第106話 王立魔導研究所①
数日後、アーノルドの案内で訪れた王立魔導研究所は意外なことに王都の外、演習場の片隅にあった。
名前や、法兵はプライドが高いということからユートはもっと王都の中心部にあるとばかり思っていただけに少し意外だったが、ともかく受付で話だけでも聞かせてもらおうとした。
「エーデルシュタイン伯爵ですか……来て頂いたのは有り難いのですが、みな忙しいので」
受付にいた、白衣に身を包んだ男は慇懃無礼にそう断ってきた。
「そこをなんとか……」
「と、言われましても……事前に連絡も頂かないで来られても困るのですよ」
取り付く島もない、というやつだった。
「じゃあ今度一度研究者の方にお話を聞かせてもらえますか?」
「……どのような研究ですかな? 正直、我々は様々な研究のために忙しいのです」
「早馬や伝令を代替する通信手段を探しているのです。なので、そのような研究をしている研究者の方がいれば……」
「通信ですか……おりませんな」
木で鼻を括ったような対応に、さすがにエリアがイライラしているのがわかった。
温厚なアーノルドですら少し苛立っているらしい。
「わかりました。一度出直します」
これ以上話し合うと危険と判断してユートは一度出直すことにする。
「何なのよ! あいつ!」
帰り道、当然エリアは激怒していた。
「全く無礼にもほどがありますな。伯爵もそうですが、後ろにいたのは他国の侯爵嫡子ですぞ」
そういえばゲルハルトとレオナが後ろにいたのを思い出す。
よく考えればジークリンデも大森林の大公待遇らしいし、このグループに無礼を働くのは外交的に結構まずいのではないかと思ったが、それを言葉にはしない。
ゲルハルトやレオナ、ジークリンデもわかってくれるだろうと思っている。
「ともかく、あの調子じゃどうしようもないな……」
「レイから圧力を掛けてもらいますか?」
ウェルズリー伯爵は軍務卿であり、王立魔導研究所は軍の機関の一つなのだから、ウェルズリー伯爵からの圧力はそれなりに有効かも知れない、と思ったところでユートは考え直す。
「やめておきましょう。僕だって軍司令官代理の立場があるのにあの対応だったのです。軍務卿が出てきても同じ結果か、話は聞かせてもらえても嫌々、ということになりそうですし」
「……本当に法兵だけは何を考えているのかわかりませんな」
アーノルドはそう嘆息する。
「とりあえず基礎的な研究や魔道具の基本技術についてどこかから聞けないか訊ねてみる」
「ユート、ポロロッカの時に一緒だった法兵の姉ちゃんに連絡取ったらどうかニャ?」
「ああ、ウォルターズさんか……」
「法兵ならば魔道具の基礎教育も受けているでしょうし……」
「それなら軍直属法兵に……ああ、無理ね」
既に西方軍の一部は西方の治安維持のために帰している。
いくら西方が仮想敵国と接していない地域とはいえ、またポロロッカのような事態が起きないとも限らないからだ。
そして、その帰した部隊の中に西方軍直属法兵は含まれていた。
「ウォルターズさんに連絡取ってみましょう」
エリアの言葉に全員が頷いた。
ユートが軍務省でウォルターズの配属先を調べると意外なこと王立魔導研究所の所属だった。
何か二度手間になった気がしたが、ともかく再び王立魔導研究所に赴く。
今日はゲルハルトとレオナはそれぞれ部隊の教練に向かう用事があり、またアーノルドも仕事があるとのことなので、ユートとエリア、それにジークリンデの三人だけだった。
「そういえばこの馬車って乗り心地いいな」
「……私が大森林から……持ってきた馬車ですから……」
「そうか。前にアナのためにハミルトン子爵が用意してくれた馬車に乗ったけど、それと同じくらい乗り心地がいいな」
「そうですか……」
ジークリンデとの会話はそれで終わってしまう。
ユートとしても一応妻、というこのジークリンデとの間でもっと会話をしたかったが、どうも会話が弾まない。
何が悪いのだろう、と思うが、どうしようもないし、エリアがフォローするようにジークリンデと外を眺めながらあの店は何の店だろう、と会話を続けていた。
「なんだ、ユート。ようやく来てくれたか」
ワンダ・ウォルターズは前と違って白衣に身を包んでいたが、相変わらずの蓮っ葉な口調のままだった。
「いや、昨日ウォルターズさんが王立魔導研究所にいることを知ったんですよ」
「まあそっちも忙しいだろうしな……と、よく考えたらエーデルシュタイン伯爵様だからこんな口調ではダメか」
「いえ、別に西方軍司令官みたいなものですから同じ軍人として……」
みたいなもの、というのはまだ辞令が出ていないからだ。
とはいえ、サマセット伯爵の軍事的才能が微妙な上、しばらくは王都に留まることが濃厚となっているので、近々ユートが西方軍の司令官に就任させようとウェルズリー伯爵が動いていた。
ポロロッカのようなことが起きた時に有能な司令官が必要というのもそうだが、それ以上に南部情勢が不安定になっている以上、使える軍は一つでも多い方がいいし、その為にはサマセット伯爵は邪魔、という判断らしい。
「おいおい、私はまだ小隊長格の研究員だぞ? 小隊長が軍司令官に話すのも、従騎士が伯爵に話すのも大して変わらないぞ?」
ウォルターズはそう言いながら愉快そうに笑った。
「じゃ、じゃあ友人、ということで」
「それはそれで私が大変な目に遭いそうだが……そういえばエリアも久々だな」
「お久しぶり、ワンダさん」
「そっちのは噂の純エルフの姫君か。それにしても本当に君は伯爵になったのだなぁ……」
前にあった時はユートが正騎士に叙任される前――つまりただの冒険者だった頃だ。
たった二年半でユートは正騎士を経て伯爵まで駆け上がっており、ウォルターズは相変わらず小隊長と同じ待遇のまま、というのに色々と感じるところはあるのだろう。
「まあ、なんだかんだで運良く、という感じですね」
それはユートの偽らぬ気持ちだった。
ポロロッカにしても北方への使者にしても全部、一つ間違えば死んでいたのはユートだっただろう。
「運も実力のうちだよ。で、今日は何しにきたんだい?」
ウォルターズはまた一つ愉快そうに笑いながらユートに訊ねた。
「実は魔道具について教えて欲しいと思いまして……」
「魔道具、かい? 別に構わないけど、理由はなんなんだい?」
「実はウェルズリー伯爵が通信手段を欲していまして。それで最初は旗旒信号でいこうかと思ったんですが、イーデン提督から旗旒信号は陸戦には向かないから魔道具でも作るしかない、とアドバイスをもらいまして」
ウォルターズは黙ったままシガレットケースを取り出すと、一本取り出し、魔法で火を付けて深く吸い込んだ。
「……なんだい、その面々は……王国軍の重鎮たちばかりじゃないか……」
そういうと、もう一度煙草を深く吸い込んで、紫煙をくゆらせる。
「なぜ、私なんだい? その面々がバックについているなら、それこそ王立魔導研究所に総力を挙げさせることも可能だよ?」
「……いえ、先日来たら門前払いだったんですよ」
「門前払い?」
訝しげにそう言ったあと、ウォルターズは思い出したように頷く。
「……ああ、受付か。受付をやってるのは研究所の事務長なんだが、あいつは旧タウンシェンド侯爵派だからねぇ……」
「そうなんですか?」
「ああ、大方あんたのことを恨んでるんだろうよ。恨むのはわかるけど、それを仕事の上で出すとかガキかっての。魔導研究所は設備なんかはいいんだが、関わってる研究者にはガキが多くてよくないねぇ」
何かウォルターズにも鬱憤はたまっているらしいが、ユートはそれよりも軍の内部にある対立に頭が痛くなった。
たかが研究所を案内してくれというような小さなことですら、派閥がどうだ、でユートだからと拒んでしまうあたり、いざ戦闘になればどうなるのか、と不安になる。
まあそれは後でウェルズリー伯爵に報告だな、と思いつつ、ウォルターズの方を向き直る。
「それで、どうですか? 出来ますか?」
「知恵は貸せるよ。なんだったら私の知ってる、まともな研究者を紹介してもいい。今をときめくエーデルシュタイン伯爵の頼みならいくらでも聞いてくれる研究者はいるだろうしね」
それを聞いて少しばかり権力やらに物を言わせているような気がして嫌な気がしたが、エリアは満面の笑みだった。
「そりゃいきなり出来た伯爵家、しかもアナもジークリンデもいるから大森林と王室のお気に入りってのはみんなわかってるのね」
「ああ、そういうことさ。ここにいる奴の半分以上は出世より研究の方が大事な奴らだが、自分の研究に研究費をつけるためにはお偉いさんの推しが必要だし、まして自分の望む研究をしてくれっていうならどいつも断らないよ」
「持ちつ持たれつって大事よね」
「まあ余りに個人的な物の研究ならともかく、軍務卿の肝煎りで開発するなら、むしろ研究者なら参加したい奴の方が多いだろうね――ああ、受付みたいな馬鹿は除いて」
ウォルターズの言葉を聞いてユートもまあいいか、という気分になる。
「それで、実際の開発なんですが……」
「まず聞きたいのはあんたに基本的な構想があるかってことだね。例えばこういう仕組みを実現したい、というのがあって、それの中で魔道具をどう使うのか悩んでいるのか、それともそもそも魔道具についての知識がなくてどうにか出来ないか、と思っているのか、どっちなんだい?」
ウォルターズの顔が一気に研究者のそれになる。
「えっと、一応構想はあるんですが、魔道具で実現出来るかはわからないので、その意見を聞きたいな、と思いまして」
ユートが構想として持っているのは無線電話や有線電話の類だ。
あくまで元になっているのは日本の知識だが、例えば電波を魔力で代替するなどの方法で実現可能かはユートにはわからない。
「ユート、あんたいつの間に考えてたの!?」
「旦那さま……いつの間に……」
「いや、それは……」
ユートが口ごもったのを見て、ジークリンデは不思議そうな顔をしていたが、エリアはすぐに東海洋に浮かぶ島ニホンの経験なのだ、と気付いたらしい。
そして同時にユートがニホン出身であることを隠そうとしていることもエリアは知っていたから、それ以上追及はしない。
「まあいつ考えたかなんかはどうでもいいわ。それよりどんな方法なの!?」
「えっと、無線で連絡するか、有線で連絡する、という方法なんだけど……ウォルターズさん、紙はありませんか?」
ウォルターズが持ってきた紙に、受話器を書いて、それに線が繋がっている有線通信の絵を描いてみる。
「こんな感じに声を変換して送るんですが……」
「あんた、よくこんなものを考えたわね」
「……これが有線、というのはわかるが、無線、というのは何だ?」
「えっと、空気中を電波という物を飛ばすんですが……」
ウォルターズは再び煙草に火を着ける。
「ああ、わからん。空気中というが、何もないところに何を飛ばすんだ?」
電磁波、というものが理解されないのは当たり前であるし、ユートも織り込み済みだ。
「例えば魔力を飛ばして、みたいなことは出来ませんか?」
「……ユート、一度魔道具の基本的な仕組みを説明しておいた方がよさそうだ」
数回しか吸ってない煙草を灰皿に押しつけると、ウォルターズは本棚から一冊の本を持ってきた。
「これは王立士官学校の法兵科で使われている魔道具の教本のだ。一応軍極秘扱いだが、まあユートならば問題ないだろう」
軍極秘、というのは上から二つ目の軍事機密であるが、軍司令官代理ならば閲覧する権限はあるらしい。
ウォルターズは教本の最初の方、基礎的な知識が書かれているあたりを開いて魔道具についての説明を始める。
「まず、魔道具というのは、魔力源から魔力を魔導回路に流して、何かの事象を発生させるものをいう。例えば魔力源から魔導回路を経由させて火魔法を常時発動させた状態として灯とする、などは典型的だな」
「魔力源っていうのはあたしたちが魔物から取ってくる魔石、でいいの?」
「もちろん魔物の魔石もそうだが、別に人間でもいいぞ?」
人間、と聞いてユートはぞっとした。
人間を魔力源にするということから想像出来るのはたった一つ。
「生贄に捧げる、ですか……?」
それを聞いて、ウォルターズはきょとんとした顔となった後、大声で笑った。
「何を言うかと思えば……いや、生贄でも魔力源になるのかもしれないが、そういうことではないねぇ。私たち人間が発する生の魔力をそのまま魔力源とする、ということだね」
「それ、何か意味あるの?」
「例えば、魔法を使えない者でも火魔法やらを行使することが出来るぞ?」
ウォルターズの言葉にエリアがはっとしたようになる。
「魔力の有無と魔法の上手い下手は別の話だからな。まあもちろん普通に魔法を撃つよりは効率は悪いが」
そういえばクリフォード侯爵家に伝わる剣が火を吐くとウェルズリー伯爵に聞いたことがあったユートはそれもまた魔道具なのか、と合点がいく。
「クリフォード侯爵家の伝わるのもそうだけど、あれは古代帝国時代の遺物という話だね。だから今の魔道具よりも数段性能がいいだろうし、恐らく普通に魔法を放つのと同じくらいの効率じゃないかね」
そう言いながら、ウォルターズは教本のページを進めた。
「肝心なのは、魔導回路さ。これを作れるのは才能のある魔道具職人しかいない」
教本には複雑な紋章のようなものが刻まれている。
ユートにはまるでそれは日本で見た電子基板のように見えたし、それがゆえに魔導回路とは言い得て妙だな、という感想を抱いた。
「じゃあウォルタースさんはその才能があるの?」
エリアの言葉にウォルターズは苦笑いをする。
「あるわけない――というよりもあったら魔導研究所の特任研究員になってるよ。あいつらは自分の使える魔法をそのまま回路にする魔法を使えるんだから」
早口言葉のような、“自分の使える魔法をそのまま回路にする魔法が使える”という言葉の意味を理解するのにユートにはだいぶと時間がかかった。
「つまり、火球を使える魔法使いが、同時に火球の魔導回路を作る魔法も使える、ということですか?」
「そういうことさ。そんなもの私には出来ないよ」
「なんか難しいのね。じゃあウォルターズさんは何を研究してるのよ?」
「私かい? そうした特任研究員たちが描き出した魔導回路を改良したり、どういうものなのか研究してるんだよ。一度形がわかった魔導回路なら彫金してもらうだけで量産は出来るからね」
「彫金?」
「ああ、魔導回路は魔銀に刻まないといけないのさ。そして、その魔銀に魔力を流すと魔道具が発動する――まあ魔力が漏れないように神銀で覆わないといけないけどね」
そう言った後、ウォルターズは茶目っ気たっぷりにユートたちを見た。
「知ってるかい? 魔銀の値段を? 同量の金の四倍だよ。魔導研究所でもなけりゃ一つの魔導回路を作るだけで破産しちまうよ」
「それ、他のでは出来ないの?」
「出来ないさ。魔力をちゃんと流してくれるのは魔銀くらいだし、逆に魔力を完全に通さないのは神銀くらいさ。私が知ってる中ではね」
つまり、魔銀は電子回路でいうところの伝導体、神銀は絶縁体みたいなものか、とユートは勝手に当たりをつけた。
他にも半導体になるようなものがあるのかもしれないし、あるいは伝導体や絶縁体も他にもっと安価なものもあるのかもしれない。
しかし、この国で一番魔道具に詳しい王立研究所の研究員が知らないものがそうそこら辺に転がっているとも思えなかった。
ともかく、魔道具については根本的な魔導回路の作り方はともかく、基本的な仕組みそのものはわかったような気がした。
魔力源から、伝導体である魔銀を通して魔力を流し、その魔銀に刻まれた魔導回路が魔法を発動させる。
そして、魔力があちこちに拡散しないように、そうした魔銀を不導体の神銀で覆ってしまうのが基本的な作り方、ということだろう。
「じゃあ、魔導回路を見つければいいのか……」
ユートは独り言ちたが、ウォルターズはその声を聞き漏らさなかった。
「おいおい、ユート、それは無理だね。新しい有用な魔導回路なんか、数十年に一度と言ったところだし、あとは魔導回路を組み合わせるか、効率化や解明のために分解していく研究ばかりだよ。その無線やらはどうやって動いているのか仕組みを知っているのかい?」
ユートはウォルターズのその言葉に詰まった。
携帯電話を含む無線電話という存在をユートは知っているし、それが電波を発信して情報をやりとりしていることも知っている。
しかし、具体的に電波をどうやって発信しているのだとか、受け取った電波をどう音声に戻しているのか、だとかはユートの知識にはなかった。
「それじゃ、魔道具にするのは至難だよ。一応、研究員は集めておくけどね」
ウォルターズの言葉に、ユートはただうつむくしかなかった。




