第三の神話
そこは、貴族に支配された国だった。
スヴェトラーノフ公国と呼ばれるそこは、山岳が領土の3分の2を占めており、山地に咲く花『赤いカリーナ』と呼ばれる真っ赤なガマズミが咲き誇る、美しい自然と街が特徴だった。
だが、この国が特筆すべきは、山々の自然ではなく、鉄や銅、青銅等の合金、更には金や銀などの貴金属までもが採掘される鉱山にある。
豊かな鉱石に支えられ国をあげて採掘加工を行う、まさに鉱業国家と言うべき国だ。
それだけ資源を豊富に抱えた国は諸外国からの侵略戦争で狙われてしまうものであるが、領土を囲む険しい山々が天然の要塞となって敵国の侵入を防ぐ役割となっている。
戦う前から高さと言う有利な環境を得た中で、国境にいくつも『守護の塔』と呼ばれる20メートルはあろう高さの塔が幾つもそびえ立つ事で、広範囲に渡る索敵及び弓による一方的な攻撃を実現している。
以来、建国から200年以上の時を繁栄に導き、今日に至っている。 また、森も多くある事から、豚等の家畜を放し飼いにしたり、狩猟による食料の確保が、主な食糧源だ。
この常闇の森も、そんな狩猟が盛んな村の一部だった。
光の届かぬ森からの帰り道。その命と凶悪さを失った獲物を担いだ狼を引き連れて歩くクラインとコウ。
命の恩人ではあるが、彼は一体何故こんな森の中にいたのだろうか?しかも、額に黄色の結晶体を埋め込んだクチナシ色の体毛と、一般的なそれとは倍はある体長の狼を連れてだ。その狼は、よく訓練されているのか捕らえた大猪を担いで悠然と先頭を歩いている。
曰く『道に迷って』との事であるが……。
「森を彷徨っていたら、猪に追われてる姿を見つけてね。
間に合って本当に良かった」
同性でも思わず意識をしてしまう中性的な微笑。
滑らかな笑みの曲線を描く、柔らかな印象を与える薄い桃の実色の唇など、非常に蠱惑的だ。
「ありがとうございます……俺、クライン・アルベルトって言います」
「礼を言うのは僕の方さ、村に案内してくれて助かるよ。あのまま森で野宿するのも覚悟していたからね」
優秀な護衛がいる様だが、たった1人の旅では幾ら何でもそれは危険過ぎる。
「小さいですけど宿もありますよ。でもそこは食事が出ないから、良かったらお礼にウチで食べませんか?」
「それは助かるよ。でもいいのかい?」
申し訳なさそうな口調のコウ。出会ったばかりというのもあり、謎が多い人物だが、悪い人間と言う印象はない。クラインとしても、助けてくれたお礼をしたかった。クラインがマッシュルームカットの髪を揺らしながら頷く。
「母と2人暮らしですからね。それくらいはさせて下さい」
「うーん……それなら、お言葉に甘えようかな?」
少し考える素振りを見せたのち、コウはその誘いに頷いて見せた。
「それなら、家はこっちです。案内しますよ」
かくして村の入り口まで戻った2人と1匹は、村の中心部に位置するアルベルト家に向かって足を進めるのであった。
★★★★★
「ハァハァ……お、奥さん……子供も留守なんだし、いいでしょう…!?」
「あらやだ……もう、いつもいつも、こんなおばさんをからかって……」
「おばさんだなんてとんでもない! 35なんて俺からしたらお姉さん! いや、麗しきお姉様!
さあ! 俺と夜明けの翼を授けるエナジードリンクを飲もうじぇ!」
「えーっと……なんだい……?これは……?」
クラインの自宅……木造の質素だが、掃除も行き届いた部屋。奥には台所があるその中世的なこの時代では一般的な、ワンルームに近い空間。
そこに足を踏み入れていきなり飛び込んできた光景に、先程の蠱惑的な微笑が引きつるコウ。対して、マッシュルームボーイ・クラインに至っては頭を抱えてしまっている。
まあ自分の母親が自分に近い年齢の、しかも何かのやる気に漲り過ぎてパンツ一丁(何故か後ろ姿のお尻に【暴れんボーイが入ってます】とか書かれてる)な青年に口説かれてる光景なんざ見たら、誰だって頭を抱えるかそいつを怒りと愛しさと切なさと心強さを込めに込めまくった必殺パンチでもかましたくなるが。
クラインの母であろう女性はスラリとしているが、母性溢れる大きな胸元と雰囲気を纏い、禍時の空の様な藍色の髪を総髪に纏めている、肌にも未だ張りがあり、目元には笑うと小じわが浮かびはするが、年齢を全く感じさせない若々しさだ。これならば、口説かれても仕方ないが……。
「デボスさん! またですか!?
いい加減人の母親口説くのやめてください! と言うかそれ以上の事しようとしてますよね!?」
デボスと呼ばれたパンツ一丁の青年が振り返る。165センチメートル程の若干小柄とも言える中肉中背な体躯。真ん中から分けた茶髪のミディアムヘア。顔だがコウみたいな所謂イケメンと言うよりはまあ中の中。身長と童顔である事を鑑みると、実年齢よりは若く……というよりは、子供じみて見える。だが、ご覧の通りのスケベを通り越して変態の域に達してしまっている、真性の女好き。それが、デボスと言う人物だった。
「あー、宣教師の人? 悪いけど、この家はみんな宗教は空飛ぶスパゲッティーモンスター教だから」
「ここは俺の家だ! つーかなんだその頭悪そうな宗教!?」
飄々とした態度のデボスに対し、顔を真っ赤にして対抗するマッシュルームボーイ・クライン、略してマシュボイン。
「やれやれ、ちょっとした養父のお茶目じゃないか」
「誰が養父だ! 年5つくらいしか変わらないだろアンタ!」
クラインの母、アンナは息子達のやりとりに『あらあらまぁまぁ』なんて、呑気に母性溢れる視線を向けているが……。
「あの、クライン……そろそろ事情を説明してくれないかな?」
親子2人暮らしのはずの家にいた謎の青年デボス。互いに面識のない男の存在に、クラインからコウへと視線を移し『どちらさん?』等とぬかしてくる。目下、1番どちらさんなのは自分じゃないかと内心毒吐きながらもコウに紹介して行く。
「あー、こちらはデボスさん。この人も旅人だったみたいなんです」
「どうもデボスだじぇ。好きな下着はピンクのフリル付きだじぇ」
聞いてもいないシュミまで話しながら右手を差し出すデボス。コウは呼応して自らの右手も差し出して友好の印を結ぶ。だが、気になる……と言うよりも引っかかると表現するべき言葉のピースにコウは眉をしかめる。
「記憶喪失……ですか?」
自身の事をまるで他人の様に話すデボスに、違和感の正体を訪ねるコウ。
「そ、常闇の森で倒れていたのをこの村の狩人に拾われてね。そっから前の記憶とモテ力が失われているわけよ」
いや後者は最初から持ち合わせてないだろ、絶対。最早クラインの中で、心の悪態が天井知らずだ。
そんな彼を気にする事無く、2人はデボスの名は便宜上村の人間からもらった事。普段は近所の馬小屋で馬と一緒に雨風をしのいでいる事を話していた。
「それは大変でしたね…あ、申し遅れました。僕はコウ・ザ・ストーンズ。同じ旅人です」
「……コウ・ザ・ストーンズさんね……これから宜しくだじぇ。それで、おたくはなんでまたこんな田舎の村に来たのかねぇ、居着いたばかりの俺が言うのも何だけど、ここはなーんにもないじぇ?」
あんたみたいな馬鹿を駆逐する方法くらいは村にだってあるわ。等と、悪態というよりはもうただの人物嫌悪でしかないクラインの心の声。このままではクラインのマッシュルームが黒トリュフになりそうだ。
「実は僕はある使命があってここに来ました」
「まぁ、どんな使命かしら……?」
来客へのお茶の用意をしていたアンナが配膳をしながら口元から漏らす。
「それについては、実は僕も分かりません。……ですが、何かがこの村に起きるのは確実です。僕の使命とは、これから起きる何かを対処するって事なんです」
「分からないって……」
一体どういう事なのだろうか? いまいち話が呑み込めないでいる様子のクライン。
だが、この抽象的な話に、いち早く理解と反応を示す者がいた。
「内容は分からないが、何かが起きる事は知っている。おたく占い師か何かかい?」
困惑するクラインの言葉を遮る様に、デボスの言葉が躍り出る。コウはその言葉に頷き、肯定の意を示す。
「なら俺は信じるじぇ。起きなかったら起きなかったで、天下泰平すべて世は事もなし。起きたら起きたで、この専門家様がど〜にかしてくれるなら、俺は安心してアンナさんを口説くだけさ」
「母さん口説く前にあんたが村を出て行くのが平和への1番の近道だよ」
誰かこの記憶喪失の浮浪者をどうにかしてくれと言わんばかりに大きな溜息が漏れるクライン。コウも思わず苦笑いを浮かべるが、すぐに真剣なそれへと戻す。
「はい、その何か……仮に、災厄としましょう。その災厄の為に、僕とウルフは旅をしているんです。デボスさんの言う通り、僕は専門家です。絶対に皆さんを守ってみせます」
にわかには信じられない、むしろ狂言や詐欺の手口にすら見えるその話。しかし、デボスは根拠なんてないにも関わらず信じると言い切った。国境近い、守護の塔の狭間……旅人等珍しい程の田舎の村に、一体何が起ころうとしているのか。クラインには、当然のように未だ疑念と戸惑いが心の中で燻っていた。不意に、アンナが口を開く。
「あなたは、今までもずっとそんな旅を?」
「はい、ウルフと一緒に戦って来ました」
脇で寝そべる巨大狼を一瞥し、アンナを見据える。
「コウさんはお強いのねぇ、ウチのバカ息子とは大違いね」
「そうだね、アンナ。パパはバカ息子がその災厄とやらで死ねばいいと思うよ」
「よし、そこの馬小屋野郎、表出ろ」
先程までの重苦しい空気はなんだったのか、ちゃっかりアンナの隣に座り肩まで抱いてるデボスに、青筋を浮かべる。そんなやりとりに、コウの相棒であるウルフは飽きれたかのように伏せの体勢から欠伸なんかしていた。
「あはは……しばらく災厄に備えて、村の宿に逗留するつもりです。村の皆さんにはご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いします」
せっかく明るくなった雰囲気を壊すまい。コウはそう考えて、元の柔和で蠱惑的な微笑を浮かべるのであった。
★★★★★
「ん……っ! くぅ……っ」
吐息が漏れていた。
性的な魅惑すら感じるその嬌声は、決して行為に及んでいるからではない。
久々に息子と2人だけではない、明るい食卓を囲んでそれぞれがそれぞれの場所に戻っていった。宴の様に楽しい夜を過ごし、床についた彼女の身体に訪れた異変。
苦しい。痛い。寒い。
世界が回り、高熱にうなされる。ただの風邪なんかではない。明らかに異質なものに蝕まれている。
足の感覚がない。動かそうとしても動かない。いや、こうなると足があるのかどうかも怪しい程だ。
力を振り絞る。自分の足をイメージし…動けと脳から命令を下す。
――――――――――ずるり。
動かしたはずの足の代わりに彼女の目に現れたのは…爬虫類のそれ。
有鱗目に分類される、原始の人に禁断の知恵の実を食べる様に誑かし、主の怒りを買い、人を楽園から追放した狡猾な存在……大蛇の尾。
「え……?あ、ああ!いやあぁぁっ!!」
部屋の中に反響する、恐怖に支配された金切り声の如き叫び。
歪みは……静かに亀裂を産み始めていた。