第011話 魔鹿攻防戦・前編
「魔箆鹿!?」
珍しくエリアが混乱した声を上げる。
魔物に対する知識の乏しいユートにはそれが何なのかわからない。
「エリーちゃん、ユートくん、聞いて!」
セリルが最後尾から更に大声で続けた。
「魔箆鹿は魔法を使う魔鹿の変異種。風魔法を使ってくる。本当なら撤退した方がいいんだけど……」
セリルはそう言いながらアドリアンを見る。
アドリアンは左右を魔鹿に囲まれて孤立した格好となっている。
それでも二頭に挟み込まれながら大盾と槍を駆使して耐えながらじりじりと後退してきていた。
「セリーちゃん! アドリアン放って逃げるわけにはいかないでしょ!」
エリアがそう叱咤する。
「エリア、行くぞ!」
ユートはそう叫ぶと、右側からアドリアンを挟み込んでいる魔鹿目がけて火球を放つ。
そして、抜剣するとそのまま突っ込んでいった。
そんなユートに横合いから別の魔鹿が襲いかかる。
十頭そこそこの魔鹿だ。
咄嗟に角の一撃を剣を受け止めるが、軽く弾き飛ばされ、どうにか体勢を立て直して着地する
アドリアンのような大盾を持たないユートにとって、大型の魔物は有利な相手ではない、ということを痛感させられる一撃だった。
だが、ユートはすぐに立ち直ると首筋を狙って剣で突きを入れた。
毛皮で切っ先が滑って浅手とはなったものの、牽制には十二分の一撃となる。
「火球!」
ユートが叫んだ。
だが、興奮と緊張で魔力の制御を誤り、エリアの家で見せたような火炎放射となる。
それが幸いした。
そのお陰で、明らかに魔鹿の群れのうち数頭に怯えが見て取れた。
だが、残りの数頭はエリアとユートに向かってくる。
「押し込むわ!」
小さいとはいえ盾を持つエリアが、腰を低くして魔鹿の突進を盾で受け止め、片手剣で突きを入れ、薙いで押し込んでいく。
エリアがその数頭を引き受けてくれたお陰で、ユートは一時的にフリーとなった。
(いけるか!?)
そうユートが思った時、悲鳴があがった。
「ア、アドリアン!」
セリルだった。
必死に耐えていたアドリアンが魔箆鹿の魔法を受けたのか、十メートル近くも吹き飛ばされていた。
勿論着地なぞ出来ず、もんどりうって地面に倒れ伏す。
どう見ても無事ではない。
「セリルさん、アドリアンさんの援護を!」
ユートは叫ぶと、左手に火球を作りながら、右手で剣を握りしめた。
「らぁぁ!」
ユートはわけのわからない言葉を叫びながら、アドリアンに突進しようとしていた魔鹿に斬り掛かっていく。
魔鹿もまた、自身に向かってくるユートの方を向き直る。
角と剣の一撃。
ユートのスピードに乗った一撃が、どっしりと構えた魔鹿の角にはじき飛ばされる。
だが、その代償に魔鹿の角も真ん中からぽきりと折れる。
「――――」
ユートは腕の痺れに耐えながら魔鹿を睨めつけると、角を折られて不利とみたか、魔鹿が下がるのが見える。
「アドリアン! しっかりして!」
後ろからセリルがアドリアンを気遣う声が聞こえる。
「エリア、下がれるか!?」
「無理よ!」
小型の盾しか持っていないエリアが悲鳴じみた声を上げる。
アドリアンの大盾ならともかく、その盾では下がろうとしたらそのまま食い破られるだろう。
「よし、じゃあそのまま頼む!」
そう言いながら左手に作った火球をエリアの向こう側にいる魔鹿に叩きつけた。
岩場には魔箆鹿を含めて、まだ十頭ほどが残っているようだ。
「岩場のお陰で向こうも引くか出るか悩んでるのが幸いだな」
後ろからアドリアンの声が聞こえた。
「アドリアンさん、大丈夫ですか?」
「あばらをやられちまったぜ」
振り返らずに聞くユートに、そんな弱々しい声が聞こえる。
肋骨を折ったのか、声を出すのも少し痛むらしい。
「内臓はやられていない。激しくは動けないが、戦えないこともない」
アドリアンは現状を正直に告げる。
戦力として一番頼りになる男の戦線離脱は痛い。
「セリルさん、魔箆鹿の魔法をどうにか出来ますか?」
「やってみる!」
そう言うとセリルは集中し始めた。
「炎結界!」
セリルが魔法を行使すると同時に周囲にうっすらと青い炎が見える。
不思議なことに熱くはない。
「魔法を防ぐ火魔法よ。風魔法も大丈夫なはず。ただ、ユートくんが魔法を撃っても消えちゃうから注意して」
セリルの言葉を聞いて、ユートは苦戦しているエリアの一番近くにいる魔鹿の間に割って入る。
「あんた、風魔法に気をつけなさいよ!」
エリアはセリルとの会話を聞いていなかったようだ。
実際、見えない風魔法は躱しづらいらしい。
素早さでいえばアドリアンよりも上のエリアが進むに進めず、引くに引けず、という状況に追い込まれていたのは、間違いなく風魔法のせいだ。
「大丈夫だ!」
そう叫ぶと、魔鹿目がけて斬り掛かる。
盾を持っていないユートにとって、先手を取って攻め続けないと劣勢に追い込まれてしまう。
一撃、二撃と斬撃を放ち、魔鹿に主導権を握らせない。
(いける!)
ユートがそう思った途端、ぐらりと視界が揺らいだ。
「大丈夫か!?」
アドリアンの声が聞こえる。
(なんだ!?)
そう思いながらユートは取り落としそうになった剣を握り直す。
だが、その間に魔鹿は体勢を立て直し、ユートは守勢に追い込まれる。
(風魔法か?)
「ユートくん、余り動かないで!」
ふと振り返ると青い炎が後ろ、つまりユートとセリルの間に見える。
いつの間にか炎結界の範囲外に出たようだった。
ユートは守勢に追い込まれて角の突きや薙ぎに剣で応じる。
膠着した戦いとなるが、風魔法を警戒しながら複数を相手にしているエリアに比べれば楽だ、と思い直す。
そう覚悟を決めて、幾度か剣で角の突きや薙ぎを受けた。
幾度か撃ち合ったあと、するりと剣で角の薙ぎを受け流す。
ユートの不意を突いた受け流しに、魔鹿はその受け流しに体勢を崩した。
「死ね!」
気合とも罵声ともつかぬ声がユートの口から発せられて、鋭い突きが放たれた。
体勢を崩した魔鹿はその突きを受けきれずに首筋に綺麗に決まった。
真っ赤な血が噴き出し、魔鹿の毛皮と、そしてユートの真新しい胸甲を汚す。
「よし!」
手応え抜群の突きに、ユートは歓喜の声を上げた。
断末魔の魔鹿は角を振り回し、最後の抵抗を試みる。
だが、それも一度、二度と振り回した時点で鈍っていき、そしてどう、と倒れた。
「エリア、下がるぞ!」
ユートはエリアと戦っている魔鹿を軽く斬りつけて牽制する。
「倒したの?」
「ああ、これで二頭確保した」
「上出来!」
ユートの言葉に頷いて、エリアは盾で巧みに魔鹿の攻撃を防ぎながら下がっていく。ユートも剣で突き、払って、牽制しつつ下がっていく。
ユートたちが下がっていくのを見て、魔鹿も深追いはしない。
獰猛な魔物の中では魔鹿はまだ温和しい方で、積極的に人間を狩るような真似はしないようだ。
「すまんかった!」
下がってきたユートとエリアにアドリアンが詫びる。
「何言ってるのよ! 名誉の負傷よ! 名誉の負傷!」
エリアはそう笑い飛ばした。
「問題はあいつらがいついなくなるか、ですね」
ユートはそう言いながら、ちらりと岩場の方を見る。
そこには魔箆鹿を中心に、まだ魔鹿たちがたむろしている。
「魔鹿は岩場を好むとは聞くけど、住んでるわけじゃないはずなんだがな」
「まあ様子を見てみましょ!」
エリアがそう締めくくった。
それから数十分が経過したが、魔鹿たちは動く気配を見せなかった。
「不味いわね」
エリアが焦りを見せる。
「一応二頭とも頸動脈を切ったみたいだから肉は大丈夫と思うけど……」
「それもまずいかも。あれだけ血が出てるのよ。早く回収しないと魔物が寄ってくるかも……」
エリアとセリルが心配そうに話す。
魔鹿たちは仲間の仇を討とうというのか、それとも岩場に何かひきつけられるものがあるのか、立ち去る気配は微塵も見せていない。
「……よし、無理にでも回収するぞ」
一時間が経とうとした時、アドリアンが決断した。
「俺はこの様だから戦うのは無理だが、魔鹿を運ぶくらいは出来る。悪いがエリア、ユート、セリルで引きつけてくれ」
「もうちょっと待ってみたら?」
エリアがそう言ったが、アドリアンは首を横に振った。
「もう夕暮れまであと三時間はないだろう。この後、最低限の解体をすることを考えたらぎりぎりだ」
アドリアンの言葉にエリアも黙らざるを得ない。
「魔箆鹿への対策はないです? 風魔法を封じないと厳しいです」
「さっき使った炎結界しかないわ」
セリルの言葉にユートは考え込んだ。
炎結界は確かに魔法を防いでくれていたらしいが、少し動いただけで範囲外になるのは頂けない。
「火魔法は攻撃魔法が多いのよ……防御魔法は炎結界と炎柵の二つしかないわ」
「その炎柵ってのは?」
「火の壁を作る魔法ね。攻撃はすり抜けるから使い勝手が悪いわ……」
結局のところ、セリルが言うように火魔法というのは皮を斬らせて骨を断つような、攻撃特化魔法だということなのだろう。
ユートは少し嘆息した。
「炎結界の有効範囲はどのくらいですか?」
ともかく風魔法を防ぐ方法を考えないと、出て行ったところでまだにっちもさっちもいかなくなるのは目に見えている。
「百メートルくらい先に炎結界を張ることも出来るわ。ただ、守れる範囲は直径で五メートルくらいだけど……」
「でも余りにも速く動かれると追いかけるのが出来ないけどね」
つまり、先立っての戦いで突然風魔法を受けたのは、ユートの動きに炎結界の追従が間に合わなかった、ということらしい。
「炎結界って自分でも出せますか?」
「ええ、出来るし、出しながら動くのも出来るわ。一か八かやってみる?」
「お願いします」
エリアはそんなユートたちを黙ってみている。
「火炎放射を見る限り、ユートくんは放出が得意そうだからたぶん上手くいくわ。魔力を放出して、その魔力を自分の周囲に纏わり付かせてみて」
セリルに言われた通り、ユートは魔力を放出し、自分の周囲に纏わり付かせる。
このあたりは感覚的なものであり、魔法がイメージ力、と最初にセリルに言われたのをユートは思い出した。
「あとはその魔力が他の魔力を食らい尽くすようなイメージね。」
(食らい尽くす……中和、みたいなイメージでいいのか?)
ユートはセリルの言葉を自分の言葉に変換する。
(中和……中和……)
心の内でそう呟きながら、目をつぶって周囲の魔力が他の魔法を中和するイメージを描く。
「出来てるじゃない!」
エリアが歓声を上げた。
ユートが目を開けると、周囲には薄く青い炎を纏っていた。
「イメージをただの炎にすれば炎柵になるわ」
そう言われてユートはすぐにイメージを念じて炎柵に変えてみせた。
ユートの周囲を紅蓮の炎が覆う。
「こっちの方が簡単ですね」
「まあそうよね。ただ魔力を燃やすだけだもの」
セリルも少し苦笑いを浮かべる。
簡単だが、防御としてはかなり心許ない。
確かに近寄って攻撃することは出来ないが、弓矢で攻めたり出来るし、槍や、場合によっては剣でも炎柵の外から攻撃できる。
故に防御としては相手の意思頼みであり、物理的に攻撃を遮断する方法ではないので、心許ないのだ。
(ちょっと待てよ……これ一度に二つは出来ないのか?)
ユートはその閃きを即イメージに直す。
「今度は炎結界と炎柵の多重行使をしたの? いいイメージ力ね。本当にユートくんには驚かされるわ」
今度はセリルが驚きと呆れの入り交じった声を上げる。
「まあ使い道はほとんどないけどね」
「セリルさん、これって他の人に付与することって出来ますか?」
「ええ、出来るわ。でも余り意味は無いし、そろそろ魔鹿を回収しないと……」
炎結界ならともかく、炎柵は今回の戦いには関係はない。
魔法は後でも教えられるが、魔鹿の回収は一刻を争っているのだ。
「この二つを組み合わせたので、魔箆鹿を囲ったらどうなります?」
ユートの言葉にセリルは虚を突かれた表情となった。
結界系の魔法を相手に行使するという発想がなかったのだろう。
「中から魔法は撃てないし、炎柵のせいで出るに出れなくなりませんか?」
「……確かにそうなるわね。もしかしたらダメージを覚悟で炎柵を突破してくるかもしれないけど」
「じゃあ……」
「ただ、ユートくんの魔力が保つかが心配だけどね。炎結界は打ち消した魔法と同じだけ、自分の魔力を消費するし、炎柵は常に火炎放射を行使してるようなものだから魔力消費は激しいわ」
片方だけならともかく、両方とも、というのは厳しい、ということなのだろう。
セリルは思案顔になる。
「私がどっちか一つ受け持った方がいいかな……」
「いや、それならユートにまずやらせた方がいいと思うぜ。セリルはエリアのサポートに回って、ユートの魔力が尽きたら炎結界で最低限守ればいい」
そこまで黙って聞いていたアドリアンがそう言い出した。
「いくら魔箆鹿の魔法がなくなってもエリア一人で戦うのは難しい。魔力が尽きた後のユートは剣で戦えるしな」
理に適っているアドリアンの意見に反論は出ない。
「よし、すぐに片を付けるぞ!」
アドリアンが痛みをこらえて叫んだ言葉に、ユートたちは頷いた。




