第105話 兆候
1週間お休みを頂いていましたが、今日から更新再開します。
なお、活動報告でも報告しました通り、次回更新は来週月曜で、
以後は通常通り平日更新に戻ります。
長く更新中断して申し訳ありませんでした。
「まず大事なのは早馬――軍馬ってどういう時に使うか、よね? もちろん戦闘で使うのは除いて」
ウェルズリー伯爵に言われたのは軍馬の必要数を減らすための早馬、伝令の削減だった。
その為に通信手段が欲しいし、それはユートの本業である冒険者ギルド――ユートにとっては貴族業はあくまで冒険者ギルドをやるための手段に過ぎない――にも利益となるだろう、という話だ。
「そうだな」
「てことは、アーノルドさんね!」
エリアはそう言いきると、仕事をしているはずのアーノルドを呼び出す。
ついでにゲルハルトとレオナもやってきて、ユートがウェルズリー伯爵から任せられた仕事に興味津々、といった様子だった。
「ふむ、正面部隊以外で軍馬を使う時、ですか……そうですな、一つは戦場の伝令、もう一つは長距離の連絡ですな。その他に指揮官の乗用、式典用などもそうですが……」
「後ろ二つは減らせないでしょうね」
「ええ、どちらも貴族の沽券に関わる問題ですから、減らすとなると反発は恐ろしいものになるでしょう」
「ねえ、輜重段列の馬は?」
「輜重段列に使う馬は軍馬を用いません。もちろん指揮官用の乗馬は別ですが」
つまり、
「あの……軍馬って普通の馬と何が違うのですか……?」
恐る恐る、といった雰囲気でジークリンデが声を上げる。
そのか細い声にユートもエリアもジークリンデに注目してしまい、ますますジークリンデはおどおどし始めた。
「そういえばあたしも知らないわ!」
慌てたように、取り繕うように、エリアが言う。
「ああ、これは簡単です。気性が違うのですよ。軍馬というものは戦場で敵を恐れない勇猛さを持ちながら、乗り手の意思に従う忠実さが必要です。忠実さが必要なのは荷駄馬や馬車馬、単なる乗用馬と同じですが、戦場というギリギリのところでもそれが発揮されなければならないのです。そして勇猛さは――」
馬のことになると饒舌になるアーノルドに、ユートはエレルにいるアドリアンと一緒だ、と内心で笑った。
「だいたいわかったわ。だいぶ話がずれちゃったけど、結局は伝令や早馬を減らすしかないのね」
「ええ、そうなりますな。早馬に乗用馬を用いるのは難しいですし」
話をぶった切られたのに、気分を害した様子もなくアーノルドはエリアの結論に頷く。
「ありがとう、アーノルドさん」
「いえいえ、では私は仕事に戻りますので」
そう言ってアーノルドが部屋を出て行くと、エリアは自信満々に言い放った。
「じゃあユート、何かいいアイディア出しなさい」
「ちょっと待て。丸投げかよ!」
「だって軍の指揮執ったことあるのあんただけよ。ジークリンデは戦ったこともないし、あたしも副官やってただけよ。軍の指揮官なら、あの時こういう風に連絡を取れたらよかったとか、あたしたち以上に真剣に考えてるでしょ?」
その通りなのだが、エリアに言われるとどうも押しつけられているような感覚が強くなるな、とユートは内心で思いながら、王位継承戦争で戦ったことを思い出す。
「……一番思ったのはアラドの時だな。どこに味方がいるかわからないし、戦いが上手くいっているのかもわからなかったしな」
「ああ、あの時は確かにそうだったわね。レオナたちが情報を集めてくれたからどうにかなったけど、出来ればウェルズリー伯爵の指示も欲しかったわね――あ、レオナたちを早馬のかわりにこき使ったらいいんじゃないかしら!?」
「ニャ!? ニャんてこというニャ!?」
レオナが尻尾を逆立てて怒る。
「レオナ……ダメなのですか……?」
エリアの冗談を真に受けたジークリンデがレオナにそう問いかけると、レオナは困ったような表情を浮かべる。
「ジークリンデ様に言われると断りにくいニャ……」
「冗談よ! 冗談! てかあんた、ジークリンデには弱いのね?」
「当たり前ニャ! ジークリンデ様は純エルフの方だからあちきらからしたらものすごく逆らいにくいニャ!」
「まあオレもせやなぁ……純エルフってな、大森林やと歴史を司っとるねん。せやから、何かしでかしたら千年先まで悪名が残ってまうし怖いわ……」
ゲルハルトの言葉にレオナも大きく頷く。
「そうなんだ。まあいいわ。ともかくレオナをこき使うのは冗談として、ああいう時に連絡を取れるのは重要よね」
「そうだろ?」
そう思いながら、ユートは携帯電話とまでは言わないが、せめて無線機があれば全部解決するのに、と思う。
無線機が難しいなら有線電話でもいいが、有線電話にしろユートに仕組みがわかるのはせいぜい糸電話くらいだ。
電波を飛ばすのにどうしたらいいかなんか知らないし、有線電話にしても電気の作り方なんかよくわからないからまず作れないだろう。
「ねえ、ユート! いいこと思いついたわ。旗でやりとりするのはどうかしら? 確かロナルドさんのフリゲート艦に乗せてもらった時に何か信号でやりとりしてたわよね?」
「確かに旗はいいかもしれないニャ。さすがにアラドの戦いの時みたいな距離じゃどうにもニャらないけど、近い距離なら旗でやりとり出来るかも知れないニャ」
確かに日本でも手旗信号、というものがある、ということは聞いたことがあるし、もしかしたらこれで解決するかもしれない、とユートも期待した。
「ともかく、信号旗のことについて教えてもらいましょう!」
「またアーノルドさん呼び出すのかよ……」
「なんでよ? 信号旗使ってたのはロナルドさんでしょ。ロナルドさん、まだ王都にいるかしら?」
「多分いるぞ。一度レビデムに戻ってからフリゲート艦戦隊をアストゥリアス地峡に回したら時間がかかるから直接アストゥリアス地峡に行くって言ってたし」
そのユートの言葉を聞くと同時にエリアは身支度を始めた。
「何やってるの? あんたたちも出かける準備しなさい!」
エリアが先頭を切ってイーデン提督が宿泊している大隊長官舎へと押しかけると、イーデン提督は嫌な顔一つせず迎え入れてくれた。
ユートも宿泊している司令官公邸と同じように大隊長官舎もいくつか王都に設けられており、大隊長やそれに準ずる者が出張などで王都に来た場合に宿泊する施設だった。
ユートの司令官官舎のように司令部設備まであるわけではないが、一応一戸建ての建物であり、イーデン提督のように供回りも連れていない者にとっては広すぎるくらいの建物だった。
「よう、ユート――ああ、エーデルシュタイン伯爵と呼んだ方がいいか? 元気にやってるみたいだな」
「いえ、ユートで構いませんよ」
「そうか、俺のこともロニーでいいぞ。ところで今日はどうした?」
そう言いながらじろりと辺りを見回す。
ユートが遊びに来る、まではあり得るだろうし、エリアが副官として伴っているのもあり得る話だろう。
しかし、ゲルハルトとレオナという北方大森林の名士にしてユート配下の有力指揮官二人に、ジークリンデまで、となると何事か、と思うのもしょうがない。
「いえ、ちょっと聞きたいことがあっただけなんですが」
「そうか。ならいいんだが……で、聞きたいことってなんだ?」
「えっと、信号旗のことですが……」
「信号旗? ――ああ、艦艇が使っている旗旒信号のことか?」
「そうです。ウェルズリー伯爵から軍馬の削減の為に通信手段を確立して欲しいと言われまして……」
「……大変だな。あの野郎は部下をこき使うことに関しては超一流だからな」
イーデン提督は同情したような目でユートを見る。
「で、旗旒信号を陸軍でも使ってみたい、ということか?」
「そういうことよ」
ユートを押しのけるようにしてエリアが前に出た。
「副官のエリア殿か――いや、今は側室なのか?」
「一応どっちも、ね」
「まあいい。礼則がどうたらというような奴ならともかく、俺もそういうことは苦手だからな」
伯爵の側室と正騎士の礼則と、軍司令官の副官と戦隊司令の礼則だと変わってくるだろうが、どちらにしてもエリアの行動はいささか型破りであることは間違いないはない。
とはいえ、貴族の出ではあるが堅苦しいことは嫌いなイーデン提督はエリアの不調法を笑って許してくれたらしい。
エリアもそうした不調法は相手を見てやっている――例えばアリス王女にはそんな真似はしないし、クリフォード侯爵みたいな頭の固そうな者にもやらないだろう――ところがあり、イーデン提督ならばざっくばらんに話しても問題ないと踏んでいたのだろう。
「旗旒信号を陸軍に導入しようという話なら前に出たことがあったはずだぞ。ただ、海軍と違って陸軍だと余り実効性がない、ということで取りやめになったはずだ」
「実効性がない、ってどういうことなんですか?」
「簡単な話だ。海軍だと艦艇の主檣は海面から数十メートルだ。一方で地上では多少高い旗柱を立てたとしても、十メートルが限界だろうな」
「つまり、見えないってことですか?」
「ああ、単純に高さでも劣っている上に、周囲が海上のように開けているわけでもない、樹木があったりすれば旗旒信号が見えないところもあるだろう。それに海軍は常に風を受けているが、陸軍はそうでもないというのもマイナスだろうしな」
「例えば高台に司令部を置いたらいいんじゃないの?」
エリアはなおも食い下がったが、イーデン提督はおいおい、と言いたげな表情を浮かべながらそのエリアの言葉を即座に叩きつぶす。
「ああ、高台の時ならばそれでいいだろう。だが、常に高台に司令部を置けるとかは限らんからな。そうなった時に伝令が必要になるならば、結局軍馬の削減には使えんだろう」
考えてみれば単純な話であり、またユートたちがすぐに思いつくようなことを王国改革から百年以上の間に誰も思いつかないわけがないのだ。
ちょっと考えて思いつくようなことは誰かが試していると考えた方がよかった。
「……確かにそうね」
「てこった。まあアイディアは悪くはないだろうが、無理なもんは無理だ。魔道具にでも賭けた方がましだぞ?」
イーデン提督が慰めのような言葉にユートは引っかかりを覚える。
「魔道具、ですか?」
「ああ、魔道具だ」
「魔道具って、魔石を燃料にして火を噴いたりするあれよね? 魔道具でどうやって通信するの?」
ユートが魔道具についてよくわかっていない、というのを察したエリアがすぐに補足するように質問する。
「さあな、そういうことは専門家に聞いてくれ。ちょうど王都にいるんだから王立魔導研究所に行けばいいだろうよ」
どうやらイーデン提督も詳しくはないらしく、丸投げするようにそう言った。
「ありがとう! ロニーさん! 一度王立魔導研究所に行ってみるわ!」
エリアは光明が見えた、と思ったのか、それともともかく次ぎに動く先を見つけたからか、顔をほころばせ元気よくイーデン提督に礼を言う。
「ユート、話は変わるけどよ。南方はそうとうきな臭いぞ。俺ももうすぐ赴任するんだが、ちょいと気をつけた方がいいかもしれん」
去り際にイーデン提督はそんな言葉を吐く。
「タウンシェンド侯爵、ですか?」
「ああ、当代タウンシェンド侯爵は相当な愚物か、相当な出来物か。周囲の小貴族を狩猟名目で集めている他にも東海洋方面艦隊や西海方面艦隊にも声を掛けているらしい」
「……それは確かですか?」
「ああ、西方艦隊の海兵隊長をやっているイエロが先行しているんだが、そう伝えてくれた」
その言葉が意味するところはたった一つだった。
周囲の小貴族だけならば、政治的な集団を作っているともとれるが、東海洋方面艦隊や西海方面艦隊――つまり王国軍に声を掛けているということはたった一つ、叛乱を企てているとしか考えられなかった。
「その情報は、ウェルズリー伯爵には?」
「多分今日付で上がってるはずだ。といっても情報部の情報ではないから裏取りを始めないとならんがな」
もしかしてマンスフィールド国内課長が呼ばれていたのはそのせいだったのか、とユートは思ったが、そこら辺を一戦隊司令に過ぎないイーデン提督に言っていいものかわからず、黙り込む。
「まあそういうわけだ」
「……僕は通信手段とか言ってていいんですかね?」
「俺に聞くな。ただレイの指示に従っときゃ間違いないだろうな。あいつは嫌みっぽくて性格がねじ曲がってて不精者で人使いは荒いが、こと情勢判断に関しては間違いはない。そこらへんはジャストやサイラスよりも確かだ」
イーデン提督はウェルズリー伯爵に妙な信頼をしていることを笑いながらそう表現した。
「もしかしたらその通信手段とやらはレイの奴がタウンシェンド侯爵と戦うのに必要と思ってユートに研究させているのかもしれん。だから細かいことは気にするな」
「……わかりました」
「それと、万が一に備えて手元に軍は残しておけよ。俺はもうすぐ赴任するが、後詰めが遅れればこっちは死活問題だ」
西海方面艦隊のアストゥリアス地峡付近の拠点は西アストゥリアスとなるが、そこは南部と南方植民地の境目である。
南方植民地にはろくな軍がいない以上、もし南部貴族が叛乱を企てればイーデン提督を含むアストゥリアス地峡の部隊は敵中に孤立することになってしまう。
「わかりました。といっても今のところ餓狼族の部隊しかいないんですが……」
イーデン提督の忠告にそう頷くと、イーデン提督はそれで十分だ、と言わんばかりに頷いた。
「ユート、任しとき」
帰り道、黙りこくるユートにゲルハルトがそう笑いかけた。
ユートもまたそんなゲルハルトにサムアップして応じる。
国王トーマスの危篤、そして南部貴族の叛乱の兆し、ノーザンブリア王国が大きく揺れていることにユートは不安しかなかった。
「ユート、早く冒険者ギルドをしっかりしたものにしましょう! あたしたちにとって頼むべきは冒険者ギルドよ。貴族の思惑がどうこうって考えてもきりはないし、何かあった時に頼れるのは財力と実力と仲間――つまり冒険者ギルドでしょ?」
「ああ、そうだな」
エリアの言葉にユートは深く頷いた。




