第四十三の神話
【ようこそ! のんびりスローライフシミュレーションゲーム、のぉそん・ペットの世界へ!】
可愛らしい半ズボン姿にとんがり帽子、赤いシャツの背中から伸びた蝶の様な色鮮やかな羽根と尖った耳の男の子が出迎える。
手の平サイズの小さな身体で、右に左にと飛び回っている。
新規プレイヤーの案内役であろうこのNPCに従い、自身の仮想肉体。アバターを作成していくクリス。
このゲームでは肉体はほぼ現実通りに自動作成されるようで、仮想空間に入った時から肉体に対する違和感はほとんど感じていない。
顔も現実に忠実に再現されているかは分からないが、恐らく何も感じないとこから考えて、そういうシステムなんだろうとクリスは自己完結した。
そして、訪れたのがこの無限に広がる花々が散りばめられた草原。
最初に舞い降りたこの少年妖精がお決まりの挨拶をした後、現れた空中投影ディスプレイには、4つの種族が描かれていた。
つまり、この中から種族を選ぶ事でキャラクターメイキングとなるのだろう。
各種族の特徴に目を通す。
人間族。バランスが取れた能力を持ち、農耕、畜産、工作、商業、どのパラメータも満遍なく成長する種族との説明が書かれていた。
次に見えるはドワーフ族。商業や畜産は低いが、工作のスキルならば随一の能力を示していた。ややずんぐりむっくりな男性キャラと、幼い女の子のキャラ。その2つの大きな違いが特徴だ。
更に次はエルフ族。植物と会話が出来るスキルはこのエルフ族だけらしく、商業と工作のパラメータが低い分、農耕スキルと畜産スキルは飛び抜けていた。
最後の種族はにゃんにゃん族。招き猫がモチーフなのだろう。猫耳にお腹に小判型のポーチを持つ種族。商売繁盛の象徴だけに、工作や農耕スキルが低い代わりに商業スキルは1番だ。
「えと……じゃあ……これ……」
クリスが選んだのはにゃんにゃん族。目的がゲームを楽しむわけではなくあくまでこの世界に潜むディストーションの調査及び回収なのだが、どうせなら一番資金を稼ぎやすいこのにゃんにゃん族の方が初見プレイでもやりやすいだろうと考えていた。
ディスプレイをタッチした途端、クリスの頭に可愛らしいトラキジ柄の耳が生え、お腹には小判のポーチが新たに肩掛けで現れる。
どうやら耳は飾りではないらしく、本来側頭部にあった耳が消えた代わりに、自らの意思でぴこぴこと動かすことが出来た。
【ペットの登録も出来たよ! さあ楽しいスローライフの世界が、君を待っているよ!】
案内役の妖精の言葉が聞こえると、周囲の景色が一変する。どうやら、これからゲームが始まるらしい。
傍らに浮かぶローズの葉っぱを握りしめて変わり行く世界を見つめる。
クリスの、たった1人と1体の旅が、今始まった。
★★★★★
「………………わぁ……!」
彼女の眼前に広がる景色は、とても賑やかな様子だった。
明るい青空の下、石畳の地面からはレンガ作りの建物が並び、側には大きな運河が涼やかに流れていた。
街並みのモデルはクリスが住んでいた欧州系のもので、なんだか懐かしい気分……かは微妙だった。
何せ、クリスが住んでいた世界よりも随分時代背景が進んでおり、中世的と言うよりは、現代的な様相だったからだ。
可愛らしくデフォルメされた3輪自動車が走り、荷台には収穫されたトマトや玉蜀黍がぎっしりと敷き詰められていた。
他にも街灯なんかも一定間隔で並んでおり、夜になっても煌々とした明かりで夜を照らす等も、彼女の住んでいた世界では有り得ない事だった。
一様に子犬や猫、文鳥等のペットを連れた人々も波の様に行き交い、皆露店のテントで買い物や自作の農作物の売買を楽しんでいた。
恐らく、ここが世界の中心。ホームタウンなのだろう。活気とプレイヤーで溢れた街『ワンダータウン』が、クリスに割り当てられたサーバだった。
自身の視界の中に『チュートリアル』という言葉が浮かぶと、眼前に空中投影ディスプレイが開かれる。それは、彼女専用のメニュー画面だった。
ステータス、アイテム、リアルにお届け、過去ログ、コミュニティ、設定、ログアウト。合計で6つの項目が並んでおり、それとは別枠で資金が1000マニーと書かれていた。
【これからこの世界についておしえるね! のぉそん・ペットはペットと一緒に土地を耕して作物を育てたり、家畜を育てて乳製品や精肉を作ったり、色んな素材から農機具やアクセサリーを作ったり、お店を構えて農家や酪農家として活動するプレイヤーから仕入れて販売したりするんだ! そして、このゲーム最大の特徴は収穫したり購入した作物は、メニュー画面にあるリアルにお届けから実際に現実世界に野菜や精肉、乳製品やアクセサリーが届けられるんだ! すごいでしょー?】
このゲームの最大の魅力であろう、リアルにお届けシステム。自ら育てた野菜や肉、装飾品等を登録すれば、最大で3日以内に現実世界に質のいい品々を配送してくれるシステムだ。
運営会社が実際の農家や酪農家等と専属契約を結んで行われているこの取り組みが主婦層や一人暮らしの若者にウケて、男性プレイヤーが圧倒的に多いネットゲーム社会では珍しく女性プレイヤーも多く登録している。
また、ペットも一緒にオンラインでのびのびと遊ばせられるのも、女性プレイヤーの獲得に一役買っていた。
マンション住まいやドッグランがない都市部の人にはありがたいシステムだ。
【さぁ、これはボクからのプレゼントだよ! リアルにお届けをタップしてごらん!】
言われるがままに、眼前に広がるメニュー画面からタップする。
ピカンと可愛らしい音と共に、閉じられたメニュー画面の次に現れたのは1つのリンゴだ。
【これで君の家に、3日以内にリンゴが届くよ! さあ、ここからは君の自由だ! スローライフを楽しんで来てね!】
説明が終わって、光と共に消える妖精の少年。
ここからが本番だ。今はまだゲームに異常がないらしく、何ら違和感はない。さて、これからどうするかとクリスが思案していると、ローズが葉っぱで彼女の肩を叩く。
(こんな時だからこそ言いたい事がある。今はまだディストーションが発現していないならば、肩の力を抜く意味も込めてゲームを楽しむべき)
「えと……うん、そうだね……」
ローズが見せたホワイトボードの文面に頷く。
せっかくの新しいゲームだ。仕事とは言え、楽しまないのは勿体無い。
ならばとまずは街の様子を見て回る事にしたクリスだったが……。
「君、初見プレイヤー? 珍しいの連れてるねー、植物とかアップデートされたっけ?」
突然彼女に声をかけて来たのは、1人の男。
身長はコウと変わらぬくらいのやや小柄でスリムな体型で、面長な顔。
髪は真っ黒だがトップをと前髪を盛ったミディアムヘアで、黒縁の眼鏡をかけた端正な顔立ちで、余裕を含んだかのような笑みが張り付いている。
種族はクリスと同じにゃんにゃん族らしく、黒髪からはこれまた黒い耳が生えていた。
ならばどうやって眼鏡をかけているのかと疑問を持ちたいが、ネットならではの『こまけぇこたぁいいんだよ』で片付けられてしまうだろう。
衣服はYシャツに黒いネクタイで、エプロンをしている辺りから推察すると、きっとこの近くで商売をしているのだろう。
脇には可愛らしい茶色いチワワのロングコート種が尻尾を振って佇んでいた。
「えと……はい……」
いきなり話しかけられた事に、敢えて感情を表に出さない淡々とした返事で返す。男に纏われた空気をこれまでネットゲームの中で何度も感じていたクリスの中で、若干の警戒心が生まれる。
「へー、やっぱり? ねぇねぇ、アバターかなり小さいけど幼女キャラ? それともリアルでそれくらいの年? 住みはどこ?」
やはりそうか。彼女の中である結論が生まれる。この男、ネットナンパが目的だ。
ネットナンパとは、ゲームの女性キャラに声をかけ、キャラクターを介した女性プレイヤーをナンパするというマナー違反の行為だ。特にクリスの様な12歳は下手にそのまま年齢を晒け出してしまうと、性犯罪にも繋がる危険性だってある。
実は神界にやって来てからというもの、クリスは家庭用のコンシューマーゲームだけでなく、祝福の虹を使用したスマホゲーム、PCのネットゲームにと、とにかくゲームと名の付くものに手を出してはことごとく最速クリアを叩きだしていた。
その時に何度もネットナンパをされてきたのだ。最初の頃は素直に言われるがまま年齢や住んでいる場所。顔写真やらと見せてしまって、とんでもない祭りとなった事もあった。
何せ12歳で美少女でトランジスタグラマーともなれば、こういうネット社会においては恰好のターゲットだ。
一度住所を割り出してやってきたストーカー気質のオタクな天使族の男を、コウとトヨフツが物理的にネット社会的に御退場頂かなかったら大変な事になっていたかもしれなかった。
そんな経緯もあって、ネットナンパには非常に強い警戒心を抱いていたのだ。
「え、えと……その……ご、ごめんなさい……私……えと……い、急いでるので……」
何かされたりする前に逃げるが勝ち。そう言って男から立ち去ろうとするクリスだったが……。
「おいおい、そう逃げんなよ。俺達、初心者の子に親切に教えてあげたいだけなんだからよ」
クリスの前に現れるのは男の仲間であろうドワーフ族の男。筋骨隆々だがドワーフ族特有の低い背でがっしりとした男が、壁の様に立ちはだかる。
茶色い肌にスキンヘッド。眉毛も整えられてやや釣り目で威圧感すら感じる瞳だ。一般的なドワーフ像にありがちな口周りの髭はなく、服装もどちらかというと現代的な感じだ。タートルネックの黒いシャツにダメージジーンズ姿。余計な飾り気はない秘上にシンプルなスタイルだ。
肩には雑種だろう。サバ柄の入った三毛猫が絶妙なバランスで座っている。
そんな男がクリスの前に立ちはだかると、脇からもう1人の男が更に逃げ場をなくそうと歩み寄って来る。
こちらは普通の人間と変わらぬ姿だが、やや小太りの男。吹き出物が出来た顔に細い眼が上から下までクリスの姿を嘗め回すように視線が泳いでは、ニヤついた笑みを浮かべていた。
とても似合うとは思えないヴィジュアル系のバンドやホストによく見られるライオンのようなスジ盛りの金髪に、黒いシャツの上から白と黒のツートンチェックシャツにデニムボトム姿。
脇にはこれまた雑種なのだろう。薄汚れた野良のような痩せた中型犬が怯える様に彼の後ろに隠れていた。
そんなが3人の男達がクリスを囲み、にやにやと距離を詰めてくる。
「お兄さん、せっかくだから君とおともだちになりたいんだよねぇ」
エプロン姿の男が言うと、男が開いたメニュー画面から何かがクリスの下に飛んでくる。
「ほらほら、フレンド登録。俺はクローム、こっちのハゲはどびん蒸しってハンドルネーム。こっちは帝ちゃま。ねぇ君中学生?」
クリスのメニュー画面に点灯するフレンド申請の文字。クロームと名乗った男の紹介に合わせてどびん蒸しと呼ばれたドワーフが口角を釣り上げ、帝ちゃまと呼ばれた小太りはホスト風の男はクリスの胸元に視線を落としては薄気味悪い表情を浮かべていた。
このVRMMOシステムは、臨場感を出す為に五感の全てを実際の肉体と何ら変わらぬレベルにまで再現されている。つまり、VRMMO内でも性犯罪というものも存在し、彼等の様な輩によって襲われた女性プレイヤーの被害者というのも問題になっている。
全年齢向けのゲーム故にそれこそ性器の類やその機能まで再現しているわけではないが、それでも性的な快楽を得る方法はいくらでもあるし、それだけでも女性プレイヤーにとっては非常に恐ろしい体験だ。
のぉそん・ペットの世界は、実にネットゲームでは珍しい女性プレイヤーが5割近い。その為、こう言ったネットナンパを企んでいる男の存在も、後を絶たなかった。
「えと……ごめんなさい……知らない人と……すぐにお友達に……なれません……」
頭を下げて断る。だが、彼女の生来の儚い雰囲気とたどたどしい言い方のせいか、男達は全く諦める事も彼女を開放する様子もない。
どびん蒸しと名乗るドワーフの男がクリスの腕をいきなり掴むと、声を荒げる。
「あぁ!? こっちが親切にしてやろうって言ってんだよ!」
威圧。男性の中には恐怖心を煽って女性を服従させようとする時代錯誤も甚だしい存在が未だに存在している。VRシステムという技術を確立させている事から恐らく近未来的な時代背景を持つ異世界の住人達であろうが、いつの時代にもこの様な男は存在しているようだった。
「えと……ごめんなさい……!」
だが、クリスは怯まない。以前の彼女だったならば確実にそこで心が折れていただろう。だが、彼女は知った。本物の命を懸けた戦いを。本物の死の恐怖を。
既に多くの戦いを経験した彼女にとって、彼等は恐怖でも何でもない。それが、聖女として成長したクリスティーナという少女だった。
掴まれた腕を振り払い、ローズを掴むと下半身である植木鉢で下卑た笑みを受かべる帝ちゃまの腹を押しのける。途端、バランスを崩した帝ちゃまの脇をすり抜けて、クリスが走り出し、包囲網を脱出する。
「あっ! このガキ……!」
走るクリスの背中を追いかけるどびん蒸しと帝ちゃま。クロームは終始絶やさぬ余裕の表情を浮かべたまま、自身のメニュー画面を開いて呟いた。
「ふーん……クリスティーナちゃん……か。外国の娘かな?」
それは、フレンドリスト。相手からの登録受理が無ければ交換できないはずのフレンド情報を、一体いつの間にしかもどうやって手に入れたのか。
クリスが事前に登録していたキャラクター名や設定を眺めていた。
「あのペット……そしてあれ……。面白そうなことになりそうだね」
走り去るクリスの背中を見つめたまま、余裕の溢れる笑みに黒いものが孕んでいた……。
★★★★★
クリスがMMOの世界へと足を踏み入れる少し前……。
男は御満悦だった。数ある異世界の中で、探し求めていたものがあったこの世界に、感謝を示していた。これさえあれば様々なデータを取得できる。
内心から湧き上がる称賛の意を、感謝を示すべく、男はこのビルにいた全ての人間に紅い紅い化粧を施して差し上げた。
みなよほど嬉しかったのだろう。ある者は目を見開き、ある者は涙と共に顔をぐしゃぐしゃにし、ある者は体の内部から走る電気信号に身悶えて喜んでいた者もいた。
化粧をした人間は、全てあまりの感動と喜びで、全員心肺機能すら停止させている。自分の実験に開発したものを使ってもらえるなんて、彼等はとても名誉で光栄だろうと、あまりにも独りよがりでエゴイズムな思考。
人の気持ちをまるで独善的な曲解で決めつけた思考と共に、求めてもいない『死』という贈り物。
男は、常軌を逸した思考の持ち主だった。
今、彼は大きく興味を示しているものがあった。それを解明したい。研究したい。解剖したい実験したい味わってみたいすすってみたい感じてみたい愛したい……自らの手で作り上げてみたい。
だからこそ、数値化したデータの取得および自身が作り上げたそれをシミュレートし、それにどれだけ近いものを、いや、それそのものを生み出せるかを試したかった。
そこで選んだのが、男の眼前で主を失っても尚稼働し続ける巨大な機械の群……超高性能サーバだった。
仮想世界における研究結果のシミュレート。それこそが、今回の男の目的だった。
「excellent……実に、実にexcellent……総プレイヤー数30万人……現在ログイン数1万8千人……」
パソコンのキーボードを、まるで音楽を奏でるピアノを弾くかの様な優雅な動きで操作していく。
思いを馳せるはあの鎧となって身に纏う者を、人間を遥かに超越した存在へと変貌させるあの動物達。
ならばあれが一体何なのか知りたい。知って再現し、更には超える存在を生み出したい。
男は最早それしか目に入っていなかった。
故に、その尊い実験の被験体になれるこのログインした人々はなんと幸運か。被験体となれるとは、皆喜ぶに違いない。
歪み切った思考に、表情までもが……いや、空間そのもの、次元すらをも歪んで行く。
現れる禍々しい程の輝き、ディストーション。
自身が浴びたその光を、今は自由に発現、使用が出来る様になった。
歪んだ空間から取り出した光を、パソコンの中へと沈める。
やがて輝きは、パソコンに接続されていた巨大なサーバ……仮想世界の根幹すらをも汚染していく。
「さぁ、我が可愛いモルモット達よ……あぁ、そんなに嬉しそうにして……私も君達が愛おしいよ……excellent……実に実にexcellent……! ひぇっへっへっへっ!!」
歪んだ男の歪んだ思想が……新たな災厄を生み出した……。




