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なぜ貴方はタヌキと呼ばれるようになったのか?

作者: しー
掲載日:2025/10/28

これは、特別なことのない、ありふれた毎日の物語です。

けれど、目の前の何気ない出来事の中には、ふと心が揺れる瞬間や、小さな奇跡が隠れています。

登場人物たちの笑い声やため息、悩みや小さな喜びに、あなた自身の日常を重ねながら、どうぞゆっくりとページをめくってください。

初めての高校生活。

これからどんな人たちと出会い、どんな物語が始まるのか――そう考えるだけで鼓動が速くなる。

いつも冷静だと言われる私らしくなく、少し落ち着かない。

本当は電車で通うのに憧れていた。けれど地元には駅がない。

仕方なくスクールバスで通うことになったが、初めて乗るバスに少しだけ胸が躍る。

学校指定の停留所で待っていると、一台のバスがプシューと音を立てて停まった。

重たそうな扉がゆっくりと開き、私は小さく息を吸って乗り込む。

車内には、同じ制服を着た生徒たちが座っていた。

当たり前のことなのに、その光景を見た瞬間、私はこの学校の一員になれた気がして少し誇らしかった。

空いていた一番奥の席へと向かう。

スマホを見ている人、イヤホンをして音楽を聴いている人。

みんなそれぞれの朝を過ごしていた。

学校に着くと、一斉にバスから人が降りていく。

階段を一段ずつ降りるたびに、心臓の音がどんどん大きくなるのがわかる。

空は晴れ、桜が咲いていた。

教室に入ると、黒板にクラス全員の名前と番号が書かれていた。

自分の名前を探すのに少し時間がかかり、ようやく見つけてほっとする。

席に座ると、隣の子が声をかけてきた。

「初めまして。私、冬佳。お隣さん、これからよろしくね」

明るい笑顔。

私は少し戸惑いながらも、「よろしく」とだけ返し、黒板に視線を戻した。

入学式も無事に終わり、ようやく家に帰れる。

「今日は特に疲れた」

小さくつぶやいて、帰りのスクールバスに乗り込んだ。


***


一か月が過ぎた。


想像していた高校生活とは、だいぶ違う。

アニメやドラマみたいに友達ができて、毎日がきらびやかに過ぎていく――そんな日々を思い描いていたのに。

今の私は、教室の窓の外を見つめながら、一人で昼休みをやり過ごしている。

少しだけ、情けない気がした。

チャイムが鳴り、みんなが教室に戻ってくる。

そのざわめきの中を、コツコツと靴音が近づき、先生が黒板の前に立った。

「明日から一泊二日のオリエンテーション旅行だから、各自準備しておくように。部屋割りは名簿順だぞ」

教室の空気が少しざわつく。

名簿順――その言葉に思わずため息が出た。

どうして学校行事のときって、いつも名簿順なんだろう。

明るくて社交的な人たちの中に、私みたいなタイプが混ざると浮いてしまう。

この旅行でも、きっと友達はできない。

そう確信しながら、当日を迎えた。


***


バスが出発してしばらくすると、隣の席の子が話しかけてきた。

「旅行、楽しみだね。私、小春。あなたの名前は?」

覗き込むようにして笑うその顔に、少し戸惑いながら答える。

「私は秋。……うん、楽しみだね」

そのあと、小春とは少しだけ会話をした。

他愛もない話だったけれど、不思議と心が軽くなった気がした。

バスが止まったとき、車内の空気がふっとゆるんだ。

長い時間座っていたせいで、足がしびれて思うように動かない。

外に出ると、夕方の風が顔をなでていった。

山の匂いがして、空が少しだけオレンジ色に染まっている。

目の前には、赤茶色の屋根をしたホテルが静かに建っていた。

「わあ、けっこう綺麗じゃん」

誰かがそう言って笑う。その声につられて、私も少しだけ気持ちがほぐれる。

ロビーに入ると、思わず息をのんだ。

高い天井に、大きなシャンデリア。光が床に反射して、少し眩しい。

学年全員が入ってもまだ余裕があるくらい広くて、なんだか現実味がなかった。

少しして、スーツ姿の男性が現れた。

支配人らしく、落ち着いた声で挨拶をする。

「ようこそ、“ホテル・ポンポコ”へ。長い移動、お疲れさまでした」

ロビーがしんと静まり返る。

その穏やかな口調がどこか印象的で、少しだけみんなが見入っていた。

でも、次の瞬間。

「イケオジじゃん」「あんな大人になりたい」

そんな囁きがあちこちから聞こえてきて、先生の「静かに!」という声がロビーに響いた。

支配人は少しだけ笑って、話を続ける。

「ここはご存じの通り山の中にあります。自然が豊かですが、そのぶん動物も多いんです。

猿や熊、そして――タヌキなども」

「タヌキ?」

どこかで誰かがつぶやいた。

私はその言葉に、なぜか耳がとまった。

周りが笑っているのに、なぜか気になって仕方なかった。

タヌキ。

どうしてだろう、妙にその響きが胸に残った。

先生が班長たちを前に呼び出して、部屋の鍵を配り始めた。

私は名簿順で二番目。リーダーじゃなくて少し安心する。

荷物を置くため、自室へと足を向けた。

私たちの部屋は「タヌキ」。

さっき感じた違和感、やっとわかった。それは部屋の名前がすべて野生動物の名前になっていたからだ。

やっぱり珍しいホテルだな、と思いながらも、少し表情が和らぐ。

部屋に入ると、大きな窓が目の前に広がっている。

その窓の外には、景色が広がっていた。

「うわぁ、綺麗!」

思わずみんなで声を合わせる。

顔を見合わせると、自然と笑顔がこぼれた。

その瞬間、何とも言えない落ち着いた気持ちが心に広がる。

荷物を一度部屋の端に置き、みんなが中心に集まった。

リーダーが元気よく声をかける。

「これからベッド選びを始めるよー!」

みんな、「はーい!」や「おー!」と歓声が飛び交う。

私はそのテンションの高さに驚いてしまった。

リーダーは一息ついてから提案する。

「ジャンケンで決めようと思うけど、どう? 勝った人から好きな場所を選んでいこう!」

みんな「そうしよー!」と笑顔で返事をする。

部屋のレイアウトは、玄関から入って正面に大きな窓があり、その左右にベッドが2つずつ配置されている。

私は迷わず、窓側のベッドを選びたかった。

「絶対にあのベッドがいい!」

そう思い、ジャンケンに参加する。

「ジャンケン、ぽい!あいこでしょ!」

みんな気合を入れながら、部屋の中は熱気を帯びてきた。

「やったー、1番!」

「うわぁー、終わった!」

さまざまな声が飛び交う中、私も思わず声を上げた。

「やったー、2番!」

嬉しくて、つい声が漏れた。

そして、無事に窓側のベッドを確保した私は、1人でニヤニヤと顔が緩んでいた。

リーダーが時計を指差しながら言う。

「そろそろ夕食の時間だから、ロビーに行こう。」

みんな、玄関に集合して、部屋を出る。


夕食の時間になり、もう一度ロビーに集合した。

クラスごとに並んで食堂へと移動する。

食堂に入ると、テーブルの上には美味しそうな料理がずらりと並んでいた。

先生が前に立ち、

「夕食は自由席です。ただし、クラスごとにまとまって座るようにしてくださいね」

と注意する。

けれど、みんな料理に目を奪われていて、ほとんど聞いていなかった。

先生の「解散!」という声を合図に、一斉に生徒たちが動き出す。

私がどこに座ろうか悩んでいると、先生に呼び止められた。

「秋さん。あなたはアレルギーがあるから、こちらの席ね」

ーー私だけ、自由席じゃないんだ。

そう思うと、少し気分が沈んだ。

私はいくつかアレルギーがあるため、他のみんなとは少し違う食事が用意されていた。

落ち込んでいると、隣の席に小春が座ってきた。

「秋!探したよ。一緒に食べよ。それとね、かわいい子見つけたから、この子も一緒でいい?」

自慢げに話す小春に、私は笑顔でうなずいた。

三人で他愛もない話をしながら、楽しく食事の時間を過ごした。

食後、小春が携帯を取り出して言った。

「秋、連絡先教えて! このあと自室に戻ったら自由行動だから、一緒に過ごそ?」

私はポケットから携帯を取り出し、「うん」と笑顔で大きくうなずいた。

その後、それぞれ自室に戻り、明日の予定を確認する。

自由時間になると、みんなは慌ただしく部屋を出ていった。

私は「疲れた」とつぶやきながら体を伸ばすと、携帯が鳴った。

画面には小春からのメッセージ。

秋、きつね部屋に集合!

きつね部屋はタヌキ部屋を出て右から2番目ね。

迎えに来てほしくなければ、来い。

――小春

「脅迫メッセージかよ」と笑いながら、急いで準備をして部屋を出る。

きつね部屋のインターフォンを押すと、中からドタバタと音がして、ガチャリと扉が開いた。

「いらっしゃい、待ってたよ! 早く入って入って!」

小春に腕を引っ張られ、半ば強引に中へ入る。

部屋の中には、さっき食事を一緒にした“かわいい子”がいて、

ベッドに寝転がっている女の子が言った。

「ここ、小春の部屋じゃなくて真夏の部屋。あんた、熊部屋でしょ?」

「小春、秋をそんな強く引っ張ったら痛いでしょ」

私は状況がよく分からず、頭の中にハテナが浮かぶ。

そんな私を見て、真夏が笑って言った。

「ほら、秋が混乱しちゃってる。えっと、まずは自己紹介からかな。

私の名前は真夏。秋、よろしくね」

「よろしく」と、私は小さく返す。

「挨拶はそのへんで……ねぇ、秋、真夏。これから屋上に夜景を見に行こうよ!」

「屋上? ホテルって、屋上行けないんじゃないの?」と私が首をかしげると、

小春は得意げな表情で言った。

「今ね、支配人が屋上を開けてくれてるんだって。同じ班の冬佳が教えてくれたの」

どこからそんな情報を仕入れてくるのか不思議だったが、夜景を見るのは好きだから、少し嬉しかった。

三人で屋上行きのエレベーターに乗り込むと、他の班の子たちも乗ってきた。

屋上に着き、ドアが開くと――そこはまるで別世界だった。

支配人が私たちに気づき、静かにお辞儀をする。

「当館自慢の夜景です。どうぞごゆっくりお楽しみくださいませ」

「綺麗……!」「ここにずっといたいね!」

あちこちから感嘆の声が上がる。

私は、みんなの声が耳に入らないほど、ただ景色に見入っていた。

そのとき――。

どこか遠くで、野生動物の鳴き声が聞こえた気がした。

そして、誰かの携帯の着信音が聞こえた気がした。

楽しかったオリエンテーション旅行が終わり、いつもと変わらない高校生活に戻った。

それから私は、小春と真夏と一緒に過ごすことが多くなった。


季節がひとつ巡り、半年ほど経ったある日のこと。

三人で他愛もない話をしていると、小春がふと思い出したように言った。

「ねえ秋、“趣味を呟くアプリ”やってみない?」

「え、私? 無理無理。そんなのやったことないし。そもそも、趣味って語れるほどのものなんてないし。」

私は慌てて首を横に振る。

すると小春はにっこり笑って、まるで“携帯出して”と言わんばかりに手を差し出した。

「他の人の投稿見るだけでも面白いよ。秋、きっとハマると思うけどな〜。」

こうなった小春を止められる人なんて、この世に誰もいない。

私は観念して携帯を差し出した。

彼女は慣れた手つきでアプリをインストールし始める。

その指の動きを見ながら、同じ女子高生なのに、なんだか世代が違うような気さえしてくる。

「ありがとう秋! 秋のプライベート気になってたから、うれしい!」

小春が満面の笑みでそう言った。

「私、そんなにプライベート謎かな?」

そう聞くと、真夏と小春は顔を見合わせて声をそろえる。

「謎。」

二人が笑い合うのを見て、私は思わずしかめっ面をした。

――けれど、心のどこかで、その笑い声が少しだけうれしかった。


呟くアプリに少しずつ慣れてきた頃、ようやく自分と趣味の合う友達を探せるようになっていた。

ここまで来るまでの苦労を思うと、胸の奥がじんわり熱くなり、少し涙がにじむ。

今日もいつものように「趣味が合う誰か」を探してタイムラインを眺めていたとき、ひとつのアカウントが目に留まった。

アイコンは――たぬき。

最近なぜか「たぬき」という言葉に敏感になっている自分に気づく。

興味を惹かれてプロフィールを開いてみる。

そこには、私とまったく同じ趣味のゲームやアニメの名前がずらりと並んでいた。

フォロワーは二百人ほど。

私よりずっと多い。

その数字を見ただけで、なぜか胸の奥がきゅっと緊張した。

呟きを遡ってみると、ほぼ毎日更新されている。

どれも面白い投稿ばかりで、気づけば私はスマホを握ったまま、ぼんやりとスクロールを続けていた。

――この人となら、仲良くなれるかもしれない。

そんな予感に背中を押されて、気づけばフォローボタンを押していた。

その瞬間、フォロワー数がまた目に入る。

「うわぁ……やっぱりすごいな。たぬきなのに。」

半ば冗談めかしてつぶやいたそのとき、スマホが小さく震えた。

通知には――たぬきからのフォローと、ダイレクトメッセージ。

「……え?」

思わず辺りを見回す。

まるで誰かに聞かれていたみたいで、背筋がぞくっとした。

恐る恐るメッセージを開く。

初めまして。フォローありがとうございます。これからよろしくお願いします。

その丁寧な一文に、息を呑んだ。

Twitterを始めてから、こんなにきちんとした挨拶をもらったことなんてなかった。

指先が勝手に動き、短い返事を打ち込む。

こちらこそ、よろしくお願いします。

送信を終え、スマホの電源を落とした。

暗闇の中、なぜだか心臓の鼓動が速くなっているのを感じる。

変な思いを感じながら静かに目を閉じた。


学校に着くと、小春と真夏が私の席のそばで楽しそうに話している。

「おはよー」

声をかけると、ふたりは同時にこちらを向き、笑顔で返してくれた。

「おはよ~秋」

いつもと変わらない朝。

この“いつも通り”が、なんだか少し心地いい。

やがてチャイムが鳴り、教室全体が一斉に静まる。

先生が入ってきて、出席をとりながら手にした紙を配りはじめた。

「もうすぐ文化祭です。出し物はこのあとの授業で決めるから、各自で考えておくように。学級委員は俺のところへ集まって」

配られた紙を見ると、色鮮やかな文化祭のチラシ。

“夢にまで見た高校の文化祭”という言葉が、胸の奥をくすぐる。

どんな日になるんだろう。考えるだけで、少し心が躍った。

朝礼が終わると同時に、教室がざわめき出す。

グループごとに机が動き、笑い声が飛び交う中、私は少しだけ立ちすくんだ。

「秋、こっち! ここ3人座れるよ!」

小春が手を振って呼んでくれる。

慌てて駆け寄ると、先生の声が響いた。

「各グループ、文化祭の案をひとつずつ出すように。考える時間は二十分。ここからは学級委員に任せる」

「はーい!」

クラス全体が声を揃える。まるで本当に何か始まりそうな空気だった。

私は小春と真夏の顔を見ながら尋ねた。

「何がいいと思う?」

真夏は少し首をかしげて、

「んー、“文化祭っぽい”ことってなんだろ」と呟く。

その横で、小春が満面の笑みを浮かべて言った。

「お化け屋敷一択でしょ! それで恋が芽生えたりしてさ」

「小春、彼氏いないでしょ」

真夏が肩をポンポンと叩くと、小春は顔を赤くして手を振り払った。

「うるさい! これからできるもん!」

そんなふたりのやりとりを見て、私はつい笑ってしまう。

すると小春が、今度は私のほうを見つめてきた。

「秋はどうなのさ?」

「んー、恋愛とかじゃないんだけど……アプリの中で、気になる人がいるんだよね」

その言葉に、ふたりは目をまんまるにして私を見つめる。

すぐに吹き出して、「友達できてよかったね~」と、わざとらしく笑った。

「いつか私にもできるもん」と少し強がって返しながら、

私は配られたチラシをもう一度見つめた。


タヌキと出会ってから、もう数か月が過ぎた。

メッセージを交わすのが、いつの間にか日常の一部になっていた。

けれど最近、タヌキの様子が少しおかしい。

投稿がぱたりと止まり、私の投稿にも何の反応もなくなった。

今までは、私が呟けば誰よりも早く「いいね」を押して、すぐにメッセージをくれたのに。

それがなくなってしまっただけで、胸の奥がひどく空っぽになる。

タヌキの名前も、顔も、どこに住んでいるのかも知らない。

ただのアプリの向こうの人。

それなのに――どうしてだろう。

妙な胸騒ぎがして仕方がなかった。

数日が過ぎたある夜。

寝る前に何気なくアプリを開くと、タヌキのアカウントが更新されていた。

思わず息をのむ。

そこには、短い呟きがひとつだけ。

もう呟くアプリはやめようと思います。

今までありがとうございました。

一瞬、時が止まったようだった。

目を凝らして何度も読み返しても、言葉は変わらない。

呼吸が過呼吸になっていく感覚に陥った。

私はすぐにメッセージを開き、震える手で文字を打った。

大丈夫? 何かあったなら聞くよ。

タヌキとずっと友達でいたいから、アプリ消さないで。

送信ボタンを押してから、息を止めて画面を見つめる。

やがて、メッセージの下に小さな“既読”のマークがついた。

……でも、返事はこなかった。

それだけのことなのに、胸の奥が締めつけられる。

スマホを握りしめたまま、私は何度も時間を確認しては、また画面を開く。

夜は静かで、時計の針の音だけが響いている。

窓の外の闇が、いつもより深く見えた。

タヌキは、今どこで何をしているんだろう。

私はただ、眠れないまま、青白い光の中で答えのない問いを抱え続けた。


あの投稿から、数日が過ぎた頃だった。

タヌキから、一件のメッセージが届いていた。

話したいことが多すぎて、文章じゃうまくまとめられないんだ。

直接話せたらいいんだけど……電話とか、できるかな?

画面を見つめたまま、私は息を呑んだ。

――電話。

その二文字を見ただけで、胸がざわつく。

私は、人と話すのが少し苦手だ。

しかも、相手は会ったこともない異性。

そして年上。

どうしよう。無理かもしれない。

指先が震える。

迷っていると、またメッセージが届いた。

急に電話とか困るよね。

でも秋には本当のことを伝えたいんだ。

聞いているだけでいい。……それでもいい?

“聞くだけでいい”。

その言葉が、心の奥に小さく灯をともした。

それなら――大丈夫かもしれない。

私は深呼吸して、「いいよ」と返信した。

すぐに、着信音が鳴る。

心の準備なんてできていないのに、

体は勝手に応答ボタンを押していた。

「急な電話ごめんね。タヌキこと、響太です」

少し緊張したような声が、耳に届く。

「いつも俺の呟きに反応してくれてありがとう。

実は俺……」

そこから響太は、現実で抱えているいくつもの問題を、少しずつ話してくれた。

家のこと、職場のこと、そして心の中にある苦痛、苦しみ。

私はただ、黙って聞いていた。

けれど、途中から涙が止まらなくなった。

なぜなのかは自分でもわからない。

ただ――支えてあげたいと思った。

知らない誰か、ではなく、“響太”というひとりの人を。

「聞いてくれてありがとう、秋。心が軽くなったよ。

今の話は秋にしかしてないから、アプリのみんなには内緒ね」

少し照れたような声に、私は息をのむ。

「……私の本当の名前も、秋っていいます。

響太さんは、すごい人です。

私、響太さんの呟きとか、反応をもらえるのが嬉しくて……。

これからも、一緒にお話したいです」

言葉が震えて、涙が混ざった。

どうして今、こんなことを言ってしまったのか。

でも、伝えずにはいられなかった。

電話を切ったあと、胸の奥が熱くて、どうしようもなかった。

――まるで、告白みたいじゃない。

頬が熱くなって、思わず窓を開ける。

夜風がやさしく頬を撫で、見上げる空にはまんまるの月。

満月が、雲の合間から静かに微笑んでいた。


あの後、何度かメッセージで話し合った末、私たちは直接会うことになった。

家族以外の男性と会うのは初めてで、胸が高鳴る。

集合場所は駅。

小春や真夏には、タヌキと会うことを伝えると、「秋にもしものことがないように、人目のあるところにしたほうがいいよ」と言われた。

信用していないわけではない。ただ、念のため。

駅に着くと、君はすでに待っていた。

「やっと会えたね、秋! 一応、初めましてかな?」

笑顔で私の顔を見つめる君に、私は自然と笑顔を返した。

「そうだね! 初めまして」

写真で見ていたより、君は少しふくよかで、背は私よりも二十センチほど高い。

それでも、顔は写真以上にかっこよくて、思わず見とれてしまう。

「さっそく、二人で行きたいところに行こう」

電話のときと変わらない声に、私は心から安心した。

その日、私たちは某ゲームの博物館やショッピングモールなど、あちこちを巡った。

夜になり、ホテルへ戻ると、屋上で縁日が開かれているのが見えた。

二人で屋上行きのエレベーターに乗り、扉を押すと、そこには幻想的な光景が広がっていた。

子どもたちの楽しげな声、「キャー!」や「パパ、これやりたい!」があちこちから聞こえる。

あなたは「お好み焼き食べようよ!」と笑いながら走り回り、ヨーヨー釣りでは「俺、得意だから見てて」と子どものようにはしゃぐ。

その姿を見て、私は思わず母性本能がくすぐられるのを感じた。

お好み焼きを食べ、ヨーヨー釣りを楽しんだ後、二人でベンチに座る。

空を見上げると、夜空に満月が輝いていた。

あなたも空を見上げている。

その横顔を見て、私は小さく微笑みながら呟いた。

「やっぱり、あなたはタヌキね」

「ん? なに? なんか言った?」

君が振り向く。

私は顔を赤らめながら、真っ直ぐあなたの瞳を見つめた。

「タヌキ……好きだよ」

その言葉が、月の光にそっと溶けていった。


初めての小説を最後まで読んでくださって、本当にありがとうございます。

書いている間は、不安と喜びの繰り返しでした。

それでも、物語として形にできたことが今はとても嬉しいです。


拙い部分も多いですが、この作品が誰かの心に少しでも残れば幸いです。

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