第三十一の神話
その日、神界の最高責任者にして、妖艶たる美貌を持つ女神が珍しく顔を歪めていた。
元来この部屋に対する責任を持つ者に代わり、部屋一面の壁に幾つも揃えられたモニターと、空間を走る罵声の様な報告に、終始その美しい顔が顰められたままだ。
「やってくれたわね……」
正月の三ヶ日も終わった矢先に発覚した今回の件に、女神が苦々しい口調で呟く。
事は誰にも気付かれる事はなく、静かに、それでいて急速に進んでいた。
「ヴァルハラよ、今コウ達から連絡が入った。既に幾つもの国が侵食され、奴等も交戦に入ったそうだが、やはりたった3人ではどうにもならんらしい」
自動ドアが静かに開き、現れた老神が報告する。
ディストーションは、今まさに1つの世界を飲み込もうとしていた。
このディストーション対策課は、あらゆる異世界に発生した歪みのエネルギーを感知するシステムが確立されている。
その為、歪みが巨大化する前に異世界へと羽ばたく翼を送り込み、被害を最小限に抑える事を可能としていた。
だが、今回発生したそれは、全く感知しなかった。
故に、発覚した時には既に世界の実に6割が侵食され、崩壊寸前にまで追い詰められていた。
滅びる運命ではなかったはずの世界が、運命を捻じ曲げられている。
この上ない最悪の事態だ。
「…………仕方ないわね。30(ミレイ)! 773(ナナミ)!」
「はい、30(ミレイ)、ここに」
「773(ナナミ)ちゃんもいるですますよ!」
自身子飼いの機械人形、戦乙女を呼び出すヴァルハラ。
「あんた達も直ぐに異世界に飛びなさい。コウ達の援軍として、合流後に敵ディストーションと交戦。各戦乙女部隊にて殲滅しなさい。武装使用許可はスレイヤー、ガンナー、スナイパー、ファイターの戦闘4種に、ナースの支援1種。いいわね」
「御意に」
「はーい! ですます!」
主の命を、頭部の記憶チップに叩き込むと、すぐさま部屋を後にする2体の戦乙女。
「イリアの話では、システムに不備はないそうじゃ。……やはりディストーションは何をしでかすか、あの女でも分からんらしい」
ディストーションは世界の歪み。故にその存在にすら規則性はなく、発生するエネルギーや反応も違う。
だからこそ、今回の様な事態も起こり得ると言うのが、叡智の女神の見解だ。
「全く……すっかり正月気分が抜けちゃったじゃない……」
ヴァルハラがまた新たに戦闘を開始した翼の神と聖女達を写し出すモニターを見据えたまま、静かに呟いた。
★★★★★
「だりゃあぁぁぁぁぁぁぁぁああっ!! 大地熊爪斬っ!!!」
地上を、空をも埋め尽くされる程の怪奇、物の怪の大群に向かい、大地を抉る爪痕を残す衝撃波の斬撃を放つコウ。
まるで熊の爪に切り裂かれた様に、緑色の肌を持つ背丈の小さな存在。ゲーム等でよく見るゴブリンのようなディス・モンスター達の身体が抉られ、消滅する。
「夢現っ!!」
空を覆う、鳥の身体を持つ女、ハーピーの集団が幻によって敵を誤認し、互いが互いを潰し合う。
「えと……! お願い……! バスティーユ・ローズ……!」
地中から現れた無数の茨の蔓が、馬の身体を持つ男達、ケンタウロスを捕らえ閉じ込め、監獄となった茨が次々と槍の様に鋭く伸びて貫いていく。
「なんねこれ……! ぜんっぜん減らんたい……!」
荒い呼吸に言の葉を紛らせる。既に連戦に次ぐ連戦で、疲労は困憊、神獣の力を具現化させる為の精神力も限界に近い。
「えと……! また……大群が……!」
それはクリスもまた同様で、チラチラとテレビのノイズの様な音と共に神獣鎧の一部が揺らめく。
だが、ディストーションはそんな事お構いなしに押し寄せる。
元々は自然が豊かな世界だったのだろう。電気もガスもない世界。それでも、自然と共に生き、自然の中で繁栄した世界。しかし、今やその雄大な自然は消え失せ、緑は朽ち果て湖は枯渇し、生命の息吹は、動物達の営みは、人類の繁栄は、まるで大量発生したバッタ達が草木を喰い尽しながらエサを求め続けて進む蝗害の如く、全てこの異形の集団に飲み込まれてしまっていた。
喰い尽され、荒れ果てた大地を踏みにじり、新たな破滅を生み出さんと進む。
「クリス! 珠雲! おま~らは下がってろ! だりゃああああっ!!」
聖女達にそう言い放ち、コウが単独で群れの中へと突っ込む。
一件無謀に見える吶喊だが、全てはコウの計算の内。
「どけぇっ!」
群れの中でローリングソバットで骨だけの身体を持つ剣士の首を飛ばし、勢いをそのままに、今度は回転からの『グランベアクロー』での斬撃で石の身体を持つ犬のようなそれを斬り裂く。
背後から迫る斧を持つ豚人間、オークをそのまま肘を突き出してみぞおちにお見舞いすると、呻くように頭を下げた瞬間にそのまま後ろを向いた状態から蹴り上げる。
まさに一騎当千の格闘劇。たった1人で次々とディス・モンスターを撃破していくコウ。
「よっし! 周囲は確保! いっくじぇっ!! グランド・クエイクッ!!」
大地を司る熊を身に宿したからこそ出来る広範囲殲滅技。
爪を残酷な程に貪られた地面に突き立て、死せる大地の怒りを揺り動かす!
異形の怪奇への逆襲に目覚めた大地は、コウを中心に自らの身体に亀裂を走らせ、崩落。まるで人体の中に巡らされた血脈の如く、亀裂という血管に怒りの衝撃が疾しり、自らの身体を隆起し、衝撃が侵略の怪物達を吹き飛ばす!
「グギャアアアアアアッ!!」
「ギャオオオオオオオオオオッ!!」
次々と吠える断末魔の中心で佇むは、大地の神獣士。
一気に殲滅に成功するも、それはあくまで世界を覆わんとする異形の一部の更に末端。
依然空は太陽を覆う程の飛行モンスターで埋め尽くされ、大地は未だに蹂躙され続けている。
「はぁ……はぁ……っ、こりゃ……明日は筋肉痛だじぇ……」
流石のワンオブミリオンであるコウでも、精神力に限界はある。だが、それ以前に体力の限界が近い。
既に3時間近くもの間戦い続けたのだ。
「コウ兄! 危なかっ!!」
空からどうやって飛んでいるのか分からないが、筋骨隆々の人間のような腕を持つ蛇が、しぶとく戦い続ける大地の神獣士を捕えようと急降下して来る!
「分かってる……じぇっ!」
カウンターで振り向きざまに鉤爪で頭部を捉えてそのまま叩き潰す!
「えと……! こっちにも……来た……!」
飛行というアドバンテージを得ているからか、黒い球体にパチパチと火花を咲かせながら短くなっていく導線、デフォルメされた漫画のような手足がついた、誰が見てもそれが爆弾と分かるフォルムのディス・モンスター達が、巨大かつ美しい7色の羽毛を持つ鳥の飛行部隊から、空爆のように落とされてくる!
「しまった! 逃げろ! クリス! 珠雲!」
クリスが苦手とする爆撃……つまり、炎の攻撃。しかも、上空からともなれば防御壁のローゼス・ホーゲンではカバーは難しく、発動も間に合わない。
珠雲に至っては、この事態に対する防御策を持ち合わせていない。
「うわあああああああっ!!」
降り注ぐ爆炎の恐怖に叫び声を上げる珠雲。逃げようと走り出すも、疲労から足には鉛が巻きつけられたように重く、合身により強化された身体能力でも心と現実に反して遅々として足が進まない。
「えぅっ! ……あ、あぁ……!」
「ク、クリス!!」
石に躓き、降り注ぐ爆弾の雨に取り残されるクリス。
いくら超回復能力があれど、弱点である炎を一身に浴びてはただでは済まない!
「くそっ! おおおああああああああっ!!」
コウがベアメイルの両肩に備えられたブースターを起動させて加速するが、間に合わない!
3人の脳内に絶望の未来が鎌首をもたげる……!
死が、すぐそこまで迫り来る……!
パキュゥゥゥゥゥゥゥゥゥンッ!
近代化文明が存在しないこの世界では異質な発砲音。
そして、鉄の殺意に貫かれた爆弾が空中で爆発。爆裂が音となって、炎となって共に降り注ぐ爆弾を次々と巻き込んで空を紅と灼熱に染め上げる……!
「間に合いましたか」
「さっすが30(ミレイ)ですます~!」
現れたのは、メイド服に身を包んだ女性と少女。
女性の方はメイド服の上に純白の女性の膨らみを象った胸部アーマーを装着しており、両腕には純白のガントレットと肘当てのコーター。頭部には額当てと両耳から機械的な、それでいてまるでうさぎの耳の様に立つアンテナの兜。右目だけはオレンジカラーのゴーグルが伸びている。
スカートから太ももにかけて、いわゆる絶対領域を形成するそれは、ニーソックスではなく太ももから脚部全体を覆う鎧だ。
そして、何よりも目に付くのは、その手に持つ細身な女性には似つかわしくない物々しい対物狙撃銃。
長い砲身のそれからは硝煙がくゆり、今まさに発砲したのを物語らせている。
「だ、誰ね……?」
「30(ミレイ)に773(ナナミ)……? って事は、ヴァルハラからの援軍か……正直助かったじぇ」
異世界に舞い降りた、機械仕掛けの戦を司る2人の乙女。
「ここからは、この773(ナナミ)ちゃんと、30(ミレイ)におっまかせですますよー!」
疲弊し、傷だらけの翼の神と聖女に代わって異形の有象無象の前に立つと、2人の瞳の色が失われ、代わりに彼女達の足下に淡い緑の輝きを放つ円形の陣。魔法陣と表現するべきだろう計算式の羅列が描かれたそれが現れる。
「機械魔術式展開、世界存在確率計算開始。……波動関数、演算終了、続いてユークリッド空間、仮定式展開、時空軸における質量存在の証明式展開、証明完了。量産型30(ミレイ)部隊、異世界顕現」
専門的な数学者でもなければ理解どころかそれが何を示す式であるかも分からない程の演算、計算の式の羅列で描かれた魔法陣が、光となって現れては消え、そしてまた新たな演算が光となって陣を形成していく。
そして、何よりも彼女達の体内より人とは思えぬ高い機械音や、モーターが駆動する音が流れ、彼女が人ならざる者である事を強調している。
「機械魔術式展開、世界存在確率計算開始ですますぅ! ……波動関数、演算終了、続いてユークリッド空間、仮定式、展開ですますよー、時空軸における質量存在の証明式展開、証明完了ですます~! 量産型773(ナナミ)ちゃん部隊! でっておいで~ですます~!」
戦乙女達に応えるかの如く、緑色に輝く魔方陣、その地面から頭部から現れ出でるは、彼女達そっくりのメイド服を身に纏った機械人形部隊。
見た目は非常に30と773、それぞれに似通っているが、瞳から頬にかけて、如何にもロボットらしいパーツの接続面によるラインが見え、髪も30の様なしなやかな青いロングヘアーも、773の茶髪のボブカットも、全て量産型の彼女達は闇の様な漆黒の色で統一されていた。
額当ても両目が見えなくなる程の濃いグリーンカラーのゴーグルを装着されており、30と773のような人間らしい表情や仕草、何よりも人らしい雰囲気、生気を全く感じさせない人形そのものであるように感じる。
「隊長機、戦乙女30より量産型30部隊へ。武装式展開、量産型30アンから30トラントまではガンナー。30トランテ・アンより最終号機30カラントまではスナイパー装備。装備後、殲滅作戦各個展開!」
「たいちょー機、773ちゃんからみんなにお願いですますよ~!773アンから773ヴァンまではスレイヤー装備ですます~! 773ヴァンテ・アンから最終機773カラントまでは、ファイター装備ですます~! それで~30ちゃんの量産機を前衛で防衛フォローですますー! あ、773ちゃんはナースで治療するですますよー!」
各部隊の隊長の命令に、ゴーグルが輝いて了解の意志を伝えると、40機ずつ存在する量産型30部隊と773部隊が新たな機械魔術式を展開。
30機の黒く長い髪の女性部隊に装備されたのは、隊長機同様の純白に包まれた鎧。だが、武器は対物狙撃銃ではなく、右手に自動小銃に、左手のマイクロサブマシンガン。まさに、銃撃特化の武装だ。そして、残る10人の量産型30(ミレイ)は、隊長機同様の対物狙撃銃。これこそが、銃撃型のガンナーと、狙撃型のスナイパーだ。
対して量産型773部隊は40機の半数が純白の鎧に、柄の両端から伸びる巨大な諸刃の剣。更には腰にも投擲用のダガーを左右に2本ずつ、計4本装備した姿のスレイヤー。そして残る半数が、両の拳にガントレット丸ごと包む、可憐な姿に似つかわしくないトゲトゲしいナックルに、両足にはスネにチェーンソーのようなノコギリ状の刃が唸りを上げて回転する、近接格闘型のファイターだ。
まさに圧巻と表現すべき一個中隊の少女達が展開、迫り来る世界の歪みへと立ち向かって行く。
「はいはーい! 第三神位様方〜治療しますですますよ〜」
「護衛は私が行います。今の内に」
隊長機にしてオリジナルの773と30が駆け寄る。
773はナースと呼ばれる装備なだけあってか、鎧姿でもなく、メイド姿でもない、まさに白衣の天使の衣装だが、背中には機械的で物々しい産業ロボットの様な細く長いマニピュレーターが幾つも蠢くバックパックがくっついていた。
「いいタイミングで来てくれたじぇ。流石はヴァルハラだな」
「コウ兄、コウ兄、誰ねこん人達……?」
「自己紹介が遅れました非礼、お詫び致します、聖女様。私は30、ヴァルハラ様の所有物である機械人形、戦乙女が1体で……」
「773は773ですます〜! 同じくヴァルハラ様の戦乙女で、30がヴァルハラ様の護衛部隊隊長、773が副隊長ですますよ〜!」
コウの傷の治療をするべく、背部のマニピュレーターが応急措置を施していく。
局部麻酔にて痛覚を遮断し、マニピュレーターが持つメスが腕を切り、内部の損傷に処置を施す、まさに機械による超高速オペが行われていく。
「聖女様達も773のとこに来るですますよ~、回復していくですますよ」
コウへの処置を行いながら、773が言う。
外科的な手術ではあるが、その実最先端の技術が詰め込まれたこの支援型装備ナース。傷痕をも残さぬ縫合の技術や、意識を保ったままの局部麻酔、そして治療後にすぐ身体への自由が取り戻される事が可能なところから、珠雲が住む世界のそれとは比べ物にならない程の医療進歩がそこにあった。
「ウチら、助かったとね……?」
773の超高速外科手術的治療技術、オーゲンブリック・オペラツィオンを受けながら呟く珠雲。
その眼前では、敵を斬り裂き、撃ち抜き、殴り飛ばす人形達の姿が広がっていた。
「いや……こんなもんはまだ尖兵ってとこだじぇ。1匹見たら30匹。まだまだ世界の6割は支配した状況だしな。元を断たないとダメだろうじぇ」
敵の大群は随分とその数を減らし、1万はいるのではないかと思われたディス・モンスターも、今や機械人形達によって駆逐されつつあった。
「第三神位様の仰る通りです。ですが、とりあえず今はこの状況は収束しつつあります」
30の言葉通り、機械人形部隊によって沈静化された戦場。
神界最高位の女神の護衛とだけあって、無駄のない動き、洗礼された戦術は、大きな戦果を挙げたと言っていい。
「ギャアアアアアアアッ!!」
最期の1体、背部から伸びる無数の腕を持った馬のようなそれが倒される。
「状況終了確認。773、各部隊帰投準備」
「あいあいさーですます~!」
大地に広がる無数の異形の亡骸達が光の粒子になるのを見届けると、滴る紅に塗れた機械人形達が、足下から徐々にまるで最初からこの世界に存在していなかったかのように色素が薄れて消えていく。
「30、773、ヴァルハラに伝言を頼む。恐らく元となっているディストーション本体はどこかにあるはずだ。それの調査を大至急頼んどいてくれないか?」
「賜りました。では、私達も帰投し、従来の主、ヴァルハラ様護衛の任へと戻ります」
「何かわかったら、すぐに知らせるですますよ~!」
量産型が帰投し、コウからの伝言に頷く30。
ここまで大規模なディストーションは、コウもあまり経験がない。それだけに、事は決して楽観視出来ない。出来るだけ早期に解決策を見出す必要がある。
「ありがとね、戦乙女の姉ちゃん達」
「えと……ありがとう……ございました……」
聖女達の笑みを乗せた礼の言葉に、30が大人の女性らしい微笑を、773は咲き誇る向日葵のような笑顔を返す。
「いえ、これも私達戦乙女の務めです。聖女様方、御無事を」
「無事に帰って来て下さいですますよ~! 今度、一緒にウルズの泉でパフェを食べましょうですます~!」
機械である彼女達からの激励。それを残して、彼女達も足下から存在が消えていく。
「うん! 頑張るけん!」
世界から存在が消滅した戦乙女達を見送る珠雲とクリス。
思わぬ援軍によって、今回の戦いを乗り切る事が出来たが、これはまだ序章に過ぎない。
まだまだ世界には、多くの歪みが蔓延っている。厳しい戦いとなるだろう。
そんな予感がコウの脳内に過っていた時だった。
「貴様等動くな。動くならば、無数の矢が貴様等を蜂の巣にする」
低い……中性的な声がコウ達の背後より響き渡る。
「……残念ながら、俺達に穴を開けたところで、美味しいはちみつは出てこないじぇ?」
声に対して、振り返る事なくコウが肩を竦める。
「な、なんねいきなり!?」
振り返ろうとする珠雲の頬を、何かが掠める様に通り過ぎる。
直後、頬に走る鈍痛と滲み出る紅。新たに現れた存在は、それが脅しでもなければ冗談でもない事を、彼女の血で証明した。
「た、珠雲ちゃん……っ!」
「痛……っ!」
「言ったはずだ、動くなと。そのまま武器を捨てて地面に伏せろ。お前達のその不思議な力は随分と厄介なようだからな」
どうやら、先の戦闘を見ていたらしい声の主。
珠雲の夢幻を使っての脱出や、クリスのバスティーユ・ローズによる籠城と自分の大地の力で地下からトンネルでも掘って逃げようかとかコウは考えていたが、どうにもそれを許す程相手も馬鹿ではないらしい。
となれば……コウの頭の中で開かれた会議が、ある結論を出す。
「クリス、珠雲、合身を解いて言う通りにするじぇ」
「え……? えと……うん……」
一斉に合身を解き、元のデニムシャツ姿にエプロンドレス姿、パーカー姿へと戻り、そのまま両手を後頭部に組んで地面へとうつ伏せになるコウ達。
「こぎゃんと絶対捕まるじゃなかね……コウ兄、なんば考えよっと……?」
「まあここは俺に任せとけって、な?」
背後から金属がこすれる音。恐らく鎧のそれだろう音をBGMに、群がる手によって拘束されながらもお気楽な口調のコウ。
「何をこそこそ話している! おい、こいつらは不思議な魔法を使う連中だ。結界馬車に放り込むだけではだめだ、手足も縛っておけ」
本当にコウに任せて大丈夫なのだろうか?
無数のゴツゴツとした男達の手によって捕えられながら、珠雲は不安を溜息と共に吐き出した。
★★★★★
世界は、中世的な文明の発達を見せていた。
捕えられた城のような巨大な施設……の、地下にある牢獄の中。
明かりはなく、薄暗い空間だけが支配しており、珠雲とクリスはセットで。向かいにはコウが捕えられていた。
石材で固められた壁に剥き出しの土の床。衛生上よろしいとは言えないかぐわしい香りを放つ壺。恐らくこれがトイレなのだろう。
臭いから取り換えとかされていないのか、中は見るのも憚れるまさにパンドラの匣だ。
4畳半程度のそこへ捕えられて早2日。
最早嗅覚はその強烈な臭いで麻痺しており、しかもこんなところでパン1つと水だけの生活だ。
すっかりコウなんかは、衰弱を通り越して干上がってしまっている。
「何が『俺に任せろ』ね、死にかけとるじゃなかね……」
最早空腹によるエネルギー不足が危険な域に達しているのか、呼吸もままならずにひゅーひゅーと息が漏れて、土の上に転がるミイラ寸前のコウ。
そんな2日前とは打って変わって情けない兄代わりに向かってごちる珠雲。
所持品はすべて没収され、神獣の媒体たる指輪も失った今の彼女達では、脱出も出来ない状況だ。
「ひぇっへっへっへ」
珠雲達が捕まる以前から、この劣悪な環境の牢獄に捉えられていた男。コウの隣の部屋に閉じ込められているその男が、不気味に笑っているのも、この素敵な暗がりと悪臭に淀んだ空気が漂う物件のお勧めポイントだ。
きっと分譲したら、誰もが殺到するだろう。悪い意味で。
ガシャ、ガシャ、ガシャ。
今が昼なのか、それとも夜なのか分からない暗がりの中に、金属のこすれる音が聞こえてくる。
それは、金属鎧のこすれる音。徐々に近づくその複数の音が近づき、クリスと珠雲、そしてコウの捕まる牢獄の前でピタリと止まる。
「団長が御呼びだ。出ろ」
金属製の鎧に身を包んだ男達が5人ほど、干からびて抵抗どころか生命すら危ういコウと共にクリスと珠雲を無理矢理掴んで立たせる。
「え、えと……い、いたい……っ」
「触らんで! 自分で歩くけんがっ!」
掴まれて小さく呻くクリスと、男達の手を振り払って、自ら歩き出す珠雲。
その先には、更に大量の兵士達が待ち受けており、こぞってコウ達を取り囲んで目的の部屋へと誘導していく。
両手を縛られ、胴も縛られ、更にはコウ達の首にナイフを突きつけてだ。
そして、最初に呼びに来た兵士風の男達とは明らかに装備の重厚さも品質も、包まれた人間の気品も、何もかものがグレードの高いいわゆる騎士風の男達も合流して共に歩いていく。
ただの誘導にしては随分と人員も、装備も割いている。それだけ、目撃した神獣の力を警戒しているのだろう。
「ここに入れ」
警戒心剥き出しの強い語気で、騎士風の男が1つのドアを開く。
そこに入る以外の選択肢は与えないとばかりの大人数と武装だ、ここは何を言うでもなく、大人しく部屋へと足を踏み入れる3人。
入ったそこは、10畳程の広さを持つ、木製の床と石造りの壁の部屋だった。
ここは国を治める場所、城だろう。壁には等間隔で赤い生地に海とその地平線が描かれ、岸にはヴァイオリンが描かれた紋章。
ヴァイオリン等という近代的な存在が描かれている事から、歴史が浅い新興国家なのだろう。
そして、他にも剣や槍も立てかけられており、騎士が着ているような鎧も飾られている。最奥には、木製の机と同じく木製の椅子。それ以外には無駄なものが一切ない質素な部屋。
ここに、1人の騎士がコウ達を待ち構えていた。
「待っていたぞ、すまないが椅子が無くてな……あー、そこの彼は大丈夫なのか?」
聞き覚えのある中性的な声。その持ち主は、1人の少女だった。
年の頃は18程。紫のボブカットは前髪が揃えられており、ボブカットというよりはおかっぱという言葉の方がしっくりくるだろう。
同じく紫のセーラーのような大きな襟の服に、ハーフパンツのようなそれ。
身長は小柄だが、細身の体にはしっかりと鍛え上げられた証が備わっていた。
「そぎゃん言うなら、食べ物ば持ってきて。すぐに!」
コウの事情をよく知らずに剣呑な態度の少女に苛立ちを隠す事無く吐き捨てる珠雲。
「う、うむ……おい、この男に食事を持ってきてやれ」
「あるだけたくさん持ってきなっせ!」
珠雲が更に続けて叫ぶ。
しばらくして、大量のパンと保存用の燻製肉、リンゴやキャベツ等の果物や野菜が運ばれる。
「えと……コウ兄……ほら……ごはん……」
クリスが届けられたパンをコウの口元に運ぶ。
「こ、この……匂いは……!」
微かに漏れるコウの声。鼻腔がライ麦の焼けた香りを捉えたのか、クリスの手に持ったパンにかぶりつくと、無心でそれを貪る。
「これは……! パァン!!」
ようやくカロリーが手に入ったからか、パンを片手に意識を取り戻すコウ。
「ほら、コウ兄、ごはんたくさんあるけん早く食べなっせ!」
意識を取り戻したコウの目の前に広がる食材。
「め、メシ……メシィィィィィィィィィッ!!」
持っていたパンを無理矢理口の中へ詰め込んで、食材の中へと飛び込むと、食べる、食べる! 食べる!! 食べる!!!
「か、彼は……彼の胃袋も、魔法か何かで強化されているのか……?」
とても人の食事とは思えない、全てを飲み込む暴風のようなコウの食欲に驚きを通り越して呆れ交じりの声が、紫の髪を持つ少女から漏れる。
「えと……似たようなものです……」
「それで? ウチ等ば捕まえた人が、今になってなんの用ね?」
珠雲の言の葉に、まるで相棒の振るう鞭のような棘が隠される事なく振るわれる。
「うむ。まずは自己紹介からさせてくれ。私の名はマリィ・アーラン。この『魔法国家エリジウム』の騎士団長をしている」
自らのやや乏しい胸元に開かれた手を添える紫の髪の少女、マリィ。
「今回の非礼、全てはこのマリィの指示の下。君達には済まない事をした。ここに正式に謝罪をしよう」
一礼し、珠雲の怒りを諌めるべく謝罪する。
それを見た珠雲は、何を言うでもなく怒りの矛先を収める。いや、収めるしかなくなる。怒りのままに彼女を罵倒し続ければ、恐らく自分の周りの男達が珠雲を制圧する事だろう。キュウビがいない今、それに対する策が、珠雲にはない。
珠雲の表情を伺い、これで遺恨はないと判断したのか、上体を起こすと、マリィが改めて話を続ける。
「さて、早速本題だが、君達について、色々と調べさせてもらっていたが……率直に聞こう。君達は何者だ?」
まっすぐに、マリィの瞳が少女達に向けられる。
彼女の問いは最もだった。恐らくまだディストーションに支配されていない隣国や周辺諸国等にも、コウ達の事を問い合わせたのだろう。だが、当然コウ達に関する情報などどこの国も持ち合わせていない。だからこそ、こうして直接聞いたのだろう。
対して、少女達は明らかに狼狽えて動揺の色を見せる。
理由は簡単だ。『そこでごはん食べてるのが神様で、私達はその使いの聖女です』と正直に答えたところで、まともな思考ならば正気を疑われ、この世界が信仰心の強い世界だった場合、神を騙る冒涜者と処刑されかねない。
故に、迂闊に『神』という言葉で説明は出来ず、どうしようかとクリスと珠雲が互いに見合わせる。
「それは、どういう意味かな? おかっぱの美人さん? 俺に惚れて結婚したいから、俺の事を知りたいのかい? だったら、簡単な方法があるじぇ? 一緒にベッドの中に入れば、お互いを隅々まで知る事が出来るじぇ、さあ俺と一緒に、夜明けのこの惑星を調査しちゃう宇宙人も愛飲するコーヒーを飲もうじぇ?」
リンゴをかじりながら、いつもの軽い口調の持ち主が、クリスと珠雲の間を割って歩み寄る。
先程までミイラ同然の干からびてやせ細っていたはずのその人物は、肩を竦めてニヤリと笑って見せる。
「な、なんだその奇怪な飲み物は……というか、先程までお前は痩せこけていたはずでは……?」
「細かい事は気にしない。で、俺達は遠い異国からの旅人でね、この国には2日前に着いたばかりなんだじぇ」
「2日前にこの国に辿り着いただと!?」
マリィが声を荒げ、周囲の兵士達もざわめき始める。
「そう、だからこの国の事なーんも知らなくてね」
「莫迦な……あの怪物どもだらけの中をどうやって……」
マリィや兵士達の動揺した表情を見るや、コウの口元が小さく歪む。
「おま~らも見てたんだろ? 俺達の力。そして、あわよくば化け物に対抗する為に、俺達の力を自分達のものにしようとした……。だから、2日ってのは、本当はその解析で掛かっていた……違うかい?」
コウの言葉に、今度はマリィの表情が一瞬だけ狼狽える。
「それは……自分達の力が、特別だと言いたいのかな……?」
「そう聞こえたなら、好きに捉えて構わないじぇ?」
マリィは直感した。この得体の知れない男は、自分に心理戦を仕掛けてきたと。
そして、コウはこの時を待っていた。その為に、わざと捕まっていた。
この世界を知る為に。ディストーションの本体を探るの情報を得る為に。そして、ディストーション殲滅の戦力を得る為に。
互いに互いの腹を探り合い、懐に隠したナイフで突くような、頭脳と精神と言葉の決闘。
武器を持たぬ言の葉の戦いが、今始まった……。
はい、新章です。
今回はまたシリアスなお話となりますが、今回の舞台は剣と魔法の世界になります。王道ですね。
ですが、神と聖女と神界と は、様々な遊び心満載のお話でして、今回も色々な遊びが入っております。
そして、物語の根幹には……ある仕掛け、オマージュさせて頂いたものが…笑
それを見つけるのも、楽しんで頂けたら幸いです。




