第四十六の神話
そこは、サーバタウンの一角にあった。
レンガで造られた2階建ての家屋は、中は意外にも広々としていた。
窓は全てカーテンで覆われて朝日を遮られて、灯りは等間隔にランタンが飾られていた。
中心部には大きな木製のテーブルがあり、そこに幾人もの女性プレイヤー達が思い思いに椅子に座っていた。
男性プレイヤーは見当たらない。全て女性だけだ。
現実では男性のいわゆるネカマのプレイヤーはこのゲームには存在しない。
理由としては、最初のキャラクターメイキングでのアバター自動作成にある。
以前からインターネットの世界では性別だけでなく様々な嘘が並ぶところであり、それが原因でのトラブルも絶える事がなかった。
そこで、このゲームではメイキングを自動化して性別の虚偽を不可能とする事でトラブルの軽減及び女性プレイヤーの保護をしやすくしていたのだ。
だからと言って、トラブル自体が無くなったわけではなく、むしろセクシャルハラスメントの表面化や性的被害の露骨化を招いている現状もあるのだが。
故に、この家にいるのは全て女性だけと断言が出来るのだ。
「団長はこの奥にいます」
クリスにそう告るのは、彼女をここまで案内したエルフ族のプレイヤー、アン。
目の前のドアを軽く数回、拳で乾いた音を立ててノックをする。
「アンです。件のプレイヤー、クリスティーナさんにお越し頂きました」
丁寧かつ落ち着いた物腰。恐らくアンは現実では秘書か何かを職業としているのだろう。ピッタリなイメージだ。
『いーよ、入ってきて』
ドア越しから聞こえてきたのは、意外にも男性の声。
堅いアンの口調とは真逆の軽々しい雰囲気を纏う声に、クリスの中で何かが引っかかる。
自分はこの声を知っている。確かに何処かで聞いた事があると、脳内の記憶を辿る中、アンがドアノブに手をかけて開かれていく。
ギィィと油が足りない軋みが奏でられながらクリスの前に現れた人物。
彼は、部屋の中心に置かれた質素な造りの木製のデスクに陣取っていた。
「やぁ、昨日ぶり……あぁ、現実時間なら半日ぶりかな? クリスティーナちゃん?」
「えと……貴方は……最初の……」
そこにいたのは、身長はコウと変わらぬ小柄で面長な顔の人物。
黒縁の眼鏡をかけた端正な顔立ちに余裕を含んだかのような笑みが張り付いていた、あの黒髪黒い耳が生えたにゃんにゃん族の男性。
胸元にチワワの頭部が描かれた、黒い軽装の西洋鎧……。言うなれば、ホーク・メイルと似た系統であろう騎士風のそれに身を包んだ、最初にクリスに声をかけたあのナンパ男達のリーダー格の彼だった。
「いやぁまた会えて嬉しいよ、君みたいな将来性ある可愛い娘は大好きだからさ」
言いながら男……クロームと以前名乗ったその者が、ズレた眼鏡をかけ直しながら立ち上がって近づく。
張り付いた笑みは、まるで人形に描かれたそれのような薄ら寒さすら感じる。
「まあ立ち話もなんだし、とりあえずそこのソファーに腰掛けなよ。課金して手に入れた高級品だから、座り心地は抜群だよ?」
コウと似ているが全く異質な軽い口調で、執務室の左側に備わった応接用のソファーを指差す。
クリスの隣に立っていたアンは、既に執務室内から続く給湯室へと姿を消していた。
この細やかな気配りが出来るアンは、本当に仕事が出来る人物なのだろう。
「えと……はい……」
言葉少なに促されるままソファーへと移動し、腰を掛ける。
なるほど。クロームが言う通り、確かにソファーはクリスの小さなお尻を優しく包み込み、まるで母に抱かれた赤子の様な心地良さだった。
「さて、早速本題に移ろうか。君、どんなチート使ったんだい?」
笑みで細くなった目に、鋭い光が見える。
彼、クロームは最初からクリスのナンパ目的で近づいたわけではなかった。
初見で気にかかったのは、ペットではなく植物……しかも、子供が描いたチューリップそのものを連れていた姿。
誰もが不思議に思う光景だ。しかし、彼がクリスをチートプレイヤーだと思ったのには、他にも理由があった。
「……君は一体何処の都道府県からログインしているのかな? IPアドレスから探っても、一体何処からアクセスしているのか全く分からないんだよね」
クロームの軽い口調の影から、ナイフの様に鋭い何かが見え隠れする。
残念ながら、クリスにはそれをかわす能力はない。目が泳ぎ、何度も『えと……えと……』を繰り返すばかりだ。
「そして、その植物の鎧……。アンからの報告をダイレクトメッセージでもらったけど、添付動画を見たらすぐに回復したり、強さそのものも段違いだ。洗いざらい話して貰いたいんだよね。この事態も、何もかも」
添付動画……恐らく、今朝の2人組との戦いだろう。
彼には幾重もの手札がある。それを悟ったクリスに、ローズもまた背中から伸びた茨の触手のようなそれを縦に頷く様に動かし、彼女の心の内に同意する。
「えと……その……し、信じて貰えないかもですが……」
クリスの口が開かれ、クロームに語り始めた。
★★★★★
「やった……! ログアウト出来たぞ!!」
VR用の黒いヘッドギアの中に閉じられていた意識が現実の肉体へと帰還した男が、瞳を開いたと同時に叫ぶ。
仮想世界の中でゴスロリ姿の薔薇の鎧を纏った少女に敗れてからも、男は人を殺める事を辞めなかった。
自慢の鋼鉄のトゲに包まれた拳で、泣き叫んで命乞いをする年端もいかない少女の顔が、人間であった事も分からぬ程にグチャグチャに殴った矢先、メニュー画面のログアウトの項目が光り輝いて、この現実へと舞い戻ってきた。
男は、酷く太っていた。30も過ぎているが全く働く事もなく、年金暮らしの年老いた両親に寄生しては、僅かな年金を貪る毎日を過ごしていた。
あの拳の様に、両親へ暴力も振るっていた。
もしあのまま現実へ戻れなかったら、両親が自身に何をしでかすか分からない。
それだけに、一刻も早く男は現実へと戻る必要があった。そして、戻ってきた。
空腹感が意識を取り戻した男を襲う。約1日の間、ログインし続けたのだから当然だろう。
早速母親を殴って金を巻き上げ、ファミレスにでも行こうかと腕を動かそうとするが、全く動かない事に気づく。
いや、正確には動かないのではない。何かが腕を拘束して動かせないのだ。
それは、腕だけではない。足も身体も、何もかもが拘束されていたのだ。
ヘッドギアのバイザーが目を覆っているせいで、一体何が自身に起こっているのかまるで分からず、焦燥感ばかりが募る。
「やぁ、おめでとう。無事に生き残ったようだねぇ」
バイザーの向こうから聞こえる聞き覚えがある男性の声に、ログアウトした男の脂肪に包まれた背中から嫌な汗が滲み出る。
「おい……マジかよ……! 俺ぁちゃんと連中ブッ殺したろうがよ……!」
声の主を知る男の、顎の脂肪で失われた首元に寒気が走る。
「そう! 君はあの力を使いこなした! だから無事に戻してあげたのだよ、私の実験体として! 実に名誉ある、そしてexcellentな事だとは思わんかね?」
バイザーが取り外され、狂気に満ちた笑みが視界を得た男の前に現れる。
それと同時に、自身がいるのが自室のベッドではなく、手術室の様な白い壁と床に支配された正方形の空間である事にも気付く。
紳士の様な装いの狂った男性の後ろには、そこが手術室であると示すあの円形の灯り……無影灯も見える。
これから自身に何が行われるか悟った男は、力の限り逃げ出さんと手足をもがく。
「ひぃっ!! おい! は、外れねぇ!」
鋼鉄の手枷、足枷がガチャガチャと鳴くだけで、男は全く逃げる事すら叶わない。
「おやおや、私の実験体になれるのが嬉しいのは分かるが、そう興奮してはいけないねぇ。手元が狂ってしまうよ」
喉を鳴らしながら、紳士然とした男性がメスを取り出す。
それだけではない。暴れる男は気づいてしまった。周囲に置かれた培養液と共に保存されたもの達を。
既に20人の殺害を果たした者は、複数いた。
その複数の者達の成れの果てにして、これから自身の身に起こるそれ……。
「あぁ、素晴らしいだろう? 彼等はすべからく、他の人間に比べて脳が活性……つまり、抽象的に表現すれば、精神力が高い者ばかりだった……! さぁ、君はどうかな?」
そう言って、恐怖に目を見開いた男の頭部に、麻酔もなくメスを切り込む。
「ぎゃあぁぁぁぁぁっ!! ああぁぁぁっ!!」
男は泣き叫ぶ。頭から身体へと走る激痛に。そして……目の前の先人達の成れの果てに、自らも加わる恐怖に。
先人達は見つめる。新たな仲間の誕生に。
培養液の中で。
「ひぇっへっへっへっ! ひぇーっへっへっへっ!」
高らかな笑いが巻き起こる中で。
……脳と脊髄だけの姿で……男の断末魔を、聞き届けていた……。
★★★★★
「なるほど……。神様の使い……聖女と、この事態を生むディストーション……。ふーん、『小説家になりたい』とかWEB漫画だと陳腐でありがち設定で、誰も興味を持ちはしない様な話だけど……辻褄は合うね」
クリスからの話を聞き、アンが用意したコーヒーを啜るクローム。
隣には、アンが副官として背筋を伸ばし、一分の隙もない佇まいで着席していた。
まるで素人が書いたライトノベルや漫画、アニメの様な話に、最初は鼻で笑っていたクロームも実際に起きている現象と見比べ、それが嘘や作り話ではないだろうと考えていた。
「えと……信じて……くれるんですか……?」
「まぁね。今は君の話しか、具体的に原因について言及してないし。何より君のアクセスとチート能力、その可愛さに関しても神様の使いって言うなら頷けるよ」
口先では冗談交じりに言うも、彼の思考は加速的に思考していた。自分達の置かれた立場が超常的な現象によって起きた事で、それを止める事が出来る唯一とも言える存在が目の前の少女だけとなれば……。
クロームの中である考えがまとまると、彼の言葉に少々顔を赤らめている可憐な少女に再び語り掛ける。
「それなら、猶更君達に協力しないといけないね。どうだい、この自警団『エンドレスワルツ』に入らないかい? 君達の目的とエンドレスワルツの目的……利害は一致していると思うけど?」
足を組み、クリスに言葉で迫るクローム。確かに、彼等はこれ以上無意味な殺人を止めようとしているし、クリスが送り込まれた理由たるディストーションの回収……そして、人殺しの惨状を止める事と、目的は合致している。
「えと……ローズ……どうしよう……?」
これまでこの様な決断はコウが専ら行ってきた事もあり、決めかねているのか、弱々しい言葉で自身の相棒に助けを求める。
(こんな時だからこそ言いたい事がある。我はあくまで主の従者だ。決断すべきは主の責務だ。薔薇に頼ってばかりでは成長はせん)
例え自らの主であろうと、変わらず辛辣な言葉で返すローズに、クリスの困った表情が更に混迷を極める。
もし、彼等と手を組めば途方に暮れていたディストーションに関する情報の収集等、人の手が増える分楽になるだろう。だが、それだけ彼等が……いや、正確にはこの目の前にいるクロームと言う男を信用していいのだろうか?
何か腹の中に想像も出来ない何かを秘めている様な気が、クリスにはしてならなかった。
「悩む必要はありません。いえ、むしろ悩んでいる今この瞬間にも、新たな犠牲者が増えている可能性があります。私もまた、このゲームに取り残されて死の恐怖と未来への不安に苛まれている時に、団長……クロームに手を差し伸べて頂いたのです。一刻も早く私の様に怯えた女性プレイヤーを救って差し上げたい。その為にも、貴女の力が必要なのです。お願いします、クリスティーナさん」
アンの真摯な、まっすぐな瞳がクリスの中に突き刺さる。未だクロームに対しての不信感は拭えないでいるが、このまま単独で行動をしていても限界はとうに見えている。
クリスの中で、答えは決まった。
「えと……わかり……ました……。えと……よろしく……お願いします……」
頭を下げるクリスに、アンとクロームが微笑む。だが、アンのそれとは違い、クロームの微笑は、ただコピー&ペーストされたかのように、顔と言うパーツに張り付いたそれだった……。
★★★★★
それから、ゲーム内にて2日が経過した。
「えと……お願い……! ローゼス・ウィップ……!」
総勢20人程だった自警団、エンドレスワルツは快進撃とも言える活躍で、プレイヤー・キラー達を退治して回っていた。
クリスと言う圧倒的な戦闘経験と能力を持った彼女達にとって、最早このゲーム内では敵無しとも言えた。
ゲーム内の掲示板でもエンドレスワルツに関するスレッドが立ち並び、その名は瞬く間に広がり、保護された女性プレイヤー達が仲間になって更に団員数もうなぎ登りに増え、今では総勢300人を超える一大ギルドとなっていた。
まさに、この殺人ゲームの駆け込み寺となった彼女達を知らないプレイヤーの方が少数派だ。
今日もまた、1人のプレイヤーキラーをクリスの鞭によって捕縛。急ごしらえの空き家を改装した牢屋へと連行していた。
「お見事です、クリスさん。これで随分とプレイヤーキラーも減ってきましたね」
長弓を携えたアンが、クリスに語りかける。
今日はこの朽ち果てた牛舎での戦いであったが、アンはクリスから見てもかなりの実力者だった。
柱や崩れた屋根などの障害物が多いこの場所で、5人の徒党を組んだプレイヤーキラー達に百発百中の腕前を披露したのだ。
なんでも、現実では学生時代に弓道部に所属していたらしく、その実力は県大会どころか全国大会にも出場していたらしい。
その話を裏付ける様に彼女の一挙手一投足は無駄のない、さながらに優雅とも言えるような洗礼された動きで、矢を放っていた。
思わぬ戦力に、クリスの戦闘も随分と楽になった。今では、エンドレスワルツの名を聞いただけで逃げ出す者も出ており、デス・ゲームが始まった当初に比べて被害者も激減していた。
「えと……アンさんの……サポートがあったからです……」
ローズとの合身を解き、元のエプロンドレス姿となったクリスが、藁の山の上に立つアンの元へと駆け寄る。
「いえ……私など……」
謙遜した態度で、弓を背中にかける。
彼女には、気品と言う言葉がよく似合っていると、子供ながらにクリスは思った。
自分も、こんな大人になれたらなぁと。
最近になり、クリスは自分の将来に目を向ける様になった。
以前の様に今日をどうやって生き抜くかと言う切迫した状況から抜け出し、学問も学ぶ事が出来たからだろう。
今や彼女は年齢相応の思春期に入り、毎日身体も成長しているのを実感している。
食も安定したからか、一気に背が3センチも伸び、コウには言いにくい女性としての成長も先月迎えた。先にそれを迎えていた珠雲やヴァルハラ達に相談したら、お赤飯と言う珠雲の世界の『それを迎えたお祝い』を、コウに内緒でイリアとサツキと含めた女子会と言う形で開いてもらった。
だからだろう。自分はどんな大人になるのか。またはなりたいのかを、毎日ふと考える様になっていたのだ。
このままコウや珠雲と一緒に世界を巡るのもいいだろう。だが、もしかしたら自分がやるべき事が、他にあるのかもしれない。
彼女なりに、未来の自分と向き合っていた。
「クリスさん、団長から連絡です。今日、いよいよこの世界をみんなで生き抜く為のエンドレスワルツの在り方を発表するそうです。場所は、キングダムサーバの王宮前広場で行うと」
ポーッと考え込んでいたクリスに、アンが話しかける。
先日のクロームとの会合で聞かされていた、エンドレスワルツの公式ギルド化の話だ。
のぉそん・ペットには、ギルドと言う体制はゲームのシステム上、これまで存在していなかった。
代わりに現実世界の様な農協、漁協の様なものがあったが、それらの職員は全てNPCが取り仕切っていた。
そこで、ゲーム史上初のギルドと言う形でエンドレスワルツを正式に発足。この世界で皆が生き延びるルールを制定しようと言うのが、クロームの考えだった。
「えと……キングダムサーバ……ですね……」
キングダムサーバは、のぉそん・ペットの中で首都とされるサーバタウンで、1番登録数が多いサーバだ。
NPCの王様の居城があるとされる、まさにキングダムである。
「えぇ、なので私達もそろそろ向かいましょう。キングダムサーバへの行き方は分かりますか?」
アンの問いに、クリスは首を横に振る。
基本的にサーバ毎の移動には1度そのサーバに住むフレンドに招待されなければ、サーバまで飛ぶ事が出来ないシステムとなっている。
当然、まだ始めたばかりのクリスは登録していない。
「では、私と行きましょう」
「えと……はい……宜しく……お願いします……」
アンの提案に頷き、クリスが彼女にしがみつく。
袴の上からも分かる女性らしい柔らかさに包まれながら、光が彼女達を覆う。
サーバジャンプが始まり、次第に彼女達の存在が光となって消えていく。
そして……彼女達は、廃れた牛舎から姿を消した。
★★★★★
広場は広大だった。500人を超える人集りが既に出来上がってはいたが、それすらも許容出来る程に広大だった。
デス・ゲームと化した世界に成り果ててから、急速に勢力を増した集団が重大発表を行うと言う話は、瞬く間にのぉそん・ペットの全プレイヤーに広がった。
救いのない事実に直面し、誰もが隣に立つ者すら信じられない中で現れたまさに希望の星とも言える彼女達に、人々は藁をもすがる想いだった。
故に、500人を超す人々がこの広場に集まった。
新緑の若葉が絨毯となり、レンガ造りの城垣に囲まれたそこに、彼女達は降り立った。
が、そこにあったのは絶望から活路を見出そうとする集まりではなかった。
広場の中心に聳え立つそれは、人を死に追いやる為だけに存在するもの。
鈍く輝く刃は、死を生み出さすその瞬間を今か今かと待ちわびていた。
「こ、これは……! 団長! いえ、クローム! 何故……何故ギロチン台なんてあるのですか!?」
サーバジャンプでやって来て開口一番に、アンが先にいた主催者へと詰め寄る。
「何故って……エンドレスワルツの未来の為だよ」
いつもと変わらない張り付いた笑顔と明るい口調で、クロームが答える。
「こんなものが未来の為? どういう事ですか!?」
常に冷静と落ち着いた物腰でいたアンが、語気を荒げる。
クリスが彼女と出会ってから、そんな姿のアンを見たのは初めてだった。
「もう、うるさいなぁ……。君は黙って見てるだけでいいの。お客さん待たせてるんだから」
クロームが集まったプレイヤーを見やり、アンの言及もまるで耳元を飛ぶ蚊の様に振り払うと、壇上を上がり殺戮の為だけに存在するそれの前に立ち、そばにあった拡声器を拾い上げる。
「あーあー、本日もお日柄良くー! ってわけで、サクッと本題に入らせてもらうよ。えーっと、俺はエンドレスワルツの団長、プレイヤーネームクロームです。今日から俺達エンドレスワルツが新しいこの国の王政になりまーす」
クロームの宣言に、集まった人々だけでなくエンドレスワルツの面々……アンとクリスにまで、初めて聞いたそれに衝撃を受ける。
「な……! 何を言い出して……!」
アンの言葉が続かない。彼の秘書的な位置にいたはずの彼女ですら知らないその内容を、クロームは変わらぬ口調で続ける。
「だってねぇ……? ログアウトしたら死ぬし、抜けるには人殺せって言うならさ。もういっそこのままでいいじゃないの。つまり、殺し合いをしないなら誰も死なない。でもログアウトは出来ない。だったら、現実なんか捨ててこのゲームの中で生きていけばいいじゃない」
クロームの提案に、人々のどよめきが巻き起こる。
現実を捨ててこの世界の住人となる。
逆転の発想だ。殺し合いと言う倫理を逸脱した行為による、精神を破壊しまいかねない日々からの解放への1番の近道ではある。
だが、代償として現実を捨てる……。大半のプレイヤーには、どちらの運命を辿るにせよ。そう簡単には決める事が出来なかった。
「あー反対とかはいらないから。こっちは300人以上の戦力があるし、チート能力者もいるから戦争しようとしても無駄だよ。そこのクリスちゃんが、そのチート能力者でねー。彼女、不死身だから」
クロームの言葉で、一斉に視線がクリスへと向けられる。
友好的なそれではない、奇異の視線。チート能力を妬む視線。不満を孕んだ目線。
500人以上の様々な想いが、視線に込められて彼女を襲う。
「で、なら今いる王様って設定のNPC……いらなくね? なんて話になるから、今日はその王様とこれまでに捕まえたプレイヤーキラーの公開処刑を、新しくエンドレスワルツ王国として建国するセレモニーとして開催しまーす。そんで、新しい王様は、エンドレスワルツ団長のである俺が就任しまーす」
ざわめく周囲が更なる発言によって、更に騒がしく沸き立つ。
処刑をし、自らが王となる。最早それはクーデター以外何物でもなかった。
次々と聞こえる『ふざけるな』『何様のつもりだ』と言った罵倒の数々にも、クロームは眉一つ動かさずに更なるカードを切る。
「だってそりゃそうでしょ。俺の本名は『柳葉無垢郎』……のぉそん・ペットのプレイヤーなら、大半は聞いた事あるでしょ? 俺以上に相応しいやついる?」
突如名乗ったクロームの本名に、喧騒と化した周囲がピタリと止まる。
いや、喧騒だけでなく、エンドレスワルツの面々も、周囲と同じ様に驚愕の表情を浮かべていた。
「えと……どう……したんですか……?」
事情が分からぬクリスが、目を見開いて驚くアンに尋ねる。
「貴女……知らないのですか……? 柳葉無垢郎は……この、のぉそん・ペットの開発者であると同時に、VRMMOの開発者なんです……! ま、まさか……」
一瞬の静寂……。だが、嘘が蔓延るこのネットの世界だ。
すぐに『嘘つけ』『証拠うpしてみせろ』等の怒号が飛び交う大騒ぎへと発展してしまう。
誰もがクロームが開発者として有名な柳葉無垢郎である事を信じていなかった。
「証拠ねぇ……。なら、こんなのはどうだい? そこの君、本名は吉田美希、1988年生まれ、住所は石川県金沢市……」
「ちょっ!? な、なんで知ってるの!?」
ギロチン台のある壇上から、最前列に立つにゃんにゃん族の女性プレイヤーを指差してスラスラと隠された彼女のプロフィールを暴く。
当然のぉそん・ペットだけでなく、昨今のネットゲームでは個人情報の秘匿が義務付けられており、プレイ中にそれらの情報が公開される事は無い。
だが、たった一度だけ。どうしてもその情報を自らが入力しなければならない時がある。
「そりゃあ初回登録時の情報を閲覧したからに決まってるじゃない。ゲームは乗っ取られたけど、まだその辺りの管理者権限は俺に残されてたからねー」
罵倒の雨が、再び静寂へと変わる。
認めざるを得ない。彼が本物の柳葉無垢郎である事を。
「よーやく分かった? つまり、この世界は元々俺のもんだったんだから、NPCくらいどうしようが勝手だし、君達の王になるのも道理なわけ。じゃ、連れてきてー」
クロームが手を叩くのを合図に、エンドレスワルツに所属する女性プレイヤー達が、両手を後ろ手に縛られ拘束された王を、壇上へと無理矢理突き出す。
「な、なんじゃー? 君達は何をするんじゃー?」
絵本の中に描かれる、白髪に真っ赤な王冠に真っ赤なローブマント。そしてたっぷりと蓄えられた口回りの髭の人物が、この殺伐とした空気にそぐわぬ間の抜けた声を響かせる。
元々のゲーム内にある雰囲気に合わせてキャラクター設定がなされているせいなのだろう。まるで、ダークファンタジーの世界に迷い込んだ絵本の登場人物だ。
辺りをキョロキョロと見渡す王様を、2人のエンドレスワルツ団員が強引にギロチン台へと首を掛ける。
クロームは革命を推し進める。周囲は未だ現実への未練、断ち切る決断をしていないのにも関わらず。
飾り物の王を、殺戮の刃に差し出す。
「なんじゃーあれはー? な、なんだか怖いのぅー!」
無垢なる世界に散らばる死を、今まさに紛い物のヒトたる王へと振り注ぐ。
「クローム!! やめて下さい!! クロォォォォムゥゥゥゥッ!!」
アンの叫びは……猛る咆哮に……掻き消された。




