第104話 ウェルズリー伯爵の叱責
昨日は体調不良のため、更新をお休みしてすいませんでした。
今日の更新と、明後日にもう1度更新して今週の更新とします。
王都シャルヘンに留まることになったユートたちだったが、何かやることがあるわけではない。
アナはユートの屋敷と王城の間を行ったり来たりしながら父であるトーマス王を見舞っている。
別にユートとしては王城に住んでいてもいいのだが、と思ったのだが、アナはトーマス王も一日ずっと起きているわけでもなく、その間を一人で王城にいるならばユートの屋敷の方がいいと主張して毎日通うことになったのだ。
本来なら婚約だけなのだから、アナは王城で暮らすのが自然ではないかとも思ったが、ここら辺は大森林――というよりジークリンデとの関係を重んじたらしい。
アナの年齢がまだ九歳ということからジークリンデも婚約という形となってしまった上に、王都シャルヘンの迎賓館で暮らすにしろ大森林の森都で暮らすにしろユートと離れて暮らすということを王国側から言い出す勇気はなかった、ということだった。
もちろん王女であるアナがそうした婚約と結婚の間の中途半端な状態に置かれるということはどうかと思う向きもあったのだろうが、トーマス王の言葉や、そもそもそういうことを言ううるさ型のシュルーズベリ侯爵が病気でそれどころではない、ということで貴族社会からは黙認されている。
「それにしても、暇ね」
エリアはアナには悪いと思いながらも、暇という気持ちを隠すことは出来なかった。
「なら代わってくれ」
ユートはうんざりしたように言う。
ユートは王都に留まっている間、ウェルズリー伯爵の相談役というか愚痴聞き役に近い立場となっていた。
王国政界の暗闘からの武装蜂起になどならないよう、しっかりと見張っている必要があるのだ。
それに加えて王位継承戦争に関わった中央軍と南方軍の綱紀粛正、王都乱闘事件を起こした北方軍の再編と、王国が誇る陸軍五軍のうち三軍に問題が生じている有様であり、ウェルズリー伯爵はいくら仕事をしても仕事が終わるような状況ではないらしい。
当然、ユートもその仕事を手伝うことになっていたが、終わりのない仕事に嫌気が差して早くエレルに戻りたい、と思うようになっていた。
「副官としてなら手伝うけど、あたし今はあんたの側室なのよ?」
そんな訳のわからない理屈で丸め込まれ、ユートは今日も今日とて軍務省への道を歩く。
「そういえばシルヴィは初めてですね」
すっかり頬がやせこけ、生気を失った顔をしているウェルズリー伯爵が一人の男を執務室で紹介してくれた。
軍務省情報部内国課長シルヴェスター・マンスフィールドだった。
ウェルズリー伯爵の一つ上、シーランド侯爵やイーデン提督と同期生であり、例の王立士官学校執行委員会横領事件の主犯の一人だ。
軍人とは思えないほどの痩せぎすで青白い顔にぎらぎら光る目が印象的な、小男だった。
「シルヴェスター・マンスフィールドだ」
短くそれだけを言った。
「ちょっと頼んでいた情報が上がってきたんですが、ユート君も一緒にどうですか?」
「え、ええ」
内国情報――王国国内の情報ということは十中八九、タウンシェンド侯爵家の後継者トリスタン関係だろう。
トリスタンは盛んに
「トリスタン卿は来月あたり、在所の貴族に声を掛けて巻き狩りをやるようだな」
「ほう、それはそれは――あの人は狩猟が趣味でしたっけ?」
「そんなわけはないだろう。巻き狩りに見せかけた貴族領軍の演習、あと指揮官の顔合わせと見るべきだ」
マンスフィールド内国課長の言葉にウェルズリー伯爵も頷く。
「ちなみにジャストは?」
ユートもまたよく知るクリフォード侯爵は引き継ぎを済ませると南部のクリフォード侯爵領へ帰って謹慎をしていた。
「ジャストは参加するという情報はない。しかし、クリフォード侯爵家とタウンシェンド侯爵家の関係を考えれば何らかの音信はあって当然だろう」
「それでいながらジャストがこっちに連絡を寄越さない、というのは……」
「同心はしていないだろうが……」
マンスフィールド内国課長は口ごもったが、完全に味方かどうかもわからない、ということだろう。
もちろんユートも、そしてウェルズリー伯爵やマンスフィールド内国課長もクリフォード侯爵の人柄は信じているが、クリフォード侯爵一人が決めることではなくクリフォード侯爵家として決めるとなると、決して一人で決められるわけではない。
家中には先立って戦ったアリス王女やウェルズリー伯爵に対する反発はあって当然だし、そうした家中をクリフォード侯爵が完全に御せていないから態度をはっきりできない、ということもあるのかもしれない。
「ではシルヴィは引き続きタウンシェンド侯爵家の見張りをお願いします」
「ああ、わかった。出来れば早馬をいくつか用意して欲しいんだが……」
「わかりました」
マンスフィールド内国課長が出ていくと、ウェルズリー伯爵は深いため息をついた。
「クリフォード侯爵ですか?」
「ジャスト? ――ジャストは別に心配していませんよ。謹慎ということはジャストの性格を考えると政務に口を出してないんでしょう。ロドニー君――ああジャストの息子ですが――ロドニー君がどうしていいかわからないだけでしょう」
「じゃあなぜため息をついてたんですか?」
「仕事の書類が見たくないからです」
ウェルズリー伯爵に余りにきっぱり言われてしまってユートはどうしていいかわかなくなる。
「いえ、もちろん仕事をしたくないというのもあるのですがね。それ以上に軍の補正予算案なんか見たくないんですよ」
「どういうことです?」
「王国では会計年度は暦年――つまり一月一日から新しい会計年度です。そして、もう固定費を払う以外の予算はありません」
ウェルズリー伯爵の余りにきっぱりとした言葉にユートはえ、と思うだけだった。
「…………もうないって、今はまだ八月にもなっていませんよね?」
「ええ、上半期で物資を派手に使いましたから予算を使い切りました」
上半期に物資を派手に使った、というのは要するに王位継承戦争のことだろう。
「それに加えて情報部を派手に動かしていますから予算がかかりますし、演習や通常訓練だって全くやらないわけにはいかないでしょう。それにもし万が一、南部で何かあった時に備えての物資の集積も始めておかねばなりません」
「物資の集積?」
「ええ、軍の輜重段列はあくまで物資を運んで必要な時に必要な部隊に渡すのが仕事です。その輜重段列に物資を渡す集積所を作っておかないとなりません」
なるほど、と思った後、あれ、とユートは思う。
「王位継承戦争の時はそんなことをしていなかったような気が……」
「あの時はあなたが北方に出かけている間にサマセット伯爵がやってくれていましたよ。お陰で北方軍も西方軍も副官が物資を探して駆け回らなくて済みました」
「へえ」
知らなかった、とユートは感嘆の声を上げる。
「ユート君、君は戦場以外のことに無知すぎる」
珍しくウェルズリー伯爵が硬質な声を出した。
「え、いえ……」
「もちろん君が事実上の軍司令官代理という仕事を好んでやっているわけではないことは承知しています。しかし、あなたの座っている軍の司令官代理という席は、多くの優秀な士官がそこに座りたいと心底願い、何十年も研鑽を積んで、それでも座れないものが大多数の席なのですよ」
「…………」
どこかでウェルズリー伯爵の虎の尾を踏んでしまったらしいが、そんなことを言われても、と思いつつ黙っている。
「もちろん、ユート君が悪いわけではありません。しかし、君は今、軍を率いている。望もうが望むまいが、伯爵として軍を率いているのは事実です。しかも君は今、まだ二十四だ。君が私の年齢になった時、私とは比べものにならない経験値を持った司令官になっています」
ウェルズリー伯爵の言葉は、いつしかいつもにはない熱意を帯びてきていた。
「三十年後、君が誤ったことを言っても、誰もそれを糺すことはできないでしょう――それこそ王となられたアリス女王陛下であっても。王女を妻とした伯爵で、女王陛下の信頼も篤く、三十年に渡って軍を率いてきた英雄の言葉はそれだけ重いのです。その時、私やサイラスはもう誤りを正してやることも出来ない。あなたはそうした立場に将来なることを頭の片隅に置いておいて欲しいのです」
「……わかりました」
「もちろん、いきなり二十四――私ならばまだ小隊長をやっていた頃の若者を捕まえて、一軍の将として振る舞え、その知識を持っておけ、というのは無茶であることはわかっています。でも君は将来軍を担う人になる。その時の為に心構えだけは持っていて下さい」
ウェルズリー伯爵の言葉をユートはもう一度噛みしめながら、頷いた。
「わかればいいのです。ところで、ですね。私の仕事を一つやりませんか?」
朗らかに笑ってウェルズリー伯爵がユートを見る。
ユートは嫌な予感しかしなかったし、今までの話は何なのだ、と思わないでもない。
だが、ウェルズリー伯爵は朗らかな笑みの裏で目は笑っているどころか、まるで獲物を見つけた肉食動物のようにらんらんと輝いていた。
「……すごく嫌な予感しかしないんですが……何ですか?」
「いえね、色々とあるんですが、早馬が足りないというのを解決しませんかね? 今、王国軍では早馬――いえ、軍馬が足りないんですよ」
「軍馬を買い付けてこい、ということですか?」
「まさかまさか。そもそも軍馬は馬格もよく、戦場の騒音にも怯えないような馬ですからすぐに育てられるものではありません。その上、馬産地の一つである南部からの供給をタウンシェンド侯爵が絞っているようで」
つまり、先代タウンシェンド侯爵が消耗した分の軍馬を、当代タウンシェンド侯爵が供給を絞ったせいで補充できていない、ということらしい。
「正面部隊はなかなか減らせませんから、当然早馬などのあたりにしわ寄せがいっています。そこで、伝令が使うような通信手段が欲しいのです」
ウェルズリー伯爵の言葉にユートはどうしたものか、と悩む。
「ほら、ユート君もエレルとレビデムの間を結ぶ通信手段が必要と言っていたでしょう? 軍の予算でその通信手段を作れるのです。私も仕事が減って嬉しいですし、ユート君も自分のためにもなるでしょう」
確かにそれはその通りなのだが、ユートの発想では無線電話とか有線電話とか、そういう日本のものしか浮かばない。
この世界ではどうも魔法があるせいで科学の発展が相当遅れているようであり、仮にユートが無線の仕組みやらを詳しく知っていたとしても――現実には知らないのだからその仮定に意味は無いのだが――その知識を現実にするだけの技術があるとは思えなかった。
「ま、まあやってみるだけなら……」
「わかりました。助かります」
気付けば仕事を一つ押しつけられた格好になっていたが、しょうがない、と諦めることにした。
そして、屋敷に戻ってエリアにこの話をしたところ、大喜びをしていた。
「ちょっと、あたし暇だったのよ! なんか面白そうじゃない。新しく何かをするって」
「副官としてならともかく、側室としては、って朝言ってたの誰だ?」
「なによ!? あたしにやらせない気なの!?」
エリアが格好の暇つぶしを見つけたと目を輝かせているのをユートには止めることは出来なかった。
「…………あの、旦那様…………」
大はしゃぎをしているエリアの後ろから、か細い声が聞こえる。
真っ白の肌に、白に近い銀髪の純エルフの少女――ジークリンデだった。
「ん? ジークリンデ? どうしたの?」
「……なにやら、楽しそうなお声が……」
「ああ、楽しそうなことが見つかったのよ!」
エリアは張り切ってそう言った後、いいことを思いついた、と言わんばかりにぽんと手を打った。
「ねえ、ユート! ジークリンデも一緒に、三人でやらない?」
「いや、別にお前と二人でやるつもりはなかったんだが……」
「じゃあ三人でもいいわね!」
「どういう解釈だよ!?」
そう突っ込みをいれているが、エリアはエリアなりにユートとジークリンデの間に距離があるのをわかっていて敢えて言ってくれているのだろう。
何かを一緒にすることで少しは距離が近づけばいい、とユートも思う。
「どうせだからアーノルドさんやゲルハルト、レオナも含めて話をしてみようぜ。これ、上手くいったら冒険者ギルドの財産になるかも」
「どういうこと?」
「もし俺たちだけが通信手段を持ったら色々と金になりそうと思ったんだ」
「……確かにそれはそうかもしれませんね」
「ふーん、そうかしら。私は伝書の仕事を消しそうな気もするけど」
「速報と書面は違うだろう?」
ユートが想像しているのは電報局のような仕事だった。
一文字いくらで速報性の高い通信が出来ればパストーレ商会みたいな商会はすぐに乗ってくるのではないか、と思うし、恐らくそれは間違っていないだろう。
「まあいいわ! じゃああたしたち家族の、最初の仕事はその伝令のかわりになる通信手段を作ること、ね!」
エリアはそう張り切って大笑した。
妙な“初めての共同作業”だな、と思いながらもユートはもまた笑っていたし、ジークリンデも微笑を浮かべていた。




