8.白雪
あぁ、どうしよう。緊張が最大ピーク。告白した時と同じ位、心臓がバクバクしている。期待と不安が入り乱れた気持ちのまま、凰士との温泉旅行の日が来てしまった。
「ピンポーン。」
朝八時四十五分、家のチャイムが鳴る。
あぁ、時間前に来るのが凰士らしい。
「はぁい。」
私が返事をするより早く、バタバタと走る足音。お母さんでもお父さんでもないだろう。絶対に一番煩いヤツだ。私も負けじと玄関に走り出した。
「おはよう。」
リビングを出たところで、玄関先に立っているヤツが一人。言わずと知れた吹雪だ。
「おはよう、凰士。」
背中しか見えないが、絶対に意味深なにやけ顔をしているに決まっている。
「おはよう。行こう、凰士。」
荷物を左手に持ち、右手で凰士の腕を掴んだ。
吹雪の煩い鳴き声が始まる前に、ここを脱出したい。
「ちょっと待った。」
吹雪が私のバッグを握った。せっかくのチャンスだったのに…。
「何よ。」
こうなったら開き直るしかないらしい。
凰士は苦笑を零しているだけ。当てには出来ない。まぁ、元々当てにはしてないけど。
「何処に行くんだ?」
「遊びに行くのよ。」
「何処に?」
小舅か?そう突っ込みたいのを飲み込む。
「別に吹雪には関係ないでしょう。ねっ、凰士。」
邪魔者になり得る人物には、余計な情報を与えてはいけない。これ、教訓なり。
「凰士くんと旅行に行くんだって。」
お母さんがわざわざ奥から出て来て、余分な一言。
「ふぅん。」
吹雪が意味深な呟き。絶対にごちゃごちゃ言われるんだろうな。
「で、母さんは泊まりで男と旅行に行く白雪を心配しないわけ?このまま行かせちゃうのか?」
「凰士くんだから。」
「嫁入り前の娘が男と旅行に行くのを止めるのが、普通の親だろう。あくまで普通だけど。まぁ、白雪が嫁に行けるのかという問題もあるけど。」
「あら、吹雪は白雪が凰士くんと付き合うのに反対なの?」
「そういう問題じゃなくて……。」
吹雪が言葉を濁す。さすが、お母さん。
「凰士くん以外の男なら俺が止める。でも、彼なら安心して任せられる。」
気付いてみれば、お父さんまで玄関先に出て来て、家族全員がここに集合。
「そうよねぇ。」
お母さんまでもお父さんの意見に賛成らしい。お父さんを見上げ、笑顔だ。
「はい、お任せください。」
凰士も笑顔で、両親に頷いている。
何なの?この状況。ただ一泊旅行に行くだけでこの騒ぎ、おかしいわよね?
「必ず、満足させてみせます。」
へ?その返事は何?
唖然とする私を尻目に、吹雪がお腹を抱え笑い出す。両親も笑いを堪えたのが一瞬だけの事。吹雪と共に三人の笑い声が響いた。
「お、凰士。が、頑張れよ。応援しているからな。あぁ、おかしい。」
凰士は自分がおかしな事を口にしたとわかっていないらしく、首を捻っている。
「と、とにかく、行くわよ。」
凰士の右手を握り、脱出する事にする。このままここにいたら、どんな騒ぎになるかわからない。
いや、わかりたくもない。
「あっ、そうだ。凰士、これ。」
吹雪がスーパーの紙袋に入った物を凰士に差し出した。
「足りなかったら、途中で買ってくれ。」
神妙な顔、いや、目元はにやけているが、凰士の手にしっかり握らせた。
「頑張ってね、二人とも。」
「子供はまだ早いぞ。」
そう余分な両親の見送りの言葉を貰いつつ、やっとの思いで脱出成功。
一気に疲れが出て、車の中で大きな溜息。
「俺、おかしな事を言ったかな?」
「言いました。」
「何を?」
「『必ず満足させてみせます』って、明らかにおかしいでしょう。そういう時は普通、必ず幸せにしますとか、そういうモノじゃない?」
「それはそうかもしれないけど、この旅行の目的に沿っているのは、満足って言葉だと思うんだけど。あっ。」
バカだ。いや、知っているが、知り尽くしているが、やっぱりバカだった。再確認。
「いや、そうじゃなくて。白雪を幸せにするのは、絶対条件で。でも、今回の旅行は幸せな満足感を与えるというか。あぁ、そうじゃなくて……。」
「もういいわよ。」
頭を抱える以外に方法があるのだろうか?
つまりはヤル気満々。
私もそのつもりで来たんだけど、こうも見え見えってどうなの?
でも、仕方がないのかな?付き合い出して、三か月。いや四か月近く、お預け状態。お邪魔虫が現れては、良い雰囲気をぶち壊していく。それを打破するための旅行なのかな?
「あの、白雪。」
「うん?」
「おかしな会話になってしまったけど、誤解して欲しくないんだ。あの、俺、白雪の身体だけが目的じゃないんだ。あっ、もちろん、それも欲しいけど。あぁ、そうじゃなくて、つまり、もっと白雪を知りたいし、もっと近付きたい。だから、そう、俺は白雪の全てを愛したいんだ。わかってもらえるだろうか?」
耳まで赤く染め、不安げな瞳を向けてくる。
「わかっているわ。自惚れに聞こえるかもしれないけど、凰士が私を愛してくれているの、いつも感じているよ。だから、安心して。」
「白雪…。」
「ずっとずっと私だけを愛してね。」
「もちろんだよ、約束する。白雪も俺の事、ずっと愛してくれる?」
「努力して、みる。」
凰士みたいに素直に返事が出来たら、もっと可愛げのある女なんだろうな。
でも、照れ臭くて、つい…。
「俺も。」
凰士が嬉しそうに笑い、私の右手を握り締めた。そっと私も握り返す。
あぁ、幸せって、こんな時間なのかしら?
ホテルに辿り着いたのは、午後五時。色々寄り道をしていたら、遅くなってしまった。
「いらっしゃいませ。」
カウンター越しに蝶ネクタイをした男性が笑顔を見せる。
「予約しておいた白馬と申します。」
「お待ちしておりました。六〇八号室になります。あと、お連れ様からご伝言をお預かりしております。」
「お連れ様?」
二人の声が綺麗に重なる。
私、この場所に来る事は誰にもしゃべってないわよ。って事は凰士が?
顔を見上げると、本気で驚いている。
「はい、こちらです。」
ホテルの名前入りの白い封筒を差し出された。凰士が受け取り、裏も見るが差出人の名前はない。
「お部屋にご案内させていただきます。」
鍵を受け取った私達は大きな荷物もないので、自分達だけで部屋に向かった。
エレベーターで六階に上がり、六〇八号室へ。二部屋あり、一つはリビングとして使用すると思われる部屋。もう一つは寝室。キングサイズのベッドが真ん中に一つ。窓際に小さなテーブルと椅子があるだけ。
今日、ここで、凰士と二人きりの夜。なんて、ちょっと緊張と感動を噛み締めたいのに、先ほどの手紙が頭の片隅で懸命に警鐘を鳴らしている。
「誰かにここに来る事をしゃべった?」
「誰にも。」
「私も。じゃあ、お連れ様って、誰?」
「とにかく見てみよう。」
「うん。」
リビングの三人掛けのソファーに座り、凰士が封を開ける。封筒と同じホテルの名前入りの便せんが一枚。達筆といっても良い綺麗な字で書かれていた。
『やっと到着したね。さて、俺は誰でしょう?なんて言ってもすぐにわかるかな?
美王と美姫です。俺達も骨休めのために、温泉に来ています。ちなみに隣の六〇七号室。
夕食くらい一緒にどうかと思ってね。
十八時にロビーで。遅刻厳禁。
ちなみに俺の奢りだから、安心してきてください。』
二人同時に溜息を零した。
「どうして、美王と美姫が来ているの?」
「俺が知りたいくらい。」
「それも隣の部屋って。」
「あぁ、ここまで来て、邪魔者かぁ。」
「本当に。」
本気で頭を抱えるしかない。
「ピンポーン。」
「もしかして?」
「もしかしても、じゃないか?」
二人で立ち上がり、廊下に面したドアまで歩く。凰士が静かにドアを開けた。
「よっ、白雪、凰士くん。」
美人と沙菜恵が片手を挙げ、笑っている。その後ろには吹雪と道路くんの姿も。
「ど、どうして、四人がいるの?」
「尾行してきた。」
平然と吹雪が言い放つ。
あぁ、計画的犯行の匂い。もしかして、吹雪、最初からこの旅行の事を知っていた?
凰士を見上げると、口をパクパクさせている。
「怪しいと思ったのよ。この二、三日、二人とも落ち着きがないというか、浮足立っているから。吹雪くんと連絡を取って、怪しい行動があったら知らせてって。そうしたら、ビンゴ。凄く尾行が大変だったんだからね。寄り道し過ぎよ。」
「何度見失いそうになったか。」
見失ってくれて構わないのに。
「何しに来たの?」
「骨休め。」
「で、泊まる場所は?」
四人が視線を合わせ、小さく頷く。
「もう部屋を取ってあるからご心配なく。」
「もちろん、男女別々よ。安心してね。」
何を安心しろって言うのよ。私達には一切関係ないでしょう。
「まぁ、こっちの三人は良いとしても、どうして道路くんまでちゃっかり混ざっているの?ニューメンバーなの?」
「そうよ。人数が多い方が楽しいじゃない。」
「あぁ、そうですか。」
溜息しか零れないとは、この事かもしれない。美王と美姫の他にも邪魔者が登場するとは、何事だ?
「ねぇ、夕食、何処で食べようか?」
「お腹すいたね。」
「残念でした。私達、先約があるの。」
「先約?二人だけじゃないの?」
「ところが、お邪魔虫は何処にでも出没するらしいわ。隣の部屋に凰士の従兄妹がいるのよ。何故か、私達より早く到着してね。」
「凰士くんの従兄妹?」
目を輝かせたのは、美人。再び玉の輿狙いですか?
「美人さん、男とは限らないですよ。どちらかというと女の可能性が。」
「あぁ、凰士くん狙いの?」
「間違っていないけど、男女よ。」
「やっぱり。」
嬉しそうな顔の吹雪。
何を考えている?何を?まぁ、聞かずともわかるが…。
「凰士、紹介して。凰士の従兄妹なら絶対に可愛いに決まっている。」
やっぱり。
「賑やかだな。」
噂をすれば、隣の部屋のドアが開いた。いや、単なる煩さに耐え兼ねてだろうが。
「よっ、白雪、凰士。間に合ったな。」
「本当にぎりぎりね。」
美王と美姫が顔を覗かせた。
「可愛いぃ。」
「素敵ぃ。」
吹雪と美人の顔がだらしなく歪む。顔には出さないが、無言の訴えをする二人の姿も。まぁ、お互いに遠慮しているんでしょう。
「あら?凰士と白雪のお友達?」
猫の皮を被った笑みを作り出す美姫。美王は隣で苦笑を噛み殺している。その気持ち、よくわかるわ。
「は、初めまして。白雪の弟の吹雪と言います。凰士とは親友です。」
上擦った声を出す吹雪。我が弟ながら呆れるわ。
「初めまして。わたくし、白雪と凰士くんと一緒に働いています、森美人と申します。」
美人は身に沁み付いた、美笑を浮かべる。この二人、どうにかして。
「どうも初めまして。禿山美姫と申します。いつも凰士がお世話になっています。」
「禿山美王です。森さんにはお会いしたことがなかったですよね?鎌倉さんには何度かお話さえてもらいましたよね?」
美姫も美姫だが、美王も美王だ。どうして、こんなに態度が違う?
「えぇ、オウくんですよね?突然、いらっしゃらなくなってしまったので、淋しく思っていたんですよ。」
「ありがとうございます。」
「凰士の友達の綾瀬道路です。」
吹雪と道路くんと美姫、美王と沙菜恵と美人、の組み合わせが出来上がる。
私は凰士の顔を見上げた。
「どうしようか?俺達。」
「二人きりで食事に行っちゃう?」
その途端、六人の視線が一気にこちら集まる。聞いていたのか?
「ダメ。」
「ダメに決まっているじゃない。」
「ひでぇ、裏切り行為だ。」
「そんな事、許しません。」
「絶対にダメよ。」
「そんなの酷いだろう。」
ちなみに沙菜恵、美人、吹雪、道路くん、美姫、美王の順番だ。
言っている言葉は微妙に違うが、言いたい事は同じだ。
「じゃあ、皆で行きましょう。」
「あっ、賛成。」
美王の意見が通り、美姫を先頭に六人が着いていく。凰士を見上げると、諦め顔。
「仕方がないよ。夕食だけは、ね。」
「そうね。」
八人の大人数が辿り着いたのは、ホテルの中のレストランではなく、数分歩いた場所にある居酒屋風郷土料理店。
「雰囲気あるわね。」
「山の温泉地に来たって感じね。」
時間が早いせいだろうか、お店の中はがらがら。団体さんが案内されたのは、奥まった場所の座敷小部屋。
「とりあえず、ビール。」
「あと、山菜の天麩羅と山菜サラダ、蒟蒻田楽と蒟蒻の刺身。」
賑やかに注文を済ませる。
何でこんな事になってしまったんだろう?
本来なら、凰士と二人きり、ホテルの最上階にあるレストランで少しお洒落なディナーを楽しむはずだったのにぃ。
「乾杯。」
生中が来ると、八個のジョッキが合わさる。ビールを一口飲む間だけ静かになったが、そのあとはマシンガントーク。
美王は沙菜恵と美人の相手、美姫は吹雪と道路くんの相手。で、残された私達は、ちびちびとビールを飲みながら、おつまみを食べるだけ。
「美味しい地酒がございますよ。是非、ご賞味ください。」
「あっ、じゃあ、貰おうかな。」
「私も。」
店員の一言で、六人の飲み物は日本酒に切り替えられた。
最初から酔っているようなヤツ等なんだから、これ以上酔う必要はないだろう、と心の中で毒気付きながら、烏龍茶に切り替えた。
「一体何しに来たのかしらね?」
「本当に。普段と変わらない。」
凰士も呆れた顔をして、烏龍茶を口にする。
「凰士は飲まないの?地酒。」
「うん。今日、飲んだら悪酔いしてしまいそうだから。」
「確かに。」
三十分も過ぎると、地酒の一升瓶が空になり、転がっている。完全に出来上がってはいないが、お酒に呑まれつつある人達。
「ねぇ、白雪。」
賑やかな声を避けるように、耳元に口を寄せる凰士。
「うん?」
「このまま、内緒で抜け出しちゃおう。」
「えっ?」
「せっかくここまで来たんだし。」
「でも、大丈夫かな?」
「大丈夫、大丈夫。部屋に戻ってしまえば、こっちのモンだよ。それに、半分以上酔っ払った人が走れると思えないし。」
「うん。」
真横の置いておいたバッグを抱え、忍び足で歩き出す。
「白雪、何処に行くの?」
目敏いのは、美姫。
「お手洗いよ。」
「あぁ、そう。早く戻ってきなさいよ。」
凰士に大きく頷き、先に小部屋を後にする。そのすぐ後、凰士も部屋から出てきた。一気に出口に向かい、店のドアを閉める瞬間、振り返る。
よし、追いかけてくる人物はなし。
「行こう。」
凰士が私の手を握り、にっこり微笑む。
「うん、行こう。」
私も笑い返し、凰士の手を握り締める。
二人同じ速度で走り出した、二人きりで眠れる場所へ。
白雪と凰士は、本当に愛されているのですね。それとも六人の友人に遊ばれているだけ?多分、後者、かな?