第五の神話
「つまり、そのディストーションってのがその災厄の正体なのか!?」
走り抜ける。
常闇の中を、2人と1匹が。時に岩を飛び越え、木々をかき分けて。
あの食い散らかされた子供達の遺体を発見後、森の外への脱出を目指していた。
本来であれば埋葬すべきだが、生憎二桁はあるだろう腐敗したそれを埋めるには、道具も時間も足りない。それよりも、コウだけならまだしも、クラインもいる状況でそれと遭遇しては危険と判断、先に村に戻りこの事を村の人々に伝えなければと結論を出したのだ。
「そう……ディストーションは異次元空間の歪み……今いるこの世界と異世界のほんの僅かな隙間風みたいなものなんだ」
腰程の高さにまで伸びた雑草を払いながら話すコウ。
ディストーションとは、万物の法則すら無視した超高密度エネルギーである。
時には異形の存在を。時には超常的な効果を生み出すアイテムに。時には人や動物に圧倒的な力を与える。
どの様なものとして、どの異世界に、いつ発生するかが全く予測出来ないものなのだ。
コウは、これまでずっとそのディストーションを回収する事を目的に旅をしていたというのだ。
「よく分からないけど……それをどうにかしなきゃいけないのは分かった!」
森を抜け、村へとひた走り、前を走るコウに必死についていく。
既に時は夕刻。これまで誰にも悟られずに子供をさらい、貪り喰う存在だ。恐らく日が暮れて……それも、皆が寝静まってから活動をしているのだろうとコウは予測している。
かろうじて顔が分かる子供達を見る限り、クラインが知る者はいなかった。
恐らく、周囲の村からさらっていたのだろう。だが、いつこの村にも牙が向けられるか分からない。
300人に満たない人口ではあるが、それでも次世代を担う未来の狩人は何人もいる。それこそ、乳飲み子だって、先月産まれ村を挙げてお祝いしたばかりの子だっている。
……なんとしても、その子達が被害に遭うのだけは阻止しなくては。
木造の建物が並ぶ村の中へと足を踏み入れる。
今やコウまでもが通い慣れたその木製の柵で仕切られたそこをくぐり抜けると、2人の目の前にいたのは、焼いた馬鈴薯…ジャガイモを口に運びながら歩くデボスだった。
ちょうど村の入り口近くの角にある総菜屋から出て来たのだろう。
「ん? どうしたんだおま〜ら? そんな葡萄酒を夜通し飲み続けたみたいな顔をして」
2人の様子にキョトンとしながらも、焼き馬鈴薯を口に運び続けるデボス。
安堵した。事情を知る数少ない味方である彼がいた。それだけで、どれだけ安心感を得る事が出来ただろうか。
並んで肩で息をするコウとクライン、どちらからともなく呑気に腹を満たす作業を継続する彼へと語り始めた。
「実は……」
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「なるほど……。全部の死体が腐敗、もしくは一部白骨化……となれば、多分そいつはそろそろ腹ペコなはず、近いうちに活動するかもしれないじぇ。それなら時間がない、クラインと俺で村のみんなには伝えて、コウさんはその死体の場所に戻った方がいいな」
事情を聞いたデボスが腕組みをしたまま開口一番に推理、対策案を提示する。
意外にもまともな受け答えをするデボスに、クラインはやや違和感を感じていた。
「手がかりがその子供達なら、そこがいわゆる貝塚みたいなものの可能性は高い。周囲に血が飛び散っていないなら、他の場所で殺してから喰ってそこに捨てていると考えるのが妥当だじぇ」
だが、次に飛び出した彼の台詞に、クラインの片眉が僅かに動く。
「それはつまり……次の犠牲者が出るのを待てと?」
そう、デボスの話は、『もう1人殺させろ』と言っている様なものだった。
確かに手がかりと言う手がかりは死体の山しかない。捕らえるにせよ駆逐するにせよ、そこに子供の死体を持って現れるのを待ち構えるしか、今の彼等には出来なかった。
デボスの考えは、理解は出来るが容認はコウだけでなく、クラインの様な一般的な思考をもつ者なら、誰だって出来ないものだ。
「はぁ……おま〜なぁ……その場所の近くに何があるよ?」
深い溜息と共に、後頭部をボリボリ音を立てながら掻く。
「何が……って……守護の塔と赤いカリーナの自生する丘くらい……って……!」
クラインが言いかけて気付く。デボスは、ハッとした表情を浮かべるクラインに何か企む様な、満足そうな笑みを浮かべて続ける。
「そう、守護の塔で見張っておけば、この村や周囲の村からそいつを見つけられる。で、そこから巣までの道筋が分かれば、コウさんが先回りして奇襲を仕掛けて子供を助けられるってわけだじぇ」
「だけど、守護の塔には国軍がいるんだから、軍に助けてもらえないのかな? それに、どうやって森の奥深くのコウさんに伝達すればいいんだよ?」
クラインの問いも最もだ。あの死体塚は常闇の森の最も深い場所にある。天を見上げても、狼煙どころか塔すら見えない。塔の見張り台は最上階……建物で言うならば、7階に相当する。そこから走って階段を降りて森の中まで行っては、到底間に合わない。また、守護の塔は国軍の所有物だ。実際に子供が何人も被害にうっているのなら、常駐する騎士達が協力してくれると思うのだが……。
「それは……難しいね。敵はこれまで10人以上子供達を貪ってきたんだ。それに、ディストーション・モンスターであるなら、ただの人間では荷が重過ぎる」
「あと、伝達はコウさんの狼がいればなんとかなる。とにかくもう日が暮れる。塔は俺が何とかするから、手分けしていこうじぇ」
焼き馬鈴薯の残りを口に運んで、デボスがまるで作業開始の合図の様に手を叩く。
確かに周囲に暗がりが増し、辺りはちらほらと蝋燭のかすかな明かりも見え始めていた。
ぐずぐずしていたら、本当に次の犠牲者が出る可能性だってある。
「……分かりました。僕はすぐに森に戻ります。後の事は頼みました」
コウのその言葉に2人は頷くと、それぞれが一斉に走り始める。
こうして、たった3人と1匹だけの反撃の狼煙が上がり始めたのだった。
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コンコンとドアを叩く音が響く。
辺りはすっかり太陽から月へ、空と言う名の舞台から役者が変わっている時間。
証明器具の乏しいこの時代、高価な蝋燭を使ってまで遅くまで生活をしている家庭は少なく、日の出と日没が1日の始まりと終わりを意味していた。
その為、この時間の来客等極めて珍しいものだ。もしや夜盗の類ではなかろうか?
そう思い、近くにあった息子の狩りに使う矢を手に持ち、恐る恐るドアに近づく。
コンコンコン、コンコンコン、コンコンコンコンコンコンコン
独特のリズムで3回、3回、7回とノックが響く。これを日常的に使う人物は、自己の記憶の中でたった1人しかいない。
「アンナさん、いるかい?」
「まあデボスさん…こんな夜更けにどうしたの?」
聞き慣れた声に、ドアを開けて招き入れるアンナ。
寝巻きと言うにはあまりに簡素なシュミーズの様なものを着たその姿は、いささか妖艶でもあった。
デボスは部屋に入ると、いつも椅子代わりにされている長持ちと言われる収納用の箱に腰を掛け、膝を土台にして両手を組んで頭を支える杖とする。
「デボスさん……?あの、息子がこんな時間になっても帰って来てなくて……何か知らないかしら?」
「……森の奥で、腐った子供の死体が見つかったらしいです」
噛み合わない会話。アンナの問いとはまるで求めていない返答。しかも、女性に聞かせるには随分と恐ろしい内容だ。
「今クラインが村を回って警戒を呼びかけています。コウさんも厳戒態勢を敷いています。恐らく、そいつはこの村では手出しをしにくくなるでしょうね」
「…………………………」
アンナを無視する様に。独唱の様に、デボスの口から言葉が紡がれ流れていく。
たった1人の言葉のコンサート。客はアンナだけだ。彼女はただ、その流れる様な異質な言葉の波に飲まれていく。
「そいつにとって幸いなのは、まだ村の連中は半信半疑……いや、二信八疑ってとこか……ほとんど信じていない事。真実を知るのは、3人だが、村にいるのは俺を除けばクラインしかいない事……なら、村で騒ぎ立てるクラインを消した方がいいでしょうねぇ……」
そう言って、デボスは立ち上がり玄関から微動だにしないアンナの横をすり抜ける様にドアに手をかける。
「…今なら厄介なコウ・ザ・ストーンズもいないんだよな、そう言えば」
自分の残像を刻み込む様に、最後に言い残して立ち去るデボス。
絡みつく。異様な程にアンナに、デボスの言葉は絡みついていた。
そして…………この時を境に、デボスは村から姿を消した。
★★★★★
「本当なんです!こことは違う世界から来た化け物が……! クソッ!」
これで8軒目。クラインは焦っていた。あのおぞましい光景が脳にこびりついて離れない。あんな恐ろしい出来事が、今にもこの村に降りかかろうとしているのに、村人は誰も信じてくれない。
ある意味では、それは仕方が無いのかもしれない。自身だって、異世界からの歪みやら、ディストーションやら、理解が出来ていない。そもそも自分のいるこの世界とは違う世界がある等、そんな発想すら今までなかったものだ。
自分自身が未だよく分かっていないのならば、誰だって話を聞いてくれやしない。
焦りばかりが無駄に募る。1人でも多くの人に危険を知らせなければならないのにと、気持ちがはやる。
「クライン……探したのよ……こんな遅くまで何やってるのよ」
不意に、背後から母の声がクラインを呼び止める。
「もう……こんな時間に皆さんに迷惑をかけて……」
「母さん! 大変なんだ! 森の奥でたくさんの子供が……!」
母のシュミーズにしがみつき、必死に訴える。目には涙を浮かべ、顔は見るに堪えない程に体液にまみれながら、必死に、必死に話した。
「……大丈夫……もう大丈夫よ……家にもデボスさんが来てくれて、教えてくれたから……」
母の優しい、ゆりかごの様な声と頭を撫でてくれる手。成人となってまだ幾ばくも経たない彼には、その母の温もりが何よりも染み渡った。
だが……。
「だから……安心して死になさい」
温かな、全てを包む母性の中から現れた冷たく昏い、刃物の様な言葉。
「え………………?」
そして、滲むような痛み。何かが身体から溢れる様な、生暖かい腹部の感触。
クラインの意識は、そこで途絶えた。