第四十五の神話
男は御満悦だった。あの圧倒的な力を持つ存在。それに近しい存在を生み出す事が出来た。
仮想空間でのデータ演算によるシミュレートに過ぎないが、概ね満足に足る結果であった。
これまで見てきた、かの存在。それを、自在に操る青年と少女。
モニター越しに巻き起こる醜い殺し合いの中で、彼等の様な強さを見せる者はそう見受ける事は出来ないが、これで求めるデータはあらかた揃う事だろう。
それに、格好の比較データが紛れ込んでいた。
あの青年に付き従っていた金髪の少女。
青年達とは違い、珍しい植物を使役する彼女がこの中にいたのは、きっとこのエネルギーを求めてやって来たのだろう。
それは、男にとっては逆に好都合だった。
贋作を作り上げる上で大事なのは、本物よりも本物を知る事にある。
その上で、自らの実験体と少女の戦闘データはこの上無い調味料となる。
男は愉悦に表情を歪ませて、モニターに向かって呟いた。
『実に……excellent』と……。
★★★★★
凄惨な殺し合いが始まって、半日が経過した。
ログインしていたプレイヤー達は皆あの人間屠殺が脳裏にへばり付いたせいか、誰もログアウトが出来ずにおり、大半は殺し合いも否定的でいた。
だが、今はまだ少数ではあるが自らの命惜しさに他者の命を奪う事に躊躇いを見せぬ者も確かに存在していた。
クリスは、そんな暴虐的なプレイヤーから他のプレイヤーを守る為に奔走していた。
「えと……やめて下さい……! ローゼス・ウィップ……!」
夕暮れに赤く染まった農耕エリアに、クリスの指先から伸びた茨の鞭が踊る。
湾曲した方刃の刀、一般的に青龍刀と呼称されるそれを振るうにゃんにゃん族であろう男の四肢を縛り上げる。
黒く淀んだコアクリスタルを持つグリーンイグアナと合身した鱗状の軽装な鎧姿のにゃんにゃん族の男の右手首に、巻きついた茨がギリギリと力を込めて青龍刀を捨てさせる。
「えと……今の内に……逃げて下さい……」
襲われて尻餅をついた赤い髪が特徴的なドワーフ族の少女に言う。
アメリカンショートヘアの猫がペットだったのだろう。
フルオート式拳銃を手に持った猫の頭部を胸元に備えた、コウのウルフメイルの様な左肩のみにアーマーを携えた少女は、恐怖に涙を流しながら何度も首を横に振る。
もしや、あまりの恐ろしさに腰でも抜かしてしまったのだろうか?
クリスが瞬間にそう思考した瞬間、グリーンイグアナと合身した男の眉間に炸裂音と共に小さな風穴が生まれる。
……少女は逃げなかった。逃げなかった代わりに……男を撃ったのだった。
風穴から吹き出す鮮血が、撃った少女に降り注ぐ。灰色の猫の鎧が赤黒く、それでいて残酷なまでに不気味に染め上げられていく。
「そ、そんな……」
クリスが愕然とした表情で呟く。彼女は少女を助ける為に鞭を振るったのであって、殺人を幇助する為にやったわけではない。
ただ、目の前の命をコウのように救いたかっただけだったのに……。
少女はゆらりと立ち上がる。血塗られた身体をぐるりと向けて。
銃口が、クリスの心臓を狙う。
「フ……フフフ……私は生き残るの……アンタも死んでよ!」
既に少女はこの耐え難い死のサバイバルに、理性が崩壊していた。つい最近まで普通に中学校に通い、普通に陸上部で友達とワイワイ楽しく走って、普通にマンションの自宅に帰れば小学生の弟とサラリーマンの父、パート勤めの母が待っていた。そんな普通の家庭が、彼女にはあった。
だが、何の前触れもなくいきなりこのデスゲームへと放り込まれた事により、元のちょっと刺激が足りないが何よりも幸せだったあの日常へと帰りたいという欲求から、彼女は道を踏み外してしまった。
だからこそ、少女はクリスへ銃口を向ける事を躊躇わない。
「あはははははははは!! これで8人目ぇっ!!」
引き金に指をかけ、目を見開いて狂ったような笑い声と共に銃弾を打ち出そうとした瞬間、バスッとほんの一瞬、低く小さな音が少女のこめかみから聞こえる。
少女は一言も発する事が出来なかった。当然だ。彼女は、遥か彼方から狙撃されたのだから。
こめかみから脳を貫かれた、少女だった肉の塊がその場に崩れ落ちる。
まるでこぼした瓶の中の飲み物の様に、貫かれた少女だったそれのこめかみから血が零れ落ちていく。
「……えと……また……!」
また救えなかった。クリスの目の前で、もう何人ものプレイヤーが殺されていった。
自分の力の未熟さに、悔しさが込み上げる。だが、今のクリスにはそんな悠長に後悔を繰り広げている暇はない。
(こんな時だからこそ言いたい事がある。主、すぐにこの場を離脱しろ。次の狙撃が主を狙っている)
彼女と合身したローズが、彼女の背部の蔦から取り出したホワイトボードで警告の文章を見せる。
そう、先程少女を狙撃した銃口が、今度はクリスを狙う可能性は高い。
いくら超再生能力があるとはいえ、脳を一撃で狙撃されてはそれも意味を成さない。
クリスは光の粒となって消えていった少女の死体を一瞥すると、素早く彼女の身体をすっぽり隠せる程の大きなキノコのオブジェクトへと姿を隠し、メニュー画面を開く。
「えと……農村エリアに……移動……するね……」
(こんな時だからこそ言いたい事がある。賢明な判断だ。)
どこに狙撃手がいるか分からない状況で、その場に留まるのは危険だ。
索敵し撃破する事も今のクリスであれば可能ではあろうが、珠雲の様な索敵破壊やこちらからの索敵能力はない為、それならばゲームの特性を活かして離脱したほうが早いと判断したクリス。
メニュー画面の設定を叩いて、現在地点からの移動を操作。農村フィールドへの転送を開始する。
周囲に黄金のリングの様な輝きが生まれてクリスの肉体が粒子の様に大量の光の粒てなって消える。
凄惨だ。自分の保身に他者の命を軽んじるこの殺し合いの状況をどうやって打破、解決へと導けばいいのか。思考を巡らせながら、クリスはその場を後にするのだった……。
★★★★★
「あっちゃー……こっりゃダメだわー」
後頭部を掻きむしりながら、少女が独りごちる。お風呂にも、ロクに入っていないのだろう。掻き毟る度に真っ白なフケがピンクのボブカットから飛び散っていた。
時刻は既に真夜中に差し掛かっており、仮想世界に送り込まれた少女の肉体を守護、監督しつつ現状の分析を急いでいたイリア。管理室に備えられたヴァーチャル・リアリティ・シミュレーション・システム管理用コンピューターだけでなく、部下に持ち込ませた自分専用パソコンに予備パソコンの、合計3台が彼女の周囲を取り囲み、それらを器用に全て同時進行で操作しながら解析を続けていた。
……それと同時に、彼女の若干足が届いていない座席の周囲には、すでに中身を失ったビールの空き缶が、10はとっくに超えているであろう数が転がっていたが。既に勤務時間はとっくに過ぎているので飲む分には問題はない。
更に主神は既に彼女に今回の案件を任せて帰宅しており、残ったのは彼女1人だった。だがその主神の期待とは裏腹に、かの神界一の天才の頭脳を以てしても、事態は思っていた以上に複雑だった。
「仮想世界そっのものがディストーション化しっちまってんなー……。癒着していたそれが世界に染みこんじまって……。あったしが濡れた時のパンツみてーによー。……っとなりゃぁ」
誰もいない管理室であるにも関わらず、言葉が飛び出る。独白によって頭の中を整理しつつ、あらゆる仮説を検証しているのだ。
そして、イリアの中でとある結論が導き出される。
「やっぱコウちゃん達あっしどめしてんのはそういう事か……」
ビールを一気に喉に流し込んで、イリアが酒臭い吐息と共に吐き出す。
敵はかなり頭の切れる人物のようだ。それは、同じ科学を追及する人間として認めるしかない。だがまだ甘い。かの者は知らなかったのだ。イリアというその更に上を行く天才が存在していた事に。
指の関節を鳴らし、まるで乳房を揉むかのような手の動きでストレッチをすると、一気に3つのコンピューターに接続されたキーボードを神がかり的な(いや実際神様ではあるが)スピードを持って打ち鳴らしていく。
3つのディスプレイには0と1の羅列やゲームを構成するプログラム言語が並の様に押し寄せており、まさにコンピューターの中の亜空間フィールドとも言えるだろうその中を突き進む。
そう、狙いはディストーション化した世界の不正侵入とデータ改ざん……クラッキングだ。
コウが足止めされクリスが内部に閉じ込められた今、仮想世界からディストーションを分離させるべく独りコンピューターと自作のクラッキングツールを武器に、天才的頭脳を持つ女神が薄暗い管理室の中で戦い続けていた……。
★★★★★
仮想の世界とは言え、建物が破壊され、田畑が荒れ、多くの血が大地や建築物に飛散した様相は、見ていて良い気分にはなれない。
退避した農村フィールドは、まるで戦争でもあったかの様に酷い有様だった。
プレイヤー達の努力の結晶たる田畑は作物が踏み荒らされ、家畜は巻き添えを受けてぐちゃぐちゃのミンチへと変貌し、木造、レンガ、石造り、様々な材質で作られた家や牛舎、豚舎等の建物は最早瓦礫の山へと化していた。
既にデスゲームが始まって現実時間で半日弱が経過している事もあり、辺りは夕闇から朝日が顔を覗かせ始めていた。
のぉそん・ペットは現実の時間の流れとは異なり、半日で1日の計算となる。
昼間仕事等でプレイ出来ないプレイヤーに向けての配慮であるが、ログアウト出来ない今の状況では時間感覚に狂いが生じる要因でしかない。
クリスは荒れた畑の真ん中で、大きく息を吸い込んだ。
従来通りの平和なゲームであったならば、朝の清々しい空気をじっくりと味わう余裕もあっただろうが、今はそんな悠長な気分ではない。
何故なら……。
「新しい獲物はっけーん……!」
「悪いね嬢ちゃん、俺達生き延びたいんで」
ずんぐりむっくりなドワーフの男と、エルフの男。
ドワーフの男は派手なピンクの色をしたモヒカンに、筋肉の塊の様な姿。ペットは犬の中でも大型のボクサー犬で、名前の通りに両腕にはボクシングのパンチグローブのそれ。しかし、殺傷力を高めているのだろう。グローブには殴られたらまずただでは済まない程のトゲが備わり、全身にもこれでもかと言わんばかりに重厚な茶色い鎧からトゲが生えていた。
対して、相対的に痩せて腰まで伸びた黒い長髪が特徴的なエルフの男は、比較的軽装ではあるがこれまた厳つい刃で出来たブーメランを手の平で回転させながら弄んでいた。
ペットは恐らく中型犬、シェットランドシープドッグだろう。ふわりと長い毛に覆われたコートの様な擬似神獣鎧だ。
恐らく、彼等がこの惨状を生み出した張本人達だ。
「えと……貴方達が……こんな……」
「はっ! だからなんだ? ここに逃げて来た連中を襲ってたらこうなっただけだろ?」
クリスの問いに、悪びれる様子もなくドワーフの男が吐き捨てる。
「ま、無抵抗なまま死んだ連中が大半だったけど、抵抗もされちゃったからねぇ。俺達、あと1人か2人で20人達成だから……死んでくんない?」
まるで現実味がない口調で言うエルフの男。自分達が人を殺したのに、他人事……ゲームの中で命を持たない電子の演者たるNPCを殺す遊びでもしていた様なそれに、クリスの中で怒りと悲しみの感情が心の中に湧き上がる。
彼等もまた、命の本当の重みを知らないのだ。最愛の養母との別れを、そして毎日が死という概念が手招きをしていたかのような過酷な日々を送っていた彼女にとって、命の重みを知らない彼等が愚かに見えて仕方がなかった。
「えと……そんなに……簡単に……人を……殺せる人は……生き残っても……きっと……えと……報いを……受けます……!」
このゲームに閉じ込められた人々は、既に心の抑止力が崩壊している。
それは、先程の殺された少女を見ても明らかだった。だから、彼等もまた簡単に人を殺せる。命の重みを知らずに軽んじている。
だから……だからクリスは、自分の手で彼等の凶行を止めなければならない。
「は? 殺らなきゃ殺られるってのに報いもへったくれもねーじゃん?」
「御託はいーから死ねよ」
エルフの男が鼻で笑い、ドワーフの男がクリスに向かって突っ込む。これが、2人の男とクリスの戦いの合図となった。
本来の彼等は喧嘩慣れもしていないのだろう。あまりにも無謀に突っ込んでくるドワーフの男に対し、クリスは最小限の動きで右へ簡単にドワーフの体当たりをかわすと、すぐさま上体を反らす。
先程までクリスの首があった虚空に、ブーメランの刃が回転しながら飛来する。
獲物を失ったブーメランはそのまま孤を描き、主たるエルフの男の元へと戻ろうと空間を走るが、その植え付けられた帰巣本能が役目を果たす事はなかった。
「えと……これは……私が……没収……えと……します……!」
彼女の指先から伸びた薔薇の蔓。ローゼスウィップがまるで飛び回る蠅を捕えるカエルの舌の如くブーメランを絡め取り、更に左の五指を弾く様に伸ばす事でつま弾くように展開されたそれがボクサードワーフの胴体を腕ごと巻き込む様に雁字搦めに縛り上げていく。
「か、返せ俺のブーメラン!」
「は、離せ!!」
男達がそれぞれに喚く。鋼鉄の様な硬度を誇るボクサー犬の擬似神獣鎧だが、それがイコールクリスのローゼス・ウィップに耐えられる程の防御性能と言うわけではない。
万力の様に締め上げる茨の鞭に、自慢の鋼鉄の鎧が圧迫し骨や筋肉を軋ませる。
実力差は、誰の目にも明らかだった。
本物と贋作の差もさる事ながら、これまで茶々丸の世界、サンタ戦争、魔法の世界、そしてコウとの訓練で培った経験と類い稀なるゲームセンスで磨いた才能が、確実に花咲いた結果だ。
「もう……えと……やめて下さい……。私が……えと……この世界を……えと……元に……えと……戻します……から……」
ブーメランを茨で包み、茨がクリスの意思に従って緩んでドワーフの男を解放する。
「元に戻しますって、お前馬鹿か? どうやってやるんだよ?」
エルフの男が問う。
「えと……それは……」
クリスが口ごもる。無理もない。
正直なところ、クリスもまた状況を正確に把握は出来ていない。コウが一緒ならば、速やかに情報収集等も行えたのだろうが、今のクリスでは問題解決への糸口すら見えていなかった。
故に、エルフの男の問いに答えを出せずにいた。
「オラァッ!!」
その隙を突いて、解放されたドワーフの男が、ピンクのモヒカンを揺らしながらクリスの背後から強烈なトゲのパンチを繰り出す。
一瞬の出来事に、対応が遅れたクリスが拳の一撃に背中の骨が砕かれる音と共に吹き飛ばされ、辛うじて小屋の形を保っていた木造のそこに叩きつけられる。
その破壊力は凄まじく、派手な音と共に崩れてクリスを飲み込み、瓦礫同然となってしまう。
「へへ……ナイス時間稼ぎ」
「可愛い娘だったんだけどな。これで20人達成じゃね?」
男達がグーでハイタッチをする。
手応えは確かにあった。絶対にただでは済まないはずだ。
これまで多くのプレイヤーを死に追いやった必殺の一撃に、確信を持っていたドワーフの男。
だが、瓦礫の中から聞こえるガラガラと動く音が耳に入り、思わず男達が振り向く。
「……えと……まだ……終わりじゃない……」
背骨粉砕という明らかな致命傷を受けたはずの少女が、瓦礫の中から立ち上がる姿に、男達が戦慄する。
普通ならばあり得ない事態。しかし、瓦礫で裂かれ、多量の血を流していたその傷口が彼等の目の前でみるみる塞がり、数秒の内にまるで最初から無かった事かの様に完全に治癒していた。
背骨も同様に回復しているのだろう、自らの足で立ち上がった少女が、瓦礫の山から華麗な舞の様にゴシック・ロリータのスカートをたなびかせながら飛び立ち、再び男達と対峙する。
「なっ……!? お前それ……チート使ってやがんのか!?」
クリスに致命的な一撃を与えたドワーフの男が狼狽える。
「えと……貴方達では……私に……えと……勝てません……! えと……大人しく……えと……降参……えと……してください……!」
たどたどしくも、はっきりとした口調でクリスが言う。
勝敗は完全に決した。
「クソ……! おい、チートなんか相手出来るかよ! 逃げるぞ!」
エルフの男の言葉にドワーフの男が頷くと、一目散にその場から走り出す。
「チートなんか使ってんじゃねーぞ! クソッタレが!」
最早ベタとしか言いようがない捨て台詞と共に畑を踏み荒らしながら逃げ去る男達。
とりあえずの危機を脱した事に、クリスは胸に手を当てて小さく息を漏らす。
「えと……ローズ……ありがとう……」
(こんな時だからこそ言いたい事がある。このままでは何時までもイタチごっこだ。ディストーションを見つけねばどうにもならん)
確かに、ローズが背面の茨から取り出したホワイトボードの内容通りだ。
元凶をどうにかしない事には、こんな無意味な戦いを続ける事になるだろう。
だが、それが一体この世界のどこにあるのか、クリスは全く検討がついていなかった。
「あなた……もしやクリスティーナ・ローズマリー・ドラグマンですか……?」
不意に、クリスの背後から聞こえる女性の声に振り向く。
そこにいたのは、一言で言うならば聡明な女性だった。
エルフ族特有の尖った耳に、鋭い瞳には大きな丸眼鏡。茶髪の髪はシニヨンに纏められてうなじの辺りに丸まっており、やや面長な顔は20代は半ばに見受けられる。最も、それはアバターたる見た目で実年齢は分からないが、落ち着いた物腰からそう実年齢も離れてはいないだろう。
美しい顔立ちから下はモデルの様に出るところは出て引っ込むべきは引っ込む体形だとよく分かる。
神獣化されたペットは、フェレットなのだろう。クリスや珠雲と同じ衣服型の神獣鎧……いわゆる、弓道着なのだろう。青い袴に白い弓道衣、左胸には胸当てがふくよかな胸を包んでおり、まるでマフラーの様にフェレットの長い胴体が巻きついていた。右肩には、フェレットの頭部が肩当ての様に備わり、額には黒い擬似コアクリスタルが鈍く輝いていた。
クリスは、彼女を知らなかった。だが、その女性はクリスを知っている。
否応なく警戒するクリスに、女性は淡々とした様子で言葉を続ける。
「お待ち下さい。……私は敵ではありません。貴女を知る方からの使いです」
自分を知る人間と言う単語に引っかかりを覚える。クリスはこのゲームを始めて1日……現実時間で僅か半日で、まだ知り合い等いないはずだった。
(こんな時だからこそ言いたい事がある。我々はこのゲームに知り合い等存在しない)
クリスに代わり、ローズがホワイトボードを掲げて問う。
「えぇ、正確には一方的に貴女を知っている……が、正しいでしょう。その方が貴女の力を借りたいと言っているのです。お願いします、私と共に来て頂けませんでしょうか?」
コウから常に言われている『知らない人にはついて行くな』と言う言葉がクリスの脳裏に浮かぶ。
だが、この情報もなく途方に暮れた状況が、何かしらの変化をもたらすのは間違いない。
「えと……私の力って……何が……目的……なんでしょうか……?」
クリスが仕掛ける。コウの様な嘘も吐けないが、かと言って彼女の言葉を鵜呑みにして簡単についていくわけにはいかない。
「私達は、この殺し合いを止める為に自警団を組織しました。そして、先程の貴女の戦い。何かしらのチートを使用しているのは明らかです。その方は、貴女がチートを使用している事を始めから見抜いていました。本来ならば、糾弾すべき行為ですが、今はその力が我々には必要なのです」
女性はまるで感情をどこかに置き忘れてきたかのように、時折ずれた眼鏡の位置を直しながら淡々と話し続ける。
(こんな時だからこそ言いたい事がある。主、この話は乗るべきだ)
「えと……なんで……?」
自らの鎧が提示した文面に、クリスが小首を傾げる。まだ怪しさが彼女の中で拭いきれていないが、相棒たる神獣は既に乗り気だった。
(もしも本当だったら組織を味方に出来る。嘘だったら潰せばいい。この程度の雑魚が群がったところで、我々には敵わない。それに、我等を知る者というのも気になる)
「……随分と辛辣な事ですね。では、些かトゲはありますが、交渉成立で宜しいですね? では、改めて自己紹介を。私はプレイヤーネーム、アンと申します。」
「えと……はい……えと……お願いします……」
アンと名乗った女性にお辞儀をするクリス。こうして、彼女と共に自警団へと赴く事になったクリス。果たして、彼女達は味方となるのか、敵となるのか。今はまだ、何も分からない事だらけの中を、ただ走るしかなかった。




