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神と聖女と神界と  作者: しあわせや!
神と魔女の娘と茨の世界と
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第十一の神話

「いたぞ! 魔女の娘め!」

 宿の裏口。全身を鋼鉄に覆った男達が、槍を構えて突撃する。

既に宿は鋼鉄に身を包んだ騎士達に囲まれており、裏口からの脱出も、最早意味を無くしていた。

「お宅らちょいと仕事熱心過ぎじゃないの……っ! タイガー! ドラゴン!」

 ノアの方舟が輝き、クチナシ色の狼に次いで現れるは、2体の神獣。

 竜が魔女の娘を貫かんとするその凶刃の前に立ちはだかり、狼の背には未だ女将を失ったショックで錯乱しているのか、目に光を失ったクリスと、騎士に向かって何度も助けを請う叫びを上げる御主人を乗せて走る。

そして、自身は白い猛虎に飛び乗り、鋼鉄に支配された村を駆け抜ける。

《マスター! ラチが明かねぇ! 合身だ!》

 空想上の生物が現れた事に狼狽する兵に向かって顎を開いて吠え、威嚇による足止めをしていた竜が、主に叫ぶ。

 合身。それは神獣と神獣士がその身を1つにし、超常なる力を持ってあらゆる災厄を振り払う、神獣の真なる能力。

 その身はあらゆる攻撃から主の命を守る鎧、神獣鎧しんじゅうがいと、それぞれの鎧に付加される専用の武器となってこの世の災厄を振り払い、悪を斬り裂く、まさに神の代理者たるその力。

 コウがノアの方舟を手に、駆ける虎にまたがって神より与えられた力を行使する……!

「クリス! よく見ておけ! 神獣……合身ッ!!」

 神獣と神獣士を繋ぐ媒体が煌き、竜と神を名乗る青年、2つの影が1つとなり、1人の重騎士を生み出していく。

 まず目を惹くのは背中から伸びた巨大な翼だった。鳥の様な羽で覆われたそれとは違う、爬虫類を思わせる膜状の翼はまさに天空を暴虐的な力で支配する竜の証。

 頭部は防御の結界を発動させた、竜の横顔を象った紋章のサークレット。

 両肩には鱗の様に金属が張り合わされたそれが肩から外に伸び、先端には竜の爪が備わった肩当て。指先から手首までを保護したガントレットから、前腕を守るヴァンプレイス、肘当てのコーター、二の腕のアッパーカノンと、腕全体をその鎧達が保護している。

 胸部にはドラゴンの頭部が立体的に浮き出され、下半身も腰当てのフォールドと呼ばれる鎧。大腿部の鎧、キュイッス。膝当てのポレイン、膝当てのグリーブ、足にはソールレットと、全身が鱗柄の重圧な紅色の西洋鎧となった竜の重騎士が、そこにいた。

 猛虎に跨り、専用武器である長い柄の先に、竜の翼を模した斧と鋭い切っ先。竜の爪の様な鉤爪が斧の対極に取り付けられた、いわゆるポールウェポン。

 ハルバードの名称で名高い斧槍『ドラゴンブレイク』を振る。群がる全身鎧、ドラゴンの神獣鎧と同じ重厚なプレートメイルの兵をハルバードの刃ではなく、横腹で叩きのめしていく。

《オラオラ行くぜ! 行くぜ! 行くぜ! 俺ぁ最初からグランドフィナーレだぜぇっ!!》

「ドラゴン! 相手は人間だ! 絶対に殺さずにいくじぇ!」

 気合いが乗った竜の雄叫びに呼応するかの様に、ドラゴンブレイクで兵士の兜を叩き割り、更に反対の柄で対面の兵士の喉当て……ラッパーの名を持つそこを突いて呼吸困難を引き起こさせる。

「えと……コウ……さん……」

 最愛の義母ははを無くし、再び家を無くした少女の目に映るは、自分と同じ能力を持つとされる青年が、次々と敵をなぎ払い、道を作り上げていく姿。

 走る狼にしがみつき、溢れる涙の隙間から、確かにその後ろ姿は見えていた。

 自分にも、同じ力がある。何故それが使えないのか?

 何故それで、大好きな義母を守れなかったのか?

 そんな自問自答を繰り返すクリスの心は、気付かない内に再びあの時の様な暗い闇に飲まれていた。

「いたぞ!」

 またしても全身鎧の兵が彼女の下へと群がる。

彼等は決してクリスを逃がさない。悲しむ暇すら与えない。

 狼と虎が更に加速し、陣形がまだ整う前に跳躍、兵をかわしていく。

 しかし、あろうことか宿の主人がその拍子に、掴んでいた狼の毛から手がすり抜けてしまい、兵の山にすべり落ちてしまう。

「おやっさん!」

 コウが振り向くと同時に2体の神獣が肉球と爪に力を入れて、急ブレーキをかけながら反転していく。

「えと……! お、おじさん……!」

クリスが狼の背から落ちた宿屋の主人へと目を向ける。

兵が次々とのしかかる様に主人を捕えていく。両腕を掴まれ、頭を掴まれ、主人の頭に被せられたコック帽が地へと落ちていく。

「お前らの……お前らのせいだ……!」

 兵に捕まり、腕を背に地べたに這わされた主人が漏らす。

 それは、怨嗟えんさの呪文だった。

「魔女の娘め! やっぱりあの時女房を止めときゃよかった! お前らが来たせいで女房が死んだ! 苦労して手に入れた宿が燃やされた! あんたら助けてくれ! 俺は魔女の娘に全てを奪われたんだ! この悪魔どもを殺してくれぇ!」

 父となってくれるはずだった主人の悲痛の叫びが、未だ立ち直る事の出来ないでいたクリスの心を、抉る様に貫く。

 彼は女将と違い、魔女の娘に対しての嫌悪、恐怖を拭えなかった。

 女将の死が、彼の中に燻っていたどす黒い感情を爆発させてしまったのだった。

 ドクンッ!

 クリスの心臓が、鼓動が、それに呼応するかの様に脈動する。

《マスター! クリスちゃんがおかしいよ!》

《まさか…! いけません! マスター! 御主人を止めねば!》

《『主従逆転』しちまう!》

 兵を食い止め、クリスを逃がそうともがいていた獣達が必死に警告を訴える。

 胸を抑え、瞳孔が開く。高鳴る心音は激しい脈動を続け、クリスを苛む。

自分の中にある自分自身を否定する感情が、彼女の中にある何かを膨張させていく。

「クリス! おやっさん、やめるんだ!」

 怨恨と怒りに我を忘れ、クリスを責め続ける宿の主人を止めるべく、神獣・タイガーから飛び降りた瞬間だった。

 降りかかった試験管の様な小さなビン。それがコウの左肩に触れ、突如炸裂音と共に小規模の爆発が巻き起こり、竜の騎士を地に叩き落としてしまう。

「待っていたぞ、魔女の娘」

 遥か後方から、コウ達と対峙する宿の主人の前までの兵達の人混みが、まるで奴隷となった人々を乳と蜜の流れる地へと誘った預言者が割った紅海の様に、兵士達が左右に分かれる。

 割れた人の海から悠々と歩き現れたのは、美しい容姿の男だった。右顔面が紅の長髪に包まれ、ミステリアスな雰囲気を醸し出している。

 180センチメートルはあろう長身は、胸当てと肩のアーマー、ガントレット、グリーブと、他の兵に比べて比較的軽装に身を包まれていた。

 恐らく、彼が今回の魔女討伐軍の指揮官なのだろう。紅の瞳が、爆発によって倒されたコウを見下ろしていた。

「弱った神獣を狩るだけの燃えん任務だったが、まさか複数もの神獣を連れた者が現れるとは……随分燃えるものだな」

「……狙いは神獣……まさか、コアクリスタルか!?」

 地に伏したコウがハルバードを握り締め、足払いの要領で地を這う様に現れた男に振るうその直前、今度は背後から小さなビン……先程は赤い液体が入ったそれとは違い、黄色い液体のそれが、コウに降りかかる。

「な!? あがぁっ!!」

黄色い液体を浴びた途端、身体が動かない、動かせない……。

体内の電気信号が乱れに乱れ、さながら強い電流を流されたかの様に痺れ、麻痺を引き起こされる。

自分の身体が、まるで他人の身体になってしまったかのように、自由が利かない。

「シビレるくらい正解よぉ、神獣士の坊や。神獣の核であるコアクリスタルは、それだけでもシビレる程の超高密度のエネルギー結晶体。だから、こうしてエネルギーをたくさん、たぁくさん、シビレるくらいに集めているってわけよ」

 背後から現れるのは、ヴァルハラの様な妖艶な美女。戦場にいる格好とは思えぬ白いワンピースのドレスだが、スリットが太ももギリギリまで入ったそれ。

 女性にしては高い170センチメートルのモデル体型で、胸とおしりの膨らみは、男性を誘惑するには十分な魅力を持っていた。

 黄色に近い金髪は、コウの眼前にいる男と真逆の左半面を覆う金髪だが、後ろ髪は首までのショートヘア。真っ赤なルージュと口元のホクロが印象的な女性だ。

《マスター! グワァウッ!!》

 その女性が、女性と思えぬ怪力で、猛虎の神獣を素手で首を掴み、持ち上げてみせていた。

 元来、顕現した神獣・タイガーはアムールトラと変わらぬ体躯をしている。その為、体重は300キログラムはあるのにも関わらずだ。

「リトファー……まずはその虎型の神獣を燃えるくらい頂いておけ」

「ぐ……っ、お客さん……悪いが……そいつ等は……非売品でね……お売り……出来ないんですよ……あぁぁあっ!!」

 身体が麻痺し、身動きが出来ないながらも、軽口を叩いてみせるコウ。だが、所詮は口先だけ。男に腕を踏みつけられ、軽口が悲鳴へと変わる。

「フン、俺はそこの燃える様な神獣の苗床を収穫する。宿の主人よ、燃える程辛い目にあったのだな、もう燃える程大丈夫だ。魔女と悪魔は我々が燃える様に討ってみせよう! 村の者達よ! その燃える様を見届けるがいい!」

 男の言葉に湧き立つ兵士達。宿の主人は、解放され、逆に兵や野次馬に集まった村の者達から『悪魔に不幸に合わされたんだな』『もう大丈夫』等の言葉をかけられていた。

哀れな被害者として村の者達に認識された宿の主人と対極的に、同じく村々からクリスへと向けられる『殺せ』のオーケストラ。

彼女の力の真実も、その胸の中にある悲しみも知らない人々にとって、この最悪の事態を生み出したのは全てクリスという幼い少女のせいにする事で、村が一致団結したのだ。

 次々と飛び交う罵声が、最早崩壊寸前の幼い精神を破滅の向こうへと追い詰める。

 止まらない。心臓の早鐘が、乱れた呼吸が、人々の……容赦ない責め苦が、止まらない

ドクンッ!

「くたばれ! 魔女の娘め!」

ドクンッ!

「邪悪な悪魔の使いは死んでしまえ!」

ドクンッ!

「やめろ……! やめろおま〜ら!!」

ドクンッ!

《『主従逆転』が……起こってしま……ガァアウッ!!》

ドクンッ!

《や、やめてよ……! みんなやめてよぉ!》

ドクンッ!

「お前は生きてちゃいけないんだよ!」

ドクンッ! ドクンッ! ドクンッ! ドクンッ! ドクンッ!

「いや……! だ……ダメ……出て来ちゃ……ダメェェェェェェェッ!!」

 崩壊する。追い詰められた精神が、まるで崖から突き落とされたかの様に、暗い……昏い暗黒の中へと沈んでいく。底の見えない闇……奈落の穴。

 闇から生まれた手が、落ちゆくクリスを捉え、包み、闇の住人へと仕立て上げる。

 神獣・ウルフが、クリスから生まれた黒い輝きに吹き飛ばされる。

 闇が伸びる。それは巨大になって。

 闇が伸びる。それは無数の巨大な緑の茨の触手となって。

 闇が伸びる。それは巨大な一輪の真っ黒な薔薇の花弁となって。

 闇が伸びる……。黒く美しい薔薇の花の中央に、かつて魔女の娘と呼ばれた少女を取り込んで。

——————————!!

 人の発する声でも、虫の羽音ですらない超高音……超音波の様な悲鳴……魔女の娘の悲しみが響き渡る。

 現れたのは、巨大な……巨大な薔薇の怪物だった。20メートルはあろう巨体、無数の茨の蔓で構成された身体に、薔薇の頭。その中央部に、石膏せっこうで作られた彫刻の様に白い、クリスだったはずの少女が肢体が薔薇の怪物と同化し、上半身と頭部のみを残して見えていた。

 彼女の額には、神獣の核たる結晶体……コアクリスタルが埋め込まれていた。

それは、まさに魔女に相応しい異形でしかなかった。

「つ、遂に魔女の娘が正体を現したぞ!」

「に、逃げろ!」

 現れた異形の存在に、野次馬に集まった村の者達や、王宮騎士団の兵士達が蜘蛛の子を散らす様に逃げ惑う。

 だが、薔薇の怪物から伸びる大量の蔓がそれを次々に捕らえ、吊るし上げ、そして……。

「助けてくれ! た、助け……て……」

 養分を体液と共に吸い上げ、次々と干からびたミイラの様に、その命を貪り始めてしまった。

「『主従逆転』……してしまったのか……クリス……!」

 ようやく麻痺から解放されたコウが立ち上がり、左肩を抑えながら呟く。

 『主従逆転』

 元来、神獣との契約は主従の契約。

 主となる者に神獣が忠誠を誓う事により成り立つ絆の関係だが、神獣が主を主として認めなくなった時、それはただのエサとしかみなされなくなる。

 神獣が選んだ者が神獣士となるはずが、その神獣との絆が消え、主への忠誠が消えた時、神獣は主の精神力を根こそぎ喰らい、暴走する。

 それこそが、主従逆転……クリスが怪物と化した正体である。

「ふふふ……さあ、シビレるくらいたんと食べて、エネルギーを溜め込みなさい」

 暴走した薔薇の怪物を見上げ、リトファーと呼ばれた妖艶な美女が呟く。

「その前に、いい加減ウチの子返してもらうじぇ! おっぱいFの75の姉ちゃん!」

 ハルバード・ドラゴンブレイクの刃が、リトファーをすくい上げるかの様に襲いかかる。

 それに気付いたか、流石に巨体のタイガーを抱えたまま回避は行えず、その手を離してバックステップ。

 リトファーによって掴まれていた猛虎の神獣も、この時にようやく解放される。

《ぐ……っ! も、申し訳ありません、マスター》

《お前等は一旦ノアの方舟に戻ってろ! コイツ等は俺とマスターがぎっちょんぎっちょんにしてやるぜ!》

《うん! マスター気をつけて!》

 消耗した精神力とダメージ回復の為、鎧となった火竜の言葉に頷いてタイガーとウルフの身体が半透明となって消滅する。

「……なんで私のサイズ知ってるのよ……シビレないエロガキね」

 こんな状況でもサイズを当てられたリトファーが呆れた口調で話すのも聞かず、竜の翼をはためかせて浮上を始めるコウ。

 神獣鎧・ドラゴンメイルは、コウの持つ神獣達の中でも数少ない飛行能力を有している。

 一刻も早くクリスの暴走を止めようと飛び立とうとするが、襲いかかるのは新たな赤い液体……最初にコウを吹き飛ばしたあの爆発物だ。

 咄嗟とっさに身体を拗らせてそれを回避するが、次に飛んで来たのは……巨大な、2メートル程の甲羅を手にした怪人。

 手に持つそれをハンマーの代わりにして、コウを殴りつけて再び地に落とす。

「がっ!」

 倒れる寸前、片手で側転し、落下によるダメージを回避しつつ体勢を整えるコウ。

「神獣を逃がすとは、燃えんなリトファー」

「何よ、ラドフこそもっと早くフォローしなさいよ、シビレないわね」

 ラドフ……先程までいた美形の男性と同じく、右反面を覆う怪人に文句を言うリトファー。

「おま〜ら……ディス・モンスターだったのか……?」

「あははは! ほんっとシビレないわね、坊や。私達は亀人族、れっきとしたヒトよ」

 リトファーもまた、ラドフと同じ姿へと変貌を遂げていく。

 緑色の肌、瞳は人間らしい丸みを帯びたそれとは違う、楕円形の眼。立体的に尖った口、鋭い爪と指の間に伸びた水かき。

 亀と人が融合したかの様な2人は、背負うべき2メートル程の甲羅を左手に持って、盾としていた。

 亀人族。

 あらゆる異世界の中には、ホモサピエンスたる人間ではない、別の生命体が生き物の頂点に立ち、進化を遂げた世界もある。

 彼等はまさにその典型で、淡水棲の亀が人の形に進化した種族なのだ。

一瞬だけ、後方に視線を移す。

 前門の亀人族。後門の暴れまわる主従逆転のクリス。

 どちらも早急に解決しなければ、村の人も王宮騎士団も、暴走したクリスによって壊滅してしまう。

「異世界に住むおま〜らが騎士団に入り込んだのも、この為か……!」

「そうだ……燃えるエサは多い方が、より高純度の燃える結晶体となり、様々な燃える様な兵器開発へ転用出来るからな!」

 投げられる爆発ビン。その威力は、先程の一撃で折り紙つきだ。

 コウはそれを避けるでもなく、大地を踏みしめ、むしろラドフとリトファーに向かい、突進する。

 ドラゴンブレイクを突き出し、突進から跳躍、跳躍から低空の飛行、低空の飛行からその身に炎を纏い、炎が竜の姿となって亀人族へと襲いかかる!

「フレアッ! ドラゴンッ!!」

 炎の竜を纏い、ドラゴンブレイクを突き出しての体当たり技、フレアドラゴン。

 触れる者を突き刺し、または斬り裂きながら、灼熱の業火へと誘うそれを放つ。

 だが、ラドフとリトファーはそうならなかった。

 硬質な金属同士がぶつかる甲高い音が響くと、技が解除されて無防備にも空中に浮かぶコウに、黄色い液体の入ったビンが眼前に迫る。

「硬過ぎだろ……! その甲羅……しまっ!! がぁっ!」

 神獣・ドラゴンの特徴は、コウの使役する神獣の中で、『最も安定した高火力』と『高い防御力』にある。

 しかし、その弊害か専用武器の性質か、通常の攻撃も技も、全てモーションが大きく、こうして隙が生まれやすい。

 そこを突かれ、麻痺薬を全身にこれでもかと浴びてしまうコウ。

 大空を飛び交う火竜も、翼を動かす事が出来ずに地に堕ちてしまっては、最早為す術もない。

「俺の燃える炎の薬品と同じ属性の神獣だったのが、貴様の燃えん敗因だったな」

「がはぁっ!」

 地面に叩きつけられ、そのまま腹部を幾重にも踏みつけられ、鮮血を吐き出す。

 2人の亀人間に見下され、伸びたラドフの手がドラゴンの額のコアクリスタルを掴む。

《てめっ! やめろ! 汚ねぇ手で触んじゃねぇっ!》

 ミシミシと嫌な音が鎧から響くが、抵抗する為の手足すら動かない。

 コアクリスタルの破壊、及び強奪はそのまま神獣の死を意味する。

 無論、胸元に剥き出しとなっている弱点は、幾重にも強固な守備方陣が重ねられ、そう簡単には破壊は出来ない構造ではある。

 だが、こうして無理矢理引き剥がされては、守護方陣があろうと防ぐ事が出来ない。

 コアクリスタルのダメージからか。ドラゴンメイルにノイズが走り、時折鎧が消えてデニムシャツ姿に戻るのも見え、顕現化が維持出来なくなりつつあるのを示していた。

 このままでは、神獣・ドラゴンは奪われ、死に、消滅してしまう。

 ……その時だった。

《ほっほっほっ、なぁに、させはせんぞい!》

「なに!?」

 それを阻止するべく新たにノアの方舟から飛び出すは、ドラゴンと並ぶ巨体とパワーの持ち主、神獣・ベア。

 巨体を活かした体当たりをラドフに不意打ちで放ち、その勢いで掌底打をリトファーに放つ。

 完全な奇襲はラドフを吹き飛ばし、民家の壁すらも突き破り、ラドフが崩れる。

「ぐぅっ!」

「ちょっと! まだ神獣がいたの!? こんなシビレるの聞いてな……っ!」

《ほっほっほっ、ワシの力強さにお主も泣いちゃったのかのう? ほれ》

 とっさに掌底打を甲羅の盾で防ぐも、言い終わる前に神獣・ベアによって足を掴まれ、逆さ吊りにされてしまうリトファー。

《あら失礼。ちょっと身体検査させて頂きますわ、女同士だから、よろしいですわよね? 答えは聞いておりませんので悪しからず》

 いつの間にリトファーの足に留まっていたのか、今度は神獣・ホークがその自慢のくちばしで身体をつつき始める。

 リトファーは片手は盾、もう片手はめくれそうなスカートを掴んでいるせいか、腕を使った抵抗が出来ない。

「やっ! 何を!? ど、どこ触ってんのよ!」

 突つかれまくって、身体をよじらせてささやかな抵抗をするが、お構いなしに何かを探すホーク。

 それは、すぐに見つかった。

《ありましたわ! 麻痺薬の解毒剤! マスター!》

 嘴から放り投げられる、青い液体入りのビン。それこそが解毒剤だ。

 解毒剤を頭から被ったコウ。

 相手にぶつけて、効力を発揮するタイプの麻痺薬だ。同様に、解毒剤も掛けることで回復すると踏んだが、どうやら正解の様だった。

 徐々に手足の感覚が戻り、四肢に力が取り戻される。

「……よくやったおま〜ら! ただ、出来れば人間態でその逆さ吊りやってくれたら、もっと良かったんだけどな。Fの75のねーちゃん」

「だからブラのサイズで呼ぶな! シビレないエロガキ!」

 コウが立ち上がり、同時に現れるのは主の精神力を補充し、ダメージを回復させた狼と虎。

コウの中に眠る膨大な精神力によって傷も癒えた彼等も、再び亀人へと挑むべく爪と牙を剥き出しに、臨戦態勢だ。

《へっへーん! どんくさい亀のくせに! 今度は、僕に喰われてみる!?》

《さあ、満を時して我々5神獣が降臨したのです、ここからは私達がお相手致します! マスターはクリスさんを!》

 気合い十分と言わんばかりに吠える白き虎に、コウも頷く。

忠臣たる彼等もまた、これまで幾度となくコウを救った歴戦の戦士だ。

例え合身をしていなくとも、コウの大きな戦力だ。

「分かった、おま〜ら任せたじぇ! いくじぇドラゴン!」

 しもべ達の奮闘を無駄にするまいと、竜の翼をはためかせて飛翔するコウ。

 その勢いは凄まじく、周囲に強烈な風を巻き起こしながら一気に上昇。Gを身体に浴びながらも、構わずに悲劇より生まれた魔女の娘へと飛び立って行った。

「貴様ら……狩られる身でありながら、我等に挑むとは……燃える程愚かだな……」

 ガラガラと音を立てながら、崩れた民家の壁を乗り越えるラドフ。

鎧と貴人族特有の甲羅の盾に守られていたとはいえ、いささかのダメージは受けていたようだった。

《あら、それはどうかしら? 少々わたくし達を侮ってらっしゃるんじゃないありませんこと?》

《ほっほっほっ、では、ちぃとこの若造どもに、ワシ等の実力を拝ませてやろうかの?》

 掴んだリトファーをラドフのいる方角に放り投げるベア。

 投げられたリトファーも、空中で体勢を立て直して着地する辺り、実力の高さがうかがい知れる。

「ラドフ、こいつ等シビレるくらい許せないわ……この私にこんな恥をかかせた事……シビレるくらい後悔させてやるわ!」

 猛虎、狼、鷹、熊が咆哮する。

 それが、開戦の合図となり、両陣営が一斉に駆け出す。

 地上での第二ラウンドが、今始まった。


★★★★★


「た、助けてくれ! 誰か……!」

 無数の茨の蔓に捕らえられた中年に差し掛かる兵士がもがく。

 目の前で仲間が、村の者が、体内の栄養と水分をこの茨に吸い尽くされて干からび、そして落とされていく姿を見た。

 もうすぐ自分もそうなるのかと思うと、恐怖に心が壊れそうになる。

身体に巻きつく蔓がギリギリと音を立て、鎧の中に侵食してくる。

 走馬灯の様に、過去が蘇る。

 こんな事なら、もっと妻と子供の為に時間を作れば良かった。

 湧き上がるのは後悔する様な事ばかり。

 人は、時として後悔に苛まれながら生きている。あの時こうすれば良かった。もっとああしたら良かった。真にそれに気付くのは、こうして死に直面した時だ。

 兵士もまた、後悔の中で、その生を終わらせようとしていた……神に一縷いちるの望みを託しながら。

「神よ……私に救いを……!」

「はいはい! 出前迅速落書き無用、ご注文の神様登場ですよっと! いくじぇ! ドラゴニックゥ……! ヴォルケィィイノッ!!」

 ハルバードに宿された火炎。燃え盛るポールウェポンを咆哮と共に、力の限り投擲するコウ。

 灼熱の業火を宿すハルバードは、まるで暴れ回る竜の暴君の如く人を、家畜を、野良犬や野良猫までをも捕らえて貪ろうとする茨を次々に焼き斬り、燃やしていく。

 生を諦めかけた兵士もまた、業火の斧によって切り離され、命を繋ぐ事が出来た。

「だりゃあぁぁぁっ!! バァァァニングゥゥッ!! ブレイカァァアアァッ!!」

 ブーメランの様に戻って来たハルバードを手に、今度は超高熱化によって紅に変色した刃で無数の蔓を焼き斬っていく。

バーニングブレイカーは刃に付加した熱によって対象を溶かし、斬り、叩きのめす超高熱の荒技だ。

「やっぱり……プラントタイプは、総じて炎に弱いと言う噂は本当だったな……」

 連続した技の発動からか、息を荒くして呟くコウ。

いくらワン・オブ・ミリオンといえど、5体の神獣を同時顕現化した上でこれだけの大技を連続使用すれば、精神力も、それを補う身体エネルギーも消費が激しかった。

《だったら俺の独壇場だぜ! それはそうと、マスター、クリスの嬢ちゃんをどう助けるつもりだ?》

 ドラゴンの言う事も最もだった。

 これまで、クリスには様々な不幸、虐待、暴力等が襲い、精神が崩壊して今回の暴走へと繋がった。

 極めつけは最愛の母の死と、父となるべき人間の敵意が引き金となっている。簡単には彼女の精神を救えないだろう。

極めつけは、この大暴れする暴走形態による茨の触手だ。いくら火の属性を持つドラゴンとの相性が良いとはいえ、あの巨体を沈黙させるには少々骨が折れる。

「それはな……これを使うんだよ」

 そう言って、コウが取り出すのは愛用のスマートフォン、ノアの方舟。

 媒体から放たれる粒子の輝きを、ドラゴンは嫌と言う程知っていた。

《まさか……そりゃディストーションか!?》

「御名答、こいつは偽物の俺を生み出した、あのディストーションだじぇ」

 スヴェトラーノフ公国事件で現れた、ノアの方舟に取り憑き生まれたもう1人のコウ。

 彼の遺体とも言うべきディストーションが、今回の鍵となると言うのだ。

 《よくヴァルハラ様が持ち出し認めたな……》

「そりゃそうさ、報告書に総量誤魔化して書かいたからな」

 しれっと回収したディストーションをくすねていたのを白状するコウ。

しかも、その雰囲気から全く悪びれた様子もない。

《はぁ!? なんでまた……》

「今回の一件、もしかしたら神獣が弱り過ぎて消滅するかもって思ってね。まさかこんな使い方をするとは思わなかった……じぇっ!」

また新たに伸びた茨の触手を、回転しながら右手一本で持ったハルバードで遠心力を加味した一撃で叩き伏せる。

《俺ぁ知らねーからな、後でキッツイお仕置きされても》

 あのヴァルハラの事だ。恐らく主がディストーションをちょろまかしているのも、分かった上でこの世界に送り出したのだろう。

 ドラゴンはそう自己の中で完結した。

 その横領犯のコウは、飛来する茨の蔓を空中で回避し逆に叩き斬ると、更に高度を上げて薔薇の花弁……見るものを哀しみに導く様な、絶望に染められた表情のクリスの彫刻へと辿り着く。

「クリス……今助けてやるじぇ。

ディストーション! 俺とクリスの精神をリンクしろっ! んでもってクリスの心に安らぎを!」

 コウの願いに反応を示したのか、クリスの彫刻とコウの間に粒子が舞い、強い煌めきが2人を包み込み、2人の精神が、2つの糸を結ぶかの様に繋がっていく。

「いけぇ! 奥義! ディストーション御都合主義アタァァック!!」

 悲しみの連鎖を止めるべく、神は少女の中へと飛び立った。


★★★★★


——————————考えたくなかった。

——————————辛い事を全部、忘れたかった。

——————————このままでいたら、もう酷い目に合わずに済む。

——————————だって。

——————————私のせいで。

——————————おばさんは殺されたんだから。

 黒だった。

 彼女を捕らえた茨の檻も、包み込む葉のベッドの色も、黒に染め上がっていた。

 背景も黒。床も黒。

 それこそが、クリスティーナ・ローズマリー・ドラグマンの精神だった。

 考える事を、生きる事を放棄した彼女は、こうしてただ神獣に貪られ、死を待つのみだ。

 幼い少女は、12歳にして絶望していた。

「やれやれ……眠りの森の美女ならぬ、眠りの薔薇の幼女か」

 絶望に彩られた世界にそぐわぬ、軽い口調が響き渡る。

 現れたのは、デニムシャツ姿のコウ。

 神獣は連れず、単身でクリスの深層心理の中へと乗り込んで来たのだ。

「えと……コウ……さん……」

 現れた人物の名をポツリと呟く。

 ただ、それだけ。声にも感情はなく、無気力にも横たわったままのクリスは、今も茨にその存在を蝕まれている。

「クリス、気をしっかり持て」

 コウの問いかけに、クリスは反応すら見せない。

「……絶望するには、まだ早いじぇ。おま〜の為に、スペシャルゲストを呼んでるからな」

 パチンッと指を鳴らす。

 鳴らされた音が反響し、周囲に幾重にもこだますると、闇の中からわずかな光がポツリ、ポツリと現れる。

 光が集まる。集まった光が形を成す。形を成した光が、人を象る。

光は……1人のふくよかな女性へと、変貌した。

 それは、クリスのよく知る……いや、クリスの愛する人だった。

「クリス……心配させないでおくれよ」

「おば……さん……!?」

 死んだはずの女将が、そこにいる。確かに、そこに存在していた。

これが一体どんな奇跡なのか、クリスには理解できない。だが、そんな事はどうでもよかった。

「今まで辛かったね……あんたはよく頑張ったよ……村のいじめにずっと耐えて来たんだ……でもね、ここで負けちゃったら、それはあんたって存在を、あんた自身で否定するのと一緒さ」

 女将が歩む、最愛の娘の元へ。

「クリスを、クリスが否定しないでおくれ。そんな事したら、クリスが何より大事なあたしが辛いよ。そこにいるコウさんだってそうさ。

クリスは、もう独りじゃないんだから」

 茨の檻を握り締め、手を伸ばす。

「クリス……あんたは強い、村にいる誰よりも強い。それは、弱い人間を知っているから。だから、誰よりも強いのさ」

 届いた手が、最愛の娘の頭を撫でる。

「戦いな、村のいじめと、負けそうな自分自身と。あんたにはあたしがいる。コウさんがいる。頼っていい人が、クリスにもいるのさ。だから、安心して戦いな! あたしが天国で自慢出来るように、自分の未来を閉ざさない為に!」

「おば……さん……! うん……うん……!」

 女将の言葉が、力強さが、闇を崩していく。

 涙を流し、何度も頷くクリスに同調し、闇が晴れ、晴れ渡る美しき薔薇の庭園へと姿を変えていく。

 そして、遂に漆黒の薔薇の檻が崩れ去り、娘は母に飛びつき、泣きながら抱きしめる。

「クリス……負けんじゃないよ」

 可愛い我が子を抱きしめる女将の身体が淡い光を放ち始める。別れの時間が訪れたのを示しているのだ。

  泣きじゃくる娘を抱擁する、母の優しさ。もう独りじゃない、だから戦える。それが、クリスの手にした新たな力。

  女将を包む光が、再び粒子となって、少しずつ、少しずつ女将を溶かしていく。

「……えと……ありが……とう……。えと……ありがとう……! 『ママ』……!」

 ずっと言いたかった、でも、永遠に言えなくなったそれ。

『ママ』

 娘が初めて言ってくれた『ママ』

 言えなかった、聞けなかった。死が分かつ永遠の中に起きた奇跡。

 その奇跡に、女将の瞳から熱いものが込み上げる。

「あたしこそ、ありがとう……娘になってくれて。さあ、行ってきな!」

 クリスの背中を叩き、彼女を彼女の戦いの舞台へと送り出す。

 その先に立つのは、小さな……しかし、彼女達にとって大きな奇跡を生み出した神が待っていた。

「行こうじぇ、クリス」

 伸ばされた手を取り、力強く頷くクリス。

「……うん……!」

彼女は、自分自身に打ち勝った。

 もう迷わない、その強い決意がある限り。

 もう負けはしない。母が心にいる限り。

 立ち止まった少女は、今再び駆け出した。

「ありがとう……コウさん……後は、頼んだよ」

 ぽつりと呟く言葉を残して、光の泡となって消えゆく女将。

 その表情は、幸せに満ちた微笑みだった。


★★★★★


《ギャインッ!!》

 爆炎が轟く。

 猛る炎が爆ぜ、ウルフが崩れ落ちる。

 次々と地に伏せる獣達。身体のあちこちがダメージによりノイズが走り、一部が消滅しかかって半透明にすらなっている。

「随分シビレるくらい、手こずらせてくれたじゃない」

 乱れた前髪をかき上げながら、リトファーが新たな薬品を取り出す。神獣達は、主と合身しなければ、獣本来の能力程度しか発揮出来ない。

 だが、それでも長い時間渡り合えたのは、獣にはない知性。

 人間が自然の摂理の頂点に君臨した最大の要因たる、戦術を用いたからだ。

 虎と狼がかく乱し、隙を突いて鷹の上空からの攻撃や、熊の強力な一撃が飛んでくる。

 互いに連携を取り、ラドフとリトファーを相手に勇敢に立ち向かった。

 だが、彼等の持つ甲羅の防御力を打ち破るには至らず、徐々に追い詰められ、今に至っていた。

「所詮は燃えん獣だったわけだな……貴様等のコアクリスタルを頂くぞ」

「さっさとあっちのシビレる薔薇の化け物のコアクリスタルも、収穫しないとね」

 2人の会話に、倒れながらも口角を吊り上げて牙を見せる神獣・タイガー。

《残念ながら、それはもう無理の様ですね》

「何?」

 タイガーの不敵な様子に眉をひそめるラドフ。

 答えは、すぐに現れた。

「ラドフ! シビレる薔薇の化け物が!」

 リトファーが水かきのついた指を差す。

 指が示す先……それは、ノイズが走り、光となって収縮していく薔薇の化け物の姿。太い蔓は消滅し、花弁は風に舞って消え去り、跡に舞い降りるは、かつて魔女の娘と虐げられた少女と神の姿。

 その瞳には力強さが宿り、もうあの弱々しい雰囲気は消え去っていた。

戦う。強い意志を心に込めた時、呼応するかの様に、彼女の脳内に直接語りかけてくる声が聞こえる。

——————————。

「汝……えと……神に……えと……成り代わり……えと……世界を……守る……えと……戦士と……えと……成る……?」

 これまで、ずっと聞こえなかった神獣の声。

 神獣は問う、少女が自身の主に相応しい者か? その決意が、本物の意思であるか?

「えと……私……戦う……! えと……もう……負けない為に……えと……私みたいな人を……えと……増やさない為に……!」

「まさか……! 娘……貴様……!」

 ラドフが狼狽うろたえる。

 少女の決意が、首元の薔薇の刻印を消し、彼女の左の人差し指に、薔薇を象られた指輪が現れた事に。

 それこそが、彼女が神獣と真に契約を果たした証。

「待たせたな、おま〜ら」

《うむ、お嬢ちゃんも、良い顔になったのぅ、ほっほっほっ》

 コウは、ニヤリと神獣に笑って見せると、傍らに立つ少女の肩を叩く。

「さあて、クリス。まずはそこの、派手に暴れてくれた亀さん達に、おしりペンペンしてやろうじぇ!」

 コウの言葉に頷くクリス。

「えと……うん……! えと……行こう……えと……神獣・ローズ……! えと……! 神獣……! 合身……!」

 見よ、人よ。見よ、全ての生命よ。今、人々に恐れられた魔女の娘が、新たな神獣士……美しき薔薇の乙女となって、小さな蕾を花開かせた……。

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