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「欲しいもの」

作者: 結城菜緒

 つまらない日常は、そこにソレがないからだと思う。



 数学の授業なんて、あってないようなもので、なんの興味もないものはいらないのだけど、席に座って周りを見回してソレを探していた。半数以上の生徒が受けながして聞いている授業をしに、何が悲しくて教壇に上っているのだろうか。ビール腹め。昼食を済ませたばかりの中年数学教師のお腹は、とりあえず出ていた。

 「あの歳で結婚できてないなら終りだな」

 私の呟きを聞いたのか、隣の席の山田が何か言葉を発した。どうでもよかったので聞きながした。

 高校に入った私は、とりあえず髪を染めてみた。なんとなく予想はしてはいたけど、案の定教師に怒鳴られた。

「なんて髪してるんだ! 風紀が乱れる。外人みたいな色して」

 自毛ですと言い張った。老化現象かも、とも言ったっけ。まあ、あり得ない話だよね。昨日は真っ黒だったのに、今日みたら金髪になっているなんて。 それから私は、教師に目をつけられ、ことあるごとに嫌味を言われ続けているけど大して気にはしていなかった。

「あーあーあー」

 朝から喉の調子が悪い。教壇の小ブタがこっちを見た。

「あーあーあー」

 声を大きくしてみた。

 いわゆる女子校の教師は、どこか勘違いしてる奴が多い。あいつもそのクチだ。

 あーあ、私に向かってブタがブヒブヒ言ってる。長めの髪を耳にかけ、左耳を出して耳たぶを触った。ピアスもう一つ開けようかな。

 ふと上を見ると、天井の蛍光灯が切れかけていた。痛い点滅を繰り返している。なんとなく手をのばしてみた。


 届かない―――し、腕が痛い。もう少し、あとちょい―――。届いた! “実際”は別問題。 


「つまんない」

 足をくみ変えた。

 ブタと、周りの静かな目線が私に集まった。

「わかってはいたけど、アンタの授業つまんないわ。てことで、あたし帰る」

 教科書も何も出さずに座っていたので、身支度は手短だ。横にかけてあるカバンを手にとった。

「あーっ、肩凝った」

 首を回してブタの授業の疲れを取り除きたかった。その間のブタと周りの視線は止まっていた。

 私が後ろの扉から教室をを出ようとするとブタが戯言を吐いた。

「一ノ瀬、ど、どこへ行くんだっ、授業中だぞ」

「だから?」

「せっ、席につけ」

「いや」

「………自分を大きく見せたいだけなんだろっ。人と違うことをすれば目立てると思い…やがって」

 またブタがブヒブヒ鳴いてる。

「勝手な憶測は自由だけど、アンタの頭ってホントにちっちゃいのね。外見悪くて中身ない人間に捕まえられるほど、あたし安くないの」

「なっ何を…」

「あたしを引き止めたかったら、せむて中身磨いて………あぁ、磨く中身ないのか。じゃあ、せめて中身いれてからにしてくれる?」

 我ながら笑ってしまった。少し緩んだ頬を元の堅さに戻した。

「人惹き付けられない人間が、誰かに道理押しつけてんじゃないわよ」



 静かな廊下は久しぶりだった。この階のクラスは移動授業なのか。


 天井が高い。冷たくて気持いいな、この床。夏はとうに過ぎたというのに、まだまだむし暑かった。公立高校の夏休みの意味をもう一度思い出して、日数を増やすべきだ。

 突如体育館に行きたくなった私は、目的地の床に仰向けになっていた。

 また腕をのばしてみる。届かない。本当に天井が高い。無駄と言えば無駄じゃない? あんなに高くする必要ってあるのかな。

 目をとじた。腕がのびる感覚だけに神経を注ぐ。

 のばす、のばす。たぐり寄せてはいけないの。のばす、のばす。


「あとは、そうだなぁ…」



「うわっ、暑っ」

 夏の暑さの残った陽射しが、屋上のコンクリートの地面を焦がしていた。「こんな暑さじゃ、目玉焼きが焼けちゃうよ。そりゃあ、好きだけどさぁ」

 でもここまで来たんだ。惹かれてるんだ。やるしかないよね。これくらい障害があるほうがいいよ。だって欲しいもの。

 私は例のごとく腕をのばした。

のばす、のばす。たぐり寄せてはいけないの。のばす、のばす。



「っふぁー。よかった。もうちょい遅かったら、私まで焦げてたよね。さ、もう帰ろうかな」

 屋上からの階段を駆け降りて下駄箱に向かった。

「靴、靴、靴、靴…」

 少し浮かれながら自分の下駄箱へ向かう途中に、誰かに肩を強めに叩かれた。

「唯! ね、聞いたよ。授業抜け出したんだって?」

 パイナップル頭の友人が話しかけてきた。友人というより変人かな。面等な女友だちを作りたくない私の唯一といってもいい友だちみたいな人。あっちは相当仲良しオーラをだしているけど。まあ、それも悪くないなんて思ってる自分もいるから不思議。

「抜け出したなんて人聞きの悪い言い方しないでよ。それじゃあ、私がこっそりこっそり出てったみたいじゃない。私は正々堂々教室から出ただけ」

「そうらしいね! まあ、唯がこっそり、なんてガラじゃないことくらい私だって知ってるよ。何年唯の親友やってると思ってるの?」

「五ヶ月でしょ」

「はいっ! 塚本秋は五ヶ月目であります!」

 変な敬礼をした。

「普段のテンションでいいから」

「………ん、話戻すね。鎌田にびしって言ったんだって? すごくかっこよかったって唯のクラスの子が言ってたよ」

「……………」

「何? どうしたの?」

「いや、別に」

「何ー? ちょっと元気ないじゃん。そんなんだと調子狂うよ。あ、そう言えばさ、今日振り替えだって言ってなかった?会いに行けば?」

「へ? あ、ああ、そんな感じのこと言ってたかも」

「もっとしっかりしようよ。変なとこで抜けてんだから」

「う、うるさいなぁ。もう行くよ」

 下駄箱から靴を取りだし、いつもとは逆の左足から履いてみる。

「行くってどこへ?」

 秋はニタニタしながらこっちを見てる。思いっきり無視して歩いて行こうと思った。

「ちゃんとパワー充電してきなよ!」

 大声でそんなこと言うもんだから、周りが一瞬静かになって、たくさんの目線も感じた。いつもなら気にならないけど、事柄が事柄だけにすごく顔が熱くなった。


 最後の目的地は、私の高校から町を三つ挟んだ所にあった。

 比較的空いた電車に揺られながら、考えていた。

「すごくかっこよかったって言ってたよ」

 そんなこと言われたいわけじゃないのにな。でも、周りからはそうとられてしまう。よくわからない。


 もう何回か行ったことあるはずなのにいまいち場所が覚えられない。でも、それも面白いな。ブタみたいに簡単じゃつまらないもの。

「おお? あったぞ。…相変わらずデカイ家」

 玄関は階段で高くなっていて、なんとなく見下ろされている感覚は他の家じゃあ好きになれなかったかもしれない。表札には、『白取』と書かれている。前も思ったけど、なんか変な感じ。そして、前に来た時と同じように、立派な車庫には車が一台も入っていなかった。

 普通にチャイムを押すんじゃ、楽しくないしな。電気はついていそうだけど、いるかどうかもわからないし。必死で考える。ん? そうか。ふふふ、これこそ有意義な頭と時間の使い方。見たか、ブタ!

 意中の人の部屋は二階にあり、その真ん前の真下に立ってみる。そして、目をとじて例のごとく腕をのばした。


 本当に高いの。

 初めて触れたいと思ったの。

 本当に触れたいと思った。

 初めての時は嬉しかったな。

 笑顔はまだ見たことがないけど。

 つまり実際はまだそんなもの。

 肩が触れただけで浮かれてる。

 だって手も繋いでないの。

 彼は決してシャイとかそういうんじゃないと思うし。

 女の子といると緊張する! なんてタイプでもないし。

 ホント、わけがわからない。

 すごく好きなんだな。自分がこんなふうになるなんて。

 あなたに出会うまで、恋なんて考えたこともなかったっけ。

 信じてもいなかった。

「………お前、何してるんだ」

 だから、今の不安定な自分が怖い。

「………無視するな」

 ………無視? 虫?

 私は目を見開く。

「かっ、彼方! なんでそんなとこにいるの?」

 二階の部屋の両開きの窓をあけて彼方が私を見下ろしていた。

「………ここが俺の家だからだろ。いつにも増して頭がどうかしてるな」

 呆れながらも冷たく言い放つ彼方は、やはりそれだけで他の人とは少し違っている。進学校に通う彼方は、話方も周りのそれとは違っていた。

「そうですよね。あなたの家ですもんね。居て当たり前くらいの確率ですかね?」

 少しどうかしてきた。彼方といるといつもこうだ。日が落ちていても、私はまだうっすら汗をかいたりしているのに、彼方は焦茶色の薄手のニットを涼しげに着ていた。腕は捲っていたが、体温を感じさせないいつもの彼方だ。

「………で、何をしていたんだ」

「へ? ああ、あの、手をのばしてました。ハイ」

 なんだか体も縮こまってきた。喋り方も変わってしまうし。でも、しっくりいっているような気もする。

「………何の為に」

「……なんのためかな。触るため……だと思うの。よくわかんないけど。でも、だって……欲しいもの」

 本当に自分でもよくわからない。したいからした、それだけなの。

「………何を触りたいんだ?」

「まあ、それはほら、いいじゃない。他にも、教室と体育館と屋上の屋根に手を届かせて来たの。あ、屋上は空ね」

「………何を言ってるんだ。触れるわけないだろ」

 ため息をついて呆れ顔。二番目に多く見せてくれる顔。

「感覚の話だよ。でも、それってすごく大事」

 彼方は無表情な人。今もそんな顔をしている。

「で、みんな触って、飽きたから最後にここに来たの」

「………それで?」

 淡々と話すの。私と全然違う。

「私ね、今は全然なの。手が届いたとも思えないくらい遠い」

 だから、毎日つまらなくても、あなたといるときはそうじゃないの。

「でも、他と一緒だったらすぐ飽きちゃうから。手が届いたらすぐに飽きてやるから、覚悟してて」

 本心を隠して、自信ありげな顔をしてみせる。

 ……………。

 少しの沈黙は、彼方といるときはたくさん訪れる。やっぱり不安にだってなるから、下を向きたくなる。でも、私は彼方の目から目を逸さない。

「…………誰だってそうだろ」

 よかった。だから私もがんばれる。

「まだ今は、ただの強がりなんだけどね。ほら、宣言したら実行するしかないじゃない。なんか強くなれた気がするし」

「…………」

 早く、飽きるくらい触らせて。届かせて。

「手をのばしたいと思えるものがあるっていいね。誰かの目とか理性とか自分忘れて、無我夢中になれるから。生きてるって感じする」

「………」

 まだあなたを好きでいたいの。だからあなたは、底しれぬ魅力をもっていて。ずっとソレをもっていて。

「ねぇ、彼方は、手をのばして自分のものにしたいものってなにかある?」

「………聞いてどうする」

「糧にする」

 意味が分からない、といった様子だろうか。でも、彼方ってなにを考えてるのか全然わからないから、定かではないけど。

「………家、上がるか?」

「へ?あぁえっと……ううん、いい。あたしも女磨かなきゃ。ブタに偉そうなこと言っちゃったし」

「それに、今のままだと、私、無意識にでもすぐに手届かれちゃいそうだから」

 そうだよ。私も人に道理を押しつける権利なんて持っていないかもしれない。きっと今の私は惹きつけられている側の人間だ。

「てことで、じゃあね」

「…………風邪ひくなよ」

「ひ、ひかないよ。こんなに暑いし」

 突然の気づかいに、正直驚いた。嬉しい。

「………じきに寒くなる。もう、喉がやられてるだろ」

 気づいてくれていたんだ……。本人だって忘れていたのに。なんだか―――。

「………何ふざけた顔してニヤニヤしてるんだ」

「えっ、ごめん。なんかつい。えっと、じゃあもう行くね」


 少しぎこちなく、私は歩きだした。背中を見られているかも、と彼方にはいらない心配をしながら足を動かした。

 まだ顔がほころんでいる。彼方の力ってすごい。この数分間でたまったパワーを、また明日も続くつまらない日常を乗りきるために使うんだ。少し楽しくなるんだよ。

 彼方に手をのばしてよかった。絶対に欲しいものがあなたでよかった。



 唯が歩いていく姿を見届けてから、彼方は窓ガラスを閉めた。

 昼から根を詰めて勉強していた彼方が、息抜きをしようと思っていたときに、窓の外に唯の姿が見えたのだった。彼方なりに適度な息抜きはできたらしく、椅子に座り勉強をし始めた。

 ふいに顔をあげ、誰にも見せたことのないような、喜の表情をする。唇の端が少しつり上がっている。無意識なのだろうか。

「………手が届いたらか、まだ先になりそうだな。あいつがあんな調子じゃあな」

と呟いた。

 参考書に目を落とすと、ふと思い出したように、彼方は窓の方を見た。

「………結局、あいつ何しに来たんだ?」





 風が吹く吹く。本当だ、寒くなってきたかも。でも大丈夫。



 駅までの道は、吹きすさぶ風とささやかな温かさであふれていた。



初めての恋愛ものです。評価、感想、指摘、なんでも待っているので、お願いします。

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― 新着の感想 ―
[一言] すごく〜いい感じ!!これからも良い作品を!!!!!
[一言] こんばんは〜評価は、少し酷です。 成程…片想いの作品ですね。あきやすいヒロイン…それは、誰でもある心情ですね。 私も…昔は太陽と月に手を伸ばしました(笑)しかし…私は、感覚ですらも掴めないま…
[一言]  教室と彼方に会った時の心情の変化がよく表れていると思います。  それも主人公の女の子の思ったそのままの言葉で、書かれており、好感が持てます。  全部の小説を読みましたが、このお話が一番好き…
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