第102話 王都乱闘事件・後編
ユートがエリアとレオナを伴って宿舎に戻ると、既にゲルハルトは餓狼族大隊を整列させていた。
「ユート、準備は出来とるで」
「ああ、すぐに行くぞ」
ユートの指揮の下、餓狼族大隊のうち二個中隊四百名ばかりが内務省警邏本部に向かって駆け始める。
残りは万が一に備えてレオナの指揮で宿舎に待機、ということになった。
餓狼族と妖虎族は別の氏族ではあるものの、別に仲が悪いというわけでもないらしい。
むしろ余り付き合いのあるわけでないアーノルドあたりの指揮よりも妖虎族の族長の娘であり名前の通ったレオナの指揮をすんなりと受け容れていた。
「ユート、割って入って諭せばいいの?」
「まあそうなるだろうな」
エリアがすぐ横に自分の馬を併走させながらユートに訊ねる。
正直、現場に行ってみないとどの程度混乱しているかわからないので駆けつけてから考えているが、ともかく軍と警邏隊のいずれも武装解除が最低条件と思っていた。
「あそこやな」
ゲルハルトが速歩の馬の速度と大差ない速さで駆けながら前方を指差す。
指差された方を見ると、確かに邏卒の制服を来た者たちと、軍の制服を来た者たちが睨み合っている。
「ちょっと、あの数なによ!?」
エリアが驚きの声を上げたように、気付けば百や二百ではきかない数が集まっている。
双方とも増援を出して睨み合っているのか、野次馬たちなのかわからないがもし全てと乱闘になればただでは済まないだろう。
「ユート、隊列整えるで」
速歩と同じ――時速十キロを超えるような速度で駆け込んでいくと、何事かと思った兵たちが暴発して不測の事態を招きかねない。
それよりも旗幟を鮮明にして堂々と割って入ることが重要だった。
ユートも頷いて、ゲルハルトが餓狼族大隊の隊伍を整えさせるのを待つ。
向こうも気付いているだろうが、隊伍を整えている部隊を見ていきなり攻撃を仕掛けようとか、そちらに備えて部隊を動かそうというほど煮詰まっているわけではないらしい。
「ええか、千や二千でビビるんやないで!」
ゲルハルトが発破を掛けると、おう、と餓狼族の若者たちが応じる。
「ほな、突っ込もか」
ゲルハルトはそう言うと、ユートの馬の横に並んだ。
「軍務卿ウェルズリー伯爵レイモンドの命により、王都を騒がす不逞の輩の排除にきた。西方混成兵団長ユート・エーデルシュタインである。内務省警邏本部、北方軍双方に告ぐ。剣を捨てて投降せよ」
ユートが堂々と名乗ると、警邏本部、北方軍双方に動揺が走った。
ユート・エーデルシュタインといえばポロロッカでは単身敵中に潜入し黄金獅子を討った英雄であり、王位継承戦争では王女派軍の先鋒を担って二度の会戦で決定的な働きをした将軍である。
加えて第二王女であるアナ、大森林の姫君であるジークリンデと婚約することも周知の事実となっているアリス王女の股肱であり、ウェルズリー伯爵の腹心である以上、下手なことをすると政治的な立場を失うことは確実、と警邏本部側は怯んだ。
また、北方軍側はユート個人の勇名もさることながら、後ろに率いている兵たちを見て恐怖した。
率いているのは雷神ゲルハルトに率いられた餓狼族であり、その手強さはほんの半年ちょっと前までしょっちゅう戦っていた北方軍の骨身に染みている。
その餓狼族と、戦列を組めるならばともかく市街戦ともなれば数倍の兵がいても一方的に虐殺されるだけだろうと兵が動揺したのだ。
双方が動揺しているのを見て安堵しながらユートは堂々と中央に割って入った。
「警邏本部に聞く。警邏本部は王都王領の治安を維持し陛下の御宸襟を安んじ奉ることこそがその職分のはず。このような騒乱事件を起こすのが仕事か?」
そう怒鳴りながら、ユートは恐怖していた。
いくら英雄だなんだと言われても、命を落とすには矢の一本で十分だ。
いくら英雄でも、三本も四本も心臓に矢を射られて生きていられるわけがない。
「北方軍に聞く。軍の任務は敵を排し陛下の御宸襟を安んじ奉ることこそがその職分のはず。このような騒乱事件を起こすのが仕事か?」
幸いなことに双方ともにしわぶき一つ聞こえない。
「私は北方大森林、餓狼族族長が子雷神ゲルハルト・ルドルフである。我が友ユートの命に従い、双方ともに直ちに武装を解け。さもなくば、討ち果たす」
ユートの前に出たゲルハルトがぶん、と狼筅を一閃する。
ある程度ゲルハルトの見せ場を作っておかねば、ジークリンデの婚約が伸びたことに対する北方大森林への言い訳にならないので敢えて派手にやっているらしい。
「命が惜しい者は急げ!」
ゲルハルトがもう一度怒鳴ると、その勢いに押されたかのように北方軍の兵士たちが剣を投げ捨て始めた。
彼らは恐らく餓狼族の怖さが身に染みているのだろう。
そして、それがきっかけとなって警邏本部の者たちも剣を投げ捨て始めた。
「ゲルハルト、悪いけど全員捕縛してくれないか?」
「わかっとる。任しとき」
そういうとゲルハルトは手際よく縄で縛り上げていく。
「これは軍礼則に反するものだ!」
餓狼族の若者にすごまれて脂汗を流しながら北方軍の士官が縛られながらそう抵抗する。
「礼則なんか知らんわ! お前ら要するに王様に逆ろうたわけやろ? そんな奴に当てはめる礼則なんぞあるかいや!」
ゲルハルトが一喝し、それでも騒ごうという士官や兵たちはご丁寧に猿ぐつわまでして全員を捕縛し終わった。
「ユート、こいつらどないするんや?」
「とりあえず軍務省に連行して……見張り立てて演習場か王立士官学校の営庭あたりで拘束かな?」
「わかった。ほなとりあえずウェルズリー伯爵のところに連れて行こか」
ゲルハルトはそう言うと、部下たちに指示を出した。
数百人の逮捕者を出しながらも、こうして王都乱闘事件は一応の終結を見ることになった。
「それにしても頭が痛い」
全員を捕縛して戻ってきたユートたちの前でウェルズリー伯爵はまた頭を抱えていた。
「ユート君、かわりに軍務卿やりませんか?」
「絶対嫌です」
「ハントリー伯爵はジークリンデ殿下のところにお詫び行脚だそうですよ。アリス王女もお詫びに行かれるようです」
まあ邏卒と兵士が喧嘩したから婚約などの式典を延期させてくれ、というのだ。
一応ゲルハルトが大立ち回りのふりをしていたし、大立ち回りをしたことになっているが、だからといって王国側の借りが少し減った程度である。
「アリス王女は激怒のようです」
まあそれはそうだろう、とユートすら思う。
自分の立太子礼を行うのに、邏卒と兵士が喧嘩して延期など面目が丸つぶれだからだ。
「まあユート君と私、それにゲルハルト君には嘉賞の言葉があるみたいですがね。事態の早期収拾に貢献した、ということで」
「それで、どうするんですか? 潜在的な対立はまだあるでしょう?」
「ええ、ありますよ。とりあえずハワード男爵とテンビー子爵は謹慎で表面的には収まっていますが……」
二人とも混乱を収める側であったのに拡大したという咎により謹慎を申しつけられており、恐らく二人とも軍務省、内務省を去ることになるだろうと考えられていた。
「おまけにそれでは手ぬるい、除封あるいは転封を、という勢力もいましてね」
当然それは二人とは違う派閥――つまりウェルズリー伯爵やハントリー伯爵の派閥ということだろう。
「情勢が複雑怪奇にもほどがありますよ……」
「誰がどうなっているか、私にすらわかりません。派閥の領袖と言われても私の知らない子分がたくさん、なんですから」
ウェルズリー伯爵は疲れ切った笑みを浮かべる。
戦場ではまず見ることのない笑顔だ。
「ともかく、明日にでもアリス王女殿下には早急に内務卿を決めるよう具申するつもりです。これだけ荒れているのは、結局のところアリス王女がそれを先延ばしにしているからでしょう」
「大丈夫ですか?」
「むしろ内務卿に移る目がない私にしか言えないことでしょう」
ウェルズリー伯爵はそう言うと、力なく笑った。
翌日、ユートはウェルズリー伯爵とゲルハルトとともに王城に登城した。
「面を上げなさい。よくぞ来ました」
大広間、空の王座の横に立つアリス王女が拝跪するユートたちにそう微笑みかける。
大広間の両側には七卿のうち健在な五人しかおらず、この手の集まりにはいつも呼ばれているサマセット伯爵とハミルトン子爵はいない。
「ルドルフ卿、我が国の失態を収めて頂きありがたく思います」
「いえ、我が友の頼みに従って動いたまでのこと」
ゲルハルトは鷹揚に頷いた。
「ウェルズリー伯爵レイモンド卿、あなたも軍務卿として最善の判断でした。その職分を真摯に遂行すること、このアリス、感銘を受けました」
「はっ」
「ユート卿、あなたにはまた世話になりましたね。鎮圧ご苦労です」
「いえ……」
「ところで殿下」
アリス王女が三人を労ったタイミングを見計らってウェルズリー伯爵が声を上げる。
「レイモンド卿、発言を許します」
「はっ。昨今王都におきまして、人心が動揺し、官吏も心あらずといった風情なのは一にも二にも誰が国王の不予にあたり補弼されるのかいまいちはっきりせぬところがあるのが大きな要素ではないかと臣レイモンド、愚考するところであります。つきましては早急に……」
「わかっております」
アリス王女は頷いたが、その目には怒りがあった。
「レイモンド卿、言いたいことはわかっております。宰相ハーマン卿が病に倒れ、内務卿も空席となっていることが此度の騒ぎの大元である、ということでしょう」
「その通りでございます」
「では、陛下より与えられし摂政の権を以てこの摂政アリスが命を下します。内務卿はハントリー伯爵フレデリック卿を任じましょう」
アリス王女の即断即決にユートは驚いたが、ウェルズリー伯爵はそうだろうな、という顔をしていた。
恐らく内務卿の座を巡って――本人たちが意図したわけではないとはいえ――角逐した結果、今回の騒動を起こしてしまった二人に対する結果責任を問うた、ということなのだろう。
「まあ、予想通りなのです」
ウェルズリー伯爵はすぐに軍務省へ戻っていったが、ユートはゲルハルトと共にアナのティールームへと呼ばれていた。
「姉様は私の婚約の発表が遅れたことに激怒して泣いていたのです」
恐らくその涙は政治的などうこうではなく可愛い妹の晴れの舞台を台無しにされた涙だろう。
意外なアリス王女の側面に、ゲルハルトは目を見開いて驚いている。
ユートも意外ではあったし、あのメンザレからレビデムへの道中がなければ驚いていただろうが、ユートがふと話題に出した星に願いを祈る話を信じていたアリス王女を知っているからそこまで強い驚きはなかった。
むしろアリス王女自身も立太子礼を台無しにされているのにアナのことが先に立つあたり、アリス王女らしいな、とすら思っていた。
ただ、それとは別に心配事もあった。
「大丈夫なのかな?」
「何がなのです?」
「サマセット伯爵もハミルトン子爵も最初の頃からのアリス王女の与党な訳だろ? それが狙っていた内務卿になれないどころか、アリス王女の勘気を被った形になったし……」
「まあいくらなんでも暴発はせんやろうけどな。いくらハミルトン子爵が王国の英雄言うてもいざ叛旗を翻したらそこまでついていく奴は多ないやろ。あくまで英雄を神輿にして王国内で上手くやりたいだけで、新しい国を作ろうとかそういう野望には見えへんし」
ゲルハルトは楽観的だったっが、アナは眉間にしわを寄せる。
「多分、姉様はほとぼりが覚めた頃に七卿入りをさせると思うのです。今回の一件でパトリック卿もブラッドリー卿もフレデリック卿には一歩遅れを取りましたし、年齢的にも宰相の目はなくなりましたが、それでも別に粗略には扱っていない、と示すと思うのです。ただ……」
アナはそこで口ごもる。
「今回の一件で南部貴族がどう出るかわかりらないのです。パトリック卿とブラッドリー卿の与党も動揺している中で、南部貴族までが何かを起こせば……」
要するに今回の一件でアリス王女の統制がいまいち利いていないことが露呈して、政治基盤が揺らいでいる、ということなのだろう。
アナはそんな姉を心配して眉間にしわを寄せていた。
「ふわっ!?」
そんなアナの眉間をユートがもんでやるとアナがすごい声を上げた。
「アナ、そんな悩むなよ」
「ユート」
「そりゃ悩ましいだろうけどさ、俺だってエリアだってレオナだっているんだぞ? 今はいないけどアドリアンさんやセリルさんも」
「おいおい、オレのこと抜かしてるのはわざとか!?」
ゲルハルトがそう絡んでくる。
「いや、ゲルハルトは……」
「おいおい、ユート、水くさいで。お前とオレの中は石神様のお導きなんや。何かあってもオレはお前とアナの味方したるがな。レオナとオレの名前――まあ妖虎族どもや餓狼族の名前はそれなりに有効やで」
ゲルハルトはそう言うとにかっと笑った。
「やからアナの嬢ちゃん。死の山で言うたやろ。いつでも餓狼族頼ったらええんやで」
「ユート、ゲルハルト……ありがとうなのです」
アナはそういって笑顔を見せたのでユートはほっとしてた。
そして、同時に宰相が決まったとはいえ、まだまだアリス王女の治世は前途多難である、と暗澹たる気分となった。




