第101話 王都乱闘事件・前編
本日も二話更新です。
アリス王女たちが王都シャルヘンに入ってから一週間ばかりが経過した。
月が変わって五月となっており、冬の寒さからは完全に解放されて暖かくなっており、太陽ももうすぐ夏の日差しにかわるだろうと思われていた。
そんな日差しに歩を合わせるかのように王都シャルヘンの雰囲気も随分と明るくなっており、アリス王女の立太子の礼と摂政就任の式典が準備されていた。
ユートもまた、その式典にあわせて伯爵への陞爵を行うことが決まっており、同時にアナ、ジークリンデとの婚約も発表される予定だったほか、エリアも正騎士に叙任される予定だった。
国王が重病とはいえ、そうした立太子の礼や叙爵式はそれなり以上の盛大さで行われることになっており、内務卿不在の内務省を中心に、ハントリー伯爵、サマセット伯爵が中心となって準備が進められていた。
「叙爵式はまだかよ……」
そんな中、叙爵式を一番心待ちにしていたのは、ユートでもエリアでもなく、アドリアンだった。
「アドリアン、あんた一度エレルに帰ってもいいのよ?」
エリアが心配げにしながらも頑としてエレルに帰ろうとはしないアドリアンにそう勧めたが、言うことを聞こうともしない。
ユートが伯爵になり、その家人として従騎士になろうとしていることもあって叙爵式が待ち遠しいのだが、同時に遠く離れたエレルではセリルが臨月を迎えているはずでもあった。
「馬鹿言え、これから俺が仕事で家を空けるなんてことはあるだろうがよ」
「まあそうだけどさ……」
エリアが頷いているあたり、日本とは常識が違うのだろう。
とはいえ、ここまでは軍の書類仕事などでアドリアンも仕事があったからどうしようもなかったが、それらも全て終わったので、出来れば先にエレルに帰してやりたいと思うところだ。
「アドリアンさん、仕事一つ頼まれてくれませんか? エレルのギルドが幹部不在のまま運営されています。まあマーガレットさんもいますし、セリルさんのことなんで大丈夫と思いますが、一度帰って確認してきて下さい」
ユートの言葉にアドリアンは嬉しそうな顔をした後、顔を引き締め直す。
「それならしょうがないな。一足先にエレルに戻って書類仕事こなしてくる」
「ああ、もしアドリアンさんの任命状が届いたら早馬か何かで届けさせますから」
「なんならあちきかゲルハルトが届けてやってもいいニャ」
早馬に劣るとはいえ、この二人は間違いなくそこら辺の冒険者が駆けるよりも速いだろう。
「ああ、急に心配になってきました。アドリアンさん、早馬でお願いします。もちろんギルドの経費で出します」
ユートの棒読みの演技に、エリアもレオナも笑いをかみ殺しながら、そうした方がいい、そうしなさい、と半ば強制的にアドリアンを早馬に乗るように言いくるめた。
エレルから吉報が届いたのはそれから二十日後のことだった。
生まれたのは男の子であり、母子ともに健康、という一方に、ユートたちはほっと胸をなで下ろしていた。
生まれたのは四月二十日であるのにここまで早く知らせが到着したのは、マーガレットがデイ=ルイスに掛け合って早馬を仕立ててくれたらしかった。
「セリーちゃん、よかったわね」
「アドリアンさんの任命状は間に合わなかったけどな」
「それはしょうがないニャ」
なんだかんだで式典の準備は長引いており、ようやく先日六月十五日に式典を行うことが発表されたばかりだった。
「ウェルズリー伯爵は随分困っていたらしいぞ。早く進めようとするサマセット伯爵たちと、万全の警備態勢を敷くために部隊動員を考えている軍務省の一派が対立して」
ウェルズリー伯爵の相談役、あるいは愚痴聞き役となっているユートは、ウェルズリー伯爵から散々愚痴を聞かされていたが、どうやらその遠因としてはハミルトン子爵を中心として軍務省の権限を強化しようとする動きがあるようだった。
「権力争いはどこにでもあるニャ」
「大森林にもあるのか?」
「そりゃあるニャ。まあイリヤ神祇官は出来物な上にエルフは人間より寿命が長いから起こりにくいけど、起きるときには起きるニャ」
「まあそれはいいけど、こっちはえらく迷惑な話よね」
「ジークリンデも退屈そうにしていたニャ」
ジークリンデは既に北方の大森林から王都シャルヘンに到着しており、王国迎賓館を宿舎としていた。
面識のあるレオナやゲルハルトは何度かご機嫌伺いに行っているのだが、慣れない王都で体調を崩していると聞いていた。
「アナもちょっと前にあったけど、大森林との調整を任されているから決まった予定が覆されると困ると愚痴っていたぞ」
「そりゃそうでしょ。しかもしょうもない主導権争いでそんなことになったら……」
「ハントリー伯爵とウェルズリー伯爵が調整に入ってだいぶマシになっているみたいだけど……」
「話を聞いたらシュルーズベリ侯爵が死んじゃうわね」
財務卿シュルーズベリ侯爵はまだその地位にはあるので、現状の体たらくを聞いたら病身を押して出てきた挙げ句に過労か心労で致命的になりかねなかった。
「まあ日も決まったし、もう大丈夫だろう」
「そうね。これ以上延期することも出来ないでしょうし」
エリアの言葉にユートも頷いていた。
日取りが決まったこともあって王都シャルヘンでは急速に準備が進んでいった。
当日はアリス王女が乗ったロードスター馬車によるパレードも計画も計画されており、それに伴って交通規制が敷かれたり通行止めにしたりする作業も進められていた他、警備計画もまたウェルズリー伯爵が中心となってしっかりと立てられていた。
この時、準備していたのは交通関係は内務省の役人であり、警備計画は北方軍と中央軍が中心となっていた。
「おい、貴様! この道路は通行止めだ!」
兵士たちが荷物を満載した馬車で道路を進んでいたのを通行止めの標識を出したばかりだった役人が注意した。
役人は通行止めの標識を無視されたと思ったのかその口調は剣呑であり、注意された兵士たちも少しばかりその態度に腹を立てたらしかった。
「当方は命令により、警備用の資材を輸送中である」
「ならん。命令により本道路は通行止めになったところである」
その役人の居丈高な言葉に、下士官たちが色めき立った。
「隊付殿、何なんですか、この小役人は?」
下士官たちは聞こえよがしにそう言うと馬鹿にしたように笑い、続いて現場指揮官の隊付に無断で兵士たちにこっそりと散開させ始めた。
それを見て今度は役人も激怒したらしく、すぐに王都を警邏していた邏卒たちを呼び集め始める。
「ただちに本道路より退去せよ。本職らは陛下の命により本道路を通行止めとしているのであり、これに逆らう者は逆臣として逮捕する」
十分な数が集まったとみると、役人はそう怒鳴りつける。
だが、輸送中の王国軍の兵士も後には引けなかった。
というのも、この輸送隊を指揮する士官は王立士官学校を卒業して間もない隊付であり、既にいきり立っている古参下士官たちの勢いを押しとどめることは不可能だったからだ。
「何を。本官らは陛下の命により輸送中であり、これを妨げることこそ陛下の命に背く逆臣である。進ませよ」
その隊付の言葉をきっかけに、王国軍輸送隊と内務省警邏隊は双方睨み合った。
そして、それが乱闘となるまではあまり時間はかからなかった。
輸送隊と巡邏隊が乱闘事件を起こした、という報はすぐに内務省と北方軍司令部に届けられた。
しかし、運が悪かったのは輸送隊を管轄する北方軍司令官は、ウェルズリー伯爵が既に軍務卿に転出しておりは空席であったこと、警邏隊を管轄する内務省の責任者である内務卿もタウンシェンド侯爵の討死により空席であったことだった。
北方軍司令官は北方城塞司令官ハワード男爵が臨時に代理していたが、ハワード男爵はハミルトン子爵に近しい人物であり、また王位継承戦争においてもハミルトン子爵とともに戦ったという親近感を抱いていた人物だった。
そして、内務省はタウンシェンド侯爵の前任者がサマセット伯爵であったこともあり、対応した警邏本部長テンビー子爵はサマセット伯爵に近しい人物であった。
そして双方ともに相手のことも把握しており、自派閥と対立する相手であることがわかっていたのが致命的となった。
まずテンビー子爵の命令により警邏本部から軍並みの装備を持つ特務警邏隊に出動命令がかかり、ただちに現場に急行した。
ここで乱闘している双方を取り押さえればよかったのだが、仲間である警邏隊に加勢する形となってしまった。
特務警邏隊の加勢によって優勢となった邏卒たちは兵士たちを殴り倒して拘束すると、軍の馬車も含めて全て回収して警邏本部へと意気揚々と帰還した。
当然、これで収まらないのはハワード男爵だった。
軍の兵士たちが任務中に逮捕されたなどあってはならないことである。
それも何らかの罪を犯したならばともかく、ことは任務の遂行を咎められた結果の乱闘事件、しかも警邏本部は特務警邏隊まで出動させて一方的に叩きのめしている。
「すぐに兵を出せ」
ハワード男爵はそう命じると、副官が慌ただしく動き、北方軍の警備兵を出すことにした。
これは副官としては歩兵なりではなく、警備兵とすることで少しでも事態を悪化させるのを防ごうとしたようだったが、ともかく内務省の警邏本部を一個中隊二百名の警備兵が押しかける事態となった。
テンビー子爵も警邏本部の面子に賭けて、軍が出てきたからといって“犯人”を引き渡す気などさらさらなく、むしろ特務警邏隊に再び出動を命じた結果、北方軍警備兵中隊二百人と特務警邏隊百名が道路を挟んで睨み合う事態となった。
その頃、ユートは王都シャルヘンの外れにある軍司令官用の司令部を兼ねた宿舎にいた。
間が悪いことにハワード男爵の宿舎とはちょうど王城を挟んだ反対側であったので、まったく騒ぎに気付いていなかった。
「ユート、セリーちゃんに贈る物、何がいいかな?」
「そうだな……」
「名前などいかがでしょう?」
すっかり家宰業が板についてきたアーノルドがすかさず献策する。
「名前!?」
「アドリアン殿はエーデルシュタイン伯爵家の家臣であり、男子ということは将来は我が家の家臣となるはずです。主君から名を与えられる、というのは名誉ですぞ」
主君が名付け親になる、というのはそういう価値があるらしいが、ユートはいまいちぴんとこなかった。
そうしたものは父親なり母親なりがつけるものではないか、と思うのだ。
「あちきらは神官がつけるからわからニャいけど、そういうもんじゃないのかニャ?」
レオナも、そして遊びに来ていたゲルハルトも頷いている。
「アドリアンの子供やったら何か北方からも贈った方がええな。狼筅を贈ったらええかな?」
「槍を贈る風習があるのか?」
「槍というよりも武器を贈る風習はあるねん」
「あちきは懐剣をもらったニャ。短いから今は剥ぎ取りとかにしかにしか使ってはいないニャ」
そう言いながらレオナは腰の小さな剣を抜いてひらひらと見せる。
「ゲルハルト、やめておきなさい。アドリアンに狼筅なんか贈ったら、赤ちゃんが使えるようになる前に武器に目がないアドリアンが自分で使っちゃうのが見えてるわ」
エリアの言葉にユートも苦笑いする。
アドリアンの武器好きは尋常ではなく、恐らく狼筅も狙っていることは容易に想像がついたからだ。
そんな会話をしていたところにウェルズリー伯爵からの急使が到着した。
「ユート、すぐに軍務省に出頭しろって」
「なんや、なんか起きたんか?」
「行かないとわからないだろ」
そう言いながらユートが着替えて飛び出そうとすると、レオナにエリア、それにゲルハルトまでがついてくる。
「オレらもいた方がええやろ。宿舎はアーノルドのおっさん一人いればどないかなる」
アドリアンとセリルがいない今、ゲルハルトは頼もしい仲間であるのでユートは有り難くその厚意を受けておくことにした。
駆けつけた軍務省ではウェルズリー伯爵が頭を抱えていた。
「全く……北方軍と内務省がやってくれましたよ」
そうため息をつきながらことのあらましをユートに説明してくれる。
「で、なんで僕が呼ばれたんですか?」
「北方軍と内務省が乱闘騒ぎを起こしているのに、北方軍から鎮圧部隊は出せないでしょう? 西方軍もサマセット伯爵が形式上の司令官ですから好ましくなく中央軍は今、ゴードン僭王の乱に関わった部隊の処分が進められていますから組織としてガタガタです。だからといってこんなことに近衛を出せば笑いものです」
「つまり、餓狼族大隊と冒険者大隊を出せってことですか?」
「正確には餓狼族大隊ですね」
ウェルズリー伯爵はゲルハルトがいる前でにやりと笑いながらそう言った。
「餓狼族大隊の強さは王都の評判になっています」
「それだけちゃうやろ。オレらが関わったら、これで立太子礼からの一連の行事が動いたとしても王国が大森林に対して一方的に借りを作らんで済むってのもあるんやろ?」
ゲルハルトの言葉にウェルズリー伯爵はまるで悪戯を見つかった子供のような表情となる。
「まあ、そういう意図もないとはいいませんよ。でもゲルハルト君、ここで王国と大森林の間で感情的な対立が残ったら意味がないと思いませんか? 折角雪解けの雰囲気を見せているのに」
「あんたはホンマにアレやな」
直接的には何を言っているかわからないが、行間にしっかりと言いたいことが籠められたゲルハルトの言葉にユートも思わず苦笑いしてしまう。
「ユート、どないするんや? オレは王国の貴族やないし、あくまでユートの為に動いとるんや」
「ウェルズリー伯爵の掌で転がされてる気もするけど……」
「受けんわけにはいかへん、か?」
「そういうこと」
「わかった。任しとき。でもホンマにこの人はアレやな……」
もう一度、ウェルズリー伯爵をアレ呼ばわりしたあと、ゲルハルトは餓狼族大隊に召集を掛けるためにウェルズリー伯爵の執務室を飛び出して行った。
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