間話004話 王立士官学校物語・同窓会編①
活動報告の方でも記載した通り、本日は間話のみの2回更新です。
18時と21時更新になります。
ノーザンブリア王国軍には中央軍、南方軍、北方軍、西方軍の四軍に近衛軍を加えて五個軍があり、これらは王都とそれぞれの地方の各首府に駐屯していた。
当然、その司令部がある王都と各首府にはたくさんの士官たちが勤務することになっており、それら士官同士の交友と娯楽のため、将校クラブが設置されている。
王都シャルヘンにも当然、将校クラブが設置されており、その規模は東海洋方面艦隊の士官も含めて収容するため、王国随一の規模だった。
この将校クラブは士官たちの俸給から一部を徴収する形で運営されており、そこには全ての士官は立場を離れることと、人に迷惑を掛けないことの二つしかルールはなく、それゆえに非公式の会議を行ったり、同期会を行ったりと様々な用途に使われている。
そのシャルヘンの将校クラブの一室で、一人の男が待ち合わせをしていた。
「おい、サイラス!」
遅れて現れたのは傲岸不遜さが少し目立つ男――クリフォード侯爵ジャスティン。
待っていたのはエーデルシュタイン伯爵家の家臣である従騎士サイラス・アーノルド。
「なんだ、ジャストも呼ばれていたのか」
アーノルドはそう応じる。
彼らを呼び集めたのはウェルズリー伯爵レイモンド。
いわゆる同期会というものだ。
「当たり前だ」
「いや、逼塞を命じられたのに、将校クラブに飲みに来ていいのか?」
引き継ぎのため、領地での逼塞を少し遅らせているのはまあいいとしても、さすがに飲み歩いているのはアリス王女の心証も悪くなるだろうとアーノルドは眉を曇らせる。
「どこかの軍務卿閣下が、仕事の上での会議と呼び出したんだからしょうがない」
「レイの奴、相変わらずだな」
「ああ。全く変わっておらん。遅刻して我々を待たせるあたりもな」
そう言いながらテーブルの席で手持ちぶさたにしながら、ウェルズリー伯爵が来るのを待つ。
「そういえばエーデルシュタイン伯爵家の家人になったのだな」
「ああ、恐らく家宰のような立場になると思うが……兵馬のことならばともかく、貴族のことはとんと疎いから困ったものだ」
アーノルドはあくまで軍人であり、軍人としての職務に必要な範囲で貴族の礼式や慣例を知っているに過ぎない。
もちろんそれは一般的な王国臣民からすれば貴族の礼式や慣例詳しい部類に入るのだが、伯爵家の家宰として考えれば全く足りなかった。
「まあ立場が人を作るという。そこまで拘らなくてもよいだろう。あのユート卿はそこまで拘るような人物でもなさそうだしな」
「ああ」
そんな会話をしているとノックされる。
「やっときたか」
そう言いながら、クリフォード侯爵が自らドアを開ける。
「聞いたぞ。お前たちも今日同期会らしいじゃないか」
入ってきたのは予想外、シーランド侯爵ブルーノ、そして正騎士ロナルド・イーデンだった。
「ブルーノにロニー、何しにきたのだ?」
「いや、ちょうどロニーが王都に艦艇修理の資材のことで来るというから同期会をしようと思っていたのだけどな、ウィルが遅れる上にシルヴィが急用で来れなくなったんだ」
ウィルとはフェラーズ伯爵ウィルフレッドであり、シルヴィとはシルヴェスター・マンスフィールド、いずれも軍の要職にあるシーランド侯爵やイーデンの同期生だった。
そして、二人ともクリフォード侯爵やアーノルドにとって因縁浅からぬ仲でもある。
「で、こっちに参加しようということか」
「ああ、そっちだって多い方が賑やかでいいだろう?」
「まあレイが文句を言わないならないいけどな」
「大丈夫だ。昼に軍務省に顔を出した時にこの集まりのことを教えてくれたのはそのレイだ」
幸いなことにウェルズリー伯爵の予約してくれた個室は十分な広さのある個室であり、三人増えても大したことはない。
もしかしたらウェルズリー伯爵はフェラーズ伯爵やイーデンが参加することを見越していたのかもしれない、とイーデンは思い浮かんだが、まるでウェルズリー伯爵の掌で転がされているような気分になって慌ててその考えを打ち消す。
「そのレイはどこなんだ?」
「いつものアレだ」
「ああ、いつものアレ、か」
クリフォード侯爵の言葉にイーデンも苦笑いで応じる。
そのくらいウェルズリー伯爵の遅刻癖は有名であり、クリフォード侯爵も諦めるしかなかった。
「先に始めておいていいんじゃないか?」
「まあレイなら文句は言うまい」
「文句を言ったら俺が直々にシメてやる」
アーノルドの言葉にクリフォード侯爵と海賊という物騒な異名を持つイーデンが頷く。
アーノルドが給仕に頼むとすぐに酒が運ばれてきて、ブルーノの乾杯で宴会が始まる。
「そういえば艦艇修理のためにこっちに来てたと言っていたが、何があったんだ?」
イーデンの所属する西方艦隊ならばだいたいの資材は母港のレビデムで揃うだろうし、わざわざ中央までやってくるような必要はない。
「新鋭フリゲートがやむを得ぬ衝突“事故”で大破したのでな。アラドに臨時ドッグを設置する許可だの、資材の手配だのとなるとレビデムの権限では出来なかったのだ」
「そうか……」
聞いておいてクリフォード侯爵はばつの悪そうな顔になる。
その“事故”は間違いなくアラドの戦いであり、クリフォード侯爵が手配したアストゥリアス防衛艦隊によって衝突された“事故”だろう。
「俺はそうでもないが、アストゥリアス防衛艦隊の方は特攻戦隊司令の首が飛んだらしいぞ」
「まああそこは国防上の要衝だからなぁ……いくら南方貴族の大物タウンシェンド侯爵の要請でも防衛の要になる特攻戦隊をほいほい差し出したとあっては首も飛ぶだろうな」
「まあ事実上の処分だがな。次の職は北方海兵だとよ」
イーデンの言葉にシーランド侯爵も苦い顔をする。
事実上の処分、というものは彼ら、そして今日ここにはいないシルヴェスター・マンスフィールドにとっても苦い思い出だ。
あの三十年以上前の王立士官学校執行委員会横領事件において特段の処分はされなかった三人だが、だからといって無罪放免というわけではなかった。
翌年、王立士官学校を首席卒業し、出世街道が約束されていたはずのシーランド侯爵は大隊長を最後に軍を去っているし、次席のイーデンも本来ならば騎兵などの花形兵科が約束されているはずが不人気兵科の筆頭である航海科に進んでいる。
マンスフィールドにしても一応歩兵科にこそ進んだものの、現在の役職は軍務省情報部付であり、潜入工作などの汚れ仕事をするポジションである。
同じく同期生で監査委員長だったフェラーズ伯爵が中央軍司令官、一期下のウェルズリー伯爵とクリフォード侯爵が軍務卿を務めていることを考えれば、三人の冷遇ぶりは明らかであった。
気まずい沈黙が流れたところで、ようやくウェルズリー伯爵がフェラーズ伯爵を伴って現れた。
「いや、すいませんね。ちょっと出がけに仕事が増えたもので。まあ増えた原因が、どっかの衝角艦がどっかのフリゲート艦に衝突した件で、艦長の査問委員会開こうって意見を叩きつぶしてたからなんですが」
「私もその会議に呼ばれてな。いや、大変だった」
全く悪いと思っていなさそうな態度にクリフォード侯爵もイーデンも苦笑いをするしかないが、ともかくようやく揃った、と再び乾杯をする。
「結局、艦長の査問はどうにかなったのか?」
「ええ。衝角艦もフリゲート艦も両方“やむを得ぬ”事情があったと報告が上がっている、ということで片がつきましたよ」
「そいつはよかった。あれで処分されちゃ海軍の士気に関わる」
イーデンが自分の部下が罪に問われることはない、と聞いてほっとしたような顔を見せる。
「まあ処分はしないにしても左遷という話もありましたが、そっちも大丈夫でしょう。ただ、ロニーの戦隊そのものがアストゥリアス地峡へ転属になりそうですが」
「おいおい、俺まで揃って左遷じゃねぇだろうな?」
イーデンの言葉にウェルズリー伯爵はくすりと笑う。
アストゥリアス地峡は南部の南側であり、王国固有の領土の最南端となっている。
この南には先立っての第二次南方戦争において、ウェルズリー伯爵の活躍によってローランド王国から割譲された南方植民地があるだけであり、国防上の要衝である。
とはいえ、南方植民地の経営が始まってからすでに十年以上が経過しており、アストゥリアスが国防上の要衝というのも既に過去のものとなりつつある、という認識が一般的であった。 それゆえに西方首府レビデムからアストゥリアス地峡防備艦隊への転属は左遷に近い扱いではないか、とイーデンは言うのだ。
「それがそうでもないんですよ。ジャストがいる前でこういうのもなんですが、南部貴族が相変わらずアリス王女殿下に対して隔意があるようで」
それを聞いてクリフォード侯爵は渋い顔をする。
クリフォード侯爵家、タウンシェンド侯爵家というゴードン王子派の大物は二家とも南部貴族であり、南方軍や南部貴族の多数がゴードン王子派に与したこともあって、南部貴族とアリス王女の間には妙な緊張が走っている。
もちろん一触即発というわけではないが、タウンシェンド侯爵家の相続が認められてもその緊張は緩和されていない。
「タウンシェンド侯爵家を継いだトリスタンを中心に反抗的な態度を見せているみたいですからね。ちょっとお灸を据える必要性があるかもしれない、ということで有力なフリゲートを四隻ばかりもっていくことに決まりました」
「トリスは悪い奴ではないんだがな」
「おや、知っているのですか?」
「そりゃ同じ南部貴族で侯爵家同士だからな」
クリフォード侯爵が苦々しげな顔で言う。
「それで、俺の戦隊が転属となるというわけか」
「ええ、よろしくお願いしますよ、海賊ロニー」
海賊ロニーとはイーデンの異名の一つであり、かつての第二次南方戦争にあたって当時艦長をしていた等外艦一隻でローランド王国の西海沿岸を荒らし回ったことから付けられた異名だ。
イーデンはこの活躍で、事実上の処分を受けて昇進がほとんど望めなくなっていた状況から、ともかく新鋭一等フリゲート艦の戦隊司令にしてもらえる程度には評価を回復させている。
「なんだかんだ言ってロニーは最後には方面艦隊司令官あたりで除隊するのかな?」
シーランド侯爵が茶化すように言う。
軍務卿は一人しかおらず、就任には能力だけでなく政治的な要素も絡むので別格の存在であり、方面艦隊司令官、軍司令官あたりが軍人の最高峰の地位といってよい。
イーデンの年齢で新鋭フリゲート艦の戦隊司令という花形ポジション、艦隊の先任司令を務めていることを考えれば、軍を去る前に方面艦隊司令官に就任してもおかしくはない。
シーランド侯爵はかつて自分と同じく昇進が難しくなった同期が、その評価を回復させてその最高峰の地位に上り詰めようとしているのを、茶化しながらもまぶしそうに見ていた。
「そうなれればいいが、上は詰まっているからな。というかブルーノも宰相を目指したらいいじゃないか」
シーランド侯爵は引きつった笑顔を見せる。
「うん? どうした?」
「ロニーは少しは政治を勉強した方がいいよ。今の王国でそれは禁句だよ」
「どういうことだ?」
たしなめるように言うシーランド侯爵に、イーデンは訳がわからない、という顔をしている。
「貴様、本当に何も知らないんだな」
クリフォード侯爵が呆れたように話し始めた。
「王国――いや王城では今、内務卿に誰がなるかで角逐している最中だ。第一候補は王女派の中心であるサマセット伯爵だが、これに反対する勢力も多い」
「ほう。相変わらず貴様の情報は面白いな」
「普通の貴族ならば知っていることだ」
「おいおい、俺の実家も伯爵家だが、兄貴も隠居した親父もそんな話など全く知らんぞ。俺が貴様から聞いた話を持ち帰ったらびっくりすることがしょっちゅうだ」
クリフォード侯爵は呆れたような顔でイーデンを見る。
もっとも、ここら辺は国王の方針によってローランド王国との戦争が始まれば最前線に立つ必要のあるにも関わらずその王城とは物理的な距離が遠い南部貴族と、王城とは物理的に近い上に戦争が始まっても自分たちの領地が直面するわけではない東部貴族の違いとも言える。
「ならば詳しい話をしてやろう。今、王城には四つの派閥がある。一つの分かれ方は昔からある文官閥と武官閥だな」
この分かれ方はだいたいどこにでも存在している――例えば貴族領軍と統治する文官が峻別されている貴族の家なども――ものであり、ことさらに珍しいものではない。
よっぽど小さい貴族領ならば兼任になるから起きえないとしても、ここにいる六人のうち五人は大身の貴族家の出身であるから全員理解は出来る。
「そして、文官閥は二つにわかれている。一つは積極的にアリス王女に与した派閥で、ここはサマセット伯爵が中心だ。もう一つ――いや、こちらは一つと言っていいかわからんが、タウンシェンド侯爵が率いていた派閥の残党、積極的にアリス王女に与さなかった者、王位継承戦争の間も職務に専念していた者たちだな」
「数で言えば?」
「後者の方が多い。前者が多ければそもそもサマセット伯爵はタウンシェンド侯爵に政争で敗れて内務卿を追われておるまい」
クリフォード侯爵の言葉に確かに、とみな頷く。
「後者のトップはトリスタン卿か?」
アーノルドが興味津々、という顔で聞くのにフェラーズ伯爵が不思議そうな顔をする。
「珍しいな。サイラスはロニーと並んで政治に興味がないと思っていたぞ」
「そのつもりだったのだがな。主君が伯爵になればそうもいかんだろう」
「貴様、すっかり家宰が板についているな。まあいい。トリスは私と同じく逼塞の身分だ。ハントリー伯爵が一応中心的な人物だが、そこまで固まってはおらん」
「ハントリー伯爵と言えば、我々が候補生時代に王立士官学校の校長をされていたハントリー伯爵の……」
「孫だな。元々ハントリー伯爵家は武官を多く輩出した家だが、当代ハントリー伯爵フレデリック卿は腕っ節より頭がいい人物と評判だ」
「武官閥は相変わらずの各地方軍の派閥が中心だな。一つは北方軍と西方軍の派閥だな。こちらのトップは、こいつだ」
クリフォード侯爵はそう言いながらウェルズリー伯爵を親指でくい、と指差す。
「まあこの派閥は財務卿にはあまり関係はない。こいつが軍務卿になってしまっているからな。ただ、ウェルズリー伯爵の派閥と決定的に対立すれば財務卿は遠のく、というだけの話だ。そしてもう一つは中央軍と南方軍――つまりは私の派閥の残党たちに中立派の連中だな」
「貴様がそのトップか?」
「いや、既に私は関係はないし、そもそも王位継承戦争でアリス王女と戦った私が首魁では即座に潰されるだろう。こちらの中心は北方総督ハミルトン子爵よ」
ハミルトン子爵はかつてアリス王女の傅育官を務めたこともあって信頼も篤く、また早くから王女派として旗幟を鮮明にしていた人物でもあり、そして何よりもかつて第二次南方戦争においてウェルズリー伯爵やイーデンと並んで英雄と謳われた人物でもある。
「つまり、実質的な対立はサマセット伯爵とハミルトン子爵、ということか? ――ああ、ハントリー伯爵は派閥らしくまとまっていない、として」
「そういうことだな」
イーデンのまとめにクリフォード侯爵が首肯する。
「ちなみに自分も一応はサマセット伯爵の派閥、ということになるけど、まあ余り積極的に関わっていないな。サマセット伯爵も侯爵で戦いで実際に手柄を立てた私は目障りだろうしね」
「ああ、それで禁句って言ってたのか」
今度はシーランド侯爵の補足にイーデンは得心がいった、という顔を見せる。
「そういうこと。こんなところで軍の北方閥を率いているレイや、軍の南方閥を率いていたジャストと話ながら、財務卿になりたいなどと言っていたら……」
「あっという間にサマセット伯爵に危険視される、と」
「ちなみにカニンガム生徒隊長――先代カニンガム伯爵も同じような立場だけどね。ただ、あの人は当代カニンガム伯爵が凡庸な人物だから取り立てられる心配がないし気楽だろうけど」
さらりとひどいことを言いながらシーランド侯爵はそう締めくくる。
「まあサマセット伯爵とハミルトン子爵はそこまで激しくやり合うつもりがないから大事には発展せんだろうし、内務卿を外れたとしても二人とも不満には思わんだろうが、下はそうもいかん」
もしサマセット伯爵が内務卿となったとしてもハミルトン子爵は北方総督のままか、七卿のどこかに補されて、サマセット伯爵が財務卿に進んだ後は内務卿に進む可能性も十分にあるだろう。
しかし、その場合であってもハミルトン子爵を支持した中小貴族や官僚たちは出世コースから外れてしまう可能性が高い。
「なるほどなぁ。相変わらずのジャストの情報網はすごいな」
「貴族なら当然だ。というか貴様が貴族の子とは思えん」
「レイも似たようなものじゃないか」
イーデンはそう言いながら酒を啜っているウェルズリー伯爵を見る。
「こいつは特別だ。伯爵家の当主のくせにそうしたことに興味がない上、実力でねじ伏せやがる。今回だってどっちが内務卿になろうがこいつの下だけは安泰だからな。なにせアリス王女を王太女とした張本人なのだから、排除するに排除できん」
クリフォード侯爵は呆れたように、しかし同期に対する信頼を籠めて笑う。
「それと、サイラス。貴様の主君もな。北方大森林との繋がりがある上にアナスタシア王女殿下を得てしまったから、なかなか貴族としても攻めづらい。しかし、同時に反感も買っているから気をつけた方はいいが」
そんな忠告を発するクリフォード侯爵を横目に、イーデンが嘆息する。
「相変わらず面倒なことだな。あーあ、王立士官学校が懐かしいぜ。ただ上を目指して、鍛錬するだけで面倒くさいことなんか考えないで済んだしよ。もう一度あの頃に戻りたいぜ」
そう言いながら、グラスを一気に干す。
「全くですよ。上に行けば行くほど、面倒くさいことしかないです」
「行けなかった私からすると羨ましいけどね」
「みんなそれぞれ、ですね。なんだったから交代しましょうか?」
珍しくウェルズリー伯爵はおどけたようにそう言うと、まずクリフォード侯爵が噴き出し、そしてサイラスも笑い始め、いつしか全員が笑っていた。
その溢れる笑いは、王立士官学校卒業から三十年余たっても、その関係は昔のままであることを示していた。




