第七の神話
この混沌の宴に新たに立ちはだかるは、自ら命を奪った男の名を名乗る者だった。
もう何が正しく、何が偽りなのか、互いが互いを騙しその正体を隠していたと言う事実。クラインの眼前で、アンナを奪い去った蛇女と対峙するは、記憶喪失だったはずの厄介者。その手には、コウだったディストーションの亡骸から残されたもの。この中世的な時代背景を持つ世界には、存在しないはずのスマートフォン型の端末が握りしめられている。
「さて、赤ペン先生コウさんの、答え合わせの時間だじぇ? まず、先に俺の名前を使ってた奴の正体は、この俺専用対ディストーション及び神獣召喚媒体、このスマートフォンって端末『ノアの方舟』に取り憑いたディス・モンスター……つまり、俺に成り代わろうした偽物さ」
ノアの方舟と呼ばれたそれを手の中で上に放り投げては弄び、ゆっくりとこの世界で起こった真実を話し始めるデボス……いや、コウ。
その表情は、とても今現在殺し合いの最中とは思えない程にヘラヘラとしており、いつもの軽い雰囲気とノリとおちゃらけた態度の彼そのものだった。
この異形の存在との殺し合いの舞台に慣れて、いや、慣れ過ぎているのだろう。まるで恐怖を感じた様子はない。
それどころか、これが彼の本来の日常なのだろう。あまりにも場馴れし過ぎているようにも感じ取れる。
「まーところがこれが取り憑いたディストーションの量が少なかったんだろうねぇ、神獣を召喚は出来るが能力は使えないわ、自分自身は人間と変わらない強さでしかないわってんだから、そりゃ俺の神獣奪って成り代わろうにも無理な話って思ったんだろうね。案の定、俺も正体を睨んでいたそこの巨乳で美乳なパーフェクトおっぱい熟女ヘビ、略してパイジュクビのディストーションを取り込んでしまおうとしていたみたいさ」
全くもっていつも通りの調子だった。堂々とラミアーの胸元を凝視して手をわきわきさせて揉む様な仕草までしちゃったりしてるコウ。
これが本当に神様なのだろうかと言うクラインの疑念は、恐らく正常な思考であった。
軽い雰囲気でスケベで常に余裕に溢れていて、それでいて何を考えているのか分からない。だが、それ故にこれまでクラインはおろか、ラミアーすらデボスが本物のコウである事を見抜けなかった。
そのラミアーもまた、自身の胸を凝視するコウに若干呆れ顔だが。
「で、挑んだ結果はこの通り……っと。俺に神獣を取り戻されましたと言うのが、顛末さ。そんで、俺自身は……パイジュクビ、おま〜に近寄る為、力を失っていた間に正体がバレて倒されない為、記憶喪失のフリをしていたわけだじぇ。おかげで色々と画策もさせてもらったさ」
「神と言うより詐欺師じゃないか……あんた。でも、もう1人のコウを殺す必要なかったんじゃないか……! なんとかしてノアの方舟とか言うのだけ取り除けば……」
「それは無理よぉ、可愛い坊や。それそのものがディストーションとなってしまっていたんだもの。この身体となった哀れな女みたいにね。だから、殺す以外選択肢なんてないの」
微かな希望がラミアーの無慈悲な言葉で一気に潰える。つまり、もう1人のコウも、アンナも、ディストーションそのものとなり、もう元に戻る事は不可能という絶望の宣告だった。
もう、アンナもディストーションのコウ……ディス・コウと名義しよう。彼もクラインの元に戻る事は、永遠に敵わない。
残されたのは、友人と母を失った虚無感だけだ。
「そう、料理された豚肉が元の豚に戻らない様に、こうするしかノアの方舟を取り戻す事も出来なかったのさ。そんで、方舟を取り戻さないと、パイジュクビ……おま〜を倒すなんて出来やしないんでね……!」
口調が軽い雰囲気のそれから、急速に森の闇夜と冷気よりも昏く、冷たく、鋭くなっていく。絶望の中で聞き入っていたクラインの背筋に、ゾクリと悪寒が走る。いつの間にかおちゃらけた空気も消え、まるで命を断つ殺戮の刃の様な覇気を纏っていた。
あのおちゃらけた、軽い雰囲気のコウとはまるで別人になったのではないかと勘違いをしそうな程の殺気。
背後に位置する、捨てられた子供達の死体を一瞥するコウ。彼にとって、それは救わねばならなかったはずの命。神獣を奪われたせいで異形を野放しにしてしまい、失ってしまった無限の未来。許されざるコウの罪の象徴。だがしかし、もうそんな悲劇の舞台は終幕だ。
ここに、神は帰って来た。今度こそ、世界を破壊に導く者を止める為に……。
ノアの方舟を握り締め、ラミアーへと向ける。
「さぁ、最後の答え合わせだじぇ。俺が何故神獣士でありながら神になれたか……それを見せてやるじぇ! 『神獣召喚』!」
刹那、神獣を宿した媒体ノアの方舟の液晶が輝き、闇夜を照らす。術式がノアの方舟前方に展開され、あらゆる言語にも取れぬ言語で埋め尽くされた陣より神々の生み出した眷属が、顕現する。
クチナシ色の黄色のクリスタルを額に備えた狼を先頭に、体長4メートルはあろう、紅の鱗に覆われ、額に紅蓮のクリスタルを輝かせ、樫の木の様な角と鉄すら切り裂くかの様な鋭さを持つ爪……。幻想の中で生きる憤怒の象徴にして最強の存在、西洋竜。太い尻尾を振り回し、長い首を天に伸ばして森全体が揺らぐかの様な雄叫びをあげている。
次に現れるは、額に雪の様な純白を宿したクリスタルを持つ竹林の中に潜む暗殺者、白き体毛の猛虎。体長は一般的なそれより一回り大型で、まるで主を護るかの様にラミアーを見据えて何度も主の前を徘徊している。
4体目はこれまでの獣と違い比較的小柄だが、その爪は捕らえた獲物を決して離さない。抉る槍の様な嘴を持つ大空の覇者、爽やかな風を思い起こさせる様な淡い緑のクリスタルを宿した鷹。
そして、最後に現れたのは、竜と並んで全く遜色のない巨大な体躯をもつヒグマ。体毛の上からも分かる発達した筋肉が隆起し、全てを力でねじ伏せる圧倒的な存在。額に大地と自らの体毛の色を表すかの様な茶色のクリスタル。目の周辺の体毛が伸びて目を隠してしまっており、顎の体毛がヒゲをイメージされ、まるで人間の老人の様だった。
圧巻。まさに圧巻だ。あり得ない事が、ラミアーとクラインの眼前で起こっていた。
ディス・コウの発言が脳裏から甦る。
『神獣士は1人につき1体しか神獣しか扱えない』
先程神獣と神獣士の存在について知ったばかりのクラインでも、異常と思える5体の神獣を従えるコウの姿。
5体もの神の眷属が1人の青年により呼び出され、彼を中心に結集し、ラミアーと対峙する。
「ちょっと……それ反則なんじゃない……?」
ラミアーの顔が引きつるのも無理はなかった。
神獣士は確かに精神力が高い人間にしか扱えないが、1体までが限界だったはず。それ以上の神獣を使役しては、精神を貪り尽くされ、精神崩壊を起こして人としての死を迎えてしまう。
故に、神獣と神獣士は1対の関係にしかなれないはずだった。
そう、確かにその通りだ。だが、ラミアーが知っているのはそこまでなのだ。
……いるのだ。数少ない神獣士の中でも、更に特異な存在が。100万人の神獣士の中に1人いるかどうかの莫大な精神力の持ち主が。複数の神獣と主従の契約を交わし、己が四肢として操る究極の神獣士が。
「流石のおま〜も知らなかったみたいだな。これが100万人に1人の神獣士『ワン・オブ・ミリオン』だ! テストに出るからよ〜く覚えておけ! いくじぇ! ウルフ! おま〜の雪辱戦だ! 『神獣合身』!」
コウの咆哮に呼応するかの様に、狼の神獣がコウに向かって飛び込む。偽りの神獣士が引き出せなかった、神獣の本当の能力。神獣は獣にして獣にあらず。神獣は神にして神にあらず。神獣は主と認めた者とその身をひとつにする事で、全ての殺意から護る鎧となり、全ての災いを打ち払う剣となる…!
1人と1体が僅かな間光に身を包まれ、神獣が光の粒子となってコウの全身を覆っていく。神獣が四肢に、胴体に絡みつき、獣の姿から鎧の姿となって再顕現化する。
そして、狼の神獣との合身を完了して現れた姿……それは、森の支配者……狩人だった。頭部に攻撃や衝撃を無効化する術式が施されたサークレット。中心部に狼の横顔を紋章として描かれている。左肩には丸みを帯びたアーマーが装着され、腕部を守護する軽量型のアームガードと、脚部に装着されたレガースに、それぞれクチナシの色の下地に雷を模した黒いラインが入ったデザイン。そして鎧の中心部に備わるは、額にクリスタルを埋め込まれた狼の頭部が立体的に浮き出た鎧。腰のホルスターに備わった銃身と発射口が2つある不思議なセミオート2丁拳銃、名を『雷電』と呼ぶそれを構える。
「そう……! そうだったわ……!貴方だったのね……前の世界で私を追い詰めたのは……!」
ようやくラミアーが思い出す。自身を異世界に逃げ込ませた手練れの存在を。その神獣士の強さは、これまでに出会った神獣士とは一線を画する強さだった。このままでは……と、脳が敗北をイメージする、してしまう。
単純な強さは恐らくコウの方が上だ。ならば、何とかしてこの場を逃げなければと考察を始める。
そこで目に飛び込むは、じっくりと殺すはずだった愛しい息子の姿。アンナの記憶と経験すらをも奪ったラミアーにとって、クラインは最早本当の息子同然だった。だが、今現在両足を折り、機動力を失っている息子は、コウにとって守りながら戦う対象、つまり足枷にしかならない。
まさか非戦闘員たる彼を無視して戦うなどと、神としてというより人として出来るはずがないだろう。
脳内でそう結論づいたラミアーの、邪悪さすら感じる微笑と思考に、当然クラインも気付いていた。
この状況下で最も邪魔なのは自分だろうと。クラインを守りながら戦うと言う不利なこの場面。ラミアーとクラインは、皮肉にも同じ思考に至っていた。
ラミアーが地を這う様に飛び出す。身動きが出来ないクライン目掛けて。コウが守りに入らざるを得ない状況を作り、一方的に攻撃する為に。
いくら神獣が4体残ろうと、彼等単独ではラミアーの敵ではない。
切り裂く為にある様な爪を構え、低空での跳躍の勢いを上乗せした一撃を放つ。
「……っ!」
叫びすら許さぬスピードで母であって母ではない存在が迫り来る。
クラインもまた、せめての防御とばかりに腕をマッシュルームカットの頭部に乗せて一撃に備える。
が、クラインに訪れたのは……ラミアーの攻撃ではなかった。
「必殺! マッシュルームアタァァァァァックッ!!」
クラインの臀部に、埋まるかの様にコウの右足がめり込む。尻を蹴られた痛みよりも先に、身体が浮きあがって凄まじいスピードとGを一身に浴びて……クラインがラミアーに向かって飛んでいく。
「いっっでえぇえぇっ!!?」
「え!? ちょっ!? キャアァァッ!!」
片方は自らの意思だが、片方は蹴り上げられた衝撃によって、互いにジャンプした空中。逆らえぬ重力とスピード。ラミアーの上から降りかかる巨大キノコの様なクラインを回避等出来るわけがない。
同時に、夜風の断末魔の如き炸裂音が3発。
クラインとの空中ランデブー直前、すなわちクラインを蹴飛ばした次の瞬間、倒れる様にしゃがみ込んだコウの連続発砲。弧を描く様に蹴り上げたクラインの軌道と交わる事無く、地面スレスレを飛来する弾丸が先にラミアーの腹部に着弾。突如の衝撃とダメージにラミアーの跳躍は勢いを殺され、体勢をも崩した状態でクラインと激突するハメになってしまった。
まさかの攻撃に、クラインもラミアーも予測どころか、発想すら無かった。神であれば、人々を邪悪から守るべきではないか。それをあろうことか、蹴飛ばして攻撃に使うとは。
「ちょっとぉ……こんなのアリなわけぇ? あぅっ!」
「いたた……い、いいのかよ!神様がこんな事しdぐぇっ!!」
抗議の声すらも遮られ、ラミアーの上で上体を起こそうとするも、そのラミアーを踏みつける様に飛び蹴りを放ったコウに、襟首を掴まれて問答無用でラミアーの上から放り出されてしまった。
「うわあぁっ!」
もう何度目か分からない空中遊泳。流石に先程の様な弾丸ライナーでは無かったが、ふわりと滞空時間の長いそれもまた、慣れていない人間にはありもしない地面や掴むものを求めて手足をばたつかせる程の恐怖感を十分に煽った。
少々長めの強制空中遊泳が重力によって終わりを迎え、ドサリと音を立てて背中から着地したそこは、地面に激突したような痛みは無かった。そもそも、背中に硬さこそは感じるが、肉感のようなものすら感じていたのだ。……何故なら。
《よう、怪我ぁないか?》
そこは燃え盛る炎の様な色をした爬虫類の鱗のベッド。竜の腕は巨大な体格に比べて細身ではあるが、クライン程度なら簡単に抱える事が出来るものだ。眼前に神獣・ドラゴンの顔が迫り来る。
「ひゃあぁあっ!! ぼ、僕を食べても美味くないぞ!?」
《全く…貴方は強面だから、怖がられてしまうといつも私言ってるでしょう?》
《るっせぇ! てめぇ鳥女、焼鳥にすんぞ!》
竜に顔を迫られて気づかなかったが、クラインの脳内に直接響く獣達の会話。乱暴な口調が神獣・ドラゴン、何やら高飛車なイメージを持つ女性の声が、神獣・ホークだ。
《ほっほっほっ、相も変わらぬのぅ》
《はぁ……ドラゴン、クラインさんを落とさない様に頼みますよ》
見た目通りに老人口調は神獣・ベア、気苦労が耐えなさそうな口調は神獣・タイガーだろう。彼等もまた、口調や会話の様子からそれぞれに個性が豊かな様だ。
「お、お前等喋れるの……?」
《ボクもおしゃべりしたかったけどね〜》
最後に聞こえてきたのは、ラミアーを踏みつけたまま2丁拳銃を撃ち抜き続けるコウの胸元から…合身中の神獣・ウルフだ。こちらはディス・コウが従えていた時からの付き合いだが、それまでに持っていたイメージが覆って、随分子供っぽい感じだ。
《ふむ、どうやら奴さんに動きがあるようぢゃのう》
神獣・ベアの言葉でクラインを含む獣達が視線を主に向ける。
精神力がそのまま弾丸に精製される為、セミオート拳銃のそれは一向に弾切れを起こさなければ、マガジンの交換も必要がなかった。
「くっ……!いっ……たいじゃないの!」
もう何発撃たれたか分からない乱射に次ぐ乱射に抵抗し、蛇の尾がコウの身体に絡みつき締め上げる。
大型の蛇は時に鹿や子牛すらをもその万力の様な力で絞め殺してしまう。ラミアー程の大型ともなれば、人間の骨など、その辺りに落ちている小枝と大差はない。
巻き付かれたコウの背中から、骨が軋むような音が聞こえてくる。
このままへし折られれば、いくら滅茶苦茶な戦い方でその強さを示したコウでも、命も危ないだろう。
「くっ……ぅ……っ!どうせ締めつけられるなら……尻尾よりそのおっぱいが良かったじぇ……!」
自身の体内から悲鳴の如き骨が軋むそれが聞こえながらも、軽口を叩いてみせるコウ。余裕ぶってはいるが、脂汗が滲み出ている。
それがただの強がり、やせ我慢であろう事は、ラミアーにはお見通しだ。
「ふふ……貴方、ちょーっとおいたが過ぎたもの、御褒美は……なしよ!」
更に力の限り、掴んだ尻尾を巻きつけていく。ギリギリと鎧の金属音が悲鳴となり、コウの身体を締め上げ続ける。このまま圧迫死させようと、ラミアーの尾が腕や足、四肢共々コウの自由を奪っていく。
「そりゃ……残念だ……じぇ……! 所で……電気マッサージは……お好きかい?」
締めつけられ、呼吸すらままならないはずのコウが、ニヤリと口元を歪ませる。やせ我慢ではなかった。持っていたのだ。この状況を覆す何かを。
口元を歪ませて、次いで起きるは、小さな発光。パチパチと音を立て、尻尾の葉巻状態から僅かに見えるコウの身体にまとわりついたそれは、まさに電気。神獣・ウルフの持つ属性は雷。自身の身体に電気を纏わせたコウの反撃が炸裂する。
「バリバリドォン!!」
全身から巻き起こる放電。まるで子供が名付けた様な技バリバリドンは、自身の身体に帯電させた高圧の電撃を放つ範囲攻撃だ。放出された雷は稲光のヘビとなってラミアーを包み込み、辺りに腐敗臭とは違う焼けた肉の臭いが上書きされる……。
電気の身体を持つヘビの共喰いをまともに受けたラミアー……。身体中が焼け焦げ、煙を噴き出しながら力なく崩れていく。
「あ……あぁ……」
全身から炭の様な焦げた臭いを放ちながら、電撃に震えた声が絞り出てくる。
麻痺した思考の中で、死の足音が聞こえる。そうラミアーは感じた。
彼女の視界には、神を名乗る神獣士がやっと手に入れた自由を確認する様に腕を回す姿が捉えられていた。
ならば今のうちにとばかりに、ラミアーは一部が炭化した右手をかざし、亜空間への扉を開こうとする。最早助かる術はこの場から逃げるしかない。それ程のダメージを負っていたが、コウもまた百戦錬磨の戦士だ。そうやすやすとは見逃さない。
「バン! バン!! バン!!!」
神獣・ウルフの基本的な技、バンバンバン。技の名はどうやら子供の人格を持つ神獣の影響のようだが、雷を付加した弾丸が2丁拳銃からそれぞれ2つの銃口から3発ずつで6発、計12発が発射される。
撃たれた者は銃創を電撃により焼かれ、体内の電気信号を撹乱されて麻痺や状況によっては心臓麻痺等を引き起こす。
名称に反して、威力は折り紙付きの電撃弾が次々と正確に亜空間を生み出そうとする右手を撃ち抜いていき、亜空間の精製を食い止める。
「さあて、そんなに亜空間旅行がいいなら、俺とデートと洒落込もうじぇ!」
コウが取り出したノアの方舟を操作し、亜空間フィールドを開く。電撃弾をまともに受けて痙攣し、倒れるラミアーを抱え上げて亜空間フィールドに飛び込み、最期の舞台へと誘う。
クラインと残された神獣達の目の前から姿を消し、戦いは、クライマックスを迎えていた。
★★★★★
亜空間を抜けたラミアーがまず感じたのは、頬を撫でる冷たい夜の風だった。
吹き抜ける風の音が聴覚を刺激し、眼前にはしがみついたコウの背後……満点の星空。そして、ラミアーを引きずり込もうと群がる無数の手……重力。
2人は今、上空200メートルの夜空の只中にいた。
「何を……何を企んでいるの!?」
辛うじて動く左腕で何度もコウの頬を、肩を、殴りつける。が、コウは全く動じず、しがみついたまま離れる事は決してない。その間にも落下速度がドンドン増し、最早この重力の暴走をラミアーの力では止められない。
「背中にご注意……だじぇっ! だりゃあっ!」
ラミアーを逃がすまいとしがみついていたコウが体勢を変え、彼女を踏み台に跳躍するかの様に蹴り落とす。
コウの一撃により落下速度が加速し、2人の距離が一気に離れる。
ドゴンッ!!
ラミアーの背中と何かがぶつかる。衝撃で身体は折れ曲がり、手や尻尾は力なく垂れ下がる。
……最大の違和感は、背中から腹部にかけてだった。火傷をしたかの様な熱を感じ、身動きも取る事が出来ない。それもそのはずだ。
ラミアーの目に映るのは、自身の腹から生える槍の様に長く太い金属の針。背中から貫かれ、まさに串刺しとなっていた。同時に、彼女は気付いた。自分が今、どこにいるのかを。
「まさか……ここは守護の塔!?」
山岳地帯で高い塔となれば、嵐や台風等の災害時、最も恐ろしいのは落雷による建築物の崩壊だ。
このスヴェトラーノフ公国では、どこの国よりも早く避雷針と呼ばれる落雷を誘導、地面へと電流を逃がして建築物を守る装置が開発されていた。これも、豊富な金属が発掘されるこの国だからこそ出来るものだ。
故に、この守護の塔にも、長いランスの様な避雷針が設置されている。
避雷針に串刺しにされたラミアーには、もう降りかかる雷から逃れる術はない。
「いや……! やめて……! も、もうしないから!」
星空輝く黒いキャンバスから舞い落ちる神が、今、裁きの雷を放つ。
「行くじぇ! ズバン! ズバン!! ズバン!!!」
銃口に拳程の大きさにまで濃縮、チャージされた電気エネルギーの弾丸を連続発射する、バンバンバンの上位互換技。鳴り響く雷の咆哮がラミアーに一身に降り注ぐ。
「ぎゃああぁぁぁぁ……………………っ!!」
何万ボルトもの雷撃がラミアーの身体を這い回り、脂を焼き、肉を焦がし、朽ち果てた消し炭へと変えていく。
全ての肉を、骨をも雷鳴の狼に蹂躙され……光の粒子へと蒸発。ディストーションへと変化したそれが、コウのノアの方舟の液晶へと吸い込まれていく。
「異界より生まれし偽りの魂よ……せめて……雷鳴の翼に抱かれて……眠れ……!」
胸の前で指で十字を切るコウ。
欺瞞と疑心に満ちた戦いは、遂に終焉を迎えたのだった。
《ところでマスター、僕達どうやって着地するの?》
「あ…………………………」
『たぁすけてぇぇぇぇっ!!』
ヒュウゥゥゥゥ…………ドンガラガッシャーン!!
最後の最後に、若干詰めが甘かったようだが。
★★★★★
「……ここにいたのか」
晴れ渡る青空。ラミアーとの戦いから一夜明け、穏やかな風が吹き、太陽の光が暖かく出迎える。そこは、常闇の森を抜けた先にあり、情熱を表す赤い花々……赤いカリーナが自生した、木々に満ちた山々が一望出来る小高い丘の上。
両足を添え木で固定されたクラインが、クチナシ色の狼を横に携えて、並んだ2つの大きな石……簡略化された、2人の墓の前にいた。
「悪いね、ウルフを借りて……」
「構いやしないさ。……アンナさんと、もう1人のコウの墓……か?」
クラインは頷く。よく見ると、更に周囲には沢山の石が建ててあった。
全て、この事件の被害に遭った子供達のものだ。
「すまない……俺の失態で、アンナさんは……」
コウが頭を下げ、謝罪の言葉を吐き出すも、クラインはコウに振り向く事無く、首をそっと横に振る。
「言わないでくれ……意味もないのに、またあんたを責めたくなる」
「…………………………」
無言。互いにこれ以上の言葉は、深い溝が生まれるだけだと、それ以上は語られなかった。
「……なぁ、あんた」
クラインが口を開く。
「ん?」
アンナともう1人のコウの墓に手を合わせるコウが聞き返す。
「あんたは、何のために戦ってるんだ?」
「給料の為」
あっさりと答えるコウ。やがて、祈り終わったのか、神獣・ウルフを従えて踵を返し、常闇の森の前に広がる亜空間へと歩を進める。
「もう僕をこれ以上騙さないでくれよ。母親と友人をいっぺんに無くして傷心なんだからさ」
背中越しにクラインが言う。その言葉にコウは立ち止まり、小さく口元で笑みを作ると、彼もまた背中越しにクラインに答える。
「……俺みたいな人間を……増やさない為だじぇ」
「安心しなよ、あんたみたいな変人、そうそう増えないよ」
クラインの言葉に噴き出し、『そりゃそうだ』と答えるコウ。
これから先、クラインは天涯孤独で生きていく。しかし、彼には生きていける世界が……自分が生きていい世界がある。
辛いことがあるかもしれない。あの夜を思い出して、涙を流す事があるかもしれない。
だが、それも全て生きているから出来るのだ。
辛い過去だけでない。それすらも乗り越える未来が、護られたのだ。
赤いカリーナが風で揺れ、この世界の平和な時を……知らせていた。
この物語は、様々な自分の世界を持ち、そこで懸命に生きようとする者達と、人々が生きる世界を護ろうとする、1人の青年の……物語である。
やっとプロローグ終わりました。これからが本番です。
何故か予定とは違って、シリアスな幕開けとなりましたが…。
次回はギャグパートを予定しております。これから改めてよろしくお願い致します。