第001話 二柱の神様、一人の変人
青柳悠人はその時、駅のプラットホームに立っていた。
大学の三年生も終わりに近づき、いよいよ就職活動が本格化する中、着慣れないスーツを着て、面接なるものに参加した帰りだった。
今日の面接は散々だった。
志望動機を聞かれ、悠人は様々な自分の経験を話している内に何がなんだかわからなくなったのだ。
何を言いたいのかわからない、と苛ついた面接官の表情に、悠人もまた混乱して、面接は会話のキャッチボールすら出来ないままに終わってしまった。
(終わったことはしょうがない)
悠人はそう諦めながら心の中でニヒルな笑みを浮かべた。
そして、会社はまだまだあるから、一つ二つ落ちたところでそれ以上何も考えなくていい、と割り切った。
(でもせめて誕生日までには面接の一つでも通りたいな)
早生まれの悠人は今月末、三月二十七日が誕生日のまだ二十歳だ。
一つも面接に通らないまま、誕生日は迎えたくなかった。
今日はどこかで事故があったらしく、電車が遅れていた。
周囲のサラリーマンたちも苛ついた表情を見せている。
その遅れている電車がようやく入線してくるのが遠目に見える。
(ようやくだな)
悠人はそう思いながら、電車を待つ列に並ぶ。
と、その時。
悠人の視界の隅に、小さな女の子が入った。
その女の子はとてとてとプラットホームの縁まで歩み出ると、何か興味を引くものでも見つけたのか、ひょい、と何気ない動作で線路へと飛び降りた。
「おい!」
思わず大声を上げた悠人だったが、その少女を制止するには足りなかった。
つんざくような泣き声。
悠人は思わず飛び出した。
(クソ! バカ親、ちゃんと子供見とけよ!)
泣き声が響く。
(クソ! もっと速く走れよ!)
電車が迫り、泣き声が一段と大きくなる。
(畜生! 間に合え!)
悪態をつきながら、悠人はプラットホームから飛び降りた。そのままの勢いで泣いている少女を突き飛ばす。
少女は対向する線路まで跳ね飛ばされた。
何が起きたのかわからなかったらしい少女は一瞬泣き止み、そして再び、更に大きな泣き声を上げた。
そして、黒い電車が、悠人の視界いっぱいに広がった。
それが悠人がこの世界で見た、最期の光景だった。
「そなたがユートか」
悠人が意識を取り戻した時、目の前には黒のロングヘアーの、少し目つきの悪い女性が立っていた。
会ったことはないはずなのに、悠人の名前を何故か知っているらしい。
「どちら様ですか?」
「ほほう、妾にそのような口を利くとは面白い」
にやりと笑う女性。
目つきの悪さと相まって見ている者が不安になりそうな表情を作る。
「妾は審判神じゃ」
にやにやしたまま、女性は自分の名を告げた。
「審判神?」
「そうじゃ。死者の善行を称賛し、死者の悪行を非難する。そして死者の行く末を決める審判神じゃ」
「そっか、やっぱり俺は死んだんだな……」
悠人は審判神の言葉を聞いてぽつりと呟いた。
「……まあ当然じゃの。あんな鉄の塊とぶつかって生きておったらそれは人の枠から外れておるからの。ああ、お主の体は妾が治してやった故に安心せよ」
審判神も悠人の内心を慮ってか、少し声のトーンを落とした。
「俺が助けようとした女の子はどうなりました?」
「安心せい。あの時はお主に突き飛ばされて泣いておったが、あの子は天寿を全うする」
審判神の言葉に悠人は安堵した。
「で、じゃ。お主のことなんじゃが……」
審判神はいよいよ本題に入るらしい。
「お主の行いに対して、審判神の名に賭けて審判を下すとの、まあ善行が勝っておるわけじゃ。といっても評価の大半は最期の一件じゃがの」
「あの一件ってそんなに評価してもらえるんですか……?」
「命を賭けて人を救ったんじゃ。これ以上に評価出来ることをお主は思いつくのか?」
「……確かに」
そう言いながらもどこか不服げな悠人。
「お主はこう思っておるのじゃろ。確かに崇高なことかもしれんが、世の中にはそんな者は沢山いるじゃろ、と」
それを聞いて悠人は驚きを隠せなかった。
まさに悠人が思っていたことをぴたりと当てられたからだ。
「……心が読めるんですか?」
「当然じゃ。相手の心を読めんで審判なぞ下せるわけもない。で、お主の疑問に答えておくと、沢山おることはおるし、そうしたものは高い評価をして、その評価に見合った対応をするだけのことじゃ」
事も無げに言い放つ審判神。
「まあそれはよい。本題に戻るとお主の扱いの話じゃ。お主の評価を考えると、この天界に留まる資格がある。どうじゃ」
「どうじゃ、と言われても……」
そう言いながら悠人は辺りを見回した。
今まで目の前の審判神に気を取られていていたが、悠人がいるのはパルテノン神殿のような古代ギリシャ様式の神殿であり、その柱の間からは辺り一面広がる雲海が見えている。
一面の雲の上に、神殿がぽつりと浮かんでいるようだ。
「まあ天界と言ってもここだけではないがの。それなりに楽園じゃぞ」
それなりに、と付ける辺り、この審判神のざっくばらんさが表れている。
「お主が満足できるかはわからんがの」
「……それは、どういう意味ですか?」
「妾が見るに、お主は刺激や危険を求めるところがある。この天界での生活は平穏で充実したものじゃが、それをお主が是とするかと言われれば疑問符がつくだけのことじゃ」
刺激や危険、と言われても悠人にはぴんとこなかった。
「例えばお主、ここで平穏な生活をするより、魔法を使って戦ってみたいと思わぬか?」
「そりゃ毎日会社に通う生活をするより、魔法で魔物を倒して冒険をするような毎日の方が楽しいと思いますけど……それって普通ではないですか?」
唐突な審判神の質問に、そう即答した悠人。
その答えを聞いた審判神は破顔大笑した。
「お主は面白いな。普通の人間はそんなことを思わんものだ。いや、勿論下界にいる内はそんな憧れを抱くこともある。しかし、天界で未来永劫平穏だが充実した日々を過ごせることとなったら、そんな憧れよりも平穏無事を取るものじゃ」
審判神の言葉に何とも言えない顔をする悠人。
「まあ大人になる、という奴じゃな」
「……まるで俺が子供っぽい、と言ってるように聞こえるんですが?」
「神の立場から見れば人間なぞ皆子供のようなものじゃ」
審判神はそう言いながら愉快そうに笑う。
「まあ戯れを言うておる時間もない。もう笑わぬしよく考えて答えよ。お主は平穏無事な生活より、魔法を使って戦うような生活をしたいと思っておる、のか?」
「そうですね、そういう毎日を送りたい、と思います」
再び即答する悠人。
(要するに異世界ってことだろ。就職するより、何よりそっちの方がよっぽど楽しいに決まってる)
「ふむ、平穏無事、という意味を少し取り違えておるような気もするが、それがお主の望みじゃな?」
「はい」
「あいわかった。お主の望む、魔法の世界へ転生させてやろう」
「え……? 転生?」
「その通りじゃ。お主は善行を積んでおるので、天界で過ごす権利がある。しかし、それを望まず世界へと降りるのであれば、望む世界へ行かせるのは当然の審判」
審判神はそう言うとぱちり、と指を鳴らした。
その音に呼応するように、どこからともなく人が現れた。
金色の巻き髪に白い肌、そして目つきはどことなく優しげな人物だ。
「え、あれ? ここは?」
「久しぶりだな。三千世界を司る中間管理職の世界神?」
「え、あ。これはこれは、正義と衡量を司る極端な性格の審判神様」
二人とも目は笑っていない笑顔でにこやかに挨拶してみせる。
「……仲悪いんですか?」
「天界の挨拶のようなものじゃ」
「天界って随分と殺伐としたところなんだな……」
そんな悠人の感想を無視するかのように世界神がじろりと悠人を見る。
「で、こいつが下級世界送りなんでしょうか?」
「そうじゃ。下級世界ではないがの」
「うん? 審判神様が自ら下級世界送りを命じた極悪人ではないのですか?」
「待て! 俺のどこが極悪人……ですか!?」
悠人が慌てて口を挟む。
勝手に極悪人にされてしまってはたまらない。
「んー審判神様に馴れ馴れしいあたり? こんなひん曲がった性格の変わり者ですが、一応大神様の次に偉い神様なんですよ?」
「……むしろそなたに神格褫奪の審判下したくなったぞ?」
「ま、まあそれはいいとして、天界から世界に降りる、ということでしょうか?」
冷や汗をかいている世界神が話を戻す。
「その通りじゃ」
「また珍しいですね。まあいいや。どんな世界がいいんでしょうか?」
「剣と魔法の世界、じゃと」
「それはそれは」
そう言いながら世界神は頭に手を当てる。
「ふむ、一つ該当しました。剣と魔法が使えて魔物と戦うような世界です」
「よくそんな都合がいい世界がありましたね」
悠人の言葉に世界神は胸を張った。
「そりゃ世界神ですから。数万はある世界をちゃんと把握しています」
「さっき三千と言っていたような気が……?」
「三千ってのは形容詞です。大昔は本当に三千くらいだったんですけど、大神様たちが気まぐれに世界を作るから今じゃ数万はあるんですよ。その我が儘な大神様が作られた世界を全部を把握して管理神を割り当ててちゃんと管理している私って偉いと思いません?」
「やっぱり中間管理職……」
「……ねえ、審判神様。こやつやっぱり下級世界送りにしません?」
「早く進めよ。それと世界神。余計なことは言わぬ方がよいと思うぞ。今の言、大神様に知られれば下級世界の管理神に降格されかねん」
「げっ、それは勘弁して下さい」
今にも泣き出しそうな表情をした世界神は、いつの間にか手に握っていた冊子を悠人に押しつける。
冊子を手に取ってみるが、中身は何が書いてあるかわからない。
「……読めないんですが」
「ああ、神語は使えないのですね」
「天界で暮らすつもりがなければ教えるのは無意味じゃからの」
「えっと、この世界では魔法や剣があります。で、その中であなたは天界から降りてくる人なんで、好きな才能を与えられます。与える才能を選んで欲しいのですが、読めない、となると……」
「神語を教えるのは面倒じゃからパスで」
「……言うと思いましたよ。しょうがない。ユートでしたっけ? 自分で欲しい才能言ってて下さい」
(おいおい、無茶ぶりにも程があるだろ……)
悠人はそう思いながら、生前読んでいた小説の類を思い出す。
(剣と魔法の世界、か。まずは剣術と魔法が必要だよな。ああ、言語、しゃべったり読み書きとか……あと料理とかも必要か。一般常識も欲しいな)
「わかりました」
頭の中で考えていることはどうやらこの世界神にも読めるらしい。
「ただ一般常識はないですね。そんな雑多な知識の集合体ってどうやったら集められるんでしょう」
そう言うと、世界神はいつの間にか片手に持っていた帳面に書き付けていく。
「まあ魔法や剣を一々指定するのは面倒くさいですし、常識はどうしようもないんで戦いと日常生活に関する才能をしっかりしとけばいいですかね。ああ、そういえば魔物の解体って出来ます?」
世界神は事も無げにそう言ってのける。
「え? 解体?」
「出来ないですよねーはいはい。解体の才能も入れておきます。後は魔道具なんかも作れた方が便利だと思いますよー」
そう言いながら勝手に魔道具の才能も追加したらしい。
「こんなもんですかねー。後は審判神様の加護を入れればいいかな。よし、転生の準備をしてきます」
そう言うが早いか、世界神はふっと消えた。
「あやつのことじゃ。すぐに準備を整えよるじゃろ」
「加護ってのは何ですか?」
「ああ、妾の加護を得ればあの世界の管理神程度ならば手出しは出来なくなるのじゃ」
(なるほど、バックに審判神が付いている、ということか)
「あの世界では有用じゃで。おっと、もう準備が出来たか。最後に何か言い残すことはないかの?」
「親父や母さんは元気ですかね?」
「ふむ。お主が死んだ時、御母堂ははずっと泣いていたぞ。父御殿は、立派な最期だったと言うておったが……心の中では泣いておった」
「……そうか」
悠人は短く答え、そして沈んだ表情になった。
「まあそうは言うてもの……」
「審判神様」
何か言いかけた審判神の言葉を言葉を遮って言う。
「もし親父や母さんがここに来たら、ありがとうと伝えてくれませんか?」
「承知した。もっとも妾が直接応対するのはお主のように興味を持った場合だけじゃから、担当する下級神を介するがな」
「お願いします」
「ではそろそろ世界神が来るじゃろ」
審判神がそう言ったのと同時に、世界神が姿を現す。
「いいですか? 思い残すことはないですか?」
「ありません」
「じゃあ行きますよ!」
世界神はそう言うと、何やら呪文のような言葉を呟きだした。
徐々に悠人の周囲が七色の光に包まれ始める。
「では、行ってらっしゃい。よい来世を!」
世界神がそう言った途端、七色の光が強くなり、悠人は意識を失った。