第098話 論功行賞
摂政王太女――そんな立場となったアリス王女をまず悩まさせたのは論功行賞だった。
今回の王位継承戦争で衆目の一致する戦功第一は苦難の川の会戦でクリフォード侯爵の本営を急襲して勝利のきっかけを作り、東部侵攻では先陣を切り、シェニントンの会戦でタウンシェンド侯爵の首を挙げたユートである。
また、ウェルズリー伯爵もそうしたユートを用いた用兵を含めて、総司令官としての戦功は大であり、これに後方兵站を担ったサマセット伯爵、ユートの東部侵攻を助けたシーランド侯爵といったところが続くだろう。
そうした論功行賞を行うため、アリス王女は七卿と近しい貴族たちを集めた会議を開催することになった。
「問題は、与える知行がない、ということですな。まあこれは内乱とはいえ、方や代王を称した上での偽勅を奉じたがゆえ、それに従った者を除封出来ぬ、というのはものの理」
そうアリス王女の前で述べているのはハントリー伯爵フレデリックだった。
ハントリー伯爵の役職は外務卿であり、七卿の序列第三位だったが第一の財務卿シュルーズベリ侯爵ハーマンが病により休養、第二の内務卿タウンシェンド侯爵アイザックが討死した結果、繰り上がりの第一位となっている。
アリス王女が上座に座った長机には、アリス王女から見て右にハントリー伯爵の他、法務卿ウォーターフォード侯爵バーナード、総務卿コーク伯爵キース、そして宮内卿にして正騎士ケヴィン・アーネストもいた。
一方で左にはようやく王都に到着したサマセット伯爵にシーランド侯爵と先代カニンガム伯爵、ウェルズリー伯爵、そして一番末席にユートが座っていた。
本来ならばシーランド侯爵が一番の上席に当たるのだが、前内務卿、現西方総督と王国の重鎮であり、王女派の首魁でもあるサマセット伯爵に遠慮してこの席次となったようだった。
また、ハミルトン子爵も招かれていたのだが、北方から王都は遠かったこともあり、間もなく到着する予定だった。
「やはりそうなりますか」
アリス王女は顔色を変えずにそう言った。
当たり前のことであるが、貴族の領地というのは先祖代々受けつがれてきたものであるし、子々孫々受けつがれていくことが前提となっているものである。
もちろん叛乱などの不行跡を為したならば改易されるのは当然だったが、今回の場合、ゴードン王子が代王を称して――アリス王女はそれを僭称といっているが――いたわけであり、それに従ったからといって叛乱と看做すのは無理があった。
もしそれを叛乱と看做すならば、国王なりの王位が正当かどうかを貴族が判断しなければならないことになるわけであり、その方が僭越である、ということだ。
結果、今回の一件ではタウンシェンド侯爵も含めて全ての貴族の領地は安堵せざるを得なかった。
もちろんこれは下手に除封したりするとゴードン王子に与した貴族たちがノーザンブリア王室に対して不満を持ち、大規模な叛乱を起こす可能性がある、という現実的な事情もあってのことだった。
「タウンシェンド侯爵家は移封出来ましょうが……他は厳しいでしょうな」
ハントリー伯爵の言葉にウォーターフォード侯爵やコーク伯爵も頷く。
「ということは、ユート卿に対する知行は考えねばならない、ということですか……」
「そうですな。アナスタシア王女殿下の婚約者となるのであれば、さすがに正騎士というわけには参りませんからどこかに知行を与えねばならないのもものの理ですが……」
それだけではなく、ユートは北方大森林の第四階位の神職でもある。
これはノーザンブリア王国でいえば伯爵の爵位に相当するものであり、バランスを取る意味でもノーザンブリア王国は伯爵に任じなければならなかった。
「直轄領から知行地を分与、となりますと貴族院の賛同が必要になりますな」
アーネスト宮内卿が顔をしかめた。
七卿の補弼を受けた国王親裁が常となっているノーザンブリア王国であるが、いくつかの事柄については七卿や貴族院の賛同が必要になることが、百年前の王国改革の際に定められており、直轄領から分与して新たな貴族領を成立させることはまさにその七卿や貴族院の賛同が必要になる事柄だった。
これは、暗君が国王に即位した時も国王の権力の源泉である直轄領を貴族たちにばらまいて、ノーザンブリア王室を衰退させない為の方策だった。
特定の――暗君が贔屓する――貴族にだけ与えようとすれば、まっとうな貴族が反対して分与できまい、と考えられた制度だったが、今回の場合、ユートを貴族にするための分与の提案が貴族院を通る、というのは大きな問題だった。
貴族の端くれどころか、トーマス王によって平民から正騎士に引き揚げられたユートを、一足飛びどころではない飛び級で伯爵に陞爵するという提案は保守的な貴族の反発は確実であり、更にこれに先の王位継承戦争でアリス王女に対して隔意を持つ南方貴族が反対すれば否決されかねない。
そして、ユートの陞爵についての提案が否決されるということは取りも直さず、アリス王女の権威が否定されるということであり、次の国王としてトーマス王が存命中に後継者としての権威を確立しようとするアリス王女にとって致命的な政治的失点となりかねなかった。
「だからといって、アナスタシア王女殿下と娶せるのは陛下の勅許も出ておりますれば、これを無視するわけにもいきますまい」
サマセット伯爵がいうと、全員が頷く。
ユートは少しばかりこそばい気持ちとなって、一番末席で悶えていたが誰も気がついていなかった。
「アナスタシア王女殿下に臣籍降下頂き、公爵位と公爵領を陛下より下賜された上で、婚姻に伴って領地分割をする、という手もありますが……」
アナが王位継承権を捨てて臣籍降下するならば公爵位を下賜するのは通例であり、そしてそれに伴う公爵領を与えるのもまた通例、婚姻に際しての持参金がわりに領地を渡すというのも例がないわけではないから貴族院は通せるだろう。
サマセット伯爵の提案はそう言う意味では現実的だった。
「サマセット伯爵、それはさすがに。既に王弟殿下は亡く王族が減っております。この中で数少ない王族を更に減らすのは王国の次代を考えた時、あまり得策と言えぬのがものの理」
ハントリー伯爵の指摘にサマセット伯爵も頷く。
「それは確かにの」
王弟――つまりアリス王女やアナの叔父は既に病死しており、病弱であったこともあり子がなかったので血縁の近い王族、というものが少なくなっている。
血縁の遠い者は大公位を与えられて王室の身内として、王室直轄領の代官として各地に赴任しているが、彼らは血縁が遠くなっている上に数もそれなりにいる為、いざアリス王女の万が一があった時にはまた王位継承戦争が起きる可能性があった。
「ともかくこれ以上考えてもしょうがあるまい」
全員がため息をつく中、先代カニンガム伯爵がそう纏めた。
いいアイディアは出ないだろうし、あとは貴族院の意向を非公式に探りつつ落としどころを見つけるしかない。
「わらわにも一つ考えがあります。少し考えて、次の会議にでも出せれば、と思います」
アリス王女がそういったことでこの話は一度終わることになった。
続いて議題はウェルズリー伯爵やその他の貴族たちの論功行賞に移っていった。
とはいえ、戦功第一のユートにすら割ける領地がない状況、そしてあくまで内乱ということを鑑みて、ウェルズリー伯爵以下には宝物庫から宝剣などといった宝物が下賜されるに留まり、またウェルズリー伯爵たちも苦しいアリス王女の懐を知っているので有り難くそれを受け取っていた。
「ところで、シュルーズベリ侯爵は……」
「恐らく、復帰出来ないでしょう」
アリス王女は冷静に言い放った。
だが、それに鼻白む者もいない。
誰もがシュルーズベリ侯爵は重病を患っているのは知っていたし、激務の財務卿を務めるのはもう無理ということはわかっていたのだ。
「しかし、解任はしません。ハーマン卿は長きにわたって国と父に尽くしてくれた王国の忠臣。その花道もまた綺麗なものでなくてはなりません」
アリス王女の言葉に長机の右側――七卿の側からほっとした空気が流れた。
財務卿シュルーズベリ侯爵ハーマンはトーマス王の股肱として知られており、即位以来ずっと七卿の座にあり、特にここ二十年に渡って七卿の首座、宰相と称される財務卿に就任して国政を司ってきた男だ。
その見識の高さ、忠義の篤さは王国一と言っても過言ではなく、だからこそ病床にあるからとアリス王女に解任されて終わるのは可哀想でもあり、また王国に尽くした忠臣の終わり方として適切でもないとみな考えていたのだ。
アリス王女もまたそれはわかっており、だからこそ病気休養という形で事実上解任しつつも財務卿の地位から動かすことはしないつもりであった。
「ゆえに、取り急ぎ内務卿と軍務卿を任じなければなりません」
討死した内務卿タウンシェンド侯爵は当然として、軍務卿クリフォード侯爵もまた正式に解任されていた。
こうした役職は国王の専権であり、領地の除封とは違って解任は国王――この場合は摂政たるアリス王女――の一存で動かすことが出来る。
アリス王女の言葉に、会議に参加している者たちの間で少しばかり緊張感が走った。
軍務卿はともかく、内務卿はシュルーズベリ侯爵が退任した後は財務卿の持ち上がる可能性が高く、これに就任することは事実上の次期宰相に指名されることに等しいからだった。
「ともかく、先に軍務卿を指名させて頂きましょう。ウェルズリー伯爵レイモンド卿、あなたにお願いしたく思います」
アリス王女の言葉に少しばかり肩すかしを食ったような雰囲気となったが、同時に場の空気が和む。
「正式には陛下の名代として任命式を行いますが、あなたしか軍を治められる人はいないでしょう」
アリス王女の言葉に、ウェルズリー伯爵は立ち上がり、そして礼法通り拝跪する。
「一命にかえましても」
「よろしく頼みます」
ウェルズリー伯爵はポロロッカまでは軍務省で作戦部長を務めており軍官僚としても優秀、軍人としての才能は雷光の異名が全てを表しており、今回の戦功第二位でもあることを考えれば順当すぎるくらい順当な人事と言えた。
「さて、内務卿なのですが……」
アリス王女はそこで言い淀んだ。
「これは後日発表したく思います」
再びの肩すかし。
「あとは何かありますか?」
その後、二、三の議題が出たが、アリス王女に最後まで場を支配されたまま、会議は終わった。
一言も発言する機会のなかった会議後、ユートはアリス王女に呼ばれていた。
「私のティールームへようこそ」
アリス王女は少しおどけながらティールームに招き入れた。
ここはずっとアリス王女が使っていたティールームらしいが、内装はレースがふんだんに使われた可愛らしい内装であり、少しばかり少女趣味が過ぎるのではないかと思うほどだった。
そんな内装は間違いなく部屋の主――アリス王女の趣味であり、普段の冷徹なまでに冷静なアリス王女を思うとギャップを意外に感じたが、すぐにまだ十五歳の少女なのだということを思い出す。
普段は王女として凜としているが、彼女の内面は初めて会った時――アリアと変わらないはずなのだ。
招き入れられたティールームには、 ウェルズリー伯爵やサマセット伯爵もおらず、いるのはユートとアリス王女、そしてアナの三人だけだった。
「北方以来、苦労させました」
アリス王女は開口一番、ユートを労った。
「ユートがいなければ私の首は胴と離れていたでしょう」
「いえ、ウェルズリー伯爵やサマセット伯爵がいれば……」
「そのウェルズリー伯爵を連れてきてくれたのはユートですね。それに兄を自裁させて今後の後継者争いの芽を摘んでくれたのもユートですね」
そう言いながらアリス王女は悪戯っぽく笑う。
「あなたが欲しがっていた、エリアの正騎士叙任を許可しましょう。まさか王女の降嫁だけで足りぬとは初めて聞く話ですが……」
「いや、そういう意味じゃ……」
ユートは慌てて言い訳しようとするが、悪戯っぽく笑うアリス王女はその機先を制するようにして頷いた。
「わかっていますよ。正式な叙任はもう少し後になりますが……先にアナスタシアとの婚約発表、それとジークリンデ殿との婚約発表がこなければまずいでしょう」
そこでアリス王女は眉を少ししかめた。
「問題は、あなたの知行のことです」
今日の会議でも話し合ったことだったが、ユートの爵位――領地をどうにかしない限りアナとの婚約発表は難しいのであり、それが解決されない限り、エリアの正騎士叙任も含めて先には進めない。
「そういえばアリス王女が仰っていた、腹案は何なのですか?」
「ええ、そのことを話し合いたくてあなたを呼んだのです。アナスタシアには先に話してありますが……」
そう言いながらアリス王女は顔をしかめる。
「正直、あなたに与える領地はありません。今の国情であなたに領地を与えれば、恐らく貴族が割れるでしょう。私はそれだけは避けたい」
「じゃあ……」
婚約はどうするのか、ひいては北方大森林との関係はどうするのか、と言いかけたのをアリス王女が手で制する。
「わかっています。あなたとジークリンデ殿の婚約だけを発表したらそれこそ大変なことになるでしょう。いわば大森林のお抱えの武装集団が国内に忽然と出現することになるのですから」
ただでさえ、王位継承戦争におけるゲルハルトの活躍で獣人の戦闘能力に対する評価は高まっており、それをちゃんと制御できなければ獣人を排除しろという声すら出かねなかった。
その為のジークリンデ、アナとの婚約であり、ジークリンデとの婚約だけが先行すれば、ユートの一存で北方大森林と呼応しての叛乱が起きるのではないかという危惧が生まれるのは確実だった。
「ユート、貴族は国に尽くすのかわかりますか?」
「えっと……」
ユートは日本の歴史を思い出す。
封建社会――御恩と奉公。
そんなキーワードが思い出された。
「えっと、王が貴族に対して土地の所有権を認めるかわりに、貴族は王に仕えるってことですか?」
「その通りです。貴族にとって先祖代々の土地は何よりも大事であり、自らの権力の源泉です。それを王が認めるかわりに、貴族は王と国の為に尽くします」
そこでアリス王女はじっとユートの目を見た。
「ユート、あなたにとって一番大切なものは何ですか? ――ああ、エリアやアナスタシアというような答えはいりませんよ?」
アリス王女が言いたいことはすぐにわかった。
貴族が土地を大事と思うくらい、ユートが大事と思うものはたった一つしかない。
「自分にとって大事なのはギルド――冒険者ギルドです」
そう、もちろんエリアや仲間――その中にはゲルハルトやアーノルド、アナも含まれている――も大事だが、アリス王女が求める答えはそういうものではないだろう。
「ええ、そうですね。では、その冒険者ギルドを王室が公認しましょう。場合によっては必要な法令を作ってもいいです。そのあたりはアナスタシアと詰めればいいです」
「しかし、それで貴族を名乗っていいんですかね?」
今までも正騎士としての副業のような形でエレル冒険者ギルドを経営していたが、それを正式に“貴族の領分”とするとなると違和感しかない。
「確かにユートの言う通り、ギルド、というのは異例です。しかし、経済力を持って王国の貴族扱いを受ける存在の前例は、教会という前例あります。それに貴族からしても軍事力、経済力、ひいては貴族の子弟が正騎士として家を残せる官僚や軍人の数が減る直轄領分与が起きたり、誰かが除封されてユートが爵位を得るくらいならば、ギルドを“領分”とする少し異例の貴族を認める方がましでしょう」
そしてユートと、アナの方を見る。
「爵位は伯爵としましょう。家名は……本来ならば領地の地名をつけるところですが、異例ですので、何か所縁の家名を考えておいて下さい。父上の裁可を頂いた後、陞爵と婚約を発表します」
「……わかりました」
話の急展開についていけないユートだったが、ともかくそう返事をした。
アリス王女はそれに頷くと、再びユートとアナを見回して言った。
「ユート、アナ、これからはあなたたちは私の身内です。正式にはもう少し後になりますが……よろしく頼みます」