第九章 「死ぬのは幸せの終わり」
第九章 死ぬのは幸せの終わり
次の日、弘樹の告別式が行われた。
ゆらゆらと降る白い雪の中、黒いスーツを着た人々は酒を浴び、笑いながら帰ってゆく。
「笑って帰れるような葬式なら来るなよ・・・」
武はそう思いながら、弘樹の家の玄関先で帰っていく人々の後姿を眺めていた。
そんな武を気遣うように、家から出てきたすみれが話し掛ける。
「武。大丈夫?」
「うん。寒いし風邪ひくから中入ってな?」
武は、すみれの問いに少し淋しげに微笑んで答えた。
「・・・一緒にいるよ?」
そしてすみれが笑顔でそう言うと、武は曇った顔で話し出す。
「・・・葬式ってのは形だけのもんか・・・」
「え?」
「ただ、参列すればいいだけのもんなんかな」
遠くを見つめながらそう話す武に、すみれは戸惑いながらも優しく切り返した。
「・・・そんな事・・・どうした?」
「いや・・・親が死んだ時もそうだった。式の途中は涙流していた奴が、最後はあぁやって笑って帰ってくんだ・・・なんでかな・・・」
武のその言葉に、すみれはフォローの言葉を見つけようとする。
「それは・・・笑って紛らわしてるだけだよ・・・悲しいのを・・・さ・・・」
「・・・だといいな・・・俺らも帰るか」
「・・・うん」
そしてすみれも悲しい顔をした。
武はその顔を見ないまま、
「神谷に渡すもんあるから、ちょっと待ってて?」
そう言い、家の中へと入っていく。
すみれは小さな声で頷き、少しだけ目を潤ませていた。
そして一人、片づけをしている神谷に、武は「お疲れ様」と声を掛ける。
「伊崎君・・・今日はありがとう」
「いや・・・元気出せよ?」
武は神谷の心労を気遣った。
すると、涙をこらえながら神谷は無理に笑顔を作る。
「・・・元気は・・・・・・やっぱ出ないよ」
「ごめんな・・・力になれなくって・・・ごめん・・・」
武が、いたたまれなくなりそう謝ると、神谷は首を振りながら堪えきれずに泣き出した。
武は・・・。
武はその姿を見てられなかった・・・。
神谷は武の胸元で、今日一日こらえた分の涙を流す。
めいっぱい・・・もういない弘樹を思い出しながら・・・。
その泣き声は、すみれにも聞こえていた。
そして一人、すみれはゆっくりと歩き、家へと帰って行った・・・。
しばらく経ち、少し落ち着いた神谷に、武は声を掛ける。
「弘樹の手紙・・・」
「・・・うん・・・」
「これ・・・返すよ」
「・・・なんで?」
そう言うと、胸元に預けていた顔を上げ、神谷は武の顔を見た。
「これは・・・いらない」
「・・・そう・・・」
武のその言葉に少し考えるように黙り、神谷は小さく返事をする。
「まぁ・・・言われなくてもわかってる事しか書いてなかったからさ」
冗談っぽく武が笑って答えると、神谷は下を向きながらようやく笑みを漏らした。
そして、そろそろ帰ろうとする武に神谷が切り出す。
「あのね・・・?」
「どした?」
「・・・なんか・・・二人は似すぎてズルいよ・・・」
「・・・」
「ホントにありがとぉ」
その後、武は神谷を心配しながらフラフラと家へと帰って行った。
やがて寒さの中、三十分程で帰宅し、「ただいま」と武が玄関先で声を掛けると、ミシミシと廊下の音を立て、竜司が会釈をして出て来た。
「なんだ来てたのか」
「武さん、塩はいいっすか?」
「あぁ・・・いいよそんなの」
靴を脱ぎながら低い声で武は話す。
「もう寝るわ」
「え・・・早いですね」
「この所、ろくに寝てないしな」
一瞬黙って竜司がそれに答える。
「はい・・・あの、すみれさんが連絡欲しいって・・・」
「わかった」
そのまま武は自分の部屋に入っていった。
竜司はその後姿を見て、洗い物をしていた祖母に話し掛ける。
「武さん・・・大丈夫かな」
「そうだね・・・」
祖母が心配そうに答えると、竜司が続ける。
「俺はあの人と会ってさ、なんか・・・生きるって事?・・・それを考えるようになったよ」
「えぇ?」
竜司がそう言うと、少し不思議そうに微笑んで祖母が聞き返した。
「なんで生きてるかなんて考えたこともなかったし、何もなけりゃ考える事もないじゃん。でもあの人を見てるといっつもぶつかってさ、傷つきながら・・・それでも優しくいようとしてる。ダサいとか、要領悪いとかさ、そうゆうとこもそりゃあるけど、それが人間なんだなって思わせる力がある気がするよ。俺もさ、そうゆう人間になりたいな」
祖母はそれに対し、ゆったりとした口調で答える。
「竜司君は、竜司君でいいんだよ?」
「え?」
「人というのは支えがないと生きていけないからねぇ。竜司君はね?武の支えなんだよ。言葉や態度じゃなくて竜司君がそこにいる存在があの子をあの子のままでいさせてる・・・すみれ先生や弘樹君、遥も香樹もそう。あんた達がいなければ武だって生きていけない。あの子はね、それがあるから、それがわかってるから無理したり傷ついたりしてぶつかっていけるんだよ?」
「・・・はい」
「だから頼んだよ?竜司君は竜司君のままでいてあげてね?」
竜司は祖母のその言葉と笑顔が、その日頭からいつまでも消えなかった・・・。
そして武は部屋に戻ると喪服を着替え、ベッドに倒れこんだ。
携帯を手に取り、すみれに発信すると、すみれはすぐに元気良く電話に出る。
「おかえりっ」
「ごめんな?今日は」
「大丈夫だった?神谷さん」
「まぁ・・・心配だけど・・・それより風邪ひくなよ?あったかくして、ちゃんと布団かぶって・・・」
「うん!ありがとぉ。そーだ、明日ね?仕事終わってから一緒にさぁ、買い物行かない?」
「・・・」
「ねぇ・・・武?」
「・・・」
「武さ~ん??」
「・・・」
「・・・寝た?」
「・・・」
「・・・もう・・・私は後戻り出来ないんだからね・・・?優しすぎるんだよ・・・おやすみ・・・」
おそらく聞こえていない電話の向こうへ、ゆっくり小さな声で語りかけ、すみれは布団にくるまって眠りについた。
胸を締め付けるような淋しさと不安を、必死に布団の中で、出てこない様に包み込み、仕舞い込むように・・・。
次の日。
遥の病室には、竜司と担当医がいた。
そしてその病室には、久しぶりに笑顔が戻ってきていた。
「外に出てもいいの!?」
「うん、いいよ?そのかわり無理しちゃダメだよ?」
その日、担当医が遥の外出を許可してくれた。
「やったぁ!!」
遥が喜ぶと、竜司も嬉しそうに話し掛ける。
「どこ行きたい?遥」
「海!!」
「・・・冬じゃん・・・」
「いーの!海!」
「何すんの?海で」
「泳ぐ」
「ついに病気も脳に来たか・・・」
「何?」
「いや・・・」
「・・・今年の夏は行けるかわかんないし・・・ねっ!?」
「・・・海か・・・じゃあとりあえず、武さん達に連絡してくるから待ってて」
「うん!」
そう言い、竜司は電話を掛けに病室を出て行った。
担当医と二人きりになり、遥は礼を言う。
「・・・先生・・・ありがとう・・・」
「めいっぱい楽しんでおいで?」
「うん・・・先生?この間の話・・・みんなにはまだ・・・」
「ん?」
「体・・・次の発作にもう耐えられそうもないって・・・」
「・・・遥ちゃんが言わないでくれって言うなら・・・それに従うよ?」
「・・・お願いします」
その時、遥の目にはもう・・・覚悟が生まれていた・・・。
そして半月後、旅行の日がやって来た。
それは・・・武、遥、香樹、祖母、竜司、すみれの六人で行ける最初で最後の旅行だった。
「竜司~。この間も行ったね海」
「海好きだなぁ」
前の席で竜司と遥が話す。
すると、後ろの方で武が愚痴った。
「なんで俺、一番後ろなの・・・」
8人乗りのワンボックスカー。
竜司が運転をし、後部座席にはすみれと香樹、そして祖母が座り、武はそのまた後ろの席で一人で座っていた。
すみれが後ろを向きながら話す。
「だって武、その荷物が大きいんだもん」
「その荷物って・・・ギターね、ギター」
「へぇ~」
「軽っ!!」
そんな会話を、祖母は香樹にお菓子をあげながら笑って聞いていた。
そして祖母は申し訳なさそうに謝る。
「こんな年寄り連れて来なくてもよかったのに・・・すまないねぇ」
それを聞くと、今度は遥が後ろを振り返った。
「何言ってんのおばあちゃん!旅行に行く車でそんな事言わないの!」
「そうですよ!」
竜司も振り返ってそう言うと、
「お前は前見ろ!!」
一番後ろから武が怒る。
「・・・叱られた・・・」
「すぐ怒るからね、お兄ちゃん」
竜司と遥が笑って話していると、やがて武は寂しそうに前のめりで呟いた。
「あのね・・・後ろ過ぎておまえらの声が全く聞こえん・・・」
やがて三時間も走ると、車は人影の無い海に着いた。
そして、これから起こる事を知っているかのように、波はごうごうとうねりをあげていた・・・。
「寒っ!」
「お兄ちゃん。軽っ!とか寒っ!とかうるさい。あっ、香樹ぃ?遠く行っちゃダメだからね?」
車を降り、遥が香樹にそう言うと、武は遥に向かってイタズラ気な顔で話す。
「おまえもな?」
「わかってます」
ふてくされた顔で遥が答えると、無視するように武は祖母を気遣った。
「ばぁちゃん。寒いし車にいてもいいぞ?」
「そうだねぇ。これじゃ、私は無理そうだねぇ」
そして祖母を車に残し、五人は冬の浜辺を歩いた。
ふいに香樹が呟く。
「お兄ちゃんっ。ポチポチも連れて来たかったね?」
「ん?そうだな」
それを聞くと、武は笑って香樹の頭を撫でる。
そして淋しそうな香樹を見て、突然三人に切り出した。
「ちょっと俺、香樹と遊んでくるわ!」
「え!?ちょっと!」
「すぐ戻ってくるから」
突然の事に遥が驚くと、それを横目に武は香樹を連れて、三人と反対方向に駆けて行った。
「すみれさん、一緒に行かなくていいの?」
遥がそう言うと、すみれは笑って答える。
「すぐ戻ってくるんでしょ?だったら、待つよっ」
その顔に、遥も竜司も言葉が見つからなかった。
「私、おばあちゃん見てくるね?」
続けてすみれは二人に気を遣い、停めてある車に歩いて行く。
「なんか、淋しそう・・・」
遥がそう呟くと、竜司は黙って遥の手を握り、そして開始早々みんながバラバラになってしまった事で、遥もまた淋しい顔をした。
そんな顔の遥を見て、竜司が間を埋めるように話し掛ける。
「この季節じゃさすがに花火はないね」
「うん。なんかみんなで来たのに・・・」
「まだ始まったばっかだよ?」
優しく竜司がそう言うと、遥は微笑みながら頷いた。
そして一方の武は、香樹とかけっこをしていた。
「おまえ早くなったなぁ足!」
「すごい?」
「すげーすげー!!」
嫌な出来事、思いを消し去るように、武は童心に返る。
「香樹、ちょっと待ってな!先生に電話するから!」
やがて少し疲れだすと、武はその場に座り、すみれに電話を掛ける。
コール音がいつもより長く続き、やがてすみれが電話に出ると、武は息を切らしながら居場所を聞いた。
「ハァ、ハァ・・・どこ?今」
「見てるよ?二人が走ってるの」
少し暗い声ですみれは話す。
「見てるって・・・」
すみれは車には戻らず、武達からは見えない、岩で死角になった場所で一人、武と香樹を眺めていた。
電話口で武が伺う。
「えっ・・・どこにいんの?」
「・・・見つけてよ」
「え?」
「勝手に遠くに行っちゃうから悪いんだからね・・・?」
「・・・おい・・・」
「私だって、淋しくなるよ・・・」
そのまま電話が切れた――。
「・・・香樹・・・車でばぁちゃんと待っててくれ」
「うん」
武は香樹を車に連れていき、浜辺を探した。
辺りを見渡しながら、すみれの名前を呼ぶ。
と、武の携帯が鳴った。
「ハァ、ハァ・・・もしもし!?」
「見つかった?」
電話はすみれだった。
「ハァ、ハァ・・・いや・・・見つかんねぇ・・・」
「そこから右見て」
「えぇ?」
武が右を見ると、すみれは岩陰に隠れる。
「・・・何?右にいんの?」
「さぁ・・・」
「・・・なんか夏っぽくなってきた・・・」
「好都合じゃん」
「服脱ぐか・・・」
「え・・・寒いって・・・」
そう言いながらすみれは、岩陰からちょこんと顔を出した。
「あ―――!!」
「・・・逃げるね・・・」
「なんで!?」
武が電話を切り、すみれのいる方向に走り出すと、一方のすみれもめいっぱいに武から逃げる。
「待てって!」
「嫌だ!」
武はすぐに追いつき、すみれの手を取った。
「ハァ・・・ハァ・・・なんで逃げんだよ・・・」
「・・・だって・・・追うから・・・」
「そんなブーツじゃ危ねぇだろ・・・」
「・・・まさか海に旅行行く時、彼氏から逃げるかもなんてさぁ、朝考える!?」
「・・・悪かった・・・」
「・・・何が?・・・」
「一人にさせて・・・」
「・・・いっつもじゃん」
「・・・もうしないから」
「わかんないよ、武の事だから」
「いつも一緒にいて・・・もし・・・病気になったら・・・」
「それより恐いのは、武がどっか行っちゃう事だよ?」
「・・・」
「そんな中途半端であの時、付き合う事決めたの?」
「いや・・・」
間を置く事なくすみれは、武に抱き付いた。
「私だって、これが幸せなんだよ?・・・」
「・・・」
「どこにも行っちゃやだょ・・・」
その時、武の携帯が鳴る。
「・・・鳴ってるよ?」
すみれが伺う。
「・・・いや・・・」
呼び出し中の電話を切り、武はすみれを強く抱き締めた。
寒い空の下、激しい波の音だけが聞こえる。
その波からは、二人のキスが、どこか悲しげに見えていた――。
その頃、祖母と香樹は車で四人を待っていた。
「香樹はお兄ちゃんとお姉ちゃんがいてよかったねぇ」
「うん」
あやしながら、祖母が話す。
「小さい頃のお兄ちゃんは、イタズラばっかりしててね?よくお母さんに怒られてたんだよ?」
「ふ~ん」
「お姉ちゃんは、今みたいにしっかりしててねぇ、小さい頃から家事を手伝ってくれた」
「僕は?」
「香樹かい?香樹は誰よりも優しい子で、素直で元気いっぱいな子」
「ふ~ん・・・おばあちゃん。僕のお母さんはどうしていないの?」
「・・・香樹・・・」
「・・・僕・・・お母さんに会いたい」
香樹は今まで聞けなかった事を、申し訳なさそうに小さな声で訴えかける。
すると祖母は香樹を抱きかかえ、静かに頭を撫でた。
子供の純粋な心には、大人には見えない影がある。
そしてその影に光を照らしていきながら、誰もが大人になって行く。
その光が希望だというなら、まぶしいくらいの光を照らしてあげたい・・・。
そう思いながら祖母は、サイドガラスから曇った空を仰いだ・・・。
しばらくして、遥と竜司が車に戻って来た。
「寒い・・・無理・・・」
竜司が運転席に座り鼻をすすっていると、遥が武とすみれがいない事に気付く。
「なんだかんだで、ラブラブじゃんっ」
それを聞き、祖母は小さく呟いた。
「・・・そういえばどうなったんだろうね・・・」
「どうかした?」
遥が不思議そうに尋ねる。
「武が急いで香樹を置いてすぐ出ていったからね・・・?」
「え?すみれさん、車に戻るって言ってたよね?」
遥は二人が心配になると竜司に確認する。
「俺、武さんに電話してみるよ」
すると竜司はそう言い、武に電話を掛けた。
「あっ竜司か?何?」
「武さんっ、大丈夫ですか?」
武が電話に出ると、竜司は何の前触れもなく質問する。
「何が」
「何がって・・・」
武も竜司も何がなんだかわからない会話をしていると、遥が竜司の携帯を奪う。
「勝手に遠く行っちゃダメでしょ!!」
「あ・・・ごめん・・・てかなんでキレてんの」
その十分後、武とすみれの二人は車に戻ってきた。
そして武は忘れていた。
出ないまま切ってしまった着信があった事を・・・。
やがて海沿いを走り、六人は旅館に着いた。
部屋は武、竜司、香樹の三人と、祖母、遥、すみれの三人に別れ、少しだけ休憩した武達三人は温泉に浸かる事にした。
「風呂行くか」
武の言葉に香樹がはしゃぐと、竜司は浴衣の大きさを確認しだす。
「よしっ香樹、パンツ忘れんなよ?」
「うんっ」
武は香樹にそう言いタオルを手渡すと、今度は竜司を急かす。
「早くしろよ~竜司」
「・・・いや、これ小さくないですか?」
「えぇ?」
「浴衣ですよ浴衣」
「まぁ・・・ちっちゃいけど・・・ププッ」
「笑いましたよね・・・?」
「いや・・・笑ってねぇよ?・・・プププッ・・・」
そして、先に行くと声を掛け、武と香樹は部屋を出る。
竜司は仕方なく小さめの浴衣を持ち、急ぎ足で風呂に向かった。
その頃、一方の遥達三人は部屋でくつろいでいた。
遥が寝転びながら、唐突にすみれに質問する。
「ねぇすみれさん、お兄ちゃんのどこがいいの?」
「どこがいいのって聞き方ないでしょ遥」
祖母が笑顔でそう言うと、すみれも笑って答える。
「どこがいいかわかんないから好きなのかもねぇ・・・なんでだろね」
「ふ~ん」
その時突然、地震が来た。
「あ・・・地震だよね?」
「もうやだー地震・・・」
一方、風呂に浸かっている三人。
「あ~やっぱり疲れだよ、疲れ。目の前揺れてる」
武がそう言うと、竜司が冷静に答える。
「武さん、これ地震ですね」
「・・・けっ、つまんねぇ男だぜ・・・」
揺れが治まると、遥はすみれに興味津々に伺う。
「そう言えば、地震の日に告られたんでしょ?お兄ちゃんに」
「うん」
「どう思った?」
「ん~・・・この人正気かなぁって・・・」
「キャハハッ!ウケるぅ・・・お腹痛ぃ・・・バカ兄貴だバカ兄貴」
竜司も湯船に浸かりながら武に伺う。
「そういえば武さん、地震の日に告ったんですよね?」
「そうだけど?」
「なんて言ったんすか?ねぇねぇ」
「・・・いや・・・好きだって・・・」
「ハハハハッ!ウケるし!」
「ツボがわからん」
続けて、竜司が顔を拭きながら話し出した。
「・・・でもよかったですね。幸せそうですしすみれさん」
「そう見える?」
「見えますよ」
「・・・淋しいって言ってたんだけどなぁ」
「・・・まぁ・・・そうも見えます・・・でもこうやってると、病気だとか色々忘れられますねぇ~」
「そうだなぁ~」
「・・・遥は・・・いつまで生きていられるんですかね・・・」
と、突然竜司は暗い顔をした。
「・・・全然忘れてねぇじゃん・・・」
武がそう言うと、考え込むように竜司は話し出す。
「ってか俺は一体・・・何やってんだろ・・・」
「え?」
「この前、武さんのおばあちゃんに言われました。俺は俺でいいって。でも・・・何にも出来ない。ただ、遥の傍にいるだけで・・・なんかかっこ悪いっすよ」
竜司は少し笑って、悔しさを隠して見せた。
「・・・まぁ、とにかく浴衣は小さくてかっこ悪いけど、おまえは大きい人間なんじゃねぇ?・・・俺はそう思うよ?多分。あ~!ってかのぼせたなぁ~」
そう言いながら、武は先に風呂をあがる。
それを聞き、竜司は穏やかな顔でジャブジャブ泳いでいる香樹を呼んだ。
「竜司兄ちゃんも泳ぐぅ?」
「俺、泳げねぇもん」
「えーっ!カッコ悪ぅ~」
「あ~カッコ悪いさ」
そして香樹を抱き抱え、竜司は楽しそうに話し出す。
「香樹はお姉ちゃん好きか?」
「好きだよ~?」
「じゃあ、二人で守ってやろうなっ」
「うん!・・・竜司兄ちゃん、髭痛い・・・」
そして夕飯が終わり、六人は共に過ごせる残り少ない時間を楽しんだ。
やがてすみれと祖母、香樹の三人が寝ると、武は誰もいない電気の消えたロビーにいた。
と、そこに疲れた顔でフラフラと遥が現れ、武の横に座ると、缶ジュースを飲みながら話し始める。
「お兄ちゃん、なんでギター持ってきたの?」
「曲作るから」
「へぇ~。すみれさんの前でかっこつけたいだけかと思った」
「なんだそれ」
笑って武が答える。
「・・・」
「・・・」
と、少し沈黙になり、しばらくして遥が口を開いた。
「・・・お兄ちゃん」
「・・・ん?」
「ありがとう」
「・・・なんで」
そのまま遥は武に寄り添いかかり、ゆっくり話し出す。
「・・・私、もう悔い無いよ?」
「・・・おまえまたそんな事・・・」
武の言葉を遮るように遥は続ける。
「いいんだぁ・・・もう。私・・・この家族に生まれてよかった・・・」
「・・・」
「すみれさん離しちゃダメだよ?お兄ちゃんをあんなに想ってくれる人これから多分いないよ?」
「・・・どーゆう意味・・・?」
「綺麗だし、もったいないよ絶対。それからおばあちゃんももう歳だし、家事手伝ってあげないと・・・それと、香樹はこれからどんどん大きくなるよ?大丈夫?」
「・・・大丈夫・・・だろ・・・」
「面倒見れるの?」
「・・・おまえが見ろよ」
「・・・私はもう見れないよ」
「・・・」
「私は・・・・・・死んじゃうから・・・」
そして武は、涙声の遥の頭をそっと撫でた。
「・・・竜司には・・・ほんと感謝してるんだぁ・・・私なんかを・・・」
自分の吐いた言葉が感情を揺さぶり、遥の頬を真っ直ぐに涙が伝う。
「私なんかをさ・・・好きになってくれて・・・」
「・・・おまえだから好きになったんじゃねぇのか?」
慰めるように穏やかな声で武が話すと、遥は涙がこぼれないように少し上を向いて話す。
「・・・最後に恋出来てよかった・・・抜けてるけど優しくて、大事に想ってくれて・・・今日は・・・楽しかったなぁ・・・こんな毎日が続けばいいのに・・・」
「・・・」
「・・・こんな幸せが毎日、毎日・・・変わらず続けばいいのにな・・・」
「・・・あぁ」
「死ぬのは・・・幸せの終わりって事なんだね・・・」
「・・・おまえ・・・俺の妹でよかったな」
「うん・・・でも、なんで?」
「・・・なんとなくだよ」
「・・・変なの・・・」
「もう寝ろ?」
「・・・うん」
二人はそのまま、「おやすみ」と声を掛け合い部屋へと戻る。
そしてその頃竜司は、遥の部屋の外に腰を下ろして待っていた。
遥が部屋の前に戻ってくると、「おかえり」と声を掛け、そのまま遥を連れて予約しておいた混浴の露天風呂へと向かう。
「竜司・・・見ないでね?」
「うん。見ない見ない」
「見てるでしょ」
「見てないって」
「いいよ?ちょっとなら」
「あ、そ~ぉ?」
「殴るよ・・・?」
暗い露天風呂で、小さな灯りだけが二人を照らしていた。
湯に浸かりながら、竜司が話し掛ける。
「遥。今日は・・・楽しめた?」
「うん!すごい楽しかった!」
二人は少し距離を置き、背中を向けてお互いを見ないまま話している。
「よかった・・・」
その言葉を聞き、今度は遥が聞き返す。
「竜司は?」
「ん?・・・楽しかった・・・」
「そっかっ」
「けど・・・」
「ん?」
「切なかった・・・・」
「・・・」
竜司は、少し涙声で話す。
「遥・・・」
「ん?」
「・・・どこにも行くなよ・・・」
「・・・うん・・・」
「ほんとだな?行かねぇんだな?」
竜司は振り向き、遥に言い寄る。
「・・・どうしたの?」
「行かないって言えよ」
「・・・私は・・・」
「行くなよ!!」
竜司はそう言い、遥を抱き締めた。
「行くなよ・・・どこにも・・・」
「・・・竜司・・・私は死ぬんだよ・・・?」
「ダメだ。死ぬな・・・」
「・・・でもね?私は病気・・・」
話を塞ぐように竜司は遥にキスをする。
その後少しだけ顔を遠ざけ、遥は微笑んで竜司の顔を見つめ、小さな声で伺う。
「・・・泣いてるの?」
「泣いてねぇよ」
「・・・泣いてるじゃん・・・」
「・・・そりゃ・・・泣くだろ・・・」
そして遥は笑顔で竜司の頭を撫でながら、優しく問い掛ける。
「素直だね・・・いつもいつも・・・今日はずっと一緒にいてあげるから・・・ね?・・・泣いちゃダメ・・・竜司」
「・・・今日だけか・・・」
「・・・もうっ!・・・・・・・・・・ずっとだよっ!」
二人は月明かりの下、長いキスをし、誰にも知られぬよう、聞かれぬように抱き合った。
誰にも邪魔されないように、密かに残された時間を、せめて悔やむ事がないようにと・・・。
次の日、武は、思い出した。
昨日の着信。
着信相手は、
神谷だった。
一日遅れて、神谷にかけなおす。
神谷の携帯には、武の知らない年配の女の人が出た。
「直子は・・・亡くなりました・・・」
自殺だった―――。