第四章 「二人の恋愛」
第四章 二人の恋愛
武は眠れぬまま、弘樹に電話を掛ける。
「弘樹、今何してる?」
「何してるっておまえの電話で起きたよ・・・」
武の問いに、寝ぼけた声で弘樹が答える。
「悪い、やっぱ寝てたか・・・」
「当たり前だろ、どうしたこんな早くに・・・」
武は今の心境を自分でもよくわからないまま話し、何かに怯えている自分を吐き出した。
一方、少し目が覚めた弘樹は、武が自分に救いを求めている事に気が付き、寝起きの声で答える。
「なんだかよくわかんねぇな・・・まぁ自分でもわかんねぇから電話してきたんだろうけどさ。今どこだよ」
武は今いる場所を伝え、弘樹は武のもとへ向かった。
やがて二人は待ち合わせ場所で話をし始め、武はまずすみれの事を話した。
「え!?香樹の先生に!?」
弘樹は驚き、言いにくそうな顔で答える。
「・・・う~ん、それはフラれたんだろうなぁ・・・それか適当な男だって思われたとか・・・いや、聞こえてなかったとか?・・・そりゃねぇだろうし・・・」
弘樹が苦笑いしながらそう言うと、武は話を逸らし弘樹に聞きだした。
「・・・で、おまえ最近どうなんだ・・・?いつまで裏の世界で・・・」
それを聞くと、弘樹の顔つきが変わる。
「・・・組織ってのは難しいんだよ」
弘樹は武の通っていた中学へ二年の時に転校してきた。
喧嘩っ早いが律儀で素直な性格を武は自然と受け入れていた。
同じ部活に移り、弘樹は中三でボクシング中学の部で一位にまでなる。
しかし中学を卒業後は、何をするわけでも無くフラフラし、武とも会わなくなっていた。
母親は小さい頃に男を作って蒸発、父親はアル中になり家でごろつきまわっていたが、弘樹が十六になるとすぐに病気で亡くなった。
夢などまったく無かった。
そして生きる希望もクソも無かった―――。
武は少し心配になり、弘樹に事情を伺う。
「奥さんも出来た事だしもうちょっと考えたらどーだよ」
「へっ・・・まぁ離婚するにはもってこいな仕事だしなぁ。こりゃ、すぐ離婚かもよ?」
そう言われると武は何か全てが嫌になり、やけになって続ける。
「まぁ・・・どうせもうすぐ世界は終わるんだ。続けたいなら続けろ・・・」
そう言って武は席を立とうとした。
「まぁまぁ。そんなことより昨日の地震だよ。それとあの雨。どう考えてもおかしいよな」
弘樹がナポリタンをすすりながらそう言うと、武は窓の外を見ながら話す。
「おかしいか・・・まぁ確かになぁ。でも、おかしいと思う事は今まで人間が作った常識に囚われているからだろ。三次元世界の人間には例えば四次元の事なんてわかるはずが無い。この世がもし、四次元が当たり前になったら・・・人間は常識だの言ってるうちはまともに生きていく事なんて出来っこねぇよ」
その時、武はすでに何かを理解していた。
それは少しやけになり、自分自身と他人を一瞬でも見放したせいだった。
「なんだ、意外と平気そうじゃねぇか。さっきまでのおまえと違うじゃん」
弘樹がそう言いながら武を見ると、思い出すように武がそれに答える。
「人間の目は固定されてない。上下左右に動かす事ができる。目を瞑れば、自分を見る事ができる・・・って誰かが言ってたよ。何かの本だったかな」
その言葉に対し、弘樹も少し笑って切り返した。
「でも俺は世界がどんなんなろうと・・・いつ死んでもいい覚悟があるから。そんな事にびびってられねぇよ、おまえみたいに」
武がそれに続ける。
「覚悟か・・・それは自分の生き方への覚悟じゃないか?生き方に恥じたくないからそう出来るんだ。でもそれは弱さと背中合わせなんだけどな・・・俺はおまえらと違って守るモンがある。そりゃ確かにびびってるのかもな・・・羨ましいよおまえらが」
「勘違いするな、俺にも家庭があんだ」
弘樹には武の今の心境がわかっていた。
そのまま、武に「じゃあな」と告げ、車に乗り込む。
そして、自分の存在をタバコの煙で誤魔化しながら、ガラス越しに今日の空を仰いだ。
次の日、昨日の雨が嘘のように空は青一色だった。
風邪をひいていた遥は昼前に目が覚め、昨日の熱はすでに下がっていた。
そして台所でお茶を一口飲むと、竜司と傷ついた犬の事が気になりだす。
「香樹、おはよぉ」
小学校も高校も一時学校閉鎖になり、遥は外に出ようと香樹に声を掛けた。
遥の頭の中に竜司が働く動物病院が浮かび上がる。
「どこいくのぉ?」
可愛いらしい眼差しで香樹が遥を見つめると、
「ん~・・・お散歩行こっ?」
遥はそう言い、香樹を連れて動物病院へ向かった。
二十分程歩き病院に着くと、院長が庭の手入れをしていた。
そして遥が話し掛けると、院長は昨日犬を運んできた子だと気付き、笑顔で受け答える。
「あっ昨日の。怪我はすっかりよくなったよ?あの子犬」
遥は、あの犬は竜司が助けた犬だと院長に説明し、その後、院内で元気になった犬の姿を見ると嬉しくなり、竜司の喜ぶ顔を思い浮かべた。
すると、院長が遥にお願いをし始める。
「竜司はまだ病院らしいんだ。診てきてやってくれないか」
「え・・・でも・・・」
「・・・お願い出来ないかな・・・?」
「・・・はい。わかりました・・・」
そうして、院長の言葉に少し戸惑ったが、遥は竜司が入院している病院まで見舞いをしに行くことにした。
というより、その為に香樹を連れて外に出た自分自身に違和感を感じ、少しドキドキしていた。
何故か竜司が気になって仕方なかった・・・。
昨日に続き、病院内は怪我人などで溢れ、遥は香樹の手を握りながら竜司の病室へ向かう。
やがて病室の前に来ると心臓が早くなり、緊張が増してきた。
「どーしたの?お姉ちゃん」
ドアの前でドキドキしている遥を見て、香樹が不思議そうに伺う。
「ん?・・・さっきの犬を助けてくれたお兄ちゃんがこの部屋の中にいるんだよ?」
「ふ~ん」
緊張しながら遥が説明すると、よくわからない感じで香樹は返事をし、今度は「入らないの?」と無邪気に尋ねる。
「ん~・・・どうしよぉ・・・」
そして悩みながら遥は、後ろにあった長椅子に腰掛けた。
「大丈夫?お姉ちゃん」
香樹が気にかけたその時・・・。
ガチャッ。
竜司の入っている病室のドアが開き、遥はびっくりし
てふいに勢い良く立ち上がる。
「あっこんにちはぁ~」
椅子に座っている遥に挨拶をし、ナース室の方に向かっていくのはどこの誰だかわからない中年男性だった・・・。
「もぉ~・・・びっくりさせないでよぉ・・・」
遥は拍子抜けしてもう一度椅子に座り、ため息をつきながら下を向く。
「ねぇねぇ、お姉ちゃん?どーしたのぉ?」
普段と違う遥を見て、香樹が呼び掛けると今度は、若い声で誰かが遥に話し掛けてきた。
「あれ?遥ちゃんだっけ?」
座ったまま上を見上げると・・・
いつの間にかそこには竜司が立っていた。
たまたまタバコを吸いに下の階まで降りていたらしい。
「あっ。見舞いに来てくれたの?悪いね」
「いや・・・あの・・・犬!元気になってたから・・・」
遥は思うように喋れないでいる。
「そうかぁ・・・よかった・・・」
その時、安心した竜司の笑顔を見て、遥は胸がギュッとなる。
そして少し話をするとだんだん落ち着きだし、ドキドキしていた気持ちが治まってきた。
遥はふと竜司に尋ねる。
「動物好きなの?」
「・・・どうかな。好きって言えば好きなんかな」
意外だった。
竜司は笑って答えるが、その横顔に遥は暗い影を見つける。
やがて竜司がゆっくり部屋へ入っていくと、遥もその後をついて部屋に入った。
そしてとっさに遥は切り返す。
「・・・そっかっ。でもいい人だねっ?あんなになって助けてあげられるなんてすごいよっ!優しいんだね」
遥は、特に悪いともなんとも言えない雰囲気を、苦し紛れに変えようとした。
それは遥がイメージしていたものと少し違っていたから・・・。
するとそんな遥の言葉に対し、竜司はベットに座り、包帯を巻き直しながら答える。
「良い奴になりたくてやった事なら褒められて嬉しいだろうけどさ、俺は良い奴でもなんでもない。やっぱ痛いし、イライラするし。後悔もする。実際こうなるとなんで助けたのかなって思うよ・・・だいたい、人の目に見られて、当たり前にした事が『良い事』になっちまうなら見ないでほしかったな。あれは俺にとっちゃ優しさでもなんでもない。獣医として当たり前の事だから。仕事のせいだよ、職業病」
「ごめん・・・」
それを聞き、遥は謝った。
そして少し沈黙になり、遥は自然と心中を打ち明けだす。
「でも・・・それは優しさじゃないとか・・・違うよ・・・別に優しくしようとか、良い人って思われようとしたわけじゃなくても、私が昨日見たあなたは優しい人だった。優しいなぁって思った。でも私が勝手にそう感じちゃっただけなんだから自分を否定するような事言わなくてもいいよ・・・」
「・・・遥ちゃん、素直なんだな」
うつむきながら話す遥を見て、竜司はそれを交わすように笑顔を作り、お茶を差し出した。
竜司の言葉に、遥は少し淋しく悔しい気持ちと、恥ずかしい気持ちになる。
何かを隠すような少し冷たい目をした竜司の態度に、遥は思わず気持ちをぶつけてしまった。
なぜ、少しむきになってしまったのか・・・。
なぜ、竜司は自分を否定したのか・・・。
考えながらも他愛もない会話を交わし、また来るねと遥は病室を出る。
一方、いつの日からか竜司は、自分に素直になれず生きていた。
いちいち心を開いていては面倒だとも思っている。
褒められた事で実際には嬉しくもあり、それとは逆に自分の心の隙間に入ってこられるのが恐くも感じていた。
だからなのか、遥に優しいと言われた事もどこか信用出来ないでいた竜司だが、その反面、少し涙目になりながら話す遥に素直さを感じ、何か安らぎみたいなものを貰った。
どうして安らいだのか・・・。
素直になれない本来の気持ち・・・。
それを包み込むような遥の優しい目と言葉に、竜司は一瞬、遥になら心を開けるような気がした。
一方その頃、弘樹と会ってから一睡もしていない武は電車に乗っていた。
手すりにつかまりながら、特にどこへ行くわけでもなく山手線に乗り、ただボーっと外を眺めていると、やがて池袋から出た車両はアナウンスが鳴り、新宿に到着する。
そしてそのまま降りる事もなく、ゆらゆらと横揺れに身を任せ、一瞬何気なく視線を車内に戻すと・・・
「あれ・・・?」
偶然、すみれが斜め前に立っている事に気が付く。
しかし先日の告白から、話し掛ける事が出来ず、なんとか気付かせようとわざと一つ二つ咳をしてみた。
「・・・あっ、武さん・・・?」
するとすみれも武に気が付き、自然と話し掛けてきた。
―渋谷、渋谷です―
アナウンスが流れるが武には聞こえていない。
「あれ、偶然だね・・・どこへ・・・?」
ぎこちなく武が返事をすると、ちょうど電車は渋谷に着いた。
すみれの立っていた反対側のドアが開く。
「・・・私、降りますね?じゃあ・・・」
少しギクシャクした感じが漂い、すみれはそう言うと、武を横切り電車を降りようとした。
あわてふためき、武はとっさに、
「・・・あっ、俺も渋谷だ・・・」
渋谷に用事もないのに、すみれと一緒に電車を降りた・・・。
そしてホームの階段を下りながら、武が伺う。
「なんか用事あるの?渋谷」
「ん~・・・まぁ買い物・・・かな」
武の問いに、何かを隠しているかのようにすみれは答える。
「じゃあ付き合うよ買い物」
思い切って武がそう言うと、少し沈黙になったが、その後すみれは微笑んで小さく頷いた。
やがて二人は少し距離を保ちながら渋谷の街を歩き、すみれはこの間の事はなかったかのように笑顔で武に話し掛ける。
武はそんなすみれを不思議に思いながらも、二人で過ごす時間を楽しんだ。
そして三時間程過ぎ、歩き疲れた二人は店に入って休憩をとる事にした。
「今日はありがとうございますっ」
セルフサービスのおしぼりを武に渡し、すみれは礼を言う。
「いや、俺も楽しかったし。で、買いたいモノ買えた?」
「・・・はい・・・」
武の質問に、すみれは急に少し曇った顔をした。
「・・・疲れちゃった?」
「ん~ん。大丈夫です」
その顔を見て武が気遣うと、すみれは笑みを戻し、首を横に振る。
そして、すみれがウーロン茶を一口飲むと、楽しいデートムードが一変した。
武は、そのすみれの雰囲気に、先日の告白を思い出して恥ずかしくなり、まともに顔を見ることが出来ない。
ただ、すみれが何かを言おうとしている事だけは感じていた・・・。
そして、少しぎこちない会話が続いた後、ついにすみれが今日の買い物の真相を打ち明け始める。
「実は・・・彼氏の誕生日の買い物だったんです・・・今日」
その瞬間、武は何かに胸をギューっと締め付けられるような感覚を覚える。
「そっか・・・」
それを隠すように、武が引きつった笑いを見せると、すみれはその顔を見ないまま、気になっていた事を思い切って聞き始めた。
「この前の・・・武さんの・・・あれ、冗談ですよね?気になっちゃって・・・」
「あれって・・・?」
武が固まると、一方のすみれは、ウーロン茶のストローをゆっくりと上下に動かしながら気持ちを伺う。
「好きって・・・」
「・・・本気だけど・・・」
武がそう言うと、テーブル越し一メートル間に重い沈黙が流れ、やがてその重さと自分の心臓の高鳴りに我慢出来ず、武が口を開いた。
「・・・でも先生ほらっ彼氏いるんだし・・・あれは忘れていいからさ」
苦し紛れに武は言ってしまった・・・。
この空気が変わるなら・・・そして、すみれの困った顔を見ているくらいならそれでいいと思った。
武は・・・この場を逃げたかった・・・。
するとすみれは、意外な言葉を口にする。
「・・・・・・忘れちゃってもいいんですか?」
「えっ・・・」
「・・・・・あの・・・・・私は忘れたくないです・・・」
思いもよらなかった――。
その瞬間、何か・・・エネルギーみたいなモノが体を駆け上がった気がした。
そして、うつむきながら照れているすみれを、武は凝視出来ぬまま、必死で言葉を探す。
「・・・いや・・・」
「びっくりした・・・でも・・・嬉しかったよ?」
するとすみれは、武からの返事を待つ事無くそう言い、顔を上げて微笑んだ。
その言葉と笑顔で、武の気持ちが固まる。
「・・・俺も・・・忘れてほしくはないです・・・」
「・・・じゃあ・・・」
「・・・」
「・・・ちゃんとしまっておきますね?・・・」
「・・・うん」
その瞬間、武はほんのささいな事が幸せに思えた。
世界中、そんなささいな幸せを誰もが日々実感して生きているんだと改めて思い、そして茂が言った言葉から感じていたあの嫌な予感が吹き飛んだ。
だがそんな武の思いとは裏腹に、もう時期、幸せが幸せでなくなる事に武は苦しむ事になる―――。
そして武は、会話の中で少し余裕が出始めた。
「・・・今度、映画でも行こっか・・・?」
「あっ。私、今見たいのあるんですっ」
「そうなんだ」
「あ・・・でもやっぱり武さん、好きじゃないかも」
「え?あ・・・そんなに焦んなくっていいからさ。ゆっくりでいいよ、ゆっくりで」
「え?」
「え?」
「・・・ホラー映画の事ですけど・・・」
「・・・あっ・・・あぁ、あぁホラーねっ!!好き好き」
「よかったぁ。超怖いですよ?」
「超怖いのへーきよ」
「そうですかっ。楽しみぃ。あっでも恋愛モノも見たいなぁ~。今、泣ける映画いっぱいやってるんですよぉ」
「へぇ~。いつでも胸を貸すよ」
「え?」
「え?・・・あっ、冗談冗談」
「・・・でもあのぎゅってやつ・・・あれは、ずるいですよ・・・」
「・・・」
「ドキドキしたんですけど・・・」
「・・・うん」
「あんなの・・・初めてで・・・」
「・・・」
「なんだか・・・すごい安心出来たんです」
それを聞くと、武は父親が頭に浮かんだ。
それは言葉や態度で表すほど中途半端なモノじゃなく、『守る』という、でっかい覚悟を感じとれという事。
叔父の事件も少し自分の中で決着がつきそうだった――。
その後、会話の中で、武はすみれに家族の事を話す。
父親の事、母親の事――。
そして武はその時、牢屋に居る父親に会いに行こうと決心していた。
店を出ると、武はすみれを家まで送り届け、今日の礼を言う。
「今日はありがとう・・・また今度なんか奢るよ」
「ん~ん。こっちこそありがとぉ。香樹君に勉強教えてあげなきゃ駄目だよっ?お兄ちゃんっ」
二人の距離が少しだけ縮まり、すみれは冗談で切り返した。
やがて武はすみれを見送ると、父親の姿を目線の先に映し覚悟を決めて家へと足を向かわせる。
その日、暗い空にぼんやり赤みがかかっていた。
そして天上に滲んだ怒りは、恐怖感を放ち、地上を睨みつけていた――。