第三十二の神話
緊迫した空気だった。互いに剣も何も持たないが、騎士団長と異界からの探訪者、互いの双眸は決闘のそれに近かった。
顔には笑顔が貼り付けられているが、その実は腹の探り合い。
相手が隙を見せた瞬間、喉元を噛み千切るかの様な戦いが始まっていた。
「……成る程、確かに諸君の力は特別な様だ、認めよう。だからこそ、情報を開示して頂きたい。あの力は一体なんだ?」
先に動いたのは、魔法国家エリジウムの騎士団を束ねる少女、マリィだ。
彼女達の住む世界には魔法が確かに存在する。
魔法は体内にある魔導の力、魔力によって自然の力に干渉し、初めてなし得る神秘の技術。
それには発動の条件として、自然の力と魔力をまぐわせる儀式として、詠唱や魔力伝導の為に杖や銀製のものが必要だ。
だが、コウ達はそれらを一切必要とせず、何のタイムラグもなく力を振るってみせていた。
それだけでも十分異様かつ有能な力だが、何より破壊力が凄まじい。
もし仮にそれがエリジウムの魔道士達全員が手にする事が出来れば、あの突然現れた化物達にエリジウム国内で対抗、いや、駆逐する事も出来るだろう。そうなれば、近隣諸国との今後の外交等においても、大きな力を発揮する。
「何って、俺達の能力だじぇ?」
飄々とした態度のまま、明らかにはぐらかす様な曖昧な回答に、マリィは少し苛立つ様な表情を見せる。
「だからそれが何かと聞いているんだ! 君達は今、我々の手の内にある。下手にはぐらかすならば、痛い目を見るぞ?」
「なら、痛い目に遭う方を選択するじぇ。……ただし、それはおま〜らの方だけどね」
脅迫に近いマリィの発言を逆手にとって、不敵な笑みを浮かべるコウ。
……今、手元にはノアの方舟も、クリス達の指輪もない。つまり、神獣の力が使えないにも関わらずだ。
完全なハッタリ。如何にもあの力をいつでも使えるんだぞ、そう言わんばかりの余裕を見せるコウに、周囲の兵士がざわつき始める。
「……それは嘘だな。君達は、あの指輪は奇怪な箱から力を引き出している……違うか?」
コウの発言に、今度はマリィがニヤリと口角を吊り上げる。
彼女は見ていたのだ。コウ達が神獣と合身する所を。だからこそ、彼等からそれを奪い、力を封じたのだ。
故に、コウのそれがハッタリと見破った。まだ物理的な戦いも、論戦も、マリィ達が有利だ。
「おやまぁ、随分調べたみたいだねぇ。それこそ、2日間に俺達の品々を色々解析したりしていたんじゃない?」
肩を竦め、態度を崩さぬコウ。狼狽えたり動揺を見せたら、その時点で喉笛を自らの紅に染め上げられる。だからこそ、コウは態度を崩さない。
だが、この対話の決闘において、ある懸念材料がコウの中にあった。
それは、2日という時間と、それによってエリジウムの技術者が調べる為にノアの方舟を解体、分解していないかという点だ。
もしそうなれば、媒体を失った神獣達との契約は切れて合身はおろか、顕現化も出来なくなる。
そうなってしまっては、コウはもう本当にただの人間になってしまうのだ。
「それについても認めよう。……我々では解析できない技術が詰め込まれていた」
マリィもまた、態度を崩す事はなく淡々と答える。『解析できなかった』というワードに、コウの眉が微かに動く。
彼女はそれを見逃さない。
「気になるのか? あれはやはり何かの魔法具なのだな? 我々では解析できない……いや、解析しようがない程の未知の技術……あんな技術は、エリジウムどころか、どこの国にも存在しないぞ」
マリィの言葉に、静寂が訪れる。未知の技術、未知の力。その存在は、本来この世界にあるべきものではない。当然である。異世界からやってきた力、そして、異世界からやって来た人間達なのだから。
コウはそれを隠さなければならない。本来あるべきものではない技術がそこに流出すれば、それがどんな弊害を生み出すか分からない。
だが、マリィは既に確信へと辿り着いている。
コウはこの交渉の場において、いくつかのカードの内、1つを切ってみせる。
「そりゃそうだろうよ。俺達は、あの化け物達に滅ぼされたイベリアム国の出だからね」
「イベリアム……だと……?」
マリィの表情が一瞬だけ『イベリアム』という単語によって、驚愕のそれに変わる。コウの切ったカードが、上手く効果を示した何よりの証拠だった。
畳みかけるならば今しかない……!
「そう、俺達3人は工業技術国イベリアムの出身でね。といっても、もう生き残りは俺達だけ。あれは、そこで工場長をしていた俺の親父が造りあげた形見なんだじぇ。ま、その技術も今や国と一緒に失われていて、もう複製すら出来ないけどね」
まったく悪びれる事もなく、それでいて流れる様に、嘘が川のせせらぎの如く流れ出る。
【よぅそぎゃん嘘が次から次に出てくるたい……】
傍目で聞いていた珠雲も、味方ながらにコウの詐欺師ぶりに物申したいような目つきで見つめるが、ここは下手に発言をしてはコウの足を引っ張りかねないと黙る事にした。
「だから、出来れば親父の形見だから返して欲しいんだよね」
コウのまず1つ目の狙いであるノアの方舟奪還に向けて、勝負に出る。
ここで返ってくればよしだが……。
「そうだったのか……。だが、あの技術と力はそう簡単に返すには惜しい。お父上の大事な形見である事は分かったが、こちらもあの化け物どもからこのエリジウムを守らなければならない。この国の未来のためにも、アレは必要と判断している。君達もここを祖国と同じ道を辿る事になってもいいのか?」
事情(コウの息を吐くように吐いた嘘だが)を知り、同情の瞳を向けるマリィだが、彼女は騎士団長という肩書きをその若き年で担う人物だ。
私情には流される事なく、改めてコウへ技術と力の明け渡しを要求する。
「そうか……なら、せめて今形見がどこにあるかは教えてくれないかい?」
「いいだろう。未知のアイテムはここだ。私が預かっている。君達に色々とこれについて聞くためにね」
そう言って、木製の事務机から取り出されたのは、コウのノアの方舟と、クリス達の指輪、そして祝福の虹だ。
いずれも見た限りでは無事と言えるだろう。
「なるほど、確かに。だけど……それを俺達から引き離したのは良くない。非常に良くなかったじぇ。おま~らが欲しがっていた力……その源である怪物どもが、そろそろ封印が弱って暴れ出す頃だじぇ? あぁ! 俺には分かる! 怪物達が餌を求めて弱った封印を解こうとしているのが!」
尊大に。それでいて荘厳に。コウが声を張り上げる。
同時に。マリィの執務用だろう、コウ達の装備品が並ぶ木製の机が揺れ、虎や狼、果てには地の底から唸る様な咆哮すら聞こえる。
《我は空腹ぞ……貴様等人間を喰らってやろうか……!》
《オラ出しやがれ……!》
《僕もお腹すいただぞー……!》
【よし、よく空気を読んだおま〜ら。タイガー以外はまんま素だったけど】
脳に直接響く何者かの声に、兵士達が辺りを見渡し、剣を、槍を構えるが、当然姿はない。
まさか捕らえた男が言っているのは本当なのか……?
にわかに信じられない様な現象に、兵士たちはおろか、マリィまでもがコウの言葉が全て真実でなければこの状況に説明がいかないとすら感じ始めていた。
コウがわざとらしく、それでいて仰々しく声を荒げたのは、単純に神獣達にサインを送っただけではなく、この効果へのお膳立て。
それこそが、コウの切った2枚目のカードだ。
「ま、まさか……あの大群の怪物が、この中に封じられているのか……!?」
「この力が欲しいならば、存分にどうぞ。ただし、恐らく封印を破って出て来るだろう竜や虎の化物達を倒せたらだがね。なぁクリス、珠雲。狐や植物の化物まで出て来たら困るよな?」
コウが更に聖女達へとサインとばかりに振り向き、小さく首を縦に振る。
「え? あっ! うん! ウチの狐が出たら大変たい!」
「えと……うん……大変……」
彼女達の返答に呼応するかのように、竜や虎を始めとした神の使いが次々顕現化。
灰色の石壁は瞬く間に茨の蔓に支配され、狭い空間はまるで獣のバーゲンセールの様に咆哮がけたたましく響き、9つの尾を持つ狐が凛と佇む。
「なにっ!?」
「うわあぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
「こ、これは……!? ま、まさか……!?」
あまりにも唐突に現れた獣達に、洗礼された戦いの知識と技術を持つ騎士や兵士達も驚愕し、マリィもまた、壁にかけた剣に思わず手を伸ばすが、既に茨の蔓にそれを阻まれていた。
グルルルルル……!
竜が長い首を伸ばしてマリィに荒い鼻息を吹きかけ、虎が口元から剥き出しの牙を見せながら歩み寄る。
兵士達が混乱しながらもマリィの下へと向かおうとするが、まるで意思を持った様な茨が伸びて塞ぎ、熊が仁王立ちで、その肩には鷹も乗った状態で阻んでいる。
「さて、こいつら全部を丸腰で相手は辛いんじゃないかな?
……因みに、契約してる俺達の言う事しか聞かないじぇ?
そこでどうだい? この力を貸す代わりに、俺達をおたくらの仲間に入れて欲しいんだよね。もちろん、断るのも自由。おたくには選択肢がちゃーんとあるんだじぇ?」
恐慌状態を作り出しての代替案。
言葉巧みにこの状況を生み出した上で、自身の要求を突き出す。
しかも、御丁寧に『選択肢はある』と、周囲にこれは脅迫でも命令でもないと強調してだ。
だが、その実態は竜がその大きな口を開いて『さもなくば頭から喰うぞ』と言わんばかりの状況であるにも関わらずだ。
「くっ……! わ、分かった……君達の言う通りにしよう……」
最早それ以外の返答が出来ない。他の選択肢がなくなり、頷くしかないマリィ。
「いやー騎士団長様の寛大な御心に、涙が出そうだじぇ。そんな美人でBカップの騎士団長様に、誠心誠意、尽くしていくじぇ」
まるでとってつけたかのように仰々しく振り上げた腕を胸に前に振ってお辞儀をするコウ。
口先からあれよあれよと飛び出す千の偽り万の嘘。もしも神にならなければ、詐欺師にでもなれるのではないかというコウの話術により、交渉は一応の締結をみせたのだった……。
★★★★★
「それにしても、いつの間にあぎゃん調べたとね?」
捕らえられていたから食客へとランクアップを果たし、一部制限はあるものの、王宮内の自由を許されたコウ達一行。
早速中を見て回ろうと言う事で、中庭へとやって来ていた。
時は逢魔が時を刻んでいるのか、秋らしい涼しげな風に、よく手入れされた庭に咲き誇る秋桜が揺れている。
中央には茶会を開く為だろう、これまた石造りの椅子やテーブルが備わった屋根付きのそれまであり、まさに中世の宮殿と言うイメージそのままだった。
「あぁ、あれは俺の隣に捕まってた変な笑い方のおっさんから聞いたんだよ。滅んだ技術国があったとか、この国の裏の話とかな」
「えと……いつの間に……」
コウを真ん中に、左側を歩くクリスが呟く。
「仕込みは常に、『備えあれば嬉しいな』だじぇ? で、気になる話を仕入れてな」
コウが立ち止まり、周囲を見渡す。
王国の中心部にして、国を統べる王の居城ともあり、女中や兵士、騎士に庭師にと、非常に多くの人間が行き交う。
故に、聞かれてはマズいとばかりに人がいないのを確認して、コウがしゃがんで少女達を手招きすると、こっそり耳打ちをする。
「このエリジウムには、王族しか知らない禁断の魔法があるらしい。あのおっさんがどうやって知ったのかは分からないが、それは世界を塗り替える力があるって話らしいじぇ」
「えと……それ……」
「ディストーションのごたるじゃなかね……!」
小声で、こっそりと。
今現在、世界を怪物の山へと塗り替えようとしているディストーション。
まさにその禁断の魔法と同じであるが、それが原因だと決めつけるにはいささか乱暴な理論だ。
確かめようにも、物証も実際に魔法の正体も分からないのでは、全ては妄想、机上の空論である。
「まあ今の状況を生んでいるのが、その禁断の魔法って可能性がある程度だからね。何にせよ、もう少し情報が欲しいところ……」
「これはこれは、魔法もろくに使えない役立たずの騎士団長。今度は得体の知れん者を、王が住まうこの城に招き入れたそうじゃないか?」
中庭の先、渡り廊下から響く妙に特徴的な高めの男の声。夕刻の人気がないその場所では、よく響いている。
3人は互いに顔を見合わせて、秋桜の花々の隙間からひょいと頭だけを出して覗き見る。
コウ達の視線の先にいたのは、先程の騎士団長マリィと、如何にも貴族であると全身から主張している様な、中年の男性。肩までかかった黒髪には白髪が混じり、面長な顔にはやや垂れ目の小さな瞳に豊齢線が目立つ。細長い体型に全身から胡散臭い雰囲気が滲み出ている。
真っ赤な貴族用の丈が短い服、ダブレットに、ホウズと言う短いズボン、そして真っ白なタイツと言う出で立ちだ。
誰が聞いても嫌味がましい口調だが、マリィはじっと耐えているような様子だ。
「はっ……しかしながらジーグ・マン大臣。彼等の実力は我が騎士団だけでなく、魔法兵団にもひけを取らぬ者達で、我が国に有益な存在であると……」
「そんな事は聞いてはいないのだよ、出世欲に絡んだ卑しい女が。魔力も持たぬ分際で、目障りで仕方ないのだ。いい加減、女としての幸せを掴んでさっさとこの王宮から出て行ってくれんかね?」
まるで聞く耳を持たぬ大臣、ジーグ。マリィに目も合わせる事もなく、更なる皮肉を彼女に容赦なく浴びせる。
「わ、私は……この国の為に……!」
「本当に国の為か?」
「――――――――――!?」
大臣の言葉に、マリィが微かな動揺を見せる。
「まぁいい。せいぜい国外に溢れる化け物にでも喰われて国を護るがいい」
まるで捨て台詞のようにそれだけを吐き出すと、王宮の中へと歩み去る大臣。
独り残されたマリィは、ただそこに立ち尽くすのみ。……いや、両の拳は強く、強く握りしめられ、湧き上がる黒い感情を必死に押し殺しているのが分かる。
「……やーれやれ、胡散臭いおっさんだねぇ。俺は冷めて伸びたラーメンと、ああいう美人をいじめる奴は許せないね」
「!? ……お、お前達……聞いていたのか」
ひょっこりと秋桜の花壇から出て、悔しさを滲ませる騎士団長へと歩み寄るコウ。
その後ろからは聖女の2人もついてきている。
……瞳をうるませていたのだろう。乱暴に目をこすると、いつもの騎士らしい毅然とした態度でコウ達に対峙する。
「いんや、聞いてたんじゃなくて、耳に勝手に入って来ただけだじぇ?」
「それを聞いていたというんだ……」
腫らした目を隠すように俯くマリィ。
「なんねあんおっさん。ねーちゃんば悪く言うてから」
「……仕方ないんだ。ジーグ大臣は極端な魔力至上主義だからな。魔力を持たない『魔無し』の私は目障りなようだ」
この世界は、誰もが大小個人差はあれど、魔力と呼ばれる万物に干渉出来る力を持っている。
だが、マリィの様なごく一部の人間の中には、魔力を持つ事なく生まれる『魔無し』と言う蔑称で呼ばれる者も存在する。
「えと……なんだか……私と似てる……」
似た様な境遇だったクリスが、以前の自分と重ねてしまったのだろう。
俯くマリィに投げかける視線は、哀しみに満ちていた。
「君もだったのか……。だがしかし、私は魔力に代わる剣の力を磨いて、今の地位にある。だから、このくらいどうという事はない」
伏せていた顔をあげて見せる。
今だに赤く腫れてはいるが、既に力強さを取り戻した瞳をコウ達に向ける。
「なるほどねぇ……強いね、おたくは」
「いや、まだまだ強くならなければならない。この国を、そして……王子を……」
カンカンカンカンカン!!!
マリィが何かを言いかけた言葉を遮る様に、城全体に鳴り響く警鐘。
辺りが騒然とし、マリィもまた、一気に緊張した面持ちへと変わる。
「何事だ!?」
声を荒げるマリィに、近くを駆けてくる女中がハッと存在に気付いて走り寄る。
「例の怪物が南の国境に進軍して来たとのお話でございます! 騎士団、魔法兵団には既に出撃命令が下っていると聞いております!」
不安と恐怖の入り混じった声色の女中にマリィが頷くと、少女は騎士としての気品と雰囲気を纏って女中の肩に手を置く。
「わかった、ありがとう。安心しろ、私達が必ずこの国を護ってみせる。君達……確か、コウ・ザ・ストーンズ、クリスティーナ・ローズマリー・ドラグマン、タマモ・ヤナギと言ったな。君達もすぐに兵舎に来い、早速働いてもらおう」
「へいへい、今日のディナーは食べ放題のビュッフェ形式か。今から胸焼けしそうなくらい嬉しいじぇ」
肩を竦めていつもの様な軽口を叩いてみせるコウ。
ディストーション食べ放題の盛大なパーティともなれば、コウ達も出撃しないわけにはいかない。
「その余裕、頼りにさせてもらうからな。私を丸め込んだ分、相応の働きをしてもらうぞ」
「分かっとるて! いくばいっ! クリス!」
そう言って兵舎へと走り出すマリィに続くように、珠雲が促し、共にクリスも走り出す。
その後ろを同じように、コウもまた、はしりだすのだった……。
★★★★★
広々とした訓練場。いたずらに斬り刻まれた仮想敵としての木製人形や、弓や魔法の練習用の的やらと、あちこちに乱雑に設置されているそこに、ずらりと右に金属の鎧に身を包んだ兵士や騎士が。
対して左には真っ赤な祭服に黒いマントを羽織り、真っ黒な三角帽子を被った集団。全員右手には銀で彩色を施した身の丈を超える長い杖を手にしている。こちらが、この世界の代表的かつ最大の砲撃力を誇る主力の魔法兵団だ。
騎士団と魔法兵団は、実はあまり仲がよろしくない。プライドの高いエリート思考の魔法使い達が、泥臭く剣で戦う騎士や兵士を見下しているからだ。
だからと言って、騎士達の地位は低くはない。むしろ、爵位を持っている者も多く、立場的には何ら変わらないのだが、騎士は騎士で蔑む魔法使いを陰気くさいものだと、団栗の背比べ、五十歩百歩ないがみ合いをしているのが、この国の現状だった。
「よし、エリジウム騎士団、全員揃っているな。これより、国境南への進軍を開始する!」
騎士団長マリィの高らかな声に、地響きの如き兵士達の声が城に轟く。
今回の戦いにおいて、総指揮はマリィに一任された。魔法兵団の兵団長を兼任する大臣、ジーグ・マンは今回の戦いには参加しない。
『陛下と殿下をお護りする事こそ我が使命』とのお題目を掲げて、城から出る事をしようとしないのが原因だ。
「この国にも色々事情はあるみたいだな……」
兵士達に紛れて、周囲からは異様とも取れる様な軽装……つまり、普段着のままのコウがポツリと呟く。
これから命を懸けた怪物との戦いに赴くような恰好ではない。完全に浮いている。
「マリィ! ……よかった、間に合った」
訓練場の出入り口から聞こえる、若い男の声。壇上にいたマリィがいち早くその声の主に気付くと、驚嘆の声を上げる。
「ヴォ、ヴォレイ殿下!? な、なりません! 御身がかような場所にお越しになっては!!」
マリィがヴォレイと呼んだ彼こそが、このエリジウムの次期王にして、現王の一人息子。名はヴォレイ・エリジウム。
紫がかった短いくせっ気のある髪に、少々垂れ目気味の温厚という言葉がよく似合う雰囲気を纏う美しい顔。間違いなく美男子と形容されるべき風貌で、細身で長身だ。
胸元の真っ白なジャボと呼ばれるスカーフに、胸元から腹部にかけて白く、脇から脇腹、腕にかけて青い服に、腹部には革のベルト。純白の長いタイツの様なズボン。黒いブーツに白い手袋。青いマントを身に纏った姿の王子。
彼がマリィの下へと歩み寄ると、兵が、魔法使いがまるで預言者が奴隷を解放して渡り歩く為に割った海の様に左右に分かれ、その道を作り上げていく。
「あぁ、マリィ。また君が死地へと赴くと聞いて、居ても立っても居られなかったんだ」
「殿下……」
壇上へと上がったヴォレイが、心配そうな声を上げる。
「君や、ここにいる我が王国の愛すべき兵士諸君が、その命を国の為に投げ出そうとしているのに、僕は何も出来ない……それが、辛くてたまらないんだ」
一国の頂点たる彼の言葉。優しくも愛おしさが溢れるそれは、兵士達の心を強く打ち、愛国心や騎士道が道理の中心にあるこの世界においては、何よりも至福で至高なのだろう。
涙を浮かべる者や、王子に向かって万歳する者まで現れていた。
「なんと勿体なきお言葉……そのお言葉だけで、我等は骨の一かけらになろうとも戦えます」
ヴォレイの言葉に、彼女は騎士として、改めて王子に、そして国にその命を捧げると誓うかのように腰に掛けていた長剣を引き抜き、胸の前で構える敬礼を捧げる。
「……そうだ、新たにあの滅びたイベリアムの者が我が騎士団に入ったと聞いたんだけど……」
「あー、初めまして王子様、そりゃ俺達だじぇ。俺はコウ・ザ・ストーンズ、好きなブラジャーはフロントホックだじぇ。で、こっちはその他の愉快な仲間達さ」
兵団の山の中からヒラヒラと手を挙げて振ってみせるコウ。
コウ達の噂は既に宮中に行き渡っており、滅びて生存者がいないはずの国から、得体の知れない力を持ってやって来たと言われている。
物珍しさに加えて怪物を屠る大きな力を持っているともなれば、自然と注目が集まるのも道理である。
「君達か……。改めて、僕はこのエリジウムの第一王位継承者のヴォレイ・エリジウムだ。初対面でいきなり不躾な非礼を詫びるが……どうか、我が国を救って欲しい」
国を預かる者の務めとして、『威厳』というものがある。国とは人の集合体、意志の集合体で不公平の集合体だ。国の政策1つで誰かに有利に働き、誰かに不利に働く。例えば、国が『健康の為、肉を食べずに野菜を食べよう』という政策を出したとする。そうなると、当然野菜を売る八百屋が儲かり、農家が儲かる反面、売れなくなった肉屋が損をし、畜産家が損をする。
そうして、肉屋や畜産家が国に不満を募る。それがやがて大きな不満へと繋がって、倒政……クーデターへと繋がる。
それを抑止する為に必要なのが、『威厳』である。
もし仮に一々肉屋や畜産家に謝罪して回るような王ならば、『じゃあ最初からそんな政策立てるなよ』と、誰もついてこなくなってしまう。
だからこそ、王は簡単に頭を下げてはならない。
……だが、ヴォレイはここで下げるべきではない頭を、深々とコウへと下げた。
「で、殿下!? なりません!」
深く、深く頭を下げて懇願するヴォレイに、マリィが声を荒げる。
だが、ヴォレイを右手を挙げて彼女を制する。
「いいんだ。僕はまだ王じゃない。それに、これでこの国が救われるんだったら、僕はいくらでも頭を下げるよ。だからコウさん、お願いです。彼女達を、エリジウムを護って下さい」
王には威厳が、時には冷酷さも必要だ。だが、ヴォレイはそれ以上に大事なものを持っていた。
真に国を憂い、真に国を案ずる心。王政が倒される時、それは外部の脅威に負けた時か、政治を己を肥やす道具にした時だ。
彼は、ヴォレイには、そんな心配は程に、国の為を想う心の持ち主だった。
「了解、そんじゃ……いっちょ、おしりペンペンしに行きますか!」
鐘の音が、警鐘として鳴り響くと同時に、訓練場の門が開かれる。
時刻は逢魔が時から宵闇へと変わる頃、出撃の時間だ。
新たに現れたディストーションと、魔法と剣を駆使する人類との、暗闇の決戦へ。
エリジウムを護る為の戦いが、今、幕を開けたのだった。




