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第十章 「愛」

第十章 愛





「これは取り調べってやつか」


「事情聴取だ」



武と茂は目を見ないまま会話を交わす。



「彼女が最後に電話したのがおまえだからな」


「・・・そうだな」


「まぁ・・・特に聞くこともない・・・すまないな」


「聞けよ」


「何?」



武は鋭い目をして茂を見た。



「いいから聞けよ。なんで電話に出なかったのか、何やってたんだ、おまえが殺したんじゃねぇのかとかよぉ。聞く事たくさんあんだろ」


「・・・」


「俺は弘樹も神谷も助けらんねぇんだな・・・」



それを聞くと、茂も目を鋭くする。



「自惚れんな」


「何だって?」 


「自分に酔ってんのかてめぇは。もしおまえが全てを解決出来るなら俺はおまえを責める。何さぼってんだってな。おまえはそんなに偉い人間か。人間てのは限界があるんだ。どうにか救いあげたくても、どうしようもない事もあんだよ。だから神様だ仏様だと救いを求める。自分の限界を知らないうちに感じているからだよ。それにぶつかった自分が怖いからだよ。だからすがるんだ。それでも、幾ら祈っても、幾ら願っても答えてくれない。ワシも家族を殺されて思ったよ・・・神様なんていねぇって。なんで助けてくれねぇんだって。神様って何だ。それは多分自分だろう。お祈りするのは、自分の心を確認する為だ。今ここにいる自分の心をな。願っても願ってもそれは自分の中でしかない。人間なんてモンはたかだかそんなモンだ。繊細で、弱く、モロい。おまえも人間だ。神様は自分の中にしかいない。他人を全て救うなんてのはな・・・無理なんだよ、武」



そして、武は茂を睨む様に見た。



「いつもいつもわかったような事言うんじゃねぇよ・・・」


「何?」







「人間だ神だぁ?・・・俺は俺だ・・・誰もがそんな宗教じみた事考えながら生きてんのか・・・どいつもこいつも結果論ばっかで・・・そんな御託並べながら誰かの苦しみを見て見ないフリしてる奴ばっかじゃねぇか・・・そんな作ったような言葉で解決出来りゃ誰も悩んだり苦しんだりしねぇんだよ!!なんだよ限界ってよ・・・人を想う時に自分の限界なんてモン考えてねぇんだよ!!あいつの苦しみを救ってやれる程、出来た奴でも偉い人間でもないかも知れねぇけどな・・・俺は何も出来なかった自分を後悔しない程、平然と生きられる奴でもねぇ!!!もっと解ってあげられたかも知れない、もっと傍に居て話を聞いてやれたかも知れない・・・今の俺にはそれしか考えられねぇんだよ!!俺は・・・俺は何て言われようと救いたかったんだよバカヤロー!うるせぇ御託並べんな!!!」





そしてそのまま武は署を後にした。








もう、考える力も無かった。











ただ唯一出来る事・・・。



















それは音楽しか無かった。













三日後、遥の病室には優が来ていた。



「ホント久しぶりだね、優~。でも突然どーしたの?」



寝ていた体を起こし、笑顔で遥が話し掛ける。



「遥・・・大丈夫なの?」


「うんっ。優、最近何してるの?みんな元気?」


「ん・・・別に何もしてないかな・・・みんなは・・・」



優は遥の知っている元気な優では無かった。


そして遥は、それを感じ取りながら伺う。



「・・・学校は・・・行ってるの?」


「いいじゃんそんな事・・・」



遥の質問に、そう言い、何かを誤魔化した顔で優は目を逸らす。



「優、何か・・・あった?」



心配気に遥が優にそう聞くと、優は気力の無い声で聞き返した。



「・・・どうして・・・遥はそんな風に普通でいられるの・・・?」


「えっ?」


「私は・・・何の為に生きてるかわかんない・・・家にももう・・・帰れないよ・・・」



そう言い、優は突然泣き出す。


そしてポケットから小さな袋を取り出し、遥に手渡すと、ベッドの横に座り込んだ。



「もう・・・これが無いと生きていけないの・・・」



「優・・・これ・・・」







優はクスリ漬けになっていた。







「たくさんの人と寝た・・・それでいっぱいお金貰って、その場その場で淋しいのを紛らわせた・・・そうしないと自分がいなくなる気がしたから・・・誰でもよかった・・・その時だけは私を求めてくれるからさ・・・その時だけはね?必要とされてる気がしたの・・・でも・・・それでも、淋しくて苦しくて・・・消えちゃいそうで・・・だからこれに手を出して・・・」




遥は突然の事に驚きながら聞く。




「・・・彼氏は・・・」



「これのせいでね?・・・植物だよ・・・」



「・・・なんで?どぉして!?」



「だって!!私を必要となんて誰もしてないじゃん!!遥みたいに誰かが傍にいてくれるわけじゃないんだよ!!病気になって当然だよ!!そんな幸せ無いよ!!!私は何!?何の為に生きてるの!?」



「優・・・」



「どーせ幸せになったらみんな死んじゃうんだよ!?お金貰ってさぁ、良い物買って何が悪いの!?みんな否定するような目で見てさぁ!!誰もわかってくれないじゃん!!わかろうともしないし、冷たい目で見て関わろうともしない!!クスリやって何が悪いの!?」



「ねぇ・・・優聞いて?」



「もう何が正しいのかなんてわかんないよ!!どう転がったって、私達はもう今まで通りに暮らしてなんかいけない・・・今更個人、個人が何しようと勝手じゃんっ!!」








それを聞くとたまらず、遥は優の頬を叩いた。










「・・・・・辛かったんだね・・・優・・・・・」









その後、遥はそう言うと優の手を取る。










そして優は何も言えず、遥が続ける。








「・・・ごめんね?気付いてあげられなかった・・・もう怖がらなくていい。私だって、一緒だから・・・私も優と同じだよ?だから私は優を否定しないし、優も自分を否定しなくていい・・・優は私にとっていつまでも大事な人だからね?」



「なんで・・・」



「ん?」



「なんでそんな事言うの・・・?」



「だって優はこうやってここにいるじゃん!!こんなにあったかい手してるんだよ?生きてる意味なんてみんなわかんない。居場所も無いかも知れないよ?一人で探して我慢して、たった一人で頑張ってたんだね・・・私なんかが偉そうな事言えないけどさ・・・でも、誰にも必要とされてない気がしてもね・・・?命を自分で絶つ事はしないで・・・」



そう声を掛けると、遥は優の手首を手のひらで覆う。



「お願いだから・・・」



優は涙が止まらなかった・・・。


遥はそんな優を見て、同情や哀れみでは無く、友達として精一杯、楽にしてあげたかった。




「遥・・・ごめん・・・ごめんね・・・」



「謝らなくていいから。優は何にも悪くない。怖くて怖くてどうしようもなかったんだね・・・大丈夫だから・・・優は世話好きで、優しくてさぁ、歌が上手で、いつも笑顔で明るくて・・・私の自慢だったんだよ?・・・それに、私に恋愛の楽しさを教えてくれたのは優だから・・・」



「・・・え?・・・そんな事・・・ないよ」



「ん~ん。『幸せになろうよ』って・・・いつもいつも私を励ましてくれてた。恋って素晴らしいよ?楽しいよ?ってね?いつも応援してくれた。だから私が恋愛出来たのは、優のおかげなんだぁ~。だからさ、また、あの頃みたいに笑って過ごせる日が必ず来るよ・・・絶対来る」



「でも私はもう・・・」



「まだ遅くないよ?これから、まだまだやり直せる」



「・・・うん」



遥は自分自身に言い聞かせる様に、優に話した。


ゆっくりと、自分の言葉で。


誰に教わったわけでもない。



『頑張れ』とは、相手を思いやる言葉。



だが『頑張れ』とは、時に相手の身動きを止めてしまう事もある。



頑張れと言葉を投げ与えるよりも、『楽になれば?』と諭してあげる事も、時には必要なのかも知れない。



遥は、優の傷付き痛んだ心を優しく塞いだ。


そして、走り続ける事ばかりが勇気ではない。


長い長い休憩で、ゆっくりと自分を探す事も一つの勇気なのかも知れない。


そして十分に休息を取ったら、自分に合った道を歩き始めればいい。




優はゆっくりゆっくり、自分を探して歩き出して行った。







またそれから三日後、降り積もった雪の上を、ぬるい小雨が降り始め、武の傘にポツポツと不規則なリズムで一定の音が弾き飛び回る。


その日、ねずみ色の雲が大きく広がりながら自分を主張し、朝から街はどんよりとした暗い色で始まった。


そしてタバコをくわえながら、背中に黒のギターケースを背負った黒いスーツの男は、たじろぐ事無くその足を行き先へ向かわせる。









武はその日、オーディション会場へと向かっていた。







携帯が鳴る。



「いってらっしゃいっ」


「おぅ」



電話はすみれだった。



「受かるといいねぇ」


「まぁ・・・一週間で作った歌だし・・・どうだろね」


「・・・って言っても聞かせてもらってないからなぁ~」



すみれは電話の向こうで皮肉がる。



「悪い悪い。昨日出来たばっかだしさ」


「頑張ってっ」


「うん。ありがと」



電話を切ると、次は竜司からかかってきた。



「武さん!」


「何?」


「頑張って下さい!」


「うん」


「あの・・・それしか言う事が・・・」


「・・・いいよもう」



笑って武が答えると、遥が電話を代わる。



「お兄ちゃん!」


「何?」


「・・・頑張って!」


「おまえらそれしかねぇのか」



武は一週間で作り上げた曲をひっさげ、諦めかけていた舞台へと向かう。


すでに何の迷いも無く、武の頭には過ぎ去った今日までの出来事がグルグルと駈けずり回っていた。



両親や友達の死。


香樹や竜司、すみれの事。そして遥の事・・・。




同じ時を過ごしながら笑い合い、助け合い、涙しながら人は見えない何かに向かって行く。








『幸せ』









おそらく、知らない内に誰もがそれを手に入れようと努力し、挫折し、それでも夢見て探し求め歩いていく。



先の事は誰にもわからない。



誰もが知っているその事実を、どのように受け止めるか。






気持ち一つで『世界』は変わる。








それが『可能性』を生み、『希望』を見出す。


『希望』がやがて『幸せ』に変わる事を信じ、武は目を光らせて歩いて行った。




恐れを消し去り、力強く。




ただ淡々と、暗く冷たい雨空の下を・・・。






そして、武がオーディションを受けているその日の昼間、遥と竜司は病室にいた。



「雨・・・ひどくなってきたね」



そう言い、遥が窓の外を見た。



「なんか・・・時間が止まってるみたいだ・・・」


「え?」



丸椅子を立ち、竜司も窓の外を見てそう言うと、遥は何か嫌な予感が過ぎり、それを押しつぶすように小さく呟く。



「雨って・・・淋しくなるね・・・」



竜司は、ただ黙って窓の外を見ていた。


その時、竜司にも同じように嫌な予感が脳内を漂い、その嫌気に心を奪われているうちに外は暗くなり、徐々に気温が下がっていく。





やがて、午後十時四十二分。



竜司は病室を出て、下の階のロビーにいた。


そしてタバコに火を付けるその瞬間、遥の病室では誰かがそのドアをノックする。




「・・・はい」




遥は、「こんな夜に誰だろう・・・」と、不安に思いながら返事をした。




「入るぞ・・・?」




すると、扉の向こうから男の声が聞こえる。




「・・・どちら様ですか?」




遥のその問いに、男は少し黙って返事をした。















「・・・父さんだ」













遥はその言葉に驚く。




「・・・なんで?・・・お父さん?・・・」




ドアがゆっくりと開き、病室に黒い傘を持った細い中年の男性が病室に入ってきた。









「・・・お父さん・・・なの?・・・」










「そうだ」











遥は目に涙を溜める。











「・・・どうして・・・」










「・・・遥・・・悪かったな・・・大丈夫か?」










父親が優しく遥にそう話すと、遥の頭に幸せに暮らしていた当時の記憶が蘇った。













「・・・お父さん・・・刑務所じゃ・・・」











「・・・娘が病気の時に・・・げほっ・・・あんな所にいられるか・・・」











父親は時折、深い咳をしながら話す。











「・・・会いに来てくれたの・・・?」










「・・・当たり前だ・・・おまえは俺の大事な娘だからな」











「お父さん!!」











遥は、嬉しさで父親にしがみついた。











「・・・立派になった・・・武も・・・遥も・・・」










「うん・・・香樹に・・・香樹にも会ってあげて・・・?」










それを聞くと、父親は黙る。










「・・・お父さん?」










「香樹には・・・会えないかも知れない・・・」










「どうして・・・」










そして父親は話を逸らし、力の無い声で話し始めた。










「遥・・・男親っていうのは・・・娘に嫌われるモンだ・・・」



「え?」



「・・・汚ねぇし、臭ぇしな・・・」



それを聞き、遥が微笑むと、父親は笑顔で続ける。









「・・・でも・・・いつまでも忘れられねぇんだ、お前達のあの時の顔が・・・お父さんって呼ぶ笑った顔がよ・・・だからなんて言われても・・・嫌われても嫌われても・・・お前達が大事で仕方がねぇ・・・」









遥は、我慢しきれず涙を流す。










「・・・おまえは・・・いい子だなぁ・・・」



思い返すように、父親は遥の髪を撫でた。



「おまえは人一倍頑張る子だった・・・武と違って学校も休まず・・・よく頑張ったなぁ・・・」



そして遥は目を瞑り、泣きながら首を横に振る。



「・・・勉強も頑張るし、家事も手伝って・・・・・・こんないい子が・・・」












「・・・」


















「どうして・・・死ななきゃいけない・・・」














父親もまた、我慢しきれず拳を握り締め、悔やむように涙を流した。





「・・・すまない・・・遥・・・今まで何もしてやれなかった・・・すまん・・・」







遥は、父親の泣く姿を初めて見た。









自分の為に、震えながら泣いている姿を・・・。









そしてそんな父親の顔を見て、片手で自分の涙を拭いながら話し始める。










「私はお父さんの子だから・・・」










「・・・」














「私は・・・お父さんとお母さんの子だから・・・嫌いになんてなれないよ。だって・・・会いたかったんだもん・・・ずっと、ずっと・・・・・・会いたかった・・・」














すると、ドアの向こうで遠ざかる足音が響く。








その親子の会話を見守り、竜司は香樹を連れに伊崎家へと走った。





その判断が正しいのか、間違っているのかはわからない。





ただ、自分に出来る事をしようと思った・・・。











《竜司君は、竜司君でいいんだよ?》











いつかの祖母の言葉が竜司の背中を押し、自分の心に今までに感じた事の無い、心地良い何かを発見する。

















それは、初めて知った、人を想う愛だった。














そして病院の外では、赤いランプを回した車が何台も止まっていた。





その車達は、親子をもう一度引き離す為、悲しくゆらゆらと病院を照らし続ける。





やがて竜司は家に着くと武を起こし、香樹を抱きかかえてもう一度病院へ掛けた。










ただ・・・。





















遥の笑顔と、その家族の為に・・・。











そして病院では、別れの瞬間が来ていた。







茂が遥の病室に入り、父親に向けて静かに言葉を発する。





「もう時間だ・・・。伊崎・・・仕事というのは、人の心を無くす事なんかなぁ・・・」




「波川さん・・・」




「・・・自分では変わっていないようで、ワシ達はいつからか変わってしまっているのかもしれん・・・ワシの仕事は・・・正しい事をして来たんだよな・・・?」




「・・・」




「・・・そうだと言ってくれ・・・」




「・・・」




「・・・そう思わないと・・・やりきれない・・・」






茂のその言葉に父親は遥の頭を撫で、立ち上がった。









「待って!!」









たまらず、遥は父親を呼び止める。


しかし父親は、遥の言葉を遮るように病室を出た。










「・・・行かないで・・・」










そう言い、遥もベッドから降り、追うように部屋の外に出る。










そして暗い病院の廊下。







遥はたった一人の父親に向け、精一杯の声で叫んだ。







































「お父さん!!また一緒にご飯食べようね!!」




























きっと・・・。











その瞬間は、もう来ない。











わかっていても、叶わなくても・・・。

















『さようなら』を言うよりは良かった。













そして、それが優しい遥の、父親への精一杯の愛情表現だった。











それを聞き、涙を噛み締めながら父親は茂に連れられ階段を降りて行く。


そして病院を出ると、パトカーと野次馬達が父親を待ち構えていた。


遠くから息を切らした竜司の声が聞こえる。















「まだやり残してる事あるじゃないすか!」












振り返ると、父親の目線の先には、大きく成長した香樹の姿があった――。











「・・・香樹・・・」










竜司は抱きかかえていた香樹を降ろすと、香樹の目線に合わせて笑顔で話す。











「香樹・・・お父さんだよ?」












その瞬間、茂は父親の手錠を外し、呟いた。





「ワシはもう定年だからよ・・・?」





茂に深々と頭を下げ、父親が香樹のもとへ走ると、竜司が香樹の背中を静かに押す。





















忘れた事は無かった。





















ひと時も・・・。























そして父親は、六年間・・・会いたくても会えなかった息子を抱きかかえ、強く抱き締める。




父親の手はその時、子供達を想う、いつかの優しく包み込む大きな手に戻っていた・・・。






「今、何年生だ?」



「・・・もうすぐ二年生・・・」



「そうかぁ!」










そんな姿を遥は、暗い病室から見守りながら涙を流し、やがてもう一人、最後に現れた武は、父親に向けてたった一言、言葉を発する。





















「ありがとな」















父親は力強く頷き、武に向けて小さな箱を投げた。









「なんだこれ」





「母さんの形見だ・・・遥にやってくれ」





「・・・自分であげればいいじゃん」





「・・・恥ずかしいだろ」





「意味わかんねぇ」






父親はそのままパトカーに乗り込み、遠く、家族からまた離れていった。













仕事づけで何も語らない、何も教えてくれない父親だった。





その父親は、最後に大きな手で子供達を抱き締め、何にも変えられない大きな愛を残して行った――。












次の日。



昨日の出来事の余韻を残した病室で、武は父親に貰った箱を遥に手渡す。



「遥にってさ」


「・・・私に?」


「自分で渡せばいいのによ・・・」


「・・・なんだろ」


「母さんの形見らしいよ?」


「え・・・」



箱を開けると、箱の中には綺麗な貝殻が入っていた。



「なんだこれ?」



武が箱の中を覗いて不思議がる。


すると遥はすぐに思い出した。



「・・・これ・・・」


「何?」



竜司が聞くと遥は微笑んで答える。






「小さい頃、私がお母さんにあげた貝だよ?」






「なんだあの親父・・・ガラに合わねぇ・・・」






言葉とは裏腹に、嬉しそうに武は呟いた。





「お父さんが持ってたんだ・・・」





その貝を見ながら、遥も嬉しそうに呟く。


そしてその後、一変して少し悲しい顔をした。








「また・・・戻って来ちゃった・・・」









竜司がそんな遥の顔を見て、冗談を言う。





「じゃあ今度は俺にくれよ」


「おまえなんかにやるかバカっ!」



武も冗談で切り返す。



「なんでですかっ!?おまえなんかって・・・香樹連れて来たの俺ですからね!」


「大体、病院で俺に電話すりゃぁいいじゃねぇか!そっちのが早ぇだろ!」


「・・・そっか・・・そうだな・・・」



そんな会話を聞きながら、遥はその貝を見て思い出すように話し出した。



「遥って名前はね?海を見て付けたんだって」


「ん?」


「お母さんが言ってた」


「・・・そっか。香樹はじゃあやっぱり山かな・・・」


「まぁ、字を見るとそれっぽいですね」



武が香樹の字を思い出しながらそう言うと、竜司が考えながらしかめっ面で答える。


そして武は遥に聞いてみた。



「俺は?」


「お兄ちゃんは、ただ・・・画数だって・・・」


「あっ・・・そぉ・・・」





少し残念そうな顔で武は自分の画数を数えだす。





「これはじゃあ・・・私が持ってよっと」





そう言いながら遥は貝を握り締め、両親の想いをかみ締めた。



そしてその小さな貝は、どこか不思議なオーラを放ちながら、遥の手のひらでコロコロと転がっていた。













やがて陽が落ち、その日の夜。



武とすみれは久しぶりに映画館でデートをする事になった。




「・・・ポテトやめてくんない?」




武が鼻をつまみながら隣のすみれに話し掛ける。




「えぇ?鼻つまんでちゃわかんない」



そんな武に対し、すみれはポテトを食べながら意地悪を言った。



「いやいや。ポテトやめてくんない?」


「いやぁ。ポテトってやっぱり良くない?・・・って?」


「おまえそんな性格だったっけ・・・」


「あっ。知らなかったぁ?」


「・・・気持ちわり・・・」


「武、なんか感じ変わったね」



すみれはスクリーンを見ながら、ポテトから話を遠ざける。



「・・・ん?・・・髪切ったからな」



すると武は、自分の髪を触りながら答える。



「ん~ん。そういう事じゃなくて・・・てか、いつまで鼻つまんでんの・・・やめなよそれ」


「あ・・・はい・・・」



今、ポテトの前では武はすみれに従うしかない。


続けてすみれが話す。



「なんかいい顔してる」


「あっ。わかってきたねぇすみれも」


「はいはい・・・」



すみれが適当に流すと武はふてくされたように、なんだよと聞き返す。



「なんか・・・色々と吹っ切れた顔になったよ?」


「・・・そうか?」


「うん。なんとなく」


「・・・まぁ・・・気付いたからな」


「え?」








「・・・自分の幸せってのに」












その一瞬、すみれは何も言えなかった。




そのまま映画が上映される。




二人は何も話さず、二時間弱の映画を鑑賞した。






静かに始まり・・・そして静かに終わって行く、悲しいラブストーリーを・・・。







映画館を出ると、すみれは鼻をすすりながら武に寄り添いかかる。



「泣けるね・・・あれ・・・」



すみれがそう言うと、武も鼻をすすりながら気力の無い声で答える。



「だから見たくないって言ったのに・・・」


「でも面白かったなぁ」


「ダメだ・・・よし!飯食お、飯」




手を繋ぎ、二人は夜の街を歩く。



その光景は、人々の目にはどう映ったのか・・・。







『幸せ』








行き交う人々の目には、そう映ったかも知れない。





そして、二人はまだ知らなかった。










すみれの中に、小さな命が生まれている事に・・・。











そして二人は、その愛を前に、見て見ないふりをしていた。














『幸せになると死んでしまう』




















定められたこの世の現実を―――。









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