第四十四の神話
ホームタウンの、メルヘンチックな雰囲気とは裏腹な怒号が飛び交う。
走る少女と、追う男。誰が見ても明らかな構図だが、誰も介入をしようとはしない。
当然だ。突ついたら蛇が出ると分かっている藪に手を出す様な者がいないように、誰も彼女を助けたがらない。
のぉそん・ペットはあくまでMMOシミュレーションゲームであって、MMORPGではない。剣も魔法もマジックポイントも派手なエフェクトで飾る必殺技も存在しない。だが、1日の作業量を定める体力が数値化されているし、鎌やクワ等の農具も存在する。
こんな平和なゲームでもあるのだ。PK……いわゆる、プレイヤーキラーが。
だから、誰も助けない。
(こんな時だからこそ言いたい事がある。袋に入り込んだネズミは、袋を閉められる事によって、逃げられなくなる。……今の我等のようにな)
初見プレイだからこそまだ分からぬホームタウンの地理。故に闇雲に逃げていたが……それがいけなかった。
無我夢中で逃げていたせいで気づかなかったのだろう。
気が付いたら裏路地の壁際にまで追いやられてしまっていた。
「オラ、もう逃げらんねぇぞ……!」
「ハァ……ハァ……へ、へへ……」
追い詰めたドワーフの男が怒りを露わに吐き捨て、小太りなホスト風の男が嫌悪感すら感じる様なニヤついた顔で近寄る。
(こんな時だからこそ言いたい事がある。主よ、我と合身するか?)
相棒が見せたホワイトボードの文面に、クリスは首を左右に振る。
まだこの世界では何も起きていない。ひょっとしたらコウが立てた仮説の様に、ディストーションを引き起こしている存在がいるかもしれない。
言わば、ローズ・メイルはクリスの唯一の武器にして切札だ。
敵に手の内を見せるわけにはいかないし、それ以上にこのゲームのシステムに存在しない力を行使したら、他のプレイヤーからもチート使用者として騒ぎ……炎上を引き起こしてしまう可能性だってある。
そうなってしまったら、活動に支障をきたしてしまうだろう。
ローズに小さく耳打ちをすると、クリスが意を決した様な表情を浮かべる。
「えと……じゃあ……パンツを……見せますから……えと……それで……許して下さい……」
「おほっ、マジか!」
エプロンスカートの裾を握り、ゆっくりとたくし上げる。
その行為にドワーフの男は口角を釣り上げ、ホスト風の男は身を乗り出す。
たくし上げられたスカートが、彼女の膝、そして随分と肉付きが良くなって小学6年生にしては艶めかしさを備えた太ももまでが、男達の下品な視線に晒される。
が、それこそがクリスの作戦。いつの間にか空高く浮かんでいたローズが、男達の頭上に落下。クリスのスカートに注目していた為に全く上空への注意をしていなかったホスト風の男の頭を、硬い陶器の植木鉢が鈍い音を立てながら直撃。
そのまま植木鉢は割れる事なく、今度は跳躍してドワーフの男自慢のスキンヘッドもかち割る。
「がっ!?」
「あだぁっ!!」
いきなりの衝撃に、そのまま崩れる暴漢ども。
「えと……ごめんなさい……ヴァルハラさん……イリアさん直伝……えと……ハニートラップ……だったんです……」
時に女は自身の身体を武器にしなければならない時がある。
小学生の女の子にとんでもない事を吹き込んでいた二大女神だが、実際世の中いつ何時何が役に立つか分からないものである。
おかげで倒れて伸びた男達から、悠々と逃げおおせる事が出来たのだった。
「えと……これからどうしよう……」
裏路地から抜け出し、メインストリートなのだろう。そばには運河を船が行き交っており、大小様々なペットを連れた人々で賑わう場所へとやってきた。
だが、先程までの明るい賑やかさとは何かが違う。人々がみなざわめき、困惑した表情を浮かべている。
「えと……な、何か……あったんですか……?」
すぐそばにいた若い女性……恐らく高校生ぐらいだろう。ぬいぐるみと見紛うばかりの可愛らしい小型犬、トイプードルを抱いた三つ編みが特徴的なその人物に尋ねる。
「え? あ……まだメニュー画面の『運営からの重大なお知らせ』見てないの?」
「えと……はい……」
女性に返された質問に頷く。
「なんかおかしいの。すぐに読んでみて」
女性に言われるがまま、眼前に空中投影のメニュー画面を開く。
そこには、確かに彼女が言うように、『運営からの重大なお知らせ』と言う新たな項目が生まれていた。
それをタップすると、眼前に文面が浮かび上がる。
【拝啓、我が愛しい実験体達。君達は実に運がいい。私の実験の被検体になれたのだから。これから君達に私からプレゼントを授けよう。このプレゼントで、君達が素晴らしい成果を生んでくれる事を期待している。詳しい説明は、私が直々にしてあげよう。空を見たまえ】
確かにこれは意味が分からない。完全に自己の中で完結しているような文面で、何一つ伝わらない。
「最後、空を見ろってあるでしょ? だから一応見上げてはいるけど……」
女性の言葉を遮る様に、何処からともなく鳴り響くファンファーレ。
そして、舞い散るのは紙吹雪。それは、データの塊だとよく分かる様に地面に落ちたと同時に光となって霧散する。
『ご機嫌よう、愛しいモルモット達よ! 君達は実に幸せだ! これから君達のペットを【神獣化】させる! そして、その力を存分に振るって殺し合いをしてもらう! どうだね? 実にexcellentだろう?』
空に浮かぶ映像。そこにいたのは、デスクに座っている1人の男だった。
紳士的な真っ白なスーツに目を見張る赤いネクタイ。長い金髪はヘアゴムで後ろに纏められ、細い釣り目の左目には方眼鏡姿。
一見すると30代程の整われた美しい顔立ちだが、瞳に宿る狂気が彼を異質な存在へと変貌させていた。
スーツの上から羽織る白衣もまた、それを更に上乗せさせている。
そして、彼の口から飛び出したキーワード。
『神獣』と『殺し合い』
その2つの言葉が、クリスに嫌な予感を掻き立てる。
『さて、今から君達のペットが鎧となり武器となる。それこそが私からのプレゼントだ、喜びたまえ。ひぇっへっへっへっ!』
そう言って、真っ白なグローブを嵌めた手の上に浮かぶ七色の球体を握り潰す。
それが、悲劇の始まりにして世界の終わり。
弾き飛んだ七色の破片が映像から飛び出して、このゲームの世界へと流星の様に降り注ぐ。
途端、プレイヤーが愛する犬や猫、数々のペット達が悶え苦しみ出す。
「ココア!? どうしたのココア!?」
三つ編みの女性が抱いていたココアと名を呼ばれたトイプードルもまた例外ではなく、キャインと苦しみの中から漏れ出た鳴き声と共に愛らしい姿が光となって消滅。
次の瞬間三つ編みの女性に光となったココアが絡みつき、彼女の四肢と身体に新たな姿を与える。
丸みを帯びた肩のアーマー。トイプードルの名残なのかそれが毛皮で包まれており、四肢のガントレット、脛当て、膝当てにまで毛皮で包まれていた。
胸元にはトイプードルの頭部を模した鎧。その額には、無理矢理作られたのであろうココアの新たな命の依代……黒く濁ったコアクリスタル。
手に持たれているのは、発射口に槍の様な刃が備わった近接戦闘にも対応した弓矢だ。
「い、いや!? な、何これ!? ココア? この変な鎧、ココアなの!?」
あまりにも突然の事に、女性の思考が追いつかない。無論、この事態は女性だけに起こった事では無い。
ホームタウン全てのプレイヤーが同様の事態へと陥っており、狼狽える声が彼方此方に巻き起こっていた。
まさに阿鼻叫喚と呼ぶべき騒動の中、上空に映る男が拍手をしながら高らかに笑っていた。
『ひぇっへっへっへっ!! 実に……実にexcellent!! やはり私の理論と計算は間違っていなかった! さあ後は性能だ……! 君達、早速殺し合ってくれたまえ! ほら、喜んでばかりいないで殺すのも楽しいんだから早く始めたまえよ!』
この状況でぬけぬけと言い放つ男に、ペットとして飼っていた小型のコーンスネークだろう。鮮やかな赤いマダラ鱗のそれが鎧となったあるエルフ族の男性プレイヤーが叫ぶ。
「ふざっけんな!! 俺達はMMORPGしに来たんじゃねぇんだよ!! なんだよこのアップデート! ゲームの根幹から変更とか、マジで運営何考えてんだよ!?」
どうやら、この現象をゲームのアップデートイベントだと思っているプレイヤーがほとんどだったらしく、口々に運営への非難の声が飛び交う。
無理もない。このVRMMOの世界は、現実世界とは掛け離れた様々な舞台や能力、ストーリーを楽しむ為に作られた仮想異世界だ。
この事態もイベントの一つ程度の認識となるのも、VRMMOが一般化される程に普及して久しい背景からに他ならない。
「とにかくこんな事になるんだったら俺はもう会員登録解除するからな!」
エルフ族の男がメニュー画面を開き、ログアウトに指をかける。
『ふむ、ならばどうぞログアウトしたいならば御自由に。私も君達の意思は尊重しているのでね、ひぇっへっへっへっ!
あぁそうそう、スペシャル映像特典もあるのでね。君達に御覧頂こう』
エルフ族の男がログアウトをタップし、周囲に黄金のリングの様な輝きが生まれて男が粒子の様に大量の光の粒てなって消える。
これが、このゲームのログアウト演出なのだろう。
そして、エルフ族の男が消えたと同時に、上空の映像が切り替わる。
映された場面は、とあるアパートの一室。
ワンルームのそこには、コンビニ弁当の空箱やペットボトル等のゴミや脱いだ服なのか洗濯して畳んでいないのかよく分からない服が散乱しており、片付けが出来ない男の独り暮らしそのものの様な部屋だった。
窓際には青白い照明で照らされたケースがあり、中は大きな木と木屑が入っていた。
恐らく、爬虫類の飼育ケースなのだろう。
そんな部屋の中心に敷かれたやや黄ばんだ万年床に寝ていたのは、20代と思わしき男性。
ランニングとトランクスだけと言ったあまりにも簡素な姿に、寝癖でボサボサの黒髪。VRMMOに精神を繋ぐ、眼を覆っていた黒いヘッドギアを外して見えたそれは切れ長だが細く目つきが悪く、面長な顔。残念ながら美男子とは言い難い中肉中背。
隣には、VRログイン用のペット専用である小さなヘッドギアを付けたコーンスネークがとぐろを巻いて横たわっていた。
「ったく……なんだよあれ……! アプデなんかじゃねぇよ……!」
男の声に映像を見ているプレイヤー、誰もが息を飲んだ。
つい今しがた、聞いた覚えがある声。
そう、誰よりも早く映像の紳士然とした謎の人物に異論を唱えてログアウトした、あのエルフ族の男の声だった。
紛れもない、彼の現実の姿だ。
「ハァ……ゲーム変えるかな……ミディ、ケースに戻るぞ……」
ペットのコーンスネーク……ミディと呼んだそれを摘まんだその時だった。
彼の部屋の空間が捻れ、部屋そのものがぐにゃりと曲がる。曲がり曲がってそれが存在していた部屋の形状を変化させ、やがて元の部屋と似ても似つかぬものへと変わる。
変化を終えた部屋は、あの汚らしい独り暮らしのそことは違う空間になっていた。
一面真っ白で、元の部屋と広さが同等かどうかも分からない。
ただとにかく真っ白で、何もない空間。
「なっ!? なんだこれ!?」
男も一体何が起きたのか分からず、ただ狼狽えるばかりだ。
だが、彼の意思をまるで無視した様に、変化した真っ白な空間は、淡々と男の足下の床から丸く黒い空間を2つ生み、現れた足枷が彼と彼が飼育するヘビを捉え、黒い穴が天井へと移動。男とコーンスネークを逆さ宙吊りにする。
「どわぁっ!? ……がっ!?」
新たに現れた黒い穴から、電撃が放たれ、男とペットに意識を手放せる。
次に生まれた穴から出てくるのは……鋭利な……チェーンソー。
低い唸りを上げて回転するそれが、吊るされて意識を失った男の首にかかり、誰もが頭をよぎる最悪な結末を奏でる。
「ひっ……!」
直前、非情な殺戮を主に見せまいと、ローズが葉でクリスの視線を隠す。
「いやぁぁぁぁっ!!」
「や、やめ……おげぇぇぇぇっ!!」
他の映像を見ていた……見てしまったプレイヤー達の悲鳴と嗚咽、映像から聞こえるゴリゴリと骨を砕き斬る回転刃の音が、クリスの耳を劈く。
それだけで、一体何が起きているのか。想像に難くなかった。
やがて、まさに文字通り首の皮一枚となってチェーンソーに斬られた断面から画面いっぱいに白い空間を紅に染め上げると、再びあの骨をも砕き斬る回転音が鳴り響く。
次に斬られるのは両の腕。まるで噴水の様に赤黒い血を噴き出して、全身を巡っていたそれが体外へと吐き出される。
悲劇はそれだけでは終わらない。新たに黒い穴が空間から現れ、そこから出てきたのはピザを切るかのような円形の刃。一般的にエアーナイフと言う名称を持つそれが、男の死体……その胸元にあてがわれると、縦に一閃。
彼の皮を剥いで筋組織を剥き出しにし始める。
人間の組織において、最も赤みを帯びたそれを、エアーナイフが左右に皮を剥ぎ、全身露わにしていく。
残酷と言う表現では最早足りない殺戮ショーは、見る者全てが持つ倫理観すらをも崩壊させる。
女性プレイヤーの多くはもう見る事も耐え切れずに顔を伏せたりしゃがんで目の前の現実から逃避しようとしていた。
だが、殺戮は未だ止まらない。体内に残った不純物や血液をバキュームが吸い取り、皮一枚でぶら下がっていた電気の衝撃で歪んだ顔を斬り捨てられた肉体が、遂にその身体を斬り開かれ、新たに現れたマニピュレーターの様な機械の腕によって体内に残っていた心臓、肺、胃、腸等の内蔵が、生々しい肉を掻き回す音と共に取り出される。
赤い血塗れの内蔵が引き摺り出され、残された逆さ吊りの肉体が真っ二つにチェーンソーによってひきさかれ……そこで映像は暗転した。
怯えと恐怖。明るい空と輝く太陽とは裏腹に、プレイヤー達はまるで奈落の底の暗がりに落とされたかの様に悲鳴とすすり泣く声に支配される。
ピカン
ふと、あるパピヨン犬種が鎧となったドワーフ族の小柄な少女から雰囲気とは的外れな音が聞こえると、あの案内役の少年妖精が現れる。
【注文していたお肉が現実に届いたよ! 確認してね!】
このタイミングで、本来の明るくメルヘンチックな口調で少年妖精が言うと、彼女の目の前に出てきたのは生々しい肉の塊。
「きゃあぁぁぁぁっ!!」
手の平に届いた肉は……鮮やか過ぎる程に赤い……赤い肉。その肉は、今まさに捌かれていた……あの男とペットであるコーンスネークの肉だった。
でろりと手から零れる腸、まだ生暖かささえ感じる人の肉体だった組織。そして、手から転げ落ちる……切断された面長な頭部。
少女の悲鳴は瞬く間に周囲のプレイヤー達に伝染し、彼女を中心に人々が離れて空間の輪が出来上がる。
更に、上空の映像もまた少女の現実の姿だろう。
団地の一室の様な部屋が映し出され、薄いピンクの絨毯の上に置かれた白いソファに横たわる30代程の淡い緑のエプロン姿の女性の上に、空間が捻れて出来上がった幾何学的な紋様渦巻く亜空間からボトボトと男の肉と腸、内蔵が降り注ぐ。
そして、最後に降ってきたのは男の頭部……。
意識がゲームの中にある女性は、避ける事も敵わず、人の肉と内蔵に塗れたまま、横たわっていた。
「いや! いやぁっ!!」
肉を投げ捨てて、腰を抜かした様に尻もちをついて後ずさる女性。
落ちた人肉に妖精が近づくと、それを一つ摘まんでプレイヤー達の目の前で咀嚼する。
【うわぁ、美味しいね! たっくさん料理に使ってね!】
このゲームにおいて定型文とも言える台詞を笑顔で話すが、その口周りは男の血が顎にまで滴っており、貼り付けられたかの様なその満面の笑みと滴る血が、今この現状がどれほどの狂気であるかを物語っていた。
『ひぇっへっへっへっへっ!! 実にexcellent! 今回はデモンストレーションのプレゼントだ……! 皆羨ましいのは分かるが、今回は厳選なる抽選でそこの女性だけのプレゼントでねぇ。だが安心したまえ、君達が殺し合って死んだ肉から順に皆に私から御褒美として差し上げよう。あぁ、それと……。20人殺した者はちゃあんと生きてログアウト出来る様になっているから、頑張りたまえ』
上空の画面が再び紳士然とした男に切り替わる。
男の口から出た『20人殺したら生きてログアウト出来る』の言葉に、プレイヤー達の中に、目の色が変わる者達がいた。
ここまで見せつけられた最悪をも通り越した異常に人々は既に疲弊し、過剰な程の自己防衛に精神が働いて、正常な判断力が狂いを見せる者もいたのだ。
無論、大半はそんな人殺しなんか出来ないと脳内のブレーキがかかってはいたが、それをも破壊してしまう事態が既に動き出していた。
パァン!
日常生活ではまず聞く事のない炸裂音。
FPSと略されるファースト・パーソン・シューティングゲーム……いわゆる戦争や銃撃戦を主としたVRMMOも発展しているこの世界では、プレイした者であれば……いや、プレイ経験が無くとも、それが何の音かは誰もがすぐに勘付いた。
「こ、こいつ撃ちやがった!」
「へ……へへ……お、俺はいやだ……! あんな肉になりたくない! 死ね! お前等みんな死ね!」
ペットの三毛猫と強制的に合身させられた人間族の、端正な顔立ちの青年が武器として具現化したリボルバーを構えていた。
銃口からゆらりと硝煙をくゆらせながら、涙を滝の様に流しながら叫ぶ。
傍らには、撃たれたエルフ族の女性プレイヤーが眉間から赤黒い血の海を流しながら倒れていた。
始まってしまった。始めてはいけない禁断のパーティが。
死にたくない。殺したくない。だが、殺さないと自分が殺される。
人として守らねばならなかった戒律が、倫理が、人々の中で脆くも崩れ去る。
「いやぁっ! 死にたくない!」
「こ、こいつ殺して! でないとあたし達が殺される!」
決壊したダムの様に、プレイヤー達の殺意がホームタウンを飲み込んでいく。
阿鼻叫喚の殺し合いが、幕を開けた……。
★★★★★
「デスゲーム……! あの馬鹿……こういう時だけは勘がいいんだから……」
妖艶な唇から、舌打ちが漏れる。
クリスの様子をモニタリングしていた主神と叡智の神。彼女達が見つめるモニターからは、人が人を殺す地獄が巻き起こっていた。
コウが懸念した作為的にディストーションを起こしていた人物の存在。
恐らくあのゲームマスター気取りの紳士然とした男が、その張本人である事は間違いないだろう。
「しっかも御丁寧に仮想世界全体をディストーションがまっく張ってっからよー、こっちから介入でっきねーよーにしてやがんぜー……。こっれじゃ戦乙女もおっくり込めねーよ」
モニタリングの傍ら、コンピューターを介して分析を進めるも、導き出された結論にイリアもまた口調に悔しさを滲ませていた。
「……コウは?」
隣に座るイリアに、片手をついて立つヴァルハラが苛立つ様な口調で尋ねる。
「まっだ戦闘中ー、こっりゃ完全に時間稼ぎだねー。ゾンビがうっようよ沸いてきてるわー」
キーボードを滑らせてサブモニターに、別の異世界で戦うコウと珠雲の姿が映し出される。
そこには白き虎を身に纏ったコウと巫女見習いの少女が、群がるゾンビを次々に撃破していく姿があった。
単体ではコウや珠雲には遠く及ばない様ではあるが、やはり群れて現れる状況に好転しているとは言い難い様だ。
二刀流の刀にはゾンビの血液なのだろう。べったりと紫色の体液が付着していた。
「そこまで計算づくってわけね……」
男が明らかにコウ達の存在を認知している、何よりの証拠だ。
邪魔なコウ達に囮を用意し、神獣に似た存在を作り出す。
男の目的をそう推察するヴァルハラ。
「しっかしよー、神獣作りたいっつー明確な目的は分かったけど、作ってどーすんだっつー話だぜー?
ま、あーいう手合いは作るっつーのが目的みてーなタイプだろーけどなー」
恐らく白衣から同じ科学者だろうと考え、その心理をイリアが分析する。
研究者の中には、研究がしたくてその後の事に興味がないタイプも中にはおり、イリアもまた同じ様な面があった。
だが、だからと言ってこの人の命を何とも思わぬ残忍性まで許容するつもりはさらさら無い。
「……とにかく、私達はあの娘に託したんだから、見守るしかないわね」
遂に現れた敵の存在。今はまだ推察でしか計る事が出来ないそれについての思考を止めるヴァルハラが視線を移すモニターの向こう。
凄惨な殺し合いの中で佇む聖女の姿を、神はただ、じっと見つめ続けていた。




