第二十五の神話
チネチネチネチネチネチネチネチネ。
チネチネチネチネチネチネチネチネ。
チネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネチネ。
異世界を旅する翼を冠する神の住まう部屋の中でただひたすらに、ただ黙々と、ただ寒さに耐えて作業に没頭する。
神界はいよいよクリスマス。街中はイルミネーションやツリーに彩りを見せ、友好異世界からは沢山のサンタが交流でやって来る。
そんな、師匠もサンタも神すらも走りまくってる年末の昼に差し掛かる時間。
世間の煌びやかとは真逆に外はしんしんと雪が降る氷点下の寒い中、一心不乱に何かを捏ねまくるコウ、珠雲、クリスの3人。
既に揃って徹夜で作業をしていたからか、目の下には真っ青なクマが出来、目は血走り、呆然とした表情で、疲労が目に見えて分かる。
コウに至っては頬は痩せこけ、呼吸する度に喉からヒューヒュー音は鳴り、お腹からはまるで高層ビルの建築現場の様な騒音がずっと鳴りまくっていた。
「えと……も……ダメ……」
12歳とは思えぬ艶っぽい吐息と共に、ドサリと音を立てて崩れるクリス。
「死ぬなー! 死んだら寝るばいクリス!」
珠雲も疲労が激しいせいか、なんかもう言ってる事が無茶苦茶だ。
倒れたクリスを無理矢理叩き起こし、強制的に作業に戻す珠雲。
年上だろうが、泣いて嫌がろうが、最早関係無しだ。
「……そ…………せ……」
ポツリと。コウがポツリと呟く。
「もういっそ殺せぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!」
「元はと言えば米も切れて残金も36柱しかなかとに、コウ兄が米が食べたかとか言うけんでしょうが!! 文句ば言う前にさっさとチネらんね!!」
給料日3日前。12月すぐに2ヶ月分の冬のボーナスがあったにも関わらず、クリス、珠雲と生活する人数も増え、更にはコウの食費がかさみにかさみ、遂に食材も米も切れてお金も尽きたストーンズ家。
家計を預かる珠雲の方針で、ストーブ等の暖房器具から照明に至るまで、とにかく徹底的に節約で使う事が許されず、室内にも関わらずそれぞれにワカサギ釣りでもするかの様に分厚いコートやジャンパー、耳あてにマフラーを着込んで、ひたすらに水で練っただけの小麦粉をチネって擬似的なお米を作っていたのだ。
その過酷さたるや、どっかの無人島で毎回伝説を作るゲームセンターの課長ばりで、既に一昼夜はこの作業を行っていた。
「えと……も……眠い……えと……おなか……空いた……」
いくら常人離れした精神力を持つ神獣士達であっても、24時間以上ただひたすら小麦粉をチネり続けたら、そりゃ精神も崩壊する。
珠雲はイライラが頂点どころか成層圏を突き抜け、クリスは魔女の娘時代ですら無かったレイプ目状態となってしまっていた。
そして、事の原因となったコウは……。
「うおォン 俺はまるで人間小麦粉チネり機だ」
もう崩壊しちゃっていた。
「ね……えと……珠雲ちゃん……これ……あと……どれくらい……作らないと……いけないの?」
「あぁ!? コウ兄が食べるなら、後一晩は徹夜せなんたい……!」
不機嫌丸出しに、ただでさえ喧嘩腰に聞こえがちなのに、普段以上に荒々しいクマモトシティ訛りで答える珠雲。
その地獄の行軍がまだ後一晩。しかも、それまで何も食べられないとなれば……!
「い、いやだあぁぁぁぁぁぁぁぁっ!! 餓死してまうぅぅぅぅぅぅぅぅぅっ!!」
既にワン・オブ・ミリオンの弊害でカロリー不足に陥り、栄養失調状態のコウが部屋から逃げ出す!
「コウ兄!! 待ちなっせー!!」
「ふふ……あんたがーたどこさ……ヒゴさ……ヒゴどこさ……クマモトさ……」
カンカンカンと鉄製の階段を駆け降りる音を追いかけるべく、珠雲もレイプ目で延々珠雲から教わったあんたがたどこさを延々囁くように歌うクリスの手を引っ張り、逃げ出した神を追いかける珠雲。
世の中の華やかさとは裏腹に、貧乏街道一直線の3人の騒動が、今日も始まったのだった。
★★★★★
「で、私の元に来たわけか」
呆れた口調でコーヒーを一口すするタケフツ。
ここはユグドラシル内にある社員食堂兼カフェテラス、『ウルズの泉』
ユグドラシルの40階にあるそこは、神界の街並みを一望出来、食堂の中央にその名を冠するかの如き大きな噴水が設置されて落ち着いた雰囲気を生み出している。
全体を見渡しても、社員食堂と言うよりはオシャレな喫茶店と表現するべき内装で、全体的に機械的な内装のユグドラシル内でも珍しい木目調の壁に、椅子やテーブルも木製で統一されている。広さは大多数が勤めるこのユグドラシルでもパンクしない様にと、大会議室3つ分の敷地面積を誇っている。
『食堂は落ち着いた雰囲気も調味料』との委託を受けた食堂のオーナーの意向で、この様な造りとなっているわけだ。
そんなウルズの泉の窓際の席で、タケフツとコウが向かい合わせに座っていた。
「そうなんだよ……! 給料日まで後3日! 頼む! タケフツ、2万! 2万柱でいいから貸してくれ!」
「断る」
両手を擦り合わせ、頭を下げるコウに、秒速で斬って捨てるタケフツ。
「な、なんでだよ!? 友達甲斐のない奴だじぇ!」
社員食堂なのに、社員のコウが何も注文出来ず、タケフツの注文していたコーヒーとミートソースのパスタ。コウの水が置かれたテーブルを叩いて抗議するコウ。
「そもそもが、お前の行き当たりばったりが招いた結果だろう。彼女達を招けば、それだけ支出が増える。養えるだけの金銭を得る前から生活を始めたのが悪い」
「ぐ……それは……!」
口ごもるコウ。
確かに、タケフツの言う通り、ただでさえ毎月ギリギリで生活をしていた給料で、いきなり3人で生活をすれば、当然赤字になる。
しかも、その生活ぶりから貯蓄もないとなれば、困窮してしまうのも明白だった。
「いくらお前とは友人として、同僚として苦楽を共にして来たとしても、返って来る当ての無い金を貸す事は出来ん。諦めろ」
頼みの綱の親友に断られ、頭を抱えるコウ。
「じゃ、じゃあせめてなんか奢って……」
「それこそ2万柱で済まんだろうが」
玉砕だった。
「アッ! こぎゃん所にいやがったのか! さあ、さっさと小麦粉ばチネる作業に戻るばい!!」
互いにGPSで位置が把握出来るアプリが備わった祝福の虹を手に、逃げ出したコウを追い詰めるべく現れたのは、怒りで睨む珠雲とクリス。
「げえっ珠雲!」
どこからともなくジャーンジャーンジャーンと銅鑼の音が鳴ったりなんかしちゃいながら、驚愕の声を漏らすコウ。
「大人しく捕まりなっせぇぇぇぇぇぇぇっ!!」
脱走犯を取り押さえるべく、珠雲とクリスが走り出す。
「くっ、もうあの地獄は勘弁だじぇ!」
まるで警察の捕り物のようなやり取りと共に、タケフツと共に座っていたテーブルから、窓ガラスを割って大空へとダイブするコウ。
地上40階のそこから飛び込んだら普通は死んでしまうが、そこは神獣士にして翼の神。5体の相棒の1体、神獣・ホークを召喚し、肩を掴んだ鷹と共に風の向こうへと消えて行ってしまった。
「チッ! 逃げられた……!」
「えと……トヨフツさん……ごめんなさい……」
コウがブチ開けたガラスから、上空約150メートルはあろう寒々しい風が吹き込む中、それを一身に受けて黒い髪をなびかせながら、珠雲が舌打ちをし、クリスはタケフツに懸命に謝っていた。
「今はタケフツだ。しかし、お前達も苦労しているようだな。あの型破りが服を着て歩いている男に」
吹きすさむ冬の風に、他の社員や店員が騒ぐ店内で、流石の上位神なのか、至極落ち着いたままコーヒーを口に運ぶタケフツ。
眼前でコウを取り逃がしたのが悔しかったのか、地団駄を踏む珠雲に微笑を送る余裕すらある。
「えと……はい……コウ兄……自由すぎるから……」
実際、コウは戦いにおいても、私生活においても、型にはまる事はない性格だった。
これまで一緒に戦った中でも、嘘や騙し、滅茶苦茶な攻撃等、その片鱗は散見出来た。
それは、今だってそうだ。
「そぎゃん言うばってん、タケ兄……コウ兄、タケ兄のパスタ盗んで行っとるけんね」
「…………あの馬鹿め……」
あの短時間の間に一体どうやったのか、テーブルの上にあったはずのミートソースが綺麗さっぱりと器ごと無くなり、何故か代わりに鼻メガネが置かれていちゃったりなんかしていた。
「おかげでまた神獣ば召喚出来るくらい回復ばしとる……!」
「えと……ごめんなさい……ごめんなさい……」
せっかくの昼食を盗まれたタケフツに何度も頭を下げては、徹夜の睡眠不足や長時間の小麦粉チネり作業で疲弊しているのか、判断力や思考力が落ちに落ちて何故かその置かれていた鼻メガネを、タケフツにかけちゃったりなんかしちゃってるクリス。
「なんばしよっとねクリス! 早く追いかけるばい!!」
「え、えと……う……うん……! じゃあ……えと……タケフツさん……また明日……」
逃げたコウを追いかけるべく、既に食堂の出入り口にまで移動した珠雲に急かされ、タケフツに一礼して相棒の元へと金髪エプロンドレスの少女が駆ける。
残されたのは、鼻メガネをかけた剣の神ただ1人だ。
「…………何故だ」
誰もがそう思うだろう呟きだけが、騒動の後の静けさの中に溶けていくのだった。
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ガヤガヤと賑やかな場所だった。師走ともあり、ここ神界第一信用銀行は、多くの人でごった返していた。
宮殿のように豪奢で真っ白な空間に、赤い絨毯が敷き詰められ、一直線に窓口が20も並ぶ大銀行。
みな一様に番号札を握りしめ、呼ばれる番号と自分の札を見比べていた。
そんなある窓口で、対応が終わって次の番号の待ち人を呼ぼうとしたと同時に、ひよこみたいなぬいぐるみモードの鷹を頭に乗せたままのコウが飛び込んでくる。
「サツキちゃん! 頼む! 金貸して! それか今着けてるブラジャー食べさせて!!」
「だ、第三神位様!?」
そう、窓口の担当は自然食発酵銀行員サツキ・メイ。お金と言ったら銀行に相談だ! とばかりに、逃走の末に彼女の元に辿り着いたというわけだ。
「銀行なら融資とか、お金貸したりできるんだよね!? このままじゃ俺餓死する! お願い! 添い寝でも一緒にお風呂でもするし、膝枕で耳掃除とかされても文句言わないから!」
「ほぼ第三神位様のしてほしい願望しか対価に出ていない時点で、今すぐ窓口を閉めたくなりましたが……要するに、生活費が不足しての融資というわけですね?」
呆れた口調ではあるが、仕事の話となれば別とばかりに、知的な印象を持たせる瞳が、キラリと冴える。
「それならば、カードローンになりますね。銀行は個人貸付の場合住宅ローン、教育ローン、マイカーローン、フリーローン、カードローンなどがありますが、第三神位様の様に生活費の加算に使用されるならば、そちらになります。ただ……」
「ただ?」
キョトンとするコウに、サツキはゆっくりと首を左右に振る。
「第三神位様は、この神界に存在するどの銀行からもローンの使用は第一神位様によって差し止められています。理由は『馬鹿に金を持たせるとロクな事にならない』だそうです」
「ヴァルハラェ……」
こんな時まで天上天下唯我独尊女神の掌の上で踊らされているとは……。
まさかの事態に、コウがガックリ肩を落とす
《どうにかなりませんの? このままではマスター、飢え死にしてしまいますわ》
「では、私が雇いますから、アルバイト等いかがでしょう?」
「バイト? なんの?」
サツキの提案に、首を傾げるコウ。
「簡単ですよ、まずこのサイトに登録して……」
「ふんふん、登録したじぇ」
「そして、プロフィールと御自身の写真を貼ります」
「うん、書いたじぇ」
「あとは、タチかネコかを選んで……あぁ、第三神位様はどう考えてもネコだから……後は、このゲイ専用出会いサイトで釣れたイケメンにンギモッチイイくらい可愛がって頂くだけです。はい、この高画質ビデオカメラを渡しますから、撮影してくださ……あっ! 第三神位様! どこに行くんですかー!」
サツキの恐ろしいを通り越して、最早狂気とも言えるアルバイト内容に、ダッシュで逃げだしちゃったりしてるコウ。
「結局ホモネタじゃないですかーやだー!!」
なんて叫びながら、腐敗と混沌が支配する神界第一信用銀行を後にするのだった。
「んもぅ……冬のお祭りのコピー本を追加で作れると思ったのに……」
成人だろうと、聖人だろうと、神であろうと、相手がホモであろうと、売春行為は犯罪です。
皆さん、絶対にそんな事はしないようにしましょう。
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「もう……! どこさん行ったとねコウ兄は……!」
擬音で表現するなら『がるるるる……!』なんて似合いそうな程、歯を食いしばって血眼な様子の珠雲。手を繋いで無理矢理引っ張るクリスは、歩きながらこっくりこっくりと舟を漕いでいた。
ここは、神界でも屈指のビジネス街、そしてこの世界の中心として栄えているユグドラシルの玄関前。超巨大なエントランスホールに見合うだけの巨大なガラス張りの自動ドアを背に、10段程の階段と、眼前に広がる片側4車線の大きな通りを見据えて、逃げ出した兄代わりを探していたのだが……。
どうやらコウはGPSを切断しているらしく、完全に行方をくらましており、途方にくれた状態だった。
「ほらクリス! シャキッとせんね!」
「ふぁぃ…………はぅ……うと……うと……」
繋いだ手をブンブン振って、相棒を起こそうとするが、疲労困憊なクリスは、器用にも立ったまま寝続けていた。
「……あら、何してんのよ、あんた達」
そんなやり取りをしていた少女達を見つけたのは、第一神位のヴァルハラ。
外出先からの帰りだろう、やたら高級そうな黒塗りの空陸両用の車両、その後部座席から降りたところで彼女達を見つけたようだ。
「あ、ヴァル姉、コウ兄見らんかった?」
「コウ? またあの馬鹿が何かやらかしたのかしら?」
「あー、実はかくかくしかじかで……」
「まるまるうまうま……って事ね……ハァ、そんなとこだろうと思ったわ……。だったら、あんた達お腹空いてるでしょ? ちょうどお昼を食べようと思ってたところだから、私が御馳走するわ」
「えと……! ありがとうございます……!」
「おわぁっ!? ク、クリス……意外と現金なんね……」
今の今まで眠りこけていたはずのクリスが、『御馳走』の言葉で目がシャッキリしちゃってたりして、顔がひくつく珠雲。
「順調にコウに染まってるわね……。とりあえず、お寿司でいいかしら? 回らない本物の寿司を食べさせてあげるから、ついて来なさい」
『はーい!』
思わぬところで、棚からぼたもちどころか高級お寿司にありつく事が出来た珠雲とクリス。
「じゃあ資料とか置いてくるから、ここで待ってなさい」
「えと……いいのかなぁ……コウ兄……お腹空かせてなきゃ……いいけど……」
「いいのよ、どうせ神界中央公園のハトとエサの取り合いでもしてるでしょうから」
手をヒラヒラと振りながら、ユグドラシルの中へと入っていくヴァルハラ。
目指すは神界でも一、二を争う高級寿司店。しばらくして仕事道具を執務室に置いて降りてきたヴァルハラと共に黒塗りの高級車に乗り込み、一行はユグドラシルを後にしたのだった……。
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パチッ……パチッパチンッ
木が燃え、木の中に含まれて膨張した空気が、燃え盛る紅の中で爆ぜる。
「ンマンマ……ハト……ンマンマ……」
ヴァルハラの予想の斜め上を行って、神界中央公園の人気のない林の中で、拾った木々を燃やして捕まえたハトの羽を毟って、丸焼きにして貪る翼の神。
冬でも青々とした芝生に中心部には大きな湖があり、クリスマス気分に浮かれたカップルがボートを漕いでいたり、隣のエリアでは滑り台やブランコ等の遊具があって子供達がはしゃぐ姿も多く見受けられる。
ジョギングや散歩を楽しんだりする人も多いそんな市民の憩いの場で、飢えを凌ごうとサバイバルしちゃってるコウ。
既に10羽目のハトを貪ったりしており、このままでは公園の平和の象徴がよりによって、神によって食い尽くされようとしている勢いだ。
「オデ……タリナイ……マダ……タリナイ……」
ワイルドな食事に感化されたのか、何故か原始人風カタコト言葉で口に含んでいたハトの手羽先を吐き出し、フラフラと公園の林の奥へと消えていく。
貧乏と空腹に翻弄されながら、コウは神界を更に彷徨うのだった。
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「美味しかったー! ヴァル姉、ありがとね!」
ヴァルハラの公用車である黒塗りの高級外車に送られて、コウと一緒に住むウルトラ荘【ハァイ!】に帰って来たクリスと珠雲。
だが、部屋のカギは開いておらず、コウが帰宅した様子もない。
「えと……コウ兄……どこまで行ったんだろ……?」
「どうしたのよ?」
「えーっとねー! コウ兄まだ帰って来とらんとよー!」
鉄製の階段下で腰に手を当てて立つヴァルハラに、2階の廊下から大きな声で返答する珠雲。
一応2人用にとコウが新たに合鍵を作って渡しているのだが、昼を過ぎても未だ帰宅していないとなれば、ワン・オブ・ミリオンの弊害で本当に餓死しているのではないかと不安になる。
「放っておきなさい、あの馬鹿がそうそう簡単に死ぬ様な事はないわ。それよりも、給与支給日まで生活費がないなら、しばらくウチに泊りなさい」
「えっ……? あ、あの……えと……いいんですか……?」
まさかの申し出に、鉄製階段を降り、ヴァルハラの元にクリスと珠雲が駆け寄る。
明日どうやって生きるかで頭を悩ませていたところで、まさかのヴァルハラとのセレブ生活へと一転となれば、断る理由などあるだろうか? いやない。
「わーい! だけんヴァル姉大好き!」
こうして、ヴァルハラの自宅で3日間を過ごす事になったクリスと珠雲。
後に2人は語る。ヴァルハラの暮らしは、エステやらフルコースな料理やら、その生活はまさに女性の憧れが詰まった宝石箱の様だったと言う……。
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そして3日後、給料支給日。
聖女として初めての支給日ともあり、今回はヴァルハラから彼女の執務室で明細を手渡しとなり、集まったのだが……。
「くさっ! ちょっとコウ! あんたどんな生活してたらそんな臭うのよ!」
執務室に現れたコウは、ヒゲも髪もボサボサ、頭の上にはハエが飛び回り、服は汚れまくって所々破けちゃったりしていた。しかも、その必要カロリー分の栄養もまともに取れていなかったのだろう。すっかり痩せこけて目玉が飛び出した様にギョロリとしていた。
「オデ……ハト……トカゲ……クッタ……ネズミ……クッタ……モリ……キノミ……キノコ……メグミ……タクサン……ンバンバ……」
すっかり野生に帰っていたらしく、手には石を削って刃にした斧まで持っていたりなんかしちゃっていた。
「すっかり現代人ば捨てとる……」
「えと……臭い……」
対局的に、ヴァルハラとセレブリティ溢れる生活を送ったクリスと珠雲。
彼女と共に美容を磨いたのか、お肌はツルツルで艶があり、薄くメイクまでしてもらっているのか、気品と美貌冴えまくりと、たった3日でとてつもない落差が生まれていた。
「あんた……堕ちるとこまで堕ちたわね……。日頃からきちんと貯蓄とかしなかった報いよ」
コウに向かってファ◯リーズをふりかけながら、ハンカチで口元を抑えるヴァルハラ。
当のコウは応接用テーブルに飾られたスイセンの花をむっしゃむしゃ食べていたが。
因みにスイセンは毒性があり、嘔吐、下痢、頭痛、昏睡等が起きる為、ニラと間違えて食べて死亡するケースもある。
「だあぁっ! 食べたらいかんたい! ペッ!」
毒性たっぷりなスイセンを取り上げ、野生のコウの背中を叩いて無理矢理吐き出させると、ヴァルハラからもらった高級そうなチョコを取り出す珠雲。
「はいコウ兄おて! おかわり!」
「ンバ! ンバ!」
小さなチョコ1つの為におてとおかわりをしちゃったりとか、神以前に人としての何かをも失っていたりなんかしちゃっている。
「もういいわ……そこの汚物をさっさと追い返したいから、明細渡しておくわ……」
よほど強烈な臭いに包まれているのか、漫画だったならば怒りマークが顔中に張り付けられてもおかしくない程の表情のヴァルハラ。
背後ではヴァルハラが所有する人間の女性にしか見えないメイド姿の超高性能アンドロイド戦乙女2体が、空気を喚起し、消臭剤をあちこちに振りまいてる姿もある。
「こっちがそこの汚物の明細。で、これがあんた達の明細よ」
テーブルの上にクリスと珠雲の明細を差し出し、珠雲からもらったチョコを貪る浮浪者には、くしゃくしゃに丸めて顔面にぶち当てる。
無論、神としての力をちょっと込めているので、紙切れでも簡単に人の頬の骨を砕いて吹っ飛ばして意識を奪う程度には破壊力があるが。
「ぶべらっちょ!!?」
最早何語かもわからない叫びと共に、ソファーの後ろにまで身体が紙切れに飛ばされ、そのまま背もたれの向こうに倒れるコウ。
何故彼がここまでの仕打ちを受けないといけないのか? 答えは簡単、馬鹿だからである。
「お、お、おま~ヴァルハラ!! 何すんだよ!!」
今のショックでとりあえず正気に戻ったらしく、右頬が顔と変わらぬ程に膨らんだまま立ち上がる。
「あんたがまともに金銭管理出来ないのが、そもそもの始まりでしょ!?」
「手取り16万柱でどう貯蓄していけと!?」
一応家賃手当があるが、それでも月々の家賃として3万9千柱のうち1万9千柱支払い、光熱費や水道代で約1万柱。ノアの方舟や自宅のインターネットプロバイダ等の通信費で1万5千柱。日用品等の費用で5千柱。
更には、車を持たないコウは日々の生活において徒歩で通勤しているが、出かける際のバス代や電車賃等の交通費や仕事仲間との交際費等、雑費で1万柱。残りは全て食費で消えてしまっている為、本当にギリギリで生活をしていた。
「自炊とか節約を心がけないのが悪い」
「ぐぬぬ……」
珠雲が来る前は、食事は全部外食かインスタント、コンビニ等だった。それが大食らいであるコウの貯蓄が出来ない最大の原因だっただけに、何とも言い返せない。
「だけど、これからは珠雲とクリスのバイト代もあるからどうにか生活は……」
「ふえ!? え、えと……明細に……200万柱って……書いてある……!」
「ほんなこつ!! 手取り200万柱って! え!? よかと!? こぎゃんもらって!?」
「ファッ!?」
女神と口論の最中に耳から脳にグサリと突き刺さる2人の収入に、耳を疑いすぎて思わずクリスの明細を覗き込むコウ。
「当然よ、異世界をディストーションから護って、この神界への異世界間貿易及び、物流の経済をも護っているんだから、それくらいもらうべきなのよ、あんた達は」
「え……あの……俺は……?」
きゃいきゃいとはしゃぐ聖女達の隣で、ただでさえ汚い恰好なのに、汗をだらだらと流して自身を指差すコウ。
「11月分の異世界での食事経費及び神界での食費不足分補填、合計800万柱。この時点で本来設定されるべきあんたの給料大幅にオーバーしてんの分かってて言ってるのかしら?」
「……はい……なあクリス、珠雲、ちょっとでいいから俺にも……」
雇用している時点で赤字を生んでいる事実に、途端に小さくなるコウ。
「クリスと珠雲の給与の扱いに関しては、そこの汚物が使い込まないように未成年後見人として私とゼクスおじいちゃんが管理するから、必要な分があったら私達に言いなさい。」
まさに完璧な布陣だった。財産管理が出来ない未成年に対して、財産の管理を代理で行う後見人。
その後見人がヴァルハラとゼクスでは、コウはもう手出しが出来ない。
「はーい!」
「えと……コウ兄……ごめんね……?」
結局、いきなりコウよりも大幅な高給取りとなったクリスと珠雲。
「結局……金がないのは俺だけかよ……」
コウのお金に関する苦悩は、まだまだ解決する事はなさそうだった……。




