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神と聖女と神界と  作者: しあわせや!
神と聖女とフリーな世界と
20/47

第二十の神話

 暑い。太陽の光が暑いのではない。高い湿度のせいで暑いのだ。気温が高いせいで蒸発量が多く、湿度が上がる。湿度が上がれば熱が逃げにくくなり、上空との温度差が開いていく。上空と下層の温度差が高くなれば、積乱雲が生まれる。積乱雲が生まれればスコールが発生し、多量の雨が降り注ぐ。雨が降り注げばまた高い温度が湿度を上げ……と、循環されていく。だから、まるで肉まんを蒸しているせいろの中の様な高温多湿状態となっているのだ。

 ここは、熱帯雨林のど真ん中。グエーグエーと鳥が鳴き、足下にはトカゲや様々な虫が行き交い、上空には木に掴まったままこちらの動向を監視するサルもいる。見た事もない葉を茂らせる木々や草をかき分け、慎重に進んでいく。

 ――――――――――刹那。

 鳥が、サルが、この密林に住まう生命達が、己が危険を、感じ取る恐怖を感じたのか、一斉にその場から飛び出していく。

 来た。敵が来た。構えを取り、臨戦態勢を整える。周囲を見渡すが、敵の姿がない。

 それもその筈だ。敵は……上空から攻めてきたのだから。

「クリス!」

 既にキュウビと合身した珠雲が叫ぶ。現れたそれに気づき、射程距離リーチの長い相棒が即座に両手の指先から茨の鞭を解き放つ。

「えと……お願い……! ローゼス・ウィップ……!」

 両の指から伸びる茨が敵を捕らえるべく上へ上へと成長を続ける。だが、それをまるで嘲笑うかのように茨の間を潜り抜け、背中に生えた翼をはためかせながら突進してくる。

「ダメ……! 止められない……!」

「なら数ば増やすだけたい! 夢心地ゆめごこち!」

 鉄扇『木の葉狐』を広げ、巫女服と腰部に生えた9つのキツネの尾をなびかせて舞う珠雲。対象の幻を生み出してコピーを生み出すその技によって生まれる複数のクリス達。

 4人にまで増えた薔薇の神獣士が一斉に鞭を振るい、今度こそ逃がさないとばかりに四方から同時に攻撃を仕掛ける。

「捕まえた! ……え!?」

 珠雲が狼狽える。同時に伸びたクリスの鞭は、敵に肉薄し確かに捕えたと思われた。しかし、その姿が忽然と消えてしまったのだ。

 ……彼女達は気付かなかった。敵が、ローゼス・ウィップが交差する直前、木の太い枝に手を伸ばし、勢いをそのままに枝を軸に回転、軌道を無理矢理変えて回避した事に。更に、違う木の幹を蹴り上げて軌道を修正、夢心地で生まれたコピークリスを、右手に持つ長剣に加速のスピードを乗せて串刺しにしていた事に。

「あ……!?」

 短い断末魔にクリスと珠雲が視線を戻すと、そこには上空に向かって茨の鞭を放ち、無防備になっていた幻想の薔薇乙女達が全て斬り伏せられ横たわる姿。幻のクリス達が消滅し、ゆらりと敵が立ち上がる。

 幻想故に刀身に血塗られた跡はないが、鈍く輝くその殺意の化身が珠雲に向けられ、ゆっくりと歩み寄って来る。

「くっ! ならこれならどぎゃんね!? 夢幻ゆめまぼろし!!」

 鉄扇を振るい、濃厚な白い空間を生み出していく珠雲。視界を、索敵能力を奪うそれならば、時間も稼げ戦況もこちらにアドバンテージを得る事が出来る。

「えと……ごめんなさい……! ローゼス・バイトッ!」

 クリスが振りかぶって放った茨の鞭、その無数に生えた棘が槍の如き大きさと鋭さをになり、かの敵を鋼鉄の処女となって襲う。

だが、敵はまたしても姿を消した。風を纏い、急激な加速を得る事が出来る敵は、幻の霧によって見えないはずの珠雲へと、真っ直ぐ向かってくる。

「な、なんで!?」

 幻が全く機能していないかの様な状況に混乱する珠雲。

《早く避けるんぢゃ! 珠雲!》

 キュウビの叫びの様な声が脳に響き、慌てて回避行動に移る珠雲。だが、時既に遅し。眼前に迫った敵は、歴戦の強者。そう簡単に逃がしてくれるわけがない。

「疾風怒濤!!」

 強力な風を纏った長剣による、超高速連続斬り。

 回避する前に袈裟斬りの一撃が袴を掠めた瞬間、まるで大量の蛇に一斉に噛みつかれた様に四方八方から斬撃が飛び、珠雲を斬り刻んでいく……!

「わあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

「た、珠雲ちゃん……!」

 相棒の断末魔に助けなければと飛び込むクリス。ローズの超回復能力がある自分が盾になれば……!

 それは、下策中の下策、自ら餌となって飛び込んでしまったクリスを幻の中で見つけた敵は、珠雲の身体を巡る紅が滴る刃を柄の方を向けて樹に力に任せて突き立て、左腕に装着された盾をクリスに向ける。

 盾が展開され、クワガタの鋏の様に広がると、今度は手首から爪が現れ、まるで獲物を捕らえる鋭い鷹の爪の様な形に変形する……!

「ホークシールド・クローモード!」

 空中からの回避が出来ないクリスを鷹の如き爪が捕らえ、そのまま回転。遠心力で増した勢いを加えて木の幹に突き立てた刃へと、クリスを串刺しにする!

「あぐぅっ!! ぁ…いた……い……っ!」

 串刺しにされては、ローズの超回復能力も意味を成さない。

 徐々に痛みと出血で意識が遠くなっていく。

 2人の少女は、たった1人の男の手によって、その命を散らしていった……。


★★★★★


 ビーッ!

 無機質な、しかしやたらめったらと広い部屋に、電子音が鳴り響く。

 白いタイルが敷き詰められた部屋の中央に設置された巨大な装置が、音の発生源だ。

 物々しい機械のボディは高い天井ギリギリにまであり、ドラム缶の様な無骨で無機質な形状をした機械が今も所々青や赤の色を交互に発光し、取り付けられた映画館のスクリーン程の大きさのメインモニタには『DEATH』の文字が赤く点滅している。まるで、アニメやハリウッド映画で見る様な装置のそれには、複数のカプセルベッドが繋がっている。そのうちの2つが先に上部カバーが開き、中に眠っていた者達が解放、覚醒していく。

「生き……とる……」

 数度瞬きをする。視界が認識するのは、物々しい機械の一部と、高すぎて漆黒の闇となって見えない天井。いつの間にか浮かんでいた涙を拭い、起き上がる珠雲。合身したまま眠っていたせいか、神経が通う背中の9つの尻尾が痺れたようにジンジンとした感覚が脳に知らせてくる。

 同じように、隣で合身したまま眠っていたクリスも起き上がる。彼女もまた、いつの間にか涙を浮かべていたのか、目が腫れぼったくなって、充血していた。

バシュウッと音を立て、もう1つのカプセルベッドが解放される。

 起き上がってきたのは、コウ・ザ・ストーンズ。その身には神獣ホークと合身した神獣鎧・ホークメイルが纏われていた。

 丸みを帯びた肩アーマー。前腕保護の腕当て、ヴァンプレイスと手首のガントレットが装着されているが、左腕には翼を広げた鷹の姿が紋章として描かれた二等辺三角形状の盾。胸元には鷹の頭部が立体的に備わった鎧。足は脛当てと鉄靴。頭部には鷹の横顔が紋章となったサークレットが装着されている。ドラゴンメイルと同じ洋風の鎧ではあるが、重厚なそれと違い、かなりの軽装だ。

「ヴァーチャル・リアリティ・シュミレーション・システム(V・R・S・S)終了、お疲れ様」

 部屋の壁、3階に相当する高さにあるガラス窓から見えるヴァルハラの声が、室内に音声放送となって聞こえる。

 ここはユグドラシルの訓練施設の1つ、『ヴァーチャル・リアリティ・シュミレーション・ルーム』

 1週間の休みも終わり、今日より本格的に聖女として活動する事となった珠雲とクリス。学校が終わり、コウと共にこの部屋へと通され、ヴァーチャル・リアリティ・シュミレーション・システムによる仮想空間にてコウとの擬似戦闘が行われたわけだ。

 結果は先程の通り、密林ステージにてホークと合身したコウの前に敗れ去り、擬似的な死を以て、戦闘が終了したのだ。

「大丈夫か、2人とも」

 先にカプセルベッドから降りたコウが、珠雲に向かって手を差し伸べる。

「ひぃっ!?」

 だが、彼女は……珠雲は、差し伸べられた手に先程の恐怖が甦り、大好きだったはずのコウのそれを肩が竦み、身体が後退り、拒否の反応を示してしまう。

 珠雲は怖かった。コウの強さが、コウの中にあった刃よりも冷たい殺意が、何の躊躇もなく自分を殺せる、コウの事が……。

 擬似訓練だというのは分かっていた。だからこそ、どこか手加減してくれると思っていた。だが、現実は違った。コウは本気で自分達を殺しに来た。淡々と、全力で。

「あ……えと……珠……雲ちゃん……」

 そんな彼女の様子に、クリスが近づこうとするも、彼女もまた、コウの中に恐怖を植え付けられたのか、カプセルベッドから降りても2人に近づく事が出来なかった。

「いいか、おま~ら。あれが死ぬって事だ。擬似的なもんだけど、死ぬってのがどういう事か、これから戦うおま~らは知るべきなんだ」

 戦いとは、殺されれば死ぬ。では、『死』とは何か。それを知らぬ者は、戦う事が出来ない。例えどんなに圧倒的な力を持っていても、それが絶対的な勝利、生存に繋がるわけではない。死を理解し、死を恐れ、何が何でも生き残ろうとする強い意志、生き残る為に何をしなければならないかと言う思考。それがなければ、生存率は上がらない。生きて帰れない。

 この擬似戦闘は、それを事前に知る事。そして、これから彼女達が身を投じる戦いとは何かを知る為のものだが……実は、今回の件はコウがヴァルハラ達に言い出した事だった。

「怖かったか? クリス、珠雲」

「えと……うん……怖かった……すごく……」

 クリスが頷く。『死』が全身奥深くにまで染み込み、その恐怖が未だ身体を強張らせている。

「…………コウ兄は……もしウチに何かあったら……さっきんごつ、ウチば殺せるとね……?」

 珠雲がポツリと呟く。あの殺戮者の様なコウの眼。遠くからでも感じた殺気。いつもおちゃらけて、軽くて、スケベな青年とは思えない禍々しい様相で自分に迫る姿が記憶に張り付いて離れない。

「……殺せる。そうしなきゃ、世界が救えないって状況なら、俺はおま〜らを殺せるじぇ」

 珠雲の問いに、コウは一呼吸間を置いて、はっきりと答える。

「そんな……! そぎゃんと……! そぎゃんと嫌だ!!」

 好きな人に、それも眼前ではっきりとした答えに、まるでハンマーで後頭部を打たれた様な、鈍い激痛が襲う。残酷とも言えるコウの言葉に、

まだ11歳の少女には耐えられるはずもなく、目にいっぱいの哀しみが溢れ、部屋を飛び出す珠雲。

「え、えと……! ま、待って……! 珠雲ちゃん……!」

 コウと走り去る珠雲を交互に視線を向け、自動開閉のドアの向こうへと走り去る珠雲を、クリスが追いかける。

「……あんた、本当女心が分かってないわね」

 呆れた様なヴァルハラの声が、マイクを通して部屋の中に拡声される。

「生半可な覚悟で行けば、いつかあいつらはディストーションに……いや、異世界に殺される。……俺は、もう仲間が死ぬのを見たくないんだよ」

「……あんた……まだ元の世界の事をひきずってるの?」

 1週間共に暮らし、情が移った少女を傷つけてしまったからか、それとも……。

 どこか哀しげな表情を浮かべながら、ガラス越しのヴァルハラに向かって数回首を左右に振るコウ。

「かもしんないな……結局のところ、俺は怖いのかもな。あの子達を失うかもしれないって事が」

「でも、あんたが連れて来たんだから、あんたが責任持って育てなきゃいけないのよ」

 容赦無く痛いところを突くヴァルハラ。コウ自身、いざ彼女達と戦場に行くとなった今頃になって、失う恐怖が芽生えてしまうとは思っていなかった。

「だからだじぇ。だから、あの子達にこうして教えようって思ったんだよ……死ぬって事と、生きるって事、戦う覚悟をな」

 ヴァルハラを見据えたまま、はっきりと答えるコウ。彼自身、珠雲とクリスを失うかもしれない覚悟を決めての行動だった。

「不器用ね、あんたも。……ちょっと待って」

 ヴァルハラのいる管理棟に、内線が呼び出される。受話器を取り、2言、3の短いやり取りが行われ、静かに受話器を置く。

「コウ、ディストーションが発見されたみたいよ。すぐに飛びなさい」

 内線の内容を伝えるヴァルハラ。異世界に現れたそれが、暴れ回っているようだ。

「分かった。……ヴァルハラ、悪いが……」

「あの子達ならこちらに任せなさい」

 コウの言いたい事はお見通しなのか、ヴァルハラがコウの言葉を遮る。

「助かるじぇ、行ってくる」

 ノアの方舟を取り出し、亜空間を開くアプリケーションを起動するコウ。

 鷹の翼をはためかせ、神は静かに神界から飛び立った。


★★★★★


「ひっく……! ひっく……!」

 広いユグドラシルの中にある非常階段。エレベーターや転移装置が至る所にあるこの施設の中で、この非常階段は誰も使用していない。

 その階段に膝を抱える様に座り、涙を流し続ける珠雲。合身は既に解かれ、キツネのぬいぐるみがふよふよと泣きじゃくる主の周りを心配そうに浮かんでいた。

《珠雲や……もう泣くでない……》

「ばってん! 死ぬのもあぎゃん怖かて思わんかったし! コウ兄が……! コウ兄がウチも殺せるて……!」

 少女にとって、何よりも大きな衝撃は、大好きな人からの躊躇のないあの言葉。それは、ある意味においては死よりも恐ろしく、死よりも残酷なものだった。

 ベアもん事件の時、自らの命を投げ出してまで自分を守ってくれたコウ。まるで漫画の主人公のようにカッコよかった。何より、自分の為に身を挺してくれたのが嬉しかった。血を流しながらも、なお珠雲を守ろうと戦い続ける姿には感動すら覚えた。だから、気が付いた時には幼い心に、恋が生まれていた。

 それと同時に、自分も戦いたいと願った。守られるんじゃない、この人を守りたいと思った。だから、神獣士となり、この神々が住まう世界にまで押しかけたのだ。だが、その守りたいと思ったコウが突き付けた戦いの現実は、彼女の想像とはかけ離れたものだった。

≪珠雲や……気持ちは分かるがの……≫

 自身の神獣の言葉を遮るように首を左右に振り、ただひたすら自身の両の膝に顔を埋め、何もかもを拒絶し続ける珠雲。

 そんな主の様子にキュウビが困り果てる中、鉄製の分厚いドアがギィィィと不器用な音を奏でる。

「えと……いた……! 珠雲ちゃん……」

 息を切らしながら、この非常階段にやってきたクリス。合身を解いて薔薇とは思えぬ子供が描いた落書きチューリップのような植物型神獣と共に、珠雲をこの広いユグドラシル内を探し回っていたのだった。

「えと……あの……珠雲ちゃん……隣……えと……いいかな……?」

「…………………………」

 珠雲は何も答えない、話さない。クリスはそれを肯定と半ば無理矢理受け取ると、エプロンドレスのスカートを後ろから持ち上げて、中が見えてしまわぬように配慮しながら珠雲の隣に座る。

「えと……その……」

 口ごもる。元々饒舌とは程遠いクリスだ。落ち込む年下の親友になんと声を掛ければ良いのか、必死に脳を回転させているのだろう。

 ……やがて、考えがまとまったのか、たどたどしくも話し始める。

「えと……私の世界にはね……えと……悪い魔女が……えと……お城の王子様をさらって……えと……自分がお后様になろうとするって……えと……おとぎ話があるの……。それでね……えと……貧しい村の女の子が……えと……悪い魔女を……倒せる……正しい心持った人だけに使える剣を……えと……神様からもらって……えと……悪い魔女を倒して……えと……助けた王子様と……えと……結婚するの……。えと……おかしいよね……えと……さらわれるのが……王子様で……えと……助けるのが……女の子だもん……」

 小首を傾げ、隣でうずくまる珠雲に苦笑が浮かんだ顔を向ける。

「えと……私もね……神獣士になった時は……えと……ママとの約束って……誰にも負けないんだって……えと……夢中だったけど……えと……戦いが終わって……コウ兄と……えと……世界を出た時……私も……えと……悪い魔女をやっつける……女の子になれたんだって……えと……おとぎ話みたいに……かっこいい……って……えと……思ったの……」

「…………………………」

「でも……えと……本当の戦いは……そうじゃなかった……。悪い人が必ず負けるって……正義が必ず勝つって……そんな決まりなんて……ないって……。だって……ここは……えと……おとぎ話の世界なんかじゃ……えと……ないから……。だから……コウ兄は……必死で……えと……自分がどんなに……傷ついても……えと……たくさんの人を……えと……守ろうとしてるんだと……思うの……」

神獣の力を得ても、漫画やアニメのヒーローみたいに勧善懲悪で正義は必ず勝つなんて事はない。それは、大きな思い違いだ。

「えと……コウ兄は……えと……伝えたかったんだと……思うの……私達に……えと……生き残って欲しいって……えと……死んで欲しくないって……例え……えと……仲間を犠牲にしても……えと……負けちゃいけない戦いだって……だから……えと……強くなろう……誰にも負けないくらい……えと……私達……誰も犠牲にならないくらい……強くなろう……!」

「クリス……」

 ようやく珠雲が頭を上げる。

≪珠雲や、妾達は常に負けてはならんのぢゃ。もし仮にコウが死んでしもうたら、でぃすとぉしょんの脅威を払える者がいなくなるんぢゃ。それは、異世界の崩壊を意味するからの。ぢゃから、覚悟せねんばならんのぢゃ。生きる覚悟と、死ぬ覚悟。そして、何かを犠牲にしてでも世界を守るという覚悟をの≫

 これから先、多くの戦いに身を投じる事になる。その時に、様々な事に直面し、悩む事もあるだろう。だが、歩みを止めてはならない。彼女達は聖女。神を支え、神と共に歩む聖なるにして無垢なる少女達なのだから。

「えと……行こう……もっと……練習して……コウ兄にだって……勝てるくらいになろう……?」

「うん……! ウチ……大事なとこば見とらんかった……コウ兄ば助けられるくらいにならんと……!」

 ようやく、大事になものが見えた珠雲。赤く腫れあがた瞳をパーカーの袖で乱暴に拭い、涙の痕を消して立ち上がる。自分達は、漫画やアニメの主人公じゃない。世界は、おとぎ話でもない。世界を守る為、苦しんでもがいていかなければならない。本当の敵はディストーションが生み出した存在ではない、もがき続けなければならない現実と、挫折しそうになる弱い自分自身なのだ。

 今日、少女達はその現実を知った。それならば、後はやるべき事は決まっている。

「クリス、すぐにあのヴァーチャルなんとかの部屋に戻ろう!」

「えと……うん……!」

 少女達が非常階段の重い扉を開いていく。それは、何も知らない暗がりから抜け出そうとする雛鳥が、卵の殻を打ち破り、世界を知るのと同じ。子供という殻を破り、1歩大人へと近づいた瞬間でもあった。

ユグドラシルの通路を走り抜ける彼女達に、もう迷いは潜んでいなかった。


★★★★★


「まだこんなところにいたのかヴァルハラ……。ディストーション、回収してきたじぇ」

 激しい戦いだったのだろう。全身に切り傷や刺し傷にまみれ、包帯が痛々しく巻かれたコウ。時刻は既に22時を回ろうとしているにも関わらず、いつも定時ですぐに帰るヴァルハラが未だにヴァーチャル・リアリティ・シュミレーション・ルームの管理棟から離れていない事に驚きを隠せないでいた。

「帰れるわけないじゃない……あの子達のあんな姿を見せられちゃ……ね」

 欠伸を押し殺し、部下にパシらせて買わせたキャラメルマキアートを口に含むヴァルハラ。その視線の先にあるモニターには、草原がフィールドとなった仮想空間で、巨大なムカデ型の擬似ディス・モンスターと戦うクリスと珠雲の姿があった。

「あいつら……」

「あんたの伝えたかった事、ちゃんと分かったみたいよ」

 コウが異世界に出てから既に3時間は経過しているが、その間ずっとあらゆるフィールドで、あらゆる擬似ディス・モンスターを相手に戦い続けていたクリスと珠雲。

【えと……! 珠雲ちゃん……!】

【分かっとる! 夢幻!】

 コウと戦った時に比べ、連携も向上し技の精度も増している。

「これなら、実戦に出せるのも早いんじゃないかしら?」

「そうだな……戦うってのがどういう事か知ったあいつらなら、きっと生き残れるじぇ」

 懸命に闘う2人の聖女。彼女達の姿を静かに見守る2人の神。神々の願いは、今この瞬間にも彼女達の心にしかと刻み込まれていくのだった……。

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