第109話 花が散る
「まず、この信号弾の仕様から説明します。中には火爆を仕込んだ魔導回路、魔力源となる魔石、そして信号の色を発する金属が入っております。火爆が起動すると金属が昼間でもはっきりわかる色で燃えます」
ユートはウェルズリー伯爵や軍務省の幹部を目の前にして信号弾の説明をしていた。
「そして、あそこに設置してあるのが信号弾の発射筒となります。神銀製の外筒に、魔銀製の発射魔導回路があり、爆風が発動するように設計されています。魔力源の魔石は信号弾側にセットされているので、信号弾を発射筒に落とすことで魔力が供給されて爆風が発動、信号弾がおおよそ高度百から百五十メートルまで打ち上げられます」
ちなみに発射が火爆ではなく爆風になったのは発射実験をしたところ火爆では信号弾そのものが燃えてしまうという欠点が発覚したからだ。
お陰で発射できる高度は下がったが、それでも実用的な高度までは打ち上げられるので特に問題視はされていなかった。
「では、今から実際に発射します。撃ち方、用意! 信号色、赤、緑、青、白」
ユートの号令に合わせて、少し離れたところで設置されている発射筒に、エリアたちが信号弾を投入する。
一瞬遅れてしゅぽん、というやや間抜けな音がして、信号弾が打ち上がった。
青空に塩が由来の赤い色が光る。
遅れて銅が由来の緑色と錫が由来の青色。
そして最後に、何も使っていない火爆の白みがかった炎の色。
四色の色が空中に光ったのを見た、軍務省の幹部がざわめいている。
「なるほど、これならば十分です。あの高度ならば戦場のどこからも視認出来そうですね。信号弾の色はこれで全部ですか?」
「一応今の三色と白っぽい色の無色もありますから四通りあります」
「ということは三発で六十四通りの組み合わせが出来ますね」
ウェルズリー伯爵はそう言うと嬉しそうに頷いた。
「西海方面艦隊のイーデン提督に聞いたところ、海軍の旗旒信号は二十六通りとのことです。六十四通りあれば基本的な定型命令は出来るのではないかと」
「十分でしょう」
ウェルズリー伯爵の言葉に軍務省の幹部の一人が何やらウェルズリー伯爵に耳打ちする。
ウェルズリー伯爵はそれをうんうんと頷いている。
「予算は……まあ私がどうにかしましょう。シュルーズベリ侯爵がいないので、ハントリー伯爵に押し通すことになりますが……とはいえこれは命令の伝達速度で言えば軍の操典を書き換える必要すらあるかもしれない発明です」
「えっと、発射筒一基で三億ディールくらいなんですが……」
「……まあ各軍に五基ずつとして、七十五億ディールですか」
「あの、軍務卿閣下、さすがにそれは……」
「南方軍は後回しにしましょう。北方軍も。ともかく中央軍と西方軍に急ぎ配備ですね。工場は手配した方がいいですか?」
「はっ! 閣下! その必要はありません!」
ウォルターズが妙に畏まって答える。
「細々と生産するならば、王立魔導研究所の試作チームでどうにかなります。肝心の魔導回路はそこまで難しいものではありませんし、発射筒も構造は簡単です」
「なるほど、ではしばらくは大変かも知れませんがよろしく頼みます。それにしてもなぜこんな便利なものをこれまで気付かなかったんでしょうね……」
「はっ! この信号弾の最大の技術的な特徴は魔法ではなく、信号の色を与える金属にあります。この点はエーデルシュタイン伯爵ユート卿が持ち込まれたものであります」
「なるほど、信号弾が単色ですと使えなかったんですね。魔導研究でもないのに、よくやってくれました」
ウェルズリー伯爵の言葉に、もう一度ウォルターズが敬礼をする。
「ユート君、よくやってくれました。あとは信号表を作ったりという事務作業がありますが、そちらは軍務省の秀才君たちがやってくれるでしょう」
そう言うと、ウェルズリー伯爵は満足げに笑った。
「よかったわね、ユート!」
屋敷に帰ってくると開口一番エリアがそう言った。
「みんなのお陰、さ。信号弾を作るのにエリアとジークリンデは色々とアイディアを出してくれたし、セリルさんは炎色反応の実験を繰り返してくれたし、アーノルドさんは軍に関する色んな情報をくれたり。もちろんウォルターズさんやイーデン提督にも感謝してるけど」
「いえ……私など……」
「何言ってるの! ジークリンデが爆風を使えばいいって言ってくれなかったらもっと時間かかったわ。あたしなんか信号弾を作る作業だけよ!」
とはいえ、エリアの手先の器用さがあったからこそ構造が難しい信号弾をあっさり作れたので、ユートはエリアが何もしなかったとは思っていなかったし、みんなもそれは同じだ。
「あれ、なんかもう一人いたような気がするんだけど……」
エリアはにやにや笑いながら仏頂面をしている男の方を見る。
「うるせぇ。俺だってちゃんとやっただろ!」
「ああ、セリーちゃんが実験している間、デヴィットくんの子守お疲れ様!」
「違ぇよ!」
アドリアンがエリアのあたまを小突く。
「えっと、じゃあ……」
「おいおい、冗談はそのくらいにしてくれ」
「嘘よ、嘘。アドリアンはユートが信号花火を思いつくのにアイディア出したもんね」
「なんかそう言われると俺がやったことがすげぇ小さい気がするけどな」
「いえ、そんなことないですよ。アドリアンさんがあのアイディア出してくれなかったら、未だに方向性を見失っていたかも知れません」
ユートの言葉に、アドリアンが照れくさそうに笑う。
「そういえば信号弾、何発か余ってるのよ。どうする、これ?」
発射失敗や、何回か披露の試射を繰り返す必要があったので信号弾は十発ほど用意していたが、実際にはあの後もう一度打っただけだったので、数発が余っていた。
「日本では夏になると夜空に打ち上げた花火を鑑賞したりするんだ。そろそろ暗くなってくるし、打ち上げてみようぜ」
ユートがそう言い出したので、庭に発射筒を据えて花火の用意をする。
みんな見る方がいいのかと思いきや、意外にも打ち上げたがっていたから、ユートは見るのに徹することにした。
「いくわ!」
セリルの言葉とともに発射された花火が夜空を染める。
「ユートよ、よかったな」
「えっ?」
「こいつがエーデルシュタイン伯爵家だぜ。俺も含めて、みんなで作ったんだからよ」
アドリアンが妙に感傷的に、そんな言葉を言った。
「何言ってるのよ、アドリアン! 気味が悪い!」
「おいこら、エリア! 俺だってよ、色々悩んでんだよ。伯爵家に仕えるって言ったってよ、俺は所詮は冒険者だし何も出来ねぇかも、とか色々思ってよ……それが今回は少しでも力になれたと思ってるんだぞ?」
「…………ごめん」
真剣に悩んでいたらしいアドリアンに茶化したエリアが素直に詫びる。
「エリアは打ち上げなくていいのか?」
ユートは話題を変えるようにそう言った。
「いいのよ。あれ作ったのあたしだし」
確かに信号弾は手先の器用さを活かして全部エリアが作った。
ジークリンデも手伝っていたようだが、このあたりの器用さは冒険者ならではのものらしい。
そう言った時、最後の青色の信号弾――花火が打ち上がる。
パッと散って夜空に浮かんだのは、エリアの詰め方が均一でなかったのか、それとも何かもいたずらなのか、綺麗なハート型だった。
その頃の王城では、アナが涙をこらえて平静を装っていた。
「姉様……」
「アナスタシア……」
アリス王女もまた、涙をこらえていた。
「アリス、アナスタシア……」
伏せているトーマス王が、苦しげに二人を呼ぶ。
慌ててトーマス王の枕元へと二人は駆け寄った。
「アリス、アナスタシア……頼む、頼むぞ……」
苦しげな息のもと、うわごとのように繰り返す。
「父上、ご安心下さい。国は、ノーザンブリア王家は誓って安泰に致します」
「違う…………」
トーマス王はアリス王女の言葉を聞いて頭を振った。
「……そなたら……姉妹は仲良く……頼む」
トーマス王の言葉に、アナがたまらず大粒の涙をこぼす。
「姉様を……大事に……致します」
「アナスタシアは何があっても、私が守ります」
二人の言葉に満足げにトーマス王は頷く。
「アリス…………苦労を……かける」
もうアリス王女は返事することも出来ないで、必死に涙をこらえている。
「アナ……スタシア…………ユートは……面白い男だ……」
それだけ言うと、トーマス王はアナの言葉を待たずに言葉を続けた。
「いかぬわ……………………」
ぽつりと呟くようにそれだけ言うと、その目はすっと閉じられた。
「ち、父上!?」
「父様!?」
だが、二人の愛娘の声にも、トーマス王が返事をすることはなかった。
ノーザンブリア国王トーマス崩御の報はその夜のうちに王都中に伝わった。
「ただちに全高等官は登城せよ」
「すぐに警急配備を敷きなさい。陛下のことを悼まねばならぬ時に騒乱など起こしてはいけません」
七卿の首座にある内務卿ハントリー伯爵、そして軍を預かる軍務卿ウェルズリー伯爵はただちに動いた。
貴族たちもここで動いて謀叛人の汚名を着ることもない、と自主的に門を閉ざして喪に服す。
それは南部貴族も例外ではなかった。
さすがに即日というわけではなかったが、たびたび狩猟名目で近隣の中小貴族を集めていたタウンシェンド侯爵トリスタンも喪に服する。
「王都にいる全貴族は登城せよ」
その命令が摂政王太女アリスの名で届いたのは、トーマス王崩御の知らせから半日後の翌朝のことだった。
「ユート、あちきらも行くニャ」
「わたくしも……参ります……」
大使が置かれていないこともあり、王都における外交官のような立場であるジークリンデやレオナ、ゲルハルトも伴ってユートは登城する。
大広間に大勢の貴族が並んでいた。
普段はトーマス王が座っていたはずの王座は空席であり、その横にアリス王女が立ち、アナが立っている。
大広間はしん、と静まりかえっていた。
「陛下は、昨夜身罷られました」
アリス王女が、静かな、透き通るような声で言った。
心の底から亡きトーマス王を悼む嗚咽の声が、そこかしこから漏れる。
だが、アリス王女は真っ直ぐに貴族を見据えていた。
恐らく一番泣きたいのは実の娘である彼女だろうに、涙を押し殺して真っ直ぐに貴族を見据えていた。
「泣いてはいられません」
アリス王女のその言葉に、ぴたりと嗚咽の声が止まる。
「わらわたちが、しっかりせねば、陛下は泉下で静かに休むことも出来ません」
そう言うと、満座の貴族たちを見回す。
「ハントリー伯爵アイザック、国葬の執事を命じます。亡き陛下の聖徳が伝わるような、国葬を執り行いなさい」
「お待ち下さい!」
ハントリー伯爵が頷きかけた時、異議を唱えた者がいた。
「どうか、このハーマンに執事をご下命下され!」
現任の財務卿であり、病気療養中のシュルーズベリ侯爵だった。
「ハーマン、そなたは休んでいなさい。今無理をすれば……」
「王太女殿下!」
アリス王女の言葉を遮る。
それは無礼であり、本来ならばその時点で叩き出されても文句の言えない行為だ。
しかし、シュルーズベリ侯爵の気魄を見てそのようなことを言えるものは、アリス王女を含めてその場にはいなかった。
「このハーマン、もはや先は長くありませぬ。ならばその短い命を、幼き頃より非才の身ながら傍に置き使って下さった亡き陛下の報恩に使いたく伏してお願い申し上げます」
「…………わかりました。シュルーズベリ侯爵ハーマン、国葬の執事を命じます。アイザック、申し訳ありませんが、ハーマンの補佐を頼みます」
二人が頭を下げると、アリス王女は少しだけ瞑目して、頷いた。
「アナ、大丈夫か?」
ユート、そしてジークリンデは王城内のアナのティールームで会っていた。
アナは目を腫らしていて、一晩中泣いていたのがよくわかった。
「ユート…………」
「アナ…………」
「ごめんなさいなのです……信号弾のことも聞きました……わたしは妻でありながら何も出来ずに……」
「アナ、それは気にするな。むしろ、アナは人として自分がやるべきことをやらないといけなかったんだ」
父親を失いながらも泣くよりも先に詫びるアナに、ユートはそう言うと、言葉を続ける。
「アナ、少しくらいは甘えてくれていいんだ」
その言葉に、アナはユートに抱きつくと、その胸で号泣した。
 




