桜散る、作戦
むかしの話である。
ひとつの土地をめぐって二つの国が争っていた。お互いが、あの土地はわれわれの領地であると主張しているのだ。どちらの言い分が正しいかは、ここではさておく。
国の名は、片方がサンライズ国で、もう片方がサンハート国といい、名前が似ていることも両国に悪感情をもたらせていた。間違えやすいこともあり、一般的に、ライズ、ハートと両国は呼ばれている。
両国は互いの主張を譲らず、話し合いは捻じれに捻じれ、一発触発の緊張が高まり、ついにハート国がライズ国に宣戦布告した。これ以上怒らせると、もうやっちゃうぞ、このバカタレライズが、ってもんである。そうなると、ライズ国も黙っているわけはなく、なんだと、この外道の、アンポンタンの、腐れトマトの、ハートブレイク野郎がと、最後のほうはわけのわからないことを言いながら、ハート国に宣戦布告をした。
各国の平和共存を願う世界平和連盟は、遺憾表明を出しながらも、なにか理由があるのか、具体的な動きはみせず、ただ静観しているだけであった。
――そしてここに決戦の火蓋が切って落とされた。
とはならず、ハート国は一ヶ月後にその土地に軍を送り、われわれのものとする。邪魔をした場合は、攻撃されてもしかたないからねと声明を発表した。ライズ国も、人の土地を横取りするような不届きものは、この金さんが黙っちゃいねえ、この桜吹雪が見えねぇかいと、相変わらずわけのわからないが、明らかに攻撃的な声明を発表した。
ライズ国の国民たちは、いよいよの時がきたと慌てふためいた。あ、ここからの話はライズ国での話になります。歴史の資料が、ライズ国のしか閲覧できなかったんです。
で、話を戻すと――慌てふためいた。まさか、ほんとに戦争になるなんて思ってもいなかった。不況だし、医療費高騰だし、高齢化だし、若者に職無いし、お金ないから結婚できそうにないし、子供養えないし、いじめなくならないし、定年六十五歳延長だし、そうなると年金払うの六十五までになりそうだし、そうなると年金が支給される年も延長になるだろうし、テレビはバラエティーばかりだし、水戸黄門観たいのにと、問題は山積みなのに戦争である。この先どうなるんだろうと、国民が不安がるのも無理のないことであった。
しかし着々とライズ国の政府は準備を進め、まるで事前に用意されていたかのように、のちの世に桃紙と呼ばれることになる、なぜか桜吹雪と蓮の花が描かれた、薄いピンク色の召集令状が、声明から三日後に該当者たちに送られていった。驚いたことに該当者たちは、すべて六十五歳以上の老年男子であった。六十五歳以上の老年婦女子たちにも、慰安婦は無理だけど、看護師、飯炊きとして戦地に赴くことが義務づけされた。
召集令状を受け取ったほとんどの者たちは、は? は? だった。なんでわしらが戦地に。みな、自警隊が出動するものと思っていたのだ。
それに対し政府は、自警隊はそのような組織ではないので、新たに軍隊を創設すると説き、
「いまこの国の若者は絶滅の危機に瀕しております。彼らがこれ以上減ったら、この国はどうなるでしょう。彼らはこの国の宝です。その宝を前線に送ることなどできるでしょうか。国益を守るために、みなさんの老年パワーを発揮していただきたいと、召集をかけ、ご協力をお願いしているのです」
そのうえで、ハート国も若者の減少傾向に頭を悩ませているので、部隊が老年者であるという情報をつかんでいることを、政府は発表した。
「いいですか。これまでわが国は、ハート国といろいろい問題がありました。しかしそれを起こし、このような事態を招いてしまったのは誰でしょう。若者たちではありません。ほかならぬ老年の方々です。若者たちに任を押しつけず、老年の方の力で、事態に決着をつけるのが、国民としてのすじではないでしょうか」
そこまで言われると、一理あると多くの国民もうなずくしかなかった。
「それに、この先生きてなにがあります。寝たきりですか、痴呆ですか、それともヨイヨイですか。オムツをつけて、ヨダレ垂らして、楽しみと言えば食べることだけ。そんな人生を、あなたはこの先送りたいのですか。誇りはないのですか。そんな恥さらしな生き方をするなら、ここで、もう一度花を咲かせてみようじゃありませんか。咲いた花は、必ず散ります。どうせ散るなら、ライズ国民として見事に散ってみせようではありませんか」
これには、もう感動で、誰もなにも言えなかった。なかには涙をこぼす者さえもいた。ライズ国民は感動するのが好きなのだ。
しかしそれでも、なおも反対するイヤな奴はいる。
「……こういった由々しき事態を招いた責任を、総理はどうお取りになるおつもりなのでしょうか」
国会答弁で野党議員は、両手で台をバンと叩いた。
それまで総理は、目蓋を閉じて腕を組み、黙ったまま発言を聞いていた。表情は不動そのものだ。そして、静かに立ち上がると、ゆっくりと台に向かった。
「ただいまの発言でありますが――」
と、「みなのもの、顔を上げぇい!」
不意に総理の朗々たる声が議事堂に響き渡った。唇に不敵の笑みが浮かび、議員たち全員が虚を突かれる思いがした。
「おう、おう、おう。さっきから聞いてりゃ、言いたいことを言ってくれるじゃねぇか。目ん玉ひんむいて、とっくりとおがみやがれ」
ネクタイと上着をさっと取り払った総理は、あっという間にワイシャツの前から右腕を出すと、もろ肌を脱いでみせた。なんと、総理の背には、桃色に染まった鮮やかな桜吹雪の刺青が一面に――。
「この桜吹雪が見えねぇのかい。国の先のこたぁ、すべてお見通しよ! べらぼうめ!」
待ってました、ヨッ大統領という掛け声がかかり、さすがに野党議員もこれには、ハハアーとぬかずき畏れ入るしかなかった。
「これにて、一件落着」
総理が言を発すると、議事堂内の議員たちが全員ひれ伏した。
この様子は、すぐさまマスコミを通じて国中に流された。金さんだ、金さんだと国民は声高に叫び、熱狂した。金さんって誰? と言った若者は注意を受け、キムさんと間違って発言した者は、袋叩きにあいかねない様相を呈した。翌日の新聞紙上に『鬼平もいいけど、金さんも忘れないでほしい』という総理の談話が掲載されると、こぞって国民はそれを称賛した。『おう、おう、おう』『べらぼうめ』『これにて一件落着』がブームとなり、今年の流行語大賞は決まったも当然だった。
ここまでくると、もはや誰にも流れを止めることはできず、ライズ国は陸海空特別老年部隊の編成へと邁進した。戦地にいきたくないと口にする高齢者は、白い目で見られ、蔑まれ、年金もらっていて国のためになにもしないつもりと、罵詈雑言を浴びせられ、否が応でも政府の方針に従わざるをえなかった。しかしそういう高齢者はほんの一部で、ほとんどの者が、こうなったらもうひと花咲かせてみせるぞ、見事に散って桜吹雪となってみせましょうと、意気盛んであった。また、政治家、社長、大富豪、有名人、芸能人、そして庶民と、身分貧富に関わりなく六十五歳以上の者すべてに召集がかけられるという制度は、公平なものに思われ、国民の支持を受けた。
そうやって、令状を受け取った老年者たちが各地の場所に集められ、軍事訓練がほどこされた。それは思いの他に簡単なものだった。彼らに渡された武器は竹槍だけだった。
軍事教官の男は、ライズ国が国債が危ぶまれるほどの借金まみれであり、それに、銃の扱いがどれほど危険なものかを滔々と述べ、
「それに比べ、竹槍のなんと安全なことか。暴発なんてまずありえない。それにわが国にとって有難いほどの安価。わが国最強の、リーサルウェポンと申し上げてもいいほどです。竹槍は、先人たちがわれわれに残してくれた知恵と教えが集結したものです。伝統でもあります。竹槍さえあれば、もう心配されることも、恐れることもありません。偉大なわが国の先人たちは、竹槍で、あの戦闘機を追撃していたのですよ。同じライズの血を受け継ぐわれらに、それができないはずがないではありませんか。精神一到なにごとかならざらん。竹槍には神がやどっています」
神という言葉に、どっと拍手がわき上がった。
コホンと咳払いし、両手を上下させて拍手をしずめた教官は、「しかし、油断はなりません」と諌め、敵がなんと徒手で、拳法だけで向かってくるという極秘情報を入手したことを明かした。ブルース・リーをリアルタイムで体験した者たちは、それを聞いて、老体を引き締めた。ドラゴンの真似をした、若かりしころの自分たちが内によみがえってくる。徒手といっているものの、ヌンチャクは使ってくるかもしれんと、老人たちは武者震いをおぼえた。
病院に収容されていた、寝たきりや、車椅子の老人たちは、べつな場所に集められていた。誰もが、身を動かすことがままならない者たちである。
「わしゃりゃりゃに、いたぁぁい、にゃにゃができりゅうちゅんじゃ」
入れ歯をはめてない口で、ひとりが言った。集められたものの、みな不安と途方にくれていた。
教官は、そんなみなに向かってにっこりと笑んだ。『わしらにいったいなにができるというんだ』であることは、問い返さずともわかっていた。
「まずは、ここにお集まりいただいたみなさんの、勇気と愛国心に敬意を表させてください。言葉に尽くせぬほど感服しております。そのお体では、みなさんが不安をおもちになるのは当然です。しかしみなさん。時代は変わったのです。いまや戦争はむかしと違い、ボタン戦争の時代です。『トッポ・ジージョのボタン戦争』が、現実のこととなっています。みなさんには、上層部の指示にもとづいてボタンを押していただけさえしてもらえばいいのです。それだけで、りっぱな兵士です。ボタンを押すことなら、みなさんにも過不足なくできるはずだとわれわれは信じています。どうかみなさんの手で、いや指で、ライズ国を守っていただきたい」
トッポ・ジージョ。いまでは死語となったネズミのキャラクターが、老人たちの脳裏でよみがえった。世界で一番有名で、いまなお高名なあのネズミと違い、トッポ・ジージョは、すでに忘れ去られ、過去に葬り去られてしまったネズミだった。それだけに、みなの胸に愛しさが込み上げた。当時は人気絶頂だったのに、いまは誰にも相手にされなくなったものへの愛おしさだった。そう、確かにトッポ・ジージョはいたのだ。人気者として、人々に愛されていたのだ。そこに自分たちのいまの姿が重なっていた。
「ケロヨンもいたよな」
ひとりがそう淋しそうに呟くと、それを勇気づけるようにどこからともなく「バハハーイ!」という声が高らかに上がった。それを機に、ひとり、またひとりと老人たちの間から「バハハーイ!」がつぎつぎと連呼され、あたりは騒然となっていった。ケロヨンもいた、カエルのケロヨンも。バハハーイはいまや渦となって、あたりを席巻した。ボタンを押せば、すべてが取り戻せる。老人たちはそれを信じ、そうなるのを願った。彼らの士気は高揚し、バハハーイの声はやみそうになかった。
決戦の日が近づくにつれ、ライズ国の各地で、戦地に赴く者たちとの別れが社会現象になりだした。家族友人はもとより、思い出の人たち、思い出の地との別れだった。百人いたら百通りの別れがあった。あっちでもこっちでも別れである。右を向いても左を向いても別れだった。そして涙、涙、涙。とにかくライズ国の国民は感動が好きなのである。涙を流して別れを告げながら、一人一人がドラマの主人公になりきっていた。つまらないとばかり思っていた人生が輝きを放っていた。これまで過ごしてきた時間は、かぎりなくかけがえのないものとなった。老人たちは、これまで忘れていたなにかを確実に取り戻していた。送るほうもそうだった。心と心が通じ合い、今日この日があることをみなは喜び合った。おかげでテレビドラマは誰も見なくなり、視聴率は低迷し続けた。お笑いのバラエティー番組はなにをか言わんであった。しかし、それを気にする者は、国中にひとりもいなかった。
残り少ない日々を惜しむようにしてすごすなか、第一次部隊が決戦の地へと輸送される日がきた。これから先つぎつぎと部隊が送られていく。老年兵たちを見送る教官たちの目には、いずれも涙が浮かんでいた。
兵たちの標準装備は、竹槍、白い軍服、ヘルメットの代わりの三角の布であった。それに線香の束がひとつと数珠が配給されていた。
輸送される列車のなかで、たまりかねたように叫び出す者がたまに見受けられた。
「これは陰謀だ。政府はわしらを見捨てるつもりじゃ。姥捨て山じゃ。わしらはカラスの餌食になるんじゃ」
錯乱したように叫ぶ彼らは、取り押さえられ、いずこかへと連れ去られていった。
哀れだと同情しながらも、誰も口を開こうとはしなかった。
老年兵たちはみな知っていた。自分たちが国のためになろうとしていることを。これからすることは、必ず国の発展につながることだと信じていた。未来は、若人と子供たちのためにある。だからこそ、しなければならないのだ。自分たちにしかできないことなのだ。周到な計画のもとに政府は、彼らのために舞台を用意してくれたのだ。ひと花咲かせ、その花を散らすための。それは慈悲であり、尊厳を与えてくれたのだ。生が死に通じ、死が生に通じることを、彼らはよく知っていた。あとは、それを実行するのみだ。迷いはなかった。これだけの華やかで大がかりな舞台を作ってくれたのだから、それをむざむざ断るのはおろかであった。老人たちは、潔くそれを受け入れていた。皮肉なことに、こうなったことを喜んでさえいた。
輸送列車のなかを町田義人の『戦士の休息』が流れ、それは老年兵たちの合唱となった。誰もが『野生の証明』の健さんだった。歌を口ずさみ、流れゆく車窓の風景を見つめながら、老年兵たちの目は未来を見つめていた。
部隊が地に結集し、Xデー、ついに決戦の火蓋が切って落とされた。ライズ国とハート国の老年兵たちは勇猛果敢に、相手へと突撃した。その戦いがどれほど壮絶なものであったかは、判然としていない。なにしろ、両国とも誰一人として生き残った者がいないからだ。最後の一兵まで死にいたるという、国の未来を担った誇り高き戦闘だったと記されている。頭に三角の布をつけ、白装束に竹槍を手にした老年兵たちが、「バハハーイ!」と声高らかに突撃する姿は、誰もが勇気に満ちあふれていたという。戦地には線香の匂いがたちこめ、お経と数珠の音が鳴り響いていたともいう。桜は散り、血煙の吹雪となって戦場を舞った。
全滅の知らせに、ライズ国の総理を始め国民たちは涙した。ハート国でもそれは同じだった。尊いまでの彼ら彼女らの勇姿をたたえ、このような悲劇を繰り返してはいけないと、両国は和平をし、争いの元となった地を、両国共有の英霊の地として奉ることとなった。
碑にはこう刻まれている。
『一兵たりとも帰還するなかれ、この地に散り、われ国を愛す』
その後両国が発展を遂げたのは歴史の示すとこである。医療費高騰と多額の年金の問題が問題でなくなり、そうなると、国中に蔓延していた将来どうなるんだろうという閉塞感は消え、経済は活性化し、若者には活躍の場が与えられ、少子化は改善され、国が若返ったかのようだった。老木が枯れ果て、若木がすこやかに成長を遂げるのは自然の理である。
しかしライズ国の人々が、かの戦いと老年兵たちのことを忘れることはなかった。それがあっていまがあるのを、彼らは忘れてはいなかった。人々は語り続け、それはいまなお続けられている。毎年桜が散るころになると、かの地はもとより、各地で盛大な慰霊祭が行われている。
桜の花びらが散るのを彼らは万感の思いで見つめる。一枚一枚の花びらが風に吹かれ、桜吹雪となるさまを彼らは見つめる。それは季節に応じた美しい光景だ。散った桜を、忘れてはいけないと彼らは心から思っている。
桜散る、作戦。かの戦いをライズ国の人々は、そう呼び、語り継いでいる。
トッポ・ジージョ、ケロヨン、戦士の休息、が意味不明な方はググってみてください。
作者は、思想的に右でも左でもございませんので、くれぐれも誤解なきようお願いいたします。