第100話 風に吹かれて
「と言われてもなぁ……」
王都の宿舎に与えられた私室でユートはベッドに寝転びながら天井を見ていた。
この宿舎は本来ならば各軍司令官が使うクラスの宿舎であり、まるまる一棟が司令官公室及び私室となっているもの、いわば司令部兼宿舎だった。
そのユートの私室一つとってみても寝室に居室に食事室に応接室にバルコニーまでついたの広々としたものであり、それとは別に使用人の部屋があり、副官の部屋があり、部下の大隊長やらが泊まれるようにと高級士官用の寝室すらついているというものだった。
ゲルハルトは餓狼族大隊とともに泊まっているが、レオナは妖虎族の舞台が少ないということもあってここに泊まっており、アドリアンはもうセリルが臨月ということもあってエレルへの帰り支度をしながらやはり従騎士の任命状が来るのを待っていた。
そして、副官のエリアもまた、同じ宿舎の副官用私室を与えれて同じ棟に寝泊まりしていた。
アナに発破を掛けられたあと、ユートは宿舎に戻ってくると色々と考えていた。
「なんて言おう……」
エリアに言うべきことはすでにわかっている。
でもどう言えばいいのか、ユートにはわからなかった。
「ま、まずエリアに会わないと話にならんか」
そう独り言を言って、ユートはむくりと起き上がった。
階下の公室に入ると、エリアはそこでアーノルドと何か書類の整理をしていた。
どうやらユートが上で煩悶している間、副官としての仕事をしていたらしい。
「あ、ユート! 聞いたわよ! エーデルシュタインって名乗ることにしたのね!?」
さて、どう切り出すかと悩んでいるうちにエリアの方からそう言ってきた。
「ああ、アナとウェルズリー伯爵とクリフォード侯爵と話し合ったらそれが一番じゃないかって話になったんだ」
「そう……あんた本当に伯爵様になるのよね?」
「みたいだな。冒険者ギルドを“領分”にする貴族、というのも想像つかないけどな」
「そんなことどうでもいいじゃない。ただの冒険者が、伯爵ってすごい話よ。しかもお姫様を奥さんにしてって、ちょっとした戯曲とかの題材になるんじゃないかしら?」
勘弁してくれ、と内心思ったが、それが顔に出たらしい。
エリアが悪戯っぽく笑ったあたり、恐らく冗談で言っているのだろう。
「まことめでたい話ですな」
アーノルドもまた嬉しそうに言う。
「私も家臣の一人、従騎士の一人として誇らしく思います」
「そういえばアーノルドさん、軍に復帰するならウェルズリー伯爵に言えば復帰させてもらえると思いますけど……」
アーノルドはポロロッカで西方軍が大損害を出した責任を取って、サマセット伯爵のかわりに軍を辞しているが、ウェルズリー伯爵が軍務卿となった今、恐らくユートが頼めばアーノルドを軍に復帰させてくれるだろう。
ウェルズリー伯爵自身もアーノルドの騎兵指揮官としての才能は買っているし、アーノルドの居場所もしっかり作ってくれるだろう――下手をすればユートが頼まなくてもウェルズリー伯爵が勝手に画策してもおかしくないぐらいなのだから。
だが、アーノルドの返事は違っていた。
「いえ、ユート様が構わないというのであれば、このままエーデルシュタイン伯爵家の家臣となりたく思います」
「僕としては嬉しいですけど、いいんですか?」
「ええ、私のような平民出の士官は大隊長が恐らく頂点でしょう。あと五年かそこら、体力の衰えを感じるまで大隊長を務めたあと退役するよりも、これから摂政アリス王太女の懐刀となる伯爵家の家臣としてその隆盛に関わっていくことの方がよっぽどやり甲斐を感じます」
「そうですか。ありがとうございます。そういえばユート様って……」
「いえ、これまでは私もどこか腰掛けのような気分だったのでしょう。また、正騎士家ならばそれが許されていたところもありますが、これから伯爵家としてやっていくのであればそうしたところもきちんと致したく思います」
そういえばちょっと前にアドリアンに従騎士になるならば言葉遣いをきちんとしろ、と言っていたことを思い出す。
アーノルドと――場合によってはアドリアンとも――距離が開いてしまったような気がして少し寂しくなったが、仕方の無いことと諦めるしかない。
「わかりました。ただ、あくまで公の場だけで、ということでお願いします」
「私に敬語は不要、わかった、でよろしいのですが……」
「ウェルズリー伯爵だって格下の僕やらにも敬語ですし」
諦めたとはいえこれまで多くの戦いで事実上の指揮官としてサポートしてくれたアーノルドに対して偉そうな口をきけるほどユートは割り切れてはいない。
アーノルドもユートの言葉遣いについてはそこまで言うつもりはないようで、ウェルズリー伯爵の例を持ち出されるとそれ以上何も言わなかった。
「あたしも敬語にした方がいい?」
「エリアはそのままでいてくれ」
ユートの言葉にエリアはにんまりと笑った。
「わかったわ」
「ところでゲルハルト殿がもうすぐお見えになるそうですが……」
「あれ、何かあったっけ?」
「恐らく餓狼族大隊のこれからの扱いについてと思われます」
そういえばギルドに加入しに来たはずのゲルハルトだが、いつの間にかユートの私兵的な扱いを受けるようになっていた。
親しき仲にも礼儀あり、そこら辺の関係は一度きっちりと整理しないといけないだろう。
彼らが西方に来ているのも単なる友情だけではなく、故郷の餓狼族の為の出稼ぎという明確な目的があってのことであるのだから。
「おう、ユート。お疲れさん」
ゲルハルトはいつも通り、にこやかだった。
「ユート、さっきアリス王女から使者がきたわ。外務卿のハントリー伯爵と話し合った結果、イリヤ神祇官はノーザンブリア国王と同格、餓狼族を含む各氏族の長もそれぞれ外国貴族として遇するらしいわ。俺んところは侯爵待遇、俺は侯爵世子という扱いにするみたいや」
ノーザンブリア王国において公爵は王族が大公の位――実態はただの直轄領の代官ではあるがその地位は王位継承権を意味する――を放棄して臣籍降下した時に一代に限り与えられる爵位であるので、貴族の最高位は事実上侯爵であり、餓狼族の族長たるルドルフ家はそれにあたると判断したのだろう。
おそらくレオナのレオンハルト家も同じ扱いを受けるのだろう、と思いながら、ふとではゲルハルトは大森林という“国”の貴族、ということになってしまうのか、そうなるとギルド参加の件はどうなるんだろう、と疑問に思った。
ユートとしてはウェルズリー伯爵やクリフォード侯爵ほど餓狼族大隊を王国の戦力として見る気はなかったが、ゲルハルトや餓狼族が冒険者ギルドの為に力を貸してくれれば冒険者ギルドの発展に得難い存在となることは確実であり、ユートは友人としてもギルドのトップとしてもそれを望んでいた。
「ああ、オレがどないするか心配しとるんか。大丈夫や、“兄弟”」
ゲルハルトはユートの内心に気付いてそう笑いかける。
ことさらに“兄弟”というのは、石神が巡り合わせてくれた存在であり、自身の信仰にかけて冒険者ギルドの為に力を貸す、という意思表示だろう。
「まあオレらも餓狼族の食い扶持稼がなあかんからそこんところは配慮して欲しいけどな。もし食い扶持稼げるなら今回みたいな戦争でも構わへんで」
「戦争でもいいのかよ……」
ゲルハルトのあっけらかんとした物言いにユートは毒気を抜かれた思いでそう返す。
「餓狼族はそっちの方が合ってそうやしな。もちろん魔の森での狩りやらも得意やけど、それならただの狩人と変わらへん。オレらの長所は集団で戦うことやねんから、それを活かせるしな」
要するに狩人や護衛と並ぶ、傭兵という新しい職種を冒険者ギルドに作る、とでも考えればいいのだろうか。
また、ユート自身がエーデルシュタイン伯爵家になるということは軍役を課されることもあるわけで、そう考えれば餓狼族大隊をエーデルシュタイン伯爵家の固有の戦力とするのもまたメリットのある話とも思う。
「そうか。ありがとうな」
ともかく感謝が先だ。
ゲルハルトと餓狼族がギルドに入ってくれる、というその一事の方が、具体的に傭兵をやるのか、それとも狩人や護衛をやるのかということよりもユートにとっては重要だ。
「まあそこら辺はおいおい詰めていくとして、とりあえず今日は今回の報酬の礼を言いに来たんよ。随分な額、助かったで」
へ、とユートは不思議そうな顔をする。
「あ、ユート。アナから言われたけど、今回、餓狼族大隊と妖虎族中隊、それに冒険者はみんな冒険者ギルドに対する依頼って扱いにして国家予算から報酬を出してくれたらしいわ。ラッキーね。これで冒険者ギルドも随分と儲かったわよ」
エリアがそう補足する。
冒険者の取り分の一部が冒険者ギルドの収入となる、と考えれば冒険者ギルドの収入も相当なものとなったのは想像に難くなかった。
「あんたの結婚もろもろの費用もこれで出るんじゃない?」
エリアの意味深長な言葉にユートはどう言っていいかわからなかったし、それを見てゲルハルトは不思議そうな顔をしていた。
「なんや、まだ何も言うてなかったんか」
帰り際、建物の外までゲルハルトを見送ったユートに、ゲルハルトはそんな言葉を投げかける。
「なんで言うとらんねん。エリアの嬢ちゃんも不思議なこと言うてたからおかしいとは思ったけど」
「なんとなく、かなぁ……」
「はっきりせん奴やな」
「なんというか、既に正室に側室に迎えることが決まってるのに、エリアに今さら言葉に出して何を言えばいいのかわからなくてな」
そんなユートをゲルハルトは珍妙な生き物を見るような眼で見る。
「自分、戦場やと果断やのになんで女のことになったらそんな優柔不断やねん。エリアの嬢ちゃんが気の毒すぎて何も言えへんわ」
「いや、そこまではっきり言わなくてもいいだろ?」
「何言うとんねん」
ゲルハルトは一つ大きなため息をつく。
「あんな、気持ちっていうのは言葉に出さなわからへんねんで。自分が何思うてるか、エリアの嬢ちゃんにだいたいのところは伝わっとるやろうけど、それじゃあかんねん。言葉に出して、初めてちゃんと伝わるんや」
ゲルハルトの言葉にユートは頭を掻く。
「やからちゃんと言葉に出していってやり。それがないと自分らこっから先に進めんへんで」
ゲルハルトはそれだけ言い残すと自分たちの宿舎へと帰っていった。
そうこうしているうちに日が傾き、夜のとばりが降りようとしていた。
「なあ、エリア」
ちょうどアーノルドがいないタイミングを見計らって、ユートが声を掛ける。
「何よ?」
「あのさ、前に言ったこと覚えてるか? ほら、戦いに勝ったら話したいことがあるって……」
「…………覚えてるわよ」
「今、時間取れないか?」
エリアはちらり、と執務机の上の書類を見やる。
「ちょっと待って。切りのいいところまで片付けたいわ」
「わかった。じゃあ待ってる」
「上で待ってなさいよ。あんたにうろうろされたら集中できないし」
「わかった」
ユートは先に上に上がり、私室でじっと待つ。
恐らく客観的には数十分待たされたはずなのだが、ユートにとってはその待ち時間は一瞬のようだった。
間もなくノックの音が聞こえてきて、メイドに案内されてエリアが入ってきた。
「来たわよ」
「おう」
沈黙が流れる。
どう話し始めたらいいのか、と思案しながらエリアの顔を見ると、その視線の強さに思わず怖じ気づきそうになる。
「エリア……」
「何よ」
じっとエリアと視線を合わせていると、ますますどうしていいかわからなくなる。
「ちょっとバルコニー出ようか」
「…………いいわよ」
バルコニーは気持ちいい風が吹いていた。
「なあ、エリア。初めて会ってから随分たつけど、本当にありがとう」
ユートはそう切り出した。
「いきなりどうしたのよ?」
ユートの言葉に戸惑いを隠せないエリアの反応を見ながら、ユートは言の葉を紡ぐ。
「冒険者として何も知らなかった俺に、色々教えてくれて、冒険者ギルドを作るという夢も笑わずに一緒にやってきてくれて、本当にありがとう。今回、アナやジークリンデと結婚して、冒険者ギルドを王国の公認のものにできたのも、最初にエリアがいてくれたからと思ってる」
「……それはお互い様よ」
「これまでずっとエリアがいてくれてよかった。出来れば、これからもずっとエリアに一緒にいて欲しい」
少し、間を置いて、ユートはなけなしの勇気を振り絞る。
「エリア、お前のことが好きだ。だから、俺と結婚して欲しい」
「何言ってるのよ。あたしは平民の娘で、あんたは伯爵様よ。これまでは仲間だったし、これからも仲間でありたいとは思ってるけど、でもあんたとあたしは住む世界が違っちゃったのよ」
エリアが笑いながらそう言ったが、ユートには悲痛な叫びのように聞こえる。
「大丈夫だ。その為にエリアに正騎士叙爵をするって、アリス王女と話をつけてきている」
ユートの言葉に、エリアは噛みしめるように瞑目して聞いていた。
そして、目を開くと、じっとユートの瞳を見つめる。
「あんた、馬鹿でしょ。どこの世界に、好きだから三番目の妻になってくれっていう男がいるのよ」
エリアの両の瞳からは涙が流れていた。
「あんた、馬鹿でしょ。どこの世界に、好きだから正騎士の位をもらってくる男がいるのよ」
エリアの両の瞳からは涙が流れていた。
「ユート、あたしはアナやジークリンデと違う、ただの冒険者の女よ。貴族の妻として上手くやっていく自信なんてないし、出来るのは魔物狩ることだけよ? それでもいいの?」
「もちろんだ。魔の森で、背中を預けられるのはエリアだけだって、あの魔兎狩りの時からずっと思っている」
「ユート……」
エリアはユートの両手を握っていた。
夕闇の中、二人の影が重なった。
街の夜景と、ようやく出てきたいくつかの星だけが、彼らを見守っていた。
これで第四章 王位継承戦争編はおしまいになります。
予定通りちょうど本編100話でエリアとユートの関係にも一区切りをつけられてよかったです。
来週月曜日からは第五章が始まりますが、もしかしたら土日に間話を挟むかも知れません。
いずれにしても、今後とも異世界ギルド創始譚をよろしくお願い致します。
また、きりのいいところですので、もしよろしければ感想・評価の方もお願い致します。




