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第一章 「幸せ」

 第一章 幸せ





 五年前に母親を亡くし、祖母、兄、妹、弟の四人で暮らす家族がいた。



 兄の名は『伊崎 武』

 二十二歳。

 仕事をしながら兄弟を養っている。


 妹の名は『伊崎 遥』

 十七歳。


 弟の名前は『伊崎香樹こうき

 六歳。



 三人の父親は六年前に逮捕され、今も務所暮らしをしている。


 日本列島は厳しい冬が去り、季節は暖かい風を連れてきた。


 香樹は小学校に入学、遥は高校三年生になったばかり。


 武は去年と変わらず、営業会社で働いている。




 五月十七日。



 母親の命日の日、兄弟三人は小高い山の上の墓へ向かっていた。






「しんど・・・何?この坂・・・」



 息を荒めながら武が呟く。


 と、後ろを歩く遥が武に話し掛けた。



「お兄ちゃん!花も持ってくんない!?私、一応女の子ですけど」



「遥よ・・・俺の両手見てみろ、桶とブラシで目一杯」



「もぉーっ!やっぱり電動自転車買うべきだった!」



「そんな贅沢出来るかっ。我慢しろ我慢。俺、先行くからな」




 一面緑に囲まれ、坂を上っているとほんのりと汗をかく。

 日差しはさほど強くはないが、頭の上に覆いかぶさるように茂った葉達が、自然と帽子代わりをしてくれる。

 やがて、遥との冗談の言い合いをやめ、勢いに任せて早足で歩き出した武は、遥達二人を置いてかなり先を歩いていた。



「あれ・・・だいぶ来ちゃったな」



 そして、武は二人が追い着くまで少し休憩をとる事にした。

 一本タバコを吸い終わる頃、二人はようやく武に追い着き、遥が息を切らしながら文句を言ってくる。

「ハァ、ハァ・・・お兄ちゃん!!意味も無く早いよっ・・・来年は電動自転車・・・」



「なぁ、暖かいしそろそろコタツしまうかぁ」



 武はそれをまったく聞きもせず、遥に突然切り出した。




「何の話?ってか、コタツしまったらまだ夜寒いし香樹が風邪ひいちゃうでしょ?」



 武が道中の事とは関係の無い話をすると、息を整え、少し呆れた感じで遥がそう答える。


 それに対して武は意味も無く反抗し始めた。



「そんなこと言うけどコタツで寝た方が風邪ひきやすいだろぉよ」


「あのね。お兄ちゃんと違うの。香樹はコタツじゃ寝かせないから大丈夫です」



 まるで遥は母親のように話す。


 それは公立高校へ通いながら、まだ幼い香樹の世話をし、祖母と二人で家事もこなしているせいだろうか。

 やがてコタツをしまうかしまわないかの話をしているうちに、三人は母親の墓に辿り着いた。


 三人は香樹を真ん中に、横一列に並んで手を合わす。

 一息つき、武が寂しさを紛らわせるかのように遥に話しかけた。


「遥ぁ。そろそろおまえ高三なんだからさぁ、彼氏とか作んないわけ?」


「そんな時間あるわけないじゃんっ!お兄ちゃんがたまには香樹の面倒でもみてくれたらね~、そんな余裕もあるんだろーけど?あっ、これは嫌味ですからね」


 武が少し馬鹿にした様に言うと、微笑みながら遥がそれに答える。そして武はとことん突っかかってきた。


「・・・ちっ・・・妹め・・・ってか面倒みてんじゃん。この剣作ってやったの俺だし。もう大きいんだからさ」


「それ面倒とかじゃないしね・・・たまにはご飯作ったりしてよぉ」


「あ~もう、わかったわかった」


 武は面倒に思い、適当に答える。


 そして、桶に入った水を墓にびしゃびしゃとかけて遊んでいる香樹を呼ぶと、香樹は武の呼び掛けに幼い声で返事をした。



「ん~?」



「敵を倒しにいこうか」



 子供のような笑顔で武がそう言うと、香樹はすぐに水遊びをやめ、気持ちは冒険の旅に切り替わる。


 昨日の夜、武は香樹に木の刀を作ってあげた。


 それを振り回し、香樹は「早く行こう」と武をせかす。そして遥を放り、武と香樹は草むら相手に遊びに出かけた。






「ちょっとぉ~遅くなっちゃ駄目だよっ?・・・もう・・・先帰ってるからねぇ~!」



 遥はそう言い、二人が見えなくなると、振り向いてもう一度墓に手を合わせる。

「お母さん・・・香樹あんなに大きくなったよ?」




 そして遥は少しだけ微笑み、お祈りをした。




 空はオレンジ色に染まり、飛行機がどこかの空港へと、遠い空の向こうへ消えていく。


 遥はそれを見つめていた。


 だが、遥が見つめていたモノは飛行機では無く、そのずっと向こうに消えていった家族の過去だった。


 いつでも空は、昼と夜の痛み分けを繰り返している。


 それはおそらく人間の痛み。


 夕焼けはその痛みの焼け跡かもしれない。


 そして人が家路に帰って行くのは、その淋しい焼け跡に、安らぎをそっと添える事が出来るからかもしれない。



 遥はそんな夕焼け空に甘え、家へと帰った。




 春の穏やかな空間に、遥の髪に反射した綺麗なオレンジ色とその残像が映え、時間はこのままゆっくり過ぎていくかのようにみえる。


 しかしその日、人々の心臓の鼓動は、無差別に見えない何かによって乱されていた。




 一つ一つ・・・生きる事を繰り返している全ての人間の『命』に対し、その何かが「レ点」を付けながら鼓動の波を試し、判別しながらうごめいていた。




 その時、まだ人類は誰も知らない。




 知らぬうちに「生」と「死」の分別をされている事を・・・。





 そして三十分ほど歩き、遥が二人より先に家に着くと、家の周りを夕飯のいい匂いが漂う。


 遥は「ただいまぁ」と、少し疲れた声で言いながら靴を脱ぎ台所に向かう。



 すると祖母が一人、夕飯の仕度をしていた。



 武と香樹がいない事を不思議に思い、祖母は二人はどうしたのかと遥に尋ねる。




「あれ?遥。武達は?」


「旅にでたよっ」


「旅?」



 遥の答えにあっけに取られたような顔で、祖母がそう聞き返すと、



「まぁ・・・男にしかわかんないんじゃない?」



 そう言い、遥はダイニングにあるソファーに腰掛け笑って答えた。


 それを聞き、祖母は手ぬぐいで濡れた手を拭きながら遥に近寄る。



「ありがとうね、遥・・・墓参り。苦労ばっかかけて・・・」


「ん~ん。苦労なんて思ってないよ?」



 申し訳なさそうに祖母がそう言うと、優しい顔で遥はうつむきながら答える。




 その五分後。




 泥だらけになりながら、武と香樹が帰ってきた。

 すると遥は二人を見るなり、玄関口で武と香樹を叱る。



「あっ!ちょっと泥だらけじゃん!!二人ともそこで服脱いで風呂っ!」


「遥さん・・・すいません」



 怒る遥に、武が冗談まじりで謝る。



「お姉ちゃん!・・・ほらほらぁ~」


「ん?・・・あっ!香樹ぃ!!」



 そして香樹が面白がり、遥にくっつき虫を付けようとすると、遥はそれに対し真剣に怒った。



 その横で、そんな孫たちの姿を見ながら祖母は嬉しそうに笑っていた。



 父親がいなくなり、母親を亡くしても、素直にそして元気に育ってゆく孫達がただ嬉しかった。



 やがて遥に叱られた為に武と香樹は、その日一番風呂に入り、今日一日分の遊びの汚れを流す事にした。



「香樹~。学校おもしろいか?」


「うんっ」


 湯船につかりながら武が香樹にそう聞くと、香樹はタオルを泳がせて遊びながら、かん高い声で答える。


 続けて武が伺う。



「そうかぁ。もう友達できたらしいなぁ~」



 すると香樹は新しく出来た友達を思い出しながら、その人数を指折り数えだした。




「いっぱいできたよ~?康介君に、るいちゃんにねぇ、え~とねぇ・・・」



「・・・あ~っそうかそうかっ。香樹、友達は大事にしろよ?いっぱい遊んで、みんなで楽しい事探さなきゃな。喧嘩したりしてもいいぞ?」



 武がそう話し出すと、香樹はあまり聞いていない感じでまた遊びだす。



「聞いてるか?おまえ・・・でももしな?友達が辛そうにしてたら、どこにも行っちゃ駄目だからな?自分が辛くてもそいつの側にいてあげるんだぞ?何回も言ってるんだけども・・・もう覚えたか?これ」



「僕難しいの嫌・・・」



 つまらなさそうに香樹は武の目を見て、もういいよと言わんばかりに訴えかけた。



「・・・まぁ、勉強より簡単だよ。難しい話はやめて・・・じゃあ今度の日曜日お兄ちゃんと野球しよう野球」



「うんっ!」



 野球の話になると、一変して嬉しそうに香樹は返事をする。






 貧しい生活ながら、家族は繋がっていた。






 そして二人が風呂からあがると、テーブルには晩御飯が出来ていた。


 四人は一つのテーブルを囲み、母の命日を締めるご飯を食べ始める。




 そして、何気なく祖母が武に尋ねた。



「武、仕事はどうなの?」


「普通だけど?」



 口にご飯を含み、モゴモゴしながら武が答える。



「・・・あんた歌手がどうとかはもういいの?」



 いつもはしない話を、母の命日ということもあってか、祖母は聞きにくそうな顔で武に夢について聞いてみた。



「そうもいかないじゃん、この煮物濃いな・・・」



 何も気にしていないように、平然と武は答える。



「そうかい?・・・」



 少し祖母の顔が暗くなると、武はふいに真剣な顔をして祖母に聞き返した。



「どっちのそうかい?今の。煮物か歌手の事か」



 視線を下にやり、武は祖母に言葉だけで会話をする。



「両方だよ・・・」



 そして小さな声で、武の言葉に寂しそうに祖母は答えた。



 武は中学の頃から歌手の夢があった。



 そして母親の死から五年、武は夢を押し殺して過ごしていた。


 そんな兄を心配するかのように、今度は遥が話し始める。



「お兄ちゃん、もうやめちゃったの?ギターも触らないし、夢だったんじゃ・・・」



「やめた、やめないじゃない。やれるか、やれないかだろ」



 遥の言葉にかぶせて、すでに覚悟を決めているかのように武は気丈に答えた。


 遥はそんな兄の言葉に返す言葉が見つからない。


 そんな悲し気な顔の遥を見て、香樹が小さな手で遥の左手を握ってきた。



 母親の死から高校をやめて働き、遥と香樹を学校へ通わせながら、武は生活ギリギリの家庭に給料の全てを入れていた。


 両親がいなくなり、家族が生活をしていくには夢と現実の選択の余地もなかった。


 当時高校生の武にとって、自分の夢を捨てざるを得ない状況はそうとう苦しいものだっただろう。


 武はあの時から五年間、生活の為の同じ月日を過ごし、今日という日もまた、同じように終わらせた。





 その翌日―――。




「遥、おはよぉ」


 遥が毎日登校している、川沿いに桜の木が並ぶ道。


 四月中旬から咲いていた桜はすでに散り、緑の芝が日の光でキラキラと輝いている。


 そして、登校する遥に同じ高校に通う『長谷川 優』が声をかけてきた。


 遥が優に明るく返事をすると、遥の肩を二回叩き、優がなんだか嬉しそうに話す。



「ねぇ遥ぁ。また紹介してって言われたんだけどっ」


「何を?」


「あんただって」


「・・・作る気ないってば」


「もういいかげん誰でもいいから彼氏作ってよ~。私にばっかり紹介してよぉって言ってくるんだってぇ」



 優は遥と学校一仲が良い為に、同じ高校の男子から遥の紹介を頼まれ続けていた。



「放っておけばいいよっ。おもしろがってるだけじゃん?」



 優の言葉に、遥は軽く嫌そうに答える。



「遥モテるんだから早く彼氏作っちゃいなよ」


「いずれね」


「家事とかあって大変なのわかるけどさぁ~彼氏くらい作ったって生活に支障なくない?」



 二人は歩きながら、またいつもの様に優が遥を説得し始めた。



「そういうんじゃなくて、その人に悪いしさっ」



 遥もまた、それに対していつものようにごまかす。


 すると優が突然、



「そういえばっ!実花先輩子供生まれたんだって~!」


「マジ!?子供かぁ・・・」



 思い出したかのように、優が身の周りの近況を話しだす。


 子供が産まれたというその話に、一瞬優しい顔をした遥を、優は見逃さなかった。



「ほらっやっぱ彼氏作りな?遥子供好きじゃん」


「ハハハッ。気が早いよ?・・・まぁ、いずれねっ」



 そして遥は、優の面倒見の良さに嬉しい気持ちを持ちながら、作る気は無いとごまかすように笑った。




 その日の昼間、武は仕事で営業に回っていた。


 十二時半から一時半までの休憩時間、昼食を食べ公園である人物とコーヒーを飲んでいた。





『兵藤弘樹』





 武の中学からの親友。



「面白いことないかなぁ」


「ねぇよ」


 特に何を求めるわけでもなく、二人は遠くを見つめている。


「最近なんか下痢がすごいんだけど」


「あっ、なんか病気なんじゃね?」


 弘樹が近況報告をすると、武は興味無さげに軽く流す。


「下痢でか?ってかこの若さでか?・・・あっそうだ。俺、昨日結婚してさ」


「下痢の後にそれを話すな」


「まぁまぁ。流してくれよそこは」


「どっちを?・・・ってか誰と結婚したの?」


「中学ん時の神谷ちゃん」


「おめでと」


「ありがと」


「・・・それだけ?今日の話って」


「そう」



 武は弘樹に話があると呼ばれ、それだけかと聞くと弘樹はあっけなく即答した。



「・・・じゃあ、いくわ仕事」



 昨日寝違えた首を気にしながら、武は仕事に戻っていった。


 そして弘樹はその後、公園に残り二杯目のコーヒーを飲んでいた。


 しばらくして、弘樹のもとに一人の初老の男性がやってくる。




「親友か・・・」




 男性は、一つ隣のベンチに腰掛けながら弘樹に話しかけた。



「・・・そうだよ。文句あんすか」



 弘樹がそう答えると、男は薄ら笑いを浮かべた。



「素人の友達がいるとは知らんかったわ、兵藤。妙な事件に巻き込むなよ・・・?素人を」


「波川さん。首つっこもうとしてるのあんたじゃないすか・・・まだ捕まるような事してませんよ俺」


「・・・まぁそんなスーツで公園うろつくと子供が逃げる・・・気を遣うんだな」



 そう言い、男は帰っていった。



 男の名は、






『波川茂』




 警視庁捜査一課強行犯係。






 武と茂はその半日後に出会うことになる。





 その夜・・・。




「そーだお兄ちゃん、明日香樹の先生が来るんだけど昼間家に居れるよね?」



 遥が洗い物をしながら武に尋ねた。


 野球中継を見ながら缶ビールを飲んでいた武は、明日の香樹の家庭訪問を思い出し、ビールを持つ手が止まる。




 完全に忘れていた・・・。




 遥は、武が明日の仕事の欠勤をとっていない事を聞くと、テーブルから身を乗り出し、驚きでテンションが高くなる。



「えっ!忘れてたって!だめだよ居なきゃ、来るよ先生!」



「えっ。ばぁちゃんは居ないの?明日の昼間」



「おばぁちゃん今日から町会旅行行ってるじゃん・・・」



 遥が必死に言いつけると、武は祖母を頼りにする。


 が、祖母は町内会の旅行で今日から家を空けていた。


 武は背中を掻きながら、



「旅行とか行ってる場合じゃ・・・かい~な」


「それも忘れてたの!?」



 呆れたように遥はため息をつき、真剣に明日どうするかを考え出した。



「会社休めないしね・・・どうしよう」


「今、事務所に連絡すればなんとか・・・」



 と言い、武は携帯を手に取り事務所に電話しようとした。


 そしてそれを見て、横から遥が冷静に答える。



「ってかもう会社閉めてるでしょ・・・」


「・・・主任の携帯にね?」


「・・・てんぱってる?」


「全然・・・」


「大丈夫?」


「・・・もちろん」



 武は気を取り直し、主任に電話をした。


 七回ほどコール音がなり、少し疲れた声で主任が電話に出た。


 武が申し訳なさそうに明日の事情を説明すると、





「・・・伊崎・・・俺、明日から有休だって言ったろぉちゃんと聞いてろ!!バーカたれがぁ」



「あ・・・すいません・・・そんな怒んなくたって・・・」






 その後、なんとか武は明日一日休みをもらえた。



 そして今度は、明日香樹の担任に出す饅頭がないことに気付く・・・。





「遥ぁ。無いなら無いでなんで昼間買っとかないの」



 武が遥に怒りをぶつけると、遥も決まって反論する。



「まったく忘れてた人に言われたくない!」


「饅頭じゃなくても香樹のお菓子でいいじゃんか」



 武がそう思いつくと遥が言い返した。



「お菓子も出すけど饅頭も出すの!」


「・・・遥、おまえどうゆうこだわり!?」



 少し呆れたように武が伺う。



「いいのっ!」


「せんべいとかでいいんじゃないの?」


「・・・お母さんは饅頭出してたのっ!だから・・・」


「・・・めんどくせぇな、おまえはホントに!・・・買ってくるよ・・・」


「あっ、お願いしまぁすっ」




 しぶしぶ武は、遥に言われたものを買出しに出かけた。



 饅頭と青ネギ。



「青ネギは明日絶対に関係ねぇだろ・・・」



 と、思いつつ二十四時間スーパーへ自転車で駆けていった。






 月明かりがキラキラと映る川を横に、十分程走ると、目的地のスーパーに着く。


 まず青ネギを探し、その後饅頭を見つけると、レジから・・・。



「馬鹿たれ!なんで無いんだよ!食パンくらいいつでも置いとけ!」



 店員に文句を言っている男も見つけてしまった。



「無視無視・・・」



 武は別のレジを使い、知らん顔で店を出た。


「よし、帰って風呂だ」そう思って自転車に乗ろうとしたその時。





「おいっ兄ちゃん」




 さっき文句を言っていた男が武に声をかけてきた。


 武は心の中で「酔ってんのか・・・めんどくせ」と思いながらも振り返ると、



「いい饅頭だな。銭の無い弘樹君にでも食わせてやんのかな?」



 武は弘樹の名前にびっくりしながら誰かと聞き返した。



「警察だ」



「警察って・・・あいつなんかしたんすか?・・・あっ俺か?いやいや・・・」



「ちょっと付き合ってくれ」



 男は奇妙な笑みを浮かべながらそう言い、近くの公園へ歩き出す。


 武もよくわからず、自転車を引きながらゆっくり男の後をついて行った。



「兵藤の面倒見てもらってすまないな兄ちゃん。ワシの名前は波川茂ってんだが」


「刑事さんなんすか」



 男は昼間、弘樹と話をしていた茂だった。


 武はそう聞くと黙ってタバコをふかす。


 火を付けた瞬間、煙が目に入り右腕の裾で目を押さえた。



「兵藤が何かをしたとかそんなことじゃないんだ。昼間兵藤と話している兄ちゃんを見てな。ワシも話してみたくて声をかけちまったんだよ」



 そう言いながら茂は着ていた上着を脱ぐ。


 武は目の痛みが無くなり、少し涙目で隣の茂を見ると、肩に大きな傷が見えた。



「よくわかんないですけど・・・なんか気持ち悪いですよ?」



 肩の傷をどうこう言うわけでも無く、少し笑いながら下を向き武は答える。



「ハハハ。兄ちゃんは兵藤と違って頭も良さそうだしな」



 微笑を浮かべながら武とは逆に、茂はずっと遠くを見つめている。



「褒めてるんですか?」



 武はそう言いながらタバコを足元に落とし、靴底で擦り潰した。


 反対に茂は黙ったまま、自分のタバコを一本取り出し、おもむろに尋ねる。




「それより・・・兄ちゃんは気付いてるか?」



「何をですか?」



「・・・いや、なんでもない」



「なんなんですか」




 茂のもったいぶった態度に武が聞き返すと、茂はゆっくりと話し出した。





「・・・人間腐っていた方が生き延びられるのかもしれんなぁ」





「・・・何言ってんすか」





 よくわからないが、武は興味を示した。



 それを察した茂は続ける。





「幸せってのを感じとることが出来ない世の中だろう。今に・・・人間がほとんど死んでしまうような・・・いずれとんでもないことが起きる気がしてな」



「・・・戦争ですか?」



「いや・・・ほとんどの人間はワシも含めてだが、人間本来の幸せを勘違いしてしまっていないか。正直者は馬鹿を見るだの、そんな言葉が当たり前に人々の脳裏に植え付けられているようじゃ終わりだな・・・。素直に、懸命に生きていく事が馬鹿馬鹿しく思えて、自分の押し付けな感情で人を傷つけ、自分の利益ばかりを求める。人間がいずれ、当たり前に幸せを感じ、気付く事が出来れば別だが・・・そのうち神様が人間のそんな精神へ戦争を仕掛けてくるんじゃないかと思ってな。もっとも兄ちゃんは今言ったような奴ではないと思うが・・・」




 武は少しほくそ笑みながら、それに答える。




「刑事さん・・・なんか宗教者みたいじゃん。なんでそんな事俺に話したか知らねぇけど、そんな話は面倒臭いって思われるからよした方がいいよ?」





 武はそれ以上、壁を突き破ってほしくなかった。



 次に発する茂の言葉が何故か恐く感じていた。



 茂は自分を誘おうとしている。



 宗教だのそんなことではない。




 何か、形には見えない恐ろしさを自分にも植え付けようとしている。









 直感だった。








 武は今の言葉でバリアを張ったつもりだった。


 しかし茂には、二十二歳の若ゾウの薄い壁など通用しない。



 そして茂は続ける。




「でも兄ちゃんは逃げないだろうよ。今のワシの話から・・・ワシも歳だ、人間の器を見て話をしている。ワシは予言者でもなんでもない、これから起こる事も何もわからない。ただな、いつからか正直に生きてりゃ見なくていい物も見えてくる。それがほんの少し見えちまってきただけだ」



「三途の川を見た話みたいだし・・・まぁなんとなく言ってることはわかるよ・・・でも言っても仕方ない事もあるじゃん」



 武は、その話から逃げようとする。



「これはな兄ちゃん・・・神様の、人間を使った豪遊だよ・・・」



 茂は根元まで吸いきったタバコと、武の捨てたタバコを拾い、自分の携帯灰皿に入れた。




 そして武の頭は、クラッシュしていた。




 何の根拠も無い馬鹿みたいな話が、何故か心に突き刺さり、言葉では逃げられても心はとどまったまま逃げ切れなかった――。


 それは、武の中にそれをくすぶる爆弾の火種が存在したからだった。





「・・・そんなことより刑事さん。食パン無くて残念だったな」




 武がその言葉で精一杯の抵抗をし、何もなかった事にすると、茂は立ち上がる。



「まぁ・・・なんとなくそんな事を思ったんだよ。だからまぁ・・・気にするな」



 そのまま武は茂と別れ、家に帰って風呂に入り、一時間程ベッドの上で左右に体を転がして一日を終えた。




 しかし、茂の言うまだ人類が誰も知る由も無い、神の豪遊悲劇はそこまで来ていた・・・。




 何も知らない人々はいつもと同じように過ごし、遥もその一人だった。



「えっまた??」



 遥が優に尋ねると、嬉しそうに優は頷く。



「もういいってぇ~彼氏とか作る気ないってばぁ」



 昼食を食べながら遥と優は教室で話していた。



「紹介したくて紹介、紹介言ってるんじゃないじゃんっ。向こうから言ってくるんだから」



「無視しときなよぉ」



「あっそぉだ。彼氏作る気なくても好きな人は作りたくない?」



「え~・・・うん・・・まぁ」



「じゃあ紹介するよっ」



「ハハハッ。だからいいってぇ」





 遥は笑ってそう答えながらも、優の押しに気付かぬうちに恋に対して以前より考えるようになっていた。




 そして、武と遥二人それぞれの運命の出逢いもまた・・・もうそこまで近づいて来ていた。





―――FROM遥―――



私はこの時、知りませんでした。



何が幸せで・・・



何が不幸せか・・・。



そして恋なんて、私には出来ないって思ってたんだ。



あの日からずっと・・・。



そう思ってきた。



そんな私に、



もうすぐ、神様がイタズラをするの。



天使が・・・



幸せと、不幸を一緒に連れて来るんだ。

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