狗&狛編『双子の妖と温もりの在処』
本編『転生陰陽師は男装少女!?~月影の少女と神々の呪い~』もよろしくお願いいたします!
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むかしむかし、あるところに、生まれたばかりの五匹の子犬がおりました。
母犬は真っ白な毛並みで、その美しさから神の使いと崇められ、大きな神社で大切に飼われておりました。
五匹のうち、三匹は母によく似た美しい白を持っていました。
ところが、なぜか二匹だけが、墨に浸かったように全身真っ黒な姿で生まれてきたのです。
一匹は雄、一匹は雌。
つぶらな瞳の、可愛らしい兄と妹でした。
どんな色で生まれても、子は子。
母犬は、可愛い我が子に満遍なく愛情を注いでいました。
しかし、神社の人間はそうではありませんでした。
「全身真っ黒ではないか……まるで妖魔だ」
「なんと不吉な。息の根を止めてしまえ!」
「いや、祟りがあるかもしれん。誰か、遠くへ捨ててこい!」
黒を凶兆と捉えた人々は、無情にも、まだ目もろくに開かない二つの小さな命を、山奥へ捨ててしまったのです……。
***
それから数十年──。
「お、いいカモが来たぞ……あっちだ!」
「ま、待って、兄ちゃん!」
二匹の黒い影が、山中の下草の茂みの中を走り抜ける。
その影たちは、山に捨てられた、あの黒犬の兄妹だった。
二匹は街道が見える位置まで来ると、一気に速度を緩め、道端の大岩の影に身を潜めた。
道の向こうから、旅人がやって来る。
少し身なりのよい老人と、護衛の若者の二人組のようだ。
「くんくん……うまそうな匂いがする。これは当たりだな!」
鼻をひくつかせる兄の横で、妹の腹がきゅるきゅると鳴った。
「兄ちゃん、おなかすいた……」
「……待ってろ。あいつらから、うばってきてやる」
兄の声には、いつもの威勢の良さに混じって、微かな躊躇いがあった。
――また、こんなことをして。
かあちゃん、オイラたちのこと、どう思うかな……。
心の奥で、小さな声が囁く。
だが、妹の空腹に歪んだ顔を見ると、その声を振り払うしかなかった。
生きるために、仕方がないのだ。
他に道はないのだ。
そう言い聞かせて、兄はふらふらした足取りで街道に転がり出た。
地面に倒れ込んだ子どもに気付き、若者が慌てた様子で駆け寄ってくる。
「おい、坊主。大丈夫か?」
若者が声をかけると、兄は、さも憐れな表情で訴えた。
「……オ、オイラ、おなかがへって……」
「そうか。困ったな……。俺もあまり持ち合わせがないんだ」
そう言うと、若者は懐から握り飯をひとつ取り出して、兄に差し出した。
その優しい行為に、兄の心が一瞬揺らいだ。
――この人は、悪い人じゃない。
だが、すぐにその後ろで、身なりの良い老人が声を荒らげた。
「おい、何をしておる! そんな汚い小童、放っておけ!」
「しかし!」
「お前はワシの護衛だろう! 仕事をせんのなら金は払わんぞ!」
「……っ」
雇い主にそう言われて、若者は渋々立ち上がった。
「すまんな、坊主。それだけでは足りないだろうが、勘弁してくれ」
すまなそうに顔を曇らせた若者に、子どもはニヤリと笑って言った。
「嫌だ!」
「……は?」
呆気にとられた若者の隙をついて、子どもは大きな黒犬に姿を変えると、脇をすり抜けて、老人に襲い掛かった。
「な、なんじゃ!? ぎ、ぎゃあああ!」
「……なっ!? 坊主、妖魔だったのか!」
若者は慌てて雇い主の元へ向かったが、すでに黒犬は老人を地面に押さえつけ、その鋭い爪を喉元に突き立てていた。
「な、何をしておる!早く助けんか!」
「は、はい!」
刀を手に向かってくる若者を、黒犬はひと睨みして言った。
「動くな! 動けばこの爺さんの命はない!」
「ひっ!? よ、よ、よ、妖魔がしゃべった!?」
「妖魔じゃない! あんな奴らと一緒にするな!」
兄の心に、怒りが込みあげる。
妖魔――瘴気から生まれ、人を食らい、災いをもたらす邪悪な化け物。
自分たちはそんな存在ではない。
ただ生きるために、仕方なくこんなことをしているだけなのに。
唸り声を上げて睨みつける黒犬を前に、若者は交渉を持ちかけた。
「……落ち着け。何が望みだ?」
「持ち物、ぜんぶ置いていけ」
「そうすれば、見逃してくれるのか?」
「取って食ったりはしない。おまえら、マズそうだし」
心にもない強がりを言う。
本当は、こんな風に人を脅すのは嫌だった。
だが、妹を守るためには、強くあらねばならない。
「ふ、ふざけるな!これはぜんぶワシの物だ!」
地面に顔を押し付けられながら、老人はなおも居丈高に叫んだ。
だが、「ガルルルルルッ」という唸り声と共に、その息が首にかかると、「ひぃっ!」と情けない声を上げて、ガタガタと震え始めた。
「名主様、ここはそいつの言うとおりにするしかなさそうだ」
「……く、くそっ!わかった、荷物は置いて行く!だから、そこをどけ!」
「……まだ立場がわかってないのか?」
背中を押さえる力が一層強くなり、老人の脆くなった背骨がミシッっと嫌な音を立てた。
「わ、わかった! ワシが悪かった! 頼む、殺さないでくれ!」
「初めから、そう言えばいいのに」
黒犬は、若者への警戒は緩めず、老人を解放する。
「……ひ、ひゃあああ! お助けえええ!」
「ちょ、名主様! ひとりでは危ないですよ!」
一目散に逃げていく二人の後ろで、黒犬――の兄は、ケタケタと愉快そうな笑い声を上げた。
だが、その笑い声の奥には、自分でも気づかぬ空虚さがあった。
「もう出てきても大丈夫だぞ!」
「うん!」
岩の影から、黒髪の可愛らしい女の子が飛び出してきた。
嬉しさからか、黒い耳と尻尾が隠せていない。
女の子は尻尾を嬉しそうに振りながら、くりくりとした黒目を輝かせて、兄の元へ駆け寄って来た。
「……どれどれ。お、魚の干物に干し柿か。まあまあだな」
「えー、お肉がよかった……」
「もんく言うなら、やらないぞ!」
「兄ちゃんの意地悪!」
妹の屈託のない笑顔を見て、兄の心は少し軽くなった。
これでいいのだ。
妹が笑っていてくれるなら、それで。
野犬となりながらも助け合い、なんとか生き延びてきた兄妹は、気が付けば双子の妖となっていた。
妖は、瘴気から生まれ出る邪悪な妖魔とは違い、精霊のような存在である。
長い年月をかけて霊力を蓄え、人の姿を取ることができるようになった動物たちだ。
いたずら好きのものも多いが、本来なら人に大きな害をなすことはない。
だが、生き抜く術を他に知らぬ彼らには、この方法しかなかった。
山中に潜んで妖術で人を騙し、必要な物を拝借して命を繋ぐ日々。
そうしているうちに、数十年の月日が流れていた。
近くの村の人間が討伐にやって来たこともあったが、それも妖術で幻覚を見せてやり過ごした。
いっそ、殺めてしまえば楽なのだろう。
しかし、兄妹は頑なに不殺を貫いた。
それは、「神の使い」と言われた母犬の子であることの誇りであり、「凶兆」と言われたことを否定するための意地でもあった。
――オイラたちは、「悪」なんかじゃない!
兄はいつも自分にそう言い聞かせていた。
だが、人を騙し、脅し、物を奪う日々に、その確信は少しずつ揺らいでいく。
仕方がないで済ませていいのか。
本当に自分たちは正しいのだろうか、と。
***
そんなある日。
兄妹の前に、小綺麗な格好の美しい少年が現われた。
「おお! これまた、いいカモが来たぞ!」
「なんだか、すごくおいしそうな匂いがするね!」
二匹は喜び勇んで、いつものように岩陰に隠れた。
ところが――。
「……隠れてないで、出ておいで」
「へあ!?」
兄が街道に出る前に、少年が声をかけてきた。
予想外のことに驚きながら、男の子の姿に変化して少年の前に出る。
できるだけ憐れみを誘うように、弱弱しく、涙を浮かべながら。
「……あの、オイラ、おなかがへって……」
「そうか、可哀想に」
そう言うと、少年は優しい笑みを浮かべながら近づいて来た。
(よし、いいぞ!)
いつも通りの展開にほくそ笑んでいると、不意に体の自由が利かなくなった。
「……え?」
目をしばたたかせながら体を見ると、いつの間にか、何かが書かれた大量の紙で体を縛り上げられていた。
「な、なんだ、これ!?」
紙だと言うのにそれはひどく丈夫で、渾身の力を込めても破ることができない。
しかも、妖術も使えなくなっていた。
「……まさか、これ……」
その紙には見覚えがあった。
自分たちが生まれた神社で見たことがある。
確か「お札」とか「呪符」とか言うものだ。
「うまく化けたつもりだろうけど、焦っちゃったのかな? 可愛いお耳と尻尾が出ちゃってるよ?」
「あっ!?」
言われて気付いた。
こんな失態を犯したのは、妖になりたての頃以来だった。
「……可哀想だけど、悪さをするなら、お仕置きが必要だ」
少年は、綺麗な顔でゾッとするような冷たい笑みを浮かべると、何かを呟いた。
途端に、体がキリキリと締め上げられる。
「……ぐっ!」
痛みと恐怖に、兄の心が叫んだ。
――死んじゃうのかな。
ついに、オイラたちも……。
仕方なかったとはいえ、悪事を働いたバチが当たったのだろうか。
だが、死への恐怖よりも強い想いが胸を貫いた。
――アイツだけでも、逃がさないと。
「兄ちゃん!」
意識を失いかけたその時、妹が少年の前に立ちはだかった。
「兄ちゃんを離して! 兄ちゃんは、わたしのために人間をおそってたの!」
「……ば、ばかっ! 出てきちゃ、ダメだ……」
「だって!」
「逃げろ……」
「いや!……ガルルルルルッ」
涙をポロポロ零しながら、妹は少年に向かって唸り声を上げた。
その小さな体で、必死に兄を守ろうとする妹の姿に、兄の心が締め付けられた。
――この子まで、オイラのせいで……。
「あー、ごめん、ごめん。そんなに泣かないでよ。ちょっと懲らしめるだけのつもりだったんだ」
少年は困ったように頬を掻くと、兄を締め付けていた術を少し緩めた。
「……ゴホッ」
「兄ちゃん、大丈夫!?」
心配する妹に微笑み、兄は少年を睨んだ。
「……オイラたちを、どうするつもりだ?」
「んー、どうしようか?」
「はあ!? なんだよ、それ……」
「いや、人を襲う妖魔が出ると聞いて退治しに来たんだけど。君たち、悪い子じゃないっぽいからさ」
その言葉に、兄の心が震えた。
悪い子じゃない――そんな風に言われたのは、初めてだった。
「というか、君たち妖魔じゃなくて妖だよね?」
「……うん。ねえ、兄ちゃんもわたしも、もう行っていいの?」
「んー、このまま見逃したら、また人を襲うだろ? それも困る」
「……じゃあ、どうするんだよ」
「えっと、そうだなあ。……いっそ、うちの子になる?」
「……は……?」
この少年は何を言っているのだろうか。
理解できないでいる兄妹に、少年は満面の笑みで語りかけてきた。
「僕は陰陽師なんだ。君たちさえよかったら、僕の式神にならない?」
「陰陽師ってなあに?」
きょとんとしながら首をかしげる妹に、少年は優しく目を細めた。
「妖魔とか、悪いものを退治する人だよ。式神はその眷属……お手伝いをする者のことなんだ」
「……そうしたら、兄ちゃんが人間をおそわなくても、ご飯食べられる?」
妹の問いかけに、兄の胸が痛んだ。
この子は、自分が悪事を働くのを心配してくれていたのだ。
「もちろん! 毎日、ちゃんとあげるよ……って言っても、式神になったらお腹は空かなくなるんだけどね」
「そうなの?」
「うん。でも、食べることはできるから、食べたいなら美味しいご飯を用意するよ」
「ホント!?」
「おい、だまされちゃダメだ! 人間なんて信じられるか!」
兄の叫びは、自分自身への戒めでもあった。
これまで散々人間に裏切られ、捨てられてきた。
今更、人間を信じるなど……。
「……君たちの事情は何となく察してるし、信じられないのは当然だと思う。でも、信じてよ」
少年の瞳に、嘘偽りのない真摯さを見た。
だが、それでもまだ、心の底から信じることはできなかった。
「……」
「裏切ったら、その時は復讐していいからさ」
「……その言葉、忘れるなよな」
「忘れないよ」
少年は兄の戒めを解くと、優しく微笑んだ。
「僕は、安部朔夜。君たちは?」
「……お名前、無いの……」
妹が悲しそうに俯いた。
その頭を、朔夜はそっと撫でた。
その温かい手のひらに、妹だけでなく兄も、久しく忘れていた感覚を思い出した。
――かあちゃんも、こんな風にあったかかったな。
「なら、僕が名付けていいかな?」
「……勝手にすれば?」
「子犬かあ……。じゃあ、お兄ちゃんが"狗"で、妹ちゃんが”狛”、なんてどうかな?」
「狛! わたし、狛」
はしゃぐ妹を横目に、兄が小さくつぶやく。
「……まあ、悪くはない」
口元が緩んでいるところを見ると、まんざらでも無いようだ。
「じゃあ、一緒に家に帰ろう。式神契約しないとね。あ、師匠たちにも伝えないと……」
ブツブツ独り言を言いながら歩いていく朔夜の後を、二匹の子犬が追いかける。
妹は跳ねるように、兄は用心深い足取りで。
――本当に、大丈夫なのだろうか。
兄の心に不安がよぎったが、妹の嬉しそうな表情を見ると、その不安も和らいでいく。
もしかしたら――もしかしたら、本当に幸せになれるのかもしれない。
こうして、人に捨てられて妖になってしまった黒犬の兄妹は、陰陽師・安部朔夜の式神として生きていくことになった。
***
それからしばらくして。
朔夜の屋敷に、今日も可愛い言い争いの声が響く。
「もう!狗兄、しっかりしてください!」
「はえ?」
「そんなんじゃ、朔夜様の式神として失格ですよ!」
「狛さあ。なんか、話し方も性格も、変わりすぎじゃない……?」
日を追うごとに口やかましくなる妹に、狗がうんざりした様子でつぶやいた。
「朔夜様に相応しいように、成長したのです。狗兄は寧ろ、幼児退行してませんか?」
「えええ!? ひどいよ、狛。オイラだってがんばってるのに……」
「だったらいい加減、成長してください! お兄ちゃんなんですから!」
「昔は可愛かったのに……」
「……なんか言いました?」
「い、言ってないよ……」
狛は朔夜への敬愛を胸に、日々自分を磨き上げていた。
一方の狗は、相変わらずのマイペースぶりで、そんな妹に振り回されている。
だが、二匹の瞳に宿る光は、あの頃とは全く違っていた。
不安も恐怖もない、純粋な幸せの光だった。
その様子を微笑ましく見守るのは、この兄妹の主となった朔夜と、兄弟子の賀茂真白だ。
「まーた、やってるよ。飽きないね、あいつらは」
「癒されるよねえ……」
呆れ顔の真白の隣で、朔夜は蕩けた顔をしている。
「おーい、朔夜。顔、やべえことになってるぞ……」
「おっと、失礼!」
「お前ホント、式神に甘いよな」
「だって、あんなに可愛いんだよ!?」
食い気味で力いっぱい答える朔夜に苦笑しながら、真白は真面目な顔で言った。
「はいはい。でも、最低限の躾はちゃんとしろよ」
「わかってるって。あれであの二人、仕事はちゃんとできるんだ」
「……ならいいけどさ」
そんな会話をしていると、真白の背中にドンっと衝撃が走った。
「うおっ!?」
振り返ると、満面の笑みの狗がへばりついていた。
「真白! オイラと遊ぼうぜっ!」
「あのさ、狗ちゃん。オレ、休憩してるだけで、まだ修行の最中なんだけど……」
「えー……」
悲しそうな顔で見上げる姿に胸が痛む。
結局、真白はぼりぼりと頭を掻きむしると、やけくそ気味に答えた。
「……あー! わかったよ! ちょっとだけな!」
「やった! 真白、大好きだぞ!」
「おう、オレも狗ちゃん大好きだぜ!」
真白と狗が仲良く庭に飛び出していく。
そこへ「真白様の邪魔をしたらダメですよ!」と言いながら狛まで合流し、鬼ごっこが始まった。
「……真白も人のこと言えないじゃないか」
苦笑しつつ、朔夜は楽しそうにはしゃぐ双子の妖を優しい瞳で見つめた。
あの日、山で出会った時の彼らを思い出す。
人を騙し、脅すことでしか生きられなかった彼らが、今はこんなにも無邪気に笑っている。
狗と狛にとって、朔夜が命の恩人であることは間違いない。
だが朔夜にとっても、この二匹は掛け替えのない存在になっている。
彼らの純粋な笑顔が、朔夜の心を癒し、支えてくれていた。
これから先、彼らが二度と辛い想いをすることが無いように――。
そして、この温もりが永遠に続くように――。
朔夜は心の中で、静かに祈りを捧げた。
庭先に響く、幸せな笑い声に包まれながら。