6.白雪
凰士に酔った私がお姫様抱っこされたまま帰宅して、三日が過ぎた。その事で煩かった吹雪もやっと大人しくなり出し、一安心。
今週末には、二人でゆっくりデート。それを楽しみに仕事をこなす日々。
「これから道路くんとデートなんだ。」
「デート?」
「食事に行く約束したの。もしかして、付き合っちゃうかも。」
「あぁ、そうですか。」
沙菜恵はすっかり道路くんに夢中。まぁ、失恋したと暗い顔されるより良いが。変わり身が早過ぎないか?
「いいなぁ。私なんて、今度はいつ会えるかわかんないのに。」
美人が不満を隠さない声で応える。
「忙しいの?彼。」
「終わった後も店に残って、インターンの教育をしたり、講義に出たり、忙しいみたい。まぁ、元々マメな性質じゃないし、仕方がないのかもしれないけど。」
「浮気している可能性は?」
沙菜恵、それを聞く?自分が浮気されていたからって。
「ないと信じたいわね。」
「部屋に押しかけてみたら?」
「ここからだと遠いのよ。面倒だわ。」
「いいの?浮気していても。」
凰士が苦笑を零しながら、私に視線を向ける。止めるべきなのかも。
「ばれなければ、許す。」
「寛大な事で。」
この二人は暴走を始めたら止めるのは面倒なので、こっちはこっちで会話しよう。そう思い、私はにっくりスマイルを凰士に向けた。
「凰士は浮気していないわよね?」
「もちろん、白雪一筋です。」
「あぁ、嫌だ嫌だ。確認の必要はないでしょう。そういうのって、ノロケと言うのよ。」
「あぁ、熱いわね。」
聞いていたのか?そんな呆れ顔をするくらいなら、聞き流してくれていいのだよ?
「羨ましい?」
「羨ましいわよ。これで満足?」
投げ遣りな返事の後、笑いが起こる。
「さて、私、行かなくちゃ。お疲れ様。」
「お疲れ様。」
私も席を立たなければいけない時刻。でも、凰士に内緒。どう誤魔化そうかな?
「じゃあ、私達も帰りましょう。ねっ、凰士。」
「えぇ、皆、定時で帰っちゃうの?」
「美人、残業?」
「片付けなければいけない書類が残っているのよ。あぁ、さっさとやればよかった。」
「頑張ってね。お疲れ様。」
「薄情者。お疲れ様。」
文句をぶつくさ言いながらも、ちゃんと挨拶を返す美人。さすがね。
「ねぇ、白雪。」
「ごめん、今日は友達と会う約束しているの。また、明日にでも。あっ、そうだ。明日は、凰士の好きな物、作ってあげる。本当にごめんね。」
「じゃあ、仕方がないね。」
「じゃあ、お疲れ様。」
友達には間違いないけど、罪悪感が胸に存在する。本当にごめんね。心の中で謝罪しながら、美王と待ち合わせのホテルのラウンジに向かう。
約束の時間ぎりぎりに到着。入口に近い窓際の席に座った美王が、私に気付き立ち上がる。
「ごめんね。急に呼び出して。」
「ううん。」
「凰士は平気?」
「うん。」
美王が向かいに座るように促す。
「ここでお茶をした後、夕食に行こう。美味しいイタリアンの店があるんだ。」
「うん。」
店員が私の前に水を置く。
「ロイヤルミルクティー。アイスで。」
「かしこまりました。」
美王の前には、アイスコーヒー。まだ大きな氷が残っているって事は、そんなに時間が経っていない証拠だよね?
「で、話って?」
おしぼりで手を拭きながら(さすがに顔は吹かないわよ)、美王に視線を向ける。
「まぁ、そんなに焦らなくても。」
ストローに口を付け、呑気な返事。
「美姫は一緒じゃないの?」
「別にいつも一緒じゃないよ。」
「そう。」
「白雪はほとんど凰士と一緒?」
「そうでもないわよ。友達と遊び事もあるもの。そうでしょう?」
「確かにね。」
美王って、いつも穏やかな顔をしていて、掴み所がないイメージ。性格も悪くないし、格好も良い。モテないはずないんだけど、美姫以外の女性といるのって、想像出来ないんだよね。聞いちゃおう。
「美王って、恋人、いないの?」
「直球だね。」
眉間に皺を寄せ、口元を歪める。
丁度そのタイミングでミルクティーが届いた。
「今はいないよ。」
「じゃあ、過去にいたのよね?」
「この歳になれば、それなりにあるものだろう。白雪だって、そうだろう?」
「否定はしないわ。と言うか、出来ないわね。」
「元彼を知っているからね。」
ちょっとだけ胸が痛む。もちろん、元彼に未練がある訳じゃない。ただ、最後の言葉が思い起こされるだけ。
「どうして今はいないの?モテるでしょう?色々な女性に言い寄られるでしょう?」
「否定はしないよ。でも、好きな女性に好きになてもらわなければ、意味がない。」
私は口元に手を当て、少しだけ笑う。
「凰士と同じ事を言うのね。凰士ってば、そう言い続けて、恋人を作らなかったんですって。あんなにモテるのに。」
「白雪一筋?」
「真っ直ぐ過ぎる想いって、ズルいよね。知らない間に、その想いを受け止めたくなる。好きになっちゃうのよね。」
「じゃあ、俺が片想いを続けていたら、好きになってくれる?」
美王が真っ直ぐに私に視線を向ける。
言いたい言葉を飲み込み、立ち上がった。
「お腹が空いちゃった。食事に行こう。」
「あぁ、そうだね。」
私が伝票に手を伸ばすと、美王がさり気なく引き留める。
「白雪に奢ってもらったら、凰士に怒られてしまう。」
「じゃあ、こうしましょう。ここは私が出す。食事は美王が出す。多少の金額差が出るし、全くの割り勘じゃないけど、私も遠慮しなくても良い。いいでしょう?」
「じゃあ、お言葉に甘えて。」
伝票を取り、お会計を済ませる。
「ここの最上階なんだ。」
エレベータに乗り、一度も止まらずに最上階に。ほとんどが恋人らしい人ばかり。
「いらっしゃいませ。」
窓際の町が見渡せる席に案内される。
「このコースで構わないかな?」
私にメニューを見せ、一番高いコースを指差す。
やっぱり、凰士の従兄妹なんだと思わざるを得ない金額。
「任せる。」
「ワインを飲む?」
「この前みたいに酔ったら困るから、やめておく。介抱してくれる凰士がいないから。」
「俺がするよ。」
「美王に迷惑かけられないでしょう。アイスティーでいいわ。」
「わかった。」
美王が手を挙げると、先ほど席に案内した女性店員に注文を済ませる。
「美王、手慣れているわね。今まで何人の女性をエスコートしてきたのかしら?」
「そうだなぁ、五人位かな?この年齢なら普通だろう。それに、エスコートという意味なら、普段から美姫をエスコートしないといけないから。」
「美姫はエスコートじゃなくて、保護じゃない?過干渉な父親みたいよ。」
「よく言われるよ。」
苦笑を顔に貼り付け、髪を掻き上げた。
「そろそろ聞いてもいいかしら?」
「あぁ、そうだね。」
のんびり呟きながら、窓の外に視線を向けた美王を見る。
遠くを見つめる瞳、通った鼻筋、少し薄めの唇、綺麗な横顔。もし、凰士と付き合っていなければ、多少惹かれたかもしれない。なんて、考える私、浮気性?
でも、有り得ないな。白馬のおうじ様には懲り懲りだから。
「凰士と別れて、俺と付き合わない?」
私に視線を戻したと思ったら、突然、零れ落ちた言葉。
突然だけど、多分、何処かでそんな風に言い出す美王を想像していた。そうでなければ、こんな冷静な私はいないわね。
「嫌よ。」
「考える時間もなく、はっきり断るね。そんなに凰士が好き?」
「えぇ、好きよ。凰士も私を本当に想ってくれてる。ねぇ、美王。そんな心にもない事を言うの、やめよう。」
「心にもないって?」
「美王は、私なんて好きじゃないでしょう。よくて友達程度の感情。本当に好きな人は別にいる。」
「どうして、そう思う?」
「なんとなくだけど、わかるのよ。」
「さすが白雪だね。」
苦笑を零しながら、会話を切られた。前菜が届けられたから。
「食べながら、話そうか。」
「そうね。いただきます。」
フォークを持ち、真っ白なお皿に盛られた少量の料理に手を伸ばす。
「もしかして、その相手もわかっている?」
「えぇ、もちろんよ。」
「そうか。」
静かに頷き、小さく切った料理を口に入れる。
「凰士から聞いている?俺が養子だって。」
「えぇ、聞いたわ。」
「引き取られる時、言われたんだ。美姫の事を守って欲しって。多分、兄らしく振舞って欲しいって事だと思う。俺はその言葉を守ったんだ。美姫に出来る限りの事をしてやった。甘やかしだったのかもしれない。」
私の前菜を乗せたお皿は空っぽ。美王のはほとんど手を付けられていないのに。
だって、本当に少量なのよ。小さく切って食べなくちゃ、一口サイズよ?
「美姫の良いお兄ちゃんのポジションを作り出した。でも、美姫が中学生の時、突然、美姫を女に見ている自分が現れた。ほら、あの性格だろう。俺に抱き着いたり、絡み付いたりするんだよ。で、その時、胸の膨らみにときめきを覚えたんだ。」
口を挟む必要はない。ただ、美王はこの事を誰かに話したかったんだ。口外しない、害のない人間に。
「マズイと思った。せっかく作り上げた居場所を失ってしまうかもしれない。ほら、若い時って、突っ走っちゃう事があるだろう。それを恐れたね。で、俺は家を出る事を決めた。女になった美姫から逃げるために。それでも俺の心境を知る由もない美姫は、俺の部屋に入り浸った。そんなバカな錯覚から気持ちを逸らせるために、恋人を作った。美姫からますます逃げようとしたけど、結局逃げ切れない。まぁ、美姫は俺を兄だと思っているんだから、俺の気持ちなんて気付くはずも届くはずもない。本当に、愚かだと思うよ。」
そんな自分に呆れるように大きな溜息。心底呆れているらしい。
「それで、美姫が凰士を好きだと言った。で、良いお兄ちゃんでいようと決めている美王は、私と凰士を引き離すために、私を引き受ける事を決めた。そうでしょう?」
「お見通しだったんだね。」
きっと嘘を吐いている事で、罪悪感を憶えたんだろう。だから、こうして、すべてを話している。
「でも、ここで種明かししちゃっていいの?少なくても私から凰士に別れを告げる可能性はゼロになったわよ。」
「あぁ、わかっている。自分でも矛盾している事をしていると思うよ。でも、俺の性格上、我慢出来なかったんだ。」
私が笑みを見せると、美王も苦笑を零した。
「で、俺からの頼みなんだけど、一時だけでもいい。凰士と別れてくれない?美姫の熱もそんなに時間を措かずに冷めると思う。アイツって、熱し易く冷め易い性格で、好きな男が出来ても付き合い出すとすぐに別れてしまうんだ。頼む。」
「嫌よ。」
「即答だな。」
私の答えも想定していたのだろう。きっぱり切り捨てた事に拘りもしない。
「それは甘やかしよ。美姫を守っている事にならない。それに、美姫は本当に凰士の事を好きなのかしら?」
「白雪?」
呆然と私に視線を向けている。
あぁ、話が長引いて、届いた料理が冷めていくぅ。でも、呑気に料理を食べていたら、美王に失礼よね。こんなに悩んでいるんだから。
「美姫も自分の気持ち、偽っている気がする。ううん、絶対に偽っている。」
「じゃあ、他に好きな人が?でも、どうして、そんな必要が?」
「もしかして。失礼、言い間違った。もしかしなくても、鈍感ね。」
あぁ、これだから。疲れるわ。どうして、私がこんな解答を与えてあげなくてはいけないわけ?まったくお人よしも良いところ。
「まさか、美姫も同じように?」
「血の繋がりがない事は知っているんでしょう?その可能性もない?」
「でも、美姫がそんな……。」
「確かめてみたら?直球勝負じゃなくてもいいじゃない。聞き方はいろいろあるでしょう。」
美王は考え込んだまま、窓の外に広がる景色に視線を向けた。残り陽が消え、夜が支配を広げていく街並。星々の輝きを消すように電気が灯っていく。
「でも、覚悟しておいてね。」
「えっ?何を?」
「わかっていると思うけど、一度男と女になったら、今までの兄妹関係には戻れない。戻ろうと決めてもぎこちなさが先立って、お互いが辛くなる。」
「あぁ、わかっている。」
「それと。」
静かに頷く美王に視線を向け、私は砕けた笑みを零した。
「散々迷惑を掛けられた私と凰士に、それなりの謝意を示してもらわないとね。この間の中華料理、とても美味しかったの。四人で、また、食事しましょう。もちろん、そちらの奢りでね。あと、友達としての付き合いなら続けたいわ。綺麗で気の強い人って、結構好きなの。それに面白いじゃない。自分から保護者役を買って、どんどん首を絞めている人を見るのって。」
「酷い言いようだな。でも、ありがとう。上手くいくように祈っておいてくれるか?」
「もちろん。邪魔者が消えて清々するから、進んで応援するわ。」
美王も口元に笑みを零した。
「白雪って、面白いな。凰士が好きになる気持ちがわかるよ。」
「あら?それって褒め言葉?」
「もちろん。」
やっと食事に手を伸ばせる。あぁ、空気も軽くなったし、料理が美味しい。
「小さな頃、凰士はいかにも頼りない子供でしっかりしたところが見出せなかった。将来、大丈夫かと、本気で心配したけど、急に変わったのは白雪に恋をしたからなんだね。今更ながら、わかったよ。」
「そう?」
「十二年前、小学校六年の頃かな?あんなに嫌いだったスポーツや勉強を真剣に取り組むようになったんだよ。凰士の両親が心配して、家に相談に来たくらい。」
思い当たる節があるので、苦笑で誤魔化す。
「白雪、何か言ったのか?」
「ちょ、ちょっとね。」
「教えてくれてもいいんじゃないか?」
にやりと笑う美王。
やっぱり美姫と一緒に育っただけはある。妙な納得をしてしまった。
「人並みに運動や勉強が出来ない人とは付き合いたくないからって。そんな事を言ったような気がするわ。」
「ふぅん。」
「あと、ある程度身体を鍛えた人が好きとか、僕と言う人より俺って言う人が良いとか。そんな事を言った気がするわ。ほら、あの当時は、凰士がしつこくって、どうにか諦めてもらおうと思って…。」
「かぐや姫みたいだね。無理難題を押し付け、諦めてもらおうとするなんて。」
「ところが、凰士は諦めるどころか、食い下がるタイプだったのよ。」
「それだけ白雪に惚れ込んでいる証拠。」
笑みを零しながら、私を見つめる美王。
「凰士を見習って、美王も頑張ってね。」
「そういう風に言うか。」
美王が苦笑を浮かべながら、髪に触れる。
そう、きっと、上手くいくわ。応援しているからね。友達として。
沙菜恵と美人、白雪のトリオの会話は暴走してしまう。止めないと何処までいくのか…。でも、書いていて、一番楽しい。