クジラとひめ
時に、夢を見ることは、現実と不可能の境界を越えることだ。
まるで『デスノート』で、ただの一文が運命すら書き換えるように――
夢を見るその瞬間、私たちは一度この世界の存在を離れ、
自分だけのもう一つの世界へと入り込むのだ。
夢の世界は、誰もが眠っている時はもちろん、目が覚めていても自由に入ることができる場所だ。
多くの場合、人々は現実で手に入れたいものを夢の中で見る。
人々が四方八方へ走り回る混乱の中、俺とスタンは起きた事故の場所へと駆け出した。
「――スタン、ここ通りづらいぞ。人が多すぎて道が塞がってる。」
「確かに。このままだと間に合わないかもしれないな。」
周りを見渡し、首を左右に振って何か役に立つものを探した。
一瞬、俺の後ろ側に“それ”が見えた。
「――スタン、あれ見ろよ。」
俺は笑いながらクジラを指差した。
「使えそうだな。でも事故現場まで行くなら許可を取らないと。」
夢の世界での“許可”というのは、夢見る者を守るためのルールだ。
“夢見る者”とは、夢を見る人間のことだ。
許可という仕組みは、悪意あるドリーマーが他人の夢を壊したり奪ったりしないように作られている。
夢の持ち主が他人に使わせるのを承認する、それが許可だ。
「任せとけ。夢の王である俺に許可を断るやつなんていないさ。」
俺は悪役みたいに笑った。
……
「――スタン、ダメだった。許可してくれない。」
「お前何したんだよ? 許可をお願いするだけだぞ? 普通できるだろ。」
「なんか……俺が彼女の夢を壊すと思われたっぽい。めっちゃ笑顔で近づいたんだが……みんな俺の笑顔好きなのにな。」
「いや、誰も好きじゃない。怖いんだよその笑顔。でもまあいい、俺が話してみる。」
スタンはドリーマーの元へ向かった。
白いセミロングの髪の少女で、中世の王国の姫のような格好をしていた。
ただ彼女はクジラが好きらしい。それだけが不思議だった。
姫とクジラが一緒に出る話なんてあっただろうか。
「――もしかして彼女、キショウ(奇象)か?」
俺は顎をかきながら呟いた。
もし彼女がキショウなら、事故現場まで連れて行ってもらえるかもしれない。
キショウとは、極めて高い創造性を持つドリーマーのことで、夢の世界の“最強クラス”だ。
だが、キショウを見るのは久しぶりだった。
スタンが手を上げて俺に合図した。
「――カッポーネ、彼女が送ってくれるってさ。」
俺は走って二人の元へ向かった。
人混みをすり抜けながら。
「――悪かったな、さっきは。」
少女は細めた目で俺を睨み、拳を握りしめていた。
殴りたそうだった。なぜか分からない。
「わらわの名は“少女”ではない、バカ者。リリリ王国の姫にひれ伏せ。」
「スタン、この子ちょっとヤバいって……」
俺はスタンの耳元で小声で言った。
その時、空に縦一直線の光が高速で走った。
気づいたのは俺とスタンだけ。
俺たちは目を合わせた。
「――カッポーネ、急ぐぞ。」
「――ああ。」
空気が一気に張り詰めた。
名前も知らない姫だけが状況を理解していなかった。
「リリリ王国の姫よ、さあ……馬車じゃなくて、クジラのところへ。」
彼女のクジラは高さ20メートルを超えていた。
普通の城の上に停まっていた。
キショウにしては城のデザインが普通すぎる気もしたが、
クジラの黒い肌には星がびっしり輝き、まるでクリスマスツリーの飾りのようだった。
姫が口笛を吹いた。
すると城の上のクジラが大きな音を立てて動き出し、姫の元へゆっくり降りてきた。
その音は街で逃げていた人々さえ振り返らせた。
クジラはまるで宇宙船の着陸のように、慎重に、ゆっくりと降りていった。
姫は両手を後ろに広げ、クジラを披露するように言った。
「――さあ臣下ども、我がクジラにひざまずけ。名は“スール”じゃ。」
本当に巨大で、そしてなぜか新鮮なパスタの匂いがした。
「じゃあ、行くか。」
俺たちはクジラのヒレに乗り、クジラは俺たちを背中へと持ち上げた。
下を見ると、さっきまでの人々がアリのように小さかった。
姫がもう一度思い切り口笛を吹く。
「スール、あの煙のところへ!」
クジラが上昇を始めた。
雷のような音を響かせながら。
背筋がゾクッとした。
空の冷気が全身を包む。
クジラは星を輝かせながら空を泳ぎ始めた。
黒い体は夜空と溶け合い、背中の星だけが輝いていた。
「――すげえなスタン。こんなの見たことねぇ。でも急ごう、事故現場が先だ。」
「――ああ、気づいたか?」
「――夢の防衛隊がもう俺たちの横を通った。前に遅刻したとき、めっちゃ怒られたし。」
「本当にな……あれは激しかった。今回も怒られるかもな。」
夢の防衛隊は、この世界での俺の最も大きな味方だ。
彼らがいなければ、悪夢が世界を食い荒らしていただろう。
ただ最近は、彼らの態度が妙に厳しい。
まあ俺にも理由はある。
一度、事故現場に向かう途中で、屋台のパスタを食べて遅刻したことがあるし、
別の日は学校の課題を優先した。俺にとっては大事なんだ。
事故から5分後、俺たちは現場に到着した。
クジラは煙の真上に停まった。
俺はスタンを見て、スタンも俺を見た。
「――姫、送ってくれてありがとう。行くぞスタン。」
「ちょっと待て、まだ降りてないぞ! ここ高いって!」
俺は笑顔で姫に言った。
「――本当に助かった……」
そして飛び降りた。
スタンも続けて飛び降りた。
最高だ。ずっとやりたかった。
スタンは俺をじっと見ながら落ちていた。
完全に呆れた顔で、空中に“見えない椅子”を作って座り、俺を睨んでいた。
落下は永遠に続くかのようだった。
「――行くぞスタン! これがハロウィン以来の初任務だ!」
俺は両手を合わせ、足をまっすぐ伸ばして目を閉じた。
「――夢の杖よ、我に来たれ!」
空から雷が落ち、風が強く吹き荒れた。
人々は風に飛ばされないよう必死に押さえていた。
煙が風で散っていく。
俺の手の中で杖が形を成し始め、ついに完成した。
着地の瞬間、現場に砂煙が舞い上がった。
両足を揃えて着地し、左手に杖を握っていた。
横を見ると、スタンは光るボクシンググローブをはめ、地面を殴りつけるポーズをしていた。
「――よぉ、お待たせ。」
夢の防衛隊の隊長が俺を見て固まった。
「……お前、バカか。現場をめちゃくちゃにしただろ。」
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