3.凰士
あぁ、やばいと思いながらもちらちらと白雪の胸元や足を見てしまう。今日は、Vネックのシャツとミニスカート。昨日の今日で(吹雪と道路に会ったのは昨夜だ)こんな格好をされてしまったら、嫌でも意識してしまう。
一番やばかったのは、車内で二人きりの時間。このまま、俺の部屋に直行してしまいたくなる。でも堪えて、普通にお客様周りをこなした。あぁ、俺って、偉い。
それにしても白雪はこの格好がどれだけ色っぽいか理解してないのだろうか?我慢強くなかったら、すぐにでも押し倒すぞ。
「お疲れ様。」
美人さんが立ち上がり、帰り支度。
「今日、デートなのよ。あぁ、楽しみ。」
「然様で御座いますか。」
「白雪もデートなんでしょう?」
「うん、DVD鑑賞会。」
「頑張ってね。」
「美人は頑張り過ぎないでね。」
「頑張るのは、彼でしょう?」
書類に視線を落としていた沙菜恵さんも顔を上げ、軽口を叩く。
「あら、私も頑張っているわよ。」
「あぁ、そうですか。せいぜい、腰痛には注意してください。」
「御心配、ありがとう。じゃあ、良い週末を。」
美人さんが手を挙げ、さっさと事務所から出ていった。
「今日の美人の服も気合が入っていたけど、白雪もいつもと違うわね。」
「あら、そう?」
心臓が高鳴る。俺がチラ見していたのが、バレているのか?まさか、ね。
「こうして見ると、意外と胸があるのね。何カップ?」
「普通、公共の場でそんな事を訊ねる?」
「あぁ、失礼。ねぇ、凰士くん、今日の白雪の格好、どう思う?」
えっ、そんな正直に答えて良いモノでしょうか?いや、これは衛生倫理上良くないよ、やっぱり。出来るだけスケベ心を隠し、平然に。
「俺の白雪ですから、何を着ても似合いますよ。でも、もう少しスカートが長くても良いと思いますよ。他の男にその綺麗な足を見せるのはもったいない。」
よく出来たはずだ。あぁ、心臓に悪い。
「意識しちゃう?」
「えっ?」
「早い話、ちょっとムラムラって。あぁ、でも、今夜ゆっくり味わえるから、我慢よね。それとも営業の途中で味見しちゃった?」
白雪が耳まで赤くして、視線を落とす。
あぁ、そういう事を平然と言ってのけますか?
「仕事中にそんな事するはずないでしょう。」
白雪の精一杯の反論。でも、いつもの威力は感じさせない。
もしかして、白雪も、あの、俺と同じ事を望んでくれている?
「二人とも赤くなっちゃって、可愛い。」
沙菜恵さんがくすくすと小さく笑う。
「いいなぁ、私なんて金曜日なのに、一人だよ。今夜も遅くなるんですって。」
「沙菜恵…。」
「きっと香水の残り香付きね。今夜こそ確認してやらなくっちゃ。」
「ねぇ、もしよかったら、夕食だけでも一緒にどう?ねっ、凰士。」
沙菜恵さんに何が遭ったかわからないけど、淋しそうな表情が痛々しい。
「うん、一緒にどうですか?」
「でも、邪魔にならない?」
「何を言っているのよ。散々邪魔しているでしょう。今更よ。」
「確かにね。じゃあ、お邪魔させてもらっちゃおうかな。」
「うん。じゃあ、さっさと仕事にきりつけましょう。」
「うん。」
十五分で仕事にきりを付け、会社を出た。駅前を歩いていると、見慣れた姿。
「道路じゃないか?」
俺が声を掛けると、振り返る。濃いめの顔に満面の笑みを作り出し。
「おう、凰士。なんだ?両手に花か?羨ましい限りだ。」
「違うって。こちらが俺の彼女、姫野白雪と、一緒に働いている鎌倉沙菜恵さんだよ。仕事が終わって、食事に行くところ。で、こっちが俺の友達、綾瀬道路。」
「初めまして。何度か、凰士と吹雪から話を聞いた事があるわ。吹雪の姉でもある、白雪です。よろしくね。」
白雪が社交的な笑みを零す。あぁ、その顔も可愛い。他の男に向けるのがもったいない。
「初めまして。鎌倉沙菜恵よ。白雪と同期なの。で、凰士くんと白雪を見守る応援者の一人よ。」
「初めまして。綾瀬道路です。道路と書いて、トウジと読みます。白雪さんの話は、吹雪からちらっと、凰士からは耳タコになるほど、聞いてします。」
道路が人の良い笑みを浮かべる。
「道路も仕事帰り?」
「そう。金曜日なのに、予定なしの直帰。」
「あら、じゃあ、道路くんも一緒にどう?」
「あっ、賛成。凰士くんが白雪の事を何て話していたのか、興味あるし。」
沙菜恵さんは相変わらずだ。まぁ、さっきの淋しそうな表情より良いけど。
「じゃあ、遠慮なく。」
道路がにっこり笑うと商談成立。
「さて、夕食は何にしましょうか?」
四人の円陣が出来上がり、それぞれに食べたい物を考える。
「金曜カレーなんていかがでしょう。」
道路が皆に同意を求める。
「この辺にカレー屋さんなんてあったかしら?食べるなら、本格インドカレーがいいわね。ライスじゃなくてナンでね。」
「それ、賛成。」
「ありますよ。この傍なんです。味も良いと評判ですし、値段もそこそこ。」
「凰士もいい?」
「もちろん。」
「じゃあ、決まりぃ。」
決断すると即行動の俺達。道路の案内で、駅前通りから細い路地に入り何度か曲がって、インドカレーの看板を見付ける。
「へぇ、こんな場所にあるんだ。」
「知らなかった。」
店内に入ると意外と混雑している。十五席ほどしかないが、十席ほど埋まっている。
「四名様、ですねぇ?」
店員はインドの方と思われる。少しぎこちない日本語で、店内奥の四人掛けの席に案内された。
「このお店、お勧め、セットメニューね。このページに書いてある。好きなの、選ぶね。」
「結構、辛い?」
「汗掻いて、美容に良いね。肌つるつる。彼女達、ますます美人になる。それに、元気になって、これから頑張る。オーケー?」
何がオーケーだ?そう突っ込んだのは俺だけじゃないだろう。
白雪がこれ以上綺麗になるのはちょっとだけ複雑だ。他の男の視線もあるけど、綺麗でいてくれるのは嬉しい。それに、これから元気になって頑張るとか何の事だ?多分、想像通りだろう。
「じゃあ、このスペシャルセットでいいんじゃないか?色々なカレーが付いてくるし。」
「辛くないかな?」
「肌つるつる、なりたくない?」
道路が先ほどの店員の真似をすると、笑いが起こる。
「これでオーケーね。」
沙菜恵さんも負けじと真似してみせる。四人の意見が一致して、店員に注文を頼んだ。
「ねぇねぇ、道路くん。」
「はい?」
「凰士くんって、昔から白雪一筋だったんでしょう?」
「そうそう。例えどんな綺麗な子でも振り向こうとしなかったよ。知らん顔。ある一部の男からは反感を買っていたね。」
「でしょうね。」
沙菜恵さんと道路が、そんな話題で盛り上がっている。俺は白雪に苦笑を向けた。
「凰士らしいわね。」
白雪も苦笑を俺に向けてくる。そのちょっと困ったような笑い方も可愛い。
「モデルの女の子からも言い寄られていた事もあったよ。」
「えぇ、モデル?」
「沙菜恵、そこ、驚くところ?美人も元モデルでしょう。」
「あぁ、そうか。」
「えっ、それって、もしかして、森美人さん?俺、すげぇファンだったんだ。」
「私達の友達よ。一緒に働いているの。」
「羨ましいぃ。俺も凰士の会社に就職したい。やっぱり性格も綺麗?」
「……。」
白雪と沙菜恵さんが黙り込み、顔を見合わせている。幻想を打ち砕くのを迷っているようだ。
「道路くん。私達の友達なら、大体の性格が想像出来ない?類は友を呼ぶよ。」
「えぇ、嘘ぉ。」
どんなショックの受け方だ?それじゃ、二人の性格に問題があるようじゃないか。少なくても白雪だけは可愛い性格だと断言出来るぞ。
「その叫びは、私達に失礼じゃない?」
「そうよ。まるで、私達の性格が悪いように感じるわよ。」
「いえ、そんな事は一言も申しておりません。はい、すみませんでした。」
道路が肩を竦め、謝罪を申し上げる。さすが、沙菜恵さんと白雪だ。
「お待たせね。」
店員がカレーを持ち、やってきた。それぞれの前に大きなプレートに乗った、五種類のカレーを置いていく。その隣にはナンの乗った大きなお皿。
「ごゆっくりね。」
彼の背中が遠ざかると、四人同時に口を開いた。
「いただきます。」
それぞれがナンを千切り、カレーを付ける。個性が出ているのは、カレーの種類が違うところ。
「あっ、美味しい。」
「うん、あまり辛くな…。やっぱり、凄く辛いぃ。」
白雪が眉間に皺を寄せ、水に手を伸ばす。一番辛くなさそうなカレーを選んだにも関わらず。
「白雪、マンゴーラッシーでも飲む?」
「うん、飲むぅ。」
ちょっと涙目で頷く。あぁ、どうして、こんなに白雪って、可愛いんだろう。
「私も欲しい。」
「俺も。」
店員を呼び寄せ、四つ頼んだ。
辛いと叫びながらも食を進めていく俺達。三分の二ほど食べ終わると、辛い物が苦手な白雪のラッシーと水は空っぽ。
「これ、飲んでいいよ。」
「ありがとう。」
白雪に半分ほど飲んだラッシーを譲る。俺は結構辛いのに強いから平気だ。
「優しいわね、凰士くん。」
「白雪には、絶対的に優しくします。」
「あぁ、熱いわ。やっぱり辛い物が利いているのかしら?」
沙菜恵さんがおどけた笑いを零す。その前では、道路が真剣に食べ続けていた。
「御馳走様でした。」
カレーとナンがお腹に収まり、満足。食後のアイスで口直し。
「白雪さんの前だと、凰士って何か違うな。」
「どう違うの?」
熱くなった口の中にアイスが冷たく沁み込む。それがとても心地良い。
「何て言えばいいんだろうな。あっ、凰士、怒らずに聞いてくれよ。悪口とかじゃなく、感じたままを口にしているだけだから。」
「うん?」
「白雪さんには寄り添っているというか、有りの儘でいるみたいな感じというか、自然体に見えるんだよな。それに、普段は甘ちゃんなのに、男らしいというか、頼り甲斐が見え隠れするんだよな。まぁ、恋人によって、簡単に男って変わるんだなって、思った。」
確かに道路は確かな目で見ていると思う。俺は他の誰より白雪に依存しているし、自然体でいると思う。その反面、白雪を支えなくてはと躍起になっている。
「じゃあ、道路くんも彼女によって、態度が違うのかしら?」
沙菜恵さんがにっこりと笑みを零す。
「自分ではわからないな。でも、違うかもしれない。」
神妙な顔で頷き、自分で納得している。
「でも、それって当たり前じゃない?相手によって、微妙に人間の態度って変わるじゃない。」
「確かにね。嫌ねぇ、私達にしては、やけに真面目な会話しちゃったんじゃない?」
おどけた表情に切り替えた沙菜恵さんと白雪。その方が、普段の姿らしい。
「大分、混雑してきたわね。」
「そろそろ出ようか?」
「うん。」
レジ横には順番待ちの人が並んでいる。俺達は、割り勘のお金を集め、レジまで歩く。
「御馳走様でした。」
会計を済ませ、扉を開いた。
「えっ?」
ドアを開けた道路とその横にいた沙菜恵さんが同時に驚いた声を上げる。白雪と俺は、何事かと顔を上げた。二人の顔は硬直し、呆然と入口で鉢合わせした男女を見ている。
「沙菜恵?」
「道路?」
俺達の声に我を取り戻した二人。
「どういう事?」
同時に怒気が混じった声を発した。鉢合わせした男女も表情を硬くし、その声を受け止める。嫌な沈黙。
「ここだと他のお客様の迷惑になるわ。場所を移しましょう。もちろん、貴方方も。」
白雪が的確な判断を下し、六人の団体は店を後にした。
「すぐ近くに公園があるの。そこで話しましょう。いいでしょう?」
「そうね。」
沙菜恵さんが白雪の腕を掴んでいる。その手は微かに震えていた。
白雪は何が起こっているのか理解しているよだけど、あんな短時間でそこまで判断できるのはさすがだ。
公園に着くと、遊んでいる事もがいるはずもなく、ただ静まり返っている。
「凰士、そこのベンチに座りましょう。最初から私達が口を出すのもおかしな話でしょう。まぁ、すぐに出番が来ると思うけど。」
「あっ、うん。」
四人は円を描くように立ち、無言のまま。最初に口を開いたのは、沙菜恵さん。
「京太郎、彼女とはどんな関係?」
「いや、会社の同僚だよ。仕事を抜け出して、夕食。すぐに戻って、残業。」
「そうなのよ、道路。」
さすがにこの会話を聞けば、俺でも理解する。つまりは沙菜恵さんの彼氏と道路の彼女が陰で付き合っていて、一緒のところに出くわした、修羅場だ。
それにしても偶然ってあるもんなんだなぁ。って、呑気に思う俺は、客観的に見ている証拠だな。
「なるほどな。同僚と夕食に行くだけで、肩を組むっておかしくないか?京」
「そうよね。何より、仕事の途中の食事で、二駅も離れたレストランっていうのも気になるわね。」
京太郎さんと京さんは黙り込む。反論の言葉も浮かばないようだ。
「京太郎、本気なの?」
沙菜恵さんが京太郎さんを見上げ、今にも泣きそうな顔。
「……。」
「それって、肯定よね?」
「京もまさか?」
「京太郎さんの方が、大人で一緒にいて心地良かったの。」
沙菜恵さんと道路が、唇を噛み締めている。
隣に座っていた白雪が突然立ち上がった。
「白雪?」
「私達の出番よね?」
俺に短く伝え、四人の元へ歩き出す。俺も後を着いていく。
「京太郎さんと京さんと言ったわね。初めまして、沙菜恵と道路くんの友達の姫野白雪と言います。こっちは白馬凰士。私達は四人で食事に来たの。せっかく楽しい気分で食事を済ませたのに、台無しにしてくれたわね。」
不敵な笑みとは、こういう事を言うのだろう。俺はそんな白雪の顔を見つめた。
「アンタ達、最低ね。こんな風にこそこそ会い続けて、さぞや楽しかったでしょうね。内緒ってヘンに盛り上がるところがるから。でも、相手の事を考えた事、あった?もし、自分が相手の立場だったらって、考えた?そうしたら、こんな事出来るはずないわね。」
「言い出せなかったんだ。」
「そうよね。言い出し辛いわよね。相手からどんな罵声を浴びるかわからないものね。でも、それって、自分が可愛いだけでしょう。相手の事はこれっぽちも考えてない。こんな風に信じていた相手が違う人と付き合っているところを見せられて、どんな気持ちかわかる?そのくらい、わかるでしょう?余程の鈍感じゃない限り。だったら、すぐ事は一つよね。もう過ぎてしまった事は戻らないのよ。」
さすが白雪と思わざるを得ない。沙菜恵さんと道路も呆然と白雪を見ている。
「沙菜恵、すまなかった。」
「道路、ごめんなさい。」
京太郎さんと京さん、二人同時に頭を下げた。沙菜恵さんと道路が視線を合わせ、苦笑を零す。
「もう、終わりだね?」
「そのようだね。」
二人は大きく頷き、お互いのパートナーだった二人に視線を向ける。
「京太郎、歯を食い縛って。」
沙菜恵さんが怖いくらいの笑みを零し、京太郎さんを見上げる。
「ぎゃっ。」
沙菜恵さんより一回り大きな男性が宙を舞う。一体何処にそんな力が?
「私、明日にはあの部屋から出るから。後は京太郎の好きにして。それと、もう顔を見たくないの。今日と明日は帰ってこないで。じゃあ、さようなら。」
尻餅を付いた京太郎さんを見下ろした沙菜恵さんの姿は勇ましい。
「京、携帯出して。」
「えっ?」
呆然と京さんがバッグから携帯をだし、道路に手渡す。
「あっ。」
その途端、パキンと携帯が真っ二つ。
「本当は殴りたいけど、女は殴らない。だから、携帯で許してやるよ。お前が一番大切にしていたモノだからな。じゃあな。」
清々しい笑みを残し、道路と沙菜恵さんが、俺達の元に歩み寄る。
「行きましょう、白雪。」
「行こう、凰士。もうここに用はない。」
修羅場はこうして治められた。
あぁ、凄いモノを見てしまった。俺達四人が歩き出すと、残された二人は、呆然としたまま背中を見送るしか出来ないようだった。
「あぁ、すっきりした。」
「本当に。」
「全部、白雪に言われちゃって、出る幕がなかったよね。」
「そうそう。吹雪が怖い姉上様って言うのが、身に染みてわかったね。」
「でしょう。」
沙菜恵さんと道路が、明るい声で話している。前を歩く俺達は背中でそれを聞いていた。
「ありがとうね、白雪。」
「ありがとうございます。白雪さん。」
沙菜恵さんが白雪の腕を掴んだ。
「バカね。」
短く白雪が呟き、沙菜恵さんの肩をそっと抱き寄せた。
「ごめんね。私、余分な事を言ったかもしれない。でも、黙っていられなかったの。」
「ううん。これでいいのよ。美人も言っていたじゃない。心の離れた恋人は、戻ってこないって。その通りだもん。」
「そうね。」
沙菜恵さんの肩が揺れる。白雪の肩に腕を回し、小さく嗚咽を漏らした。
「道路も同じ事してやろうか?」
羨ましそうに二人を見ている道路に笑いかけた。俺なりの慰め。
「凰士が相手じゃ、嫌だ。白雪さんなら喜んでだけど。」
「じゃあ、指を加えて見てるだけだな。俺が許すはずないだろう。」
「何よ、それ。」
白雪にしがみ付いていた沙菜恵さんが、泣き笑いの声を零す。
「辛気臭い空気を晴らすために、飲みに行こう。皆一緒に。あっ、今日は、凰士くんと白雪の甘い夜はお預けね。」
沙菜恵さんがいつもと変わらない笑みを浮かべた。
「賛成。飲むぞぉ。」
道路も空に拳を突き上げ、明るい声。二人ともちょっとムリしているかな?
「仕方ないわね。」
白雪までも笑っている。明日の朝は二日酔い決定だな。