第二十三の神話
野外のステージだ。降りしきる昨日の雨が嘘のように晴れ渡り、厚く白い雲が空を遊泳し、太陽の日差しが夏の訪れを伝えていく。
そんな天候に恵まれた昼下がりの休日に多くの人が群がっている。9割が男性ではあるが、これがまた見事にカメラやらビデオやら、中には昼間なのにサイリウムと呼ばれる光る棒のそれを手に、複数の男性がグルングルン激しく身体を揺らすダンス、いわゆるヲタ芸の練習に励む姿もある。
今日、ここに新た
に現れたリアルJSアイドルユニットのお披露目イベントが行われると、昨夜遅くからBODYBOOKやらHagetter、taxi等の各SNSやら、ニヤニヤ動画、MYTube、と言った動画サイト、果てには3(み)ちゃんねる等の掲示板まで宣伝、広報が行われていた。
その各情報から露出していたJSアイドルは、とにかく美少女の2人だった。1人は活発な元気系方言アイドル、1人は北欧系外国人で幼いながら出るとこ出ちゃってる萌えマスコット系だ。
これが大きなお友達の皆さんのセンサーにヒットしたらしく、急遽過ぎるイベントにも関わらず、こうして全国から大きなお友達が静かな地方都市であったはずのこの街に群がりまくったと言うわけだ。
「ど、ど、どぎゃんしよう! こんなに沢山おる…!」
「え、えと……えと……はうぅ〜…!」
ステージ裏から観客席を覗き見ては、その圧倒的な人の数に狼狽えるアイドル……珠雲とクリス。普段のパーカー姿やエプロンドレス姿ではなく、アイドルらしいヒラヒラの可愛らしい赤いチェックのミニスカートに、同じ柄の制服風の白いワイシャツに黒いジャケット。無論ジャケットの縁にも赤いチェックが入り、可愛らしくリボンもあしらわれている。まるで、どこぞの4ダースくらいいるアイドルグループの様な衣装だ。クリスには更にミニハットも備わっている。
「さ、流石オタクのトヨ兄……こぎゃしこ人がおるなら、ディス・モンスターもおりそうたいね……」
コウが考えた作戦。それは、クリスと珠雲がアイドルとしてイベントを行い、大量の人を集めて紛れたディス・モンスターを探し当てると言ったものだ。また、今回のイベントを開催するに当たって、アイドルヲタの事はヲタに聞けと、トヨフツに企画、プロデュースを頼んだのだが……まさかたった一晩でここまでのものを作り上げるとは……。
しかも、驚きの仕掛けもあると言うのだから、まさにヲタク恐るべし、である。
「では本番始まりまーす! お2人とも宜しくお願いしまーす!」
現地のスタッフが珠雲とクリスに声をかける。いよいよ本番、互いに顔を見合わせると、意を決したように頷く。
「もうやるしかなか……いくばいっ! クリス!」
「え、えと……う、うん……!」
ステージに勢いよく飛び出すと、巻き起こる歓声、振り回されるサイリウム。
『初めましてー! せいんと☆がぁるずでーす!』
今ここに、おまえらのおまえらによるおまえらの為のロリドルが、爆誕した。
★★★★★
『おねぼうさんなお兄ちゃんを〜♪わたしがそっと起こしちゃうの〜♪それでも夢から覚めないから〜♪【え……えと……ちゅう……しちゃうよ……?】』
ウォアアアアアアアーッ!!
まるで地響きの様な歓声。クリスのたどたどしい口調をフルに活用した様な曲に、アイドルヲタ達が何人も倒れたり興奮し過ぎて両手を振り回し、中には何故か前屈みになっちゃったりしている者までいた。
「やれやれ……さて……餌に釣られた奴はいるかね?」
深めに帽子を被った警備員が、軽くストレッチをしながら1人ごちる。
そう、ご存知コウ・ザ・ストーンズその人である。
群がった幼女趣味な連中を、最前列の警備員による人間バリケードの中から眺める。今のところ、ノアの方舟からは反応はない。
200人近い人が押し寄せている。言うなれば、これは肉を山の様に積み上げた餌場である。
必ず現れる……そう確信し、再度辺りを見渡す。
激しく歌に合わせてサイリウムを振りまくる者達や、カメラで撮影しまくる者、手を振る者、様々な人間がいる。
「まだいない……か。なら、トヨフツの仕掛けを使うじぇ、頼む」
警備服の肩に備わった無線で、スタッフに指示を送る。
なんでも、ステージを盛り上げつつ、更に人が群がるとっておきだとトヨフツが自信満々に言っていたのだが……。
コウの指示に合わせ、バカンッ! とステージの天井から何かが割れる音が鳴る。
そして、落ちてくるは……大量の水。家庭用の浴槽1杯分はあろう水が、ステージで歌うクリスと珠雲に思い切り降りかかる!
「うわあぁぁぁぁぁぁっ! な、なんねこれ……ちょ……っ! クリス!?」
「うぅ……つ、冷たい……え……? た、た、珠雲ちゃん……! ふ、服……えと……! 溶けてる……!」
水浸しになったステージの上で、びしょ濡れになってしまった珠雲とクリス……。
なんと、どういうワケか、水に反応してステージ衣装があちこち溶けてしまい、スカートが、上着が、ワイシャツが、包んでいた彼女達の肢体を露わにしてしまっているてまはないか!
これがトヨフツが仕組んだ秘策『水で溶ける特別な繊維製の衣装大作戦』だ。
クリスは以前ヴァルハラ達と買ったピンクのリボン付きのブラまで露出し、珠雲もまた、グレーの下着にスポーツブラまで見えてしまっているのだから、さぁ大変!
集まったロリコンどもは狂喜乱舞、中には母親に電話をして泣きながら『母ちゃん、産んでくれてありがとう』なんて言い出す者もいたりと、会場の興奮と熱気と雄叫びは最高潮、またにトヨフツの目論見通りとなったわけだ。
……無論、異世界に行けないトヨフツは、コウに内緒でガッツリ映像に収めているわけだが。
ウゥ〜! ウゥ〜!
天使が舞い降りた野外ステージに、無粋にも現実へと引き戻す様なけたたましいサイレンと、乱暴な運転で会場を蹂躙していく白と黒のモノカラーに染められた車両が、次々と乗り込んでくる。
会場にいる者は1人も逃すつもりはないのだろう。ステージとなっている広場の階段出入り口、駐車場に繋がる歩道、そして車両が次々乗り込んだ機材搬入車両用の通路、全てを塞ぐ形で車が止まっていく。
「そこまでだ性犯罪者ども! 貴様等は湾湾署に、包囲サムバディトゥナイされている!」
車両の1台から出てきたのは、180センチ近い長身痩躯の40代程の刑事だった。やや黒い健康的な肌を黒いスーツと目が覚める様な赤いネクタイ、更にこの暑くなってきた時期に軍用としても使用されていた深緑のコートまで羽織っている。右目の辺りから分けられた短い黒髪と、切れ長の黒い眼が特徴的だ。
刑事に続いて、次々とモノカラーの車両、パトカーから飛び出す青い服を身に纏った正義の味方……警官達。
一斉に牽制の為か、いきなり38口径回転式拳銃……ニューナンブM60を向ける。
野外ステージなんて場所でこんな未成年公開露出ショーなんてやれば、そりゃ警官だってやって来るなんてのは、自明の理だ。
「全員大人しくサムバディトゥナイするんだ! 抵抗するなら撃つぞ!」
随分と物々しい上にいきなり物騒な警官隊。確かに犯罪ではあるであろうこのカルト宗教の様な集まりだが、いきなり銃を抜き取るような状況ではないはずだ。にも関わらず、この高圧で威圧な態度。完全に出口を封鎖され、まさに袋の鼠となったイベント参加者達。
つい今まで幼女のびしょ濡れおぱんちゅぶらじゃあチラりんこ祭りで最高潮だったヴォルテージが一転、中には家庭も持っている男性もいるのか、絶望的な表情を浮かべる者や妻には、会社にはと泣き叫ぶ者。銃の恐怖にうずくまってしまう者もいる。
「さあ、一列に並んで車に乗り込んでサムバディトゥナイだ」
警官がイベント参加者達を捕えてパトカーへと半ば無理矢理乗せ始める。
みな一様に絶望感にまみれており、クリスと珠雲がいるステージにも、警官が集まり始めていた。
急速に収縮していく宴。逃げ出そうとする者は警官達にラグビーのタックルのように身体毎ぶつけられて捕えられ、参加者の数がみるみる減っていく。
だが、そんな中……1つの影が蠢く。騒動に紛れ、人に紛れ、車の間に紛れ、取り出すは殺意と鉄の塊。的確に警官へと支持を出す深緑色のコートを着た刑事の背後へと近づき、それをそっと押し当てる。
「そこまでだじぇ。……おま~……いんや、おま~ら全員、ディス・モンスターだな」
「……貴様、サムバディトゥナイ者だ? なぜ俺達の正体が分かった?」
刑事が呟く。彼の背後にいたのは、神獣・ウルフを身に纏ったコウ・ザ・ズトーンズ。
銃身が2つ装着されたセミオート式ハンドガン、『雷電』を刑事に突きつけ、いつもの軽い台詞だが、氷の様に冷たい口調を吐き捨てる。
「俺のノアの方舟には、おま~らみたいなのの正体が分かる様に出来ているんでね。それに……」
(こんな時だからこそ言いたい事がある。貴様等は既に我が茨に、包囲サムバディトゥナイされている。)
コウの台詞に合わせるように、どこからともなく刑事の眼前にぶら下がって来るホワイトボード。茨の蔓にかけられたその言葉に、刑事の眉がピクリと動く。
「何? それはどういう……!?」
そこで、ようやく刑事が気付く。周囲の状況に。イベント参加者達をまるで籠の鳥のように包囲していたはずの自分達が、いつに間にか地中から生えた大量の茨の檻の中へと捕えられている事に。しかも、御丁寧に茨の先々には、神界から持ち込んだ大量の簡易量産ノアの方舟が取り付けられており、まるでお前達の正体は分かっているとばかりに至る所からビービーと警告音が発せられている。
「くっ……貴様……! まさかヤツの仲間か!?」
狼狽える刑事。まさか狩りを行っていたはずが、逆に狩られる事になるとは、思っていなかったのだろう。眼前の警備員風の男の確固たる自信に満ち溢れた視線と、あり得ない意思を持つ薔薇の急成長。この男はただの人間ではない。であれば、この世界に住まう神獣士との関連を疑われても仕方がなかった。
「さあてね……? とにかく、おま~らの正体と目的、いろいろと話してもらうじぇ? クリス! 珠雲!」
「……コウ兄、これ終わったら、ヴァル姉とゼクス爺ちゃん交えて話がしたかけん……神獣合身……!」
「えと……トヨフツさんも……許さないから……えと……神獣…・・合身……!」
ステージの上から飛び降りる少女達。2メートル近いその高い場所から飛び降りながら溶けてボロボロとなった衣装から、ゴスロリ調の薔薇の鎧、9つの尾を持つ巫女服へと姿を変えていく。
どうやら、今回の作戦に関して、無垢なる神の少女達は相当にお怒りの様だ。
八重歯をギリギリと鳴らしながら怒り心頭な表情で睨む珠雲は勿論だが、普段怒る事のないクリスまでもが頬を膨らませ、ジト目でコウを睨んでいた。
「世の中ではな、冤罪って言葉があるんだじぇ……」
流石に今回はコウも詳細は知らされていなかったのだが、彼女達には関係がない話だ。
この仕事が終わったら、お菓子で機嫌が直るだろうか? 等と殺伐とした空気にそぐわぬ事を思考するコウ。
「ふざけた奴等だ……! お前達! こいつらに我々の恐ろしさをサムバディトゥナイしてやれ!」
若干ほったらかし気味にされていた刑事の号令に、人間の皮から破けて白や黒、赤サビ色といった多種多様な毛並の四肢を露わにしながら銃を一斉に構える警官達。
「とにかく話は、こいつらのお尻をぺんぺんしてからだじぇ! おま~らは逃げ遅れたイベントの参加者達を頼む! だりゃあああああっ!!」
開戦の合図とばかりに、コウが警官達に向かって走り出す。
美少女達が愛と元気と希望を振りまくステージが、鉛と殺意と絶望を振りまく戦場へと姿を変えていった……。
★★★★★
ザラザラと音を鳴らしながら、カップにドライタイプの餌を流し込む。
1年生は午後の授業も終わるのが早い。まだ2時ではあるが、学校が終わって早速昨日より仲良くなった友達にご飯をあげるべく、乗用車や輸送用の長距離トラックも行き交う国道の橋桁に隠した友達の家に遊びに来た悠斗。
自身の背丈にまで伸びた草むらの中に隠した段ボールのマイホームには、ご飯を今か今かと待ちわびる友達……茶々丸の姿があった。
「はい、食べていいよ」
先日、上級生の年の頃の女の子達に買ってもらった可愛らしい皿にキャットフードを移し、彼の下に置く悠斗。
よほどお腹を空かせていたのだろう。ご飯をもらうや否や、すごい勢いでがっついていく。
「もう茶々丸、ごはんまだいっぱいあるから」
ご飯に夢中になる友達の姿に、目を細める悠斗。
大好きなこの友達とずっとこうして一緒にいれる。悠斗は何ら迷いも不安もなくそう思っていた。
彼は子供だ。だから、そう思える。子供の世界は希望に満ちている。大人の世界にはない、子供だからこその希望。だから、何ら迷いも不安もない。
ずっとこのまま、茶々丸と一緒だと信じる事が出来る。
カリコリと音を鳴らしながら咀嚼する小さな友達の背を撫でる悠斗。
だが、彼は気付いていなかった。子供である彼に自分の世界がある様に、友達である茶々丸にも、自分の世界がある事を……。
「グルルルル……!」
突如耳をピクピクと動かし、天を仰ぐ茶々丸。鳴らす喉の音は、リラックスしたり甘えたりするそれではない。明らかに威嚇、警戒のそれだ。
友達の豹変に驚く悠斗も周囲を見渡してみるが、野良犬や自分の様な人間の姿も、何もない。
その悠斗が自分から目を離した一瞬の隙を突いたかの様に、茶々丸が4つの足で段ボールのマイホームから飛び出していく。
「あっ! 茶々丸! ちょっと待って! どこに行くの!?」
悠斗の声にも意を返さず、橋桁そばの河原から、階段を駆け上って姿を消す茶々丸。
何かに取り憑かれた様な彼の姿に、悠斗はただ呆然と消えて行った河原の階段を見つめているしか出来なかった……。
★★★★★
銃弾が飛び交う戦場は、いつの時代になろうと、止む事はない。
21世紀ともなっても、未だ真の平和は訪れてはいない。テレビの向こう側では、今でも内紛や怪しい動きを見せ続ける国家のニュースが後を絶たないでいた。無論、この平和を高らかに謳う憲法を掲げる日本と言う国においても、一般市民の知らない闇の部分で銃が捌かれ、凶弾に倒れる人もいる。
『みんなで仲良しこよしでいきましょう』なんざ、頭の中に広々としたお花畑があるパーチクリンの詭弁だ。
この野外ステージのイベントに参加したある若者は、ステージの陰に隠れたまま、それを肌で感じていた。
「撃て! 奴らをサムバディトゥナイしてやれ!」
刑事の号令に、警官に扮した化け物達が一斉に発砲する。平和ボケした日本人ならまず聞き覚えのない弾丸の発射音が、盛大なオーケストラのクライマックスの様に響き渡る。
目標は、アイドルとしてステージで笑顔を振りまいていた少女達。
だが、彼女達は神獣士。この程度の銃弾なぞ、最早何の脅威でもない。
飛び交う鉛弾を薔薇の障壁が防ぎ、巫女服姿になった少女が舞えば、何を血迷ったのか、味方同士で撃ち合う。更に圧巻は、コウの存在だ。
遠距離攻撃用である銃を構えながら四肢が人間の皮を破って白や黒や茶色模様の毛むくじゃらとなった化け物集団に飛び込むと、まるでブレイクダンスの様に身体を回転させながら乱発して一気に壊滅させ、すぐさま今度はバック転をして距離を取りながらも次々敵を撃ち抜いていく。
撃たれた者は、まるで電撃を浴びたかの様に麻痺を引き起こして戦闘不能となる。
まさに無敵と形容するべき3人の活躍により、50人近くいた警官姿の怪物は、あっという間に死屍累々の彩りへと変化していた。
「さあて、余興も終わり、いよいよおたくだけだじぇ?」
左右の雷電を指先でクルクル回しながら、残された刑事へと歩み寄る。
更にはクリスと珠雲も合流し、それぞれローゼス・ウィップと木の葉狐を構えている。
「くっ……! いいだろう……だが、我等が悲願を達成する為、貴様等をサムバディトゥナイしてやる……!」
追い詰められた狩人。狩るべき人間に逆に狩られてしまったからこそ、何をしでかすか分からない。故に、更に少女達が警戒を強める中、刑事の背中からバリバリと皮が破ける音が響く。
「ぬあぁぁぁぁぁぁぁ……っ! 血祭りだ……貴様等人間を血祭りにしてやる……っ!」
まるでさなぎから羽化する蝶や蝉の様に、刑事の皮から現れた異形。
ギラリと鋭い眼光、左右に伸びたヒゲ、獲物を噛み砕く牙。
それは、猫の顔そのものだった。人間と同じ骨格を得た、灰色虎模様の毛。いわゆるサバトラ柄の体毛に包まれた体躯に、腰部から伸びるは2つの尾。それが、この世界を貪るディス・モンスターの正体だった。
《なんと……彼奴等、猫又だったのかぇ!》
「えと……ネコマタ?」
キュウビの言葉に視線だけちらりと向けるクリス。
猫又。それは、古来日本より伝わる妖怪の一種。超高齢に達した猫が妖力を手にし、尾が2つに分かれて人を喰らい、人に化けて成りすます。人の死をも司る物の怪だ。
「猫又だかガニ股だか知らないが……俺達3人相手に、1人で戦うのは、ちょいと無謀だじぇ?」
雷電を握り直し、人を象った猫の怪物に銃口を向けるコウ。
恐らくこの刑事はディストーション本体ではないが、幹部クラスなのだろう。それでも、今のコウ達を相手にするには、荷が重いはずだ。だが、それを承知しているはずの猫又は、未だ余裕の表情を崩す事はなかった。
「誰が俺だけだと言った?」
ニヤリと牙を露わにしながら、不敵に笑う猫又。
刹那、パトカーの脇からとてつもない速度で飛来する巨大な影。それが、猫又をすり抜けコウの横に立つクリスに顎を以って吹き飛ばしながら喰らいつく!
「あぐぅっ! ……あああぁぁぁぁぁっ!!」
クリスの悲鳴と共に響く、人の骨が砕ける音。
硬い人間の骨をも、まるで板チョコの様に簡単に噛み砕くその力。肉を抉り、骨を砕き、顎の力だけで肉を引き千切りグチャグチャと生々しい咀嚼を鳴らして飲み込んでいく。
コウと珠雲が気付いた時には、既に5メートル以上後方で、それが起きていた。
「クリスッ!!」
ようやく事の次第に気付いたコウが、叫びながら雷電の一撃を影に放つ。しかし、影は嘲笑うかの様にクリスから離脱。驚異的な跳躍力で、猫又の隣に立つ。
「貴様等か……我等が野望を阻む人間は……」
影は、180センチ近い猫又より、更に巨大で、凶悪で、威圧的な……猫又達の王。
茶色のキジトラ柄の長毛種と呼ばれる長い毛並みに2つに分かれた尾をゆらりとたゆませ、口周りの毛に付着した聖女の血を、まるで杭の様な牙を覗かせながらべろりと舐める。
2メートルを優に越えた筋肉の塊の様な巨体。隆々としたその筋肉は体毛の上からでもよく分かり、クリスへの一撃からとてつもないパワーを持ちながら、見た目の様な鈍重さはなく、猫ならではの俊敏性が損なわれていない事は、既に証明済みだ。
両手の爪は、最早1本1本が刀の様な長さと鋭利さを持ち、猫と言うよりは熊か何かではないのかと思わせる。
「クリス! 大丈夫ねクリス!」
相棒に駆け寄り、上体を抱えて揺する珠雲。純白の巫女服が彼女の紅にそまりながらも、涙を流しながら揺すり続ける。
「大……丈夫……えと……ローズが……治して……くれてる……から……」
ローズの超回復能力によって、喰い千切られて抉れ、腸の一部等の内臓が剥き出しとなった腹部がどんどん再生されていく。
しかし、普通ならばとっくに命すらをも落としていてもおかしくはない程の重傷では、しばらく戦闘は難しいだろう。
「なるほど……遂に黒幕登場って事か……。保護者の目の前でウチの子喰うとはいい度胸だじぇ」
いつものおちゃらけた台詞の中に燻り燃える怒気。コウすら気付かぬ俊敏性には目を見張るものがあるが、大事な妹分にここまでの傷を負わせたのだ。許すわけにはいかない。
「ククク……人間よ、貴様等は我等の餌だ。餌を喰って何が悪い?」
喉の奥をゴロゴロと鳴らし、ニタリと笑って見せる猫又の王。
「定番過ぎる台詞だじぇ、残念ながらな。おたく、悪役として三流だな」
猫又の王に吐き捨てる様に言うコウ。だが、雷電の銃口はしっかりと王と側近たるサバトラ柄の猫又に向けられている。
「ほざくがいい、人間。これまで我等野良として生きる我等を疎ましく思い、捕え、殺し、排除し、この世界を支配してきた貴様等の時代はもう終わりだ。これからは我等が新たな支配者となって貴様等を餌にしてくれるわ! フフフ……フハハハハ……! ハーッハッハッハッハッハ!!」
野良猫のボスに取り憑いたディス・モンスターが顔を歪め、己が野望と共に笑い声を吐き出していく。
「やっぱりおたく三流だじぇ……。目的もド定番過ぎだ」
「貴様……! 王を愚弄するか!」
コウの半ば呆れた様な態度に、今度は側近たるサバトラの猫又が怒りを露わにする。
「確かに、おたくらも生きるのは大変だとは思うさ。だがな……」
急激に低くなるコウの声のトーン。そして、互いの殺気が膨れ上がり、まるで膨張しきった風船の様に空気が張り詰めていく。
「クリスに手を出したのは間違いだったじぇ!」
膨張しきった殺気の風船を割ったのは、コウだった。
構えていた雷電から放たれる銃弾の乱撃。
「バン! バン!! バン!!!」
音速すらも超える無数の凶弾。電気エネルギーを纏った麻痺効果のある弾丸達を、まるで子供が投げたボールを避けるかの様に2体の猫又がサイドステップでかわすと、巨体を捩じらせて跳躍。コウ目掛けて刃の如き爪で斬り裂いていく!
「死ね! 人間!」
「ぐああぁぁぁぁぁっ!!」
回避も、防御も許さぬ超高速の斬撃が袈裟斬りにコウを神獣鎧毎抉り取る!
しかも、2体同時の体当たりによってコウを巨体で吹き飛ばし、更に空中舞うコウの身体に、追撃と言わんばかりに猫又の王が跳躍し、のしかかる!
「がふっ!!」
筋肉の塊に下敷きにされるコウ。鮮血を吐き出し、地面もコウと猫又の王を中心に潰れクレーター状に抉れる!
「フン……他愛ない……」
強力な連続攻撃に、気を失ったのかピクリとも動かないコウ。武器も通用せず、敵のスピードにも対応出来ない。誰の目から見ても明らかな劣勢だ。
茶トラ柄の王とサバトラ柄の側近が、ゆっくりと……まるで狩りで獲物を捕らえたかのように、喉の奥をかき鳴らしながらコウに近づく。
勝利を確信した様に、動けぬ獲物を弄ぶ様に、抉れて紅噴き出すコウの神獣鎧が損傷して露出した胸元を、爪で引っ掻き回し始める。
「あああぁぁぁぁっ!! があぁあぁぁぁぁっ!!」
ぐちゅぐちゅと肉が引き裂かれる音と、コウの悲痛な叫びが周囲にこだまする。赤黒い鮮血が噴水となり、ウルフメイルの狼の頭部がクチナシ色から呪われたかのような赤黒いそれへと染められていく……。
「コウ兄! コウ兄! 目ば覚まして!! コウ兄!!!」
クリスを抱えた珠雲が、抵抗すら、いや、意識すらあるのかも分からないでいる兄の名を叫ぶ。
「美味……美味よ……!」
引き摺り出したピンク色のコウの肉を口に運び、味見とばかりにクチャクチャと鳴らしながら飲み込む猫又の王。最早コウも、痙攣を起こし、これ以上の戦闘はどころか、逃げる事すら不可能な程、深刻な状況へと陥っている。
ニタリ。
弄んだ獲物はもう抵抗も出来ない。ならば、こうして遊んだ後にする事はただひとつ……この脳から腹部へと送られる信号、自身を苛む飢餓感……空腹。それを満たさんとばかりに大きく口を開き、断罪の牙を剥き出しに、身動きすら取れないコウの喉元を喰い破ろうと上体を逸らしたその時だった……!
YO! ここが俺達の戦場♪ お前等倒すのが信条♪ 世界狂わすお前等許さぬ心情♪
状況に全く合わない軽快なリズムで奏でられる言葉の波。
レゲエと呼ばれるジャマイカ生まれの独特なリズムが、その場にいた全員の脳内に響き渡る。
「この歌は……! 王! や、奴が……!」
≪ヘイヘイヘーイ! 俺っち達抜きでラバダブマイクで陽気なダンスたぁお前等バディマンかぁ? 情けねぇセレクターかき鳴らしてんじゃないっぜィ!≫
野外ステージ脇からゆっくりと、それでいてしっかりとした足取りで歩く1つの影。
「この頭に直接響く声……現れたか……」
コウを喰らおうとした王がギロリと視線を向ける。
≪ヘイヘイヘーイ! 俺っち達参上♪ 来てみりゃこの惨状♪ 戦うぜ俺達神獣♪≫
ステージからコウ達を、猫又達を見下ろす現れた影。その影の存在に、傷の修復中のクリスと珠雲の目が見開かれる。
現れたのはこの世界を守る者。獣を身に纏い、獣と共に戦う者。彼女達は既に出会っていた。既にその者を知っていた。この危機を救うべく、彼女達を助けるべく、そして、強大な敵を打ち破るべく、彼はこの地にやってきた。そう、彼の名は……。
「ま、まさか……神獣だったとね!? 茶々丸!!」
そう、茶色い長い毛を風になびかせ、優雅な跳躍でステージから降り立ち、 悠然と、毅然と、燦然と、クリスと珠雲と猫又達の間まで闊歩するは、少年が拾った捨て猫の茶々丸。 まさか彼が神獣だったとは……。
≪いや……珠雲よ、茶々丸は神獣ではないぞえ……≫
≪ヘイヘイヘーイ! キツネのねーちゃんの言う通りだっぜィ! 茶々丸は俺っちのマスターなんだっぜィ!≫
『えぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!』
腹部の修復が7割程完成したクリスと珠雲の驚愕が見事に重なる。獣を使役する神獣士そのものが獣だったとは……。
「じゃ、じゃあこの声のする神獣は……どこにおるとね……?」
≪ヘイヘイヘーイ! 俺っちはここだっぜィ! 茶々丸の頭の上だっぜィ!≫
茶々丸をよく見る。よぉーく見る。もっとよぉぉぉぉぉぉぉく見るクリスと珠雲。茶々丸の頭部、長い毛の間からなにやらぴょこぴょこと飛び跳ねる小さな、小さな黒い点。
そう、それこそが彼が使役するビートルタイプの神獣……。
「ノ、ノミね!? 神獣がノミぃっ!?」
≪ヘイヘイヘーイ! そうだっぜィ! 俺っちの名前は神獣・フリー様だっぜィ! 英語でノミはフリーって言うんだっぜィ! 俺っちの名前は神獣・フリー♪ 奏でるリリック気ままにフリー♪ YO! 世界を狂わすお前等倒して手に入れるぜフリーな毎日♪ 自由に気ままに人間なんか気にしないで俺っち達は風の様に生きていこうぜ♪ 茶々丸! 気ままに今日も俺っちのマイクMCで陽気なDeeJayかましてくれYO!≫
ピョンピョン頭の上で跳ねるノミの神獣、フリーのフリースタイルリリックに呼応するように、尻尾を大きく揺らして走り出す茶々丸。
「ゔにゃ~~~~~~~~~~~~おぉ~~~~~~~~!」
≪ヘイヘイヘーイ! ヴァイプス盛り上がって神獣合身だっぜィ!≫
光に包まれながら、小さな身体の神獣士が、巨大な猫又達目掛けて突撃する。
新たに現れた神獣士と、世界を喰い破ろうとする猫又の一騎打ちが、今、幕を開けた……。




