渚の溺アイ
海水浴。そう、あたし達は今海に来ている。
青い海に白い砂浜、カラフルな貝殻に打ち寄せる白いさざ波。黒い海に茶色い砂浜、ぬらぬらとした昆布にポイ捨てされたゴミ。どちらも海。どうせなら最初の方が良かったけど、そんな海は沖縄くらい。あたし達がいるのは後の方、地元の海。けれど、彼がいるだけで最高の海だ。
「タカ」
名前を呼ぶと枕にしていた浮き輪から上半身を起こし、顔にかけていたタオルを取る。
目を閉じていたのか、眩しそうに目を細めた彼はしばらく視線を私の臑あたりを見てから、顔を持ち上げた。何見てたんだろう。
「なんだよ」
「一緒に遊ぼうよ」
タカは最初は一緒になって波に打たれて遊んでくれていたが、今は疲れた、というより退屈そうに寝転がっているだけ。こんなに可愛い彼女がいるのにも関わらずだ。……恥ずかしい。
「僕はもういいよ、ここで休んでる」
「もう、寝てばっか」
ちょっとムッとなったあたしは身を翻して海へと戻る。海水が腰辺りまで来てから振り返ると、今度は寝転がらずにあたしを見ているタカと目が合った。
……これだ。付き合い初めてから四ヶ月、周りのカップル達が毎日のようにするようないちゃいちゃをするまでには進展していないけど、付き合い初めてからずっとタカはあたしを見てくれている。いつも当然のように側にいてくれる。
タカは気付いてないみたいだけど、タカを好きに思ってる女子は結構いる。でもタカがあたし以外をそういう目で見ることはない。まだ言葉では受け取っていないけど、繋がった心からはいっぱい受け取っているから。大好きだよって。だからお互い運動部でなかなか会えなくても、たまに休みが合えば、こうして遊びにも行ってるし。
嘘つきの好きや、仮初めの美貌じゃない、本当に大事なのは偽れない気持ちだ。あたしの周りには気付いている人は少ないようだけど。
そんな事を考えていると大分沖合いにまで来てしまったようで、海水が顎を濡らすまで来ていた。
少し危ないかも、そう思って引き返そうとして体を反転させようとしたところで、あたしは頭ごと波に飲み込まれた。その直前に立ち上がるタカの姿を目に納めて。
あたしはそのまま潜っていることにした。聞こえてくるのは海の音と楽しそうな人達の声、そして、一直線にこっちに向かってくる海水をかき分ける音。
「香穂」
あたしの名前を呼ぶ声は近い。あたしはまだ潜っていられる。
「香穂」
今度はかなり近い。薄目を開けると本当に近くに人がいた。確認しなくても分かる。タカだ。
あたしは海底を蹴るようにして一気に海面から飛び出した。
「ばぁ」
「な、おま」
「えへへ、びっくりした」
驚いた顔はそのままあたしを抱きしめた。あたしは何がどうなったのかと動揺する。
「え、あ、タ、タカ」
自分でも情けない声だと思ったがびっくりしていたので仕方がない。
「バカ、びっくりさせんなよ」
耳元で聞こえる、本当に安心したという声。どれだけ心配してくれていたかなんて聞かないでも分かる。
「ごめん」
冷たい海水の中、タカの体はいつも以上に暖かくて、抱きしめる腕は痛いくらいに強かった。
レジャーシートまで戻り、タオルで濡れた髪の毛を拭く。女の子は髪が濡れるのを嫌がる子もいるけど、あたしはまったく気にしない。
「ごめんね、Tシャツびしょびしょだね」
タカはびしょびしょになったTシャツを脱ぎ、体を拭いていた。タカは振り返ってあたしを見つめると、何事もなかったかのように言ってくる。
「お前唇紫色になってんじゃん」
「うん、けっこう寒いかも」
見つめる目が、子供かよ、と非難しているようだ。
何気ない会話、その当たり前が今はとても痛い。胸が張り裂けそうになる。
「ねえ、なんで怒んないの」
痛みに耐えきれなくなったあたしは聞いてしまった。
遊びのつもりで騙して、本気で心配させてしまったはずなのに、なんで怒らないのか。
タカは少し考えた様子を見せてから、それから優しげな顔をする。
「怒ってほしいのか」
「そうじゃないけど」
「なんだよ」
あたしはタカの隣に行って腰を下ろす。タカの左肩にぴたりと肩をくっつけると、タカの温もりが伝わってくる。
「お前こそ、ほんとに溺れてたらどうするつもりだったんだよ」
「大丈夫だよ」
「お前そんなに泳ぎ得意じゃなかっただろ」
それでも、大丈夫だって、はっきり言える。
「タカが来てくれるもん」
「はあ」
タカの眉根が寄る。
「タカはあたしのこと、ずっと見ててくれるもん」
「お前なあ」
タカは恥ずかしそうに顔を赤くする。
「あたしもずっと見てるもん」
肩にかけていた頭にタオルが被せられる。
あ、そっか。あたしだってタカに何かあって、それがもし笑い事になるなら、きっと怒らない。だから、そういうことなのだろう。
「ずっといっしょだもん」
あたしはタカを見上げて、反射的に目を閉じた。直後唇に柔らかい感触があった。キスをされたのだ。周りなんて気にならない。タカの唇は温かくて、潮の味がした。