間話005話 王立士官学校物語・同窓会編②
本日2回目の更新ですのでご注意下さい。
ウェルズリー伯爵たちが将校クラブで痛飲した日から数日、ウェルズリー伯爵は今日も今日とて軍務省で書類と格闘していた。
「なぜこんな書類ばかりなんですかね」
そんなことを独り言ちるが、新たに副官に就任したチェスター・カニンガムはウェルズリー伯爵の独り言を無視して次から次へと書類を置いていく。
このチェスター副官はアーノルドの教え子の一人であり、あの先代カニンガム伯爵の孫、ウェルズリー伯爵たちに凡庸と評された当代カニンガム伯爵の嫡男にあたる。
アーノルドは当然として、ウェルズリー伯爵とも旧知の仲であり、そしてそれゆえにあくの強いウェルズリー伯爵であっても御せるだろうという軍務省の幹部たちの期待を背負ってウェルズリー伯爵の副官に就任していた。
まだ三十前であり、この年齢で軍務卿の副官ということは将来を嘱望されている幹部士官の一人であり、本人もやる気に溢れていた。
「ああ、チェスター君、今日の午後は開けておいて下さい。ジャスト――クリフォード侯爵と話す機会が欲しいので」
「クリフォード侯爵? まだ引き継ぎが終わっていないことがありましたか?」
「いえいえ、戦訓研究会ですよ」
戦訓研究会というのは王立士官学校などでよく行われる、過去の戦役における戦術判断についての研究会である。
仲の良い者同士、様々な過去の史料を持ちだしてこの判断はどうだったかということを考えるものであり、戦術指揮官としての素養を養うものであると王立士官学校でも推奨されている私的な集まりだ。
もっとも戦訓研究会という名目で飲み会を開くような士官候補生――士官候補生は俸給が出ることもあり、一人前とみられている――も多く、戦訓研究会といっても全てが過去の戦術判断を研究する真面目なものではないことも王立士官学校の卒業生の間では周知の事実ではあったが。
「わかりました。えっと、その……」
「ああ、チェスター君も来たいんですね。いいですよ。今回のは先立っての王位継承戦争――ゴードン僭王の乱における戦術判断です」
「え、それは……エーデルシュタイン伯爵の戦術判断ですか?」
「そういうことです。まあ戦術判断というよりは新戦術についてどう取り入れるべきかという研究かも知れませんが、君のような若者が聞くのは将来のためになるでしょう」
ウェルズリー伯爵がそういうとカニンガム副官は顔を輝かせた。
そして、ウェルズリー伯爵の書類を自分の机も持っていくと、次々と片付け始め、それを見てウェルズリー伯爵は人の悪い笑みを浮かべていた。
「そっちは新しい副官か」
「ええ、先代カニンガム伯爵のお孫さんです」
「なるほど。将来の軍務卿か」
「どうですかね。本人の研鑽次第――とはいえ才能、家柄と現時点の立ち位置でいえば十分に可能性あり、というところでしょうか」
本人を目の前にしてそんな評価を下すウェルズリー伯爵と、ウェルズリー伯爵の評価を聞いて嬉しげに笑うカニンガム副官――それをクリフォード侯爵はなんとも言えない表情で見ていた。
「そうか……道を誤るなよ」
「ジャストじゃあるまいし」
ウェルズリー伯爵が混ぜっ返して、この野郎とクリフォード侯爵が拳を一つ振り上げ、カニンガム副官の視線に気付いてこほん、と咳払いをしながらその拳を下げる。
「……それで、だ。戦訓研究といっても何をやるんだ? 猟兵戦術――そう貴様が呼んでいるものをもう一度考え直すのか?」
「ええ、近接法兵支援を中心とした戦術体系は王国軍にはないものですからね。今はないとはいえ、将来、ローランド王国なりがそうした戦術体系を取り入れないとも限らないでしょう。それならば先手を打って取り入れるなり、対策を立てるなりしておくのは軍人の務めです」
「なるほど、な。まあ納得の出来る話ではある。だが、なぜ私なのだ? 一番近くで見ていたサイラスや、西方軍――西方混成兵団の連中を呼べばいいだろう?」
「そっちはもう話を聞いています――ユート君も含めてね。その上で敵方として戦ったあなたの見解を聞きたいのですよ」
ウェルズリー伯爵の言葉にクリフォード侯爵はふむ、と得心がいったように頷いた。
「わかった。そういうことならば協力しよう」
「ありがとうございます」
そういうとウェルズリー伯爵は手持ちの資料を広げた。
「まず、注目点の最大のものは近接法兵支援ですね。特に苦難の川の会戦では後背を襲った時、騎兵を歩兵で蹴散らしたのはかつての歩兵ではあり得ない戦いでした」
ウェルズリー伯爵の言葉にクリフォード侯爵は首を振る。
「いや、あれは近接法兵支援というよりも、餓狼族の身体能力が全てだぞ?」
「ん? そうなのですかね?」
「ああ、歩兵がよってたかって騎兵を地上に引きずり下ろしている姿など初めて見た。しかも精強で鳴る南方騎兵だぞ?」
「ふむ、ということは近接法兵支援以外にも注目する要素がありそうですね」
「だな。むしろ近接法兵支援の恐ろしさはシェニントンの会戦の方が出ていたと思うな」
そう言いながらクリフォード侯爵も資料を繰る。
「ふむ……これが戦闘詳報か……そう、西方混成兵団がタウンシェンド侯爵勢と私の軍勢の間に割り込んできた時、これを撃退するために私は騎兵を出したのだが、それをブラックモアの戦列歩兵に叩き返されてしまった。一個大隊の騎兵が一個中隊の戦列歩兵と、軽歩兵の集団にやられたんだぞ?」
突撃する騎兵を防ぐには、堅く戦列を整えた同数以上の戦列歩兵が必要であることは戦術上の常識である。
法兵の支援を受けようにも軍直属とされている法兵に対して支援の要請を出すには騎兵が突撃を始めてからでは遅いし、何よりも距離があれば味方撃ちの危険性もある。
だから戦列歩兵の戦列で耐えるしかなく、軽歩兵が主力となっている部隊ならば騎兵の突撃とは絶望的なものなのだ。
「それを法兵を投入して土魔法で馬の足が取られたりした結果、南方騎兵が混成歩兵一個大隊を抜けずにむざむざタウンシェンド侯爵を討死させてしまったのだ」
「なるほど、それはなかなかに面白いですね」
ウェルズリー伯爵は興味深げにクリフォード侯爵の話を聞いていた。
「つまり、西方混成兵団――いや、この場合はエーデルシュタイン伯爵領軍猟兵部隊ですね――の強みというのは餓狼族の膂力によって騎兵と殴り合える歩兵を持っている上に、その歩兵が更に近接法兵支援を受けられる、ということですか」
「ああ、そしてそれによって戦列を組まなくても良いから、いかなる地形でも戦える、ということだろうな」
「そして機動力もある、と。もしこれが敵に回ったらどうしたらいいのか悩みますね」
「それと戦わされた私の身にもなってみろ。思いつくのはせいぜい圧倒的多数の部隊で包囲して軍直属法兵までつぎ込んで叩きつぶすしかないぞ」
クリフォード侯爵はそういうと嘆息する。
「力業、というやつですか。美しくない戦い方ですね」
「ああ、それにこちらが戦略的優勢を持っていなければ使えない戦い方でもある」
「せいぜい二個大隊を相手に一個軍以上を投入しなければならず、それを可能にする国力と兵站が必要、ということですか。同じく近接法兵支援を行える装甲騎兵を投入した場合には?」
王国軍には重騎兵、驃騎兵と並んでもう一つ、装甲騎兵と呼ばれる兵科が存在している。
これはオリハルコンとミスリルで出来た魔法を防ぐ全身鎧を着込み、魔法を放ちながら乗馬突撃をする、王国軍における決戦戦力である。
「近接法兵支援については考慮しなくてよくなるだろうが……問題はあの餓狼族の膂力だな。まあ数がいれば下馬戦闘でどうにでもなる話ではあるが……」
「勝てたとしても犠牲が大きくなりすぎますか……」
装甲騎兵は魔法を防ぎ、自ら魔法を放つという万能性を持っており、便利な兵科であるが、今のところ近衛軍に二個大隊が存在しているだけだ。
これは元々騎兵大隊の維持費が高額である――同規模の歩兵大隊の数倍は予算がかかる――ことに加えて、オリハルコンとミスリルの全身鎧がもの凄く高価である上に、近戦、遠戦の両方をこなせる兵士の育成にもものすごく時間と費用がかかり、更に全員士官であることから維持費も嵩む、というものであったからだ。
全騎兵を装甲騎兵にしようものならばそれだけで王国の財政は破綻してしまうだろうということは想像に難くなく、どうにか二個大隊を編成して決戦戦力としていた。
「ふむ、となると兵の補充まで考えたらなかなか勝つのは厳しい相手ということですか」
「一番良いのは同種の――冒険者大隊なり餓狼族大隊なりをぶつけることだろうな。それが一番戦いやすい」
クリフォード侯爵の言葉にウェルズリー伯爵も頷く。
「まあ餓狼族の強さは無理としても、あれはただ膂力が強い歩兵だからその点はどうにでもなるだろう。一番の課題は問題は王国軍の教育やら教範やらを全部見直さんといかんことだな」
「教育課程は法兵教育をどうするか……ですね」
そう言いながらウェルズリー伯爵は珍しくため息をつく。
王国における法兵教育は基本、王立士官学校でしか行っておらず、それゆえに士官しかいない。
また、冒険者のようにとりあえず使える魔法が一つでもあればいい、というものではなく、ちゃんと四属性全てを放てる必要があり、かつ一定以上の数の魔法を撃てなければ法兵科に進むことは出来ない。
ゆえに王国軍において法兵はプライドの高いエリート兵科の一つであり、教育課程を変更するとなれば大きな抵抗が予想された。
「これを改めるとなるとなかなかに困難な作業となりそうです」
「それ以外にも問題はあるぞ。指揮系統だってそうだ。戦列に頼らず自由に機動するということは今までの伝令に頼った指揮では戦いきれんだろう」
クリフォード侯爵の指摘にもっともだとウェルズリー伯爵は頭を抱えた。
「さすがジャストですね。もういっそのこと軍務卿になりませんか?」
「馬鹿をいうな。色んな意味で不可能だろうが」
「そこは私がどうにかしますよ。アリス王女だってうまく丸め込んで見せます」
「……それを公にいうというのはどうなのだ……」
クリフォード侯爵は呆れたようにこの同期生を見た後、そのウェルズリー伯爵の後ろで控えているカニンガム副官を見る。
カニンガム副官は興味深そうに聞いていたが、慌てて目をそらした。
「それか、サイラスに押しつけるというのも一つですね。彼ならば先の戦いにアリス王女側で参戦していますから問題ないでしょう」
「貴様は馬鹿か? 一度軍を退役した者を現役復帰させて軍務卿にしたらそれこそ大騒動のもとだ。ああ、先に言っておくが同じ理由でブルーノも無理だ。だいたい大隊長クラスが軍務卿に抜擢されるなど人事の混乱を招くに決まっている」
「まあ、そうなんですよね……ああ、ユート君ならば……」
「まだ二十歳そこそこの奴、しかも伯爵になりたての奴に軍務卿が務まるわけがないだろうが。もちろんあの年で事実上の軍の司令官をやっている経験は買うし、あと十年二十年すれば軍務卿だって務まるだろうが」
クリフォード侯爵に全ての案をぶった切られて、ウェルズリー伯爵ははあ、とため息をついて椅子に身体を預けた。
「なぜ出世すれば出世するほど、面倒くさいことが増えて本当にやりたいことが出来なくなるんですかね?」
「人生とはそんなものだ。だいたい貴様に本当にやりたいことなどあるのか?」
「ええ、ありますよ」
ウェルズリー伯爵は茶目っ気たっぷりに笑う。
「なんだ? 惰眠を貪るとか、仕事を効率よく手を抜くとか、そういうことじゃあるまいな?」
「いえいえ、当代最強の軍を作ること、ですよ」
余りにもあっけらかんに言うウェルズリー伯爵にクリフォード侯爵は毒気を抜かれた表情となる。
「貴様……五十の爺が言うことばではないぞ、それは……」
「爺なのはお互い様でしょう。しかし、国防を担うものとして、当代最強の軍勢を率いてみたいと思うのは当然ではありませんか?」
「否定はせんが、そんなものはせいぜい小隊長の頃までに卒業しておくものだ」
そう、王立士官学校の士官候補生や少壮士官はいつも旌旗堂々、史上最強、常勝不敗と謳われる軍勢を率いる自分の姿を夢見るものだ。
これは流行病のようなものであり、小隊長、中隊長と部下の命を預かり、そして軍の現実を見るにつれてそうした夢見がちな若手士官はいつの間にか現実主義者のベテラン士官へと変貌していく。
それはクリフォード侯爵もウェルズリー伯爵も通った道だったはずだ。
「卒業していたつもりなんですがねぇ……」
「どうした?」
「いえ、目の前に、そうした軍勢を率いることが出来そうな者がいると、つい稚気が出てしまうのですよ」
「……ユートか」
「ええ、そうです。彼の率いているギルド諸隊――もうすぐエーデルシュタイン伯爵領軍となる部隊はそうした素質のある部隊です」
「……まあわからんではないがな――ああ、貴様の稚気は今さらだが」
そう言いながら、クリフォード侯爵もまた椅子に身体を預けた。
「しかし、ユート、そしてサイラスはこれからが大変だ。貴様に私がここまで評価する部隊を、貴族領軍として所有することになるのだ。様々な奴が目を付けるだろうし、その中を上手く渡っていかねばなるまい、と考えると同情すらしてしまう」
「しかもアリス王女殿下からは白紙手形に近い、ギルドの承認をもらったそうですからね。聞きましたか? どんな法律が必要か、自分で考えて案を出せ、だそうですよ」
「聞いたさ。欲張りすぎれば貴族の反感を買い、嫉妬で讒言されてろくでもない結果になる。たとえ当代はユートの功績にアナスタシア王女殿下の存在で大丈夫でも、次代、次々代に足元を掬われかねん」
「本当に貴族というのは厄介ですよね」
「お前も俺も貴族だがな」
そう言いながら二人は天井を見上げ、三十も年下の同僚を思い浮かべた。
本日の更新は以上となります。
明日は本編2話更新、本日と同じく18時と21時の更新の予定です。
 




