならなかったからだ。
多くの準備が必要な国葬であるのに、用意された準備期間はたった三日。
これは国王の遺体を長々と放置しておけない、という事情によるもので、その三日間は近衛軍の装甲騎兵がつきっきりで遺体にダメージが出ない程度の水魔法で冷やしているのだ。
王国軍の決戦戦力である近衛装甲騎兵をそのようなことに張り付けるのは、国葬としては当然であっても国防としては大いに問題であることもあって、三日ということになっている。
「ユート、大変やな。接遇言うても今さらしてもらうこともわからんし。適当にしといてくれたらええで」
「だいたいあちきらも自分のことは自分でできるニャ」
忙しいユートのことを慮って、ゲルハルトやレオナはそう言ってくれた。
「ありがとう」
「気にすんな。まあ当日はさすがに餓狼族の一個大隊なんぞ連れて行けへんから頼むけどな」
「ああ、ブラックモアさんの大隊を動員するしな」
「それにしてもあのブラックモアがあちきらの警護とか、世の中何があるかわからないニャ」
ユートの言葉にレオナはそう笑う。
恐らくメンザレの前哨戦前夜、ブラックモアとレオナが軍礼則のことで衝突したことを言っているのだろう。
あの時は散々対立した二人だったが、戦いが進むうちにレオナ率いる妖虎族の索敵能力の高さが明らかになり、ブラックモアがシェニントンの会戦で精強をもって鳴る南方騎兵を一個大隊で阻止したことで、いつの間にか険悪な関係は解消されていた。
とはいえ、数奇な関係であることは衆目の一致するところであり、それゆえにレオナはそんなことを言って笑ったのだろう。
「まあブラックモアなら安心だニャ。何かあっても餓狼族と妖虎族が駆けつけるまで時間稼いでくれるニャ」
「そんなことがないのを祈ってるんだが……」
ユートはそう言って頭を抱えた。
ユートが頭を抱えるのにも理由はある。
国王崩御の知らせを受けた時、南部貴族の多くは自領にいたのだ。
東部貴族などは国王が予断を許さない状況であることを知って、国葬に出れないという事態を避けるために王都に詰めていたのだが、南部貴族の、特に東半分――つまりタウンシェンド侯爵領に近いところの貴族はそうしたことをしていない。
これは叛乱を含めて他意あってのことではないか、と軍務省ではまことしやかに噂されており、そしてその噂は情報部が上げてきた情報でも否定出来なかったのだ。
そして、何か起こすならば王国の首脳が揃う国葬の直後が最適であるというのはユートとウェルズリー伯爵の間だけでなく、それにハントリー伯爵やシュルーズベリ侯爵といった七卿ですら一致するところだった。
「まあ叛乱なんかオレが蹴散らしたるわ。任しとき」
ゲルハルトはそう笑って請け負ってくれたが、それでもユートの気が休まる時はなかった。
そんなユートの心配をよそに、国葬は八月三十一日、無事に始まった。
裏ではシュルーズベリ侯爵が死相の出た顔をしたまま、それでもトーマス王の最期の晴れ舞台のためにかけずり回っており、かつてトーマス王の股肱、忠臣と言われた男のその姿に列席した貴族は涙しない者はいなかった。
また、同時にトーマス王の治世下でどんな無理をも成し遂げてきた宰相シュルーズベリ侯爵ハーマンも、もはや長くはないのだが、と思って時の移ろいを思う者も多かった。
そして、枢機卿であり、当代きっての聖人と謳われている聖ピーター伯爵が
「……思えば故国王陛下とは短い付き合いなれども、ノーザンブリア王国と我ら大森林の関係を修復し、平和を愛された陛下であられました。その陛下の信念は我らは忘れることなく、これからの両国の関係をより深化していくことを誓うとともに、大森林を代表して、故国王陛下の冥福をお祈り申し上げます」
弔辞を読んだのは、ゲルハルト、サマセット伯爵だった。
二人の弔辞が終わると、アリス王女が、そしてアナが花を持ってトーマス王の棺に歩み寄る。
そして、三人にしか聞こえない言葉で何かを話しかけたようにユートには見えた。
続いて大公たちが、ゲルハルトたちが、そしてシュルーズベリ侯爵を筆頭に諸貴族たちが献花を続ける。
ユートはそれをじっと見ていた。
「旦那様、参りましょう」
貴族たち全員が献花を終えたのを見て、ジークリンデがそう促した。
ユートとジークリンデは最後に献花をすることになっていた。
ユートは、ゆっくりと棺に歩み寄る。
そこにいたのは老いさらばえた老人だった。
しかし、その顔はどこか満足げで、国王としての責務を全うしたことを誇っているようにユートには思えた。
そして、在りし日に言われた言葉を思い出す。
『この子に家族のぬくもりを教えてやって欲しい』
トーマス王は、ユートと会った時にそう言っていた。
アナのことを最期まで心配していたその姿は、一国を治める国王ではなく、一介の老父だった。
アリス王女やアナを遺して死なねばならないのは、いかに無念だったのか、とその心中を慮る。
「旦那様……」
トーマス王の顔を見ながらそんなことを考えていたユートを、ジークリンデが促した。
「ああ」
ユートは短くそう言うと、黄色い花をその棺に収め、そして自分の家族を守らねばならない、と強く思った。
動かないはずのトーマス王の顔が、少しだけ微笑んだように感じた。
国王の棺は、近衛軍の士官たちによって担ぎ上げられ、そして王城のすぐ外にある、シャルヘン大聖堂の地下まで運ばれる。
このシャルヘン大聖堂はノーザンブリア王家のためにあるとされている大聖堂であり、地下墓地には歴代国王の墓所でもある。
「彼は死んでも生きる。彼は永遠に王である」
首席枢機卿聖ピーター伯爵がそう厳かに宣言すると、トーマス王の棺は地下墓地に埋葬された。
国葬から一ヶ月ほどは各地の貴族が弔問に訪れるのをシャルヘン大聖堂で受け付けていた。
南部貴族からはぽつりぽつりとやってきたが、タウンシェンド侯爵トリスタンが来たという話は聞かなかった。
クリフォード侯爵家もジャスティンこそ来なかったが、嫡男のロドニーが弔問に訪れており、少なくともクリフォード侯爵家は大丈夫ではないか――言い換えるとタウンシェンド侯爵家は謀叛を企んでいるのではないか――という噂が飛び交った。
そして、九月も終わりすっかり秋の空気となった。
「ユート、エレルへと戻りましょう」
アナがふとそんなことを言い出した。
「でも……」
「ユート、家族とのお別れはすでに告げたのです。わたしにとっての家族は、この家なのです」
アナは笑いながら、しかしきっぱりと言った。
「ユートの仕事は、王都ではなくエレルにあるはずです」
「そうね、ギルドはエレルだもんね!」
エリアが少し嬉しそうにそう答えた。
「なのです。だから、エレルへ戻りましょう」
ジークリンデの方を見ると、ジークリンデも頷く。
「そうだな、戻ろうか」
ユートはそう頷く。
すぐにウェルズリー伯爵に連絡をすると、ウェルズリー伯爵も認めてくれた。
というよりも西方軍司令官心得の辞令が発令されているユートを無理に引き留める権限はさすがのウェルズリー伯爵にもない。
戦時ならばともかく平時には衛戍司令官――その地域の防衛と軍令、軍政を担う司令官である西方軍司令官を王都に駐在させておくことは軍務卿の権限ではなかった。
そして、ユートたちが王都を去る当日、王都シャルヘンの城門にはウェルズリー伯爵だけでなく、ハントリー伯爵やサマセット伯爵、ハミルトン子爵といった王国の要人たちが集まっていた。
「次に王都に来る時は、多分アリス王女殿下の即位式でしょうね」
「お互いに健康には気をつけましょう」
書類仕事ばかりのせいか青白い顔をしているウェルズリー伯爵がそう笑う。
「ユート殿、西方を頼む」
サマセット伯爵はそれだけ告げた。
本来ならば西方総督であるサマセット伯爵も帰るべきなのだが、現状の政争の中でサマセット伯爵やハミルトン子爵がいなくなることは危険、という判断から、アリス王女の命令で王都に留まっている。
彼らとの名残を惜しみながらも、別れを告げると、西方混成兵団の隊伍へと戻った。
ユートたちが乗った馬車を中心に、ブラックモアの西方混成歩兵第三大隊、ゲルハルトの餓狼族大隊、レオナの斥候中隊が動き始める。
「さよなら、なのです」
アナはそう短く呟いた。
そのアナの方に、ジークリンデがぽんとをてのひらを置いた。
馬車はゆっくりと、エレルを目指して動き始めた。
 




