第二十六の神話
【ワンルーム】とは……。
居室と台所の仕切りがなく、1つの部屋だけの間取りの事を指す。
当然部屋は1つしかなく、賃貸に置いて、そこは一人暮らしを前提となっている。
故に、多人数で生活するにはスペース的にも、合理性にも欠けてしまう。しかも、それが異性と……恋人や家族以外と暮らすならば尚更だ。
ルームシェアとしても大変不便である。
そんな不便な生活を、1ヶ月近く暮らす1組の男女が、この神界にいた……。
「コウ兄ー! もう入ってよかよー!」
真冬の、しかも夜も22時と言う小さな白い氷の妖精達が降りしきる寒空の中、アパートの廊下で立ちすくむコウに、居室の中から入室の許可が下される。
「おー、お風呂も着替えも終わったかー」
コウも入浴を済ませていたが、20分以上寒空の中で彼女達の入浴、脱いだ衣服の片付け、着替えを待っていたせいか、すっかり温まった『スペースゴリラワンダーランド』と書かれたジャージの外も中も冷え切り、カタカタと震えながら居室へと足を踏み入れて行く。
「えと……はい……お茶……」
「ありがとなクリス、あちっ、あちちっ」
コタツも畳んで敷かれた煎餅布団の上にあぐらをかくコウに、霊気ケトルで沸かした玄米茶を渡すクリス。
冬なのに何故かトマトが小さく斜めにライン状に描かれたパジャマ姿で、まだ完全に金色の髪が乾いていないのか、しっとりと芽生え始めた女性の色香を醸し出している。
「いつもごめんねコウ兄、寒かったど? ウチが添い寝して温めようか?」
対して、コウがいつも使うベッドにこれまたあぐらをかいて座っているのは珠雲。
こちらは薄い水色のシンプルなパジャマ姿で、ドライヤーと櫛で髪を乾かしているが、襟首の外ハネが、バネの様に櫛が通る度にビヨーンと元の形に戻っている。
「ハァ……おま〜は俺をロリコンにしたいんか……16歳未満はお断りだじぇ」
いつしか出来た、ストーンズ家のルール。
1番風呂はコウだが、上がったらコウは聖女達がお風呂に入る間は、雨だろうが雪だろうが外に出て待つ。
子供であっても、第二次性徴が始まった女の子と言う事で、コウが遠慮した形だ。
「ねぇコウ兄、給料ば貰ってからウチらで考えよったばってん、そろそろ引越しばしたらどぎゃんね?」
「引越し?」
お茶を啜り、芯から冷えた身体を温めるコウに、珠雲が投げかける。
3人で稼げる様になり、珠雲とクリスに至っては、コウより圧倒的な収入となった。だからこそ、いつまでもこんな不便な思いをさせまいとの考慮だった。
着替えだけでも朝と夜、1番寒い時間帯にコウに外へ出て貰っているだけでなく、この6畳しかない部屋には、今や珠雲やクリスの服に学校の道具、果てには小物や何やらとかなり窮屈な状態だ。
そうなると、もっと間取りの広い家に引越しをしようと考えるのは、当然の結論だった。
「えと……そうしたら……えと……もっと……便利だし……えと……コウ兄や……私達の部屋とか……出来るから……」
「うーん……俺は神界に来てからずっとこの部屋に住んでるからなぁ……愛着があるけど……確かに手狭になったしなぁ……」
飲み干した湯呑みをクリスに返し、腕を組んで悩む仕草を見せる。
「うん、そんじゃ、明日ヴァルハラとゼクスじーさん辺りに相談してみるか」
しばし悩んだ後、家主であり一家の長が決断する。
「ほんなこつ!? やった! ウチ、自分達の部屋が欲しか! あと、大きな冷蔵庫が入る台所!」
「えと……えと……私……専用のゲーム部屋……欲しい……」
≪マスター、マスター、肉がたくさん保管出来る部屋作ろうぜ!≫
≪いいえ! ここは私に相応しいドレッサーとウォークイン巣箱がある部屋が……!≫
≪わ、妾も肉の保管部屋に賛成じゃなっ、どっかの白猫が好みの肉とか溜め込んで腐らせられたら迷惑ぢゃっ≫
≪しませんよ……そんな事……≫
≪僕もゲーム部屋欲しいー! クリスちゃん、一緒にやろうよー!≫
(こんな時だからこそ言いたい事がある。一番いい陽当たりの部屋を頼む)
≪わしゃあ醸造蔵が欲しいのぅ≫
「だああああああっ!! 一気に喋るなおま~ら!! というか、神界でも勝手に酒作ったら密造酒扱いになるんだぞ!?」
引っ越しで部屋の話となった途端、各媒体から飛び出しては好き勝手に騒ぎまくるぬいぐるみ形態のナマモノ達。一斉に脳内に声が響きまくるせいで、軽い脳震盪を起こしたようにクラクラしてしまう。
「3人と7体暮らしだけん、広か家がよかね、あっ! ウチの神社んごつ大きか一軒家もよかかも!」
≪いっそヴァルハラ様みてーにマンションどーんと1階分ブチ抜こうぜ!≫
「えと……マンションなら……えと……ローズが日光浴できる……えと……おっきなバルコニーとか……いいなぁ……」
≪ほっほっほっ、みなはしゃいどるのう≫
「ベア爺、おま~もな……。とにかく、明日も学校があるんだから、早く寝るじぇ」
まだ見ぬ新しい家。新しい部屋に、子供の珠雲やクリスと変わらぬテンションではしゃぐ神獣達。
コウが無理矢理話題を終わらせるように豆霊球に切り替えても、まだまだ話題は尽きなかったのか。この日、ウルトラ荘【ハァイ!】の203号室は、深夜遅くまで嬉しそうな話し声が漏れていた。
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「ふむ。不動産か……」
翌日。学校が終わり、ランドセルを置いてくる時間も惜しかったのか、それを背負ったままユグドラシルへとやって来た珠雲とクリス。
終業後、社内食堂兼カフェテラスであるウルズの泉でゼクスとヴァルハラを交えて昨夜の引っ越しの件を相談していた。
「それで? あんた達の希望ってのはどんななのよ?」
届いたコーヒーにシロップとミルクを入れながらヴァルハラが尋ねる。
周囲では精霊のウェイトレスや、背中に羽の生えた天使の社員がおやつ代わりの軽食を楽しんだりしている。
「まずはこいつ等の部屋だろ? 出来ればちゃんと勉強机とかも置いてやりたいし、俺も持ち帰った資料作成とか出来る部屋があると助かるな」
「えと……あと……お庭とか……えと……広いバルコニーとかあったら……」
「ウチは台所とか広かといいかな? おっきな冷蔵庫がいるけん」
コウもまた、ブラックのコーヒーをすすりながら答え、聖女達の前にはオレンジジュースが置かれている。
「ふむ。特に集合住宅か、一戸建て等のこだわりなないのだな?」
番茶を手に持ったゼクスが片眉を上げる。
「まあ条件次第だじぇ。可能なら八咫烏第三小学校の学区内が理想だけど、通勤も通学も、ウチには飛べる神獣や足の速い神獣がいるし、あまり遠い場合はノアの方舟や祝福の虹もあるから、移動には困らないしな」
「うむ、神界でも越境通学は原則認めておらぬが、転送技術や瞬間移動魔法等の安全かつ短時間での通学方法を確立しているのであれば、その限りではないと定められておる。ユグドラシルが開発した祝福の虹であれば、申請も通るじゃろう」
「だったら、ユグドラシルの独身社宅の管理委託してる不動産会社に連絡してあげるわ。そこで、色々内見させてもらってから決めたらどう?」
ミルクとシロップを入れたコーヒーを一口、上品な仕草で飲み、かちゃりとソーサーとカップがキスをする音を奏でるヴァルハラ。
ただコーヒーを飲んだだけなのに、大人の女性の妖艶さが滲み出ている。
「あー、助かるじぇ」
「明日は週末で学校も休みであろう? 朝から担当者と待ち合わせが出来る様にしておいてやろう」
荘厳な雰囲気と番茶が妙にマッチしているゼクスの提案に、コウ達が頷く。
「ありがとうじーちゃん、あー今夜も眠れそうになかよー!」
一言で表現するのであれば、これ程『ウキウキ』と言う言葉しか思いつかない珠雲。
「もう……珠雲ちゃんってば……」
諌めるクリスも、なんだかソワソワしている。
「分かった、具体的な時間とか分かったら連絡してくれ」
こうして、早速内見の手筈が整ったコウ達。どうやら今夜も、聖女達は眠れない夜を過ごす事になりそうだった。
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「今回はありがとうございます。私、山野不動産、南斗支店のユリアンと申します」
更に翌日。朝の10時にコウ達の自宅前に銀色のコンパクトカー!タイプの空陸両用車でやってきたのは、ピンクのタイトスカートのスーツの女性、ユリアンだった。
スラリとした170センチはあろうモデルの様な体型に、背中までの長い黒髪は肩にもかかり、厚めの唇と切れ長の眼の美人だ。背中には真っ白な天使特有の翼が生えている。
「本日は、幾つかの内見をご希望との事ですが、家賃等の説明もその都度行わせて頂きますね」
「お願いするじぇ、なんせ俺とユリアンさんの愛の巣を探す内見だしね」
いつの間にか、彼女の横に立って肩まで抱いちゃってるコウ。相変わらず美人と見るや、この調子である。
対するユリアンも抱かれてる肩とコウを交互に丸くなった眼で見ちゃったりして困惑しきりだ。
「何ば言いよっとね! ウチとコウ兄の愛の巣たい!」
「えと……珠雲ちゃん……私も……いるんだけど……」
表情豊かな珠雲が怒りマークを顔どころか身体中のあちこちにつけまくって憤慨し、完全に存在を忘れられたクリスが珠雲の服の裾を摘まんでうるんでいた。
「あ、あの……と、とりあえずまずは八咫烏第三小学校から歩いて10分のアパートからご案内させて頂きますが……よろしいでしょうか?」
「ほらっ! コウ兄! 行くばいっ!」
コウに肩を抱かれているからか、珠雲達とのやりとりに引いているのか、若干強張った笑顔のユリアン。
一体いつまで肩を抱いているのか、鼻の下がだらしなく伸びた翼の神を無理矢理引っぺがしてずんずんとユリアンが乗って来た社用車の後部座席にコウを押し込むと、半ば強引に、まるで犯人を移送する刑事の如くコウの隣に陣取る。
「あの……私……」
「えと……気にしないでください……えと……いつも……あんな感じですから……」
残されたもう1人の聖女と共に車両に向かって歩くしかないユリアン。内心、『噂通りの変態だ』なんて思いながら、早速最初の内見場所であるアパートへと、足を運ぶのだった。
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到着したアパートは、昔からある住宅街の一角にあった。混在住宅地と呼ばれるような宅地の並びは、一軒家の住宅やアパートだけでなく、昔からやっている様な個人商店やおばあちゃんがやっていそうなタバコ屋。少し距離はあるが、コンビニ等も点在している。スーパーは今住んでいる場所よりも遠くはなってしまうが、概ね買い物には困らない場所だ。学校も近くにあり、将来的には進学する八咫烏第二中学校も近いのもポイントが高い。アパート自体も築20年の中古物件であるが、内装はリフォームされており、畳の和室とフローリングの2つの個室に10畳はあろうリビングダイニングキッチン。いわゆる、2LDKの間取りとなっている。リビングダイニングキッチンを経由することなく、玄関から入って廊下で左右に部屋が分かれており、右がフローリングの6畳、左が和室の6畳。そして、廊下の奥がリビングだ。お風呂は浴槽が足が伸ばせるほどに広く、ウルトラ荘【ハァイ!】のサイコロみたいな浴槽よりもくつろげそうだ。トイレは洋式だが、残念ながらウォシュレット等の装備はないらしい。
「結構広いな……台所なんかはどうよ、珠雲」
「うん、ちょっとウチには高いばってん、多分すぐ背も伸びるけん問題なかし、使いやすかよ」
「えと……ベランダ……ちょっと狭いけど……ローズが日光浴……えと……出来るからいい……」
聖女の2人から、高評価の答え。コウ自身も、フローリングのリビングを見渡したりと、チェックを怠らない。
「ここは家賃がユグドラシル等の中心部から少し離れている為、9万柱程になります。敷金、礼金は2ヵ月分。インターネット回線はもちろん、オートロック付で電車も海足線、八咫烏谷駅も徒歩15分です」
やはり部屋が増えただけ家賃も跳ね上がってしまっているが、コウだけでなく珠雲やクリスのあの高収入もあれば、問題ない金額だ。
通勤は電車か神獣・ドラゴンの背に乗る事になるだろうが、思ったよりは遠くもなく、最初の物件で早速決めてしまってもいい立地条件だ。
ジャカジャーーーーーーーーーーーーーン!!
そんな思考をかき乱すような、巨大なエレメンタルギターをかき鳴らす音が、リビングの壁の向こうから押し寄せてくる。しかも、ギターだけでなく、ドラムの音までガンガンと鳴り響く。
「えと……耳……いたい……」
「ユリアンさん、これ……お隣さん?」
思わず耳を塞ぎたくなる程の轟音、爆音に、クリスのか細い声などあっという間にかき消され、コウもかなりの大声でユリアンに問いかける。
「はいっ! またやっていたんですね……! 次やったら強制退去していただきますって言ったのに!」
どうやら、騒音問題を起こしている隣人が、このアパートに住んでいるらしい。
「あ……珠雲ちゃん……!」
騒音に耐えかねて、部屋を飛び出す珠雲。
だが、1ヶ月近く共に過ごした親友が、逃げる為に部屋を後にしたわけでは無い。むしろ文句を言う為に出たのだと、クリスは直感し後を追ってアパートの廊下へと出ると……。
「なんだ? お前文句あるのか?」
コウと変わらないハタチ前後の、やたらめったらカラフルなモヒカンな、いかにも『自分パンクで生きてます』な風貌の部屋の主と対峙する珠雲の姿。
「ある!」
いかにも怖そうな風貌の若者にも、全く怯む事なく断言してみせる珠雲。
「あんたがどう隣に住もうがやめようが、こっちには余計なお世話なんだよ! 帰れ帰れ!」
「家にいる時は、誰にも邪魔されず、自由で……なんていうか、救われとらんとダメなんたい……! 家族で静かで豊かで……」
「何をわけのわからない事言ってやがる! 出ていけ、ここは俺の家だ」
ドアと言う境目を乗り越え、珠雲に迫るパンク風の若者。
「出ていけ!」
右腕が伸び、珠雲の胸ぐらを掴もうとする。
だが、珠雲もまた聖女として戦う身。伸びた右腕を逆に掴んでは肘を極め、手首を極め、肩を極める!
これぞ、『必殺! 珠雲ちゃん美少女アームロック』だ!
「がああああ! 痛っイイ! お……折れるう〜〜〜〜!」
悶絶するパンク風の若者の苦痛の叫びに、クリスが駆け寄る。
「あ……やめて……!」
ガッチリと極めた珠雲が容赦無く締め上げる中、制止するクリス。
「えと……それ以上いけない……」
「おま〜らはどこの独り身でグルメを追い求める輸入雑貨の貿易商だ……」
後に続いて内見の部屋から出て来たコウ。
早速やらかしてくれた家族と若者の喧嘩に、頭を抱えて深ぁ〜い溜息を吐くのであった……。
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結局、騒音を起こす隣人の存在と、まだ住んでもいないのに早速起こしてくれた隣人トラブルで、先程のアパートを候補から除外せざるを得なくなったコウ達。
次にやって来たのは、再開発が進むベッドタウン。古い店や家もわずかながらに残っているが、大半が神界中心部に職場を持つ20代や30代の若い世代の家族向けに分譲されている高層マンションが立ち並んだ街だ。
神界の中心点をぐるりと回る海足線とは違って、酉武湖袋線で行く、隣の地区ブロックという郊外。
それでも電車で1時間も掛からずに中心部へと行けるというのが人気の高さの理由だ。
その中にある5階建て賃貸マンションが、2つ目の物件だ。
「アパートとマンションは、実は明確な違いなんてものは存在しません。同じ共同住宅、集合住宅として分類されています。単純に部屋の造りや外観などから、『これはアパート、これはマンション』といった、曖昧な基準で決めています。なので、それも加味してこちらの部屋も見て頂ければいいかと思います」
ユリアンの説明に目を輝かせて食い入る珠雲とクリス。
今度の内見部屋はまだ築5年程だからか、あちこちがとても綺麗な印象で、玄関を開けたらL字型の廊下。突き当りに7畳の大きな洋室と、右手に5畳程の洋室がそれぞれあり、L字を曲がった左右にトイレと洗面室、更に洗面室の奥に広々としたバスルームだ。しかも、このバスルームはただの追い炊き機能ではなく、入っていないならば一定の温度で保温し、人が入ったら検知してちょうどいい温度にまで追い炊きする非常にエコで霊気代を節約できる優れものだ。
しかも、ウォークインクローゼットも完備し、リビングダイニングの隣にある和室には囲炉裏まであったりと、かなりのおしゃれ感満載な部屋となっている。
「こりゃまたすごい部屋だじぇ」
広々とした16畳近いリビングダイニングを見渡しながら、感嘆の息を漏らすコウ。
キッチンにはカウンター席まであり、忙しい朝にはそこで簡単に食事をしたり、ゆっくりと飲んだり出来る事も可能だ。
「ええ、気に入って頂け光栄です。こちらは家賃が月々5万柱で、敷金礼金も不要のおすすめ物件です」
「5万!? なんでそぎゃん安かとね!?」
覗いていたウォークインクローゼットから頭だけ出して驚愕の声を上げる珠雲。
「なんだってそんなに安いんですか……。相場の半額以下だじぇ……」
「えっと……実は……」
何やら口ごもるユリアン。なんだか言いにくそうな雰囲気だが、咳払いをひとつすると、淡々と説明を再開する。
「この部屋は、いわゆる事故物件なんです」
「えと……事故物件って……?」
「あー……つまり、この部屋で事件や自殺なんかで人が死んでるって事だじぇ……」
人が死んだ部屋。それを聞いた途端、血の気とSAN値がみるみる下がる珠雲とクリス。
得てして事故物件とは敬遠されがちである。それは、この神界でも同じく、霊が出るというよりは自分達が生活して騒いでは、死した魂が安らぐ事が出来ないという考え方が一般的だ。
「あ、いえ、違うんです。人は死んでいません」
「……へ? どういう事ね?」
ユリアンの説明に、首を傾げる珠雲。
「前に入居していた方が召喚術の研究者でして、実験に失敗した影響でたまにトイレの便器から知らないおっさんが創造されるようになったんです」
「なんねそのサイケデリックな事故物件!?」
一体どんな召喚術の術式から、そんな迷惑極まりない固定永続型召喚術がトイレの便器に癒着してしまったのか。
用を足してる最中に、便器の中から知らないおっさんが生まれ出でたりした時のHOWto本なんざ、きっとどこの異世界を探しても存在しないだろう。
「あ、大丈夫です。ちゃんとトイレのしつけとか『おて』や『おかわり』なんかの芸も覚えますから」
「知能よりも、もっと根本的な部分ば問題視せなんと思いますけど!?」
四つん這いでおてとかおかわりをするおっさんを飼うつもりは毛頭ないし、しかもそれが不定期でドンドン増えるとなれば当然。
「却下! こん部屋却下!!」
となってしまう。
これで、2軒目の物件も契約には至らなかったストーンズ家の面々。
次こそは契約出来る物件だといいのだが、時間も既に14時を過ぎている。
恐らく次が最後の内見となるだろう。一行は、知らないおっさんが現れるマンションを後にし、ユリアンの社用車に再び乗り込むのであった。
★★★★★
最後に訪れたのは、のどかな農耕地帯だ。
都会の喧騒とは縁遠いそこは、ユグドラシルの様な中心部からはかなり離れている。
だが、それだけに畑や畜産が多くを占める土地柄、周囲は豊かな自然と調和し、空気も澄んでいる。何より、人々がなんだかのんびりゆったりとしていて非常に田舎らしい町並みだ。
「今度の物件は、この木造の借家になります。築45年ではありますが一軒家の上、隣の家とは100メートル程離れており、少々騒いだところで近隣の方の御迷惑にはなりません。また、広い庭では家庭菜園も可能です。こちらは駐車場も玄関前にあります。2階にはテラスもあり、もちろん陽当たりも良好です。保証金は2ヵ月分、家賃は10万柱となります」
確かに部屋の中は全体的に少々古臭い感じはするが、リビングダイニングキッチンは20畳とかなり広々とした空間で、キッチンに至ってはL字型で収納スペースもこれまでの物件の中で一番だ。なにより、業務用冷蔵庫すらも入れる事が出来る程の大きさなのが嬉しい。
お風呂も少しカビ臭い古いタイルのそれだが、クリスと珠雲が一緒に入っても、並んで足が伸ばせるくらいだ。
リビングの隣には6畳の洋室があるが、こちらからもそのまま広い庭に出る事が出来る。
2階もまた広く、10畳もある洋室と、6畳、7畳の洋室と、クリスと珠雲の部屋をそれぞれ個室にしたって余ってしまう。しかも、どの部屋からもバルコニーに出る事が可能で、しかもそのバルコニーは軽くバーベキューをしたっていいくらいだ。
ただ、中心部までの交通手段がバスと電車を乗り継いで2時間半はかかるし、何よりクリスと珠雲が八咫烏第三小学校とも2時間以上かかる程に離れている。
「これまでで1番いい感じなんだがなぁ……。珠雲、クリス、おま~らはどうだ? ここにするとしたら、1ヵ月でまた転校も考えなきゃって事になるが……」
「えー……せっかく友達とも仲良くなったけん、出来れば転校とかはしたくなかー」
「えと……私も……」
どうやら、転校は考えていないらしい。となると、やはりここまで遠くなるなら、祝福の虹による亜空間通学となるだろう。
「コンビニやスーパー等のお店はないですが、毎週土曜日の午前中に周辺の農家の方々が朝市を開いて新鮮な野菜がたくさん売られています。直売だからユグドラシル近郊のスーパーと比べ物にならない程安いですよ。また、近くの養鶏場では、鶏肉の食べ放題のお店も兼業してます」
「食べ……放題……?」
コウの眉がピクリと動く。今日はこの内見で時間を取られており、朝も昼も軽食としてサンドイッチを1斤分、おにぎりも1升分しか食べていない。そろそろまたカロリー不足になりそうだ。
「クリス、珠雲、ちょ~っと俺出るから、詳しい話聞いといてくれ」
「えと……コウ兄……どこに……?」
「ちょっと一狩り行ってくるだけだじぇ~!」
そう言って、内見中にも関わらず物件から飛び出して行ったコウ。
「どぎゃんしたとクリス……うわっ!! 玄関水浸しじゃなかね!?」
1人で2階の部屋を見ていた珠雲が玄関に続く階段から降りてくると、そこはまるで水たまりの様なものが出来上がっていた。
「えと……多分……コウ兄のよだれ……食べ放題のお店……行くって……」
「はぁ? あー……どうせ『つばきんステッカー』が貼ってあるだろうし、ウチらはこれ拭きながら待とう」
そう言って、器用によだれの水たまりを避ける様にジャンプで階段を降りる珠雲。
だが、珠雲の予想に反した事態になっていた事に、今はまだ誰も気付いていなかった……。
★★★★★
「あれま、あんたまだ『つばきんステッカー』貼ってないのかい!?」
「あー、忘れてたなぁ。でもいいだろ、第三神位様がこんな田舎に来るこたぁないんだろうしよー」
「だめだめ、『翼の神入店禁止ステッカー』略して『つばきんステッカー』を貼らなかった食べ放題のお店、これまで何件第三神位様に潰されたと思ってんのさ!
ウチだって、前の食べ放題の店、ステッカー貼らなかったせいで2日と保たず潰されて……ようやくこうして新しい店を持てたんじゃないか……! 今度こそ店を守るんだよ……!」
その日 店主は思い出した。
「そうだなぁ……めんどくさいが、明日『神界食べ放題のお店を翼の神から守る会』からもらってくるか」
「あ、あんた……! あれ……店の塀……あの壁の向こう……!」
「……あ………………ヤツだ…………」
「翼の神だ」
ヤツに食べ尽くされていた恐怖を……。
鶏肉の全てを2千柱で食われていた屈辱を……。
「食べ放題……『かみきんステッカー』もないじぇ……おっじゃまっしま~す!!」
『ぎゃあああああああああああああっ!!!!』
養鶏を経営する夫婦の、悲痛な叫びが田舎の村にこだまする。
主人のうっかりが、丹精込めて育てた家畜である鶏達の安寧も、虚偽でもいいから養鶏場が繁栄するの夢を見る事なく、死せる瞳で飢えた狼の様なコウの自由を許してしまい、鶏をまたしても2千柱で食い尽くされ……黄昏の時間になった頃には、火を穿った様に紅蓮の赤字が帳簿に刻まれていたのだった……。
★★★★★
「げっぷ……ただいま~、クリス、珠雲、この借家も却下になったじぇ」
「え!? なんで!?」
口の周りを鶏の脂でテッカテカにしたまま帰って来たコウの第一声は、どういう事か却下の一言だった。
「食べ放題の店やってる養鶏場の人達を中心に、農家の人達が『頼むからこの村の農業、畜産が崩壊するから引っ越して来ないでくれ』って言われた」
「えと……完全にコウ兄のせい……」
「なんてこつばしてくれたんねコウ兄!!」
クリスと珠雲は、完全にこの借家を気にいっていただけに、非難ごうごうだ。
「それでは……全ての物件が却下となってしまいましたね」
ユリアンもまた、提案した物件全てが契約に至らなかったからか、力ない笑みを浮かべている。
「えと……すみません……1日ずっと……えと……案内してくれたのに……」
「いえ、これが仕事ですから。気になさらないで下さい」
申し訳なさそうに見上げるクリスに、クスリと小さく笑って頭を撫でるユリアン。
「とりあえず今日の所は帰るとするじぇ」
結局、今回の内見では新居が決定する事なく、元のウルトラ荘【ハァイ!】に戻る事になったのだった……。
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「あーあ、最後はコウ兄のせいでダメになってしもたし……。まだ引っ越しは当分先になりそうたいねぇ」
後頭部に腕を組み、ツンとした様子でウルトラ荘【ハァイ!】に向かって歩く珠雲。
あれからユリアンにウルトラ荘【ハァイ!】前の駐車場まで送ってもらい別れたのだが、終始珠雲は不機嫌だし、クリスも残念に思っているのか、いつも以上に口が重くなって俯いていた。
やはり新しい家を楽しみにしていたのだろうが、隣人トラブルを起こし、知らないおっさんが創造され、近隣の農家さん達から断られては、いかんともしがたい。
「1回の内見で決めるのもあれだしな。またお願いしていい物件見つけようじぇ」
頬を膨らませたままの珠雲の頭を撫でるコウ。
神界にはまだまだ物件はある。じっくりと探そうと宥めるコウがアパートの階段を登ろうとすると、2階から1人の女性が現れる。
「えと……綺麗な人……」
「あれ? イザナミさんじゃないですか! お久しぶりです!」
コウがイザナミと呼んだ女性は、とても綺麗な女性だった。
膝裏まで伸びた美しい黒髪は、後頭部でリボンの様にも結ばれ、右眼が隠れる様な前髪。面長だがシャープな顔立ちで、ぱっちりとした大きな紅の瞳。
真っ白な浴衣に何故か青いエプロンをした、見た目は20代とも言える、そんな女性だ。
「あれは……コウくん!? 息子から聞いたわよー、引越し。ウルトラ荘【ハァイ!】を出て行く喜びを感じてるって!」
「あー、実は……イザナミさんには世話になってますけど、こいつらがいるもんで、部屋を増やす必要が……」
「コウ兄、コウ兄、誰ねこのお姉さん……」
親しげに話すイザナミとコウを訝しんで肘で突つく珠雲。
「あぁ、おま〜らは初めて会うんだっけ。こちらはイザナミさん、ウルトラ荘【ハァイ!】の大家さんで……」
「貴女達ね! 聖女になった幼女の珠雲ちゃんとクリスちゃんって! 息子の言った通りね〜あ^〜いいっすね^〜。まずウチさぁ、息子が第四神位だけど……聞いていない?」
「えと……第四神位……って……タケフツさんと……えと……トヨフツさん……!?」
「え!? タケ兄達のお母さんね!?」
まさかのタケフツ、トヨフツの二重人格神の母と言う事実に、驚きが顔に張り付く聖女達。言われて見れば、タケフツ達に顔も雰囲気も、妙な喋り方も似ている。
「そうンゴwwwwwwwwタッケとトッヨのマッマンゴwwwwwww息子達共々よろしくニキーwwwwwwww」
美人なのにどっかの匿名掲示板の……しかも、なんでも実況しちゃう様な喋り方。まず剣の神(主にガチヲタ人格の方)の母で間違いないだろう。
「で、まあ今日内見に行って来たんですけど、いい物件がなくて……」
「ならちょうど良かった、そんなチックなコウくんに朗報よ。ちょうど103号室の人が今日退去して、前から空き部屋だった102号室と、2部屋入居募集ニキなのよ。どう? この子達と使わない?」
ワンルーム3部屋での共同生活。それぞれに部屋を借りたら、確かに窮屈な問題も解消されるだろう。
「なお、103と102は壁を取り払って1つの部屋にする模様でもおkよ♪
ウチもそれで満室になるからオナシャス!」
「なるほど……その手があったか……でも、壁とか取り払う場合の負担は、イザナミさん側ですか?」
壁を取り払うとなれば、それなりの工事費用が掛かりそうなものだが、イザナミが豊かな胸を張って得意気な表情を浮かべる。
「そらそうよ。息子の友達と可愛い珠雲ちゃんとクリスちゃんの為なら、それくらいの費用こっちでもって、どうぞ」
なんともありがたい申し出である。実のところこのウルトラ荘【ハァイ!】はユグドラシルまで歩いて30分、丘の上だから西を向いたらユグドラシル等の商業圏の夜景が一望でき、東を向けば珠雲のクラスメイトが経営する民宿を始め、海の景色も見えると見晴しもよし。更に丘の下にはコンビニ、スーパー等もありと利便性も抜群の立地なのだ。その分家賃も本来であればワンルームで8万柱はするのだが、コウはイザナミさんの好意で半額以下の3万9千柱で住まわせてもらっている。
だが、3部屋となると、どうしても気になるのは合計での家賃だ。
「いいんですか? そんなに色々気を遣ってもらって? ただ、3部屋となると……」
「あっ……(察し)家賃なら3部屋合わせて12万でどうかしら?」
「12万!? コウ兄! 決めた! ウチそれでよか!」
コウが悩む素振りを見せると、更にイザナミから提示される破格の条件。これにはストーンズ家の財布番、珠雲も驚く安さだ。この立地条件で3部屋12万となれば、相場の半額という事になる。
「えと……私も……それがいい……」
「お! クリスゥー! じゃあ決まりね! 引っ越しは壁とキッチンの取り外し工事なんかが終わってからにしましょう。いいゾ~これ」
まさに救いの手と言わんばかりのイザナミの超優良物件提示。これで、コウ達の抱えていた問題は一気に解決という事になる。彼女の言葉を借りるなら、ぐう聖以外何物でもない。
「イザナミさんありがとう! よかとねこぎゃん色々してもらって?」
「このマッマを信じろ。コウくんも貴女達も、私には子供みたいなものだから、これくらいいいのよ(ニッコリ」
こうして、タケフツ、トヨフツの母にしてぐう聖にして残念美人熟女のイザナミによって、また新たな神界での生活の1ページを彩る事となったコウ達。
このウルトラ荘【ハァイ!】でまたどんなドタバタが繰り広げられるのか。それは、これからまた始まる物語の中で…………。




