第二の神話
その日、クライン・アルベルトは後悔していた。
15に成れば、立派な大人として扱われる。それはこの小さな村の古くからのしきたりで、彼もまた今日より成人して扱われるようになった。
その為、この常闇の森と呼ばれる大きく成長しすぎた木々によって、太陽の光すらも遮断されたそこでの狩りが許されるようになった。
意気揚々とたった1人の肉親である母に、初めての狩りで猪肉を手に入れてプレゼントするべく、朝も日が登り始める時から弓を片手に森へ足を踏み入れていた。
だが、それがそもそもの間違いだった。
弓しか持たない、しかも今日から狩りを本格的に始めた素人が、いきなり単独で入ってどうにかなるなんて、蜂蜜に砂糖を荷馬車1台分ぶち込んで混ぜたものくらい甘い認識もいい所だった。
散々獲物を見つけては逃がしを繰り返し、昼も過ぎた頃に2メートルはあろう大猪をやっとの思いで見つける事が出来た。
猪がこちらに気付かず、キノコを食んでいたのも僥倖だった。しかし、ここからが不味かった。
弓は来たる狩りの為に幼少から習うのが村の慣習だったが、所詮は安全な場所で、安全な的を相手にやってきた事だ。緊張に手からは汗が滲み、手先が震えて矢尻が上手く弦に掛からない。息は乱してつい矢を落としてしまう。
しかもそれを拾おうとして逆に踏み割ってしまえば、出て来る音は盛大な木製の矢が折れる音。
後は想像通り、大猪に気付かれ獲物と狩人の立場が一変。
逆にその太く逞しく木造家屋すらも貫く牙と、筋肉の塊のような巨体の突進から必死に逃げ惑い、今に至るのである。
「はぁ……はぁ……も、もうだめだ! お願いです! 神よ! 助けて下さい! もう隣のジェイソンさんの家のヤギに元カノの名前をつけて慰みものにしたりしませんから!」
それは神より先にジェイソンさんに謝れ。
虚しい人生を表すかの様な懺悔を何度も叫ぶが上記の様に自然とはかくも甘くはない。
大樹を背に力尽きた様にズルズルとへたり込む。正面には何度も足場を慣らす様に地面をかく大猪。
もうダメだ。今にも突進しそうな勢いと怒気を全身に浴びてクラインは諦めの境地に入る。
ああ、母さん、先立つ不幸をお許し下さい。
そんな彼の思考の中に巡る想いすらも打ち砕かんと、大猪が加速し、クラインへと一直線に自らを巨大な弾丸として突撃してくる。
「……っ!!」
思わず覚悟からなのか、それとも恐怖からか。息を飲んで目を瞑り、全身を強張らせる。
―――――来ない。
長い沈黙が辺りを支配する。2秒とかからずくる筈の衝撃が、いつまで経っても来ない。恐る恐る目を開けると、そこには驚くべき光景が広がっていた。
巨大な狼。大猪よりも体躯がある、目視で2メートル半ば程はあるかの様なクチナシ色の狼が、猪の喉元に食らいついていたのだ。
更に特筆すべきはその額に埋め込まれた結晶体。一般的にクリスタルと呼称するそれがこの鬱蒼と茂る常闇の中で黄色く輝いている。
「……間に合ってよかった。君、大丈夫かい?」
背後から聞こえる男の声に、クラインは思わず振り向く。この森にいるのは今は自分だけだと思っていただけに、驚きの方が先に感情の中から湧き出たからだ。
クラインの視線の先にいたのは、1人の青年だった。
彼と変わらぬ175センチメートル程の身長。細身だが、服の下からでも分かるしなやかな筋肉。長い金髪を結い、女性と見紛うばかりの美形。その整った顔は微笑で彩られ、クラインに向けている。鬱蒼と茂るこの森に似合わぬ着崩したYシャツにスーツ姿だが、清潔感溢れる印象のせいか、自然とそういうスタイルなのだなと納得させる。
「ウルフ、上手く仕留めたみたいだな、よくやった」
青年の声に呼応する様に、最早肉塊となった猪をその顎から解放する巨大狼。
グルルルと喉を鳴らしながらクラインの横をすり抜け、主であろう青年の足下を中心に、旋回する。
「あの、貴方は……一体……」
クラインの中で咀嚼出来ない様々な疑問が渦巻く中、青年は微笑を崩さず答える。
「僕の名前はコウ・ザ・ストーンズ……そうだね……しがない旅人さ」




